第4話 陽光の救世主

その人の伝説は3歳の頃から始まった。父、『ライト・フォーアス』の仲間を稽古中に捻り伏せ、『エーワンス』で血気に逸る若者4人の喧嘩を一人で制圧し、力比べでは10人の大男と互角に引き合った…。それくらいの事が言われている。

5歳の頃には『ライト・フォーアス』と互角に打ち合い、『勇者』と呼ばれていた『ライト・フォーアス』が星を救うために生まれたのではなく、この子供を作る為に生まれたのだと言わしめるに至った。その果てに着いた二つ名が『陽光の救世主』。この星に、この人に勝てる人間どころか生物すら存在はしない。少なくとも、今の所はであるけれど。

実の妹としてはそこに至るまでの過程を見ていない。私と兄さんとでは六つ、歳が離れている。気付いた時には兄さんは大きくて、誰からも憧れられる最強の存在だった。お父さんが戦う姿は、私は一度も見られなかった。

私もお父さんの娘として、一度打ち合って欲しい、と頼んだ事がある。自己流ではあるけど鍛錬はちゃんと積んだ。その頃の私は、『天光斬月』をようやく構えられるようになって、正直浮かれていた。それを構えた時に言われた「お父さんにそっくりだ」の言葉に気をよくした。それが間違いだった。

結果は手も足も出ない惨敗。許してもらえたのは、たった一振り。圧倒的過ぎたその強さの差に、私は憧れるのをやめた。この人にはどうやったって追いつけない。心の隅々までに刻み込まれたから。


「レスティ。大丈夫?」

かけられた声にはっとした。ここは『ガーランド』の城門前、確か皆で帰ろうって話になって…。

「うん。ミリルさんはまだ?」

ベクルは後ろに振り返った後、こちらを見てから首を振った。まだ話し合いが続いているみたいだ。私を心配してか、ベクルだけ早めに抜けてきたみたいだけど。

「それよりもレスティよ。ノーエルになんか言われてない?あいつ、『救世主』の癖に口が悪いんだから…」

そのノーエルはすぐ近くにいて、こちらを見ている。実の兄妹なんだからそんな事を心配する必要はないんだけど。その心遣いは受け取っておこう。

「悪かったな。不要な心配をさせるほど口が悪くて」

目は怒っていなかった。なんだかんだで悪く言われる事も兄さんにとっては慣れている。褒められてばかりの人ではない所がほんの僅かな人間らしさを感じさせる。そう、ベクルやペスケみたいな仲間の女性に押されやすい所が。

「おい!ノーエル!!損傷が酷すぎるぞこれ!ベクルを見習ってくれ!」

少し離れた所ではペスケが魔物の死体の解剖をしていた。それこそ、彼女の二つ名である『血塗れの冒険家』通り血塗れになって。彼女はそれでいて表情をまったく崩さないのが恐ろしい所だ。

「そっちはどれだけで倒せるか分からなかったやつだ。奥の方のを使え」

「『救世主』サマならこんくらい一撃で倒せるって分かるだろ?!自分の力を過小評価するのもいい加減にしてくれ!」

「…はぁ。過小評価はしてない、俺のやり方は知ってるだろ?」

「それに文句があるからケチ付けてるんだろ!?わかってないなぁ!まったく…!」

ノーエルは頭に手を当てて、ペスケは手前に積まれた死体の山を片付けながら言葉の応酬をしていく。お城の兵士はそんな二人を見て引いている。二人共すごい人であるから、というのもあるけれど。

空は晴れ、風は穏やか。のどかな景色に似つかわしくない血の色が広がりながら時間が流れていく。普通の人からしたら異常な光景だ。私も気分がいい訳ではない。ペスケの方からは時々笑い声が聞こえてくるけれど。

ちょっとだけ、さっき考えてた事を思い出す。私が兄さんに初めて負けた日。あの時には既に『陽光灼蘭』は兄さんの物で、私が使っていたのは『天光斬月』だった。もしかしたら、ふと思い浮かんだだけの予想ではあるけれど、『天光斬月』だから『勇気』を引き起こせたのではないか。そう思った。あの時はたまたま、色んな条件が噛み合って『勇気』が起きたのだけれど、その必要条件に『天光斬月』が入っているのではないか。

兄さんは『勇気』を起こした事がないと言っていた。『天光斬月』なら、もしかしたら…。そう考えていると門の開く音がした。奥からは小さい、小さい『大魔導士』であるミリルさんの姿があった。

「待たせてすまないね!今後の事も話していたら長くなってしまった…」

「今後の事…ってあの魔物対策の後、ですか?」

私の問いかけにミリルさんは無言で頷いた。視線は静かにノーエルに移った。

「私も冒険に出ようと思ってね。久々に『マギニカ』に行く事にしたよ」

「…ウチの船に乗って、か。修理は済んだから確かに魔物の事が片付けば…」

ミリルさんは戦えない『大魔導士』ではあるが、その昔はお父さん、『ライト・フォーアス』と数々の冒険を繰り広げたという。見た目は10代前半…よりも幼いかもしれないくらい小さい姿からはとても想像がつかない。でも兄さんはこの人が大人の頃を見た事があるらしい。確かにお婆さんだった、と言ってた気がする。

「薬を取りに行って以来だな…。あそこには彼女の弟もいるだろ?」

彼女、と言って向いたのはペスケの方だ。弟がいるって話は私にとっては初耳だ。まともに家族がいるって事すらそういえば聞いた事がない。あの人は自分の事やその周りの事は一切話さないし、興味がない事については本当に興味がない。

「あいつに弟がいるなんて初耳なんだけど…。せめて弟はまとも、だよね?」

ノーエルの方を向くと無言で視線を逸らした。どうやら問題アリ、らしい。

「ははは…どうやら彼が何か重要な情報を掴んでる、というのも聞いたのでね」

「…それは『シリウス』の事じゃないのか?俺達が聞いたのはその話だが…」

初めて聞く名前だ。私が目を丸くしていると、ベクルが耳打ちをしてくれた。

「この星の裏側の海に『シリウス』って呼ばれてる所があるの。私も行ったことはないんだけど…」

「『海棲都市シリウス』だな。そこにも勿論行くつもりではあるが…」

ミリルさんは言葉を濁した。そういえばリオンが何か言っていた気がする。その辺りに関する何か…私が聞けるくらいなら大した事じゃないんだろうけど。

「彼はまだ何か隠しているらしい。陛下もそれに気付いていた」

「あーいつがまともに人と話せる訳ないだろ?私の弟だぞ?」

血塗れのままペスケが近づいてきた。血の匂いが強い、思わず鼻の前に手が出てしまうが摘まんでしまうのは失礼かもしれない。ノーエルが苦虫を噛み潰したような表情でペスケを見ている。

「お前は体を洗ってから話に参加しろ。向こうに洗う場所があるだろう?」

「ほー?仮にも女の私に対して洗って来いと?男がそう言うの昔の概念でなんて言うか知ってるか?セクハラって言うらしいぞ」

「女の私から言えばいいのか?さっさと行ってこい」

はいはい、と言わんばかりに手を振って奥へと引っ込んでいった。それと入れ替わりになるかのようにリオンがこちらへ歩み寄ってきた。解体を手伝わされていたので体を洗ってきたのだろう、髪が濡れている。

「あの人もああいう所が無ければいい人なんですけどね。偏屈でねじが外れた…」

ミリルさんは大きなため息を吐いて空を見た。

「そこが無くなったらペスケくんではないだろう。見てくれは恥ずかしくない人なのだがな…」

「ですよね!兄さんもそう思うでしょ?」

私は常々思っていた事だった。ちょっと吊り目のキレのある美人、肌も何故か綺麗だし身長も兄さんよりちょっと低いくらいで大きいほうだ。スタイルは直接見た事は無いが服の上から見る限りでは悪くない。きっと良い方だ、ベクルになんとなく似てる感じあるし。

話を振られた兄さんはちょっと困惑した様子で私を見た。聡い兄さんなら私の意図を察しているはずだ。自分の中で出せる限りの輝く目で、兄さんの瞳を見つめた。肯定の意見が欲しくって。

「…外見だけならな。待ってたら遅くなるし、あいつは置いて先に行くぞ」

兄さんは話を切り上げるようにして歩き出した。これ以上、話す事はないみたい。もっと意見を聞きたかったんだけどな。そういう話は噂すら聞かないし。リオンとベクルが顔を寄せて小声で話しかけてきた。

「レスティ…?心配すんのは分かんだけどさ。アレを勧めるのはナシだって…」

「そうですよ…。それなりに一緒にいますけど彼女に女を見た事ないですよ?」

ベクルは肘でリオンを小突いた。近寄るなと言わんばかりに。

「でもお互い、相手はいないんだし。今一番距離が近い異性同士じゃない?」

「だからってさ…。相性ってもんがあるでしょ?良いように見える?」

「…でも彼女、ノーエル以外に相手が出来ると思います…?」

ちょっとだけ、お互いの顔をみつめて無言の時間が流れた。私はこの時間を皆が同意したと捉えた。

前を歩いていたミリルさんが程よく速度を落としてこちらに近づいた。その顔は渋かった。

「『救世主』になんでも押し付けるのはやめたまえ…。彼にだって選ぶ権利はある」

「押し付けてませんよ!ミリルさんは兄さんがこのままでいいと思ってるんですか?」

唸りながら首を傾げたミリルさんは少し考えた後に首を振った。やっぱりダメだと思ったみたい。それ以上は何も言わずに歩調を速めて距離を取った。私は思わず苦笑いした。そっか、ダメか。意外とお似合いだと思ったんだけどな。

リオンがベクルを手で制しながら近づいてきた。ベクルは『フラムベルク』に思わず手をかけてたけど私も手を出して制するとその手を収めた。

「…ちなみに、ベクルさんを勧める、というのは思いつかなかったんですか?」

「えー?…ベックは…。やだなぁ」

何が嫌なのかはパッと浮かばなかったけど言葉に出てきたのはそれだった。他に言葉も出ないくらい、これだけは言えると思ったから「嫌だ」が出てきた。リオンは困った顔をしていたけれど、今の所それが私だ。


『カントリーヒル』に戻る道、城下から市街地へ戻る道は広く農地に使われている。ここで出来たものが城と街へそれぞれ届けられていくのだ。まばらに牧場とかもあって私はここまでならよく通った道である。何より牛乳が飲めるし。

今日も風が吹いている、気持ちのいい風が吹くと草地に足跡を一つ、二つ。誰かが通っていく。私はそれを見ているのに、皆は意外と気付いていない。もしかしたら、見えてなかったりして。そんな事を考えてたりしていると、また、風が吹いた。

ノーエルの足が止まった。それを見て思わず私も止まると、目の前に誰かがいる事に気が付いた。子供だ、剣を持った10歳くらいの子供。まっすぐにノーエルを見ている。瞳をどこか輝かせながら。

「あっ!あのっ!…『ノーエル・フォーアス』…ですよね!?」

まずい、兄さんにこの手の子を相手にさせるのは。

「俺…!いつか『陽光の救世主』って呼ばれるくらい、強くなりたくって…!」

「あっ、ダメだよ。兄さんは…」

私が割って入ろうとすると、ノーエルはこちらを手で制した。仕方なく、私はゆっくりと下がった。挑みたくなる気持ちは分かる、痛いほどに。そしてそれに応えてしまう、この人は。

「お願いします!一回だけ…!一合だけ打ち合ってください!!」

真っ直ぐに、綺麗な姿勢で頭を下げた。分かっているのだろう、相手がどれだけ偉大で強い相手なのかを。少なくとも、この星でこの人に並ぶ実力の持ち主はいない。追いつけるかも、とすら言われない。ベクルですらそれ程の期待はされなかった。強くはあるが、ノーエルには絶対に及ばない、と。

その絶対の差が大きすぎる。大袈裟でも何でもない、そこには絶対がある。ノーエルは右手を見つめると、付けていた篭手を外し始めた。

「剣を置け」

「…えっ?でも…」

少年は戸惑いながらも、その圧に押されて剣を置いた。そうしなければならない何かを感じさせたからだろう。目で押した訳ではない、言葉で押した訳ではない。そう言ったからにはそうしなくてはならないと思わせるものが確かにあった。

篭手を外すと、それをリオンに手渡して『陽光灼蘭』を抜き、地面に放り投げた。抜き身の剣身が昼の日差しを反射して、光り輝いている。少年も思わず目を覆うほどに眩しい、この星の逸品だ。

「えっ…えっと…」

「持て」

ノーエルは手袋も外すと、服の中にしまいこんだ。右腕は素の状態だ、覆うものは何もない。何をやろうとしているのか、昔やられた事がある私にはハッキリと分かった。

『陽光灼蘭』は子供の身には余りにも大きい。大人が使う想定で作られているのだから当たり前の事ではあるけれど、少年はそれに手をかけると両手両足で踏ん張って持ち上げた。持てるだけで十分すごい、挑もうとするだけの根拠はあった。私も、同じような事をしたから。

少年はノーエルに向き直った。そうした時、思わず体を傾けた。驚いただろう、何せノーエルは何も持たず、右手を突き出しているだけなのだから。

「来い」

「えっ…?な…なんで…?」

これには流石に困ったようで、少年の視線がこちらに向いた。助けを求めている。当然だ、そんな事をしたら、と思うのも。ミリルさんが頬を掻きながら歩み寄った。

「心配ない。振りたまえ、むしろ斬ってみろ。そしたら君が『救世主』だ」

そんな事を言われても踏ん切りがつかない。当たり前だ、目の前の相手は無防備もいいとこだ。斬ってみろなんて言われて簡単に出来る訳がない。私だって出来なかった。だいぶ長い間、逡巡した。もし、斬れてしまったら。考えるのは当然だ、『救世主』と呼ばれる人の腕を、もし。

でも、そこには絶対という言葉がある。私はそれを超えられなかった、多くの人が超えられなかった。だからこの人は『救世主』なのだ。

「うっ…くっ!えぇーい!!」

大きく振り上げた『陽光灼蘭』は、光の筋を周囲に放ちながら真っ直ぐに振り下ろされた。いい剣筋だ、私より、よっぽどいいかも。思わず一瞬、目を瞑ってしまったけれど、開いた先にあった景色は見慣れたものだった。

「……えっ!?なんで…?!」

『陽光灼蘭』は『救世主』の腕を斬る事は無かった。掴まれた訳ではない、躱された訳でもない、正面から受け止められたのだ。相変わらず、見ていておかしくなる光景だ。普通ならその刃が食い込み、掌を傷つけるには至るはずなのに刃が食い込んだ跡すら見えない。少年はもう一度、剣を振り上げた。

何度も、何度も振り下ろした。だがその掌には一切の傷を負わせる事は無かった。むしろ剣が欠けてしまうのではないかと思ってしまう程に強く振られている。

「どっ…!どうなってるの!?こんなの…こんなの…!」

剣を打ち合う以前の問題だ。私は少なくとも、そう思った。

ノーエルは振り下ろされた剣を掴むとそのまま引っ張り、手の力だけで剣を引き抜いた。宙に放り投げると柄を持ち直し、左手に持ち替えると鞘に納めた。改めて見せた右手は、皴一つ増えてない綺麗な手だった。

「…憧れるのはやめろ。俺を追いかけるな、自分の生き方をしろ。…牧場の子供だな?」

「そ…そうだけど…なんで…」

「服に藁が付いてるぞ。お前にはお前の生き方がある、それがお前の役割だ。そしてそれを守るのが、俺の役割だ」

手袋をはめると右手で少年の頭を二回、軽く叩いた。

「自分が同じ真似をすればどうなるか…わかるな?」

私にかけた言葉と同じ。高圧的な言葉だ。絶対に真似をするな、という圧を含んだ言葉。ノーエルは、兄さんは憧れるというのを極端に嫌う。これにはちゃんとした理由がある、同じ場所に立ってほしくない、という単純な理由が。

「僕、初めて見ました…。本当にやってたんですか?あれ…」

「あはは…。私もやられたよ?すごいよね」

リオンは初めてみるらしい。魔法に長けた人にはああいうのはやらないんだろう。それもそうか、と思うけど。ベクルは終始あきれ顔でノーエルを見ていた。

「正直、後進の育成によくないと思うんだよね。ノーエル?」

語り掛けられてもノーエルは足を止めず、振り返らなかった。

「あれ、どういう仕組みなんですか?ただの魔力による身体強化じゃないですよね?」

「いや?ノーエルくんのはそうだ。素人目からでは到底分からんがね」

「え!?でもそういう反応というか魔力は感じませんでしたけど…」

魔力の扱いに長けたリオンでも気付いていない。正確に言えば、気付かない程の力だからあの人は『救世主』足りえるのだ。

「彼には天性の才能がある。それがあの防御法で、受ける直前だけに身体強化をしている。彼の魔力の量と力の質からして、現状彼に止められない攻撃はない」

子供の頃からそうだったらしい。何かが襲い来るその直前、ノーエルは反射的に、その部位を、的確に強化できる。力の使い方に一切の無駄が無く、ただ出力が大きいだけではなく長い時間戦う事だって可能だ。戦っている相手は何故、自分の攻撃が効かないのか理解が出来ない。それまでに一切の力を出していないからだ。

「…原理が理解できれば、他の人でも可能なのでは…」

「簡単に言うなよ。出来たらみんなが『救世主』だ。この星じゃ、あいつしかできないんだよ」

ベクルはリオンの頭を小突いた。そうだ、理解して、やろうと思う事は誰だって出来る。誰もが憧れて、真似しようとする。でも、誰も出来ない。だから『救世主』なのだ。

「君たちのように魔力の扱いに長けた人物ならば普段から多少は彼と同じ事をしている。だから攻撃に耐える事が出来る、斬撃や魔法を受けても体が簡単に崩れる事はない」

二人の方を見て、手を動かしながら説明した。私やミリルさんは、そういった事に長けてないから魔物に襲われたらひとたまりもないだろう。薬草摘みの仕事をしている時に怪我をした農民の人を見た事がある。もちろん、私の薬草を求めて依頼してきた人だ。普通に過ごしていたら有り得ないような怪我をしていた。きっと私も、同じくらいに脆いのだろう。

ノーエルは一度も怪我をした事が無かった。これは語り継がれているからたぶん本当の事。何でも耐えられるから、何でも背負ってしまう。

「いにしえには後天的にコントロール出来る方法もあったかもしれないが…現代では彼以外には不可能だ。情けない話だが、彼に頼るしかない」

きっと遥か遠い過去には、皆が当たり前に出来て、それ以上の事をするだけの力があったかもしれない。もし今の時代に顔を出す事があれば、ここまで人は弱くなったのかと言われる事もあるだろう。それでも、それでもこの人を超える人が現れないのがこの星の答えだ。私たちの中で、この星で誰が一番強いのか、それは『ノーエル・フォーアス』。それは絶対だ、誰かが、支える誰かが現れれば何より良いのだけれど。

言葉を思い出した、「お前は少し諦めが早過ぎる」。兄さんに言われただけじゃない、母さんにだって言われた。「あなたは頑張れば、出来る子なんだから」、私が転ぶ度にかけてくれた言葉。そのお陰で私は前を向いて立ち上がれた。

やっぱり、力は必要だ。例え『勇気』じゃなくったっていい。代わりになる何か、それだけでも。


『カントリーヒル』の市街地に着いた頃には日が沈みかけていた。ロップの首にかけられた時計を見た。もう昼の18時だ、いつもだったら眠っている時間だからちょっとだけ眠い。昼の15時には寝て、夜の1時には起きるのがいつものサイクルだ。だいぶ歩いたし、疲れが体にのしかかる。

ミリルさんもちょっと疲れた顔をしているけれど、他の皆は涼しい顔だ。ペスケも急いで合流したにしては汗一つかいてない。やっぱり体のつくりからして違うのだろうな。手で汗を拭うと、小さな風が吹いた。

街はもう静まり返っている。ほとんどの人が寝ている事だろう、明るいから眠れない、という人もいるから起きてる人もちらほらいる。平時の賑わいに比べればかなりおとなしい、静かすぎるくらいだ。

「本当に置いていくことはないじゃないかよー。仮にも仲間だろー?」

「それより、ちゃんと洗ったんですか?まだ血の臭いがするような…」

リオンは鼻を摘まみ、不快感を露わにしている。彼は別に研究者でもないから解体を手伝わされたのが嫌だったのかもしれない。

「印象論で人を語ってはいけないよ?血の臭いがする、というのは誉でもあるがね」

「きみは冒険家でありたいのか研究者でありたいのかどっちなんだ?研究者であるのなら余計な物は付けない方がいい」

「興味のあるものは何でも追うべきだ、それこそ、泥が付いたままでもな」

呆れた調子でミリルさんは溜息を吐いた。私はペスケらしい回答でいいと思うけど。道を究めようと思う人にとっては言いたい事があるのだろう。

「あんた、筋はいいんだからもっと鍛えれば伸びたのに…強い相手と戦うって事さえすれば」

「負けるとわかってるなら戦う必要なんてない。強い相手は強い奴に任せるのが一番なんだよ」

「いや…成長しようとは思わないんですか?」

ペスケは大きくため息を吐いた。きっと何度も言われてる言葉だからだろう、呆れ、失望の感情が大きく感じられた。

「いいかい?折角この星に、『救世主』サマが生まれた時代に、貴重な時代に生まれたからには全部そいつに任せるべきだ。そうだろ?」

要は強い相手は全部『救世主』に任せればいい。だから自分は強くなくていい、ペスケはそう結論付けたようだ。恐らく、この星の大半の人が考えている事と同じだろう。何より、その考えはノーエル自身が考えている事とまったく同じで。

「…そうだな。強い敵は全て、任せればいい」

本人がそう言っている。困った事に、賛同者が多いからこの理論は崩せないのだ。

「だろー?だから私は、それ以外の事を好き勝手やる。それが私の役割だからな」

好きな物が多くて羨ましく思う。強敵と戦うのは嫌うが、別に戦闘が嫌いな訳ではない。ペスケは『エーワンス』の中でも指折りに強いし、その強さで数々の敵を倒してきたのは話に聞いている。何より、中途半端な強さだったならノーエルの傍にはいられないだろう。現状、困っている訳ではないのだ。このパワーバランスで。

ペスケが高笑いをしていると、ノーエルがペスケの後頭部を掴んで突き飛ばした。

「お前は好き勝手やり過ぎだ。人を守る立場にあるという事を考えろ」

独断専行な振る舞いもペスケの人となりを示している。この前は戦闘でちゃんと戦ってくれはしたけれど、噂では遺物に夢中になって戦闘を放り投げた事もあるらしい。尻拭いはもちろん、ノーエルとリオンだ。ベクルも、過去には同じような目に遭ったのだろう。

「なんだよ!全部『救世主』サマがやってくれるんじゃなかったのか?!なら私がやらなくてもいいだろー?」

「あまり重荷を背負わせるな。ノーエルくんだって人間だ、神ではない」

ベクルがそっと、ノーエルの傍に寄った。耳元に顔を近づけ、何かを囁いている。

「ひとつ助言してあげる。もっと弱いとこ見せないとあんた、期待に殺されるよ」

ノーエルは遠くを見つめていた。

「…英雄は死んで完成する。まだ死ぬつもりはない、何も為せていないからな」

やれやれ、といった様子で両手を挙げてベクルは離れた。話している間に噴水広場までたどり着いた。この辺りで解散、と言った所だろうか。

「さて、改めて確認するぞ!我々はこの星の裏側にある『マギニカ』へ向かう!途中、『シリウス』を経由してだがな」

話に聞くと、ここからまっすぐ東に行って、その果てに大きな海があるらしい。中心に浮かんでいるのが『海棲都市シリウス』。ミリルさんの話によると、遥か昔、海の中を泳ぎながら輝く生きる都市…らしい。暗闇を照らす星の名前が与えられていて、何か重要な役割があったらしいのだけれど、海の上、という事もあって調査が進んでないみたい。

いろいろ含めて調査に行くのが目的…との事。私には、縁のない話ではあるけれど。

「『小さな翼』は本当に飛べるんだろうな?」

「船長が言うからには大丈夫だ。船の事はあいつに任せているからいけると言ったらいけるだろう」

ラウド、って人が船長らしい。話だけは聞いていた。なんでもずーっと昔、本当に昔の頃から飛行船『小さな翼』の整備をしてきた家系で、船の直し方は一子相伝。他の人には何がどうなってるのか分からないらしい。

「故障原因が原因だからなぁ…正体不明の何かにぶつかって損傷、だなんて」

「でも、僕達も外に出て確認したじゃないですか。確かに大きな揺れがあったあと、外には何もいなかった…」

「へぼ整備を誤魔化してんじゃないかって言ってんだよ。あの船長は信用してない」

ペスケは露骨に嫌悪感を露わにした。嫌な人だとは聞いてなかったけど。ひねくれもののペスケが嫌いなら、真面目でいい人だったり、するかもしれない。

お父さんも乗った船だから、私も面識があっておかしくはないはずなんだけど。不思議と会った事はない。その人にしか整備が出来ないという話だし、街に下りてくる事がないくらい船に忠実な人なのだろう。

「ふぅむ…。空を飛ぶ魔物にそこまで大型のモノは確認されてないはずだが…今は『天界』の事もある、何が起こってもおかしくはない」

私はふと、空を見上げた。『セントラル』のほう、ついこの前、『天界』を見た場所。確かにそこにあったのだ、ペスケが軌道エレベーターと呼ぶ塔の近く、高い空に浮かぶ島がそこに存在した。

でも今は、何も見えなかった。雲一つない空が広がる中で、折れた塔が寂しく立っていた。夕焼けの光に照らされて、普段とは違う景色を見せていた。

「ミリルさん、私たちは…」

ベクルが口を開いた。彼女はもう、冒険家を引退した身だ。その強さは健在だけれど『エーワンス』からは正式に籍を外している。装備だって『フラムベルク』以外はただの庶民と変わりない。防具の類は後続に残した、と聞いた。ちゃんとした装備をしていれば、怪我だってしなかっただろう。

こういう時、「私の事はいいよ」、と言えればいいのだろう。ベクルはまだまだ、この星に必要な人材だ。歳も29と、ノーエルよりもペスケよりも若い。二人が前線を張ってる以上、先に身を引いているのはさぞ色んな事を言われた事だろう。

でも、彼女は私に惚れ込んで傍にいてくれる事を選択してくれた。それがどんなに勿体ない事であるかは分かっている。でも、それでも、甘える事を許してしまっている自分がいた。そんな権利なんて持ってる訳ないのに。

「ああ、そうだな…。『勇気』の確認が出来なかったのは残念だが…日を改めてからでいいだろう。『マギニカ』での調査を終わらせて…」

「いえ…彼女には…。レスティには…」

視線が俯き、声に力がない。言いたい事は分かっている。兄さんになんでも背負わせているように、彼女にも背負わせている。それじゃ、これでは駄目だ。

「私には…『勇気』は…」


――「リオン、レストとミリルさんを守れ。あいつらだ」

ノーエルはいつの間にか、剣を抜いていた。何も聞こえない、何も見えていないけど、何かがいるみたい。あいつら…?察する事が出来るとするのなら三尾白狼?認識できたときには大きな足音が響いていた。

リオンの『結界式』の中で私は身を縮めた。足音は次々に増えていく、二つ、三つ、四つ。気付いた時には周りを囲まれていた。

戦力差は絶望的だ。数では相手が上回っている、確かに、ノーエルはあと八はいると言っていたけど。全てがこちらを集中的に狙ってくるとは思ってなかった。

「もしかして血の臭いで狙われたんじゃないですか!?報復とか?!」

「奴らにそんな知性があるとは思えないなぁー。可能性として一番高いのは強敵の排除だ」

「成程…。ここに生息域を求めたのなら、障害になるものを取り除かなければいけない」

地上で暮らしたいから、自分達の邪魔になりそうな一番強い奴を倒そうとしている。専門家の意見はそうだ。ならば狙いは間違ってはいない、ここに、この星で一番強い人がいる。

「なら、標的は俺だけ。という事だな」

右手に持った『陽光灼蘭』が、夕焼けの光を反射して眩しく輝いている。周りに目を移すと、何人か住人が出てきてしまっている。魔物の足音に反応したのだろう、そちらに視線が移ってしまうかもしれない。被害が出る前に、逃げてもらわないと。

私が声を出そうとするより先に、魔物達は動いた。こちらに向かって飛び掛かってくるのが一匹。尻尾を三本とも伸ばして、真っ直ぐに突いてくる。『結界式』があるとはいえ、本当に安全かは分からない。思わず目を瞑ってリオンの後ろに隠れた。


『結界式』が攻撃を弾く音が、時間が経っても響かない。薄っすらと目を開けると私達の前にノーエルがいた。三本の尻尾を、一纏めにして左手で握っている。三尾白狼は必死にもがいている。尻尾は濡れているはずだ、なのに万力で締め付けたかのように動く事はない。

「おい、俺を狙ってるんじゃなかったのか」

ノーエルの視線はペスケに向いた。ペスケの方は視線を逸らして宙を向いた。

「一説さ!必ず正解するとは限らない。何より、『天界』を追われて地上に逃げたのなら強い相手には警戒心を持つ可能性も…」

大きなため息を吐いた後、ノーエルは魔物達に向き直った。どのみち彼らは、この壁を越えなければいけない。

数では圧倒している、一斉に攻撃を仕掛ければ何とか出来る可能性は生まれるだろう。でも、彼らはそれを簡単にはしなかった。きっと力の差を肌で感じている。どう上回ろうかを必死に考えている。

尻尾を掴まれたままの一匹がしびれを切らしてノーエルに襲い掛かる。避ける様子はない、防御する様子もない。この人の戦い方というのはいつだってそうだ。常に圧倒する戦いを、全ての生き物が諦めを覚える程に強く、名前を聞いただけで怯える様に、襲い来る全てを受け止めた上でその上を行く。

首元に大口を開けて噛みついた。ノーエルはまったく動じていない、されるがままにされている。悲鳴が上がった、周りの人はやられた、と思っているだろうから。血はまったく出ていない。体を必死に揺らして、牙を深く突き立てようとしているが体に刺さる様子がない。

何度も口を開けて、噛みなおしている。だんだん周りの人々もおかしい事に気が付いてきた。まるでじゃれついた犬の甘噛みかのように見えるほど、ノーエルが動じていないからだ。自分と同じ大きさ程の魔物に組み付かれて尚、体の軸をぶらす事がない。悲鳴は歓声に変わる頃、囲んでいた数匹が飛び掛かった。

尻尾の攻撃が一回、二回。ノーエルの体に直撃する。防御する姿勢は相変わらずとらない。鎧の薄い所に確実に入ったはずだ、なのに体を揺らす事すらない。

魔物達は顔を見合わせて、この異常事態に気付き始めた。目の前の男はおかしい、一番の脅威だ、数回鳴き声の応酬があった。会話の内容は知る由はないが囲んでいた七匹、全てが動き距離を詰めた。

「すげぇ…!あれが『陽光の救世主』!」

「常に日が当たる、全ての人が崇める強さを持つ『救世主』…!」

全ての三尾白狼が尻尾を伸ばし、針の筵にする勢いで全方向から突き立てた。ノーエルの姿が見えなくなるくらいの攻撃に思わず目を瞑ってしまった。けど、結果は分かっていた。あの人がこんな程度でやられる訳がない。

「…それで全部か?」

体の至る所に刃と化した尻尾を突き立てられて尚、ノーエルは立っていた。血も汗も、一滴も垂れる事はなく。土埃が晴れるとまだ握っていた尻尾を折り、左手の力だけで千切り取った。

魔物達は探している。この壁を超える方法を。何とかして、こいつを倒さなければ自分達に安寧はない。分かっているが、遠回りの仕方が分からない。ノーエルは何か、特別な方法で強化している訳ではない。何かを解除すれば弱くなる訳じゃない、どこかを攻撃すれば弱い訳じゃない。近道はない、遠回りもない。超える方法が、ない。

一匹、先に逃げようとした魔物がいた。私がその動きを察知した時には既にノーエルが先回りしていた。

「一つ」

真っ直ぐ『陽光灼蘭』を振り下ろすと魔物は動きを止めた。逃げるのは不可能と判断したのか、二匹同時にノーエルに向かって飛び掛かった。

「二つ、三つ」

『陽光灼蘭』が光を反射させながら煌めくと同時に魔物は血飛沫をあげて横に弾き飛ばされていく。怯えが伝播していく、その場にいた魔物全てが逃げる事を選択した。正しい選択だ、逃げる事が出来るのなら。

ノーエルは真っ直ぐに剣を構え、目を瞑った。

「…戦場に咲く花よ、満開に咲き誇れ。血と火が散らす命の上に」

「来るぞっ!備えな!」

ペスケが叫んだ。口上は聞いた事がある、精神統一の為と、仲間に危険を知らせる為だ。かつてお父さんが極めようとして不可能だった技。昔の文献に描かれていただけで、再現は無理だと言われていた剣技だ。広範囲を巻き込むとだけ聞いていた、土埃がまだ舞っている。

土埃がほのかに、燃えている。

「『灼蘭、業火!』」

剣舞のように鮮やかに回りながら剣を振り下ろした。振り下ろした瞬間、魔物達の動きがぴたりと止まった。

火が、火が散っている。宙に浮かぶ土埃が、火花を散らしながら斬れていく。その技は宙を斬り、斬撃の衝撃で火花を散らす。咲いていく、宙に火の花が無数に咲いていく。魔物の体に咲いていく。火花を散らしながら裂けていく体に。戦場はたった一瞬の内に赤い、赤い花畑になった。

私の目にはたった一振りしか見えなかった。でも実際は何百、何千にも及ぶ剣戟を放って周囲の敵を切り刻んでいる、らしい。火の花はその際に生まれる副産物、という事で技の威力を物語るものではないとは聞いたが剣を振るだけで火が発生するのは凄まじい。そこに魔法は使われていない、火の魔力を使っている訳ではない、自然発火する程に威力のある斬撃がこの技の正体。ノーエルの誰にも真似できない技の内の一つだ。

三尾白狼は全て、切り刻まれて命を失くした。数を数えなおす、確かに八匹だ、これで地上に降りてきたのは全部倒した事になる。周りの人々から自然と拍手が起きる、対象はもちろん、ノーエルだ。

「本物だ…!本物の『救世主』だ!」

「すごい…!ありがとう!『救世主』様!」

その戦い方は全てを圧倒し、この人に全てを任せればいいと思わせるに十分な強さを見せつける。実際、超えるモノはいない。だから無条件で、手放しで褒め称えられる。『救世主』と。

もし…。もし『勇気』が使えたのなら。この人の荷物を少しでも軽くしてあげる事が出来るのに。子供の頃からずっと同じ事を言われてきた。「全部、俺が背負うから」、言葉の通りにしていいだけの人だから、だからこそ背負わせてはいけないと思った。

ミリルさんも言っていた。兄さんだって人間なんだ。神様にしてはいけない、分かってはいるけれど。

足音に振り返ると、そこには少年がいた。ちょっと前に、兄さんにあしらわれたあの少年だ。しっかりと剣を腰に差して、兄さんを見ていた。その目にはまだ、輝きがあった。

「すげー…。やっぱり…俺…!」

どうやら一部始終を見ていたようだ。どうしても憧れてしまう気持ちは分かる、あれほど他者を圧倒する戦いはできない。ちょっと考えればわかる事だ、兄さんは敵の攻撃を全て受け止めた上で敵を倒す。絶対に負けない自信と、倒れない信念があるからこそ出来る業だ。でも、『心眼の剣聖』と呼ばれたベクルでも攻撃を受けたら怪我してしまう。『救世主』に並ぶと噂された彼女ですらこのレベルなのだ。

後から追いかけてどうにかなる次元ではない。兄さんと、それ以外には絶対の差がある。安易に憧れてしまったら危険にも程がある。攻撃されたら痛いのが普通なのだ。この憧れは、止めなくてはいけない。

静かに歩み寄ると、少年の目の中に仄かに火が宿っているのが見えた。少し怯んでしまったけど、唾を飲んでしっかりと向き直った。

「…駄目だよ。兄さんの真似をしちゃ。あれはあの人にしか出来ないから…」

「でも…!同じになれなくっても!憧れるだけなら!」

私は少し、俯いた。まったく同じ事を、一字一句同じ言葉を浮かべた事があるから。何度も、何度もそう思った。その度に、同じ事を言われた。

「憧れちゃダメ…。手を伸ばしたら諦められなくなるから…」

一度でも手を伸ばせば、届くかもしれないと思ってしまう。距離なんて関係ない、手を伸ばせた、という事実が諦めを悪くする。

(お前は早く諦めすぎる)

…諦めてなんかないよ。ずっと、出来るかもしれないって思ってる。どうせこの諦めの悪さだって兄さんにはお見通しなんだ。私に発破をかける意味で、そうじゃないよって言わせたくって言ったんだ。そこですぐに言い返せないから私は…、私は。

風を感じた。冷たい風、夜も近いから不思議ではないけれど。でも、違和感を感じた。

何か不吉なモノが来る?思わず少年から視線を外すと、風の正体に気付いた。


――もう、すぐ近くにいる。

三尾白狼?うそ。確かに八匹。


数えなおしてる暇なんてない。剣、抜かなきゃ。怖い。どいて!

――もう、そこに。


護らなきゃ、この子を。――怖い。

動け、動け!動け!!


――風の足跡が一つ、二つ。

見えなくても迫ってくる。私の後ろから、この剣に手をかける。

『天光斬月』に手をかけた時、誰かが一緒にとってくれている。そんな感覚がした。

「ガキィン!!」

私が振り上げた『天光斬月』に、見慣れた刃が後ろから、追うように交差した。

「………!」

『陽光灼蘭』だ。こんな私に、兄さんが力を貸してくれる。


それだけで、私には、『勇気』が湧くよ。


剣と腕が一つになる。…この感覚!間違いない、あの時起こした、あの時見た、あの時使った!


――『勇気』だ!


突然、光輝いた剣身から放たれた光の筋は、時計周りに辺りを薙ぎ払うと三尾白狼の動きを命を止めたかのように停止させた。

そのまま『天光斬月』を振り切ると、まるでふわふわのパンにナイフを入れたみたいに魔物の頭を斬った。初めて斬る、感覚。藁で出来た稽古台に剣を振るった事は何度もあるけれど、それよりも遥かに軽い力で斬る事が出来た。

私は思わず振り返った。すぐ近くに兄さんがいた。『陽光灼蘭』を抜いて。あまりにも突然な事だったから私はてっきり、幻覚か何かだと思っていた。本当に力を貸してくれていたなんて。だとしたら、これは。

「…なんだ今の!?『救世主』様の新しい技か?!」

「オイオイ!こんな隠し玉は聞いてないぞ?『救世主』サマ!お前がやったんだろ?!」

「…いや、俺は…」

やっぱり、そういう事になるよね。これで証明された、『天光斬月』が鍵だったんだ。兄さんが、この剣を持てば全ては解決する。『勇気』を持った、真の『救世主』に。

「…レスト!ちょっと来い」

「へ?あっ、う…うん」

兄さんが私の手をとって、大衆の視線から隠れられる様に物陰の方へ引っ張っていく。渡そう、『天光斬月』を。きっとそういう話だ。

「今の光…。俺も…あんな『勇者』に…」

斬り伏せられた魔物を見つめながら、少年は拳を握りしめて何かを決意していた。

「ごめんねレスティ…。私、あなたを信じられてなかった…」

ベクルが何かを呟いていたようだったけど、私にはよく聞こえなかった。


夕焼けの影に連れ出された私は、兄さんに見下ろされていた。

渡さなきゃ、『天光斬月』を。この剣は『勇者』に必要なんだ。それは私じゃない。

思えば渡されたのだって、期待されてじゃなかった。才能なんてなかったし、しっかりと構えられるまでに16年の歳月をかけた。兄さんは5歳の時にはこれより重い『陽光灼蘭』を託されていた。私にはこの荷は重すぎたんだ。

「兄さん…。その…」

「さっきのが『勇気』か?お前が起こしたという」

私は無言で頷いた。感覚は確かに同じだった、きっと兄さんも同じ感覚を得たはずだ。剣と腕が一つになるような不思議な感覚を。

「感じなかった?こう…剣と腕が一つに…」

「………」

兄さんは黙って顎に手を当てて考え込んでいた。しばらくすると、無言で首を振った。うそ、そんな。

「俺には分からなかった。俺は…ただ、お前があの魔物を斬ったように見せる為に『光一閃』で切り払おうと」

「え?でも、実際には私の後ろに剣が…」

私が剣を振るより早く、斬る事なんて兄さんには簡単な事のはずだ。だが、さっきは私の『天光斬月』に重なるように『陽光灼蘭』が飛んできた。兄さんならそんな事は…。

「お前の剣筋が俺の想定よりも早かった。だから、一瞬遅れて剣が重なってしまった」

兄さんはしばらく、私が剣を振る所を見ていない。納得できる答えだ、私自身はそんな成長をした覚えなんてないのだけど。でも兄さんが遅れた理由はそれくらいしか思いつかない。

「でも、なんで私が斬ったように見せる…の?兄さんが斬ってくれればそれで…」

分からなかった。普段は自分に全部任せろというのが兄さんの手法だ。何だって、自分で出来てしまう。そう思わせるからこその『救世主』…だと思っていたのだけど。

兄さんは少しだけ、目を伏せてから私を見た。その目は少しだけ、弱々しく見えた。

「…お前が勇気を見せたんだ。本当に起きるのか、見てみたくなった。それだけだ」

立ち向かう勇気を、私が見せたから。思わぬ出来事に意識が薄くなっていたけれど、私はあの一瞬に少年を脇に突き飛ばして、剣を抜き立ち向かった。もちろん、怖さはずっと心の中にあったけど。

兄さんは諦めてなかったんだ。私が『勇気』を起こせる事に。

「…『天光斬月』があれば、兄さんだって…」

「まだ認めないのか?俺も『天光斬月』を使った事はある」

「え!?でも『陽光灼蘭』があったから…」

「俺は昔、父さんのようになりたくて『天光斬月』を持ち出して魔物の巣穴に飛び出した事がある」

知らなかった。でも、兄さんの事だから余裕で蹴散らして帰ってきたのだろう。それに今、成長したからこそ使える可能性だって…。

「お前にも専用の剣が必要だな。そうたしなめられて『陽光灼蘭』を渡されたんだ。造りは多少違うが…武器としての性能は同じはずだ」

ミリルさんは武器も大切だと言っていた気がする。同じ性能を持つなら、どっちでも変わりはない…?いや、でも…。

「俺は今の今まで、ずっと戦いに身を投じてきた。その中で、あの『現象』は初めてだ」

「…『勇気』…」

兄さんは頷いた。光の魔力と、武器と、その才能を持つ人…。それらが揃った時に、限定的に起こる『現象』…。私には、その才能があった。兄さんが『光一閃』を重ねてくれて、『天光斬月』と『陽光灼蘭』が重なって、私と兄さんがいて…。

だとしたら、最初に起きた時…。私に何があったのだろう。あそこには光の魔力も、『陽光灼蘭』も、兄さんもいなかった。本当だったら私一人で起こせるのに、今は兄さんの助力がないと起こせない…?

「ともかく、お前の力はきっと必要になる」

「…え?」


「旅に出るぞ、レスト。この星を救う旅だ」

夕焼けを背負う『救世主』が右手を伸ばす。今までだったら、手を伸ばすなんてできなかった。

でも、ちょっとだけ湧いた勇気が。私の手を動かした。握った手は暖かく、私よりも大きい、荷物をいっぱい持った強い手だった。

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