第29話 キスと乱入者
ビリンガム侯爵の登場によって、せっかくの休暇の目的が遅々として進まない事態になってしまった。
狭い使用人部屋に閉じ込められた私とグレンさんは、しばらく耳をすませて階下の様子を探った……ものの。
「豪快な話し声がうっすら聞こえる気がします」
「閣下がここから立ち去ることを、本格的にあきらめたほうがよさそうですね」
「……ですね」
空気を読まなそうな言動の閣下が、困惑するヘクターさんを押しのけて応接間に入り、長椅子に横たわっている図が容易に想像できた。しかもそんな閣下のそばには、ムカつく天敵のゲイリーまでいるとは!
ドア口に立ちながら苦々しく思っていると、ふいにグレンさんが自分のネックレスを取り出して手のひらにのせ、指輪を見つめはじめた。
「家紋の書物、見せてもらえますか」
はっとした私は、抱えていた書物を広げながら彼に近づく。
「王族系の月桂樹の家紋は……あったあった。このページからです」
書物を渡し、グレンさんと並ぶようにベッドに腰掛けた。
「いろんな種類があって、この家紋が指輪に一番近いような気がしたんですけど」
ページを広げたまま渡す。グレンさんはそれを足にのせ、自分の指輪と見比べはじめた。
「ノーフォード公爵家の家紋……たしかに似ている。というか……同じかもしれない」
「本当ですか?」
グレンさんが「どう思いますか」と私に指輪を見せてきた。広げられてある書物と見比べると、形や葉の数、細やかな装飾のすべてがびっくりするほど一致していた。
「お……同じに見えますね」
それまでは指輪を真剣に見たわけじゃなかったから、正直なところ半信半疑ではあった。でも、いまあらためて見てみたところ、似ているどころか同じすぎる。
庶民のお金持ちが真似をしたとしても、こんなに似ることなんてあるんだろうか。それともやっぱり盗まれたもの?
もしくは、本当にノーフォード公爵家のものだったりして!?
いったいどういうことだろうとドキドキしながら、指輪をグレンさんの手のひらに返す。
「この書物にある家紋ということは、いまはなき一族なんですよね?」
「……ええ。ノーフォード領は戦で敵国の領地となってしまったので、統治していた公爵家の人々も命を奪われ、ノーフォードの名とともに消えました」
そう言うと、眼差しを険しくさせる。
「ただし一人だけ生きのび、その子孫はおります」
「え? 子孫がいらっしゃるんですか?」
グレンさんがうなずく。
「前王妃の侍女にしてアシェラッド殿下の乳母、ゴードン伯爵夫人です」
いまはなきノーフォード公爵家の唯一の子孫である彼女は、早くに祖父母と両親を亡くして子爵家に引き取られ、ゴードン伯爵と結婚する。
子宝にも恵まれて独り立ちを見送ったのち、やがて伯爵を病で亡くすと王宮に呼ばれ、前王妃の侍女になったのだそうだ。
「前王妃って、アシェラッド殿下のお母様ですね?」
「そうです。高齢のゴードン夫人はとても聡明で、前王妃のよき相談相手だったとサイアム先生に聞いています」
アシェラッド殿下が産まれてからは、教育する意味の乳母として殿下に寄り添い、前王妃をサポートしていたらしい。
けれど、産後の肥立ちがよくなかった前王妃は少しずつ体調を崩し、殿下が三歳のときに他界してしまう。同じころ、陛下の公妾だった現王妃――エリーナ妃が身ごもり、ウェイン殿下が爆誕。その数日後、ゴードン夫人も前王妃を追うように病にかかって天に召されたのだった。
話し終えたグレンさんは、口を閉ざしてうつむいた。
「どうしたんですか」
「第三書庫の見張りをしていたとき、この書物も見たことがありました。あのときはさして気にもとめなかったのに、いまは気になってしかたがない」
息をつく。
「自分の出自など興味もなかった。牧師に教えられたとおり、自分を捨てた家族などたいした者じゃないと思っていたし、優しい義両親を本当に尊敬していたので。だから……」
指輪をそっと握る。
「……この指輪にある〝グレン〟という名が、ノーフォード公グレン・オルガートのものかもしれないと考えていることに、どう理由をつけていいのか迷っているんです」
――えっ。
「ノーフォード公グレン・オルガート?」
グレンさんがうなずく。
「ゴードン夫人の祖父です」
私とグレンさんは顔を見合わせる。
「じゃあ、その指輪は夫人が持っていたおじいさんの形見?」
「いえ……まさか。そんなはずあるわけがない。冷静に整理しましょう」
口を閉ざしたグレンさんの横顔を見つめる中、私も混乱してきた。
「……ということは、グレンさんはゴードン夫人のご子息……みたいな……?」
グレンさんが小さく苦笑する。
「いえ。夫人は高齢でしたから」
「じ、じゃあ、ゴードン夫人のお子さんたちの……?」
「あるとすれば、年齢的にそうなります……が、きっとこの指輪は誰かに盗まれたものでしょう。それがいま、俺のものになっているだけのことです」
そうかもしれない。でも。
「そうじゃないかもですよ?」
私の言葉には反応せず、グレンさんは疲れたように息をつき、窓の外を見た。
「もう日が暮れます。灯りがなくてはなにも読めないので、いったんやめましょう」
藍色に染まっていく空に、冷え冷えとした輪郭の月が浮かんでいる。
そんな光景を目に映すグレンさんの横顔は、やっぱりアシェラッド殿下に似ている気がしてならない。というか、なんならウェイン殿下の母上であるエリーナ妃の面影もなくもないような――。
「――え」
「え?」
目を見開いて固まる私を、グレンさんが視界に入れる。
「どうしたんですか」
ジェットコースターなドラマばりの妄想が、私の脳内に突如浮かんでしまった。それを口にするのはものすごくはばかられるけれど、もしも私の妄想が事実だったら、これまでの点が線になりそうで本気で恐ろしい。
なによりも、グレンさんの指輪を見てから第三書庫に入り浸るようになったエブリン伯爵と、その身の上に起きてしまったことのつじつまがあいそうな予感がしてきて、我ながら震えてきた。
「た、たとえばですけど……」
「なんですか」
ごくりとつばを飲み、意を決す。
「ちょっと思ったんですけど……というか、前からちょっと思ってたんですけど、グレンさんとアシェラッド殿下って、どことなく似てる気がしておりまして。むしろ、ウェイン殿下よりもグレンさんのほうが、エリーナ妃にも似ている感じがすると言いますか……」
まばたきを忘れているグレンさんの美しい顔が、ほの青い月明かりに照らされる。
「も、もしかしてですけど、本当の第二王子ってグレンさんだったりして……みたいな?」
グレンさんが息をのむ。
「だって、グレンさんとウェイン殿下って同じくらいの年齢で、もしも誰かが赤ちゃんだった二人を取り替えたんだとしたら? そういうことを前もって懸念していたゴードン夫人が、大切な自分の指輪をおくるみに隠して、真実の第二王子の出自の証となるように守ってくれたんだとしたら?」
微動だにしないグレンさんにかまわず、私は自分の考えをたたみかけた。
「もしもそれが本当だったら、めちゃくちゃ大変なことですよね? たぶん、二人を取り替えた犯人からしたらそれこそ断罪ものの罪だと思うんです。なので、その手がかりをつかんでしまったエブリン伯爵が、その犯人に罠をかけられたのだとしたら――」
グレンさんはまさかと苦笑し、一蹴する。
「さすがにそれはありえませんよ」
「そうですか?」
「ええ。とにかく、今日はもうやめましょう。話し声が階下に伝わっては大変です」
「そうですけど……。でも、そう考えたら」
「やめてください」
私に顔を近づけ、ぴしゃりとはねのけた。
「でも、もうちょっとだけ聞いてください」
「あなたの妄想はありえないし危険すぎる。いやです」
「どうしたんですか、グレンさん。もしもの世界のことなので、とにかくもうちょっとだけ聞いて――」
言いかける私の唇に、グレンさんのそれがいきなり重なった。
鼓動が跳ぶのと同時にわけがわからなくて、置物みたいに瞬時に固まる。すると、まっすぐに私を見つめたグレンさんは、
「やっと静かになった」
そうささやき、私から視線をそらすことなく言葉を続ける。
「あなたの言っていることはわかります。もしもそれが本当であれば、これまでに起きた点が線になるのも事実だ。でも、もしもそれが真実なら、伯爵は俺のせいで断罪されたことになる」
違いますよと言いたかったのに、私の口からは別の言葉が飛び出した。
「あ、あの。こんなこと訊く場合じゃないのはわかってますし、ちょっと話の筋がそれるのでなんなんですけど」
「なんですか」
「いまグレンさんの口……唇が、私の口に当たった? みたいな気がしたんですけど……偶然だったりします?」
グレンさんは真面目な表情を近づけ、さらりと答える。
「いいえ、意図的です」
「えっ」
「あなたを黙らせたかったので」
「だ、黙らせるならほかにも方法があるんじゃ……?」
「ありますか? 俺は〝やめてください〟と繰り返したのに、あなたはやめなかった」
「そ、そうですけども!」
私の腕を、グレンさんはもどかしげに静かに掴む。まるで、行き場のない自分の思いを、言葉以外で伝えようとするかのように。
「……あなたと同じことを俺も考えた。けれど、すぐに打ち消したんです。もしもそれが真実だとしたら、伯爵は俺のせいで断罪されたことになってしまう。そんなこと、絶対にあってほしくない」
――あ。
「そ、それは違いますよ。悪いのは犯人じゃないですか」
「もちろんわかっています、頭では。でも、思い返せば伯爵は幾度も俺になにか言いたげでした。いや、そうだったような気がする。わからない。とにかく――」
彼の手の力が強くなる。
「伯爵の思いを汲み取れなかった自分を、俺は一生恨むことになる。そんな情けない理由であなたを黙らせたんです、俺は」
私を見つめ、
「それと、あなたに触れる口実ができたと、一瞬思ったことはたしかです」
グレンさんの瞳がきらめく。頭の中が真っ白になって、心臓は早鐘を打ちまくり。いまにも口から飛び出して、どこかに走り去っていきそうな勢いすらある!
え、うそだ。またキスがくる? そんな場合じゃないのもわかってるけど、うわわわきそう!……っていうか、拒否るべき? それとも目を閉じる? いや、逆に開いておくべきなのか――!?
「――誰か来ます」
「え」
グレンさんは私の鼻先で動きを止め、視線だけをドアに向けた。
息を殺して耳を澄ますと、床を踏みしめる気配が伝わってくる。と、私から離れて椅子から立ったグレンさんは、ベルトの短剣の柄を静かに握った。
すっかり夜に包まれた暗がりの部屋で、ドアを見つめる。どうやら相手は使用人部屋のドアを一つひとつ開けようとしているらしく、鍵のかかっている部屋に入れない苛立ちからか、蹴っている音が聞こえてきた。
「ヘクターさんじゃないですね」
「ええ」
人生初キスのドキドキが、正体不明の乱入者へのドキドキに変わっていくのが残念すぎる!
荷物もあるし、隠れられる場所もない。グレンさんはベッドに座る私を一瞥し、
「そこにいて動かないでください。大丈夫、俺が守ります」
声を潜めてそう言った直後だった。
鍵の壊れているドアノブが押され、グレンさんが短剣を構える。瞬時に相手の首根を腕で押さえ、短剣を光らせた。
月明かりが、相手の顔の輪郭を浮き上がらせる。それを見た私は、グレンさんとともにあ然とした。
壁に押さえつけられている相手に向かって、グレンさんが言った。
「――こんなところでどうした? ゲイリー」
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