2-4 『龍退治』、出発

「行くぞ」


 そんな言葉がミカエル・ルビーにかけられたのは放課後のこと。

 声の主は彼の同級生であるルシファーだった。


 午後の授業に一切姿を見せずに何処へ行ったのかと思っていたが……いや、実際彼は何処へ行っていたのだろう。背には大きなバックパックを背負っている。

 その背後にはふんすふんすと息巻くマリア嬢の姿も。


 なるほど、とそれだけでミカエルは状況を察した。


「おや、随分と準備が良いじゃないか! 旅路は数日になる、余は構わぬがその間学園に登校できぬぞ?」


「問題ない」


 ふと。

 なんてことない、何時もの彼の無感情で無感動な無味乾燥とした言葉にミカエルは不思議と苛立ちの匂いを感じた。


 何故だろう、と考えてみるも思い当たる節もなし。昼に行った屋上での会話でも彼はいつもの様に変わらぬ様子であった。

 ちらり、とマリア嬢を見るも彼女は彼女で変わらぬ様子。明るく快活で、穢れなき日差しを思わせる視線をこちらへと向けてくる。

 彼女はルシファーの感情の些細な違和感に気が付いていない。


 なので、直接聞いてみることにした。


「ルシファーよ。何故そのように感情を昂らせておる? 気に障る出来事でもあったのか?」


「……なんでもない。お前には関係のない話だ」


 取り付く島もない、とはまさにこのこと。僅かな怒りを、注意せねば気付かぬ感情の揺らぎを漂わせながらも彼の返答は淡泊でそっけない。


 と、そこに。


「ちょっと、ルシファー様? 午後の授業はどちらに行っていらして?」


 銀の髪の、ミカエルの『聖女』でありルシファーの『婚約者』であるエヴァ嬢が歩みを寄せてきた。その視線は完全にルシファーのみに向けられており、マリア嬢はおろか『勇者』でありこの国の王子でもあるミカエルにすら向けられていない。

 そして。


「アナタがそのような素行不良を取っておられると婚約者であるワタクシの品位をも疑われ……ねぇちょっとっ!? 何をしているのですか放しなさいっ!?」


 そして、ルシファーに近づいた彼女は彼にひょいと抱えられてしまった。抱きすくめる、というよりも運ばれる、に近い持ち方だ。右腕一本でエヴァ嬢の腰を持ち上げて、彼は教室の掃除用具の入ったロッカーへと向かい……。


「悪いが……いや、全然悪いとは思っていないが。今はお前の相手をしているほど暇じゃないんでな」


 ロッカーの中身を床へとぶちまけた彼は、その中へとエヴァ嬢を放り扉を閉めた。

 そして、取っ手口となる部分を強引に握り潰す。金属製のロッカーが歪む。


「静かになったな。ミカエル、用件は分かっているだろう。さっさと付いて来い」


 全然静かになっていない――ロッカーの扉を叩く音とエヴァ嬢の高い声が響く教室を背にルシファーはそれだけ言って再び教室から姿を消した。


 その一瞬とも言える一幕に、流石のミカエルも面食らい絶句せざるを得なかった。


 そんな彼の元にトテトテとマリアが近づく。


「さっ! 行きましょうミカエルくんっ! 師匠がいれば『龍退治』の試練なんてらくしょーですよ!」


「……いや! 貴様から話に聞いていたが彼は凄いな!? 自身の婚約者にあの仕打ちか!? 何故アレでエヴァ嬢に見限られぬのだ!?」


「えっと、何か変でしたか? 師匠は、ルシファーくんは普段からあんな風ですしエヴァさんもいつも懲りもせずに突っ込んでいくのでワタシはそういうものだと思っていたのですけど。それに……」


"……それに、直接暴力に訴えていないだけ今日の師匠はとても優しい方ですよ? ワタシなんて毎日エヴァさんよりも酷い目に合っていますし!"


 そんな恐ろしい発言をマリアは残した。


――――


 『龍退治』の試練は学園のある都市部からちっとばっかし離れた場所にある僻地、その森ん中のそのまた中にある洞窟の奥に棲まうドラゴンを退治するという試練だ。


 このドラゴンはこの世界で普通に存在する、けれど日常生活ではそう簡単に遭遇しない危険生物だ。前世の日本でいう所の……クマのような存在だろうか?

 別に1体しか存在しない訳でなく、ドラゴンの中にも種別差や個体差がある。


 して『失楽園と夢幻郷』の王子様ルートでのドラゴンだが、こいつはまぁ、そう強い種類のドラゴンではない。ちょっとばかし魔術の効きづらい鱗を持ってるだけの翼があって火を噴くだけのオオトカゲだ。

 ま、それも当然っちゃ当然だわな。ゲーム開始早々のイベントにクソバカ強ぇ敵なんざ出されたらクソゲーも良い所だ。


 とはいえ、それはあくまでゲームの都合の話。この世界の常識としてはドラゴンは1体を独力で討伐出来るだけで英雄視されるほどの存在である。

 前世基準で考えても、単身クマと戦い勝利した人物なんて最高にイカしたヤツだからな。きっとそんな感覚なのだろう。


「師匠っ!? 本気ですか!? 本気で『龍退治』を手伝ってくれるのですか!?」


「……師匠ではない。それに、何故お前がそう喜ぶ」


「嬉しいですよそれは! だって、師匠がミカエルくんと仲良くしてくれるだなんて思ってもいませんでしたから!」


 仲良く、だぁ?


「オレはアイツと仲良くなどした覚えはないが」


「いえ! 困っていることのお手伝いをする、これは十分仲良しさんの証ですよ! これでもう師匠とミカエルくんはお友達ですね!」


 ダチのハードル低すぎるだろコイツ。

 それに、仮にダチになるとしてもせめてそれは試練の後じゃねぇか? 何かしらあった後にそういう関係にはなるもんだろうが。決して前じゃねぇ。


 それに、オレは『龍退治』を手伝う訳じゃねぇしよ。結果的にそういう形にはなるかもしれねぇが、オレはゲームのシナリオ通りに世界が動くことが気に食わねぇだけだ。ソイツをぶっ壊す、試練が成されんのはそのついででしかねぇ。


 午後の授業をすっぽかし、オレは自宅たるボロ小屋、『ダークネス家』までやってきていた。


「……あれ。師匠って公爵家のお貴族様ですよね? どうしてこんな小屋に用事が? 確か一度お家に帰るって話じゃありませんでしたっけ?」


「ここが家だ。事情については気にするな、お前には関係ない」


 そう言って家の扉を開く。


 自宅には、いつもオレの身支度だのを管理する宗教女が1人。驚いたような息を飲む音が聞こえた気がしたが、実際にどのような表情をしているのかはフードで隠れよく分からない。


「おい」


「ひゃっ、ルシファー様!? 何故この時間帯にご帰宅を!? また問題事ですかまたですかっ!? それに後ろのその方は誰ですか!?」


 オレの声掛けに正気を取り戻し喧しくなった、この1月で随分と馴れ馴れしくなったその女の反応を無視してオレは告げる。


「放課後……そうだな、あと2時間ほどか。それまでに3日分の食料を用意しろ。それと旅に必要な道具一式もだ」


「意味が分かりませんよホントに!?」


「早くしろ」


「……あぁもぅ分かりました! 教皇様直々に頼まれたコトもありますし、頑張りますよやればいいんでしょうもぅ!」


 叫ぶと女は小屋の中の機械を使って何処かへと連絡を取り始めた。


 これでいい。

 何故かは知らんが、『第一聖教会』のヤツらはオレが要望した物はよっぽどの無茶なモンでない限り取り寄せてくれるからな。これも『暗黒神』の封印を解く鍵の特権か? 前世で『姐さん』から聞いた、古代南アメリカの生贄の儀式、その贄に与えられる贅を想起させてきやがる。


 なんだって『姐さん』はあんなに多趣味で悪趣味で、さらにそれを色々とオレに押し付けてきやがったんだ。

 気分を悪くしたオレはそう内心で悪態を吐くが、それももはや前世の話だ……そもそもオレじゃあどう足掻こうと『姐さん』には勝てねぇしよ。


「……あの、家には入らないんですか?」


「入る必要がない」


 物思いに耽るオレにおずおずと、そう問いかけていたマリアに言葉を返す。


 小屋の扉を閉め、壁を背にオレは座り込んだ。

 そこに、少しだけ遠慮したような距離を離しマリアもしゃがみ込む。


「でも……ふふっ」


「なんだ」


「あぁいえ、バカにしたとかそういう笑いじゃありませんよ? ただ、ルシファーくんってお家の人にもあんな感じなんですね」


「アレはオレの身内ではない。ただの使用人、のようなものだ」


 それにあんな感じってなんだ。


「あ、そうでした。お貴族様ってお手伝いさんとかいますものね普通。なんだかこの小屋が、どこにでもありそうなそんな小屋だったからついてっきり」


「……お前は、何故付いてきた」


「え。師匠が嫌がらなかったからですけど。師匠がいるのなら、その『龍退治』がどのくらい大変な試練なのかはよく分かりませんけれど、まあきっと大丈夫だろうなって思ったんです。だからワタシ、師匠のカッコいい所見たいなー、って」


「嫌がらなかった、だと?」


「はい、そうでしょう? だって、ワタシに付いてこられるのが嫌だったならいつもエヴァさんにやってるみたいにしてきっと置いていくでしょう? それがなかったので、あ、これ付いていっていいんだやったー、って。……え、もしかしてダメなやつでしたか……?」


 オレはそれに無言で以て答えた。


 ……嫌じゃない、か。

 確かに嫌ではない。マリアはミカエルを『勇者』として選んでおらず、そして『龍退治』のドラゴンもオレが倒す。シナリオ通りの展開からはどうあっても大きく逸れる。だから、マリアが同伴することは問題ない。


 それに、オレはこの女が嫌いという訳ではない。むしろ気に入っている部類だ。

 ……迷惑な運命を持ち込まない限りは、だが。


 それっきり、会話はなく。


 しばらくして、『教会』の紋章が入った馬車が荷をこの場所へ届けるまでの間。

 オレと彼女の間には、奇妙な沈黙だけが流れていた。


 そして――荷物を受けっとったオレ達は一度学園に戻りミカエルを回収し、『龍退治』へと出発した。

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