第二章
第9話 少女の休息
故郷を目指して進み続け、妖精とも再会できたあの夜から三日間、深い眠りについていたフジノはようやく目を覚ました。
「起きたみたいだね」
見知らぬ誰かの声にフジノは、すぐさま体を動かそうとするが手も足も眠っているように反応しない。何があったのかを記憶を遡りつつ、仰向けのまま、目だけで自分の体を確認する。小さな声で自分の妖精を呼ぶが、反応が無いことから再びシステム圏外にいるのだと把握した。
最後の記憶によれば、襲撃者に止めを刺される前に、不思議な霧に包まれて何者かにかつがれ、気付けば眠りについていた。おそらく、この人に助けられたのだと理解したフジノは問いかける。
「あなたは?」
女はフジノの故郷では見慣れない衣装を身に纏い、彼女の隣に座り込んでいる。フジノにカエンの戦闘時間はとても短かった。女があの戦闘に介入できた理由を考えると、偶然いあわせた可能性は低いと、作為的なものをフジノは感じているのだ。
最近は悪い事ばかりが起きているフジノは、相手が恩人だとしても何か裏があるのだと警戒するほど、楽観性を失っていた。対面する女はその感情を察し、少し考えてからフジノの顔を見てゆっくりと話す。
「腕試しに来た冒険者。南大門を通って入国するのが普通なんだろうけど、ヒノ国の天然要塞ってのが、どんなもんなのか試したくなってね」
フジノが住んでいるヒノ国に入るのならば、フジノの故郷である南大門を通るルートが最も安全だ。それをあえて避けて、南部を守る壁のように広がる双子山を越えようとするなんて、無謀な挑戦だ。
「暗い夜に焚き火はとても目立つんだ。私は目と耳がよくてね。遠くから、あんたの話を盗み聞きしたのは悪いと思うが、そのおかげで助かったんだ。安いもんだろう?」
女性の普通でない行動に怪しさを感じるも、死ぬ寸前の自分を助けてくれたという事実が、幼い頃に憧れた冒険者のようで彼女の疑念を徐々に小さくさせていく。フジノは言うべき言葉を言っていなかったと口を開く。
「ありがとう。助けてくれて」
「こちらこそ。死んだ爺さんの薬草の知識が役に立って、思い出に浸れたよ。おとなしくしてれば傷も毒も治るはずだ」
フジノは最初、自分に都合の良いこの状況を信じられなかった。女の話を聞いている間、言葉にはしなかったが驚いたり、共感したりと心が反応するうちに、この人を信頼し始めていた。
「もう三日はあんたを見守ってるんだ。今さら何かするわけないだろう。ほら、寝な」
「……わかった」
フジノは目を閉じて、深く息を吸って地面に沈み込むように息を吐く。背中に敷いてある布に厚さはないが、ここ最近を思えば天国のような寝心地だ。彼女は私の敵じゃない。本当の目的なんてわからないが、それでもいいじゃないか。私にだって秘密がある。誰だってそうなんだ。
その夜、眠りについたフジノは小さな物音に反応して飛び起きること無く、深い眠りにつくことができた。
傷がまだ癒えていないフジノは、この洞窟で昨晩まで寝たきりだったが、今朝はようやく上体を起こせるようになり、思ったよりも治りの早い自分に驚いたものだ。ニタカと名乗った女によれば、魔術師の特徴の一つらしい。口ぐらいしか元気に動かせないフジノはニタカと随分と話をした。
この山で何があったのか、双子山で自分が魔物達にしていたこと。町でのふるまいなど、思っている事を含めて打ち明けていた。ニタカが自分の世界に関わらない外の人間で、会話の反応がいいからか。あるいは、彼女が語る、見たこともない外の世界を教えてくれたせいかもしれない。
そして、話はフジノを襲った何者かにうつる。
「一度目は双子山で不意打ち。二度目は待ち伏せに毒。三度目は今度こそ殺しに来るね」
「ニタカさんは帰らないほうがいいと思いますか?」
「それは自分で考えて決めな」
フジノは双子山のある方向、山を越えた先にある南大門の町を頭に浮かべ、ニタカにそう告げた。あの場所には嫌いなものがあったし、一生をあそこで終えるつもりもないが、好きな部分もあったのだ。
「もしもこの国を出ていくのなら、外の冒険者ギルドで一人前になるまでは面倒を見るよ。助けちまったんだからね」
旅立つ時が来たのだろうか。とフジノは自問する。しかし、心の中にはこんな形で故郷を離れるのは違う、という気持ちが強くあった。何より、理不尽に負けたような気がするのだ。私自身、あの国の中ではバグ技という理不尽な力を持っているというのに。
黙り込むフジノを見て、ニタカは話題を変えようとする。
「まあ、あんたの体が元気になるまでは、ここにいるから。決めるのはその時でいい」
魔除けの術をかけた洞窟から、フジノを置いてニタカは出ていこうとする。短槍を担いで夕食の用意、生きるための狩りを今日も始めるのだ。
「すみません……ありがとうございます」
ニタカの姿が日の下の世界へと消えていき、フジノは太陽の光が差し込んで、少し明るい洞窟の中で、彼女から言われたことについて考えていた。
私は本当にあの町に帰りたいのだろうか。妖精に任せきりで自分の体の自由を手放す人達、妖精を持っていないと素直に他人を信じられない人達。どうでもいい人間はそんな風に見えた。
ナツキは妖精を持っていない。だから私は彼女と仲良くしているのだろうか。彼女のパーティ参加の誘いを強く断らなかったのは、メンバー全員が妖精を持たないミトウだからなのか。どうして彼女は、何度も私を仲間に誘ったんだ。
きっと、母さんは私に呆れている。母さんの言う通りに生きていれば、こうはならなかった。変なことをしないで。困らせないで。普通にしてなさい、といつからか母さんの返事はそればかり。冒険者になると家を出て、祖父の形見を勝手に持ち出して以来、まともに会話していない。
(何が正解なんだ……)
フジノの傷がようやく治り、決断の時がきた。考えていたことが上手くいくか、緊張で健康を取り戻したはずの体が不自然に震えてしまう。
「はい。これでもう大丈夫かな」
ニタカが軽い調子でフジノの肩を優しく叩き、背を向けて荷物をまとめ始める。
「最後に、一度だけ実戦形式でやろうか。返事はその後にね」
「はい。あの槍の前に立つのは怖いですが、頑張ります」
「大怪我させるつもりはないよ。あんたの看病は今日で終わりだからね」
戦う場所を選んでいいとニタカが譲ってくれたので、二人は拠点にしている洞窟を離れ、少しだけ故郷に近い場所へ。フジノが選んだのは妖精システムの有効範囲と圏外の境界線に位置する場所だった。
妖精システムに興味のあるニタカは、その使用を許可してくれた。そして、妖精から反応が帰ってくる。境界線についたのだ。
「妖精ー。いるー?」
『フジノ様』
「久しぶり。早速だけど、話はあと。出番だよ」
「見えないし、聞こえないか。それが妖精ってやつね」
ニタカは肩にかけていた短槍を両手で持ち直して、フジノから離れた位置で向き合う。
「妖精。ステータス画面」
『了解』
フジノがそう言うと彼女の手の届く範囲に、水色の半透明の板が発生する。それには身長や攻撃力などが数値として書かれている。ニタカは「へぇ」とそれを視認して反応を返す。
ミトウであり、おそらく純粋な魔術師だろうニタカには見えると、フジノはこれで確信した。だからきっと、これからやることに興味を持ってくれるはずだ。
「これから画面を投げます」
「は?」
「本当に投げれるんです。しかも、超攻撃力高いです」
フジノはニタカの反応を待たずにステータス画面を掴んで、投げる。ニタカの方向ではなく、関係ない森の方だ。
横向きの画面が回転しながら飛び、通過してされた木々が切断され、倒れていく。分断された幹の枝と葉が、隣り合う元気な木にしがみつこうとする音が次々と森から響く。
「正直、子供の嘘だと思っていたよ……」
ニタカを驚かせることには成功したと、フジノは好感触を感じ、予定通りに次の言葉を口にする。
「た、倒されたくなかったら、私に修行を、つけてください! お願いします!」
「……」
ニタカの頭は目の前で起きたことを整理するために、体の戦闘態勢を解除した。フジノが繰り出す刀術にどう対処するか脳内でシミュレーションしていたのに、彼女はプライベートな情報が書かれた、高火力の半透明な板を森に投げた。肩透かしを食らった感覚だ。
「え、えーと。やっぱりダメですか?」
ニタカとしては、逃げるのを選ばず、戦いたい意思を示すのなら鍛えるつもりではあった。追い込むような言い方をしてきたが、それも本音を引き出すため。そして、今日の試合で万全の実力を見てやろうと考えていたのだ。これは完全に予想外だった。
「それは、いいけど……いったん武器使ってやろうか。その変なのは禁止で」
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