第19話 秘密の代償

 遠くから響くイワザルの叫び声。その呼びかけにフジノとグロリアを追跡していたイワザル達は動きを止め、その発生源の方向へと去っていった。

 フジノは体にかすり傷はあるが出血はもう止まりかけている。しかし、グロリアの背中や脇腹は赤く腫れ上がっているだろう。イワザルの投石で発生した破片の一部が当たってしまったのだ。出血はしていないがその顔色は悪い。


 グロリアが風の魔術で遠距離攻撃することもあったが、基本は身体強化で逃げる方法だ。彼女はフジノが自分と同程度に身体強化を扱えることを理解していたから。


「なんとか、持ちこたえましたね」


 逃走劇が終わり、二人は息を整えて少しだけ休む。フジノは立ったままだが、グロリアは負傷した箇所が痛むのか木に寄りかかっている。

 逃走中にイワザルに追いつかれることはなかったが、投擲を得意とする彼らの攻撃は何度もあり、フジノはかすり傷ですんだがグロリアは違う。

 あんな群れと遭遇したことがないグロリアはその攻撃をかわしきれなかった。


「グロリア……傷は大丈夫なの?」

「平気です。まだ終わってません。ナツキちゃん達の安全を確認しないと。あなたの話はあとで、みんなで聞くんですからね?」


 一難去ったということもあり、フジノはどう言い訳しようか考えたが、魔術師として目覚めたことは隠せないだろう。しかし、バグ技の存在は隠したかった。

 あの町の住人達が双子山の怪物を恐れている様子は覚えている。無邪気な怪物が早く消えて欲しいと願う人の目。あんな目で仲間達に見られるのは嫌だった。


「……わかった」

「もう大丈夫そうですね。また走りますよ。今度は逸れないでください」


 フジノはそれに返事をすることが出来ず、グロリアの速度に合わせてナツキ達の元へと急いだ。何もないことを祈って二人は会話せずに再び走り始める。






 ナツキ達はいるはずの場所にいなかった。一目でわかるほど燃えた跡だった。それにイワザルの群れの形跡がみられる。足跡に投石のあと、破壊されて散らばっている焦げた木片。


「フジノちゃん」


 グロリアに呼ばれフジノは目を閉じて音に集中する。フジノの聴力は姿の見えない魔物さえ感じ取るほど優れている。

 仲間達と比べてそれが長所の一つだと認められたフジノは討伐クエストの対象を探す時にこうして頼られることが多かった。


「――」


 小さな声をフジノの耳がとらえる。何度も聞いた声。よく大声を出す友人の声は「誰か助けて」と叫んでいる。フジノはその方向を短槍で示して「あっち」とグロリアに伝えた時には走っていた。


 音が聞こえた場所の近くにナツキ達の姿は見えないがイワザルの群れがいた。集まって山にできた裂け目に手を伸ばしている。隙間に肩を入れこんで落とし物を探しているようだった。


「誰かー! 助けてー!」


 その声はイワザル達が手を突っ込んでいる裂け目から聞こえた。追いついてきたグロリアは手で口元を覆ってその場所から目を離せない。

 太陽は沈みかけて灰色の毛並みは判別できないが、フジノにわかるだけで二十匹はいた。普通に戦ってもどうにもならない。奥の手が頭によぎるが、自分の中の怪物がそんな必要はないと囁いてくる。


 自分だけが助かる方法を考えてしまうのだ。自分の秘密を知ったグロリアとあの群れに戦いを挑んで、彼女が殺されたあとに逃げる。裂け目にこもる仲間達は魔物に処理させればいい。そうすれば秘密はもれない。


 嫌悪している自分の一部が恐ろしい考えを提案してくる。そんな上手くいかないと我ながら苦しい理由で拒絶し、それなりに仲良くしてきた友達だと言い聞かせる。だが、答えは出ない。フジノは完全に固まっていた。


「……フジノちゃん。あなたは妖精を使って助けを呼んでください。妖精を持っているのはあなただけです」

「……連絡できる人なんてサエコ先輩だけだよ。今日は町にいるはずだし、山がこんな状況じゃ被害を受けてるのは私達だけじゃない。あの数は私達じゃどうにもならないよ」


 衝撃から持ち直して覚悟を決めた様子のグロリアに、フジノは逃げるべき理由を自然と口にしていた。考えてもいないのに、流れるように否定的な意見が己の口から出ていく。

 グロリアがこの場所から逃げてくれれば、あとは自分がバグ技で何とか出来る。それがフジノには妙案に思えて、頭をフル回転させているのだ。


「それに、あなたは万全じゃない。その体じゃまともに戦えないでしょ。先に山を降りて町で休んだほうがいい。ナツキ達は私が何とかするから。私はそれができる。信じて」


 その言葉を聞いたグロリアは目を見開き、すぐさま顔を歪めた。フジノはグロリアの悩みの正体を逃げていい理由に食いつくべきか迷っているのだと思っている。しかし、その予想が大きな誤りだとはフジノは気付けない。人と関わった経験が少なすぎたからだ。


 グロリアにとってナツキは数少ない友人であり孤独から救ってくれた人だ。どうにか彼女だけでも逃がせないかと考えていた。そんな状況で秘密を隠し持つ怪しい友人が、ここは任せて逃げろなんて言っても素直に信じられない事情がある。

 彼女はフジノを信じたかったが不安な要素が多すぎた。妖精持ちらしからぬ実力を隠し、殺人鬼に二度も殺されかけたというのに、怯えもせず追いかけたのだ。共感も理解もできない行動に加えて、魔術師ではないと嘘をついている人間を信じ切ることはできなかった。


「……もういいです。私は行きます。ごめんなさい」


 グロリアはフジノとの対話を諦めて、無謀にもナツキ達を助けに行った。一人でもやれるとこまでやる。そういう覚悟だった。


「え、なんで……なんなの? 意味わかんない……」


 フジノにはわからなかった。どうしてそんな事をするのか。

 助けられる力があるならばわかる。だが、あのイワザルの群れに負傷した魔術師が一人でいっても勝てるはずがない。そんな事はグロリアもわかっているはずだ。


「なんで信じてくれないの……」


 離れていくグロリアが夜の闇に消えていくのを眺めるフジノ。頭上に輝く小さな星達の下で、湧き上がる感情の正体もわからぬまま立ち尽くしていた。

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