第22話 ウルダ(22)

その日から、しばらくの間、ジャンはタレーク家で生活するようになった。羊の世話をしなくても良いと言われたものの、何をすれば良いのか分からないから、ジャンは結局サバッダと一緒に訓練を励むことにした。サバッダがジャンにシャムシールの使い方を教えたの代わりに、ジャンはサバッダに投げナイフのコツを教えることにした。特に走りながらの投げナイフや暗闇での訓練など、サバッダにとってとても貴重な訓練だった。その様子を見たザイドは微笑んで、サバッダが投げた的を見て、ふむふむとうなずいた。


「ジャンが投げたナイフは、やはり深みが足りない」


ザイドが言うと、ジャンはうなずいた。


「毒を使わないと、相手は死なない」

「はい」


ジャンはうなずいた。


「でも、どうしたら良いか、良く分かりません。サフィード兄さんは、日頃の生活が一番の練習だと言ったけど、ここにいると、羊の世話がないので・・」

「ふむ」


ザイドはジャンの腕を見て、考え込んだ。


「毎日腕立てをすれば良い。サバッダも付き合うからね」

「えっ?!」


ザイドが言うと、サバッダはビクッと振り向いた。


「朝起きて50回ぐらい、朝ご飯の前に50回ぐらい。その後、羊の乳を飲んでから朝ご飯をしっかりと食べる」

「それだけで良いですか?」

「まずそれをやってごらん。それで軽いと思ったら、倍にすれば良い」

「はい!」


ジャンが返事すると、ザイドは微笑んだ。そしてサバッダを見て、微笑んで、そのまま中へ入った。


「仕方ない」


サバッダはうつ伏せになって、腕立てし始めた。


「ほら、きみもやって。付き合うから」

「はい!」


結局二人は腕立てした。疲れた、とジャンが言うと、サバッダは笑っただけだった。運動の後、二人はすぐさま着替えて、朝ご飯を食べた。ザイドの言う通り、二人分の羊の乳が用意されている。


朝ご飯が終えると、今度は勉強だ。サバッダはウルダの文字を丁寧に教えた。ジャンは一所懸命に文字を習って、読み書きも励んでいる。読み書きの勉強が終えると、今度は外で遊ぶ。しかし、今回はザイドが用意した馬と羽根帽子で遊ぶことになった。


「バナナは、こちらではなかなか手に入れなくてね、羽根帽子で代用する」


ザイドは笑いながら言った。そして数人の孫を呼んで、彼らに帽子を身につけるように、と命じた。


「ジャンはまだ知らないから、きみたち、ジャンに自己紹介しなさい」


ザイドが命じると、彼らはビシッと立って、一人ずつ自己紹介した。どうやらザアードの息子らとサフィードの息子、そして出戻りしたザイドの娘からの孫も二人いた。ジャンが知っているのはサマッドだけだった。ほとんど、全員がジャンよりも年上だ。


「ジャンはきみたちの叔父だ。敬意を持って、接触しなさい」


ザイドが言うと、彼らはうなずいて、ジャンをチラチラと見ている。女の子たちは二階にあるベランダに集まって、下の出来事を興味津々と見ている。ザイドが今日の競技を言うと、彼の孫たちは首を傾げた。


「全員馬に乗って、互いの頭の羽根を取ってください。もちろん、取られないように、自分の羽根をしっかりと守ってください。羽根を取られた者は負けとして、侍従が待っているところまで離脱してください。羽根を奪うときに、どんな方法でも構わない。そのまま奪って、飛び込んで、相手を蹴ったり、殴っても構わない。ただし、殺してはいけない」


ザイドが言うと、彼らは互いの顔を見ている。連絡を受けたサフィードたちは駆けつけて、興味津々と見て、サバッダの隣でジャンと子どもたちを見ている。


「馬から落ちて、大怪我したら、どうしますか?」


一人の子どもが聞くと、ザイドは少し考え込んだ。


「手当てはするが、死んだらそこまでの命とする」


ザイドが言うと、彼らの顔が険しくなった。けれど、ザイドは顔色を変えずに、始めるようにと合図した。侍従の一人はジャンを馬に乗せてから簡単に走るコースを説明した。ジャンはうなずいて、馬を並べて、合図を待つ。


「始め!」


侍従が手を下げると、子どもたちは急いで馬を走らせて、互いの羽根に手を伸ばした。けれど、誰もが取られたくないから、彼らは必死に抵抗した。まだ馬に駆け込みに慣れていないサマッドも苦戦した。大きな子どもたちは自分よりも小さい子どもたちの羽根を取ろうとする姿があった。


そして、ジャンも彼らの攻撃対象になっている。けれど、ジャンは巧みに馬を走らせて、大きく回した。サフィードたちと侍従らは面白くなって、彼らを応援している。サバッダも大きな声でジャンを応援すると、ザイドはその様子を見て、微笑んだだけだった。


この競技はとても良い。手っ取り早く戦力を育てたいなら、遊びか競技が一番だ、とザイドは思った。殴り、蹴り、落馬、それもまた訓練だ。落馬しても、どうすれば大怪我にならないようにするか、という課題に彼らの父親らや先生らがこれから考えるだろう。子どもとまじめに向き合うように、とザイドは笑いながら彼らを見ている。


一人、また一人が脱落した。ジャンはまだ粘って、次々と脱落した人をチラッと見た。残りは体が大きな子どもが三人だ。彼らは馬を走らせて、ジャンの馬に近づいて、手を伸ばした。けれど、ジャンは逆に素早く彼の手をつかんで、そのまま飛び移った。そして、彼の頭にある羽根を取ると、次は近くに走っている馬の上に飛び移った。あまりにも早く、ザイドたちは驚いた。そして、誰よりも驚いたのは馬に飛び移された子どもだ。ジャンが彼の頭の帽子を取った瞬間に、彼はびっくりして、そのままバランスを失って、高速に走っている馬から落ちそうになった。けれど、ジャンは急いで手を伸ばして、サドルに座って、彼の手を引っ張った。馬に乗っている他の子どもたちも駆けつけて、すぐさま助けて、ジャンたちが乗っている馬を止めた。


「大丈夫?」

「・・はい!」


ジャンが聞くと、彼はうなずいた。子どもたちと侍従たちがホッとした様子で彼を馬から下ろした。そしてザイドは手を挙げた。終了、ということだ。


「今回は初めてだから、不慣れだっただろう。大した怪我もなく、良くやった」


ザイドが言うと、大人たちは拍手した。優勝の二人はザイドの隣で昼の食事することになった。侍従たちが食事の準備をする間に、子どもたちは着替えた。まだ興奮している大人たちがザイドと会話して、今度は大人用の競技をすると提案してくると、ザイドは微笑んでうなずいた。彼らは先ほど見たジャンの技を話ながら、どうやってやるのか、と意見を交わした。


「叔父さん」


先ほどの競技でともに優勝した子どもがジャンに声をかけた。彼はザアードの三男サルマン、9歳だ。


「はい」


サバッダの手を引いて歩いているジャンは足を止めて、振り向いた。そして、自分よりも大きなサルマンを見ている。


「さっきはサブリを助けてくれて、ありがとう」

「あ、はい」


先ほど馬から落ちそうになったのはサルマンの弟、サブリだった。年齢は7歳。


「サブリさんは大丈夫でしたか?」

「はい」


サルマンはうなずいた。


「叔父さんはどうやってやったの?」

「ん?何を?」

「馬から馬へ飛び移ったこと」


三人は並んで歩きながら会話した。


「うーん、基本的に、屋根と屋根と飛び移ったことと同じなんですけど」

「それは、どうやってやるの?」

「うーん、どうやってやると言われても・・」


ジャンは困った顔をして、首を傾げた。


「あとで見せれば良い。もうすぐ食事だ」

「はい」


サバッダが言うと、ジャンはうなずいた。サルマンもうなずいて、部屋の中に入った。サルマンとジャンはザイドに頭を下げてから、彼の左右に座った。タレーク家では、これはとても誉れなことだ。他の孫や親戚たちは羨ましそうに彼らを見て、離れている場所で座る。サバッダも少し離れた場所に座って、数人の男らと一緒に食事した。遅れて来たサフィードはサバッダの隣に座って、会話しながら料理をつまんだ。やはり話題は先ほど見た競技だ。


「ジャファーから聞いたが、ジャンがあの技で山賊を斬りつけたらしい」


サフィードが聞くと、サバッダはもぐもぐしながらうなずいた。


「暗闇の中で、よく落馬しなかったね」


一人の男性が言うと、サバッダはまたうなずいた。


「どうやってやるか、彼に聞いても、どう説明すれば良いか、困っているらしい」

「ふむ」

「だから、食事の後、その技を見せるって」

「見てみよう」


サバッダが言うと、彼らはジャンに視線を移した。どう見ても、普通の4歳児だ。


もちろんのこと、そのような計画もザイドの耳にも入った。食事の後、彼はジャンたちと一緒に訓練所へ行くことにした。まだ4歳のジャンは説明させるのか無理がある、とサバッダが言うと、子どもたちは落胆した。


「ジャン、屋根から他の屋根へ飛び移ることができるか?」


ザイドが聞くと、ジャンはうなずいた。


「じゃ、見せてくれるか?」

「はい」


ジャンはうなずいて、周りを見上げた。そして素早く近くにあるナツメヤシの木を登って、そこから、近くの屋根へ飛び移って、次々と飛び移った。最後に彼はそのまま近くのベランダに飛び込んで、下を見た。


「あ! ごめんなさい!」


そのベランダに二人の女性がいたことに気づいたジャンが謝罪すると、彼女たちはジャンを見て、うなずいただけだった。


「じゃ!」


ジャンは彼女たちに手を振ってから、下へ降りた。二人の女性らは下へ覗いていると、ジャンはもうすでにザイドたちの元へ走った。


「ごめんなさい。間違って降りてしまいました」


ジャンが謝ると、ザイドはベランダから覗いた少女ら二人を見て、微笑んだ。


「きみの姉たちだ。後でサバッダに紹介してもらいなさい」

「はい」


ジャンはうなずいた。


「それにしても、見事な身軽技だ」


ザイドが言うと、サフィードたちもうなずいた。


「あれは高度な技だ。どうやってならった?」

「うーん・・」


ザイドが聞くと、ジャンは考え込んだ。


「椰子の木の上から飛び降りた時に、足を踏んだ時の感覚で、そのままびゅーん!」


ジャンが説明すると、ザイドは微笑んだ。


噂は本当のようだ、とザイドは思った。


「言葉で説明すると難しいから、あのナツメヤシで見せてくれるか?」

「はい。あ、でも、葉っぱを一枚切っても良いですか?」

「構わないよ」

「ありがとうございます」


ジャンが言うと、ザイドは微笑んだだけだった。ジャンはそのままナツメヤシの木を一番上まで登った。ナツメヤシの木は大体25メートルぐらいの高さだから、サフィードたちはヒヤヒヤしながら小さなジャンを見守っている。


ジャンは短剣を抜いて、葉っぱを一本切った。そしてその葉っぱに乗って、風を感じた。木のてっぺんを足で蹴って飛んで行くと、彼は風に乗って、螺旋のようにぐるりとナツメヤシの木を回りながらゆっくりと落ちて行く。


それを見たザイドは思わず大きな笑みを見せた。


だから、サビル・エフラドがジャンを欲しがった、とザイドは思った。ジャンが今見せた技は、間違いなく、伝説とされる北の民の技だ。ジャンはサビルが探し求めた宝石だ。


北の民、しかも王家の末裔だ。


ジャンが風を操ることができる時点で、ザイドの心の中にある仮説が確信に変わった。


「素晴らしい」


ザイドが言うと、サフィードたちもうなずいた。


「それは確かに説明しづらいね」


ザイドが言うと、サフィードたちもうなずいた。仕方がない、と。


「ところで、ジャン、ジャヒールさんがしばらく村に帰って来ないから、しばらくの間に、私はジャヒールさんの代わりに、きみにいろいろなことを教えよう」

「ん?良いですか?」


ジャンが首を傾げると、ザイドは微笑んだ。


「もちろんだ」

「ありがとうございます、父さん!わーい♪」

「ははは」


ザイドは笑って、ジャンの頭をなでた。そしてサフィードを見て、うなずいてから、家に戻った。後を任されたサフィードはジャンを見て、考え込んだ。


ジャンは、もうすでにこの中にいる子どもたちよりも、レベルが違う。サバッダと同じぐらい、いや、もっと上かもしれない、とサフィードは思ってしまった。


もう高度な暗殺技術を学べるだろう。その証拠は、父親が自ら教えることを宣言したぐらいだ、とサフィードは思いながら、サバッダに抱きしめられたジャンを見ている。

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