第三章 人間関係に翻弄されるべからず
第16話 騎士見習いのモーニングルーティン☆最新版
おはようございます。
スキリエ王国の王宮にて騎士見習いをしている、庶民出身のマックです。あ、でも、本当は元伯爵令嬢のシエラです。だけど、その中の人――いまこうしてお話している私は、令和の日本で暮らしていた元派遣社員でアラサーの無職、水琴です。
設定がカオスですよね☆ さすがに私もそう思います……。
そんなカオス設定の状況に投げ込まれた私には、目標と使命があります。
目標は、騎士見習いから昇格して辺境に異動。そして除隊。悠々と隣国に旅立つ。
使命は、シエラさんの父親である故エブリン伯爵の冤罪疑惑を明らかにすること。
目標は時間がかかりそうな予感がし、若干震えはじめています。とはいえ、いまはわけがありまして王宮から出られないのと、出たとしても旅程の資金不足が激しすぎるので、現状維持を貫くことにしています。
そして使命なのですが、こちらにはさっそくにでも取りかかりたいところです。
ところなのですが……それどころではないハプニングに見舞われてしまいました。
そう――自分のことだけでいっぱいいっぱいな日常になってしまったんです!
……と、いうわけで。
官舎で暮らしはじめて、数日が過ぎた。
なにも知らないバートさんは、私が同室になったところで通常運転をやめたりしない。初日の夜から筋骨隆々な素晴らしい上半身を惜しげもなく披露しつつ、室内を動きまわった。
それを目にしたときの率直な感想は、画面越しに見た格闘家の肉体美。あまりに整いすぎていて、照れるどころかバートさんかっけえええー! 以外のなにものでもなく、己の乙女度の低さをあらためて自覚するにいたった。
「筋肉かっけぇ……いや、すごいですね……」
思わず声になってしまう。バートさんは勝ち誇ったようににやりとした。
「そうか? おまえだって昇格して訓練に加われば、簡単にこうなるさ――」
そう言って、私の肩に手を置いた。
「――と言いたいが、これじゃかなりの訓練が必要そうだな。こんな細さじゃ、まるでどこぞのご令嬢のようじゃないか!」
バートさんがほがらかに笑う。いや、それ事実です。生きた心地がしなくて固まると、同じく血の気の引いたような顔色のグレンさんが、
「そ……ういえば、俺もここに来たときはそうだったな。おまえに同じようなことを言われた気がする」
抑揚のない棒読みで、助け舟を出してくれた。
「そうだったか?」
「そうだ。とにかくバート、早く服を着てくれ。風邪をひいたらマックのように寝込むはめになるぞ」
そうだな、ははは! と、バートさんはシャツを羽織った。
一事が万事こんな調子なので、グレンさんにいらぬ気遣いをさせないよう、油断できない状況がいまもなお続いている。
そんな本日。早朝というより、まだ深夜。私はいつものように簡易ベッドで目を覚ます。
隠しごとの多さのおかげで睡眠時間がバグってしまい、こんな時間でも難なく起きられる体内時計になってしまった。ああ、誰の目も気にせずにいられた我が家(※撤去された荷台)が、本気で恋しい。
窓からの月明かりを頼りに、息を殺してランプを灯す。
ここは官舎の二階、北西側の角部屋。天井は高く、アーチ状の大きな窓からは王宮の離れと巨大な母屋が見える。バートさんは〝手狭〟と言っていたけれど、私からすれば2LDKをワンルームにしたくらいのじゅうぶんな広さだ。
室内の角には小さな暖炉もあって、王宮のような豪華さはないものの、各人用にチェスト、ベッド、デスクと椅子が用意されている。部屋の真ん中には円形のテーブルと椅子まであって、どれも装飾が美しい木製の家具だ。
ドアを開けた右側が、バートさんエリア。左側がグレンさんエリアだ。
そして簡易的につくられた私のエリアは、グレンさんエリアの真反対。ドア側の壁に枕が置かれるかたちでベッドが配されていた。
唯一喜ばしかったのは、ベッドのそばにハンガーラックがあったこと。ここにあれやこれやを下げておくと、なにげに衝立っぽくなって目隠しになるからありがたい。
そんなわけで。
今朝もラックに下がった制服と普段着のすき間から、先輩方の様子をうかがう。ぐっすり寝入っているらしいので、忍者のようにベッドを飛び出し、暖炉脇のドアを開けた。
ここはいわゆるユニットバス。だけど、もちろん蛇口なんてない。王宮の使用人が水を用意してくれてあるので、それを使って顔を洗う。
持ち運べる桶みたいな浴槽にお湯をためるのも、使用人がおこなってくれる。毎日一人ずつしか入れないので、その日以外はここで身なりを清潔にするのが日課になった。
髪を洗ってから、石鹸で軽く身体をなぞる。水を絞ったタオルで拭こうとした、そのときだった。
「――バート。その洗面室は使えないんだ」
ドアの向こうで、グレンさんの声がした。
びっくりした私は、とっさにシャツを羽織って空の浴槽に身を隠す。耳を澄ますと、寝ぼけたようなバートさんの声が聞こえた。
「……どうしてだ?」
「こ……壊れている。どこか水漏れしていると、使用人が言っていた。だから、共用を使ったほうがいい」
「そうだったか? 聞いた覚えがないな」
「とにかく、共用を使ってくれ。さ、部屋のドアを開けてやるよ、ほら」
「ああ……悪いな。ん? マックがいないな――」
「――いるさ、寝てる。ベッドに潜っていて見えないだけだろう」
「そうか?」
「そうだ――」
――バッタン。
グレンさんの大きなため息まで聞こえてきた。おそるおそる洗面室のドアを開けると、グレンさんがはっとする。
「……バートがそこに入りそうになったので」
「そ、そうだったんですね……。引き止めていただけて助かりました」
「……いえ」
それにしても、タイミングがよすぎな気がする。え、もしかして?
「グレンさん、まさか、ずっと起きてたとかじゃないですよね……?」
グレンさんが押し黙る。たぶん図星だ。
うそだ、ちょっと待って。それって今夜だけかな。まさか、私が来てからずっととかじゃないよね!?
「も、もしかして、ずっと寝てないんですか?」
「寝ていないと言うよりも、眠れないと言ったほうが正しいですね」
「それは、いまみたいなことが起こるかもしれないからですか?」
「それもですし、まあ、いろいろです」
私を見て、すぐに目をそらす。
「……我ながらどうかしてる」
「え?」
「なんでもありません」
そう言うと、背中を向けて自分のベッドに向かおうとした――矢先。
思い立ったように振り返り、
「……ダメだ、やはり知りたい。実は、少し前から引っかかっていることがあります」
私に詰め寄った。
「ひ、引っかかってること?」
「……ええ。記憶をなくされているとしても、果たしてこんなにも人格は変わるものなのかと、どうしても思ってしまうんです。同室になったことで、さらにその疑問に拍車がかかってしまった」
ゴクリ。つばを飲むと、グレンさんがさらに近寄る。
「他人の空似じゃないことくらいは、幼いころから近くにいた俺にはわかります。なので、あなたは間違いなくシエラ嬢でしょう。だとすれば……かなり信じがたいことですが、彼女の中にまったく別の誰かの命が入っているということになる」
すごい。大当たりです。
唖然とする私の目の前に、グレンさんの美しいお顔がぐっと近づく。
「――あなたは、誰ですか」
「えっ」
まさかの壁ドン的な態勢で言われた。
思いつめたような眼差しがせつない。思い返せば、グレンさんはいつも私のことで(シエラさんのことで?)悩ましい事態になってしまっている気がする。
「誰、なんですか」
グレンさんの美しい唇から、真相に触れる言葉が放たれる。その予想外の衝撃に、全世界の女子がときめきそうなイケメン騎士(※しかもラフな私服で寝起き姿)との態勢もなんのその、私はとっさに思考を巡らせた。
いや、考えるまでもない。返事は決まってる。だって、うそをつく必要なんてないんだもの。
私は意を決して、口を開く。たとえ信じてもらえなくても、グレンさんがぐっすりと眠れるようになれるのなら本望だ。
「し……信じてもらえないかもしれませんが、あなたの言うとおり、私は別人です。名前はミコトです。この世界じゃないところで暮らしていて、ある日目覚めたらなぜかこうなっていました」
グレンさんが目を見開く。
「なので、あなたの思っているとおり、記憶をなくしただけじゃありません。この身体とは赤の他人で、まったくの別人格です」
隠していて、すみません。
そう言葉を続けて、謝ろうとした瞬間だった。まばたきもせずに私を見つめていたグレンさんが、のどの奥から絞り出すような声音で告げた。
「……本当に?」
「うそみたいですけど、本当です。私はシエラさんじゃありません」
「……まさか、こんな荒唐無稽な予想が当たるなんて」
「え」
「きっと笑われると思っていました。けれど……当たってしまったのならかなりマズい」
心底まいったように息をつき、視線を落とす。
「マズい?」
「記憶をなくしただけのあなたなら、俺の感情にもストップをかけられました。しかし、人格が別人となると、もともとのあなたとの――シエラ嬢との間にあった確執は関係がなくなる。つまり……」
「つまり……?」
「つまり、そういうことです」
そう言った矢先、グレンさんがドアを見た。
「バートが戻ります」
たしかに近づく足音がする。
「いったんベッドに」
「は、はいっ」
なにこのコント? あたふたとお互いベッドに潜った瞬間、バートさんが戻った。
暗がりの中、バートさんが自分のベッドに戻る気配がする。しばらく息を殺していると、やがて寝息が聞こえてきた。
ラック兼衝立から、そっとグレンさんを盗み見る。もぞりと起き上がったグレンさんは、洗面室に入ってドアを閉めた。
私はベッドで寝返りをうつ。壁際向いて目を閉じながら、グレンさんの言葉の意味を考えた。
――つまり、そういうことです。
そっか、なるほどね!……って、一ミリも理解できない。
ど、どういうことだろ……?
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