2-3 ある悪役令嬢の日常
いつも通り、日の出の少し前の時間に自然と目が覚めた。
今日は……そう。『国立第一魔法剣士学園』に入学して約1ヶ月。数日ほどの休暇を終えて久々に学園へと向かったその翌日だ。
枕元に備えられた呼鈴型の魔道具を鳴らす。すぐにダイヤモンド家の使用人が部屋に現れ、身支度の準備を手伝ってくれる。
そのいつものルーティーンに内心感謝の気持ちを抱きつつ、彼女は――エヴァ・ダイヤモンドはそのことを態度には表さない。
それは、使用人達が自身の身支度等の身の回りの世話を行うのは彼女達の仕事であり、彼女達の家系が代々受け継いできた誇りでもあるからだ。彼女達にとってダイヤモンド家の一族に『使われる』ことは当然であり、決して感謝されることではない。彼女らとて自らの雇い主が無駄に感謝したりすることはさぞ居心地が悪いだろう。自分のことを自分で行うなど、仕事を奪うことと同義であり以ての外だ。
それに、エヴァ自身自らの立場を理解している。
クリスタル家の長女。一人娘。『ダークネス家』に嫁ぐことが決まっているために彼女自身は『ダイヤモンド家』を相続することはないが、おそらく将来授かるであろう娘か息子が家を継ぐ。
であれば、その母として相応しい威厳ある態度を今の内からこの身に刻み込まなければ。
それ故に彼女は感謝を内心だけに留める。
口調は厳しく、自身が使用人を使うことを当然であると。そう周囲に認めさせる在り方でなくては。
「ご苦労。下がってよろしくてよ。食事はいつも通り、ワタクシ1人で頂きます」
そう告げて使用人を下がらせる。不要かもしれないと感じながら、自身の存在で気を使わせないようにと、そう考えての彼女なりの配慮だった。
王家に次ぐ権力を持った公爵家に相応しい、大きく広い屋敷の中を1人歩く。
――いつから、この家の中でワタクシは1人になったのでしょうか。
そう内心で考えながら、食堂へと足を進めた。
父と、母と。
事務的な、必要な事柄以外の内容の会話をいつしかエヴァは行わなくなっていた。
両親のことは、決して嫌いではない。むしろ大好きだ。愛していると言っても良いかもしれない。
しかし、年齢を重ね知識と自意識が積み重なるにつれ、エヴァは自分と両親の間に決定的な齟齬があることに気付いてしまった。
自分の両親は、平等と平和を謳う『第一聖教会』の熱心な信徒だった。神なる者を崇め、その存在の庇護下の元に和平と秩序を願う、敬虔な信徒であった。
その思想そのものは決して珍しいものではない。『第一聖教会』は『エデン』で最も広く信仰されている宗教であり、平等や平和は誰しもが願う希望だろう。それは、特権的な階級を持つ貴族でさえ例外ではない。
しかし、エヴァにはその思想が理解できなかった。
「……ふぅ」
用意されていた朝食を摂り一息。窓の外を見ると、ようやく太陽が昇り始めた頃合いだった。
いつもの日常。定例通りであれば、もう数十分もすればエヴァの両親が目を覚ます。
それまでに家を出ましょう、とこれまたいつも通り彼女は内心で独り言ちた。
食後の紅茶を楽しむ余裕はあるが、あまりゆっくりとし過ぎていると父母と顔を合わせ気まずい気分になってしまう。
――エヴァには、神という存在すら不確かな者に縋る感覚を理解することが出来なかった。
理屈は分かる。その思想理念自体は理解出来る。
神、という人知の及ばぬ上位存在によって平和を、平等を与えられる。
それはきっと、幸せな世界なのかもしれない。誰もが幸福で格差がなく、争いもない素晴らしい世界なのかもしれない。
しかし、その世界は。
そんな素晴らしい世界を求める手段が、『自らの存在よりも上位な何者かから与えられる慈悲』であることが、エヴァは受け入れることが出来なかった。
幸福を願うことも求めることも良い。それは当然だろう。しかしそれは人の、人間の自らの意思と行動で勝ち得なければならないのではないか。
『存在すら曖昧なよく分からないナニカ』から与えられるべきものではない……両親から『教会』の教えを聞く度に、そうエヴァは思うようになっていた。
だから。
だから、両親と顔を合わせるのはとても気まずい。
思想、宗教観は自由であるべきだと思う。それは否定されてはならないものだと思う。
しかし、自らの近しい者が自分と異なる思想を持ち、自分はそれを受け入れることが出来ない。そのことをエヴァは、とても悲しいことだと感じていた。
鼻を抜ける紅茶の香りと喉を通る液体の熱は数瞬で冷めてしまった。
エヴァは化粧室へ向かうと再び呼鈴で使用人を呼びつけ、完全に朝の身支度を済ませる。髪を結い軽く化粧をし、香りが強くなり過ぎないように香水を纏う。
「馬車の準備は?」
「出来ております」
「そう」
初老を迎えそうな使用人に確認を取ると、エヴァは軽い返事だけで部屋から、屋敷から外へと向かった。感謝の気持ちは常にあれど、立場がそれを言葉にすることを許さない。
使用人達に見えぬようため息を1つ。
「……誰か。この世界の仕組みを壊してくれないかしら」
「お嬢様?」
「――なんでもありませんわ」
誰にも聞かせる気のない呟きを残し、彼女は馬車へと乗り込んだ。
――――
学園に着く。
馬車から降り、御者に挨拶することなく校舎へと足を向けた。
学園内は、とても居心地が良い。
多くの者が賢く優秀で、学びの環境は整っており、何より自由だ。
ここでは両親にも従者にも気を遣う必要がない。
公爵家の娘という立ち位置と学年次席という成績故か、大抵の同級生は自身を慕うような態度で従順なのも好ましい。
内心の意図はともかく、少なくとも態度としては自身にストレスを与えてこない。それがエヴァにとって非常に都合が良かった。
……一部の例外を除いて、だが。
「おぉ! エヴァ嬢ではないか!」
その例外の1人、不本意ながら自らの『勇者』であるミカエル・ルビーのその声に、エヴァの表情は先ほどまでの穏やかなものから辟易としたそれへと変わった。
「……ごきげんよう、ミカエル様」
「うむ! くるしゅうない! 相変わらず貴様は今日も美しいな!」
「ありがたきお言葉です。それでは」
「待ちたまえっ!」
挨拶もそこそこに立ち去ろうとしたが、彼に呼び止められてしまった。これが相手が自身と同等、あるいはそれ以下の立場であれば無視しても良かったのだが……相手は王族、そして仮とはいえ自身の『勇者』だ。無下には出来ない。
「……何用でございましょうか。手短にお願いします」
「はっはっはっ、何時もと変わらぬ冷徹な態度! 実に良い! 氷を思わせる貴様の美しさに良く映えるではないか! だが、パートナーたる『勇者』である余にその態度とは感心せぬぞ! 少しは胸襟を開いてはどうだ!」
「僭越ながら、それは仮初の関係ですので。ワタクシのパートナーは唯1人、そう心に決めていますわ」
ミカエルはその言葉に一切気分を害した様子を見せず、むしろ物珍しいものを見たかのような好奇心溢れる表情を浮かべた。
彼は自分の王族という立場を理解しているのだろうか。
そうエヴァは何度目かの疑問を抱く。
己が操を賭けたが故の発言であったが、先ほどのそれは不敬以外の何物でもない。だというのに彼は愉快だという表情を隠そうともしない。
もしかしてこの王子は知能が低いのでは?
不敬極まる疑念を抱くエヴァに彼は。
「であれば、やはり余の『龍退治』には同行せぬと申すのか!」
「……えぇ。僻地へ殿方と2人で赴くなど、ワタクシには出来ません」
数度目の断りの言葉を告げる。
それに対しやはりミカエルは機嫌を損ねることなく頷く。
「で、あるか。良い、貴様の貞淑さはこの1月で理解していたからな。正直に申すと断られることは想定内だ。むしろ数度と誘い続け、今回了承されていたならば驚いていた所だ!」
良く、分からない人。
エヴァは笑いながらそう言い残し去っていく『エデン』の第一王子の背を見つめながら、そう思った。
しかし、不思議だ。
何時もであれば、もう少しばかり『龍退治』の試練に同行してくれと粘るのが彼であろうに。別の戦力のアテでも見つけたのであろうか。
そう首を傾げるエヴァの元に……。
「…………」
もう1人の例外が現れた。
漆黒の髪と、暗黒の瞳。妖しい色気のある貌からはどのような感情も読み取れない。高い背丈に細くもしっかりとした肉付きの体は、外見だけならば大多数の女性の憧れを集めるに余りある魅力を放っている。
そう、外見だけならば。
「…………」
エヴァは彼へと――自身の婚約者であるルシファー・ダークネスへと近寄ると、高い位置にある彼の頭部へ一撃。
入学当初のような平手ではない。拳を固めた一撃を頬に入れた。
昨日の放課後、彼に殴り飛ばされたことに対する報復だった。
柔らかくも硬い、不思議な感触が殴った拳に伝わる。ここ数日で慣れ親しんだ、野蛮な暴力の感触。今まで知らなかった感触。
そしてそれを受けたルシファーは。
「良い気骨だ。動きも以前より良くなっている」
無表情で彼女の腕をそっと掴むと、軽い動作で振り払った。
優しく軽いその腕の動きは、しかしエヴァが抵抗できない程に力強く彼女はたたらを踏むようによろけてしまった。
無表情、無感動。何事もなかったかのように平坦な声を向けてくるルシファーに、形容しがたい感情が胸中へと込み上げる。
"……いけませんわ。一発には一発。それ以上は、不当な暴力でしかありませんもの"
理不尽かつ不当な暴力を受け続けている当人でありながら、エヴァは感情を飲み下すと腕を組んでルシファーを睨みつけた。
「相変わらずの態度ですわね。まるでこの世界で自分が一番偉いのだと、そう思い上がっている様ですわ」
「……お前も相変わらずだ。いい加減、オレに関わるのは止めろ」
「いいえ。それは認められませんわ。アナタはワタクシの婚約者でしてよ、理解なさっているのかしら。それに来月の『選定式』でアナタはワタクシの『勇者』になるのですわよ」
「……ふん」
何を考えているのか分からないまま、ルシファーは校舎へと足を進めた。
……今の自分は彼よりも劣っている。次席、という確かな事実がそれを証明している。
だからこそエヴァはその背を黙って見つめ続けるしかない。彼を『勇者』にするには、婚約者たるルシファーダークネスに自分を認めさせるにはきっと、彼を上回り屈服させる必要がある。
主席を、取る必要がある。
「今に見ていてくださいませ。必ず、ワタクシはアナタを手に入れてみせますから」
幼少期に捧げると誓った己が純潔を胸に決意を改めるエヴァ。
そんな彼女の脇を通り抜けるように、駆けて行く亜麻色の髪。
「師匠ーっ! おはようございますっ!」
エヴァの婚約者に飛びつくように――事実、飛び掛かり躱され、地面へと猛烈なランデブーをかました少女。
マリア。マリア・クリスタル。平民上がりの、立場や責務を理解せずにエヴァの婚約者に手を出す、気に入らない女。自分よりも立場も成績も低いくせに、彼により多く構われている、気に食わない女。
ギリ、と自身の奥歯が軋む音を自覚する。
力が必要だ。
何を成すにも、力が必要だとエヴァは思った。
自身の婚約者に振り向いてもらうにも。
神などに頼らぬ平和を――両親と共通の価値観を得られる世界を作るにも。
権力も、財力も、戦力も、魅力も。
何を成すにも力が必要だ。
"……焦ってはいけませんわ。ワタクシはワタクシの出来ることを、出来る範囲で、最高効率で。それしか出来ないのですから"
苛立つ心を静めるように一呼吸。
彼の、彼女の背から視線を背ける。
周囲には、学園に到着しだした同輩が増え始めていた。
彼ら彼女らのあいさつに答えつつ。
そうしてエヴァ・ダイヤモンドの日常は今日も始まりを告げた。
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