第36話 心を守り抜け⑨

 保健室で一時間ほどの仮眠を取ったことで俺の体調は回復傾向にあった。

 目覚めた時には隣のベッドで心が眠っている。


「ん、んん……」


 うなされている? 気になった俺は様子を窺うため、心の顔を覗き込んだ。


「んん、ん? ひゃ! 桃矢さん……何を! 痛っ!」


 目を開けた瞬間、俺の顔があったことに驚いた心は勢いよく上体を起こしたことでデコとデコが鈍い音を立ててぶつかった。


「いっ! だ、大丈夫か? 心」


「イタタ。えぇ、すみません。少し驚いてしまいました。ここは?」


「保健室だよ。心は熱中症で倒れたんだ」


「熱中症?」


「覚えていないのか?」


「そういえば学年マラソンが。今、何時ですか?」


「十六時を回ったところだな」


「いけない! 私、生徒会の打ち合わせがあるんだった」


 慌しくベッドから降りようとする心に俺は止めた。


「無理をするな。安静にして」


「そうもいきません。私が司会をすることになっているんです。司会者がいないなんて皆に迷惑が掛かります」


「いいから動くな。まずは自分の身体を優先してくれ」


「でも……」


「心は人のために頑張れるところはいいところだ。でも無理をしすぎて倒れたら元も子もない。今大事なことは身体を休めることだ」


「どうしても桃矢さんは止めたいってことですか」


「菊池くんの言うことは最もだと思うわ」


 突如、保健室に入って来た美紗都が言い放った。


「美紗都……」


「現にあなたは意識を失ってここにいる訳でしょ。だったら自分のすべきことは一つしかないんじゃないの?」


 美紗都の問いに心は押し黙った。


「はぁ。うちの保健室はただの保健室ではなく病院並の施設が充実しているから良いわよね。優秀な医者と看護師が常駐しているおかげで適切な処理がスムーズに行われる。そのおかげもあって心の症状も安定している。感謝しなきゃね」


「それは……ごもっともです」


「悪い話と良い話があるけど、どちらから聞く?」


「良い話」


「生徒会の打ち合わせは延期になったそうよ」


「え? 本当に? もしかして私のせいで?」


「それもあるかもしれないけど、生徒会のメンバーが揃わないって話よ。良かったわね」


「そ、そっか。それで悪い話って?」


「心が上位三名に入ったって思い込んでいるようだけど、それは違う。あなたは入っていないわ」


「嘘。確かに私はセンターラインをちゃんと超えたはず」


「えぇ。それは間違いない。でも既に心がゴールする前に上位三名は決まっていたのよ。あなたは四番目。残念だったわね」


「そ、そんな。じゃ、星の権利は無いってこと?」


「そう言うことね。ちなみにその上位三名に入った一人は私よ」


 そう言って美紗都は自慢げに銀の星を見せびらかした。


「嘘よ。だってあなた、私と同着。だったじゃない」


「数ミリの差で私が一歩先にセンターラインを越えていたの。熱中症の症状が出始めて視界が鈍ったんじゃない?」


「そ、そんな。私はてっきり上位に入っていたと思ったのに。勘違いで喜んでいたってこと?」


「ふふーん。今回の勝負は私の勝ち。やったー。心に勝った! もう気分最高よ」


 絶望する心を前に美紗都は喜びの笑みを浮かべた。


「心。今回は残念な結果だったけど、次の機会にまた頑張ればいいさ。俺は心が星を獲れることを応援しているからさ」


「桃矢さん……」


「ちょっと、ちょっと。何を勝手に良い雰囲気になっているのよ。まるで私が嫌な奴みたいじゃない!」


「美紗都さん。実際にそうだと思いますけど」と俺は冷静にツッコミを入れた。


「はぁ、仕方ありませんね。私は元々アンラッキーデーですから仕方がありません」


「心。アンラッキーでもラッキーなこと作らないか?」


「え?」


「今日ってまだ何かイベントってあったっけ?」


「ええと、そうだ。放課後に女子会に途中参加する予定です」


「そういえばそんなこと言っていたな。何の集まりだよ」


「えっと、それはですね……」


 言うかどうか心は恥ずかしがる素振りを見せる。


「どのみち俺は心から離れることは出来ない。体調のこともあるし、今日はその女子会は断れないのか?」


「そ、それだけは出来ません!」


 強気になりながら心は否定した。


「な、何だ。そんなに大事な集まりなのか?」


「は、はい。実はその……今日限定のスイーツバイキングがあるんです。ずっと前から楽しみにしていたんです。今日を逃すと次はいつになるか分からないんです。だからどうしても行きたいんです。ダメ……ですか?」


 心は上目遣いをしながら俺に言う。可愛い仕草に俺は否定できなかった。


「こ、今回だけだぞ」と何目線か分からない発言をしつつ、許してしまったのだ。

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