第66話 デビューからの即引退

「兄さん! 早く早く!」

「ああ、すぐ行くから」


 これからライブだっていうので、若葉は俺の腕を引っ張り、シアタールームへと導いてゆく。


 すでに大型スクリーンをまえにして座っていた一条先生や黒瀬姉妹たちはおのおの好きなドリンクやお菓子を傍らに置いて、サイリウムライトを構えていた。


「夕霧お姉ちゃんを見れるの、檸檬楽しみ!」

「うん、私もよ」


 みんな同級生がアイドルYouTuberとなって、俺たちに晴れ姿を見せてくれることに興奮していた。


 そうこうしているうちにモニターにはカウントダウンが終わり……、



 ――――みんな~!!! 灰姫かいひめエマだよ~!!!



 モニターから出逢った頃とは別人と言っていいほど、両手を全力で振る明るく元気な夕霧の姿があった。


「マジすげえな! あの引っ込み思案の恵麻がこんなにビッグになるなんて。まさに下剋上って感じ最高じゃねえか!」


 秋月先生は腕組みしながら、しみじみとして夕霧が精いっぱい歌う画面を見つめていた。


 Y’sワイズプロダクションという八乙女グループの芸能事務所にネット配信アイドルとして灰姫エマ専門の部署を立ち上げてもらい、公開して1週間でチャンネル登録者数100万人を越えていた。


 もちろん宣伝等にY’s《ワイズ》プロダクションが力を入れていたことも大きいが……、


「ここまで伸びる子はいませんよ」

「逸材すぎる……」


 俺たちの後ろで講師陣が夕霧の晴れ姿に感心している。


 母親から邪険に扱われ、学校でも居場所がなかった夕霧がいまや多くの人から必要とされていることが何よりもうれしかった。



――――Y’sプロダクション。


 夕霧のデビューから1ヶ月が過ぎようとしたときだった。


 灰姫エマはプロダクション事務所を訪れていた俺の脇を会釈すると、そのままスーッと通り過ぎ、マネージャーと打ち合わせのために会議室へと消えてしまう。俺のことはもうすっかり忘れてくれたようで、安心していた。


 夕霧の俺への依存度が高すぎて、これからの芸能活動をするうえで邪魔になると思い、俺は彼女の記憶を催眠術で忘却させていた。


 現役アイドルとオーナーが肉体関係があるなんて、ゴシップ誌が好んで取り上げそうなネタだったし……。


 会議室にいる灰姫エマに向け、


【恵麻……キミは俺のことなんて忘れて、大きく羽ばたくんだ!】


 俺は拳を強く握り締め、さらなる夕霧の飛躍を願っていた。



 そんな俺がプロダクション事務所を訪れていたのは、うちの大事なタレントを守るため。


 夕霧の黒子もしくは足長お兄さんとしてアシストしようと思っていたのだが、早速彼女をサポートしなければならない案件が予想通り舞い込んできていた。


 応接室からは分厚い壁とドアなのに怒声が漏れ聞こえる。


 ――――早くオーナーをだせや!!!


 ――――いつまで待たせんのよ! 


 ――――おまえじゃ話になんねえ!


 ――――恵麻にも会わせて!


 応接室に入ると雅人の父親快人と夕霧の母親樹莉亜がおり、快人はさすが雅人の父親って感じでタバコを吸いながら、ソファーでふんぞり返っていた。一方の樹莉亜はプロダクションの社長になにか文句を言ってまくし立てている。


「ああっ! 善行おぼっちゃま、申し訳ありません。私が不甲斐ないばっかりに……」

「ううん、無理なお願いをしたのは俺のほうだから、気にしないで」

「痛み入ります」


「おい、そこ! 俺ら客が来てんのに無視するんじゃねえぞ! しかもなんだ? 雇われ社長じゃ話になんねえっつったら、ガキを寄越すとかふざけてんのか? 早くオーナーを出せ、オーナーをよぉ!」


 快人がテーブルを足で蹴っ飛ばすと、水すら出したくない相手にわざわざ忙しい合間を縫って、社員さんが用意してくれたお茶がこぼれてしまう。


「オーナーは俺です。話は俺がお聞きしますので、お話ください」

「ああっ!? てめえ、ふざけてんのか? ガキに用はねえから引っ込んでろ!」


「そうですか、それでは仕方ないですね。進藤社長、先方がお話したくないようなので引き上げましょう」

「そうですね」


 俺と社長が息を合わせたように一斉に立ち上がったので、快人と樹莉亜はふんぞり返っていたのに身を乗り出して慌てていた。


「おっ、おいっ! そんな無責任なことをしてもいいのかよ?」

「そうよ、そうよ! ふざけんじゃないわよ!」


「俺はなにひとつふざけてませんよ。俺たちとは交渉ができないと仰られたのはそちらにいる……稲垣雅人くんのお父さんですよね?」

「な、なんでそれを……」


「あれ? もしかして、夕霧さんのお父さんを演ずるつもりだったんですか? 大丈夫ですよ、うちはタレントの身辺調査はそりゃ~もう入念に入念を重ねてますので」


「こ、このクソガキ……」

「残念ながら俺はクソガキではないです。どちらかと言うと雅人くんのほうがお似合いかと……」


「くっ!!! ふざけんじゃねえぞ、コラァァ!」


「待って、快人さん! 私が話すから……こいつらうちのかわいい、かわいい娘を誘拐しておいて、過酷な労働環境で働かせているに決まってるんだわ! それで儲けを搾取してる鬼畜どもよ!」


「誘拐? おかしいですね。『あんな子いらない』と仰っていたのに、いまさら大事な子扱いですか?」

「そ、それは親子喧嘩の結果……ムカついて出て言葉の綾よ」


「俺は恵麻さんが家に居づらいということで同級生として、彼女に住まいを提供していただけ。芸能活動はその対価として彼女がお返ししてくれただけに過ぎません。それよりもお二人のご関係についてです」


「クラスメートの父兄同士で会ってなにが悪い?」

「いえ、まったく問題ありません。けど不倫ってことなら問題あるんじゃないですか?」

「そんなねえ……根も葉もないうわさを立てられちゃ困るわ~、ね、快人さん」


「そうだ! オレはおまえらを名誉毀損で訴えてやるからな! 証拠があるんなら出せよ」

「そうよ、そうよ、出せるもんなら出してみなさいったら」


「う~ん……分かりました。進藤社長、あれを」

「かしこまりました」


 社長はノートパソコンをすでに立ち上げており、クルッと快人たちに見せた。


 俺が集めた不倫の証拠写真がモニターに表示されており……、


「ワンクリックで雅人くんのお母さんに送信できるようにしてあります」


 社長は俺の代わりに快人たちへ伝える。


「さあ、お引き取り願うか、訴えて双方痛み分けになるか、選んでください」


「パソコンを壊せばいいのよっ!!! 快人さん、やっちゃって」


 樹莉亜に唆され、パソコンを掴んで持ち上げた快人だったが俺は透かさず、快人に楔を打つ。


「もちろんバックアップは取ってあるし、この部屋でのやり取りはすべて録画されている。不倫で奥さんから訴えられたうえに器物破損に威力業務妨害……裁判たいへんだろうなぁ。俺は優秀な顧問弁護士をたくさん抱えてるから、係争できる体力はあるんだが、どうする?」

 

「引き上げるぞ、樹莉亜!」

「えっ??? えっ??? どうして?」

「食えねえガキだ!」


「俺は樹莉亜さんに言っておきたいことがある。母親が男を連れ込んでる環境のなかで思春期の子どもに与える影響ってものを考えたことはあるんですか! 夕霧はあんたから罵倒され続けて、自信をなくしてしまったんだ! 分かってるのかよ!」


「そんなの知らないわ!」


 親としての責任は取りたくないのに、娘が成功するとその利益をむさぼろうとしてくるハイエナでしかない。いやちゃんと子育てするハイエナに申し訳ないな。



 毒親たちを撃退し、夕霧を守ったのは良かったんだが、登録者数が500万人を越えたその日、彼女は俺の予想を遥かに上回る行動を起こしていた。



 ――――みんなにご報告しなければならないことがあります! 今日でわたしは引退します!



 は?


 500万人達成記念ライブということで、うちに集まった関係全員が灰姫エマの発言に石化していた。


 「ごめんなさい」と告げ、深々と頭を下げたあと灰姫エマは早々に引き上げてしまい、ライブでは関係者と思われる悲鳴がただただ垂れ流されたかと思ったら、配信が切れてしまう。


「な、なにがあったんだ?」

「分かりません……」


 俺と若葉は顔を見合わせ、はっきり起こったことを見ていたのに、状況が飲み込めないでいた。



 その夜、俺はなぜ夕霧がアイドルを辞めてしまったのか、ずっと考えこんでいたがまったく答えが見いだせず、いつのまにかソファーのうえで横になって途中でぷっつりと意識が途切れてしまう。


 再び意識が戻ると……。


 んん!?


 唇に柔らかくて温かい感触がした。


 若葉か、黒瀬姉妹か、一条先生か、と思ってまぶたを開くと驚いた。


 渦中の灰姫エマが俺に跨がり、口づけしていたのだから……。


「おはよ、善行くん」

「恵麻! なんでここに!? つかなんで俺のこと憶えてるんだよ!?」

「演技だよ♡ 私が善行くんのこと忘れられるわけないよ……」


 俺は夕霧にさまざまな芸能スキルを身につけてもらっていたが、そんな俺を演技で騙してくるなんて思ってもみなかった。


「本当は分かってたんです。周りの人から認められるんじゃなくて、一人の男の子から愛されることのほうがずっとずっと大事なんだって……。そんな理由でアイドル辞めちゃったとかダメ……でしょうか?」


「あううう……」


 俺の催眠術はちょっとやそっとじゃ破れないはずなのに……夕霧がそこまで俺のことを想ってくれているなんて思いもしなかった。


「進藤社長さんやマネージャーさん、たくさんの人にご迷惑をかけちゃいました。だからプロデュース料を含めて、オーナーである善行くんにお返ししなければなりません。身体でお返しするのが、いちばんいいかなと……オーナーの好きなようにしてください」


「なっ!?」


 夕霧はぜったいに離さないといった具合に俺を抱きしめてきていた……。


―――――――――――――――――――――――

愛は処女○だけでなく催眠術すら破っちゃったwww

次回、○Tuberに転生した夕霧と毒親ざまぁです。

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