「はちきん」おばあさんの事件ファイル

@AKIRA54

エピソード Ⅰ 三人の復員者事件(前篇)

    プロローグ


「今日の酒は『土佐鶴』ですよ。しかも大吟醸って高級酒です」

 S氏はそう言って、黒褐色の一升瓶を取り出し、座卓の上の小さなカットグラスに酒を注いだ。

「土佐鶴と言えば、高知の酒では司牡丹と並んで全国区でしょう。昔、女優の三田佳子がコマーシャルをしてましたよ。NHKの大河ドラマで『竜馬がゆく』ってのがありましたでしょう?いや『龍馬伝』の福山雅治じゃなくて、北大路欣也の若い頃の奴ですよ。えっ、ご存じない?まだ生まれてない時の番組ですか?北大路欣也はいまでもテレビに顔を出しますね。でも今、彼が有名なのはソフト・バンクの携帯電話のコマーシャルで、『ホワイト家』って言うんですかね、白い犬のお父さん役で声を担当しているやつですよね。

 いや、その北大路版の『竜馬がゆく』で原作にない、土佐藩の家老の娘『お多鶴』役を演じたのが三田佳子。役が好評だったのと、役名に『鶴』があったので土佐鶴のコマーシャルに起用されたんでしょうね。彼女のコマーシャルが全国に流れて、土佐鶴は高知の地酒から全国区へと躍進したんですよ」

 長い蘊蓄(うんちく)が終わって、おもむろに小鉢を取出し、座卓に置く。中には見慣れぬ巻貝が数個入っている。これがいつもの、この家の主人のもてなしである。土佐の地酒と、一品料理――それも土佐ならではの――が用意されている。

「今日の肴(あて)はチャンバラ貝ですよ。ほら、サザエの蓋にあたる部分がちょうど刀の刃の形をしてるでしょう。そこからチャンバラって命名された貝ですよ。これが高知の名物で、他県ではお目にかからないなんて、最近知ったんですがね。塩ゆでにしてるんで、貝独自の旨味と甘味、歯応えもいいし、辛口の酒の肴には最高ですよ」

 そう言って、私に「どうぞ」と勧めてくれる。

 S氏が刀の刃に似た部分を摘んで、身を取り出し、そのまま口に運ぶ。私も見様見真似で、貝の身を取り出し、口に運ぶ。

「美味い!」

 と、どこかのテレビ局のバラエティー番組の芸人のような言葉が思わず出てしまった。

「仰るとおり、何も付けないで、塩気と、甘味と、旨味が、口に広がりますねェ。歯ごたえもあって、美味しいです」

「中々、食レポがお上手ですなぁ」

 と、S氏がチャンバラ貝を噛み締めながら、土佐鶴の入ったグラスを傾ける。私も同じように、酒を口に運ぶ。辛口の酒の豊潤な味が、貝の旨味と溶け合って、口から食道へと広がって行くのが解った。

「テレビドラマと言えば、私が幼い時分、『私は貝になりたい』って、フランキー・堺、主演のドラマがありました。リリー・フランキーじゃありません。『幕末太陽伝』って有名な映画で主役を演じたり、森繁久彌の喜劇映画にも出演していた、本職はジャズのドラマーって変わり種のタレントですよ。えっ、チャンバラ貝から『貝になりたい』ですって?いやいや、このドラマの主人公は高知の人間、理髪店の店主って設定でね。戦争から復員してくるんだが、戦時中に上官の命令で捕虜の米兵を刺殺してしまう。その罪に問われて戦犯として絞首刑になるって物語です。そう、何年か前に『SMAP』の中居君と女優の仲間由紀恵主演でリメイクされてましたね。今日の話はそのドラマに関連した、復員兵にまつわる事件なんです」

     

 さて、物語に入る前に、ここで、語り手の「S氏」と私(作者)の関係を簡単に説明しておこう。

 私が、S氏と出逢ったのは、一年以上前である。

 高知の名所、日曜市を東から西へ散策し、高知城の間近に来た辺りに、「ひろめ市場」という場所があった。居酒屋、飲食店、土産物、そういった小さな店が、集まって、ひとつの市場――広場――になっている。日曜日の昼間だというのに、老若男女、ビールや酎ハイのジョッキを傾けている。若い娘の姿も眼に留まる。

 さすが、酒王国、土佐である。日曜市もそうだが、この場所は、最早、日本ではないようだ。異国の風景、異国の香りがする。

 テーブルとイスが、整然と並べられているが、空いている席が見つからず、ウロウロとしている私に、

「ここがひとつ、空いていますよ。よろしかったら、合い席でどうですか?」

 と、声を掛けてくれた、七十歳ぐらいの男性が、S氏であった。遠慮がちに、小さな、二人用のテーブルに向かいあうと、

「県外のお人ですね?ご旅行ですか?」

 と、尋ねてきた。私が旅行でなく、最近、高知へ移り住んだ、Iターン者だと告げると、ニッコリと笑い、

「それはそれは、大歓迎ですよ」

 と、笑顔を浮かべ、土佐の名物は、「坂本龍馬に鰹のタタキ」と説明した後、できたての――自らが注文した――鰹の塩タタキを振舞ってくれた。

 一切れの厚さが、二センチ程の分厚い切り身である。塩も地元の海から作ったものらしい。表面が藁の炎で焙られて、香ばしく、身は初鰹ならではの、鮮やかな赤身である。

「美味い、流石(さすが)、本場は違う。東京で食べた鰹とは、まるで別のものです」

 私の、素直な感想に、気を良くして、S氏は追加の料理と、生ビールを注文してくれた。

 私が、以前は雑誌の記者をしていたこと、ある事件がきっかけで、社を退社。しばらく、フリーで仕事をしていたが、また、ある出来事のあと、都会を離れ、高知に移住したことを、酒の会話で打ち明けると、

「ひとつ、昔話を聴いてもらえませんか?いや、小説のネタになるかどうかは解りませんがね」

 と、昭和の昔話を始めたのである。

 その後は、自宅に招かれ、土佐の地酒を酌み交わしながら、昔話を聴かされた。いや、こちらから、聴きたくて、通ったのである。

 その昔話を、私が編集して、小説としてみたのである。登場人物は架空の者。あくまでも、フィクションであることを念頭に置いて、読んでいただきたい。場所や、歴史的事実には、実名を使っている場合があることを、まず、お断りしておく。

 さて、今回の話、タイトルは「三人の復員者」とでもしておこうか……。


   1、マッちゃんの「テンゴウ(ホラ)噺」


 刻屋(ときや)旅館の近所に通称「マッちゃん」本名、松岡勝(まさ)次(つぐ)という男がいた。理髪店――当時は散髪屋と言っていた――の店主である。散髪の腕も確かだし、客あしらいも上手い。おまけに映画好きで、現在封切り中のもの、無声時代の古い映画の話も面白くて、店はお得意さんでいつも満員状態だった。

 そのドラマ『私は貝になりたい』の放送が終わって評判が広がった頃――昭和三十年代前半――の霜月のある日、

「この前のテレビ観ましたか?『私は貝になりたい』って、ドラマ。顔の四角い俳優さん、そうだ、『フランキー・堺』って役者だか、コメディアンだかが主演の戦争もんですよ」

 と、マッちゃんが、お得意さんの、通称『先生』――中学校の国語の教師――の髪を切りながら話しかけた。

「ああ、観たよ。『フランキー・堺』ってのは、ジャズのドラマーが本職さ。けど、いい芝居してたじゃないか?」

「へぇ?ドラマーがドラマに……、結構な洒落(しゃれ)でやすね?」

 下手な洒落に先生は苦笑いを浮かべる。マッちゃんは、噺がスベッているのに気づかないふりをして、会話を続ける。鋏の音は途切れさせない。

「実はね、あの死刑囚のモデルになったのはアッシでしてね。ほら、あの話、高知の理髪業者だったでしょう?それに復員兵だ。アッシも南方から復員してきましてね」

 そう話しながらも、鋏は軽やかに後ろ髪を刈り上げて行く。

「でも、あの主人公は絞首刑で死んだんだろう?マッちゃんは生きて床屋をしているじゃないか」

 と、先生は、床屋の白い前掛け――カット・ケープ――に身を固定され、まるで、テルテル坊主のような自分の姿越しに、鏡に向かって、疑問を投げかけた。

 ドラマ『私は貝になりたい』は絞首刑の刑場に向かう『フランキー・堺』演じる主人公のモノローグで幕が下りていた。

「いや、ホントは死刑で死んでいたんですがね。執行直前に恩赦って奴が発令されて、こうして生きて帰ってこられたって訳ですよ。ドラマは生きて帰っちゃあ面白くねぇんで、その前で終わらしちゃってますけどね」

「どうもマッちゃんの話はいつもセンミツだからなあ」

 先生は笑いながら、鏡に映っている、角刈りに向かって、言葉をかける。

「先生、センミツって何です?」

 髪を切る、鋏を一瞬止めて、鏡の中の先生にマッちゃんが問いかけた。

「千回に三回しか、ホントの話がない、ってことさ」

「ひでぇや、アッシは正直者のマッちゃんで通ってますぜ」

 マッちゃんが、唇を尖らせて、先生の言葉を否定する。

「いやいや、その口調もだよ。東映の時代劇の中村錦之助が演じる、イナセな火消しか、鳶職かにでもカブレているんだろう?下手な江戸弁で、笑えもしないよ」

「いやぁ、先生にかかっちゃ、アッシも、いやオイラも形無しだね」

          

「いやいや、床屋のマッちゃんのホラ噺には参ってしまうよ」

 散髪を終え、さっぱりとした顔で、自宅への帰りしなに、旅館、刻屋(ときや)に立ち寄って、冷たいラムネでのどを潤しながら、先生が、女将のお寅さんに話しかけた。師走が近いというのに、南国土佐は、やけにポカポカとした小春日和であった。

 玄関脇の土間を最近改装したスペースに、惣菜売り場と、ちょっとした食事ができるよう、テーブルと丸椅子が並べられている。その椅子に向かい合って、先生とお寅さんが世間話をしているのである。

「あら、先生にも『私は貝になりたい』の話をしたんかね。てこに合わんね。すんぐにばれる嘘をつくがやから」

 『てこに合わん』とは、土佐の方言で、『箸にも棒にも掛からない』『どうしようもない』という意味である。

 割烹着姿のお寅さんは、いつもの土佐弁で会話を繋ぐ。

「えっ、お寅さんにも伝わっているのかい?その話」

 と、先生が驚く。

「ええ、あの番組が評判になって、お風呂屋や、美容院でも話題になっちゅうでしょう。話が地元の土佐のことやき、尚更やけんど……。そこで、噺好き、話題作りの名人、マッちゃんのテンゴウ噺が作られたって訳ですよ」

「まあ、あの男なら仕方ないか」

 ため息交じりにそう言いながら、先生は残っていた、ラムネを飲みほした。

「一時(いっとき)のことですよ、また別のホラ噺ができてきますって……。でも、復員兵って言えば、先生、昔、不思議なことがありましたね」

 と、お寅さんが、昔を懐かしむように、空(くう)を睨んだ

「何々?不思議なことって」

 と、横から口を出したのは、お寅ばあさんの孫に当たるS氏である。当時はまだ小学生である。

 玄関横の座敷に座って、ちとせ劇場の傍にある貸本屋から借りてきた、月刊誌「少年」の鉄人28号を読んでいた。その雑誌を抱えて、店先の土間に下りて来て、先生の隣の丸椅子に腰を降ろした。

「終戦直後だから、あんたは生まれる前やねェ」

 と、お寅さんの昔話が始まる。

 S氏が祖母から聞いた復員兵にまつわる話、それは次のような物語である。


   2、第一の復員者


「戦争が終わって、やっと復興が始まったばっかりの時。土佐は大地震に見舞われたがぞね」

 お寅さんは、遠い眼をしたまま、昔話を始めた。大地震と言うのは、昭和二十一年十二月の南海大震災のことである。

 この物語の場所、高知市は先の戦争で、米軍機の高知空襲により、街は本丁筋(現在の上町)五丁目から下(しも)は灰塵に帰した。

 高知市は高知城のある『大高坂山』を中心にした城下町である。三本の川に挟まれた、湿地帯の上に街が作られている。北から、久万川、江ノ口川、そして、鏡川が流れている。久万川周辺は農作地である。江ノ口川は城山に突き当たった処で蛇行し、堀川の一部分になっていた。鏡川はその名のとおり、鏡のような清流で、この川の水を水道水として、利用しているのである。川の上流部分、西を上町、東を下町、中央部分を本町と呼んでいる。

 高知城の南に大きな通り――戦災後に拡張した――があり、当時も今も、路面電車が東西に走っている。

 当時――大空襲後――の写真を見ると、焼け残っているのは『高知城の天守閣』と『城東中学校――現在の高知追手前高校――の時計台』くらいである。

「けんど、土佐の人間は逆境に強いき、『戦後の復興も、地震の復興も同じじゃ』ゆうて、一致団結。そりゃあ頑張って働いたもんぞね」

 お寅さんは孫に『土佐人気質』を強調したいかのように話を続けた。

 その復興の最中(さなか)と言うから、昭和二十二年頃のことであろう。

幸い、S氏の実家、刻屋旅館は、本丁筋五丁目電停の西に位置しており、空襲からも、震災からも免れた。城下の老舗旅館は軒並み被害を受けている。復旧は早かったが、空襲前の営業は、まだまだできない状態であった。

 観光客や旅行客は数多くないが、旅芸人の一座、四国霊場の、お遍路さん――この人たちは従軍している息子や亭主の無事帰還を祈願する者が多かった――の一行。そして最も多いのが、高知駅にたどり着いて、これから東の室戸、西の中村、清水方面の我が家、親類の家へ急ぐ途中の帰還兵、それに準ずる者は後を絶たない。その人たちの一夜の宿として、刻屋旅館は大忙しであった。

 終戦からまだ、二年足らず、物のない時代である。物価もウナギ登り。自分の食べる米を持参し、宿賃替わりに充てる者。宿賃を払えない人には「ツケでいいから」と帰省先だけ書きとめて、布団と、晩飯を用意した。ほとんどの客が、後日、現金を入れた封筒に、感謝の礼状を添えて、送って来てくれた。そのことがまた、評判となって、わざわざ、刻屋を指名して、泊りに来てくれるお客もいたのである。

 さて、その年の春の終わり、いや、南国土佐は、初夏の風が吹いていた、ある日のことである。

 一夜の客を送り出し、昼の時間までは少し間のある時間帯のこと、麻の背嚢(はいのう)を背負った見るからに「復員者」と解る、痩せた中背の男が旅館の玄関先に現れた。軍服を仕立て直したカーキ色の、土埃にまみれた上下服、埃で白くなっている、兵隊帽から見て、よほど遠くから歩いてきたようだった。

「部屋はありますか?」

 その男は奇麗な標準語で話しかけた。応対したのは刻屋の中でもベテランの女中のお多可さんである。もちろん部屋は予約客などほとんどないから、今の時間なら空いている。が、お多可さんはすぐには返答をしなかった。まず、地元――土佐――の人間ではないこと、今の時間帯に宿をとる者は最近余りいないこと、それ以上にお多可さんは「復員兵」が嫌いだったのである。

「乱暴者や、薬物中毒、何かの犯罪に係わってる人が多かったから」と、お多可さんは後に話している。

「素泊まりですか?」とまず尋ねた。

 大抵は素泊まりか、一泊、一、二食の短期の泊り客が多い。ところが、予想に反して、

「いや、二、三日、場合によっては一週間から十日程になるかもしれません。御迷惑でしょうが……」

 言葉遣いや、話す姿勢もきっちりしているし、正面からお多可さんを見つめる瞳もきれいだ。薬物をやっている様子はない。当時は覚せい剤やヒロポンがまだ取締りされておらず、特に帰還兵には中毒患者が多かった。

「何か御事情でも?」

 と、普段は客の事情など詮索しないお多可さんであるが、男の切羽詰まった様子が気になって尋ねてみた。

「人を探しているんです。いや、女房じゃありません。徴兵前に知り合った女性なんですが、実家がこちら――土佐――だと聞いていたもので、色々と知人を訪ねてみたところ、『住まいは解らないが、火曜市に母親らしき人と店を出していたらしい』と聞いたんです。今日は月曜日、明日開かれる火曜市を訪ねようと思っているんです。ただ、明日見つからなければ、次の火曜日も捜したいので……。ここは、火曜市の開かれる北奉公人町に近いからと教えられまして、ご迷惑でしょうが、お願いします」

 と、男は兵隊帽を取って、お辞儀をした。

 今日(こんにち)、露天市(ろてんいち)というと、日曜市――追手筋――と木曜市――県庁前電停南――が有名だが、当時、火曜市は現在の『水通町』ではなく、電車通りの北側、旧町名を『北奉公人町』と言う場所で開かれていた。

 曜日市の起源は元禄の頃とされている。明治の頃には、現在の曜日市に近いものが確立されていたというから、その歴史は古く、土佐の名物となっている。

 さすがに、戦時中は中止を余儀なくされたが、戦後、復興機運の高まりとともに、市も復活。当初は、電車通り南側の焼け跡に、ぼつぼつ、商品を並べていたのであるが、出店者の増加に伴い、また、地元の商店の復活に伴い、電車通り北側に、その場所を移していた。日曜市の規模には劣るが、空襲を免れた地域を多く含むため、近郊の農家や宇佐方面から魚を売りに来る行商の者まで、全長・出店数は他の曜日市を圧倒していた。

「お話は伺いましたよ」

 と、お多可さんの背中から女将である、お寅さんの声がした。

「ほらほら、お多可ちゃん、ご案内して。二階の奥の部屋なら長逗留でも静かだから……。さあ、どうぞ、どちらから?遠い所からお越しですか?」

 さすがに女将さんだけあって、客あしらいは年季が入っている。この道、二十数年である。慣れない標準語を使っている。

「はい、先々月、博多に入港した復員船で、南方から帰って来ました。以前、内地でいた時にもらったその人の便りに、故郷(くに)へ帰ると書いてありました。知り合ったのは東京の大学時代です。大学の近くの定食屋で働いていた女の子で、親戚の家に下宿しながら、学校へ通っていたみたいです。あっ、学校と言っても演劇学校です。女優になりたいと言っていました」

「まあ、女優さんの卵だったんですね。それじゃ、別嬪(べっぴん)さんでしょうね?」

「はい、僕はあんな美人にお目にかかったのは生まれて初めてです」

「まあ、ごちそうさん」

 と、満面の笑みを浮かべて、お寅さんが言った。

「いやいや、僕たちは結婚話程度はしたものの、親の承諾も得てはいないし、ましてや赤紙を貰ってからは、一度はお別れを言った位ですから。生きて帰れるとは思ってなかったので、『好い人を見つけてください』と言って別れました」

「でも生きて帰れたら一緒になりたい、と思っていたんでしょう?」

「ええ、生きて帰るんだと。幸い激戦地に送られる前に戦争が終わっちゃいました。敵兵に銃を撃つこともありませんでした」

「そりゃあ良かった。戦争といえども、人を殺したりしたら後に残りますきにねぇ」

 会話が進み、いつしか、土佐訛が出てしまう。

「女将さんは優しいですね。私の叔父なんか、『何故、一人でも敵兵をやっつけなかった。小銃は何のために持っていたんだ』って、手紙で怒っていましたよ。叔父にはまだ会っていないんですがね」

 男は照れたように笑って、お寅さんに会釈をすると、背嚢を背負い直して、「部屋の準備が出来た」と、二階から降りてきた案内のお多可さんの後に続いた。

       

   3、復員者の打ち明け噺


 翌日の火曜日はあいにくの雨だった。今なら雨が降ってもテントを張り、透明のビニールで囲いをして、店を開いている。しかし当時は物がない時代。テントはおろか、雨除けの筵(むしろ)だって店を覆う程は手に入らない。ほとんどの露天市は雨が降ったら営業中止である。それでも、北奉公人町の商店の軒先を借りて、雨に強い商品を売る店が出ているらしい。

 一縷(いちる)の望みを託して、本降りとなった雨の中を復員兵の青年は旅館の番傘を差して出かけて行った。

「見つかるといいですねェ」

 と、お寅さんの娘である――つまり、S氏の母親――千代は、昨日彼が着ていた、復員服と下着、ふんどしにアイロン――当時は炭火で暖めた、鉄製の鏝(こて)――を掛けながら、算盤をはじいているお寅さんに言った。

「まあ、今日の天気じゃあ、得手(えて)が悪いわねェ。ちょっとばあの雨やったらまだしも、この雨じゃあ人も寄らんぞね。まっこと、縁がないんかねェ」

「本当に、昨日までは汗ばむ位の天気でしたのに。でも、来週も有りますき、気長に家(うち)で泊ってもろうたら、エェですね」

「そうやねぇ、火曜市に出ちゅうなら、家に出入りする福井の野菜を作りゆう、ほら、誰やった……?」

「良子(よしこ)さんでしょう?」

「そうそう、田嶋のよっちゃん。あの人なら顔が広いき、火曜市に出ちゅう年頃の別嬪さん、ゆうたら、すぐにピンと来るろう。今日は家に寄らんかったかねェ?」

「ええ、いつも市へ行く前には採りたての野菜を、『いらんかね』って見せに来るんですが、良子さんも今日はお休みかもしれませんね」

「そうやねぇ、この雨やきねェ」

二人は軒を伝って落ちてくる雨の雫を見上げながら、同じようにため息をついた。

       

 二人の予想通り、何の収穫もないまま復員者の青年は帰って来た。旅館の名前入りの番傘をたたむと、肩に落ちた雨粒を払って、

「すみません。お借りしたご主人の背広を濡らしちゃいました」

 と、お寅さんに謝った。

「エエぞね。そりゃあ、家(うち)のじんま(=老人男性のこと。ここではお寅さんの亭主のこと)が若い頃、大阪で働きよった頃の背広やき、もう着やぁせん。カマンかったらもろうて頂戴」

「いや、昔の物で、仕立てもしっかりしてるし、ひょっとして舶来品ですか?」

「家のじんまさん、ええとこのボンボンやからね。着るもんにも『金に糸目はつけへん』みたいなとこあるきに。きっとイギリス製の布で仕立ててもろうたんやろう」

「いや、高級な絹ですよ。これを持って行って、農家で米と交換したら、一月分の米はもらえますよ」

「ほんなら、困ったら、そうしたらエイきに、遠慮しな」

「いやいや、お気持ちだけで。こう見えても金は充分持っていますから。実は、復員前に内地では金が必要になるだろう、と予想して、台湾で漁師の船で働いていたんです。鮪船に乗って一航海したら、思わぬ大漁で。船主も喜んでくれて、余計に給金をくれましてね。国内に持ち込む時は必死に隠して持ち帰りましたよ」

「まあ、長話も何やき、着替えて、お風呂へ行ってき。風邪引くとイカンきに……」

      

 旅館の浴衣と丹前に着替え、向かいの朝日湯という銭湯で体を温めて帰って来ると、その男は、二階の部屋に洗面道具を置きに行き、タオルをひとつ手に持って、濡れた髪を拭きながら一階の、家族が使う居間に降りて来た。そして、お寅さんの聴きたかった身の上話をはじめたのである。

「台湾で鮪船に乗っていたので、国に帰るのが一年ほど遅くなりました。同じ部隊にいた連中は先に帰っていて、職を見つけた者もおります。高知出身の者も何人かいまして、その者たちを頼ってこの地に来たとも言えるのですが」

「本当の目的は、例の女性探しですね?」

 若女将の千代は淹れたての番茶の入った湯呑を客人の前に差し出しながら、確認するように尋ねた。

「ええ、そういうところです」

 雄弁ではないが、綺麗な標準語、はっきりとした口調で、青年は話を進める。彼の話を纏めると、彼は東京生まれ、東京育ち。但し、父親は岡山県出身とのことである。大学は都内の有名大――W大――で、英文学を専攻したとのことである。

「あら、家のじんまさんの後輩やいか」と、そこで、お寅さんが噺を膨らます。

「女将さんのご主人もW大ですか。奇遇ですね」

 話の腰を折られたことも気にせず、彼は番茶を一口飲んで、「おいしい」と言った後、身の上話を再開した。

 彼女と出会ったのは……、と彼は遠くを見つめる仕草をした後、千代の方に視線を戻した。

 彼と彼女の出会いは、三年前、大学の近くに店を構える定食屋に彼女が働き出して間もない頃であった。彼女の夢は女優になることで、そのために劇団の養成所に通っていた。

 親からの仕送りもあっただろうが、生活費は自分で稼ぎたい、そんな思いもあってか、小さなその店で、笑顔を見せていた。

 店は学生たちで繁盛していたが、戦局は悪化をたどり、いろんな物が、配給制となっていく。学徒出陣も始まった。彼も彼女も、自分の夢と現実との狭間で揺れ始めていた。

 先に声をかけたのは彼女の方だった。彼が食事中に広げていた雑誌が、演芸関係の雑誌だったのである。

「お芝居がお好きですか?」注文した親子丼とみそ汁を運んできた彼女が尋ねた。

「芝居が好き、と言うより、台本が気になりましてね。劇作家を目指しているもので……」

 そんな会話がきっかけで、女優志願の少女と劇作家志願の青年はお互いを意識し始めたのである。

「彼女は当時眼鏡をかけて、エプロン姿でしたから、ぱっと見は普通の女の子でした」

 と、青年の話しが続く。

 ところが、初めてのデートの時、眼鏡をはずし、地味ではあるが、上品なワンピース姿で目の前に現れた彼女は、まるで、別人。映画のスクリーンから飛び出してきた、羽衣を身にまとった天女のように思えた。この時に、彼の心は決まってしまった。

 幾度かのデートのうち、二人は身の上話、将来の夢を語り合った。彼はもう、彼女のいない世界は想像できなかった。

 翌年の春、彼はある映画関係の仕事を見つけた。しかし、仕事場へ行くことなく、彼のもとへ召集令状――赤紙――が届けられた。

 新聞や、大本営の発表は日本の優勢を伝えていたが、米軍の空襲は日増しに数を重ね、戦況の悪化は誰もが肌で感じていた。そんな中での令状である。生きて帰れるとは思えなかった。彼は彼女に別れを告げた。

「好い人を見つけて幸せな家庭を築いてください」

 と、言葉をかけて、振り向くことなく汽車に乗り込んだのである。

 最初の任地は九州だった。そこへ、彼女から手紙が届いた。

「元気ですか。私は東京を離れ、故郷(くに)へ帰ります。どうぞご無事で、ご帰還ください」

 短い文面だった。東京はその前月、最初の大空襲を受けていた。無事だったことが解った、それだけが、慰めであった。彼はその後すぐ、大陸南部へと向かったのである。

「ただ、運が良かったのか、英文学を専攻していましたから、英語の読み書きはできます。敵の捕虜の尋問や暗号文のような文書の解読やらをやらされて、戦闘には参加しませんでした。一番危険だったのは、敵陣近くまで潜入して、情報を集める役目を命じられた時ですが、すぐに戦闘が始まって、わが軍は撤退することになり、結局そのまま八月十五日を迎えることになったのです」

 戦争は終わったが、彼には明日が見えなかった。捕虜にはなりたくない。部隊はバラバラになっていた。生きるために彼は服装を変え、言葉を変え、土地の人間に混じり込みながら、日本への帰還を目指した。中国本土から台湾に渡り、

「そこで、鮪漁船に乗り込んだ所は前に話しましたね。部隊がバラバラになった後、逃亡しなかったら、かえって早く日本に帰れていたかもしれません。ただ、捕虜になったら殺されるか、強制労働させられる、と思い込んでいましたから、その時は必死でした。幸い、うまく逃げられ、親切な船主さんに助けられて、思わぬ大金を手にして、九州へたどり着いたわけです。

 九州に上陸してからすぐに岡山の叔父に手紙を書きました。すぐ、『帰って来い』と電報が来ましたが、やはり彼女のことが気になって、『世話になった知人への挨拶をしてから帰る』と返信して、こちらへ回ってきたというわけです」

「それで、その人のご実家と言うのは?」とS氏の母親は尋ねた。

「それが、恥ずかしながら高知県の海沿いの町としか聞いてないのです。こんなことになるのなら、あの時きちんと聞いておくべきでした。ええ、最後の手紙も東京の住所でしたし、帰郷先については書いていませんでした。彼女の東京の知人のことも詳しくは聞いてないし、ただ、同じ大学にいた連中が彼女の働いていた定食屋の女将さんのことを憶えていて、店はもう焼けて、なかったのですが、連絡を取ってくれて、そのわずかな情報を集めながらやっと『火曜市』へたどり着いたんです」

「今日はどうでした?何か新しい情報がありましたか?」

「いや、いつも出店する人が今日の雨で、軒並み休業したみたいで、何人かの出店者と、地元の商売人さんに尋ねたのですが、心当たりはない、とのことです。『兄ちゃんの言うような別嬪さんやったら、そら評判になっちゅうろう』と言われましたがね」

 その通りである、と聴いていた女二人は顔を見合わせた。若い女性と言うだけでも目立つだろう。尚且つ、女優になる程の美人とあれば、男の眼だけでなく、女の眼にも止まる筈である。

「ひょっとして、火曜市というのが違ごうちゃあせんかね。曜日市は火曜市以外に今は日曜市と木曜市があるぞね。木曜市は今、刑務所の向うの通りから、升形商店街で、やりゆうき、そっちと間違ごうちゅうこともあるろう」

(お母さん、そんな土佐弁は通じませんよ)と、突っ込みたいのを我慢して、

「そうそう、明後日の木曜日に行ってみたらどうです?男さんの足なら、歩いてもすぐですよ」

 と、千代は巧く話を纏めた。

「そうですね、間違っているとは思えませんが、何もしないよりはいいですね」

 と、彼はまた遠くを見つめる仕草をして、

「部屋に戻ります」

 と、言って腰を上げた。

      

「けど、おかしいですねェ?」

 青年が階段を登りきったことを確かめるように、二階に眼をやりながら、千代はお寅さんに話しかける。

「何がぞね?おなごさんが見つからんことがかね」

「違いますよ、今のお客さんの話。話の中に、そのお相手の女の人の名前が一度も出てきませんでしたよ」

「えっ、そうゆうたら、そうじゃった。女の人の名前をアテらぁ聴いちゃあせざった」

「名前を聞いたら、姓の変わった人なら、どこの辺の出身か判るでしょう。『公文さん』とか、『依光さん』とか、高知にしかない名前の人なら尚更ですけど、そうでなくても、名前が解れば、捜す手段は沢山ありますよ。新聞の『たずね人欄』なんて、毎日出てますでしょう。何なら、知り合いの警察の人に頼んだら、すっと解りそうですけどね」

「ほんに、ほんに。内地に帰って日が浅いき、そんなことも知らんがやろう。教えちゃろう」

「いえ、お母さん、帰ってきたのは先々月って言ってましたよ。それに、知り合いの人にも何人か逢っていると言うし。その人達が『たずね人欄』を知らない、ことって考えられませんよ。おかしいですよ、絶対……」

「じゃあ、あの人が嘘をついちゅう、と言うがかえ?あの人は悪い人じゃあないよ。この道二十年のアテの眼に狂いはないよ」

 と、お寅さんが、やや、ムキになった口調で、娘の言葉に反論した。

「ええ、私もお客さんが犯罪者だとか、悪だくみをしているとか、そんなことは思いませんよ。お話もとても誠実そうに聞こえましたもの。でも、その女性については、私たちに話せない秘密がありそうですよ。名前さへ教えられないような大きな秘密が……」

「あんた、江戸川乱歩の読み過ぎ……」

 と、お寅さんが、呆れたように言ったその時、

「女将さん。夕ご飯は何合、お米を炊きますか?」

 台所の土間の方から、賄い担当のハルさんが声をかけて来た。

「おや、もうそんな時間かえ。また帳簿付けが溜まったぞね」

「お母さん、続きは私がしときます。早(はよ)うせんと、お客さんが催促に上から降りてきますよ」

「はいはい、ほんなら、後は頼んで、アテは料理をするかえ」

       

 翌日の水曜日は晴れ間ものぞいたが、木曜日はまた雨模様だった。前日も北奉公人界隈で情報収集をしていたらしいが、何の収穫もなかったようだ。それ故、木曜市での情報収集に望みを賭けていたのだが、天気は無情だった。

 それでも彼は番傘を差して、木曜市の開かれている、升形商店街から児童公園沿いへと出かけて行った。

「ついとらん人やねェ。雨男とちゃうか?この天気じゃ、今日も市は開店休業、いや、開店もしてんじゃお……」

 お寅さんは黒い雲に覆われた空を見上げて、誰に言うでなく呟いた。

 昼過ぎに、疲れた足を引きずるように帰って来た彼にかける言葉がない。

「ご飯にしますか?それとも、お風呂へ行って来るかえ?」

「風呂に行ってきます。途中で焼き芋を食べたりしたから、飯は後にします」

 ありありと、何の収穫もなかったことが解る元気のない声でそう答えると、一旦、二階の部屋に戻り、手ぬぐいを肩にかけ、玄関を出て行った。

「本当に、妙な天気ですねェ。いつもこの時期は、初夏のような晴れた日が続くのに、梅雨にはまだ随分早いですよね」

「ああ、びっくりした。千代さん、急に出てきなや、心臓止まるとこやったで」

 青年の後ろ姿をぼんやり見つめていたら、急に背後から娘の声。その言葉に驚きの声をあげ、お寅さんは会話を続ける。

「ほんに、こんな天気、珍しいもんなあ。あれと違(ちゃ)うか?この前の選挙で、アテがせっかく吉田さんに入れたのに、自由党が負けて、今度の総理大臣は社会党の片山ちゅう人がなるっつろう?天の神様が怒っちゅうがぞね」

 そんなことはないだろう、と思ったが、千代はお寅さんの言葉を否定はしなかった。

(神様は本当に意地悪や!)と、心の中で呟き、彼が向かって行った方の空を見上げた。

     

   4、第一の復員者の退場


 まったく神様は意地悪であった。翌日からは抜けるような青空が広がって、南国土佐は初夏を迎えたかのようだった。しかし、次の火曜日も日付が変わる頃になると、俄かに黒雲が西の朝倉方面から広がり、明け方には雷も鳴る程の大雨となった。

「今日も駄目ですね」

 恨めしい顔で空を見上げる彼に、

「余計な、お世話かもしれませんが……」

 と、背中から、千代は声をかけた。

「新聞の『たずね人欄』へ出してみたらどうです」

 前々から、言おう、言おう、と思っていた言葉を思い切って言ってみた。「何か大きな秘密がある」という例の推理を確かめてみたかったのである。

「ええ、その件は前にも友達から勧められてはいたんです。ただ、ちょっと複雑な事情があって、私が、いや、誰かがゆりこさん、あっ、いけない」

 と、慌てて右手を口元に当てる。が、手遅れである。

「ゆりこさんっておっしゃるのですね、その方」

 と、千代はゆっくりと確認する。

「す、すみません、このことはご内聞に。若女将さんだけには話します。その人の名前は『野村百合子』さん。ゆりこは花の百合に子供の子と書きます。大正十五年生まれで、今年数え年で二十二歳です」

 と、観念したように、静かな声で彼は打ち明けた。

「まあ、私と同い年」

 と、千代が思わず口を挟んだ。

「そうですか、奇遇だなぁ。でも、これ以上のことは、どうしても話せません。彼女の名前も年齢も、若女将さんの胸にしまってください。誰かが、彼女の行方を捜していると、ある人物が知ったら、きっと良くないことが起こります」

「良くないことって?」

「人が死ぬかもしれません」

「えっ、それって、殺人事件が起きるってこと?」

 と、千代は目を丸くする。

「そういう可能性もあるってことです」

 と、彼はゆっくりと、念を押すように答えた。

(何々、これじゃあ、本当に「江戸川乱歩」の世界じゃないの……)

 あまりのことに、言葉が出ない千代である。

「この雨じゃ、市は開かれてないでしょうけど、取敢えず、出かけます」

 ぺこり、と頭を下げて、番傘を手に、この宿に来た時と同じ「復員服」を身に着けて、ほんの少し雨音が小さくなった朝の戸外へ彼は出て行った。

      

 彼宛の電報が届いたのはその日の午後晩(おそ)くだった。何の収穫もなく帰って来た彼は、その文面を見るなり、

「上りの汽車は最終、何時ですか?」

 と、お寅さんに尋ねた。

「何処まで行きなさるん?山田までなら、たいてぇ晩うまであるろうけんど……」

「高松まで。そこから宇高連絡船で岡山へ行きたいんです」

「それじゃあ、今からだと最終には間に合いませんね」

「国鉄もざっとしちゅうき、本数も少ないきに……」

 と、お寅さんは国鉄に苦言を呈する。

「では、明日の一番で向かいます。宿代の精算をお願いします」

「何(なん)ぞ、急な御用でも?身内の方がご危篤とか?」

「いえ、大したことじゃありません。岡山の叔父が、東京へ帰るって言うんです。岡山は祖父の生まれ故郷で、叔父は家族で疎開しているんですが、東京に自家があって。もうそろそろ帰る話は前々からあったんです。緊急ってわけではないけれど、叔父が引っ越す前に、岡山のかたにお会いしなければなりませんから……」

「まあ、そうですか。そりゃあ、おめでたい方の話ですね。ご自宅へ、ご帰還できるんですもの。東京のお家はご無事だったんですか?空襲がひどかったらしいけど……」

「多分、焼け野原でしょう。まだ、叔父の自宅のことは聞いてないんです。人捜しで手いっぱいでしたから……。

 では、そういうことで、急な出立で申し訳ありません。今から風呂へ行って、帰り仕度をします」

      

 翌朝、彼は「復員服」に物の詰まった背嚢――その中には彼が遠慮した、例の背広も無理やり詰め込まれていた――を背負って、玄関先で振返り、深々とお辞儀をした。

「大変お世話になりました。御恩は一生忘れません」

 と、玄関口に見送りに出てきた、お寅さんと千代に言った。

「厭(いや)やな、お世話やなんて、アテは商売ですきに。ちゃんと宿代を払ろうてくれる上客さんやきに……」

 と、お寅さんが笑顔で言う。

「これ、汽車で食べてください。おにぎりと卵焼きです。」

 と、千代は小さな風呂敷を差し出す。

「これはこれは、最後までお気づかいいただいて……」

 と、復員服姿の青年はもう一度、頭(こおべ)を下げる。

 紺色の風呂敷を通して、まだ中身の温もりが手に伝わってくる。

「女将さんも若女将さんもお元気で」

 と、笑顔を浮かべ、最後の会釈をした。

「はいはい、そちらさんも達者でね。落ち着いたら便りをくださいよ。高知市井口町、『刻屋旅館』で届きますから……」

「本当にお気をつけて、許嫁の方も早く見つかりますように、『本位田さん』……」

       

   5、第二の復員者の失踪


「結局、娘さんは見つからないままでしたね」

一週間後の火曜日の早朝、空は本位田と名乗った復員者を嘲笑うかのように晴れ渡っている。

 朝の早いお客の出発が終わった、僅かに息を付ける時間帯である。

「皮肉ですね。今日はこんなに晴れ渡っているのに。今日なら何か手懸りが掴めるかも知れないのに……」

「千代さん、あんた、エライあの人のことを気にしちゅうね。気があったんかね?」

「いやですよ、お母さん、私には幸雄さんが居りますよ」

 と、千代は照れたように言った。

「けんど、幸雄さんより、ずっと男前やったぞね」

 お寅さんは先週まで滞在していた、好青年の顔を思い浮かべながらそう言った。

「片岡千恵蔵、まではイカンけんど……」

 と、映画スターの名を挙げる。

「男は顔じゃない、って。そう、幸雄さんは口元が可愛いって、言ってたのは、お母さんじゃないですか」

 千代は今年の初めに結婚したばかりである。夫の幸雄は婿養子。中学校で美術の教員をしている。千代は師範学校を卒業後、一時、教職に就いたのであるが、結婚を機に退職し、家業の旅館の若女将の修行中であった。

「そうそう、幸雄さんはエェ人ぞね」

 と、お寅さんも婿を気に入っていることを強調する。

「けんど、やっぱりおかしい。あんた、あの人からアテの知らんことを聴いちゅうがやないかね?別れ際の目配せをちゃんと見逃してないぞね」

 と、意味深な顔で、娘の方に鋭い視線を向けた。

「おお、怖(こわ)。お母さんは何でもお見通しですねェ」

 と、おどけた口調で言い返す。

「そりゃ、この商売、二十数年やもん。人の顔色だけで、何でも分かるでェ。さあさあ、白状し、何か聴いちゅうがやろう?」

「絶対秘密って言われていますから、お母さんでも話せません」

「おやまあ、親娘(おやこ)の縁を切ろうかねェ」

「そんな、冗談、言うもんじゃありませんよ。近所の人が本気にしますよ。刻屋の親娘はなさぬ仲じゃきに、ってね」

 千代はお寅さんの養女である。血は繋がっていない。幼い頃、子供のいない、刻屋の夫婦の元に縁あって、籍を入れたのである。

「大丈夫、アテとあんたの仲は本当の親娘以上だって、顔役さんも、先生も言うてくれゆうきに。誰っちゃあ本気にしやぁせん。そやきに、教えとおせ」

「大したことじゃないんですよ」

 千代はあの日、本位田から教えられた彼女の名前、年齢、そして、誰かが殺されるかもしれない、という話まで打ち明けてしまった。

「そやから、このことは絶対、内緒ですよ。お母さん、顔役さんにも、先生にも、うちの旦那にも、絶対話しちゃあ駄目ですよ。殺されるかもしれないんですから」

 と、少しオーバーな口調で、念を押す。

「けんど、不思議な話やねぇ。江戸川乱歩の小説やないの」

 江戸川乱歩はお寅さんの亭主の愛読書。同じW大卒ということから、贔屓にし始めたらしい。それを、千代も幸雄も愛読しているのである。お寅さんは子供向けの、怪人二十面相ものを読んでいる。

「ええ、私もそう感じましたよ。作り話じゃないか、って……」

 と、千代が言う。

 そこへ、勝手口の戸を勢いよく開けて、手ぬぐいを姉さん被りにした中年の女が

「お野菜はいらんかね?」

 と、声を掛けて来た。

「おや、田嶋のよっちゃんやない、エェとこ、来た来た。あんたに聴きたいことがあって二週間も待ちよったぞね。ちょっと、ここへ入って来て」

 野菜を売りに来たよっちゃんはいきなり何のことか戸惑いながらも、上りかまちへ腰をおろした。

「これから、火曜市へ行くんで、あんまり時間は取れんがですが……」

「エェきに、野菜は家で買うきに、大事な話、人の命が係ってるんやから……」

「えっ、人の命つうかね?」

事情を知らないよっちゃんは驚いて、眼をくるりと回し、一瞬身を引いた。

「あんたの命やないきに。ちょっと人捜しの話ぞね。あんた、火曜市じゃぁ古手じゃろう。知らんことは何ちゃあないろう?」

 よっちゃんは、戦前から曜日市に出店している古株である。

「な、何の話です?」

 お寅さんの勢いに、よっちゃんは逃げ腰である。マズイとこへ来た、と思い始めていたのである。

 刻屋旅館はよっちゃんにとって、大のお得意さんである。自分処の畑で作った大根、白菜、キュウリに茄子、大概買ってもらえるのだ。二週間も市が立たず、久しぶりの商売である。市へ出る前にわざわざ遠回りして、刻屋へ顔を出したら、商売より先にエライ勢いで、問い詰められたのだ。

「はあ、大抵のことは知っちょりますけんど、何事ですかいのう?」

 と、小声で問いかける。

「じゃから、人捜しゆうとろうが。若い娘さん、歳は家(うち)の千代と同じ、二十二。天女のような別嬪さん。そんな娘(こ)が、火曜市に店、出しちゃあせんかえ?」

 お寅さんの声は外に聞こえるくらい大きい。

「天女のような別嬪さんなら、私ですけんど、歳はだいぶ違いますねェ」

 よっちゃんは、大分、事情が解って来たのか、声にも張りが出てきて、冗談も言えるようになってきた。

「何、テンゴウ、ゆうてんの。あんた、『天女』やのうて、腐った『天ぷら』やないの」

「エライこと言われるなあ。昔は男衆(し)が振り向く、振り向く」

「そりゃ、あんまり人間離れしてるから、ムジナか、シバテンが歩いちゅうと思ったがやろう?」

 傍で二人のしゃべくり漫才のような『ボケとツッコミ』の会話を聴いていた千代は思わず「ぷっ」と吹き出しながら、

「お母さん、話が脱線して前へ進みませんよ。よっちゃんもエェ加減に、真面目な話なんだから……」

 と、言った。

 二人とも、千代のまともな会話に、はっと気づいて、視線を彼女に向けた。

「先々週、うちに南方から復員してきた兵隊さんが泊ってたのよ。その人が許嫁さんを捜しているって言うのよ。東京で女優を目指していたというから、十人並み以上の器量良しだと思う。母親らしい人と二人で、何かの商いを火曜市でしていた、と教えてくれた人がいるって、それだけを頼りに捜してみたんだけど。先週も、先々週も大雨で市も開かれなかったでしょう?結局、解らないまま、岡山の叔父さんから電報が来て、引き払っちゃったのよ。許嫁以上の、何か事情があるみたいで、私も、お母さんも心配してるのよ。よっちゃん、何か心当たりない?」

 と、千代が本位田と名乗った復員者の話をよっちゃんに説明する。

「親娘での商売なら、何人かおるけんど、美人で、二十二歳ぐらい、ってのは思い当たらんぞね」

 と、よっちゃんは首をかしげる。

「戦争で苦労してるから、見た目はもう少し歳が行っているように見えるかも」

「思い当たらんなぁ。名前は何ちゅうのかね?」

 と、よっちゃんはもう一度首をかしげながら、千代に問い質した。

「な、名前は、ユキ、とかユリとか、ちゃんと聴いてないもんで、ご免」

 そこは本当のことが言えないのがもどかしい。巧く誤魔化しながら、言葉を繋いでいく。

「兎に角、若い人、火曜市で商売をしたことがある、二十歳から三十歳に見える、そこそこの美人。これに該当する人を探して、教えてちょうだい。お礼に毎週、野菜を買うから」

 交換条件を出す言葉が、少し大きくなった。

「火曜市の別嬪さん探しだって?」

 急に開けっ放しの勝手口から、しわがれた声がした。と思うと、粋な和服姿の初老の男性がそこから土間に入ってきた。

「おや、顔役さんじゃ、ありませんか」

 お寅さん、慣れない標準語になっている。

 顔役さんというのは、近所の名士である。小さいながらも、建築関係の会社の社長である。先々代、つまり、祖父の代には、この界隈の大立者、いや、任侠道の大親分だった家柄である。歳は、お寅さんより、一つか二つ上かも知れない。お寅さんの亭主と張り合う程の「いごっそう」と、家族には言われているが、千代には子供の頃から、優しく接してもらっている、温和な表情の小父さんである。

「立ち聞きしてたんですか?お人の悪い……」

 ハチキンのお寅さんが唯一、頭の上がらない人物でもある。それ故に、言葉遣いが、普段とは違ってしまうのである。

「いや、ちょっとお寅さんに相談があってね、寄ってみたがやけんど、話が弾んでいたようやき、声を掛け辛かったがよ。わしの用は後でエエんやが、その人捜しがちっくと気になってね」

「何です?顔役さんが気になることって……」と、お寅さんが不思議そうに尋ねた。

「いや、似たような話を、昨日、ワシんくの近くの『猪口(いぐち)屋』で聴いたもんでね」

 猪口屋というのは、町内にある、もう一軒の旅館である。同業者ということもあり、また、そこの女将さんが千代の同級生であることから、付き合いは深い。

「猪口屋さんでどんな話を?」

 と、今度は千代が尋ねる。

「うん、さっき、あんたらあが話しよった、火曜市の娘さんを捜しゆう、『復員兵』姿の男が、昨日から、猪口屋に泊っちょるがよ。そんで、わしにそんな娘さんに心当たりがないか、若女将が聴きに来たんでね。詳しい話を聞いてみたんやが、それが今の話とそっくりなんよ。けんど、こっちの人は二週間も前のことやろう?」

「本位田さん、またいらっしゃったのかしら?」

 と、千代がお寅さんに話しかける。

「そんなら、猪口屋じゃのうて、ウチに寄るろう?それに、他でそんな話する人とも思えんけんど……」

「そうですね、お母さんの言う通りや。そいたら、別人ってこと?」

「本位田ちゅうのかいな、その男?」

 と、顔役さんが二人の会話に入ってくる。よっちゃんは、何の話か解らず、ただ、ポカンと座っていた。

「はい、宿帳に『本位田強志』と、ご記入いただきました」

 と、千代が顔役さんの質問に答える。

「そりゃ、けったいやな。猪口屋の客も、『本位田強志』と宿帳に記してあるぞ」

「えっ、じゃあ、ご本人なんだ。何で、うちに来んで、猪口屋さんなんかに……」

「けんど、話しぶりからして、土佐には初めて来たみたいじゃったぞ」

「でも、同姓同名ってことはありませんよね。本位田って珍しい名前だし、しかも、同じ人捜し。偶然な訳ありませんもん」と、千代が推測を語る。

「そうやなぁ、本位田ちゅうたら、ほら、吉川英治の『宮本武蔵』でお通さんの許嫁が本位田又八。あれも岡山県の生まれじゃったと思うぞ、岡山には多い姓かもしれん」

 と、顔役さんが、千代の推測に対する持説を語る。

「気になるなぁ。お母さん、私、ちょっと猪口屋へ様子を見に行ってきます」

 千代は腰から前掛けのエプロンを外すと、お寅さんに投げるように手渡して、勝手口を出て行った。

「アテもそろそろ、市へ行かんと」

 よっちゃんが小声でつぶやく。

「こら、家で商売して行かんかね。大根とキュウリ、茄子を置いて行って。帰りに余ったら、それも買うちゃるき、お代はその時ぞね」

 お寅さんはちゃんと、よっちゃんに気を配っていてくれた。

「顔役さん、アテに用があったんじゃぁないですろうか?」

 と、お寅さんは顔役さんに視線を移す。

「いや、エェんや。取込み中やろう。大した用やない。また今度ゆっくり出てくるわ」

 顔役さんは薄くなった白髪頭をポリポリと掻きながら、勝手口から出て行った。


 表へ飛び出し、猪口屋の方へ向かった千代は途中で、顔なじみの先生と出くわした。

「おや、千代さん、えらい、セイて、何処行きゆう?」

「あっ先生、今日は学校、お休みどすか?」

「学校も閉店。色々あってね。GHQさんがうるさい事いうし。別のところへ行くことにしたよ」

 先生は、中学校の国語の教師である。それまで、私立の学校に勤務していたのだが、気にいらないことがあったのか、GHQの所為にして、職場を離れ、今、公立学校の方へ職を移そうとしているところであった。

「じゃあ、お暇ですね。ちょっと、付き合うてください。そこの猪口屋まで……」

「おいおい、朝の早い内から、連れ込みかよ。あんた新婚さんやろうがね?」

 猪口屋は刻屋と違って、先代までは、『連れ込み宿』的な商売をしていた。今は一般客のみの刻屋と同じ商売をしている。

「何、テンゴウゆうてはるんどす、先生らしうもない。猪口屋のお客さんに会いに行くんどすけど、ひとりより、男衆さんがおった方がよろしいかも知れんのどす。お願いします」

「おいおい、何か物騒な、『これ者』とちゃうやろなあ?」

 先生、指で頬に刀傷をつける真似をする。

「そこまでは悪い人とは、ちゃいますやろう。昨日、顔役さんが逢ってはるみたいやし。顔役さん、そんな話してまへんでしたもん」

「そうか、顔役さんが何も言わんかったんなら、ヤーさんではないな。ほな、付いていってあげるワ」

「おおきに……」

 何で、先生と話すると京都言葉になるんやろう?首を傾げながら、足早に猪口屋の玄関口までたどり着いた。

 猪口屋の玄関の間口は刻屋より狭い。一間半程である。猪口屋と縦に大きな文字が書かれた硝子戸を横に引いて、

「おはようさん、えっちゃんおる?」

 と、大きく奥へ声を掛けた。その声に反応して、履物入れの上の金魚の水槽の中で、餌を求めるかのように、赤く大きな土佐金が水面を揺らした。

「はぁい、どなたさん?何や、千代ちゃんやないの。朝から元気な声で、誰かと思うたワ。あら、先生も、どうしたの?」

 現れたのは、和服姿に白いエプロン、但し、動き易いように下半身にはモンペをはいたこの店の女将さんである、悦子であった。猪口屋の前の女将は、この戦争で体を壊し、終戦前に亡くなった。一人息子、悦子の旦那は未だ復員していない。シベリヤに抑留されて、いつ帰れるかも定かでない、とのことである。

「ちょっと、ここのお客さんのことで、えっちゃんに聴きたいことがあるのよ。『本位田さん』って人、泊ってるやろ?今おる?」

「本位田さんなら出かけてるよ。火曜市で人捜しするって、朝早うから……」

「そうか、やっぱりね」

「何、何なの?千代ちゃんが、うちのお客さんに何の用があるの?」

 と、悦子は不思議そうに千代の顔を眺める。

「さっき、顔役さんに聴いてね。本位田強志さん言う人が、ここに泊っていて、火曜市で女の人を探してるって。実は、先週まで、うちの方にも同じ『本位田強志』って若い人が泊っていて、同じように火曜市で女の人を探していたのよ。生憎、雨で二週間、無駄にしたんだけど……」

「それじゃあ、同じ人が今度は家へ泊ったの?」

 千代の話に、不思議そうな顔をして首をかしげる、悦子であった。

「ううん、どう考えても別人だと思う。でも、別人なら余計変でしょう?それで確かめに来たの、本人かどうか。ここの人、どんな人?男前?背は高い?」

「そうね、男前と言うより、渋い、というか、ニヒルと言うか、背はそんなに高くないよ。先生より低い感じ……」

 千代の矢継ぎ早の質問にも、そこは幼馴染の所為か、テキパキと答えが出てくる。

「先生より低い?まあ、先生は普通の男よりは高そうね、横にも太いけど……」

「横に太いは、余計だ」

 と、先生が口を挟む。

「じゃあ、やっぱり別人だわ。うちの方はスラッとしてて、長谷川一夫の若い頃みたいな、二枚目だもの」

 と、千代も映画スターの名前を出した。

「長谷川一夫っちゃあ、そりゃ大きゅう出たねぇ。日本一の美男子ってことやいか」

 と、先生が驚きの声を上げる。

「先生、ひがまん、ひがまん。男は顔じゃないって前に先生から聴いたぞね」

 悦子が笑いながら、誰かと同じことを言う。

「そんなら、絶対別人や。こっちの方は二枚目やのうて、敵役やもん。吉良上野介の方や。月形龍之介や」

 悦子も映画スターの名前を持ち出す。

「えっ、そんな老け顔?」

「違(ちゃ)うがな、仮令(たとえ)の話。顔は俳優でゆうたら、近衛十四郎を崩した感じ。で、もっと若い」

「つまり、色黒で、目が大きくて、男くさい、って感じね?」

「そうそう、その通り。エエ勘してる」

「それで、その人の服装は?今朝出かけた時のよ」

「ああ、今日のね。今朝は、そう、復員服、着て行ったワ。あの方が最近目立つもんね」

「ありがとう、私、火曜市へ行って来る。先生も行こう。復員服の近衛十四郎を崩した若い男、捜しに行くよ」

体を翻し、玄関を飛び出すと、ちょうど刻屋で野菜を少し降ろした、よっちゃんがリヤカーを引きながら前を通り過ぎて行く。

「よっちゃん、一緒に行こう。後ろ押してあげるき」

 そんな訳で、元気な一人と、訳も分からず付き合わされている二人が、野菜を積んだリヤカーを引いたり、押したりしながら、狭い路地を抜けて、闇市(=城西市場)から北奉公人町へ向かって行った。

     

「それで、どないなったの?」

 疲れ顔で、昼頃帰って来た娘に、お寅さんは尋ねた。

「それがおかしいんですよ。火曜市の出店(でみせ)の人に訊いたら、誰もが、『さっきまでこの辺で色々聴きよった』って言うんだけど、それから先がないんです」

「先がないって、どういうこと?」

「途中で、消えちゃったんですよ、その人。三丁目との交差点付近までは見ている人がいるのよ。そこから、第四小学校の手前の方まで尋ねたんだけど、誰も知らないというか、そんな復員服の男は通らないって。その辺は人通りもそれほど混雑してはいないし、復員服は目立つし、絶対見逃してない、って皆、言い張るんです」

「三丁目との交差点、ゆうたら、大きな公園が角にあるところよね?そっちへ行ったんと違(ちゃ)うの?」

「そうかもしれんけど、そっちには店はほとんど開いていないし、市も半ばでしょう。まだまだ探す余地のある辺りなのに。それに、そこから何処へ行ったの?引返した気配もないんですよ」

「裏道から、西町(にしまち)へ出て、川沿いにモンてきたかもしれんやいか、井口の水門へ出る道があるろう?」

「私もそっちの道へ行ったかも知れんと思って、近所の人や、そこから、市へ出てくる人に聴きましたよ。誰も見かけんって。それで、猪口屋へ帰ってないかと寄ってみたんですけど、今の今まで、姿を見てないそうです」

 火曜市の半ば、北側に公園がある。その周りにも、露天商が店を出しているのだが、その辺りからの消息が不明なのであった。そこは、季節の野菜や食料品が軒を並べていて、人が集まる場所でもあった。

 公園に沿って北に行くと、江ノ口川があり、橋を渡ると、西町の屋敷街である。その通りを左に折れて、歩いて行くと、江ノ口川の支流、旭川と井口川の合流点に辿りつき、元の火曜市の通りに繋がっているのである。

「そんなら、大の大人が白昼、突然消えたっちゅうかね?ますます、『江戸川乱歩』になってきたぞね」

 と、お寅さんが呆れたように言った。

「ホントにおかしなことだらけですね。先生も首をひねってましたよ。

それと、よっちゃんにはもう一度、娘さんの方の心当たりがないか、考えてもらってます。帰りに寄るそうですから、何か思い当たるかもしれませんね。その頃には猪口屋のお客さんも帰ってくるでしょう」

「そうや、よっちゃんにお代を払わなイカンかった。忘れるとこやった。向こうも忘れてくれちょったらエイけんど……」

「駄目ですよ。それでなくても、よっちゃんはうちには安うに卸してくれてるんですから」

「わかっちゅう、わかっちゅう。アテも商売人ぞね。義理を欠くような真似は、しやぁせんきに」

「はいはい、まるで顔役さんですね。女顔役の、お寅さんですね……」


 よっちゃんは陽が西に傾く頃やって来た。商売物の野菜は完売して、刻屋で引取るものはなかった。

「今日は天気も良かったし、二週間も間(ま)が空いたしで、たいそうな賑わいでしたぞね。どの店も完売続き。ここへ引取ってもらうもんもありません。

けんど、話は拾うてきましたぞね。例の娘さんの話……」

「それよ、そっちが聴きたいがよ。何ぞ思い出したかね?」

 と、お寅さんは身体を乗り出すようにして尋ねた。

「今日はずっと忙しゅうて、周りの人らぁもそんな話をする暇もないくらいやったけんど、最近見かけん若いおなごが、何かを売りやぁせんかったか、聴いたがよ。ちゃんと組合に登録しちゃあせんもんで、その日限りの商いをする人もおるきにね。本当はイカンがやけんど、みんなあ、苦労しゆうき、大目に見ゆうがよ」

 戦後、物がない時代、市への登録制度も未だ形骸化しており、大家(たいか)の蔵から出てきたような、骨董品を路端で売るような者や、金物修理の出張で店を出す者もいた。露天市は、闇市と違い、公的に認められている市場であるが、当時はまだ、闇市の部分もあったのであろう。

「ほんで、居ったがかね?」

「その子かどうかは解らんぜ。歳は二十は越えちゅうろう、三十にはいってない、女の人が一回だけ魚を売りに来たことがあると。取れたての魚ゆうて、サバやアジ、イワシにチヌ、コウロウ、マダイも居ったそうな」

「それで、その人は何処の人ぜよ?」

「それが解らん。見たことない娘やそうやき」

「その人は一人だったの?連れの人はいなかったの?」

 お寅さんとよっちゃんの会話に割込んできたのは、勝手口から帰って来た千代である。

「なんやね、急にモンてきた、と思うたら、話の腰を折る」

「ごめんなさい。でも、本位田さんの話だと、探している娘さんは『母親みたいな人と一緒だった』って言ってましたよ」

「そうやった、そうやった。どうぞね、よっちゃん、その娘に連れは居ったかね?」

「まあ、聴いとおせ。又聞きやき、正確なとこは解らんがぜ」

 よっちゃんは聴き込んできた話を、詰り、詰りながら、語り始めた。

 去年の地震の前のこと、木箱に魚を入れて、リヤカーに積んできた二人連れがあった。この辺りでは見かけない者であったが、他の商売を邪魔するわけでもなく、公園脇の空いた場所にリヤカーを止め、道行く人に声を掛けたりしていた。声を掛けるのは中年の女、もうひとりは若い娘のようであるが、目が悪いのか、黒い色眼鏡をかけている。頭には姉さんかぶりのてぬぐい、服装は地味な着物とモンペ姿である。だから、お客は中年の女の方に気を取られてしまう。若い娘は声も出さず、連れの指示に従って、魚を新聞紙に包んだりしている。

 二、三時間もしないうちに手元の魚は売れ尽し、中年の女性は、隣で店を開いていた金物売りに声をかけて、リヤカーを動かし始めた。

「お疲れさん、商売繁盛やったね。そっちは娘さんかね?」

 と、金物売りの老人が尋ねた。

「いえ、この娘は親戚の子でね。ちょっと眼を悪くして働けんもんで、少しでも手伝いたい、って本人が言うもんで、手伝ってもらってるんです」

「そうかね、全然見えんがかね、一人で歩けるようやけど?」

「いえいえ、少しは見えるんですよ。でもお日さまの光に弱くてね、色眼鏡をかけているんです。ほら、挨拶しなさい」と、中年の女性が傍らの若い娘に言った。

「えいえい、無理せんと、早(はよ)う帰っておいしいもんでも食べ」

 と、金物売りの男は、その娘に気遣いを見せて、優しい声で言った。

「へぇ、ほいたらお先に……」

 と、他の出店者にも声を掛け、リヤカーを引いて、二人は旭町方面へ立ち去った。

「そんだけです。アテが仕入れた話は……」

 と、よっちゃんは結んだ。

「その話は誰から?」

「その、金物売りの年寄りからです。その人、今日はたまたま、来てたけど、毎回市へ出るってわけじゃないみたいです。金物屋さんの言うことには、その二人、その後は見かけんって、ことです。それで、その二人連れを他にも見たもんが居るか、その近辺に店出しちゅうもんに訊いたがです。まあ、そんなこともあったねェ、くらいの返事はあったがですが、金物屋の親爺ほど、憶えているもんは居りませなんだ」

 と、よっちゃんはもう一度、話を締めくくった。

「その魚を売っていた二人連れが、本位田さんの探してはる人かしら?」

 と、千代がポツンと口に出した。

「そうやろう。他に思い当たる娘さんは居らんようやし、親娘連れと間違われてもおかしゅうないし……」

「そうですね。でも、どこの誰かは結局判らんのですよね?」

 と、お寅さんの言葉を受けて、千代がため息交じりで呟くように言った。

「それはそうと、あんた何処へ行っちょったん?何も言わんと出かけちょったけんど……」

 お寅さんが思いだしてようにそう言うと、

「あの、アテはもうエイでしょうか?お代をいただいたら帰りますきに……」

 と、よっちゃんが遠慮勝ちに声を掛けた。

「あっ、お金は用意しちゅうぞね。よっちゃん、今日はご苦労やったね。また寄っとおせ」

 よっちゃんはお代の小銭を懐の巾着に入れると、もう係わりたくない態度をあからさまに、いそいそと出て行った。

「まあ、せわしい人や。それで、何処行っとったん?」

「猪口屋さんですよ。例の本位田さんの贋(にせ)もん、まだ帰ってきてないんですって」

「贋もんって、あんた、エコヒイキとちゃうの?どっちが贋もんか、まだわからんやろう?」

「お母さん、何ゆうてますの。うちとこ泊ったお方(かた)が、本当の『本位田強志』さんに決まってるやないですか。あの人の眼は正直もんの眼でした。お母さんもそうゆうてたやないですか」

「そうや、その通りやけんど、何かおかしい、そう思わんか?」

「そうなんです。あの人は絶対悪い人じゃあない。それは、そうなんですけど、私、何か大切なこと見逃しているような気がしてますの。この辺まで出かかっているんやけど、あの人のことで、ちょっと気になったことがあったんですけど、それが、何やったか?」

「何、わけの解らん事いいゆうぞね。アイロンがけは、済んじゅうかね?」

 お寅さんが、家事の方に話題を変える。

「えっ、お母さん、今、何て言いました」

「いや、あんた朝から本位田さんのことばっかり気になって、今日の仕事してないやろう?」

「ええ、それで、次は?」

「じゃから、アイロンがけもできてないじゃろうって……」

「そうよ、アイロンがけしたのよ」

「えっ?今日はまだしてへんよ」

「したのは今日じゃなくて、本位田さんがここへ来た翌日のこと。お母さん、憶えてるでしょう?本位田さんの服、それから下着も全部、あの日洗濯して、代わりにお父さんの服やふんどしまで貸してあげたでしょう?」

「そうや、何から何まで全部。それがどうしたぞね?」

「私、翌日アイロンをかけたのよ。本位田さんの服、全部。その服にも、下着の一枚にも名前がなかったのよ……」

      

 思い返すと、おかしなことがまだある。彼は宿帳に『本位田強志』と記入したが、自分の口から『本位田』という姓も『強志』という名も発していない。そう言えば、別れ際に千代が、「お気をつけて……、本位田さん」と、後ろから声をかけた時も何の反応もなかった。『本位田』という姓は彼のものではなかったのか?

 宿帳に本名を記載しない者もたまにいる。しかし、今回は何故『本位田強志』なのだろう?猪口屋の客も『本位田強志』である。千代はこちらも贋者ではないか、と思っている。何の根拠もない。先の者が贋者なら、今度は本物と思うのが普通であろう。女の勘、いやいや、事件?の流れから、本当の『本位田強志』はまだ登場していないのだ。事件はこれからだ、と勝手に思い込んでいるのである。

 それというのも、あれ以来、猪口屋の方の『本位田強志』は行方不明なのだ。一週間がたった今も、荷物を置いたまま、音沙汰なしである。猪口屋の女将、悦子もそろそろ、気になりだして、千代に相談にきた。

「警察は駄目よ。今の警察はGHQの顔色伺いばかり。何か、警察の組織自体が、大幅に変わるらしくて、行方不明者なんて問題にしてくれないから」

 と、まず、訴えた。

「じゃあ、どうするつもりなの?」

 と、千代が尋ねる。

「それが解らないから、相談に来たんじゃないの。千代ちゃん、あんただけが頼りなのよ。うちの亭主は何時帰るか解らんし、番頭さんも頼りないし。千代ちゃんとこは、旦那さんは学校の先生やし、お父さんはエェとこのボンさんなんやろう?お寅さんはハチキンで有名やけど……、羨ましい家族やね」

「男衆は旅館の手伝いは一切してくれません。うちは女中さんも含めて、全員オナゴの職場です。そやから、大変なのよ、外からじゃあ解らんろうけど……」

「どっこも大変よ、このご時世だもん。それより、どうしたらエエん?」

「警察が駄目なら、諦めて様子見ね。あせっても、あがいても、前へ進みやぁせんき」

「ひとんちのことと思うて、薄情もん」

「薄情とちゃうよ。何もせん、これがアドバイス」

「何、アドバイスっち?アメリカさんの言葉使いなや。意味解らん」

「アドバイスと言うのは『助言』って意味よ。こうしたらどう?こうした方がエイよ、と教えちゃる事よ」

「何もせんことが、こうした方がエイことって、ちょっとおかしいんとちゃう?」

「何もしないってことは、傍観するってこと。成り行きを見守る。これが私のアドバイス。それと、不安なら、顔役さんに事情を話しておくこと。何かあったら、警察よりずっと頼りになるからね」

「そやそや。顔役さんに相談しょ。顔役さん、うちのお客さんに逢(お)うて、話し聴いてるもん。説明不要や。そうしょう、そうしょう。千代ちゃん、ありがとうね、アドバイスってやつ」

 悩みが解消したのか、悦子はいそいそと帰って行った。

「やっぱり、のんきな人やなあ。子供ん時と全然変わってへん。あれで女将さんやっていけるんかなぁ。うちのお母さんとはえらい違いや。お母さんほどハチキンも困るけど……」

 さあ、仕事、仕事と前掛けで手を拭って、千代さんは玄関先の掃除をしようと硝子の引き戸を開けた。

 玄関先の電柱の陰に誰かが立っている。こちらの方を窺っているようだ。注意深く眺めると、鳥打帽を目深に被り、白い麻の上着、灰色のズボンをはいた小男である。顔や頭髪が見えないので、年齢は良く判らない。若者ではない。近所で見かけない風体である。

「何か、御用ですか?」

 と、言いかける間もなく、男はこちらの様子に気づいて――と、千代が思っただけであるが――踵を返し、小走りに立ち去った。後ろ姿や走る姿から、四十過ぎくらいの男かな?と千代は思った。

「けど、何してたんやろう?うちの方を窺ってたのは間違いないワ。怪しい男の登場、またまた、江戸川乱歩の世界やねェ」

 ひとり、想像をふくらましていると、

「何、笑いゆうぞね。仕事シイ」

 と、お寅さんが出先から帰って来て、娘の様子を不思議そうに眺めながら、一言、小言を言った。

「お母さん、お帰り。そこら辺で、鳥打帽被った怪しい小男、見ませんでした?」

「怪しい男って、あんた、また江戸川乱歩を読んだがかね?」

「違いますよ、本当に怪しい男がいたんです。そこの電柱の陰から、こっちを窺っていました。私が声をかけようとしたら、急に逃げるように走って行って。確か、お母さんの帰って来た方へ行ったと思ったんですけど……」

「ダァレも逢わんかったよ。まあ、途中の路地にでも入ったら、解らんもんね」

 結局、その男の正体は解らずじまいであったが、その日からちょくちょく、誰かが刻屋を見張っているような気配が感じられるようになった。お寅さんや、千代ばかりでなく、通いの女中さん達も、見知らぬ男の気配を感じていた。男というより、男達というべきか、見張っているらしい者は一人ではないらしい。背の高いのや、低いの、小太りの男など目撃者も多数出てきた。

 気分は良くないが、実害があるわけではない。しかも、気配だけで、大っぴらな行動は起こしてこない。

「放っておくしかないね。うちは何も悪い事してないき、お客の迷惑にもなってないみたいやし」

 お寅さんは寛大である。いや実は一度だけ、見張っていた男を見つけて、

「何しゆうがぞね」

 と、大声を上げた。男――その時は背の高い、若い男だった――はあわてて逃げだし、牛乳配達の自転車と衝突した。あやまりもせず、走り去ったため、割れてしまった牛乳代を、お寅さんは払ったのである。割れたのは、たった三本だったのだけれど……。

 それ以降、お寅さんは男を見かけても声をかけないことに決めた。こっちも完全に無視してやるのよ。と、女中さんたちにも念を押したのである。

「お母さん、やっぱり、気色悪いですよ。まえ程やないけど、今日も、怪しい男が居りましたよ。えっちゃんとこを見張っている感じでした」

 千代が闇市(城西市場)で買い物をして帰ってくると、買い物籠から、肉や干物を取出しながら、お寅さんに言った。

「けど、どうしようもないろう?捕まえようとしたら、逃げ足が速いし……。顔役さんに相談したけんど、埒がアカンみたいやし……」

「ほら、お母さんの知り合いで、この春に警察退職した方が居るやないですか?」

「ああ、坂本のコウちゃんかね?」

 お寅さんと同い年くらい――少し年下か?――の初老の元刑事で坂本孝兵衛という名の男を思い出したのである。

 この孝さん、中々の名刑事で、戦前は大した手柄を立てたらしい。ただ、敗戦後の、GHQの横槍に嫌気をさして、丁度、息子が学業を終え、警察官になる決心をしたことから、隠居をすると宣言し、惜しまれつつ、退職したのである。

「隠居したそうですから、お暇でしょう?警察にも顔が利くようですから、お母さんから、頼んでみてください」

「そうやねェ、事件性はないき、警察の世話にはなれんき、孝ちゃんに頼んでみるかねェ……」

 お寅さんは、あまり乗り気ではないような感じではあったが、千代の提言を受けて、坂本元刑事に怪しい男たちの件を相談に行ったのである。

 それから、半月程後のこと、

「孝ちゃんから、連絡があって、怪しい男らぁはもう大丈夫やそうや」

 と、お寅さんが千代に報告した。

「大丈夫って?正体が解ったがですか?」

 お客の夕食の準備で、台所に立っていた千代が尋ねた。

「詳しいことは、言えんそうや。警察の秘密捜査に係わっちゅう事でもあるらしい。けど、前のように、目立った行動は無くなるちゅうこっちゃ。ひとに危害が加えられる心配もないし、自然とのうなるろう、ってゆうてた」

「自然になくなる?どうゆうことですやろう?」

 毎日のように見張られていた気配も、次第に少なくなっていき、梅雨が明け、南国の燃えるような暑い夏が、やっと過ぎ去ろうとした頃には、全く無くなっていた。

 そして事件は、ある男の登場で急展開を見せることになる。


   6、第三の復員者の推理


「千代ちゃん、居る?」

 と、勢いよく勝手口の戸を開いたのは、猪口屋の『えっちゃん』こと悦子であった。

「何ぞね、エライ慌てて、戸が傷むやないの。千代さん、喋繰(しゃべく)りがきちゅうぞね」

 ちょうど、朝食が終わって、洗いがけをしていた千代は、お寅ばあさんの大声に笑いながら現れた。

「お母さん、失礼ですよ、悦子さんはそんなに喋繰りじゃあないですよ。ごめんね、えっちゃん、何の用?」

 前掛けで手を拭きながら、悦子に笑顔を向ける。

「千代ちゃん、大変、また、出てきたのよ」

 何の前置きもなく、いきなり悦子はそう切り出した。

「またって、大きなねずみでも出て、食べもんを喰われたかね」

 と、お寅さんが、得意のツッコミを入れる。

「違いますよ、お寅さん。また、例の火曜市の娘さんを探しゆう人がウチに泊っちゅうがですよ」

「えっ、本位田さんがまた現れたの?」

 と、千代が驚きの声を上げた。

「ちゃう、ちゃう、名前は本位田とちゃうんよ。二日前に来られたんやけど、応対したんは番頭さんやったし、うち、亭主が帰ってくるかもしれんって、役所行ったりしてたから、今朝までそのお客には逢ってなかったんよ。そしたら、今朝、『火曜市はこっちの方ですか?』って聴かれて、それで何となく、火曜市へ何しに、って聞いたら、娘さん探しですって。絶対、例の娘さんよね?」

「どんな人?名前は?前の人ではないんやね?」

「前の男と全然違う。貧相な男。白っぽい木綿の単衣にヨレヨレの袴。一昔前の書生さんみたいな格好。頭はモジャモジャのくせ毛で、話モッて頭掻いたら、フケが飛んでくるのよ。顔は陽に焼けてたから、復員してきた人かもしれん。名前は、宿帳まだ見てないのよ。ただ、番頭さんは何も言うてないから、本位田とか、強志、じゃあないワ。番頭さんも前のお客のこと気にしてたし、そこまで、抜けてはないろうき……」

 さすがに、旅館の女将である。短い時間によく観察している、と千代は悦子を少し見直した。

「その人、火曜市へ行ったのね?さっきのこと?」

「そうよ、今(いんま)さっき。出て行ってすぐ、あんたに知らせんといかん、と思うて飛んできたがよ。まだ、火曜市に着いてない頃やと思うデェ」

「お母さん、後、よろしゅう」

 千代は前掛けを外して、お寅さんに手渡すと、悦子を促して表へ飛び出した。下駄のままである。

(しもうた、草履に履き替えるがやった)と、思ったが、履き替えるのに引き返す時間がもったいない。足の親指に力を込めて下駄の音を高々と鳴らしながら、狭い路地を東に走って行く。

 化粧もしてないし、髪もきちんと、梳いてないし、着ている服も汚れた木綿の着物とモンペや。エェ、かまわん、本位田さんに逢うんやないもん。見てくれはどうでもエイ。今度の人まで行方不明になったら大ごとや。

 走りながら、頭の中でそんなことを考えている。

(火曜市の娘を探すと災いが起こる……。最初の本位田さんは「人が死ぬ」と言った。本人は、故郷(くに)へ帰っただけやけど、二人目は行方知れず。だから、今度も異変が起きるかもしれん……)と、考えているのである。

 小さな橋を渡り、闇市の八百屋の横の路地を抜けていく。すれ違う人が、慌てて避けながら、千代の後ろ姿を不思議そうに眺めていた。

 突き当たりの三叉路を右に折れ、また、小橋を渡る。その先を左に折れると、市の開かれている、北奉公人町にたどり着く。

 息が切れている。後ろから悦子はまだ現れない。

(途中でへたばったのやろう)と、一旦立ち止り、息を整えながら、辺りを見回した。ちょうど前から半袖の開襟シャツにカンカン帽をかぶった男性が歩いてくる。

「あっ、先生や。先生、先生、こっち、こっち」

 大きく手を振って見せると、千代に気づいた先生が面長な顔に笑いを浮かべて歩み寄って来た。

「何や、えらい、セイて走りゅうオナゴが居ると見ちょったら、千代さん、アンタやったかよ。セキきって、どうしゆう?」

 一息入れている千代に、冗談ぽく話しかける。

「先生、エエとこで、逢(お)うた。地獄で仏とはこのことや」

 と、荒い息のまま、千代が言った。

「わしゃあ仏さんかよ?エライ出世したもんよのう」

「仏さんでも、神さんでもエイ。先生、手伝うてください。また、人捜しや」

「何や、例の娘さん探しかいな?あれからもう、三月はたっとるでェ」

「ちゃう、ちゃう。関係はあるけんど、探しちゅうんは男のひとや」

「千代さんのエエ人かね?こりゃあ、タマルカ!幸(ゆき)やんに言うたろう」

 幸やんとは、千代の亭主『幸雄』のことである。先生は同じ教育者として、幸雄とはかなりの馴染である。

「違(ちゃ)いますがな。そんな人、居(お)るわけないでしゃろ。猪口屋の新しいお客さんですがな。風采の上がらん小男だそうどす。先生、見まへんどした?」

「いや、見たことないなぁ。そのお客がどないしたん?宿賃払わんと逃げたんか?」

「嫌やなぁ、今日の先生、勘悪いワ。どうして、猪口屋のお客の宿賃を私が取り立てな、イカンのどす。その、貧相な客が、火曜市の娘さんを探してはるんですよ。解りました?」

「おっ、そう来たか。皆まで言うな。その貧相な客が、今、この辺で娘を探してる。その男を千代さんが探してる、ってことか?」

 と、先生は右手の拳の小指側で、左手の手のひらを叩く。どうも、千代の周りには、芝居がかった動作をする人間が多いようだ。

「そうどす。やっと解りました?」

 と、千代はやっと、息を整えて、呆れたように言った。

 そこへ、だいぶん遅れて、悦子がやって来る。千代以上に息を切らして、

「ああぁ、疲れた。ウチ、店の用事おいて来たままやき、帰るき……。後で、結果を教えてよ」

 悦子は荒い息のまま、そう言うと元の道を引き返して行った。

「よっしゃ、その男を探そう」

 と、先生は機嫌よく市の中心へと歩き出す。途中、顔見知りの出店者に、こうこういう人物が通らなかったかを訪ねて歩く。

「通った、通った」

 と、行く先々で答えが返ってくる。その男、よほど目立つ格好でいたのか?しかし、人探しをしているにしては、どの店にも立ち寄って情報を集めていた気配はない。娘についての聞き取りを行っているフシもないのである。では、何のために火曜市へ出てきたのか?本位田さんの事件とは関係ない人なのかしら?と千代は思い始めていた。

「あの男やないかね?」

 と、先生が指さしたのは、例の公園の角である。そこに、悦子が言っていた、和服にヨレヨレの袴、髪の毛がモジャモジャの小男が何やら思案顔で道――そこは四辻になっている場所――のあちら、こちらを見つめて、手にした手帳らしきものに、ちびたエンピツで何やら書いている。

「そや、あの人に間違いおへん、えっちゃんのゆうてた通りやもん」

 と、千代が歓声に近い声を上げる。

「おっ、千代さん、また、京都訛みたいな口調になったね。普段は、標準語に近い喋り方やのに……」

 初めて気づいたように――もう逢った最初から、京都訛りに近かったのに――先生が驚きに近い声を上げた。

 そや、前から不思議に思うとった。何故、先生と話す時、京都訛になるんやろう?普段は客商売だから、極力標準語に近い言葉を使っているのに……。答えが見つからないから誤魔化すしかない。

「そんなん、どうでもエェどす。はよう、あの人、捕まえて」

「まあ、どうでもエイことやけど。

 おぉい君、そこで何しとるんや?」

 先生は大きな声で、怪しい行動をしている小男に声をかけた。

(そんな遠くから声かけたら、逃げられますがな。もうちっと、近寄ってから、声、かけんと)と、千代は顔をしかめながら心の中で呟いた。が、男は一瞬驚いた顔を見せ、すぐに、人懐っこい笑顔を、その陽に焼けた顔に浮かべ、

「ぼ、僕のことですか?」

 と、少し、どもるように答えた。

(貧相な顔、と、えっちゃん、ゆうてたけど、そうでもないわ。貧相なのは体つきや服装、顔は可愛い顔してるやないの。歳は三十前くらいかな?)

 男に近づきながら、商売柄の観察力を発揮している千代であった。

「そうだよ、君、こんな市場の真ん中で、買い物するでなく、何をキョロキョロしとるんだね。まさか、人さまの懐を狙っているんじゃないだろうね」

(うまい、スリの疑いをもって相手に近づくとは、先生、役者やないの。あっ、そうか解った、私が先生と話す時、京都訛になるの。先生の顔、嵐勘寿郎(あらしかんじゅうろう)に似てるんや。鞍馬天狗のアラカンさんや。私、映画の中の京都、伏見の寺田屋の女将さん、演じてるんや)

 さっきまでの疑問が解決して、しかし、こっちの謎――男の行動――はまだまだ、なのに、千代さん、何故か心が浮き浮きしてきた。

「い、いや、いや、めっそうもない。人さまの懐など狙っていませんよ」

 と、男は顔の前で、右手を振る。

「その、どもる処が怪しい。後ろめたいことがある証拠だ」

 先生は、背の高さを利用して、上から威圧するように決めつける。

「ど、どもるのは、僕の癖でして、興奮したり、緊張したりすると……。ところで、あなたは刑事さんですか?」

 と、疑う眼で問いかけてきた。

「いや、警察ではないが、町内の役員をしている。最近、スリの被害届が出ているから、こうして見回っておる。スリでなければ、何をしておるんだね?」

「はあ、町役員さんですか?」

 と、緊張を解く気配がした。

(町の役員といっても、町内会の副会長。しかも、ここ『北奉公人町』ではなく、『井口町西地区』じゃないの。ほんま、アラカンさんや……)

 と、千代はうつむいて、口元を隠しながら笑っている。

「僕はこういうものです」

 きれいな標準語を話す青年は、左手に持っていた手帳を捲り、そこに挟まっている、白というより、黄ばんだ薄卵色の紙片を取出した。

「何や、汚い名刺やな。ええと、私立探偵かね……」

 と、先生が声を出してその名刺を読み上げる。

「汚いは余計でしょう。数がないから、返してもらいます」

 と、男は、先生が確認を終える前にその手から名刺を取上げた。

「探偵さんが何しとるんだね?」

 と、怪しむ顔で尋ねる。

「探偵ですから、事件の捜査です。僕はこう見えても、優秀な探偵ですから、浮気調査や身辺調査はしません。犯罪調査、専門です」

 と、少し胸を張る態度を示す。

(自分で、『優秀』言う人に、優秀な人は居らんやろう。しかも、優秀やったら、もっと『こぎれいな』格好してるやろう)

 と、千代さん、もう一度、探偵と名乗った青年を上――頭――から下――つま先――までをじっくり観察した。

(あっ、足袋が破れてる。絶対、優秀なんて嘘っぱちや……)

 と、心の中で決めつけていた。

「何の事件かね?言っちゃなんだが、私が役員をしゆうこの辺は、治安が良い事で通っておる。犯罪なんぞ、ここ最近、そう、スリや空き巣以外は起こっとらんぞ」

(それは、顔役さんのおかげや)と、千代さん、先生の芝居がかったセリフに、また、心の中でツッコミを入れていた。

「いや、表面には現れていない事件なんです。この辺りで、男が一人行方不明になりましてね」

「それって、本位田強志っていう、旅の人のこと?」

 思わず、二人の会話に口を挟んでしまった千代であった。自称、探偵は不思議そうな顔をして、千代に視線を向けると、

「この方はどなたですか?」

 と、先生に尋ねた。

「近所の、旅館の若女将さんだよ。町内の世話も善くしてくれてる、働きもんだ」

 と、先生は照れるようすもなく、そう言い切った。

「僕の泊っている旅館とは違いますね?そうか、もう一軒、旅館があったのか……」

 と、最後はひとり言のようにつぶやいて……、

「ところで、若女将さん」

 と、千代に視線を移した。

「千代といいます。千代と呼んでくれて構いません」

 そこで、初めて、千代と青年の視線が交差した。

 青年は照れたように笑顔を浮かべ、のびた髪を掻きまわす。白いフケが飛んでいく。

「千代さんか。良いお名前ですね。じゃあ千代さん、いま『本位田強志』という名が出ましたが、ご存知の方ですか?」

 探偵さんは優しい声で、丁寧に尋ねてくる。

「いや、ここでは、人目もある、立ち話もなんだから、そこの公園のベンチにでも腰をおろしましょう。聴きたいこと、そちらも知りたいことが沢山ありそうですから……」

 三人は、公園内の片隅の雑木で作ったようなベンチに腰をかけた。探偵さんは千代の方を優しい眼で見つめ、話を促した。その瞳に思わず正直に答えてしまう。

「以前、この春の終わり頃に、うちの旅館にお泊りになったお客さまです」

 そう答えた後、(白ばっくれてた方がよかったかな?)と、一瞬思った。

「ほう、この春の終わり頃、すると、三月前ですね?おかしいな?で、その本位田さんと名乗った方は何の目的でこの土地にいらっしゃったのですか?若女将さん、いや、千代さん、聴いていましたか?」

 喋っていいのか、迷ったが、じっと見つめる青年の眼が、あまりに優しげだったので、

「この、火曜市である女の人を探している、とおっしゃってました」

 と、ここまで、話した。女性の名前、許嫁だったことは伏せておくことにした。

「ほほう、なる程、よくできた話ですね」

「作り話じゃありません。この辺の住人に聴いたら解ります。二週間に亘って、雨で市は開いてなかったけど、近所の人に聞取り調査をしてたはずですから……」

 と、少し早口に、嘘でないことを強調するかのように説明を加えた。

「いや、いや、千代さんの話を疑ってはいませんよ。そのような人物がこの界隈に現れていたことは、もう調査済みです。ただ、その男が、本位田強志、本人だったかと言うと、これは疑問ですね」

「本名ではない、と、思います」

「ほう、本名でない、と。何故、そう思われるのですか?」

 千代は自分の想像したこと、衣服に名前がなかったこと、別れ際の呼びかけに反応しなかったこと、などを話した。

「なるほど、千代さんは観察力が鋭いですな。ご商売柄かな?いや、りっぱに探偵が務まりますよ。その推理に間違いないでしょう。その男は偽名を使ってますね」

「でも、探偵さんはどうして、その人が本位田さんではないと判断できるんですか?」

「いや、私の方は推理なんてものじゃないですよ。私は、その娘さんを探している、本当の『本位田強志』を知っているからです」

「じゃあ、猪口屋――今、探偵さんが泊ってるお宿のことですけど――に泊った方が、本当の『本位田強志』さんでしたの?」

 千代は、そちらの本位田も偽名と思っていたので、少し落胆した口調で尋ねた。

「えっ?、そっちも贋者ですよ。本当の『本位田強志』はもう亡くなっていますから……」

 驚きの証言である。二人の「本位田」が偽名である、そのことは千代の勘どおりであった。しかし、当の本人が死んでいるとは……。

「何時、お亡くなりになったのですか?つい最近のこと?」

 そうだ、この三月(みつき)の間に亡くなったのだ、と千代は想像した。

「いえ、亡くなったのは二年以上前です。復員を間近に控えていた頃でした。マラリヤに罹って、高熱を発して、手当の甲斐なく、現地で亡くなりました。私は本位田君と同じ部隊にいて、看取った一人です。こちらへ来る前に本位田家へお伺いして、遺骨の一部と彼の所持品をお渡してきたところです」

 と、彼はしんみりした口調で言った。

 この人は戦友だったんだ。だから、詳しいんだ。彼女のことも聴いているんだ、私よりもずっと詳しく……。

「じゃあ、偽名を使ったお二人のこともご存じなのですか?」

「ええ、多分一人は同じ部隊の戦友でしょう。千代さんところへ泊ったほうです。だから悪い男じゃありません。本位田君とは同じ大学を出ていて、郷里も近い、部隊でも特別な仲でした。もう一人――行方不明のほうですが――は名前は解りません。ただ、部隊の人間ではなく、本位田君の臨終に立ち会った誰かから――数は少なく特定できるのですが――事情を聴いた者であることは、間違いありません。詳しい身元については調査中ですが、やはり、元陸軍関係者だと思われます」

「探偵さんはその人の行方を探しにいらっしゃったのですね?」

「それも仕事の一つになったのですが、本来の依頼は、この火曜市にいたという『本位田君の許嫁さん』を探すことです。その捜査上に、今回の行方不明事件が係わっているようなのです」

「でも、本位田さんはお亡くなりになっているんでしょう?では、何方(どなた)が、野村百合子さんを探すよう、ご依頼なすったんですか?」

「千代さんは娘さんの名前までご存じだったのですか。危ない、危ない。その名前は公表できない名前でしてね」

 と、青年は少し驚いた口調で言った。

「ええ、その、戦友の贋者さんにも口止めされました。人が死ぬことになるからって……」

「そうなんです。危険なんです。でも、多分、大丈夫。相手も我々が百合子さんを探していることには、もう、気づいてしまっていますから。だから、行方不明者が出たんですから」

「えっ、じゃあ、二人目の贋者さんは百合子さんのことを探していたから……?」

 予感していたことではあるが、探偵と名乗る男から真相の一部として訊かされて、やはり、驚いてしまった。

「その可能性が大です。おそらく、ある組織が動いたのでしょう。そして、もう、命があるとは思われません」

「では、殺されていると?」

「十中、八、九、間違いありません」

 と、探偵さんは断言するように言った。

「多分こうでしょう。最初の贋者君――A氏としましょう――が火曜市近辺に現れた。この時点では、まだ組織の方も気づいていなかったはずです。組織の方でも百合子さんを探していたのは間違いありません。しかし、この地にいることは知らなかったはずです。百合子さんはごく一部のひとだけにしか、故郷のことを話していなかったらしいのです。恋人の本位田君にも、正確な帰省先を伝えてなかったのですから、おそらく、こういう事態が発生しかねないと、解っていたんではないかと思われます。その後、第二の贋者――B氏としましょう――が登場した。この近辺を管理している、組織の者のレーダーに触れてしまった。続けて同じ行動をとる人間、野村百合子という名の女性を探して、はるばる、四国の南までやってくる―しかも復員者―が現れたんですから、網を張っている者の眼から見たら、怪しい人物そのものでしょう。B氏は火曜市で、聞き込みを開始した――その前に、かなり、下調べをしてきたと思いますが――、そして、この公園辺りで、誰かに呼び止められたのでしょう。きっと、娘さんに関する、耳寄りな情報があるとでも言われて、電車通りの方へ足を運んで行った、と思います」

 探偵さんはそう言って、公園の南の方に視線を向けた。そこは、商店街ではなく、片側は倉庫の壁、片側は住宅の塀が続いている通りであった。そこを抜けると、本丁筋三丁目の電停に繋がっているのである。

(あっ、そうか、西町の方へ入って行くんじゃない、市は無くなるけど、ずっと広い道へ出るんだ。わたしはBが店伝いに、聞取りしていた、とばかり思い込んでいた)

 実際、この近辺までは、その男は訊き取りを続けていたのである。しかし、情報が出てきたら、そっちへ足を向けることになる。当たり前のことに気がつかなかった。電車通りの方へ目撃情報を尋ねて行っていたら、目撃者もいたかもしれないのだ。

「ここからは、私の想像ですが……」

 と、探偵さんは千代の思考を遮るように話を続けた。

「電車通りに車が待っていて、B氏は拉致され、車で何処かへ運ばれた、と思います。すぐに、命を奪うことはなかったでしょうが、聴きたいことを聴き出したら、後腐れのないよう、バッサリでしょうね」

「まるで、ヤクザの世界ですね?」

 と、千代が少しおびえたように口を挟む。

「いや、その組織はヤクザより、タチが悪いです。とても危険で巨大な組織です」

「そんな犯罪組織が日本にありますの?」

「ち、千代さん、これは大ごとかも知れんぞ」

 と、今まで話を聴くだけだった先生がそこで、慌てたように口を出した。

「そんな組織、戦争に負けた、今の日本にあるわけがない。軍隊もない国だから……。だが、この国には今、別の国家がおる」

「えっ、まさか、GH……?」

       

 危険な話になって、探偵さんの依頼人が誰なのか、聞き出せなかった。探偵さんは警察の知人を訪ねるとかで、その場を去っていった。

 GHQ、つまり、連合国――本体はアメリカさんだけど――が陰で糸を引いている。とても信じられない話である。こんな田舎の――大都会の東京や、大阪なら有り得るかもしれない――町でGHQが暗躍するなんて、どう考えてもありえん。小説の中でも、こんな処を舞台にはせんやろう。もし本当――GHQがらみ――だとしたら、その『野村百合子』って人は、ただの女優志願の少女ではない。国家を動かす――国際問題になる――程の人物……。

(ほいたら、『雲の上の人』やいか)と、笑ってしまって、その考えが恐くなった。『雲の上の人』の関係する人物なら、国家的な組織が動く可能性がある。その事情が何かは、全く解らないけれど……。

(そんな人が、この田舎の町に居るわけがない。でも、その人は東京に居ったんや。『雲の上の人』のお膝元に……)

 考えるだけ無駄とは解っている。

(もう、自分の手に負える事件ではない。けんど、まだ百合子さんは見つかっておらん。よっちゃんが聴いて来た、色眼鏡の女性がその人か、どうかも解ってはいない……。本位田さんはどうしてるやろう?いや、本位田さんは死んでる。あの人は思ってた通り贋者やった。けど、お母さんが言うた通り、悪い人やなかった。どんな事情があったか、解らんけんど、戦友のためにしてることや。私利私欲ではない、そう信じておこう……)

 千代は眠れぬまま、何度も薄い布団を掛け直した。隣では、亭主の幸雄が大いびきで寝ている。お腹をさすって、千代はもう何も考えんとこう。「明日は明日の風が吹く、」やもん、と無理やり眼を閉じた。

      

 あくる日は、千代が予言した?かのように、嵐の一日となった。小型の台風が足摺岬付近に上陸、風雨ともかなりの強さであった。

幸い、大きな被害はなかったものの、この台風が、事件を急転させたのである。

 台風一過の翌日。

「千代さん、今朝の新聞読んだかね?」

 朝の用事を済ませて、ほっと一息ついた時刻、お寅さんが高知新聞を手にして話しかけたのである。

「何です?昨日の台風のことですか?まだ読んでません……」

 と、千代が答える。

「ほら、ここ、ここ。『たずね人欄』に、『野村百合子さんという人を探しています』って出てるんよ」

 と、お寅さんは新聞を指先で叩くようにしながら、千代の方にそれを差し出した。

「えっ、本当?ちょっと貸して!」

 ひったくるように新聞を受取ると、たずね人蘭を見る前に、三面記事に眼がいった。そこには、

『筆山で土砂崩れ、男性死体を発見』との見出しが、片隅に小さく載っていた。

「そこやない。もっと中の方」

 と、千代の視線の先が違っていることに気が付いて、お寅さんはじれったそうに言った。

 男性の死体の記事の内容が気にはなったが、紙面を捲り、『たずね人欄』を捜す。幾人かのたずね人の中に、お寅さんのいう、『野村百合子』の名があった。

『野村百合子さんという女性を捜しています。年齢は二十歳から二十五歳くらい……』 と、記載は続き、連絡場所として、本町(ほんまち)の『諏訪(すわ)法律事務所』の電話番号と住所が書かれてあった。

「これって、絶対、あの人のことやろう?」

 お寅さんは娘の顔を覗き込む。千代はゆっくりとその内容をもう一度確認する。

「そうね、同姓同名、ってこともあるけれど、ありふれた名前やし。年齢からみても、最後に追記のように出てる、『少し目が不自由な方かも知れませんので、御知り合いの方のご連絡をお待ちしています』って、内容から見ても、『火曜市の娘さん』に間違いないでしょうね」

「けんど、この名前、絶対秘密やったんやろう?」

「事情が変わったんよ。きっと、こっちのせいよ」

 千代は新聞を捲り直し、三面記事の小さな見出しをお寅さんに差し示した。

その記事の内容は、

『昨日の台風の、大雨で、筆山の山の斜面が、一部崩落。その斜面から、身元不明の、復員服を着た男性の遺体が発見された』

 と、いう記事である。

 詳しく内容を確認する。昨日の台風による風雨で、小規模の土砂崩れが発生し、その斜面の土の中から、人間の足が覘いているのを、被害状況を見回っていた、警察官が見つけたのである。

 検視の結果、遺体は二十から三十歳代の男性。死体の状況から――かなりの腐敗が進んでおり、正確な判定はできないが――死後、二、三カ月を経過しており、左胸に刃物で刺された跡があることから、殺人、死体遺棄事件と見て、身元の調査、目撃者の捜査を開始した。と、記事は結んでいる。

「こりゃ、例の猪口屋の方の本位田さんやいか」

 と、お寅さんは千代から渡された新聞をもう一度確認しながら言った。

「そうよ、間違いない。服装も、年齢も、殺された時期まで合ってるもん」

「けんど、これと『たずね人』と、どういう関係があるがぞね?」

「事件が動いたのよ。殺人事件まで発展したんだもの、事件の関係者は全部捜査の対象になったのよ。事件の発端は、火曜市の娘さん、つまり、『たずね人欄』の『野村百合子さん』ってことよ」

        

 千代の推理は、半分当たっていたが、半分外れていた。

 お寅さんは、さっそく例の元刑事のコウさんに連絡を入れて、自分が推理したことのように、千代の意見を伝えたのである。

 コウさんからの情報が、まだ届かない、三日後の午後、例の探偵さんが刻屋の玄関に現れた後、千代の推理が半分外れていたことが判明するのである。

「いやぁ、こちらの旅館の方がよかったなぁ」

 例の和服姿――ヨレヨレの袴、孔のあいた足袋――でモジャモジャの髪の毛を掻きまわしながら、探偵さんは、千代に笑顔で話しかけた。

「実は、今度の依頼者さんから、火曜市の近所に小さいながらも、良い宿がある、と紹介されたんですが、まさか近所に二軒の小さな旅館があると思わないで、あちらの猪口屋さんがてっきり、紹介された宿だと、勘違いしていました。こちらの刻屋さんの方だったんですね?」

 と、探偵は千代が挨拶をする暇もなく、話を続けた。こういう時は、どもる癖が出ない。耳に聴ごこちよい、標準語である。

「いらっしゃいませ。でも、お泊りのお客さまではないですよね?うちにわざわざ、何のご用でしょう?それと、この前、聴き漏れたんですけど、そのご依頼人さまって、何方なのですか?」

「やぁ、いくつもご質問されましたね。じゃぁ、ひとつ、ひとつ、お答えしますがね」

 と、探偵さんは、髪の毛を掻こうとして、フケのことを思ったのか、手を止めた。

「もちろん、泊り客じゃない」

 と、人差し指を立てて、「1」の形を示すと、次に、中指を立てる。「2」と表したらしい。

「若女将さんが、今度の『本位田強志贋者事件』いや、『復員者事件』の方が良いかな?の結末を知りたいんじゃないかと思いましてね……」

 と、ここで、薬指を立て、「3」を表現する。

「依頼人に関しては、その事件の結末をお話しながら、その中でお解りになると思いますよ。いや、推理力の鋭い、千代さんのことだから、もう、察しはついているんでしょうがね。ちょっと、あと何名か、お集まりいただくように手配しているのですが、お部屋と、お時間をお貸しいただけますか?」

「探偵さんが、事件解決の時に関係者を集めて、真相を語る。そして、犯人は『あなただ』ってやるんですね?」

「いやいや」

 と、今度は遠慮なく、勢いよく髪の毛を掻き回す。フケが巻き散らかされる。千代の迷惑そうな表情に気づいてか、手を止め、髪の毛から離すと、

「お恥ずかしいですが、今度の事件じゃあ、僕の出る幕はありませんでした。僕がこの地に来なくても、事件は自然と解決していたはずです。少し、時間はかかったかもしれませんがね。結果は同じだったでしょう。それに、複雑な謎解き、とか、トリックなど、この事件にはありません。千代さんには『謎だらけ』の事件と思われるかもしれませんが、事情を初めから知ってる人間――僕を含めですが――に取っては起こるべきして起こった事件、そして結末なんです。ですから、ここで犯人を捕まえることなんてありません。少しの謎解きはあるかもしれませんがね。そうそう、例のB氏――猪口屋のお客――の殺害事件の犯人は警察で逮捕してます。事情があって、まだ発表はされてないようですが……」 

「やっぱり、先日の、筆山で見つかった死体は、そのB氏だったんですね?」

「そうです。千代さんなら、あの記事を見てピンと来てたでしょう?」

「じゃあ、その時と同じ紙面の『たずね人欄』は、死体発見を受けてのことだったんですね?」

「あぁ、やっぱり眼に泊っていましたか。でも、少し違います。あれは、死体発見の前に掲載を依頼してました。死体発見後なら、ちょっと、その日の朝刊には間に合ってないでしょう?」

「えっ?あっ、そうか、掲載時期が早すぎますものね。でも、あの『たずね人』は探偵さんが考えたことですよね?」

「いやあ、千代さんにはかなわないなぁ」

 と、再び、右手が髪の毛に延びるが、ハッと気づいて、手を降ろす。

「死体とたずね人を結び付けるだけでも凄いけど、その掲載を依頼したのが、この僕だなんてのは、誰も考えていませんよ」

 と、こぼれるような笑顔を浮かべる。魅力のある笑顔である。

 探偵さんに褒められて、半分間違っていた推理のことなど忘れ、千代の顔にも笑顔が浮かんできた。

「おや、お客さん方が集まっていらっしゃったようですね。じゃあ、お部屋をお借りできますか?それと、女将さん――何でも、近所では有名な女丈夫、『ハチキンさん』と呼ばれてるそうですが――にもお声を掛けてください」

 探偵さんの言葉を待つように、玄関から数人男女が入って来た。

 先頭はアラカン似の先生、次に貫禄たっぷりの顔役さん、悦子さんまではわかる。その後には見知らぬ男――中年と少し若い男――二人、続いてよっちゃんともう一人、見知らぬ中年の女性が最後に、おずおずと入って来た。男四人、女三人の合計七名。それと、探偵さんに千代、お寅さんの十名である。

(この人数だと二階の『椿の間』だわ)と、千代は部屋の手配をする。女中のお多可さんに部屋の用意――座卓に座布団――とお茶の準備を頼んでから、お寅さんを呼んできた。

「まあ、大所帯のおこしで」

 と、お寅さんは眼を丸くする。

「お客じゃないのよ、商売は抜き」

 と、先にくぎを刺しておく。

「いやいや、部屋をお借りするのですから、部屋代はきちんとお支払いしますよ」

 と、探偵さんは笑顔で言った。

 部屋の準備ができたと、お多可さんが告げる。お寅さんが愛想よく、客を二階の部屋へ案内する。

『椿の間』は刻屋では、一番上等な部屋だ。南向きで、風通しも良い。部屋の下は江ノ口川の支流が流れている。その頃はまだ、後年の悪評高い――西日本一の汚染された川――製紙会社の廃液による異臭も少なかった。

 長方形の座卓を二脚並べ、テーブルを囲むように座布団に座る。床の間を背に上座に座るのが、探偵さんである。千代は出入り口のふすまの側に座った。すぐに、お多可ともう一人の女中がお茶と茶菓子を持って、階段を上がってきて、正座して一礼した後、各人の前にそれらを配った。千代もそれを手伝う。

 一同がお茶で喉を潤したところで、探偵さんが話を始めた。

「本日は……」

 と、硬い挨拶の後、

「このたび、皆さまの周りで起きました事件につきまして、私から、ご関係の皆様にご報告いたしたく、ご足労いただきました」

 と、この集りの趣旨を述べ、出席者の紹介をする。

 見知らぬ男性二人は事件担当の刑事であるとのことである。そして、最後の見知らぬ女性が紹介される。

「この方は、野村百合子さんの叔母に当たる方です」

 と、探偵さんが言った。

(火曜市で商売していた連れの女性だな)と、千代は勘を働かせた。

「事件の発端は……」

 と、探偵さんは本題を語り始めた。

「本位田強志君の臨終にあります」

 そう言って、探偵さんは一同を見まわした。

「昭和二十年八月十五日、我々――私と本位田君の所属していた部隊ですが――は中国の南部に居りました……」

 南方の戦地で終戦――彼らにとっては敗戦――の知らせを受け、部隊は武装解除を命じられた。このまま、捕虜になるのは嫌だ、という者もいた。その数人の中に本位田強志がいたのである。

 捕虜になれば、国際法に守られて、殺されることはない。が、収容所に入れられ、重労働を課せられ、いつ国へ帰れるかも解らない。だが、脱走はそれ以上に危険な行為であった。

「逃げようと計画した数人が集まったんです」

 探偵さんの話は続く。

 そんな時、本位田はマラリアを発症した。結局、彼は三日後、命を落とすことになる。その臨終の時、彼は遺言のように側にいた仲間に話しだした。

「それが、野村百合子さんに関する話でした」

 探偵さんは、千代の方に視線を向ける。そう、この物語は、千代に向かって語られているのだ。他の人は、例えば刑事の二人は、事情を知っているはずだし、百合子の叔母もある程度は理解している。悦子とよっちゃんはほとんど部外者。顔役さんと先生は多少の係わりはあるものの、やはり部外者であろう。

 事件の真相、そして、何より、百合子という女性がどんな女性で、何故、事件の重要人物となったのか、今、何処にいて、どんな状況なのか、一番知りたいのは、他ならぬ自分である、と、千代は今、自覚している。

 そして、自分が夢想した『雲の上の人』との係わり、それが果たして想像だけだったのか、的中したのではないか、と考えていた。

「本位田君の臨終の話を纏(まと)めると、こうなります」

 と、探偵さんは視線を一同にずらして、話を進める。

 兵役前、東京で野村百合子という、女優志願の女性と知り合い、お互い将来を誓い合った。しかし、召集令状が届き、今の戦況では生きて帰れぬ、と別れを告げた。内地から、南方へ渡る前に、手紙が届き、故郷の高知へ帰ることを知らされた。それは、東京が大空襲を受けた、昭和二十年三月のことである。

「ここまでは、多分、皆さんご存じでしょう」

 と、一同に確認するように話を一旦止めた。

「さて、ここからが重要な秘密とされた告白です」

 と、探偵さんの話が進んだ時、千代はたまらず、自分の考えを口にした。

「その、百合子さんという方は、ひょっとして、私たちにとって『雲の上のお方』と係わりのある人ではないのですか?」

 探偵さんは、千代に視線を移し、「ほ」と、言葉を発する形で、顔を強張らせ、一瞬、驚きの色を見せた。

「いや、いや、若女将さんの推理力には、本当に驚かされますなぁ。当たっているともいえる、けれど、若女将さんの想像している御方とは、違っているでしょう。その係わりのあるお方は、我が国の『雲の上のお方』ではないのです」

「じゃあ、外国の方?」

 と、言って、千代ははっと、気がついた。

「解りましたね?実は、元、満州国皇帝、愛新覚羅(あいしんかくら)溥儀(ふぎ)一族に係わりを持っているのです。溥儀の弟と日本の嵯峨侯爵の娘さんがご結婚しているのはご存知ですよね?二人の娘さんがお生れです。百合子さんはその上のお嬢様の家庭教師をなさっていたのです。一家は満州の新京にお住まいでしたが、上のお姉さまは学習院初等科へ通われていた関係で、お母様の実家、嵯峨家でお過ごしでした。また、ご家族も昭和十九年には日本に一時、帰られておりました。その時期、ご家族と百合子さんの関係が深まったのです。溥儀の弟、溥傑(ふけつ)氏から重要なものを彼女は預かっているとのことです。本位田君の言によれば、それが公になれば、今の我が国の状況が大転換するかもしれない程のもの、だそうです。好転するのか、国が滅ぶほどの悪化を招くのかは解りませんが……。重要な何かを預かったまま、溥傑一家のもとを去った百合子さんはそこで、本位田君と巡り合います。そして、結婚の話が出た時、彼に秘密の一端――全てでなく――を打ち明けました。臨終に、本位田はそのことを僕たち戦友に打ち明けました。特に仲の良かった横溝という男に、百合子を捜し出し、保護してくれるよう頼んで、その夜、彼は息を引取ったのです。私もその場にいた一人なんです」

 と、探偵さんは視線を千代に向けた。

「その、横溝さんとおっしゃる方が、うちにお泊りになった最初の『本位田』さんの贋者さんなんですね?」

「そうです。その後、その仲間は、最初は逃亡しようと考えていた者も、本位田君が亡くなって――彼がその計画の首謀者だったのです――逃亡より、捕虜となった方を選びました。ただ、横溝君ひとりが逃亡しました。本位田君の遺言を遂行するために……。でも、結局、捕虜となった我々は、武装解除を命じられ、その後、帰国命令が出て、帰還船に順次乗り込んで、本土に帰還できたのです。横溝君はだいぶ遠回りして帰って来たようですが……」

「それで、今、横溝さんは?」

 と、千代は先走ったことを尋ねてしまう。

「そうそう、彼はここ――刻屋旅館――を離れて、岡山へ疎開中の叔父さん所へ厄介になってました。叔父さんもそろそろ、自家のある東京へ帰ろうかと考えていたようですが、仕事の関係か、来年まで延期になりました。彼の方はこの夏まで、岡山に滞在していたのですが、神戸の知人を訪ねた後、実家の東京へ帰ったようです」

 と、探偵さんは話の途中なのに、千代の問いに丁寧に答えてくれた。

「お元気なのですね。それと、その横溝さんが、探偵さんの依頼人なのでしょうか?」

「いやはや、感服しました。またまた、的中です。実は、ある事件で僕は岡山につい先日までいたんです。事件が解決した頃、彼が帰って来て、僕は骨休めをしたかったのですが、『ちょうど良い、骨休めになる。食い物も美味いし。酒も美味い。おまけに美人の若女将もいる。どうだ、行ってみないか』と旨く騙されて――いや、実は本当だったんですが――引受けてしまったわけですよ」

 照れたように笑って、彼は髪の毛を掻きまわした。

 その、美人の若女将とは自分のことだと解って、千代は顔を赤らめ、俯いてしまう。

「こちらへ来て状況を覗(うかが)うと――実は猪口屋さんへ来る前から、高知入りしてましてね。岡山の警部さんから紹介状をもらって、こちらの警察署にも協力いただいていたんです――満を期して、火曜市の探索に乗出したわけです。だから、その時点で、事件の大筋は解決していたんですよ。まあ、横溝君が心配していた大きな組織――GHQさんですが――も当初は多数の人員を配していたようですが、その溥傑氏から渡された物の存在自体が、雲を掴むようなもので、噂の域を出ない物。溥傑氏自身からもそういう事実はないと、証言があったようで、この夏ごろには手を引いたようです」

「じゃあ、うちを見張っていた輩は、GHQの回しもんじゃったがかえ?」

 と、お寅さんが口を挟んだ。

 元刑事のコウさんが「機密の捜査に係わっている」と、言ったのは、GHQがらみだったのである。それで、この夏以降は、見張られている気配がなくなったのだ。

「えぇ、そうです。実際見張っていたのは警察関係者ですが、GHQの意向――ほぼ命令――によるものです」

「その通りです。こちらさんにはご迷惑を掛けました」

 と、刑事の内、顔の四角い、ゴマ塩頭の中年の男がお辞儀をした。

「二人目の本位田と名乗った男が行方不明になりまして、もうひとりも、何時また現れるか。とにかく、本位田と名乗る男は要注意だと、命令を受けておりました。それも、GHQさんからのものだと……」

 と、中年の刑事は最後の方は小声で言った。

「えっ、それじゃ、猪口屋さんのお客さんが、拉致、殺害された事件の犯人は、GHQの関係ではなかったのですか?」

(あれあれ?探偵さんの推理と違うんじゃあないの?)と、千代は言葉を飲み込み、心の中でツッコんでいた。

「そういうことになりますね。GHQの方でも二人の『本位田』を捜していたのですから……」

「それって、自分の犯行を隠すための、トリックなんじゃないですか?ほら、よく、探偵イコール犯人って、あっ、ごめんなさい、探偵さんが犯人って言ってるんじゃなくて、探偵小説の中の話ですよ」

「若女将さんは探偵小説のファンですか?それで、推理力も凄いのかな?」

 探偵さんは笑顔を千代に向けて話題を事件と違う方向に変えてしまった。

「いえ、ファンだなんて、江戸川乱歩を読む位です」

「ほう、乱歩先生の作品を……。何がお好きですかな、乱歩作品では?」

「二銭銅貨とか、パノラマ島奇談、明智小五郎という探偵が出てくる、D坂殺人事件、心理試験も好きです。最近は少年物ばかり書いてるようですけど。怪人二十面相なんて、ルパンの物まねみたいで……」

「いや、いや、大変、的を得たご意見です。私も同感です。乱歩先生には本格物で、なくてもいいから、大人向けの長編をまた書いてもらいたいものです。

 話がそれましたが、GHQが今度の殺害事件に関与していないことは、当初から想像はしていました。但し、若女将さんの仰る通り、そこも、GHQの別の部署が動く、って可能性が無きにしも非ず、で、完全に否定はできませんでしたけどね。では、誰が、何の目的で、となると、五里霧中、闇の中だったのですが、先日――若女将さんと、そこにおいでの先生とに、お会いした日ですが――火曜市の現場へ行き、市の活気に触れている間に、閃いたことがありました。こんな市場には最近、『地回り』と呼ばれる新興ヤクザが蔓延っているんじゃないか――他の所、特に大きな都市では、新興ヤクザが増え続けています――そう思ったのです。ところが、ここの市は平和そのもの。実に伸び伸びとした商売をしています。場代、みかじめ料、を徴求されている様子もない。そこで、聞き込みをすると、そちらの、顔役さんがこの一帯を仕切ってらして、新興ヤクザの這い入る隙がないとのことでした。しかし、ヤクザの芽は出始めているらしい、との情報もありました。そこで、僕は顔役さんを訪ねたわけです」

 顔役さんと目を合わせ、肯くようにして、探偵さんは話を続けた。

 そうか、顔役さんも今回の事件に、少しは関係してたんや、と千代は初めて気が付いたのである。

「この近辺は、顔役さんが目を光らせているが、下(しも)の方、つまり、高知市の東の方では、新興ヤクザが幅を利かし始めている、とのことでした。特に、神戸辺りから、新しい組織のヤクザが組作りに動いている、と聞かされました。警察にも、その情報は入っているとのこと」

 ここで、彼はゴマ塩頭の刑事に目配せをした。

「拉致、監禁、そして殺人、死体遺棄。これは、この頃の新興ヤクザが起こす、犯罪の特徴が全て現れています。そこで、この刑事さん達に、新興ヤクザの内偵をお願いしたのです。

 結果は、あっさり判明しました。神戸から出てきている○○組、というヤクザ組織がからんでいました。別件で逮捕した組員が白状して、拉致に係わった者、殺人、死体遺棄に係わった者、全て昨日逮捕しています。事件は解決しました」

「でも、何故、ヤクザが絡んで来たんですか?国際問題とヤクザの縄張り問題じゃあ、話が違いすぎませんか?」

 と、アラカン似の先生が初めて口に出した。

「おっしゃる通りです。それにはちょっとした訳があるのです。これは、猪口屋さんに泊った本位田さんの正体に係わることです。もうひとりの本位田さんは戦友の横溝君でした。が、もうひとりは戦友ではありません。死体の指紋などから浮かび上がった人物は、元陸軍中野学校のメンバーの一人でした。ご存知の方もいらっしゃいますでしょうが、中野学校とは諜報活動、つまり、スパイ養成学校だったのです。この男――B氏としましょう――が本位田君の臨終に立ち会った、僕と横溝君以外の戦友の知人だったのです。これは、その戦友から裏を取っています。そして、その戦友が、B氏にある程度の情報を流して金を受け取っていたことも判明しています。このB氏と中野学校で一緒に活動していた男が、神戸の○○組にいたんです。どうやら、B氏は金儲けの話として、その組員――C氏としましょう――に協力を求めたのでしょう。C氏は協力するふりをして、組を動かします。上手くいけば大手柄、幹部に昇進できますから、友情なんて糞喰(くそく)らえ、ですよ。それがヤクザです。頼った相手が悪かったわけです。

 最初は協力関係だったBとCですが、ここに破たんが起きた。GHQの目が光って来たのです。Bの行動がGHQの組織の網に引っ掛かったのでしょう。新興ヤクザは、そういう情報収集は得意です。そして、危ないと踏んだ。Bは組にとって危険な人物となったわけです。あの火曜日、Cは言葉巧みにBを車に誘います。協力者と思っているBは、素直に乗り込みます。その後は、Bが得た情報を全て白状させ――拷問のような手段も講じたでしょう、死体の爪に損傷がありましたから――その後に心臓をひと突き、死体を筆山へ、という展開だと思われます。」

 満州国皇帝だの、スパイ学校だの、自分の身の回りからは遥か遠い国の話のようだ。だが、現実に人が死に、自分がほんの少し、そこに係わっている。千代は身体が震えるのを感じていた。

「それで、肝心の百合子さんの行方と、その大事な預かり物はどうなったがぞね?」

 お寅さんの言葉に、千代もはっと我に返った。

そうよ、私たちが知りたいのは事件の方より、野村百合子という人が、今、何処で、どうしているのかのほうなのよ。

「そうですね。一番知りたいことはそこでしょうね」

 と、探偵さんは千代の顔色を窺うように視線を向けた。

「それは、そこにいらっしゃる、百合子さんの叔母に当たる、里見恭子さんにお尋ねするのが、一番確かでしょうが、こんな大勢の前では、口下手で話せない、とおっしゃられていましたから、僕が替ってお話しいたしましょう。よろしいですね、里見さん?」

 と、百合子の叔母に確認をする。

「里見さんのお隣に座ってらっしゃる、田嶋良子さん」

 と、小さくなって話を聴いていた、よっちゃんに視線を向ける。よっちゃんはますます、身を縮める。

「通称は『よっちゃん』と呼ばれてるそうですから、僕もよっちゃんと言わせてもらいますよ……。よっちゃんが、ここの女将さんから頼まれて、火曜市における野村百合子さんの情報を集めてくれました。非常に優秀であります。日頃から市のメンバーとのコミュニケーションを取ってる証拠です」

 褒められていることが解って、よっちゃんが緊張を解いたのが伝わった。話の中の英語は、理解できていないだろうけれど……。

「よっちゃんの仕入れた情報、黒い色眼鏡の女性は、確かに百合子さんでした。そこに至る捜査については、ちょっと事情があって、省略させていただきますが……。彼女の最後の手紙が東京大空襲の頃だと、先にお話ししましたね。その大空襲の日、敵の焼夷弾の光が彼女の眼を失明に導いたのです。幸い、完全な盲目にはならずに済んだものの、普段の生活には支障が起こる。女優の夢など、もうお終いでしょう。失意の中、彼女は故郷へ帰る便りを本位田君に送り、身ひとつで、この地の叔母を頼ってこられたのです。百合子さんのご両親は、この戦争中に、相次いで、お亡くなりになっていました……。叔母の里見さんは百合子さんの母親の姉に当たる方で、里見家の本家を継いでいらっしゃる、女主人(あるじ)であります。ですから、百合子さんも里見家の一族であり、父親の家系も地元では裕福な庄屋のお家柄だそうです」

 里見家といえば、「八犬伝」で有名な南総の名家である。その里見家の後胤が土佐に流れついた、との噂を千代は聞いたことがある。

「まあ、家柄など関係ない、と言えばそれまでですが、この家柄がことをややこしくしてしまったのです。全盲に近い年頃の娘が帰って来た。しかも、彼女のお腹には新しい命が宿っていたのです。もちろん、本位田君のお子さんです。よく、流産もせず、故郷までたどり着いたものだと感心します……。未婚の、盲目に近い母、里見家では世間体を憚(はばか)って、百合子さんのことを外部に隠してしまいました。幸い、お宅は広い、産婆さんにも多額の謝礼をして、口止めをする。玉のような男の子が誕生しても、母親に育てる能力がないと判断して、すぐ、里子に出してしまいました。このため、野村百合子という娘さんは世間から隔離され、情報も途切れたのです。ただ一度だけ、気分転換のため、近所の魚を行商している漁師の奥さんと一緒に、賑やかな、お城下へ出て来た日、それが、よっちゃんが訊いた、唯一の情報の日だったのです」

「そんで、今は百合子という娘さん、どうしちょるぞね?」

 と、お寅さんはじれったそうに、探偵さんに尋ねた。

「ここに居らん、ということは、まさか、死んだ?」

 お母さん、縁起でもないこと、と、言おうとした千代を遮るように、探偵さんが慌てて、話を続ける。

「い、いえ、いえ、ご存命です。ご安心をしてください。ただ、百合子さんは今、大阪の方にいらっしゃいます。大阪の、とある病院で目の手術をなさって、術後、しばらく入院されています」

「目の手術?では、百合子さんの目は治る可能性があるのですか?」

 と、千代はとっさに話しかけた。

「そうなんです。焼夷弾の光で、目を傷めたのですが、自然治癒といいますか、こちらに来て、幾分良くなった。しかも、あの『火曜市』に出かけた日を境に、ぼんやり、物の形が見えるようになったそうです。希望の光です。そこで、里見家では有名な眼科の先生を訪ね、その医師の紹介で、大阪の病院にて手術を受けられたのです。手術は成功、術後の経過も順調で、近々、目の包帯を取るところまで行ってるそうです」

 探偵さんは、百合子の叔母に視線を向けた後、一同の安堵した顔を眺め、例の、人懐っこい笑顔を見せた。

「ところで、その百合子さんが溥儀の弟――溥傑と言いましたか――から預かった物はどうなったのです?そんな物は最初からなかったのですか?」

 今まで、ずっと沈黙していた顔役さんが一同を代表するように、最後の核心に話を向けた。

「そのことですが、今、ソビエトで監禁されている、溥傑氏の証言では、『そんな物はない』とのことです。GHQ初め、当局は、こちらの証言を重視しているようです。一介の家庭教師、しかも若い娘に、そんな大事な物を預けるはずがない、と。まあ常識的な判断でしょう。片や、そんな物があるという噂の元は、敗戦が決まったばかりの兵士の、しかも臨終の高熱状態での証言。それの又聞き、というものですから、どっちを選択するか、明白でしょう」

「では、本位田さんの臨終の話は、嘘だったってことですかな?」

「それか、百合子さんが本位田さんに語った話が、嘘だったってことですね?」

 顔役さんの質問を補足するように、千代は探偵さんを問い詰める。

「と、当局は判断した、ということです」

「それはつまり、どういうことですかな?年寄りの頭ではさっぱり訳が解らんが、千代さん、あんた、解るかね?」

「顔役さん、私にも解りませんよ。ただ、まだ重要な物がある可能性はある。けれど当局は手を引いた、そんな物はない事にして……。そういうことじゃないかしら?」

「いや、いや、本当に驚いた、脱帽です。その通り、当局は、可能性が余りにも低い、こんなことに構っていられない、そういう結論に達したのです」

「そんなら、百合子さんに直接訊けば、エエがやないですか?」

「お寅さん、いや失礼、女将さんのおっしゃる通りです。本人に訊けばいい、でもまだ訊ける状況ではないのです。そして、尋ねても答えてくれないでしょう……。僕はこう思うんです。これは僕の個人的な意見です。たとえ、そのような物があったとしても、今更、公表する必要はないんじゃないかと。『臭いものに蓋をする』という考えではありませんよ。この物語は、百合子さんと本位田君の純愛から生じたものです。この世でたった一人の相手、と信じたからこそ、百合子さんは秘密を打ち明けた。本位田君は本来なら、命を掛けても、その人を守りたかった。しかし、病に倒れ、帰還の夢は叶わない。親友の横溝君を頼るしかなかったのでしょう。百合子さんを守ってくれ、と……。

 今、百合子さんに対する危険は無くなりました。そんな物はなかった、と結論付けられた以上は。本位田君の願いは叶ったのです。もう、これ以上の追及は、誰も望んでいません。僕の調査もここまで……、です」

 千代は思わず、目頭を押さえた。そうだ、若い二人の純愛の結末は、例え二度と逢えない死別であっても、不幸な結末ではない。まして、形見の子供がいるのだもの。

「そ、その、お子さんは?里子に出したという百合子さんと本位田さんの忘れ形見のお子さんですよ。」

 と、言葉が出てしまった。

「ご安心を」

 と、答えたのは百合子の叔母であった。

「百合子さんの目も治るとのことですし、誰の子とも解らんかった、前とは違う。『本位田さん』ゆうたら、岡山でも有名な、旧家やそうで、そんなご縁ができてたなんて、喜んで里見家の跡取りとして、迎えさせていただきますきに、百合子さんと一緒に……」

       

 探偵さんの話が終わり、集まっていたお客たちは、それぞれの帰途に就いた。まず、猪口屋の悦子、よっちゃん、顔役さん。その後、百合子の叔母に当たる、里見家の女主人が丁寧にお辞儀をして帰って行った。

「さあ、我々も帰るか」

 と、ゴマ塩頭の刑事が同僚の若い刑事を促した。そして、途中で、立ち止り、振りかえると、

「××いちさん、イソガワさんに、田中がよろしくと言っていた、と伝えてください」

 と、言った。早口で、何と言ったか聴き取り難かったが、探偵に向かって言ったことは、千代にもわかった。

 残ったのは、探偵と先生。お寅さんと千代はここが、自分の家である。何を喋ったらよいのか、千代は言葉が出てこない。

 探偵さんも荷物の背嚢を肩にかけ、帰ろうとしている。猪口屋でなく、遠い所へ……。

「女将さん、若女将さん、御達者で。僕は次の事件の依頼が舞込んで来ましたので、これで、失礼します」

 と、探偵さんの方から声をかけてくれた。

「どちらへ?」

 と、千代が尋ねると、

「岡山県の鬼首(おにこべ)村というところです。その前に、横溝君の叔父上に、今回の事件の報告に上がりますけど、何か、横溝君に伝えることがありますか?」

「いえ、何も。唯、お元気でしたら、それだけです」

「解りました、便りを書くよう、伝えますよ。横溝君は若女将さんのことを、大変気になっているようですから……」

 と、冗談を言うように笑って、探偵さんは言葉を続けた。

「では、若女将さん、お体を大切に、元気な赤ちゃんを産んでください。来年の春ごろかな?」

(えっ、何で知ってるの。亭主もお母さんも、誰も知らんことやのに……)

「ははは、驚いてますね?いつも、僕が千代さんの推理力に驚かされていたから、最後にお返しです。こう見えても僕は『名探偵』ですから。何、種明かしをしたら、千代さん時々、お腹に手を当てたり、摩ったりしてましたよ。特に、僕が百合子さんのお腹に、本位田君の赤ちゃんがいたことを話した時に。しかも、痛いんじゃなくて、楽しそうに。どうです、当たっているでしょう?若女将さんは、名探偵といえば、『明智小五郎』を思い浮かべてましたけど、今に僕の名前を思い浮かべるようになりますよ、きっと……」

 では、これで。と深々と頭を下げ、例の人懐っこい笑顔を浮かべ、探偵さんは颯爽と、秋の気配のする道を遠ざかって行った。

      

「そや、私、探偵さんの名前、聞いてない。先生、先生はこの前、名刺、見たやろ。何て書いてあった?」

 隣で、探偵さんの後ろ姿を見送っていた、アラカン先生はちょっと困った顔をして、

「最後まで、見んうちに取り返されたからなぁ、はっきりは覚えとらんが、確か『私立探偵 かねだ』なんとかやった」

「この前、名刺を読んでた時、先生『私立探偵かね』って言ってたのは、『・・かね?』って、疑問の言葉じゃなくて、名前の一部だったの?」

 と、千代は自分の早合点を知らされて、驚いた声を上げた。

「その、『カネダ』って、どんな漢字?」

 と、追及する。

「普通の金に、田んぼの田、じゃよ」

 と、先生は、少し憮然と答える。

「でも、その続きがあったんでしょう?さっき、刑事さん、探偵さんのこと『××いちさん』って呼んでた気がしたけど……」

 と、なおも追及の言葉が続く。

「そんなら、『かねだいち』って名前だろう。名刺には『金田』って文字。はっきり覚えてる。」

「先生、国語の先生らしくないでぇ、『かねだいち』と書いて、『きんだいち』と読むやないの。国語の辞書作ってる、有名な人、『金田一京助』っていう人、おるでしょう?」

「そや、『きんだいち』っていうんや」

「先生、『宝石』って雑誌、知ってる?探偵小説が沢山載ってる雑誌なんやけど、うちの人がこの前買って来てたんよ。今その雑誌に『獄門島』って話が載ってるの。その話の主人公の探偵さんが『金田一耕助』っていう名前なの。しかも、小柄で、モジャモジャの頭で、どもる癖があって。物語の始まりは、金田一が南方から、復員してくるところからなの。どう、今の探偵さんと、瓜二つでしょう?それだけじゃない、舞台は『岡山県と広島県との県境に浮かぶ島』、作者が『横溝正史』、これって偶然にしちゃあ出来過ぎですよね……?」

    後篇につづく……

        

   

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