第20話 ウルダ(20)

結局ジャンは食事中に、また眠った。口がもぐもぐしながら、目が閉じて、最終的にスプーンをにぎりながらサヒムの胸に眠った。サバッダが呆れて、ジャンを起こそうとしたけれど、ジャファーに止められた。子どもはよくあることだ、とジャファーがそう言って、残った食事を片付けた。ジャンの馬も無事に見つかって、また山賊の馬も数匹も発見して、一行は山賊の武器と馬を連れて、マグラフ村へ帰った。まだすやすやと眠っているジャンを見ると、ザイドは微笑んで、家で寝かせるようにと命じた。ジャヒールがいないから、テントへ帰らなくても良い、ということだ。サバッダはうなずいて、そのまま実家へ連れて行った。


「ジャンはどうだった、サヒム?」


ザイドは尋ねながら、サヒムと並んで、ジェナルのテントへ向かった。


「あの子は優秀です、父さん」

「ははは、そう?」

「一人で、数人のタックス軍を殺して、村人らと私を助け出してね、・・それだけではなく、帰り道で24人の山賊を相手にして、一人で10人も殺したんですよ!」

「ほう」


ザイドは興味津々とサヒムを見ている。


「あの子は毒使いだから」

「それだけで片付けられないんです。騎馬戦、あの小さな子どもがどうしてあんなにすごかったか、本当にびっくりしました。馬に乗って、ナイフを投げて、しかも命中して、そのまま近くの馬に飛び移って、その馬に乗った山賊を斬り捨てて、また他の馬に飛び移って・・、今度はその馬に乗った山賊を武器を投げて、相手に命中して、また飛び移って、もう・・大人でも、そのような技ができる人なんて、滅多にいません」


サヒムが興奮しながら言うと、ザイドは微笑んで、サヒムを見ている。


「その話はジェナルの前にするなよ」

「へ?」

「あの子は、ジェナルの遠縁だから」

「良く分かりませんが・・」

「今はそれだけを従いなさい」

「はい」


ザイドが言うと、サヒムは首を傾げながら返事した。なんだか訳ありだ、と彼は察した。


彼らがジェナルのテントに着くと、すでに数人がジェナルの前にいる。朝早くにも関わらず、ジェナルは座りながらコーヒーを飲みながら、人々と会話している。ザイドとサヒムが見えると、彼らは嬉しそうに手を広げて、サヒムを抱きしめた。サフィードは後から来て、無事だった弟を見て、抱きしめた。


「良く無事で」

「おかげさまで、助かりました」


サヒムが言うと、サフィードはうなずいて、座るように、と合図した。ジェナルの妻が飲み物を差し出すと、彼らは丁寧に頭を下げた。ジェナルの妻がテントから出て行くと、サヒムはタックス軍の侵攻を詳しく話した。ジェナルたちはうなずきながら、険しい顔で耳を傾けた。


「タックスは止まらないと思います。タックスでは干ばつが深刻な問題だそうです」


サヒムが言うと、ジェナルは考え込んだ。


「ここは手薄だと思われただろう」


ジェナルが言うと、その場にいる男らはうなずいた。その通りだ、と彼らは言った。


「国軍に要請を送りましたが、いつ頃来るか、分かりません」

「そうだな。これからどうすれば良いか、考えよう」


サヒムが言うと、サフィードはうなずいた。彼らはしばらく話し合って、意見を交わした。





そんな大人たちと違って、ジャンは気持ちよさそうに眠っている。サバッダは体を洗ってから着替えて、ぐっすりと眠っているジャンを見て、微笑んだ。手伝いに来た侍従たちにジャンを任せてから、サバッダは外へ出て行った。


「サバッダ叔父さん」


中庭でサフィードの息子、サマッドが声をかけた。


「久しぶりだね、サマッド」

「お久しぶりです」


サマッドが挨拶すると、サバッダは微笑んだ。


「あの、聞いても良いですか?」

「なんだ?」

「ジャン叔父さんは?」

「今寝ている」


サバッダがそう言いながらベンチに座って、侍従から紅茶を受け取った。


「この時間なのに?」

「ジャンは疲れているんだ。ここに来る前に、タックス軍と戦って、山賊と戦って、やっと終わったところだ」

「それでも、なんか、良いご身分のようで」


サマッドがいうと、サバッダの顔は険しくなった。


「下男から聞いたんですが、ジャンはヤティムの子だって・・」

「そうだ」

「卑しい身分のヤティムの子が、お祖父様の情けを受けて、タレーク家になったって」

「それは違う!」


サバッダは首を振って、声を荒げて即答した。


「誰が言ったか知らないけど、ジャンはそのような事情でタレーク家になった者ではない!」


サバッダが大きな声で否定すると、サマッドはビクッとして、サバッダを見て瞬いただけだった。


「ジャンは、とある家の末子で、大変優秀な子どもだ。家名をきみに言えないが、その家もまた大変誉れ高き家だ。だからジャンは卑しい身分ではない。ここまでは分かった?」

「はい」

「しかし、ジャンの本当の父親は、ジャンが生まれる前に、ある国との戦争で戦死した」

「・・はい」

「ジャンの母親は、一人で家族を支えて、一所懸命に働いていると聞いた」

「はい」

「まだ小さいジャンは、ここにつれて来たのは、彼のおじいさんで、彼はお頭の遠縁だ。簡単にいうと、ジャンはお頭の孫だ」

「じゃ、ジャンはお頭の家族でしょう?なぜタレーク家にいるのですか?高い身分なんて嘘で、本当は私生児、そのため捨てられた、という話は聞いています」

「違う!」

「じゃ、どうして?」

「それは・・」


サバッダはため息ついて、考え込んだ。


「私がジャンを自分の子どもにしたから、ジャンはタレーク家になった。それだけだよ」


いきなりザイドの声が聞こえると、サバッダとサマッドは驚いて、慌てて立ち上がった。


「お帰りなさい」


サバッダとサマッドがいうと、ザイドは顔色を変えずにベンチに座った。一緒に来たサヒムは静かにサバッダの近くに立つ。


「ジャンはどうかした?」


ザイドが聞くと、サマッドは震えて、首を振っただけだった。


「サマッドに、ジャンは卑しいヤティムの子で、父さんの情けを受けてタレーク家になったか、と尋ねられたから、違うと説明しているところでした」

「ほう」

「私は、ジャンが卑しい身分でも、私生児でもないことを、説明しました」


サバッダが説明すると、ザイドはサマッドをみて、微笑んだ。


「きみは今年、何歳になった?」

「9歳です」

「9歳か。馬はもう乗って走れるか?」

「いいえ、まだです」


ザイドはサマッドを見て、ため息ついた。


「きみの先生は誰だ?」

「アブ・ジャラル先生です」

「剣は?どのぐらい練習した?投げナイフはもうできた?」

「まだ・・、ですが、短剣ぐらいは習っています。投げナイフもまだ・・」


サマッドが答えると、ザイドはしばらく考え込んで、侍従を呼んだ。


「まともに仕事をしないアブ・ジャラルを解雇せよ。サマッドをアルマイド・アリフに任せる。枠があるはずだから、その辺りは任せる。一年ぐらい様子を見て、教育できるかどうかと彼の判断に委ねる。可能なら、サマッドを17歳まで頼む、と伝えよ。何しても才能がないなら、サマッドを商人団へ養子に出す。このことを、サフィードに知らせよ」

「かしこまりました」


ザイドが言うと、サマッドの顔色が青くなった。アルマイド・アリフと言う人はとても厳しい人だ、と彼は知っている。それ以上に、教育が失敗してしまうと、タレーク家として名乗ることができなくなる。


「・・アブ・ジャラル先生の方が良い、お祖父様」

「きみはアブ・ジャラルの元で勉強してから、もう何年経った?」

「2年です」

「2年間も勉強したのにナイフを投げることさえできない。今のままでは、きみはタレーク家を名乗るのもおかしくないか?きみは女の子なら問題ない、剣ができなくても、裁縫や刺繍さえできれば、そのままどこかの家に嫁いで行ける。しかし、きみは男の子だ。このままだと大変なことになる、と分かっているか?」

「・・・」


サマッドはうつむいて、何も言えなくなった。


「ジャンは今年、4歳になった。彼は小さいころから練習して、9歳のきみよりも良くできている。剣も、投げナイフも、毒も、騎馬戦も、情報収集も、言葉も、彼は数カ国語も話せるらしい。分からないときに、素直に分からないと言って、周りに教えてもらえるようにと丁寧に聞いて、一所懸命に練習している。きみが知らないと思うが、ジャンは時間がある度に、半月刀を練習している。そうやって、自分自身と同じぐらいの大きさの武器を使い熟している。そうだろう、サバッダ?」


はい、とサバッダが答えると、ザイドは微笑んだ。


「それは才能という以上に、彼はよく努力している、ということだ」


ザイドが言うと、サマッドは泣き始めた。


「がんばらない自分に恥ずべきだ、ときみの父親は言っていなかったか?」

「・・言いました」

「ならば、これからきみは、くだらない噂を聞く暇はない、と思う」

「はい」


ザイドが言うと、サマッドはうなずいた。


「私は、ただ、ジャン叔父さんと話したかっただけです。どうして彼はとても良くできたか、聞きたかっただけです」

「その答えは今分かったか?」

「はい」


サマッドが震えながら答えると、ザイドは満足そうに微笑んだ。


「侍従、全員に伝えよ。ジャンは私の子どもであって、彼を侮辱するような噂を流せば、その命で償うことになる。女性たちにも、そう伝えよ。これは脅しではなく、当主の権限で実行するから、肝に銘じよ」

「かしこまりました」


侍従は丁寧に頭をさげた。


「ジャンは今何をしている?」

「まだ寝ています」

「そのままにしなさい。疲れているだろう」

「はい」


サバッダはうなずいた。


「ジャンが起きたら、私と一緒に食事でもしよう」

「はい」


ザイドは立ち上がって、そのまま中庭を後にした。サマッドは落胆した様子でそのまま侍従と一緒に外へ出て行った。


「その話は本当か?」


サヒムが聞くと、サバッダはうなずいた。


「ジャンはプラヴァ家、本家の末子だ」

「プラヴァ家?!」


サバッダが言うと、サヒムは驚きを隠せなかった。プラヴァ家は、港と首都では知られている他国の貴族だ。ウルダによく米と絹を売りに来た商人団の持ち主だ。


「だが、ジャンはサビル・エフラドの孫だと言ったぞ?」

「それも本当です」


サバッダが言うと、サヒムは首を傾げた。


「どういう繋がりだ?」


サヒムが聞くと、サバッダは考え込んだ。


「どうやら、昔、遙か昔、サビル様の母方の先祖とジャンの父方の先祖は同じ家だった、とアブから聞いた」

「その昔のことなんて、信憑性がないだろう?」

「それはあるんです。瞳の色が、同じです」

「誰と誰の瞳?」

「ジャンの兄と曾祖父そうそふとサビル様」

「へ?」

「瞳が同じ色だ、と聞いた」


サビルの瞳の色が普通ではないから、人々は彼を哀れに思った。才能があるものの、暗殺者としてその瞳だと逆に敵に覚えられるから危険だ。訓練だけを受けて、サビルは商売人として生きることになった。サヒムはその話を聞いたことがある。


その瞳は、ジャンの兄の瞳と同じとすると、彼らは間違いなく、血縁者であることを意味する。


だからサビルはジャンに気にかけた。遙か昔に滅びた一族の末裔が、やっと見つけたからだ。


「じゃ、お頭との関係は?」

「遠縁で、ジャンの母方のじいさんはお頭の従兄弟の従兄弟だ、とジャヒール先生から聞いた」

「なるほど、なんとなく理解した」


サヒムはうなずいて、ベンチに座った。


「じゃ、母親は今何をしている?」

「向こうで、亡き夫の両親と自分の両親、そして子どもたちの面倒を見ているらしい」

「大変だね。長男は?」

「イルカンディアに、人質に」

「・・・」

「ジャンは、兄が留学している、と言ったけど、彼が生まれる前からイルカンディアへ行ったから、恐らく留学ではなく、人質になっている、と思うよ」

「アルキアはイルカンディアに負けたからか?」

「はい」


サバッダはうなずいた。


「俺はてっきりと父さんが再婚して、ジャンを儲けたかと思った」

「僕はそのことを何も言わなかったよ?」

「ああ、俺のミスだ。勘違いした。だから父さんに結婚おめでとうと言った時に何も返事しなかったよ」


サヒムが言うと、サバッダは笑っただけだった。


「一応、僕はジャンの姉たちのことを気になるけど・・」

「美人だろうね」

「らしい」


サバッダが小さな声で言うと、サヒムは笑った。


「一人でも良いから、求婚したいな。きっときれいで、頭も良い女性たちばかりだ」

「ジャンを見れば、その可能性が高い。肌が明るくて、太陽に当たるとほっぺが赤くなって、そしてつぶらな瞳・・、きっとかわいらしいだろう。ただ、アルキアはとても遠いから、果たして、向こうに到着すると、彼女たちはまだ未婚かどうか、分からない」

「そうだね」


アルキアか、とサヒムは改めて思った。聞いた話だと、片道だけで半年もかかる距離だ。サバッダの言う通り、サヒムがアルキアに行っても、彼女たちがまだ未婚かどうか分からない。それに、言葉が通じるかどうか、それもまた問題だ。


美人で、頭が良い。サヒムにとって、理想の女性だ。もしもジャンが男の子ではなく女の子なら、他の男と殺し合っても良いぐらい、欲しいかもしれない、とサヒムは思った。


そしてサヒムは気づいた。同じ理由で、父親がジャンを自分の子どもにしたに違いない。才能に溢れているジャンを見て、父親が何かを気づいたかもしれない。だからすぐさま行動に出た。ヤティムの子という理由で、保護して自分の家に入れたことを、周りから賛美に称えられるだけではなく、サビル・エフラドとジェナル・ジャザルを牽制できる。


「ザアード兄さんは何か言った?」

「いや」


サバッダは首を振った。


「逆に、お頭とジャヒール先生に話をしたのはザアード兄さんだったよ」

「ふむ」


ザアードはジャンを拒んでいない、ということだ。サヒムはそう考えながら、青々として葡萄の木々を見ている。


「兄さん、僕はこれから朝ご飯を食べに行くけど、一緒に食べる?」

「先に食べて良い。俺は風呂に入って、着替えたい。さすがに数日間もこの服のままだと臭いだろう?」

「ははは、分かった」


サバッダは笑ってうなずいて、迎えに来た侍従と一緒に中へ入った。

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