第5話:恐怖政治の序章

「皇太子よ、余は騙されるのが大嫌いなのだ」


 一瞬でした、一瞬で皇太子の首が千切れ飛びました。

 剣で斬り飛ばしたのではありません。


 ゆっくりと、まるで愛撫するかのように、優しく伸ばしたように見えて皇帝陛下の右手が、皇太子の顔の近くで、急に平手のびんたに変わりました。


 至近距離です、勢いをつけるための予備動作などありません。

 普通なら力を込めるなんて不可能なのです。


 なのに、近距離からわずかな力を込めたとしかみえないのに、皇太子の首から上が胴体から千切れて飛んでいきました。


 飛んでいく皇太子の首は、何が起こったのか理解できないのでしょう、驚愕の表情を浮かべています。


 痛みを感じていないのが救いかも知れません。

 残された皇太子の胴体は、首の部分から噴水のように鮮血が吹き上がっています。


 普通なら叩かれた勢いで倒れるはずなのですが、その場に立っています。

 いったいどれほどの剪断力が、あの平手打ちに込められていたのでしょう?


 皇帝陛下が徐々に姉アフロディーテに近づかれます。

 姉の眼が顔から零れ落ちそうなほど見開いています。


 恐怖の大王と化した皇帝陛下から眼が離せないのでしょう。

 腰を抜かしたまま、舞踏会場の床にへたり込んでいます。


 周囲を姉が漏らした尿がぬらしています。

 なんの躊躇いもなく、皇帝陛下が尿の広がった床に足をつけられました。


「もう一度言ってきかす、余は騙されるのが大嫌いなのだ」


 今度も皇帝陛下は、ゆっくりと手を伸ばされました。

 これから殺人を行う手だとはとうてい思えない、優しいゆっくりとした、まるで愛しい相手をダンスに誘うような動きです。


 姉はわずかに視線を動かし、瞬きもせず、いえ、瞬きする事ができずに、殺りく兵器と化した皇帝陛下の右手を凝視しています。


 恐怖に支配されて眼を逸らす事もできず、これから起こる事を見つめていた多くの者が、皇帝陛下の右手が姉の横顔を優しく包むのを目撃しました。


 多くの者は、皇帝陛下が女を殺す事を厭われたと勘違いしたようですが、私には殺人前の時間を愉しんでいると感じました。


 身長が二メートルを超える皇帝陛下の手は、上から掴めば簡単に頭を握り潰す事も可能でしょう


 ですが皇帝陛下は、簡単に握り潰すのでは満足できなかったのでしょう。

 姉の顎下に右手の親指を添えて、残る四指で姉の頭を包み込むようにしました。

 私を含めた幾人かの者が、これから起こる惨劇に気がつきました。


 そうです、皇帝陛下は、姉の顔を横半分だけ握り潰し、廷臣達の心に恐怖と教訓を刻み込むつもりなのです。


 嘘をついたモノは、たとえ皇太子であろうと自らの手で叩き殺す。

 相手が侯爵令嬢であろうと、情け容赦なく自らの手で顔を握り潰して殺す。


 これほどの教訓はないでしょう。

 これほど恐怖政治を目指す皇帝陛下は、私をどう処遇するつもりなのでしょうか?

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