第30話 弱みを握って握られて
私とグレンさんの隠れていた使用人部屋に来たのは、あろうことかゲイリーだった!
グレンさんの腕で首を押さえられ、短剣を突きつけられているゲイリーは、驚きと戸惑いの表情で声を絞り出す。
「おっ……おまえらこそ、こんなところでなにを……! きゅ、休暇でリネルに行ったんじゃないのか!?」
「さあ、そうでしたか?」
「と、とぼけるな……! くそっ、なんなんだよ! 腕を放せ、養子野郎が!」
どうしてこう偉そうなんだろ!
「腕を放しちゃダメですよ、グレンさん」
半眼でゲイリーを見つめながら言うと、グレンさんは「当然です」と返答した。
「で? 貴殿こそこんなところでなにをしているんですか?」
「それこそおまえに関係ないだろ」
グレンさんの腕の力が強まる。咳き込むゲイリーに、グレンさんは冷たくたたみかけた。
「ビリンガム侯爵の指示ですか?」
「ち、違う! 閣下はワインの飲みすぎで応接間で眠ってる!」
「じゃあ、貴殿はヘクターの目を盗んで、金目のものでも漁りに来たんですか」
「し、執事は閣下に使いに出されて、チーズとハムを買うため村に行った! だから、あいつの目を盗んでるわけじゃない!」
そんなことどっちでもいいんですよ! 思わず私もつめ寄った。
「金目のものを盗もうとしたんですか!?」
ゲイリーは苦しげに表情をゆがませる。
「そ……それはついでだ」
は?
「「ついで?」」
私とグレンさんの声が重なる。
ゲイリーはとにかく息がしたいらしく、グレンさんから逃れようとするかのように必死にまくしたてた。
「ウェイン殿下に頼まれたものを探しに来た。そ、そのついでに金目のものを探そうと思っただけだ。賭博の借金が親に知られたら、勘当されちまうからな!」
情報量がすごい。いや、大事なポイントは前者だし!
「頼まれたものとは、なんですか」
さすがにそれは言えないと、ゲイリーは舌打ちする。
「それを見つけたら、貴殿にはなにか褒美でもあるんですか」
「そんなものはない。殿下は友人だぞ」
そう思っているのはあなただけでは……? なんて、たとえこの人が憎たらしくてもさすがにかわいそうで言えない。
グレンさんがゲイリーをにらみすえた。
「では、こうしましょう。俺の質問に答えてくれて、なおかつ俺とマックがここにいたことを誰にも話さないと誓うなら、貴殿の借金を俺が全額肩代わりします」
ゲイリーが目を見張る。
「ま、まさか……いや、おまえごときにそんなこと!」
「自慢ではありませんが、俺はほとんど金を使わない。そんな機会もないので財産だけは山ほどあります。返済期限はなし、無利子で貴殿に貸し付けますからどうぞお好きに。そうすれば、ご両親に賭博の借金を隠せるのでは?」
ゲイリーはつばを飲み、押し黙る。借金の金額を訊ねるグレンさんに、ゲイリーは間をおいてからぼそりと答えた。グレンさんは驚くこともなく、わかりましたと返答する。
しばらくして、ゲイリーが言った。
「……腕を放せ。逃げたりしない」
弱みを握られたゲイリーは、牙を抜かれた虎みたいだ。グレンさんが身体を放すと、床に座り込んで何度も咳き込み、うなだれた。
「この屋敷のどこかに山羊革の手帳がある。ほかの部屋はすでに探して見つからなかったから、使用人部屋に隠されてあるのかもしれない……とのことだった。誰の手帳で、どうして探しているのか訊きたかったが、殿下を怒らせたら西官舎から追放されて、おまえらのいる東に異動になるかもしれない。だから、深くは訊ねていない。あとは察しろ」
グレンさんが私を見た。
山羊革の手帳って、まさか――?
「――エブリン伯爵の手帳ですか」
グレンさんの問いに、ゲイリーは苦笑する。
「言っただろ。勝手に察しろ」
床から立ち上がると首を撫で、グレンさんを見すえた。
「本当に貸してくれるんだろうな」
「貴殿が約束を守ってくれるのであれば、王宮に戻ったのち必ずお貸しします。しかし、もしも約束が破られたとわかったら、もちろん俺は一銭も貸さない」
グレンさんがゲイリーを見返した。
「そして、貴殿は破滅する」
ゲイリーは息をのみ、自虐的な笑みを浮かべた。
「おまえには虫酸が走る。そんなおまえに頼ろうとしている自分にはらわたが煮えくり返って、いまにも吐きそうだ」
「吐けばいい。自分でその後始末をするなら、ご自由にどうぞ」
ゲイリーが鼻で笑う。
「おまえみたいな底辺のほうが、実は王宮じゃ一番強い。くだらないしがらみから、いつだって自由でいられるからな」
夜遊びも賭博も西官舎の騎士のたしなみであり、がんじがらめなしがらみの付き合いのうち。
真顔でそう告げたゲイリーは、言葉を続けた。
「ムカついてたまらないが、手帳は見つからなかったとウェイン殿下には伝えておいてやる。しかし、ひとつだけ教えてくれ。おまえたちこそこんなところでなにをしてたんだ?」
グレンさんが言った。
「リネルには行きます。しかし、美しい湖畔のあるリネルは人が多いし、どこで誰に見られているかわからない、なので、人目につく前にどうしても彼と」
私を指す。
「二人きりになりたかった。それで知人だったヘクターを頼って、絶対に人目につきそうもないここを借り、数日だけ滞在することにしたんです。この部屋にいたのは、侯爵から隠れるためです。あとは勝手に察してください」
私を視界に入れたゲイリーの目が、いまにも落ちそうなほど見開かれた。
「そ……うなのか……?」
「そうです」
「おまえと、あいつが?」
「ええ」
「そういうことなのか?」
「そうです」
危険なラヴを匂わせる会話が謎に飛び交う。すごい。グレンさんの返答には一ミリの迷いがなくて、突っ込むすきもない。むしろ張本人の私ですら「そうだったかも?」って思いそうになってくる……ってそうじゃない! 本当の目的は全然違いますから!
ゲイリーがほくそ笑んだ。
「ふうん。お互い弱みを握ったってことか。なら、心置きなくおまえから借金できそうでいい気分だ。ま、とにかく黙っておいてやるよ。けど、王宮に戻ったら金のこと忘れるなよ」
「もちろんです」
ゲイリーはにやにやしながら、使用人部屋を出ていった。
静まり返った部屋にたたずむ私とグレンさんは、月明かりに包まれながら顔を見合わせた。
「無事、切り抜けました」
「そうですね……じゃないですよ! いや、ああいう理由のが深く突っ込まれないですむのでいいのかもですけど、ものすごい誤解が生じちゃいましたよ。しかも、あのゲイリーに!」
「そうですが、俺としては半分は真実なので、すべてが嘘というわけじゃない」
「…………はい?」
「真実です。半分は」
曇りなき眼で倒置法を使われたら、妙な説得力が増してしまうのでやめてください!……っていうか、そうだった!
さっき私、グレンさんとキスしたんだった!
これはもう誰がどう否定しても、間違いなくラヴ方向。私の経験値がもっとも低いそれ方向。
わからん。この先どういう言動をするのが女子として正しいのか、まったくなにも思い浮かばない。そのうえときめきとワクワクと恐怖が同時に襲ってきて、頭の中が混乱してきた!
「あ、あの……」
「なんですか」
「わ、私はこの先、どうするのがいいんでしょうか?」
「え?」
グレンさんが困惑する。
「なにかこう、あるじゃないですか。男女のオシャレな駆け引きっていうか、やり取りみたいな? そういう礼儀作法とか、もしもあるなら教えていただきたい……と言いますか?」
「そんなものはありません」
なかった。
「と、とにかくこういうシチュエーションが人生ではじめてすぎて、なにをどうするのが正解なのかさっぱり思いあたらないんですけども……?」
探るように声を震わせると、一瞬きょとんとしたグレンさんは、次の瞬間声を殺して笑い出した。
「……なるほど、すみません。どうやら俺の言動で困らせたみたいですね」
クスクスと肩を揺らしつつ、私の目の前でにっこりした。
「楽しいので、もっとあなたを困らせることに決めました」
「えっ!」
「でも、その前に」
驚く私に、グレンさんが言う。
「なぜかウェイン殿下の所望している、エブリン伯爵の手帳を探しましょう」
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