第23話 ウルダ(23)

ジャンとサバッダがサヒムを助け出したから数週間が経った。二人は毎日いろいろな訓練に励んで、ザイドから秘伝の技を教えてもらっている。どんなに辛い訓練でも、二人は弱音を吐かなかった。サバッダとジャンは互いに弱い自分を見せなかった。意地を張っているのではなく、互いに心配をかけたくなかったからだ。


休憩の時に、サバッダの妹たちは二人を訪ねて、会話したりした。やはりサバッダの妹たちはジャンをかわいがっている。ジャンの明るい肌にうらやましがる人もいるぐらいだった。


「サブリナはいつ頃アミーン家に嫁ぐの?」


サバッダが聞くと、サブリナという少女がうつむいた。


「まだ刺繍が終わっていません」

「いつごろ終わるの?」

「・・・」


サブリナがため息ついた。


「サブリナは刺繍が嫌いなんです」


もう一人の少女が言うと、サブリナは苦笑いした。


「そこまではっきりと言われなくても・・、サマリナだって全然終わってないんじゃない」

「でも、私はあなたより進んでいるよ?」


サマリナが反論すると、サバッダは笑った。双子なのに、趣味と特技がバラバラだ、と彼は思った。


「サブリナ姉さん、私に針と布を少し貸してください」


ジャンが突然言うと、サブリナは驚いた。そして彼女が突然立ち上がって、建物内に走った。数分後、彼女は戻って、布と針を持って来た。その様子を見たサバッダは興味津々とジャンを見ている。


「すごい」


サブリナが言うと、ジャンは笑っただけだった。


「昔、お姉様たちに教えてもらいましたから」


ジャンは巧みに刺繍をして、花を完成させた。


「こうやってすると、とても簡単で、きれいになります」

「ふむふむ。葉っぱも作って」

「分かりました。葉っぱの色は、緑ですね」

「はい」


サブリナが別の針に緑色の糸と付けて、ジャンに渡した。すると、ジャンは葉っぱの刺繍を作った。


「すごい!」


サブリナが言うと、サマリナも驚いた。


「ジャンのお姉さんたちって、やはり刺繍が上手?」

「うーん、分かりません」


ジャンは首を傾げた。


「でも、毎日ちゃんとしているから、上手かもしれません」

「羨ましい」

「毎日やると、サブリナ姉さんだって、とてもきれいな刺繍ができますよ」

「えっ」


サブリナが驚くと、サバッダは笑った。サマリナも笑って、ジャンを抱きしめた。


「私もがんばるわ。サブリナ、誰が先に終わるか、競争よ!」

「ええええええええ!」


二人の会話を聞いたサバッダは笑い出した。気づいたらもう休憩時間が終わったからか、ザイドが見えている。すると、サブリナとサマリナは早速布と糸を片付けて、挨拶してから、自分の家に戻った。


「二人に、刺繍を教えたのか、ジャン?」

「いいえ。少し見せただけでした」

「ははは」


ジャンが答えると、ザイドは笑っただけだった。双子の縁談が決まったものの、二人とも布作りは終わっていない。サブリナがアミーン家に嫁ぐ予定で、サマリナはイルシャード家に嫁ぐ予定だ。両家は今のところ、気長く二人を待っているけれど、いつまで待ってくれるか、ザイドも分からない。


ウルダでは、女性の成人になる年齢は15歳で、男性は17歳だ。成人になると、女性はほとんど結婚して、相手の家に嫁ぐことになる。だから、15歳までにほとんどの女性が布造りを終わらせている。サブリナとサマリナを除いて・・。


「たまにあの二人に会いに行くと良いよ、ジャン。そうすれば、早く終わるだろう」

「はい」

「いつまでも終わらないと、縁談を取り消されるからな」


ザイドが言うと、ジャンは首を傾げながら、ベランダから手を振ったサマリナとサブリナに手を振った。


「サバッダも、来年からおまえは成人になる。そろそろ仕事もしなければならない。表か、裏か、どちらかにしなさい」

「はい」


サバッダはうなずいた。表とはサフィードとサキルのように、表で力を見せて、仕事することだ。警備隊や用心棒など、その表に当てはまる仕事だ。一方、裏はその逆で、ザアードやサラムのような暗闇にいる存在だ。要するに、暗殺者だ。サヒムのようなスパイも裏の仕事に当てはまる。


「よく考えてから、答えを出します」

「分かった」


サバッダが言うと、ザイドはうなずいた。そして微笑みながらジャンを見ている。


「さて、訓練始めようか」

「はい!」


ザイドが言うと、ジャンとサバッダは同時に返事した。





あれから、また数週間が時が流れた。やっとジャヒールが戻ったものの、状況が緊迫していることは変わらなかった。ジャヒールがジェナルに報告している間に、ジャンとサバッダは久しぶりにあって、嬉しそうに抱き合った。


「怪我がなくて、良かった」


アミールがジャンを抱きしめながら言うと、ジャンはうなずいた。


「アミール兄さんも、無事で良かった。アブ兄さんも、サマン兄さんも、無事で良かったです」


ジャンが言うと、彼らはジャンの頭をくしゃくしゃになでた。アミールたちは久しぶりにサバッダと一緒にテントに帰ると、村の女性たちは彼らを見て嬉しそうに歓迎した。アブの姉であるアイナもアブを抱きしめた。


「ジャン、鉢植木を渡そうと思ったのに、きみはここに戻って来ないから、困ったわ」

「あ、ごめんなさい」

「じゃ、待ってて、持って来るから!」


アイナがそのまま走って、自分の家に戻った。サバッダがジャヒールがいないから、ジャンを連れて実家に戻ったと言うと、アミールはうなずいた。その方が良い、とアミールは言った。


サバッダがナガレフ村で起きた出来事を話すと、アミールたちは無言でうなずいて、離れた場所でアイナから鉢植木を受け取ったジャンを見た。ジャンとアイナが会話している間に、サバッダは小さい声でこの前サヒムとの会話の内容を話した。すると、アミールたちの顔が険しくなった。アイナと会話でケラケラ笑ったジャンはサバッダたちの会話が聞こえないだろう、とサマンは思った。


「僕たちは、本当の意味で、まじめに技を磨かないといけないんだ」

「同感だ」


サバッダが言うと、アブもうなずいた。サマンは思わず胸の傷を触れた。また奴隷にされたら、今度こそ一人も多く敵を道連れにする、とサマンは心の中で決意した。


「兄さん、見て見て、黄色い花です!」


ジャンは笑いながら自分の鉢植木をサバッダたちに見せた。


「本当だ。きれいな花だ」


アブが言うと、サマンもうなずいた。彼らがテントに戻ると、すぐさま荷物を解体した。ジャンが箱を開けると、中身はなかった。どうやら全部タレーク家に運ばれたそうだ、とサバッダは苦笑いした。


「後で先生に相談すれば良い。ジャンが父さんと訓練を続けるか、ジャヒール先生と一緒にやるか、どちらでも良い、と僕が思った」


サバッダが言うと、ジャンは悲しそうな顔になった。


「どこで修業しても、おまえは俺の弟だよ」


サマンがジャンの気持ちを察して言うと、アブもうなずいた。


「だからそんな顔をしないで」


サマンが言うと、ジャンはうなずいただけだった。


「みんな、ここにいるのか?」


テントに入ったのはジャヒールだった。全員が返事すると、ジャヒールは微笑んだ。


「サバッダとジャン、無事で良かった」


ジャヒールがテントのど真ん中にある絨毯の上に座ると、アミールたちはジャヒールの前に座った。


「早速だが、状況を伝えるね」


ジャヒールはそう言いながら緊張しているアミールたちを見ている。


「国軍が先日、やっとナガレフ村に着いた。だから我々が帰ることができた訳だ」


ジャヒールはため息ついた。


「ナガレフ村はもうすでに解放されて、今タレーク家の部隊が守っているところだ・・。しかし、国軍はやはりバカが多くて、遅れてすまないとか、謝るどころか、礼すら言わず、しまいにマグラフ村とオグラット村から来た応援軍を自分たちよりも弱いと思ったらしく、ナガレフ村から追い出した」

「えっ!」


サバッダとジャンが同時に驚いた。


「だから今夜はタレーク家の部隊も帰還するだろう」


ジャヒールはまたため息ついた。


「お頭はなんと?」

「今のところ、様子見だ」


サバッダが聞くと、ジャヒールは素直に答えた。


「連絡を受けたサラムさんは何も言わず、どこかへ行った」

「どこって・・?」

「・・・」


サバッダが聞くと、ジャヒールはしばらく口を閉ざした。


「分からない。ただ、ジャファーさんが来て、その後サラムさんとその部隊はどこかへ行った」


ジャファーは元々サラム班だから、サバッダたちを無事にマグラフ村まで送りとどけてから、再びナガレフ村に戻ってもおかしくない。


しかし、なぜ何週間もマグラフ村にいてからナガレフ村に戻ったか、誰もその理由を分かる人がいない。


タレーク家の当主以外。


恐らくサラムは当主であるザイドから指令を受けて、その指令通りに動いただろう、とサバッダは思った。


「あとで、父さんに報告します」

「ああ、頼んだよ、サバッダ」


ジャヒールはうなずいた。


「最後は、ジャン」

「はい」


ジャヒールが言うと、ジャンは緊張して姿勢を正した。


「後でザイドさんと話し合いたい。きみは、その話し合う結果に従ってね」

「はい」


ジャンが緊張して返事すると、ジャヒールはうなずいただけだった。


「というわけで、アミール、アブとサマンは荷物を片付けてから、武器の手入れをして、夕飯の準備をしなさい。サバッダとジャンは、私と一緒に行こう」

「はい!」


四人は一斉に返事した。ジャンは行き場のない鉢植木を持ったままジャヒールとサバッダの後ろに付いていくしかなかった。タレーク家に到着すると、侍従らは彼らを迎えに来た。サバッダは侍従の一人にジャンを託してから、ジャヒールと一緒にザイドを会いに行った。ジャンは侍従と一緒に中庭に行って、そこで鉢植木を置いた。





「お帰りなさい、ジャヒールさん」


ザイドは微笑みながらジャヒールを抱きしめてから、ジャヒールに座るようにと合図した。サバッダは立ったままザイドにナガレフ村の出来事を報告してから、ザイドの指示で外へ出て行った。


「ザイドさんは驚かなかったね?」


ジャヒールが言うと、ザイドは微笑んだだけだった。


「大体そんな感じだろう」


ザイドは飲み物を運んで来た侍従らに合図した。彼らは無言でジャヒールとザイドの前に飲み物を差し出してから、退室した。


「・・あの王の配下は愚か者ばかりだからね」

「はい。彼らは傲慢だ」


ジャヒールはうなずいて、ため息ついた。


「このままだと、我々が危ない。今回はタックスで良かったものの、もしも中央国やパージャ国が攻撃してくるとなると、無事でいられない」


ジャヒールが言うと、ザイドはうなずいた。


「タックスで起きた干ばつで、彼らは大きなオアシスを狙って来た。ナガレフ村のオアシスは大きいだけではなく、タックスとの国境に近い。ナガレフ村を襲って失敗したからと言って、タックスはやめないだろう。次の攻撃に、もっと強い勢力で来ると思われる」

「サヒムさんがそう言ったのか?」

「はい」


ザイドはうなずいた。


「彼は今どこに?」

「ちょっとお使いに出かけている」

「いつ戻るか、分かるのか?」

「さぁ・・」


ザイドは首を振った。


「だが、急用なら、こちらから連絡ができると思う」


ザイドが言うと、ジャヒールは考え込んだ。


「分かった。後ほどまた連絡する」


ジャヒールはそう言いながら、紅茶を飲んで、しばらく考え込んだ。


「全然違う話だが、一つだけ教えてください。ザイドさんは、ジャンを養子にする理由は何だ?」

「理由か・・、それは大事なのか?」

「もちろんだ」


ジャヒールはザイドをまっすぐに見ている。ザイドは微笑んで、ジャヒールを見ている。


「逆に尋ねるが、私はジャンを息子にすることに、何が不安か?」

「不安とか、違うかもしれない。ただ、ジャンのことを、彼のじいさんから頼まれたので、責任を感じている」

「責任か・・」


ザイドはため息ついた。


「サバッダがジャンを弟にしたと聞いて、そこまで興味を引くようなことはなかった。ただ、オグラット村から帰って来て、サフィードから聞いた話だと、ジャンは10人の山賊を殺した、と言う話を聞いた時に、彼のことを調べ始めた。まだ4歳という年齢なのに、大の男らを殺した。これは才能だ、と思った」


ザイドが言うと、ジャヒールは複雑な視線でザイドを見ている。


「彼と話してみたら、以外と、とてもしっかりしている子だった。異国の者で、しかもヤティムの子という身分を背負いながら、彼はとてもできている子どもだった。サバッダの言う通り、ジャンは頭が良くて、言葉も丁寧。他の息子たちも彼を受け入れて、私は彼を自分の子どもにして、良かったと思う」

「ザアードさんも反対しなかった?」

「しなかったよ?気難しいサラムでさえ、ジャンを受け入れて、かわいがってくれた、と周囲の者から聞いている」


ザイドは微笑んだ。


「息子たちだけではなく、娘たちもジャンをかわいがってくれている。ジャヒールさんは知っているかどうか分からないが、ジャンは刺繍も上手だよ」

「へ?」

「ははは」


ジャヒールが驚くと、ザイドは笑った。


「本当に上手だ。彼はサブリナとサマリナに、花の刺繍を教えている。とてもきれいだったよ」

「そうですか・・。姉が3人もいると聞いたから、彼女達の影響を受けただろう」

「そうかもしれない。本当に興味深い子どもでね、毎日とても楽しくて仕方がない」


ザイドは微笑んだ。


「しかし、ジャンは二年後に帰らなければならない。彼のじいさんがそう言った」

「分かっている」


ザイドはうなずいた。


「だからこそ、短期間で、彼を最高の暗殺者として仕上げてやろうと思った。ジャヒールさんがその年齢ですごいと思うが、経験からだと、私の方が上だ。それに、私一人でジャンを朝から晩まで訓練させることで、彼の能力がサバッダたちに近づくだろう。そうすれば、ジャヒールさんだって少し楽になるだろう?」


ザイドが言うと、ジャヒールは考え込んだ。確かにそうだけれど、・・。


「だが、ジャンは私の弟子だ」

「それも理解するよ」


ザイドは微笑んだ。


「ずっとこのままここにいれば良いんだが、ジャンは喜ばないだろう」

「はい」


ザイドが言うと、ジャヒールはうなずいた。


「ならば、こうしよう、週に四日間はここにいて、残りの三日間はジャヒールさんのところにいれば良いだろう。もちろん、ジャヒールさんと出かけなければならない時は許可するよ」

「なるほど」

「同時に、こちら側に用事があるときに、優先してもらいたい」

「ふむ」


以前と同じか、とジャヒールは思った。


「それに、ジャンはまだ幼い。それだけではなく、ジャヒールさんも気づいたと思うが、彼の体が意外と強くなかった。強い毒がなければ、一発で相手を殺せないだろう。それは暗殺者として、致命的な弱点だ」


ザイドが言うと、ジャヒールは瞬いた。


「そうか・・」

「だから、ウルダにいる間、私の子どもとして、ジャンに満足する生活をさせたい。二年後、彼が立派な暗殺者として、見送りたい」

「彼は、二年後、どこに行くか、聞いたのか?」

「もちろんだ」


ザイドはうなずいた。


「小さいころから暗殺術を学んだジャンは、結局行き場は戦場しかない。遅かれ早かれ、彼は戦場へ行くだろう。こちらの戦場か、あちらの戦場か、どちらも変わらない。ならば、彼にとって、父親の仇であるイルカンディア軍を相手にした方が良いだろう。そうすれば、周りも彼を大切にしてくれると思う」

「ふむ」

「それに彼は、表で生活しても難しいだろう。断言できる、彼は間違いなく、裏の人間だ。私と同じく、裏の人間でね」


ザイドはまっすぐにジャヒールを見て、話した。


「ジャヒールさんが知っているかどうか分からないが、サヒムとジャファーから聞いた話によると、ナガレフ村で、彼は一人で、数十人のタックス軍を殺しただけではなく、村人全員を助け出して、サヒムも無事に助け出した。それだけではなく、ここに戻る途中、24人の山賊とやり合って、一人で10人も殺した」

「・・・」

「4歳の子どもが、武器を持たなかったサヒムを守った。そうなると、彼の名前は、遅かれ早かれ、裏の世界では流れるだろう。そうしたら、彼を手に入れようという輩も現れるだろう」

「はい」

「だから、テントよりも、ここは一番安全だ。三日間ぐらいなら、なんとかなるだろうが、一週間も毎日テントにいるとなると、誰が出入りしたか、見当も付かない」

「確かに・・」


ジャヒールはうなずいた。


「ここなら、彼は安心して休めるだろう。彼は現在サバッダの部屋に泊まっているが、新しい部屋はもうすでに用意した。ジャヒールさんがこのことをジャンに言えば、すぐにその部屋にジャンを住ませてあげる」

「ふむ。村が移動したら、どうする?」

「その時はまた話し合おう。ジャンの成長に合わせて、きっと解決できるだろう」

「ふむ」

「ジャンのために、父親・・として切にお願いしたい」


ザイドが頭を下げると、ジャヒールは長く悩んだ末に、うなずいた。


「分かった。こちらこそ、よろしく頼む」

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