第一章

第3話 双子山

 双子山の奥深く、西洋文化を受け入れた中央育ちの人間ならば存在を忘れているだろう、古い建築物がある場所。かつては選ばれた猛者達が年に一度、この場所を目指して山に挑み、儀式をしていたという。


 そんな昔話を亡き祖父トウジロウから聞いていたフジノは、過去の猛者達が使ったという道の僅かな痕跡をたどって、その場所に辿り着く。


 割れて雑草が生えても認識できる石畳の床が山頂側へ続いている。わずかに黒ずんだ赤が残る石造りの柱が石の道を挟むように二本、それは南大門町の国境側の出入り口にある大きな門をフジノに連想させる。


 石の道を真っすぐ辿っていくと洞窟があるが、フジノは洞窟に入ろうと思ったことはない。八歳の頃に反則ともいえるバグ技を身に付けてからもそれは変わらない。十六歳で双子山を我が物顔で使うフジノであっても、この場所だけは例外だった。


 この場所の名前は最期までトウジロウが教えてくれなかったせいで分からないが、フジノは道の真ん中を通ってはいけないという約束だけは守って、この場所を使わせてもらっている。なんとなく礼をして、石の道の端を通るのがフジノなりの常識だった。


 幼い頃にまだ刀使いとして現役だったトウジロウが母さんの反対を押し切って、連れてきてくれた場所だ。ここで寝ても魔物は襲ってこないとトウジロウは言って、疑いもせずに信じて寝てしまった幼い自分のなんと単純なことか。


 石畳から離れた空いた場所、硬い土とそれを結びつける雑草の大地で、フジノは重くなった体に最後の追い込みをかけて、目標回数を達成したから刀の素振りを終え、呼吸を整えていた。土が服につくことを意識もせずに座り込む。


 フジノから少し離れた場所に手作りの槍がある。刀で素振りをする前はそれを握って仮想敵をサエコにして自分なりの練習をしていた。穂先は石だが、岩肌ばかりの場所も知っている彼女にとっては壊れてもまた補充すればいい、と魔物相手にも使ってみたこともある。


(トウジロウは槍を使う私を見たらどう思うか。小さな私に才能は無いとはっきり言う人だったし、今の歳ならもっと厳しく言うかもしれない)


 火や水などの属性魔術は補助があっても不得手なフジノは、ただひたすらに身体強化の魔術を使い、体に慣らしていく。身体強化と相性がいいのは武術と決まっている。


「妖精。少し、休憩するから。人か、万が一、魔物が近づいたら起こして」

『了解。聴覚共有の許可を』

「いいよ、それだけはね」

『危険を感知した場合はオート機能がおすすめです』

「それはダメ。却下」

『了解』


 念のための備え。寝る前の癖のようなものでフジノは妖精に頼む。トウジロウの話では魔物はここに近寄らないし、それを裏付けるように何年もここで寝泊まりしているが襲われたことは一度もない。


 人もそうだ。猛者でなければ来ることを許されない場所というだけあって、道中の魔物もギルドで受けるクエストの同じ魔物と比べても質が高いし、数も多い。山の奥深くには獣達の社会があるとトウジロウは言っていた。獣の社会から弾かれたものが人里に降りるのだと。


 じゃあ優しくする、と幼い私が言うとトウジロウは顔をしかめて「施しを求めている弱者なら優しくしてもいいが、戦いを望むものには力で応えてやれ」と言い、当時の私は意味が分からず、その後の沈黙とトウジロウから感じる空気の僅かな変化、そして言葉に込められた何かに恐怖を感じて泣いてしまった。

 私を必死にあやす厳格なあの人の慌て具合が懐かしい。


「……」

『フジノ様。大丈夫ですか?』

「うるさい。何でもない」






 フジノは双子山から南大門町に戻ってきた。冒険者になってから寝泊まりする場所は、あの場所か、冒険者ギルド内の宿泊施設だ。家には必要なものだけ取りに行くだけだ。


 七日ぶりに冒険者ギルドで再会した友人のナツキに、開口一番「くっさ。あ、ごめん。風呂入ったほうがいいよ」と言われ、ギルド内の宿泊施設を利用して、風呂から出てきたところだ。

 昼の時間帯を外したギルド内の食堂スペースは、主に話し合いや雑談に使われる。二人はそこで向かい合っていた。


「あんた、山籠りもいいんだけど、野生に帰りすぎよ。替えの服はもってけないの?」


 フジノとしては以前にナツキから貰ったシャンプーを山でも毎日使ったから遺憾である。服に関しては、どうしようもない。そんなに荷物は持っていけないのだ。疲れるし。


「それは山籠りじゃないし。一週間はいるんだから荷物が重くなる」


 汗と山の匂いが染み付いて、なかなかの匂いを出しているらしいが、私はそこまで気にならない。ギルドの受付嬢の、あの作られた綺麗な笑顔が、くしゃっと変わるのを見て笑ったナツキならわかってくれると思うのだが。


「まあ、うん。あんたが山で修行しているのはわかるけどさあ。あれはやばいよ」

「今はどう?」


 フジノはなんとなく頭をナツキの方に向ける。


「おっけー。フローラル。若いって感じ」

「さっきは?」

「ドブカス」


 フジノとナツキはこみ上げる笑いを止めもせずに、垂れ流す。淑女らしくない下品な笑い方だと母がいれば怒られるかも知れないが、関係ない。


 ちょうど利用客が少なく、訓練場でおなじ土の上で倒れた奇妙な仲間意識から気を許していたのもある。少なくともフジノはそういう気持ちがあった。だが実際、山から帰った直後の、土と汗にまみれたフジノの姿を見れば、どれだけ嫉妬があろうとも、ああはなりたくない、という気持ちが勝るのだ。


 ナツキの提案で人の少ない早朝や夜中を狙って街に帰るのをやめてから、少しだけ他の冒険者の印象がよくなった気がすると、フジノは感じていた。


「山といえばさあ。あんたバラバラ事件しってる?」

「えっ?」


 双子山のそこかしこに埋めてきた魔物の遺体がバレたのか? いや、でもあそこは山の奥深くで、ここの冒険者であっても近付けない危険な場所。フジノは固まって考えてこんでしまう。ナツキはあえて、それを無視して話を続けた。


「ほら、あの捜索クエストの一部にあったじゃん。行方不明者のやつ」

「あー! なるほどね」


 フジノは誤魔化そうとして無意識にリアクションが大きくなってしまった。証拠は土の中。危険地域に入って調べられる人もいない以上、バレるわけがないのだ。


「急に叫ぶなよ。怖いわ」

「ごめん。山帰りだからさ」

「で、ちしつ? の調査クエストかなんかで山をほじくり返したら、見つかったんだって」

「行方不明者が?」

「そうそう。Dランクの冒険者が入れる範囲で見つかったらしいから。あんただったら、なにか知ってるかなあ。って」

「そういうことね。うーん……怪しい人は見てないけどなー」


 トウジロウに教えてもらったフジノの修行場所は、Bランクの冒険者が立ち入ることを許される魔物の世界に近い場所だ。Dランクなどは採集メインの冒険者ですら近づける場所で、フジノにとっては心当たりの欠片も無かった。


「そんで! 本題なんだけどさ。ウチらのパーティって採集メインで雑用ちょいなのよ」

「うん」

「でもさ。捜索が優先だから、採集クエで山に入れないわけ」

「うん。それで」

「……ちょっと遊ばない? グロリアの風の魔術でさあ、こう。空中にどーんってさ!」

「最高。それは断れない。詳しく」


 結局、フジノはナツキの誘いに乗り、南大門町西端部の巨大訓練場へ。訓練場の一部を使ってグロリアの風魔術の訓練という名目でフジノは何回も空に飛ばされ、低くても五メートル上空に飛び、浮遊感と天地が回る視界を楽しんだ。発射と着地で魔術を使う事もあり、グロリアの訓練にはなったが、休憩に入ったサエコに気付かれて彼女達は叱られてお開きとなった。


 ナツキも飛びたくてグロリアにねだったが、断られた。フジノなら強化魔法に妖精もついているため、もし失敗しても死にはしない。しかし、身体強化魔術が使えないナツキはダメだと、弱めの風で少しだけ浮かせてもらった。楽しみを取られた上に連帯責任で怒られて、ナツキにとっては散々だった。






 フジノ達がサエコに叱られている頃の双子山。そこでは、行方不明者リストの一人が山の中から掘り起こされている。昼間だというのに生い茂る木々のせいで暗がりの山中で、男が一人。誰かに向かって話しながら作業している。


「さっきは怒ってすまなかった。データだけで判断した僕のミスだ」

「まったく、君は流石だな。また助けられたよ。良いスポットがあったのを忘れていた」

「謙遜するな。捨てるにはもってこいの場所じゃないか。少し遠いのが難点だが、な」


 口を動かしながら、誰かを相手に喋っている。この国の多くの人間に見られる行動だ。そこにいない誰かに話しかける。そして、その相手はいつも決まっている。


「そうだな。今や中央は死体一つで大騒ぎだ。治安が良いのは結構だが、やりにくくてたまらん」

「しかし、困ったものだなあ。久しぶりに来てみれば、ここの魔物処理はずいぶん熱心らしい。埋めてもヤマイヌが食べてくれん」

「そうだな。数があってない。この山は魔物が死にすぎている。ルール違反の匂いを感じないか?」


 今、冒険者達が行方不明者を捜索している間に、一人の男が捜査網から離れた場所で、昨晩埋めたばかりの分割遺体を、別の場所に埋め直そうとしていた。何重にも重ねて、液体が溢れないように加工された手製の麻袋の口を広げ、ゴミ掃除をするかのようにそれを袋の中に一つ残らずいれていく。


 今度こそ、見つかる恐れのない人の立ち入らない地域。自分が入れる限界のBランク相当の地域に男は向かう。麻袋を肩にかけて、口を締めた紐を伸ばして、手の内で紐を滑らせ、体を器用に使い、右へ左へと交互に麻袋を振り回しながら進んでいく。


「お前も運がない。僕の相棒が気付かなければ、こんな小さくならずに済んだのに」

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