第14話 雨の夜と本当の目的
フィオナ様、かっこよかったなあ。
しみじみしながら第三書庫に戻ると、サイアム先生は帰るところだった。「遅かったね」と言われたので事情をかいつまんで説明すると、先生は呆れたような吐息を落とした。
「……ウェイン殿下にお付きの隊は、殿下に気に入られているだけあってどうしようもない」
同感です。
「ビリンガム侯爵閣下もお忙しいから、騎士らのすることにいちいち干渉しない。それも助長することになってしまっているのだろうが、一番の問題はウェイン殿下がそういったことを喜ぶ性分であることだよ。そのせいでお付きの者たちも、嬉々として調子にのるのだ」
やれやれと視線を落とす。
「陛下も王妃殿下も、ウェイン殿下が幼いころから常に頭を悩ませておられた。叱れば叱るほど反抗するから、いつしか諦められてしまった。気づけば口うるさくしつけるのは、私だけになってしまってね。しかしそれでも、さすがの私にもどうにもできなかったというわけだ」
「それは、厳しくしたということですか?」
「さよう。精一杯恐ろしい教師を演じたものだよ。それもこれも殿下を思えばこそだったが、それがよくなかったのかもしれない。聡明なアシェラッド殿下と比べられて育ったことも、ウェイン殿下は我慢がならないのだろう。いまでは王宮の鼻つまみ者。いつか大きなしっぺ返しをくらわなければいいのだがね」
むしろいますぐくらったほうが、ウェイン殿下のためかもですね……。
王宮をあとにするサイアム先生を見送って、私はその日のお仕事を終えた。
夜になるころ小雨が降りはじめ、深夜には大粒の雨になった。
我が家(※荷台)の分厚いテントが守ってくれるのでなんてことはないし、激しい雨音もむしろどこか心地いい。いろいろありまくりだった精神的疲労を癒やすべく、とにかく毛布にくるまって目を閉じた。
ウェイン殿下のお気に入り騎士たちのことを考えるともやもやするので、これまでの食事に登場してきたお菓子を数えることにした。いつもであればこの方法で睡魔がおそってくるはずなのに、珍しく寝つけない。
っていうか、なんか寒い。雨のせい?
身体の内側が妙にぞわぞわして、背筋に悪寒が走りまくってる。しかも、イガイガするかすかなのどの痛み……からの連発するくしゃみ。
え。この症状。まさか風邪?
いやいやいやいや、風邪をひくみたいな無理で無茶な行動どこかでしたかな?……って、シエラさんの身体で目覚めてからずっとしまくりだったんだった。
逆にいままでひかなかったことのほうが奇跡だったんだよね、これ……。
いままでは気を張っていたものの、この世界とこの生活に慣れて緊張の糸がほどけたせいかもしれない。理由はどうでも、とにかく震えるほど寒い。頭はゴンゴンと痛みだし、同時にぼうっとしてきた。
とりあえず着込もう。着れるものを全部羽織って毛布を重ねるも、まだ寒い。うーん、困った。グレンさんかバートさんから、もう一枚毛布をもらおうかな。
いまならふらつかずに官舎に行けるかも。よし、急ごう。
テントを開けて荷台から降りようとした瞬間、視界が歪んで転げ落ちそうになった――寸前。
「どうしたんですか?」
フード付きのマントを羽織ったグレンさんがどこからともなく駆けつけ、とっさに私を抱きとめてくれた。え、なにこの絶妙なタイミング。
「え?……と、え? なんでいるんですか」
「ゲイリーたちがあなたに仕返しするかもしれないので、今夜だけでも見張ろうかと――」
言葉をきったグレンさんは、私をいったん荷台に戻して顔をのぞき込んできた。
「――視線が定まっていない。様子がヘンですね」
「まあ、ちょっとぼんやりしてますけど平気です」
そんなことより、グレンさん。こんな雨の中、わざわざ見張ってくれていたんだ!
「なんか気苦労おかけしてすみません……ありがとうございます……! 実はちょっと寒いので、官舎に行って毛布をもらおうかと思ってたところでして……」
へらへらしながら答える私の額に、雨に濡れたグレンさんの右手の甲が触れる。ひやりとしていて気持ちがいい。
グレンさんの眉間がきつく狭まる。
「熱がある」
「……やっぱりですか……。でも、一晩寝てればきっと下が――」
私の言葉を待たず、グレンさんはマントを脱ぐ。それを私に羽織らせ、フードもかぶらせた。初対面のときを思い出した私は、思わずにやついてしまった。
「……一度あることは二度あるんですね、へへへ」
「なにを言ってるんですか」
険しい顔でそう言ったグレンさんは、なんと。私を軽々と抱き上げた!
「わっ! なな、なんですかっ」
「医務院に行きます」
「えっ?……と、で、でも、もしも診察とかされたら……」
女子ってバレます! 熱に浮かされていようとも、その理性はしっかり働いてしまった。けれど、グレンさんは動じない。
「侍医は自分に関係のないややこしい事情を嫌うので、余計な詮索をしません。そうでなくては王宮の侍医など務まりませんから」
なるほどですね、安心しました。だけど!
「わ、私ちゃんと歩けますよ? 自分で行くので場所を教えてください」
「ダメです」
「じ、じゃあ……せめて自分で歩かせてください」
「ふらつくあなたの歩幅に合わせていたら、北東の医務院に着いたころには朝になっているでしょう」
「でも、グレンさんこそ雨に濡れて風邪をひいてしまいます。というか……私の風邪がうつるかも……」
「俺なら平気です。いいから黙って」
――ぎゅっ。
私を強く抱きなおし、暗がりの雨夜にまぎれてグレンさんは走った。
ときめきとかどきどき以上に、不思議な安心感に包まれていく。いままで他人を頼った経験がないから、正直ちょっと恥ずかしいし、どことなく居心地も悪い。だけど、そっか。
――誰かに頼れるって、こういう感じなのか。
気まずさとこそばゆさを感じつつ、グレンさんの腕の中で少し目を閉じる。やがて、ぼんやりとした熱のまどろみに落ちていった。
* * *
気がつくと、真っ暗闇の夢にいた。
まわりのすべてが暗くて、目を開けているのか閉じているのかもわからない。いやな夢だなあと思っていたとき、ずっと遠くからほのかな灯りが近づいてきた。
燭台を手にした人物の輪郭が、ゆらゆらと揺れるろうそくに照らされる。
私は目を見張る。豪奢なドレスを身にまとった人物は、私の目の前で足を止めると、鋭い輝きの瞳をまっすぐに向けてきた。
――お父様は、裏切り者ではないわ。
なにか言おうにも、声にならない。そんな私に構わず、本当のシエラさんは言葉を続けた。
――お父様は、裏切り者ではないわ。だからこそ、わたくしはすべてを取り戻さなくてはならない。
シエラさんはまばたきもせず、私を見すえた。
――わたくしはなんとしてでも真実を知り、復讐を果たさなくてはならない。そして、絶対に失ったもののすべてを取り戻す。
そう言って、拳を震わせる。
――たとえ、得体の知れない者の力を借りたとしても――必ず果たす!
瞳に映るろうそくの炎を、メラメラと燃え上がらせた。
* * *
「お目覚めか」
白いシャツに白いスカーフ。装飾のない白の上着を羽織った壮年の男性が、私の顔を見下ろしていた。年齢は四十代くらいで、片眼鏡をかけている。厳格そうな容姿のこのお方が侍医さんだろう。
……なにかすごい夢を見た気がするけど、思い出せない。ま、いっか。
視線を動かすと、第三書庫のような円形の空間だった。ただし、書庫よりも広くて明るい。
室内の真ん中に、ステンドグラスで仕切られた小部屋があり、そこから放射状にベッドが並んでいて、木製の衝立で仕切られてあった。
まさか、王宮の中にこんな病院みたいな場所があるとは思わなかった。
「熱は下がったが、今日一日は様子見だ。ヴォネガット少尉がランバート隊長に伝えておくそうだから、きみは任務を休んでいい」
ヴォネガット少尉=グレンさん。ランバート隊長=バートさん。
いまさら覚えましたなんて、口が裂けても誰にも言えない。だって、同じ隊の見習いとしては完全に失格だものこれ……。
「わ、わかりました。ありがとうございます」
「なにやら事情がありそうなことは診察で垣間見えたが、ヴォネガット少尉は承知の様子だったし、私も余計なことに首を突っ込みたくはない。他言はせぬから安心したまえ」
おお、きっちり言いきってくださった! 絶対他言しなさそうなので、安心感がはんぱない。
「ありがとうございます」
サイドテーブルの銀のトレイに、水差しとコップ、小さなバスケットにりんごとパンが入っていた。そこに、三角形に折られた薄い紙包みがある。
「なにかお腹に入れたら、その薬を飲んで眠りなさい」
「はい」
侍医さんはにこりともせずにうなずく。と、ひとりごとのようにささやいた。
「正直、あんなに不安げなヴォネガット少尉を見たのははじめてだった」
「え?」
「彼はよくここを使う。誰よりも手練れであるのに、立場上負けることを暗黙で強要されるので、訓練では人一倍怪我が多い。彼以外にも、ランバートの隊の者はそういったことがよくある。が、ヴォネガット少尉は常にどこか冷めていた。けれど、昨夜は違った」
びっくりしている私を、侍医さんが見た。
「心配ないと言っても聞かず、朝まできみのそばにいた。まるで、もう二度ときみに会えないとでも思っているかのように、肩を落として。私は面倒ごとはごめんだが、これは伝えておくべきことだと思えたので、念のため。では」
立ち去った。
私はパンをかじり、薬を飲む。それからベッドに横になった。
……そっか。グレンさん、そんなに心配してくれたんだ。
嬉しいような照れくさいような。申しわけないような気分で寝返りをうつ。
早く治してお礼を言おう。そんなことを考えているうちに、どんどんまぶたが重くなっていく。
心地のいいまどろみに、身をゆだねはじめたときだった。
――お父様は、裏切り者ではないわ。
とたんに睡魔が吹っ飛び、目を開ける。そうだった。
夢を――思い出してしまった!
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