第25話 ウルダ(25)
ジャンがイルシャード家の次男、イスハックに決闘を申し込まれている話はあっという間に村中に広がった。
4歳児に決闘を申し込んだイスハックは歴とした暗殺者だ。二人の話を聞いた村の女性らのほとんどはその決闘に反対している。4歳児が暗殺者に勝てる訳がない、と彼女達はジャンのことを心配している。
村の男性らも頭を抱えている。
イスハックは正気なのか、と。
例え彼が勝っても、相手は4歳児だ。名誉も何も、逆にタレーク家から恨みを買うだけだ。そして逆に彼が負けたら、イルシャード家の名前が落ちてしまう。
勝っても、負けても、どちらもイルシャード家にとって、デメリットしかない。
「わしは反対だ!」
ジェナルはブツブツと文句を言って、ため息ついた。
「ジャンはわしの孫だ。あいつのじいさんが知ったら、わしを責めるだろう。ヤティムの孫をほったらかして、しまいに決闘だなんて・・、わしの顔が丸つぶれだ」
「私だって、彼を決闘させたくないよ」
ジェナルがいうと、ザイドはため息ついた。
「なんとかならないですか?」
ジャヒールが言うと、ザイドは首を振った。
「イスハックはジャンに向かって、ヘラヘラと笑って、ジャンが山賊を殺したことを偽りやでっちあげなどを大きな声で言った。たくさんの人の前でジャンを侮辱して、彼がやっていることはとても許されることではない。あまりにも無礼で、私だって我慢できなかったぐらいだ」
ザイドが言うと、ジャヒールはため息ついた。いつか、このことが起きるだろうと想定したけれど、まさかこんなにも早くおきてしまったとは・・。
「ジャンの様子は?」
「普段通りだよ。彼は決闘の意味は知っているかどうか分からないが、一応練習試合という言葉は理解しているようだ」
ジャヒールの質問に、ザイドは穏やかな様子で答えた。
「なら、練習試合の形式で行うしかない。武器は、ジャンがまだ4歳児だから、木材からできた武器ぐらいは許そう。イスハックは大人なので、武器なしで。そして互いに殺してはいけない、勝っても負けても、恨みなし。それで良いか?」
「分かった」
ジェナルが言うと、ザイドはうなずいた。
「それで、サマリナの縁談はどうなる?」
「もう決闘を申し込んだ時点で、縁談は消えた。4歳児に敵向きだしの家門だと分かった以上、娘を彼らに任せられない。何にされるか分からないから、考えるだけでも頭が痛い」
ザイドはため息ついた。
「サマリナの様子は?」
「分かった、とあっさりした様子で答えただけだ」
「本当におまえに似てるな、ザイド」
「ははは、そうかい?」
ジェナルが呆れた様子で言うと、ザイドは笑った。
「縁談がダメになったなら、わしにくれ。五男が年は19,まだ独身。彼はこの前仕事から帰ってきたばかりで、しばらくの間ここにいる。ちょうど良いだろう?」
「検討してみるよ」
「なるべく早く返事してくれると助かる。五男はじっとしてくれないから、嫁がいれば少しおとなしくなるだろう」
「ははは、おまえにそっくりだ、お頭」
ザイドが言うと、ジェナルは笑った。
「それで、話は戻すが、ジャンとイスハックの練習試合はいつ頃にする?」
「お頭に任せる。ジャンはいつだって大丈夫だ、と言ったよ」
「本当に大丈夫なのか?」
「心配なら、小頭に様子を見てもらっても構わないよ。決闘対策の特別な授業も、歓迎するよ」
ザイドはジャヒールを見ながらジェナルの質問に答えた。
「やります。ジャンに会わせて下さい」
「分かった」
ザイドはうなずいた。
「では、場所と時はジャヒールの判断で決めよう」
「分かった」
ジェナルの言葉を聞いたザイドはうなずいた。
「では」
ザイドが立ち上がると、ジェナルはうなずいて、ジャヒールに合図した。ジャヒールはうなずいて、そのまま立ち上がって、ザイドと一緒に外へ出て行った。
なんだかんだ、ジャンはジェナルの孫だから、決闘されたという話になると、誰だってピリピリしている。良かったことに、サビル・エフラドがここにいないだけでまだマシだ、とジャヒールは思った。もしいたら、イスハックは無事でいられないだろう。
結局、
一方、イスハックはもうすでに円の中に入った。手ぶらでも人を殺せる彼は、4歳児に負けるはずがない、という態度だった。けれど、その態度は村の女性たちの反感を買った。ブーイングや罵る言葉が飛び交う中、ジャンとザイドが現れた。
ザイドがジャンを抱きかかえながら現れると、先ほどまで怒った人々は静かになった。
どう見ても、4歳児だ。本気でイスハックと戦うのか、と人々は心配そうに見つめている。
「大丈夫か、ジャン?」
「はい」
ジャンはザイドを見て、うなずいた。ザイドは優しい顔を見せて、ジャンの額を口づけした。
「ジャン・タレーク、タレーク家の男は、どんな状況でも勇敢であることを、あいつに見せつけなさい」
「はい!がんばります、父さん!」
ジャンは大きな声で返事した。すると、ザイドはジャンを降ろして、円を手で示した。ジャンはうなずいて、ジェナルを見て頭を下げた。そしてジャヒールを見て、また頭を下げた。ジェナルとジャヒールは無言でうなずいた。ジャンは息を吸って、ゆっくりと息を吐いてから、ためらいのない足運びで円の中に入った。
「ジャン・タレーク、ただいま参りました!」
ジャンが大きな声で言うと、ジェナルはまたうなずいた。女性たちは不安そうな目でジャンを見て、ざわめいている。ザイドは用意された椅子に座って、ジャンを見ている。ザアードもザイドの隣で立って険しい顔で見ている。
もしもこの戦いでジャンが死亡した場合、ザアードはイスハックを殺しにその円の中に入る。これはタレーク家の伝統で、一般的に知られていることだ。アミールたちもジャヒールの隣に座って、心配した様子でジャンを見ている。
「大丈夫か、ジャン?」
「はい」
審判に
「では、ルールを言おう!一つ、武器の使用はジャン・タレークにだけを許可する。木材の剣、または木材の短剣のみに限る。武器を見せなさい、ジャン・タレーク!」
審判が言うと、ジャンは懐から木材の短剣を見せた。審判が短剣を確認してから、再びその短剣をジャンに返した。審判はその短剣はもっともかたい木材で作られていることに気づいた。金属よりもかたい木材だけれど、ルールは木材だから、問題ない、と審判は思った。
「二つ、相手を殺してはいけない。これはあくまでも、練習試合だ。両者、分かったか?」
審判がいうと、ジャンとイスハックは「はい」と返事した。
「三つ。審判は自分の判断で、試合を止めることができる。または、一人が戦闘不能になったときに、試合は終わる、とする。両者、分かったか?」
審判が言うと、ジャンとイスハックはうなずいた。
「では、始め!」
審判の言葉が響くと、ジャンはまっすぐにイスハックを見ている。彼はただ立っているだけで、イスハックの動きを見ている。
「どうした? 怖くなったか?」
イスハックが笑いながら言うけれど、ジャンは何も言わなかった。ただ、彼は短剣を持って、無言で見ているだけだった。
「来いよ! 俺は手ぶらだぜ?」
挑発されても、ジャンは動かない。数回も挑発を受けても、ジャンは動かなかった。呆れたイスハックは暴言を連発し始めた。すると、ジャンは首を傾げた。
「どうして私が先に行かなければならないのですか?」
突然ジャンが質問をすると、イスハックは驚いた。
「決まってるだろう?俺がおまえと戦いたいのに、ここまで手ぶらにした!なのに、おまえは来ない!」
「その理屈はよく分かりません。イスハックさんが私の力を知りたいなら、来れば良いじゃないですか?」
ジャンの挑発にイスハックは呆れた。
「そう言われたら、行くしかねぇな!後悔するなよ!」
イスハックが凄まじい早さでジャンを攻撃すると、ジャンは軽く上へ飛び込んで、いきなり空中で回転した。そして凄まじい早さでイスハックの首を狙って、攻撃した。けれど、イスハックが気づいて、慌てて手で防いだ。
ジャンは着地して、いきなりまた攻撃しかけた。下からの攻撃に、イスハックは必死に応戦した。そしてイスハックの蹴りがジャンの体に命中すると、ジャンは後ろに下がった。
攻撃に当たったジャンを見ると、イスハックはそのチャンスを無駄にしない。
けれど、ジャンもその動きを見て、直ちに動き出した。まるで風に乗ったかのような、とても鮮やかな動きで、素早くイスハックの攻撃を回避して、反撃した。ジャンはイスハックの腕を攻撃して、命中した。すると、イスハックは険しい顔で、数歩も後ろに下がった。
手にしびれが・・。まさか、急所を狙ったか、とイスハックが左手を触れた。
力が入れない、とイスハックが思った瞬間、ジャンが動き始めた。イスハックが防ぐ切れない蹴りを入れたものの、大したダメージはなかった。やはり蹴りがあまり効果がなかった、とジャンは思って、後ろに回転した。ジャンが着地すると、イスハックはまた動いて、ジャンに必殺技を連発した。けれど、またもやその攻撃が回避された。終いに、また短剣は右腕に当たった。
「おまえは本当に4歳児か?!」
イスハックが怒りを露わにして言うと、ジャンは答えなかった。そしてジャンはそのまままっすぐに動き出して、怒り心頭のイスハックを攻撃した。両手に力が入らないイスハックは苦戦して、ジャンの攻撃を応戦した。しかし、今度は太ももに短剣の突きが入った。イスハックがあまりの痛さに大きな声で叫ぶと、次はイスハックの脇腹に短剣の攻撃が入った。
それはとても見事な一撃だった、と見物人らの誰もが思った。
短剣は突いた太ももからそのまま左下へ動いて、すぐに右上へ動いて、イスハックの脇腹に直撃した。
その短剣がもしも本物なら、イスハックはもう死んだだろう、と誰もが思った。そして、ザイドは微笑んだ。この時点では、ジャンはイスハックよりも強い、と確信した。
「まだ続けますか?」
ジャンは後ろに下がって、しゃがんで、左足に力が入っていないイスハックに聞いた。
「当たり前だ!」
「分かりました」
ジャンが言うと、イスハックは構えた。次は絶対次の足を攻撃するだろう、とイスハックは思った。
けれど、違った。
彼を襲ったのはジャンの短剣ではなく、砂だった。ジャンは素早く動きながら、砂をまき散らした。目に砂が入ったから、イスハックは慌てて目を擦った。
その時だった。
ジャンの蹴りがイスハックのアゴに直撃した。それだけで止まらないで、ジャンは後ろに回転して、地面に着地した瞬間、足の瞬発力を活かして飛び出して、イスハックの首を短剣で突いた。イスハックはそのまま後ろに飛ばされて、そのまま地面に落ちた。
戦闘不能だ、と審判が言うと、見物した人々が一斉に歓喜を叫んだ。けれど、突然大きな声を聞いてびっくりしたジャンは泣いてしまった。すると、いきなり大泣きしたジャンを見た審判がびっくりして、慌ててジャンに近づいた。ザイドが笑って、ザアードに合図を出すと、ザアードはすぐさま円の中に入って、泣いているジャンを抱きかかえた。
「良くやった!」
「えーん!」
「びっくりした?」
ジャンは泣きながらうなずいた。ザアードは微笑んで、ジャンの頭をなでてからジェナルを見ている。
ジェナルは大きな笑みを見せながらうなずいた。
「見たか?!わしの孫が勝った! ははは!」
ジェナルが言うと、イルシャード家の当主は深く頭を下げてから、円の中で意識を失ったイスハックを見て、そのまま帰った。
見捨てられたイスハックは気絶したまま円の中にいる。数人のイルシャード家の者らが彼の体を回収して、無言で帰った。
決闘を申し込んだ時点で、この戦いのメリットがないことは明らかだった。メリットどころか、デメリットしかなかった。だから当主はどうしてもこの戦いをやめさせたかった。けれど、イスハックが頑固で、やめなかった。終いに、4歳児に負けてしまって、名誉まで失った。
「大丈夫か、ジャン?」
「(ヒック、ヒック)はい(ヒック、ヒック)」
「ははは、泣くんじゃない」
「(ヒック)はい(ヒック、ヒック)」
「良い子だ」
ザイドが言うと、ザアードは笑って、駆けつけて来たジャヒールたちを見ている。ジャンがびっくりして泣いてしまった、とザアードが説明すると、ジャヒールたちは安堵した様子だった。
「さっきおなかが蹴られたが、大丈夫なのか?」
ジャヒールが聞くと、もう泣き止んだジャンは首を傾げた。サバッダがジャンの服をめくると、おなかに薄い痣が見えた。ジャヒールはその痣を見て、息を呑んだ。イスハックの足がきれいに届いたはずだったけれど、痣が薄いだけとなると、何らかな力に守られている、ということだ。もしもそれが風の力ならば、やはりサビル・エフラドの言う通りだ。ジャンは伝説の北の民の末裔だ。
「痛い?」
「いいえ」
ジャヒールが聞くと、ジャンは首を振った。
「でも家に戻って、手当てしよう。これ以上悪くなったら、大変だ」
「そうしよう」
サバッダが言うと、ザアードはうなずいた。彼らが家に帰る途中に村の女性たちと子どもたちは嬉しそうにジャンの名前を呼び叫んだ。
「ジャンは俺よりももてる」
アブが言うと、サバッダは笑った。その通りだ、とサバッダが言うと、アミールたちは笑った。状況は良く分からないジャンはただ周囲を見ながら、ザアードの首にしがみつきながら、指を吸っている。気づいたザアードは微笑みながらその手を優しく取って、家までずっとジャンの手をにぎっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます