オルガンの姉妹

珠邑ミト

第1話 タイとバラと木苺と





「姉さん」


 こんこん、という軽いノックの音とともに、少しだけ低い声が背後から掛けられた。


 ドレッサーの前でユウヒがふり返る。開けたままにしておいたドアの前に立つのは――義妹のシエンだ。


 栗色の髪はまっすぐでつややか。一重の目許は美しくすずやかで、その意志と魂の強さを物語る。平素から無口で引き結ばれたままの事が多い唇は、ユウヒの前でだけはわずかに開かれている。それが、自分に気を許しているからだという事を、ユウヒは熟知していた。


 シエンがその身にまとっているのは、ここ全寮制白玉はくぎょく女学園の制服だ。白いセーラー服のえりを飾るタイの色は臙脂えんじ。これは二年生の色だ。


「姉さん、支度は」

「もう少し。髪が落ち着かなくて」


 ユウヒは再び鏡の中の自分の顔を見る。少しだけ寝ぐせが残って取れない左の横髪にそっと手を当てた。右手にはブラシを握りしめている。鏡の中の自分もまた、白のセーラーをまとっている。


 ああ、なんていやな顔だろう。


 シエンと見比べるからか、余計貧弱に見えてしまう。

 柔和にゅうわに過ぎるあまい二重の目元に、つるりとしたほほのライン。その顔を支えるくびは細い。唇は小作り過ぎる上にルージュなしでも淡く色付いて見える。それがともすれば「女」を装っているともとられがちで、ユウヒは閉口する。

 顔だけならば年齢よりもユウヒを幼く見せるが、170センチを超える身長は、十八歳の彼女を却って大人びて感じさせた。そのアンバランスさが、一種形容しがたい魅力となって周囲を魅了している事実は否めない。


 凛々りりしく美しい、とはよく言われる。

 学園内においても、父の社の関係でもよおされるパーティの場でも。


 そんな外見上のことよりも、ユウヒは父の後継者として評価されたいのに。頼りがいや威厳というものをかもし出したいのに。そんな本音を裏切る様に、ユウヒの容姿は突出して秀でていた。


「見せて」


 頭上から降りかかったその声に、ユウヒは、はっと顔を上げた。ぼうとしすぎていたらしい。知らぬ間に歩み寄っていたシエンが背後に立っている。するり、その手をユウヒの肩から前へと下ろした。ユウヒの手の中のブラシを取り上げる。同時にふわりと香ったのは、バラと木苺の香水だ。


 二人で共有している。気に入りのものだ。


 シエンは手早くヘアミストをふりかけると、さっとブラシを髪に通す。黒髪に艶が出る。


「ほんとだ。すごいしつこい寝ぐせ」

「でしょ」

「でも時間ない」

「それは、わかってるんだけど」

「もうこれで我慢して」


 言いながら、シエンは自身の胸ポケットに挿していたアメリカピンを二本手に取り、器用にクロス挿しにして落ち着けてしまった。


「うん。キレイ」

「ありがとう」


 シエンに当たらないよう、ゆっくり椅子を引いて立ち上がる。そうしてみれば、シエンの目線はユウヒのそれよりわずかに低い。

 涼やかな目許がじっとユウヒを見上げる。


 あまい、あまいバラと木苺の香りが、こぼれる。


「姉さん、タイは」

「ああ、ここ」


 言われて、ドレッサーの隅においていた黄色のタイを取り上げると、シエンはそれもするり取り上げて、ユウヒの襟に巻きつけた。


 長い指先で、きゅ、と清らかに締められる。


「姉さん、これ、絶対私以外の後輩に渡さないでよ」

「わかってる」


 それは、白玉女学園に残る一部の伝統だ。

 先輩から後輩へ、学年を移る時にタイを譲り渡す。

 三年生の黄色のタイを渡す時というのは、つまり卒業の時を意味する。


 シエンの指先が、ついとユウヒのおとがいに触れた。

 ひやりと冷たい。それだけで、もう冬の訪れが近いことを物語る。


「シエン、ドア」

「閉めた」

「時間」

「わかってる」


 のびやかに、猫のように、シエンのかかとが床から離れる。

 甘い、あまい、バラと木苺の香りがユウヒの唇にふわりと、とけるように、落ちて、残る。


 涼やかな眼差しが、ユウヒに眩暈めまいをおこさせる。

 この義妹の独占欲に、いつしか溺れてしまうような。

 そんな気が、している。




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