第15話 どっちですか疑惑
たとえ夢であったとしても、本物のシエラさんの言葉は見過ごせない。
シエラさんのお父さん――エブリン伯爵は、他国の密偵である証拠が発見されて捕まり、断罪された。証拠があるならしかたがないし、本当に密偵だったんだろうって諦めていたものの、もしかして違った?
――まさか、冤罪!?
どうしよう、ギラギラしてきて全然休まらない。
鼻水は出るけれどのどの痛みは和らいだし、咳も熱も止まった気がする。いますぐ動きたいけれど、風邪菌を王宮に撒き散らすのはいただけない。しかたがないので歯噛みしながら、ベッドの中で寝返りをうった。
もしもエブリン伯爵が無実だったとしたら、罠に嵌められたみたいなことなんだろうか。
ということは、そうなるように仕向けた黒幕がいるってことになる。
だったらどうして、黒幕はそんなことしたんだろ。グレンさんやサイアム先生の口ぶりから察するに、伯爵は誰かに恨まれるようなお人柄じゃないみたいだし、うーん……謎。
でも、そういう感情って主観的なものだから、第三者からしたら想定外の場合もあるわけで。意味不明な理由で恨まれていた可能性も、残念ながらなくもないかも。
だとしたら、その相手が伯爵を罠に嵌めた犯人なのかな。
じゃあ、それっていったい、どこの誰――?
――ふわっ。
布団から出ていた後頭部が、いきなり誰かに撫でられる。はっとして振り返ると、とっさに手を引いたグレンさんが、驚いたような表情で固まっていた。
「起きておられたんですね……」
そう言うなり、私の返事を待たず眼光を鋭くさせた。
「……どちらですか」
……ん? グレンさんは困惑する私を見つめ、どこかせつなげに眉をひそめる。
「マックか、それとも、もともとのあなたなのか懸念しています。熱を出されたことで、もしやご記憶が戻られたのでは……?」
言葉遣いが初対面のときみたいに固い。どうやらグレンさんは、シエラさんご本人の復活を本当に避けたがっているらしい。
でも、大丈夫。哀しいけれど、彼女はいない。いるとすれば、私の夢の中にだけ。
「マックですよ、グレンさん」
「本当ですか」
けげんそうに目を細めた。疑り深い。
「本当ですよ。グレンさんがここに連れてきてくれたおかげで、すっかり元気です。いろいろありがとうございました! もう熱も下がったので大丈夫ですし、記憶もまったく戻ってないです」
私が笑うと、グレンさんは倒れ込まんばかりに椅子に座り、安堵の息を盛大にもらした。
「そうですか……よかった」
グレンさんの心底安心したらしい様子に、私のほうがびっくりしてしまう。
「記憶はもう戻らないって、言ったじゃないですか」
「そうですが、熱を出されていたのでもしや、と……」
視線を落として、息をつく。
「もしも記憶が戻られたら、あなたではなくなってしまう。あなたにもう二度と会えないと思うと、気が気じゃなかった……」
そう口にしたとたん、気まずそうに目をそらす。
「……いや、いまのはただのひとりごとです。とにかく、ご無事でなによりでした」
そのとき、ふいに侍医さんの言葉が私の脳裏に蘇った。
――朝まできみのそばにいた。まるで、もう二度ときみに会えないとでも思っているかのように、肩を落として。
ああ……と私は遠い目をする。
たしかに、夢の中にあらわれたシエラさんのご様子からして、この王宮を復讐の舞台として暗躍しかねない勢いはあった。だからこそ、グレンさんはこんなにも彼女の復活を恐れているんだ。そりゃもう、気が気じゃなかったはずですよ!
「……もとの自分には失礼かもですけど、グレンさんの懸念、私もいまならわかります」
シエラさん、申しわけない。だけどそう思っちゃったんですよ、すみません!
グレンさんが戸惑った。
「いまなら?」
「はい。実はもとの私、夢にあらわれまして」
グレンさんがぎょっとした。
「あ、大丈夫です! 別人を見たような感覚だったので」
別人=真実です。
「もとの私、夢で晴らしたい思いを訴えていました。ものすごく強い意思がありそうだったので、あの私がもしもいまここにいたらと思うと、我ながら若干震えると言いますか……。なので、グレンさんが私だったとわかってほっとしたお気持ち、自画自賛になってしまいますがわかるなあと思った次第でして」
私なら、少なくとも暗躍はしないですから(っていうか、そんな高スペック能力ゼロなので)。
呆気にとられたグレンさんが、しばし押し黙る。と、なぜか自嘲気味な笑みをこぼした。
「……まあ、たしかに。それもですが……」
――ん?
「ですが? って、ほかにもなにか理由があったりす――」
「――いえ、ありません。断じて」
焦ったような食い気味で拒否された。そうですか。
「とにかく、もとのあなたではなくてよかった。それだけです。ちなみにですが、その夢で見た〝晴らしたい思い〟とは?」
父親である伯爵の身に起きた真実を明らかにすること。それにまつわる復讐を遂げること。
夢の中のシエラさんの言葉を伝えると、グレンさんは表情をこわばらせる。そんな彼を安心させるべく、私は笑顔を向けた。
「もちろん、私は復讐とかできる気がしないので、考えてないです。でも、せめて真実は明らかにしたいと思ってます」
グレンさんが目を見張った。直後、人の気配に気づいて口をつぐむ。衝立の奥に目を向けると、見覚えのある女性が侍医から薬を受け取っているところだった。栗色の髪を結い上げていて、小柄で痩せているあの人は、たしか。
「ビリンガム侯爵夫人の侍女、カッセル夫人です」
そうそう! ビリンガム侯爵夫人の飼い犬を逃してしまって、叱られていた方だ。
「たしか、マーゴットさんとかって呼ばれてましたよね?」
「そうです。おそらく侯爵夫人の代わりに、胃薬でもいただきに来たのでしょう」
ふとカッセル夫人がこちらを見た。グレンさんが近衛騎士の礼儀として立ち上がって会釈をすると、カッセル夫人は怯えたような笑みを浮かべ、軽いお辞儀をして逃げるように去った。圧が強めの主(※失礼)のせいで、少々人間不信に陥っていそうな気がする。人の集まる王宮にいるだけで、気を遣いまくって大変そうに思えてしまった。
「
「ええ。まあ、得意な者のほうが少ない場所です」
立ち上がったついでにと、グレンさんは立ち去る素振りを見せる。
「俺も
「えっ」
グレンさんが肩越しに振り返った。
「では、これで。伯爵のことについては、後日あらためて話しましょう。いまはゆっくりお休みください」
柔らかい笑顔とともに、そう言い残して立ち去った。
数々の言動の点が、いまの言葉で線になっていく。ほとんどぼっちの人生を送ってきた私だけれど、その意味くらいさすがに勘づく。
確証はない。でも、たぶんきっと――。
――グレンさん、私を友人としてしっかり認めてくれてるのかもしれない!
ああ、そうだったらいいな。もしもそうだったら、人生初の友達! しかも、ずっと憧れていた異性の友達だなんて信じられない。興奮してきた!
それもこれも、シエラさんの美少女容姿があればこそですよ。もともとの私だったらこんな展開になるわけないもの。
あらためて思う。シエラさんには、なんとしてでも恩返しをしなくては。
エブリン伯爵の冤罪疑惑、あなたの代わりに私が明らかにしますからね!
強く心にそう誓い、ベッドに潜る。そんな決意と興奮もいつしか冷めはじめ、やがて私は深い眠りに誘われたのだった。
* * *
翌朝。
まだ薄暗い早朝。侍医さんの許可を得て、元気いっぱいに医務院をあとにしたものの。
「……あれ?」
あるはずの場所に、我が家がない。誰かが移動させたのかもとうろうろしていると、官舎からバートさんが出てきた。
「おお、マック。元気になったか!」
「おはようございます、バートさん。お仕事を休んでしまってすみませんでした」
「気にするな。慣れない環境で体調を崩したんだろう。もういいのか?」
「はい、大丈夫です。それであの……僕の家が見当たらないのですが」
そのことなんだがと、バートさんはにこやかに腕を組んだ。
「壊れた荷台を放置するのは景観としてよろしくないと、厩舎の管理人がどこぞの貴族から注意を受けたらしくてな。昨夜急遽、敷地外に出すことになってしまった」
「え」
「そういうわけで、おまえの荷物は官舎に移した。身分を気にするなと言っても無駄だろうが、おまえも仲間だ。そろそろ官舎で暮らしてもいいんじゃないかと俺も考えていたから、いい機会だろう」
私は固まる。うそだどうしよう。王宮にいながらにして車中泊っぽいあの我が家での暮らし、居心地がよくなってきたところだったのに!
そんなバカな。マズいヤバい、めちゃくちゃテンパってきた!
「じ、じゃあ、ぼぼ、僕の部屋は……?」
やっとの思いで言葉にしたとき、グレンさんが官舎から姿を見せる。うっすらと明るくなりはじめた空の下、グレンさんの顔色は青空よりも青かった。
そんな私とグレンさんを尻目に、バートさんは晴れやかに告げた。
「おまえの部屋だが、先日新しい騎士見習いがほかの隊に入ったため、見習い用の部屋が埋まってしまった。だから、多少手狭になるが俺とグレンの部屋に簡易ベッドを置いた。しばらくそこで我慢してくれ」
なーんだ、そっか! 顔見知りのみなさんと同じ部屋ならめっちゃ安心♪……じゃねーですよ。
どこぞの貴族、一生許さない。
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