第21話 ウルダ(21)
その日の昼ごろ、ジャンがやっと目覚めた。侍従たちは彼を風呂に入れてから、サバッダが持って来た服に着替えさせた。そしてザイドの指示通り、サバッダとサヒムと一緒にお昼を食べた。美味しそうに葡萄を頬張ったジャンの顔にとても印象的だった、とサヒムは思った。
どうみても普通の4歳児だ。
その4歳児が山賊を斬り殺したなんて、誰が見ても、きっと信じなかっただろう、とサヒムは思った。
午後になると、ザイドはジャンを連れて、村を歩く。ジャンがまだ小さいからという理由で、サバッダがジャンを持ち上げようとしたけれど、サヒムは先に動いて、ジャンを自分の腕に乗せて、ザイドの隣で歩いた。
「よく見えるか?」
「はい」
ジャンが答えると、サヒムは笑った。体が大きなサヒムの腕から見える景色は違う、とジャンは思った。村を散歩して、ザイドは
「父さん、ありがとうございます!」
ジャンはキラキラとした目で新しいナイフを見て、ザイドに礼を言った。その様子を見たザイドは微笑んだだけだった。買い物を楽しんだ後、ザイドは市場の近くにある串焼き屋に入って、食事をおごった。ジャンは焼きたての肉を見て、驚いた表情をしながら大きな串焼きを取って、頬張った。
「騎馬戦の技術は誰が教えたのか?」
串焼きを食べているジャンにいきなり質問したのはサヒムだった。ザイドは会話を聞きながら食事を楽しんでいる。
「うーん、騎馬戦って何ですか?」
「馬に乗って、戦うことだ」
ジャンが逆に聞くと、サヒムは丁寧に説明した。
「うーん、お母様とお祖父様でした」
「お母さん?」
「はい」
サヒムが聞くと、ジャンはうなずいた。
「馬は小さいときからお母様と一緒に乗った記憶があります。最初はとてもゆっくりだったけど、少しずつ早くなって、とても楽しかったです」
「ほう」
ジャンの言葉を聞いたザイドたちは興味津々と耳を傾けた。
「始めて武器を持って馬に乗ったのは、お母様とお祖父様とおじじ様と一緒に近くの森に行ったときでした。でもその時、私は侍従と一緒に馬に乗りました。お母様は鉄砲で野鳥を狙って、撃ったことを見ました」
「当たったのか?」
「はい、一発で命中しました」
「素晴らしい」
ザイドはそう言いながら微笑んだ。馬に乗って鉄砲を使える女性なんて、始めて聞いた。7人の子どもを産んだ女性なんだから、きっとたくましい女性だろう、とザイドは思った。
近くにいるなら、求婚するかもしれない。妻に先立たれて5年間も経ったのだから再婚しても良いだろう、とザイドは思った。けれど、ウルダからアルキアまでの距離を思うと、ザイドはその考えを封じた。
「それで、馬から別の馬に飛び移る技は、どこで身につけた?」
「あ、それは侍従たちの遊びで、一緒にやっている内にできるようにうになりました」
「遊び?!ゲホゲホ!」
サヒムは驚いたあまり咳き込んだ。
「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「あ、ああ、すまん」
ジャンが心配そうな顔でサヒムを見ると、サヒムは慌てて自分のグラスをとって、飲み干した。
「肉が喉に・・」
サヒムがごまかして言うと、ザイドは微笑んだだけだった。
「もう大丈夫ですか?」
「ああ」
ジャンが聞くと、サヒムはうなずいた。
「それで、きみは侍従たちと馬に乗って、どう遊んだ?」
ザイドは聞いた。
「バナナの茎で互いをたたき合うんです。頭の上にバナナを紐で結んで、互いを叩く。バナナが落ちたり、潰れたりすると、負けです」
「ほう」
「基本的に、チーム戦で、三人一組で互いをバナナを守り合うんです。でもたまに乱戦で、互いにたたき合うこともあります。最後に残った一人は勝ちます」
「侍従たちは、きみに遠慮して手抜きしたりしないのか?」
「しません。そのようなことをしたら、お祖父様にひどく叱られます。下手したらクビにされます」
「ほほう」
「一番難しいのは飛び移る競技です。頭の上にあるバナナが逆に落ちないように、大変でした」
「ははは、想像が付くよ。相手の馬に飛んだのに、その反動で自分の頭にあるバナナが落ちてしまうか・・。良くできた遊びだ」
ザイドは笑いながらうなずいた。それにしても、プラヴァ家の侍従たちは並々ならぬの実力者だ。やはり戦争に備えているから、侍従たちまで戦力になるか、とザイドは思った。
「それにしても、鉄砲か」
しばらくしてから、ザイドが呟くと、サヒムも考え込んだ。
「鉄砲は遠距離攻撃にとても便利だ、と聞いた」
「はい。私もその噂を聞きました。鉄砲に玉を入れて、火を付けて、相手を狙って、ドーン!、と」
「遠距離武器だね。当たれば、かなり戦力になるが、当たるまでは難しい」
「はい」
「大きな音がするから、暗殺には向かないかもしれない」
「場所に寄りきりだと思います。騒がしい場所でやれば、さほどばれないかもしれません」
サヒムがいうと、ザイドは考え込んだ。
「ジャンは鉄砲を使えるのか?」
「できません。お母様と一緒に狩りをした時に始めて鉄砲を持ったけど、とても大きかったから難しかったです。昔は一度だけ撃ってみたけど、全く当たりませんでした」
「なるほど。まぁ、食べなさい」
ザイドはそう言いながら考え込んで、暖かい紅茶を飲んだ。
「サヒム」
「はい」
「鉄砲を仕入れて来い」
「ゲホゲホゲホ!」
「とりあえず、100本あれば良いと思う。商人がそれ以上持ったら、全部買っても構わない。お金がザアードに相談するように」
「・・分かりました」
サヒムはうなずいた。つくづく思うと、自分の父親がこんなに危ない人なのか、とサヒムは思った。
「ですが、しばらく情報を集めたいと思います。時間が少しかかるかもしれません」
「来月ぐらいまでに動きなさい」
「・・・」
「できるね?」
「努力します」
サヒムが言うと、ザイドは微笑んで、再びジャンを見ている。サバッダは自分の分の串焼きをジャンのお皿に置いて、紅茶を飲み始めた。父親と兄の会話を聞いて、なんだか胃が痛くなった、とサバッダは思った。
そのような気持ちになったのはサバッダだけではなかった。サヒムも頭痛がした。ウルダでどこで鉄砲を買えば良いというのか、とサヒムは思った。船乗りから話しを聞いただけで、実物を持って来る人が一人もいなかった。ウルダの港になければ、他国の港にあるかもしれない、とサヒムは思った。
タックス王国の港だ。それを頭に過ぎったものの、簡単ではない。
結局、ザイドと散歩と夕食に楽しかったと感じたのはジャンだけだった。ジャンは馬の形にしたおもちゃをザイドに買ってもらって、とても嬉しい様子だった。帰り途中にサヒムがウルダの歌を教えると、ジャンは家までずっと歌っていた。家に到着すると、歌いすぎたからか、ジャンは疲れて、そのまま眠った。
「恐らく、彼はここまで子どもらしく振る舞ったのが初めてだろう」
ザイドが言うと、サヒムとサバッダは無言で眠っているジャンを見ている。
「どうしてそう思うのですか?」
サヒムが聞くと、ザイドは微笑んだ。
「その馬のおもちゃを抱きしめるほどだったからだ」
ザイドはジャンの頭を優しくなでて、微笑んだ。
「それに、ジャンは家族の愛は分からなかっただろう。その年齢の子どもは普通に母親を恋しがっている。が、ジャンはそうしなかった。なぜなら、彼は乳離れになった瞬間から、母親と別れて、別のところで育てられたからだ」
ウルダで一人で生き残るための準備だっただろう、とサヒムが言うと、ザイドはうなずいた。
「その通り」
ザイドは言った。
「・・だから、優しくしてあげなさい。この子はそれなりにがんばって、努力している。我々ができるのは、彼に家族の存在を与えることだ」
「だが、ジャンは二年後に帰らなければならない」
「その時はその時だ」
サバッダが言うと、ザイドは顔色を変えずに、ジャンを見ている。
「裏の世界では、彼の名前が知られていくのは時間の問題だ」
「・・・」
「そして、これからも彼はタレークの名前を使うだろう。タレーク家は彼にとって、唯一の居心地が良い場所だから、自分の家門よりもね。私はそう信じたい」
ザイドは扉を開けた侍従にうなずいて、家の中に入った。
「もう休みなさい」
「はい。では、失礼します」
サヒムとサバッダはザイドに頭を下げてから、ザイドと別れて、サバッダの部屋に向かった。サバッダの部屋に入ると、ジャンを寝台に寝かした。侍従たちはジャンを丁寧に寝間着に着替えさせてから、外へ出て行った。
「彼は二年後に帰るのか?」
「はい」
サヒムが言うと、サバッダはうなずいた。
「帰って、アルキアで何をする・・?」
「戦争」
「戦争?」
「はい」
サバッダは絨毯の上に座って紅茶を煎れた。サヒムに差し出してから、自分の紅茶を飲んだ。
「二年後のジャンは、まだ6歳だぞ?!」
「はい」
「6歳で戦場へ行かせるのか?」
「そういう計画なんだ」
サバッダは複雑な気持ちで言った。
「その計画は、ジャンのじいさんとお頭が考えたものか?」
「まぁ、そんな感じ」
サバッダがいうと、サヒムは胃が痛く感じた。
だからジェナルが自分の家名をジャンに与えなかった。その理由は二年後、ジャンはウルダからいなくなるからだ、とサヒムは理解した。
「哀れな子どもだ」
サヒムが言うと、サバッダもうなずいて、静かに紅茶を飲んだ。
「兄さん、アルキアはなぜイルカンディアに負けたか、知っている?」
「いや、知らない。兵力の差?」
「兵力なら、アルキアの方が多かったらしい」
サバッダはそう言って、紅茶を飲み干した。
「鉄砲だよ。アルキア軍は、鉄砲を持ったイルカンディア軍に負けた」
「・・・」
「これからの時代は、鉄砲が勝敗に深く関わってくる。だから、僕たちにも、鉄砲の備えが必要だ。ジャンのじいさんはそのことをさりげなく彼に託したんじゃないかな、と思って・・。だって、暗殺技術を学ぶためにここにいたとしても、ジャンはほとんどそれができているのだから、サマンよりも上手だったよ」
「じゃ、彼がここにいるのは、俺たちを守るために、か?」
「多分。やるかどうか、僕たち次第だ。が、二年後、ジャンを連れて帰る、とそのじいさんが言った。年齢から見ると、その時は彼の最後かもしれない。もう二度とここに足を踏み入れることはないだろう。だから、あのじいさんが、最後にやりたいことと言えば、それは愛したこの国を助けたいことだろう」
「ふむ、最後か・・」
サヒムは考え込んだ。案外、父親はこのことを察して、ジャンを自分の家に入れたのかもしれない、とサヒムは自分の考えを改めた。
だから鉄砲を買うようにと命じた。できるだけ、多く、と。
「イルカンディア軍はいずれここに来るだろうか?」
「その可能性は否定できない。仮にイルカンディアが来なくても、鉄砲を持って他の国がウルダを攻めに来る可能性だってあるよ、兄さん」
「ふむ」
サヒムは考え込んだ。二人はしばらく無言で紅茶を飲んだ。
「俺はこれから出かけてくる。ジャンが起きたら、ごめんね、と伝えてくれ。タックス語を教える約束だったけど、できそうにないな」
「分かった」
「後、ジャンに、『エスカヴェレス・アヌト・ザフィア』を教えるなよ」
「あれって、『死んでしまえ、このクソガキ』だろう?」
「俺はジャンに『女神様万歳』と教えたんだ」
「ははは」
サバッダが笑うと、サヒムは唇の前に指を立てて静かにするように、と合図した。
「紅茶ありがとう」
「はい」
サヒムが外へ出て行くと、サバッダはそのまま空になったカップを持って、天井を見つめながらしばらく考え込んだ。
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