第16話 ウルダ(16)
「ここでお別れです。どうか、ご無事で」
「はい」
タレーク部隊が送ったのは村はずれだ。ここから、彼らは南へ移動して、前線と合流する予定だ。一方、ジャンとサバッダは町の中でサヒムの行方を捜す。
「皆さんに、ご武運を祈ります。お気を付けてください」
「ありがとうございます、ジャン様。では」
ジャンが言うと、ナセームは頭を下げて、サバッダに向かって頭を下げてから、そのまま馬に乗って走らせた。ジャンとサバッダは馬を引きながら村に入って、預かり屋を探す。
「やはり攻撃を受けた被害があったな」
「はい」
サバッダが村の周囲を見ながら言うと、ジャンはうなずいた。壊れた建物が多数あったからだ。
「村の中にいるのはほとんど老人と女性と小さな子どもたちばかりですね。男性は戦争に借り出されたのかな・・?」
「多分な。でも、その気持ちは分からないでもないよ。だって、負けたら、ここにいる住民がどんな扱いされるか、想像が付くだろう?」
「はい」
ジャンはうなずいた。負けたアルキアのように、人権なんてない。アルキア国民の身分が犬の下になったぐらいだ。
「馬はどうしましょうか」
「あそこに宿があるから、聞いて見よう」
「はい」
サバッダが言うと、ジャンはうなずいた。預かり屋には、人がいなかった。閑散としたところで、宿が見えたから、二人はその宿に向かって歩いた。宿の前に着くと、一人の老婆が現れた。
「こんな時に客なんて・・、今戦争中ですよ」
老婆が言うと、サバッダは苦笑いして、ジャンの手をにぎっている。
「こんにちは。見ての通り、私たちは兄弟、この村に着いたばかりで・・、まさか戦争中だなんて、思ってもしなかったよ」
「そうかい、仕方ないねぇ」
老婆は笑いながら小さなジャンを見て、そしてサバッダを見ている。
「兄弟なのに、顔が違いますね」
「ああ、よく言われるよ。こいつが母親にとても似てて、僕は父親似なんでね」
「なるほど」
老婆は馬たちを宿の隣にある馬舎に入れた。サバッダはすぐさまバケツで水を入れて、馬たちに与えた。
「可能なら、三日か四日間ぐらいの滞在がしたい」
「良いですよ。前払いですが・・」
「分かった。いくら?」
「三日なら金貨一枚と80ダリだけど、四日間なら金貨二枚です」
「じゃ、四日間にするね」
「分かりました」
老婆は二人を宿に案内して、鍵を与えた。サバッダは支払いを済ませてから、ジャンと一緒に部屋の中に入った。一番上の階の部屋だ、とジャンは部屋全体を見て、思った。
「疲れたなら少し休んでも良いよ。僕は少し周りを探ってみる」
「分かりました。少し休みます」
「あの婆さんにお金を少し多くあげたから、多少の飲み物や食べ物ももらえるだろう。僕がいないときに、何か欲しい物があったら、婆さんに言ってね」
「はい」
ジャンはうなずいた。サバッダは窓から外を見て、武器を整えてから、外へ出て、鍵を外からかけた。一人になったジャンはしばらく部屋にいてから、外へ出て行った。
「おや、お一人かい?」
「はい」
老婆が声をかけると、ジャンはうなずいた。
「水が欲しいです」
「おほほ、じゃ、入れますね」
「はい、お願いします」
ジャンが水筒を老婆に渡すと、老婆は快くその水筒に水を入れた。そして厨房からパンやお菓子を持って、机に置いた。
「ここに座って、坊や」
「はい」
ジャンが素直に座って、老婆が勧めたお菓子を一つ取った。
「兄さんはいないのか?」
「はい。先ほど出かけました」
「ほう」
老婆もお菓子を食べながら目の前の子どもを見つめている。明るい肌で、とてもかわいらしい。言葉が上手だから、それなりの年齢がするだろうけど、体が小さい。まるで女の子のようだ、と老婆は思った。
「兄さんはどこに行ったか、分かるのか?」
「うーん、もう一人の兄さんを探しに行く、と言いました」
「他の兄はいるのか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「名前はなんて言う人?」
「サヒム兄さんです」
「サヒムか、知らないのぉ」
「そうですか」
ジャンはがっかりした様子を見せた。すると、老婆は微笑んで、ジャンの頭をなでた。
「その背中にあるのは?」
老婆はジャンの背中にある半月刀に気づいた。ジャンは水を飲んでから、またお菓子を取った。
「兄さんが持っていけ、と言ったのです。家宝だって、よく分かりませんが・・」
「家宝・・」
老婆はジャンを見ながら、何かを考え込んだ。けれど、ジャンは彼女を無視して、また次のお菓子を取った。
「お菓子がお好きか?」
「はい」
老婆が尋ねると、ジャンはうなずいた。
「美味しかった! ありがとうございます!」
ジャンはにっこりと笑いながら、水筒を持って、頭を下げた。
「あ、そうだ。私は少し寝ますので、部屋をノックしても、返事がないと思います。お兄さんは鍵をお持ちなので、心配しないでください」
ジャンが言うと、老婆はうなずいた。ジャンはそのまま部屋に入って、鍵をかけた。
ジャンは窓を開けると、やはりこの宿の周囲も閑散していることが分かった。ここまで静かだと、余計に怪しい、とジャンは思った。ジャンは窓から身を出して、周囲を確認した。そして、彼は静かに外へ出て、窓脇に足を踏み入れて、そのまま屋根に登った。屋根から見える景色が窓より全然違う、とジャンは思った。
下へ見ると、老婆が宿から出て行く姿が見えた。水汲みに行くのか?、とジャンは思ったけれど、違った。老婆はそのまま村の中心部へ向かっている様子だったから、ジャンは屋根の上から静かに移動しながら追っている。
老婆は市場に向かって、買い物し始めた。パンを買って、豆の煮物も買った。ジャンは周囲を見て、また視線を老婆に移した。老婆が動き出すと、ジャンも移動した。そして老婆がある建物の中に入った。場所は市場からそう離れていない建物だった。ジャンは移動して、周囲を見てから、その建物の屋根に飛び込んだ。
ここからじゃ、何も見えない、とジャンは思った。彼は下を見て、誰もいない、と確認した。そしてジャンは素早くと屋根の上から窓際へ降りた。中を覗いていくと、とても広い部屋だ、とジャンは思った。
人の会話が聞こえると、ジャンは耳を澄まして、会話を聞いている。けれど、その会話は彼が知らない言葉だった。すると、ジャンは集中して、一つ一つと会話の単語を記憶した。そして会話が止まって、老婆が建物から出ていた姿が見えた。ジャンはまた屋根の上に登って、次々と屋根と屋根に飛び移りながら老婆を追っている。
宿に戻った、とジャンは思った。そして彼は宿の屋根に飛び移って、空いている窓から部屋の中に入った。
「どこに行って来たんだ?」
ジャンが声がした方へ振り向くと、寝台の上にサバッダは呆れた顔で座っている。
「あ、ただいま兄さん」
「お帰りなさい。で、どこへ行って来たの?」
サバッダは顔色を変えずに言った。
「うむ、あのおばあさんを追ってきました」
ジャンが小さな声で言うとサバッダは両手を伸ばした。ジャンが近づくと、サバッダはジャンを両手でつかんで、自分に近づけた。
「あの婆さんはどこへ行った?」
サバッダがジャンの耳元で言うと、ジャンはサバッダの耳元で見た物と聞いた会話を話した。
「・・エルグフ・アヴィリ・エグル・サヒム」
ジャンが言うと、サバッダは考え込んだ。
「あれは一度だけ聞いて、覚えたのか?」
「はい。でも、意味は分かりません」
ジャンが言うと、サバッダは微笑んだ。
「あの子どもたちはサヒムを探している、という意味だ」
「ふむふむ。何語ですか?」
「タックス語だ」
サバッダがいうと、ジャンはふむふむ、と考え込んだ。
「ということは、多分なんだけど、この村はもうすでにタックス王国に落ちた、と考えた方が良いですか?」
「そうかもしれない」
「ナセームさんは大丈夫なのかな・・」
「大丈夫さ」
サバッダは微笑んだ。
「彼らは優秀な暗殺者だから、どんな状況でも、ちゃんと対応できる」
「ふむふむ」
ジャンはうなずいた。
「ということは、私たちは最初から餌役なんですか?」
「ははは、餌だなんて」
ジャンがいうと、サバッダは苦笑いした。
「良いか、ジャン」
「はい」
「裏の世界の者は、どんな役目に命令されても、文句言わずに役目を全うことは望まれるんだ。相手が死んで、自分が死ななければ良いんだからね」
サバッダはジャンの耳元で優しく言った。くすぐったい、とジャンが思うほど、とても小さな声だった。
「でね、この様子だと、サヒム兄さんが恐らく慌ててエフスカを出しただろう」
「エフスカ?」
「彼の鳥さんだ」
「あ、はい」
サバッダが答えると、ジャンはうなずいた。
「サヒム兄さんの仕事って何ですか?」
「彼は冒険者だと言っているけど、本業は情報収集者だ」
要するに、スパイだ。ジャンは少し驚いて、そのままうなずいただけだった。
「ジャン、思い出して、俺たちの仕事はなんだ?」
「サヒム兄さんの行方を捜して、解放して、連れて帰ることです。連れて帰ることが不可能なら、殺す、です」
「そうだ」
サバッダはうなずいた。
「でも、サヒム兄さんがどこにいるか分かりません」
「あの婆さんとその仲間は知っている」
「じゃ、どうしますか?」
「ジャンはあの婆さんを見張って、対応してください」
「はい」
「僕は市場の近くの家を見てくる。その周囲を探ってみる」
サバッダが少し考え込んで、そう言った。
「お気を付けて、兄さん」
「ジャンもね」
サバッダは優しい口調で言った。けれど、彼は知っている。これは紛れもなく、大変危険な仕事だ。まだ見習いの身である彼はこの仕事を無事に全うできるかどうか、彼自身も分からない。
そして、4歳のジャンも見習いの身だ。経験も、技も、何もかも、サバッダたちと比べると、まだスタート地点だ。そのような小さな子どもを巻き込んでも良いのか、とサバッダは正直に思った。けれど、タレーク家の当主であるザイドの命令は絶対的だ。
「僕がジャンを見つけるから、いざと言うときに、逃げて、どこかに隠れても構わない。必ず見つけるから、安心してね」
「はい」
「じゃ、行って来る」
サバッダはうなずいて、ジャンと離れて、立ち上がって、そのまままた外へ出て行って、鍵をかけた。
一人になったジャンはしばらく寝台の上で考え込んだ。
トントン
扉をノックする音がすると、ジャンは返事した。
「坊や、お昼を一緒に食べましょうか?」
老婆の声が聞こえると、ジャンは寝台から降りて、扉を開けた。
「もうご飯の時間ですか?」
「そうだよ」
老婆はにっこりと微笑んだ。
「いっしょに食べましょう」
「うーん」
ジャンは考え込んだ。
「兄さんはまだ帰って来ないけど」
「ああ、さっき見かけましたよ。先に食べても良い、と言っていましたよ」
「そうですか」
ジャンは迷いながら返事した。
「分かりました。あと少し準備してから、下へ降ります」
ジャンが答えると、老婆はにっこりと微笑んで、下へ降りた。ジャンは扉を閉めてから、武器を確認して、水筒も腰に付けてから、マントを肩に着けた。部屋の中に問題ないものだけを置いたから、ジャンはそのまま部屋の外へ出て行った。
「おや?」
下に降りたジャンを見た老婆は驚いた。
「あ、ご飯の後、ちょっと出かけるから、ついでに準備しただけです」
ジャンはにっこりと笑いながら言った。老婆はうなずいて、机の上に数々の料理を並べた。
「すごいね、おばあさん」
「ははは、ちょっとだけ
老婆が言うと、ジャンは驚きながら椅子に座った。
「まぁ、お食べ」
「はい」
ジャンはうなずいて、机の上にある料理を見渡した。そしてジャンはパンを一つとって、そのまま食べた。
このパンは先ほど市場で買ってきた物だった、とジャンはそう思い出しながら、美味しそうに食べ始めた。
「坊や、この料理は美味しいよ」
「うん」
ジャンはパンを食べながらうなずいた。
「お皿に盛りましょうか?」
「いいえ」
ジャンは首を振った。そして彼は別の料理をスプーンで取って、自分のお皿に盛り上げた。
これも市場で買ってきた料理だ、とジャンは思った。どう見てもまずそうな煮豆だけれど、この煮豆は何よりも、毒の「におい」がしないから、安全だ。
「美味しい」
ジャンはパンと煮豆をもぐもぐと食べた。老婆が一所懸命に肉料理を勧めたけれど、ジャンは何も返事せずに、ただ首を振っただけだった。
「肉は嫌いのかい?」
老婆が呆れた様子で聞くと、ジャンは首を振った。
「好きですよ」
ジャンは
「ありがとう、おばあさん。もうおなかがいっぱいです」
「まだ葡萄葉の肉巻きも食べていないのに」
「ごめんなさい」
ジャンは丁寧に首を振った。
「お菓子を食べ過ぎて、おなかがいっぱいです」
「・・そうかい」
老婆は微笑んで、うなずいた。
「そうだ、これからどこに行くのですか?」
「市場に行ってみようかな、と思います」
「どうして?」
「うーん、ズボンが欲しいな、と思って」
「ズボンって、お金が必要だよ?」
「うん」
ジャンはうなずいた。
「お金なら少し持っています」
ジャンは懐から財布を見せた。どうみても、とても重そうな財布だ。
「市場はどこにあるか、分かるのかい?」
「ううん」
ジャンは首を振った。
「じゃ、一緒に行きましょうか?」
「良いの?」
「もちろんです」
老婆は微笑みながら答えた。そして彼女はジャンと一緒に宿を出て、ゆっくりと村の中心にある市場へ向かった。
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