第2話 冷え切って水気を多く含んだ粘土



 ***



 シエンの母、つまり継母と父が再婚したのは、母が亡くなってから一年を過ぎたころの事と聞いている。父はユウヒを、継母はシエンをそれぞれ連れての、いわゆる子連れ再婚だ。


 実の母はユウヒを産んで間もなく亡くなった。分娩台の上でだ。出血が止まらなかったのだという。

 思い出す母の顔は、生真面目すぎるほどの真顔だ。写真たての中から、彼女は静かにユウヒをじっと見つめてくる。どんな人なのか、どんな匂いをしていて、どんな声で、どんな温もりを持つ人だったのか。

 ユウヒは何一つ知らない。

 ただ、自分にとても似ていた、とは言われる。

 

 継母から。

 

 継母がユウヒに向ける眼差しはとても複雑だ。冷え切って水気を多く含んだ粘土のように、じっとりと重くまとわりついてくる。

 彼女の視線を浴びるたび苦しくなる。

 息苦しくてたまらない。

 ユウヒが継母からの視線に溺れかけていると、彼女との間にシエンがするりと身体を割り込ませてくる。まるで猫のように。のびやかに。

 シエンが継母に向ける眼差しは、いつも鋭く激しかった。


「姉さん、いこ」


 そういって、シエンはユウヒの手を握ると引きずるようにして継母の前から連れて逃げる。小さなころからずっと、シエンはそうやって護ってくれた。


 駆けながらドアを抜け出る間際に、ユウヒは一瞬だけ継母のほうへと振りかえる。振り返ってしまった。背中に彼女の視線が突き刺さっているような気がしてならなかったのだ。しかし、継母の表情はなぜだか上手く思い出せない。薄闇にまぎれ、その顔の前に黒くわしゃわしゃとしたもやがかかって。

 ああ、そしてシエンの手がユウヒの手を強く引いて、もうそのまま継母はユウヒの視界からフェイドアウトするのだ。


 あたかも、今この瞬間のように。


 そう。

 そうしてユウヒとシエンは、あの家から出たのだ。

 継母の視線から逃れるために。

 ユウヒの方が一歳上だから、先に出た。シエンから押し出されるようにして進学先を決めたようなものだった。必死だったのは寧ろ彼女のほうだった。継母はシエンの実母なのに、彼女のほうがより強い敵視を向けていた。

 仕事で忙しく、主に海外を飛び回っている父の関与は薄い。

 だから、二人で決めた。



 ひやりとした冷気が呼吸と共に喉をすべり落ち、ユウヒはわずかばかり眉間を険しくする。

 ユウヒとシエンのかたわらでは、他生徒たちのざわめきが追いつ追われつしている。朝のいつもの光景だ。いつもの、どこか現実感が上滑りしたような、他人事のような、そんな風景。


 寮の部屋から出ても、シエンはユウヒの手を離さない。それは登校中の坂道を登るあいだもだ。

 二人が義理の姉妹であることは周囲も承知している。そういう噂はとかく出回りやすい。白玉はくぎょくはそれなりにセレブリティの子女が多く集まる学園でもある。それはつまり、ゴシップとも隣り合わせだということだ。

 自分達が不仲ではない証明としてそうしているのだと周囲は理解しているし、一部の熱狂的なユウヒのファンに対しての牽制としてシエンが利用していることもわかっている。


 空気が冷たい。胸の奥が冷える。

 手を、シエンがぎゅっと強く握る。


 仲がいいのか悪いのか。

 そんなこと、周りにとやかく言われる筋合いはない。

 だけど、この国ではまだ難しい。


 どう生きるのか。

 どうすれば二人で生きて行けるのか。

 父の強き後継者として、逃げ出すことなく歩めるのか。


 ユウヒの脳裏に、冷えて濡れた粘土のような継母の視線がよぎる。眉間に更なるしわが刻まれる。

 すでにあれから逃げている自分に、そんなことを偉そうにいう資格があるのかと、そうも思いながら。


 赤レンガ壁の角を曲がり、ユウヒはちらと視線を上げた。

 同じく赤レンガで外を覆った白玉の学舎がそこにある。昇降口の上には品の良いステンドグラスがあり、日の光を反射してユウヒの目を刺した。




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