第15話 ウルダ(15)
その日、緊急事態が起きた。一羽の鳥が羽ばたいて、警備隊長のサフィードの手元に飛んで行って、その鳥の足に付けられた手紙を取って読んだサフィードの顔色が変わった。サフィードがすぐさまジェナルの所へ向かうと、次期頭のジャヒールにも連絡が来た。
「なんだろう?」
アミールは水筒のフタを開けて、水筒の中身を飲んでから言った。アミールの目の先にはジェナルのテントに入ったジャヒールが映った。
「緊急連絡らしい」
サバッダが言うと、アブとサマンも視線をジェナルのテントに向けた。ジャンは村の共同釜でパンを焼いている女性からパンをもらって笑っている姿も見えた。
「ジャンは人気者だね」
アブが言うと、サマンは笑った。
「あいつはかわいいからな。太陽に当たると、ひっぺが赤くなって、まるで人形みたいだと言った人が多い」
「ははは」
サマンがいうと、アブは笑った。ジャンがパンを持って彼らの元へ来ると、サバッダとアミールも笑った。サバッダはジャンからパンを受け取って、適当に5つに分けて、全員に分けた。
「焼きたてのパンはやはり旨い」
アミールが言うと、サバッダはうなずいた。サバッダとサマンの間でジャンがしゃがんでパンを食べている姿が見えると、アブは笑って、パンを食べ終わらせた。
「サバッダの親父も来ているね」
アミールが言うと、サバッダはうなずいた。ザイド・タレークが複数の付き人と一緒にジェナルのテントに入った姿が見えた。
「ザアードさんはいないの?」
「
「会ったのか?」
「ああ。僕はちょうどその時に水を汲んでいたんだ。ばったりと会って、東に行くと言われた」
アブが聞くと、サバッダは答えた。
「アブの兄さんも来たね」
「アリフ兄さんか」
アミールが言うと、アブはテントに入った人を見ている。第一夫人からの兄で、次期当主と言われている人物だ。彼の次に、複数の男らもテントに入っている姿が見えた。
「なんか、ただならぬ事態が起きたかも」
「俺もそう思う」
アミールが言うと、アブもうなずいた。そもそもサバッダの父親がわざわざ来た時点で、本当の意味の緊急事態だ。
「サバッダ、ジャン、来い!」
テントから出て来たのはサバッダの兄、サラムだった。彼が二人の名前を呼ぶと、サバッダは急いでジャンの手を引っ張ってテントに向かった。パンを食べているジャンは急いで残りのパンを口に入れて、もぐもぐしながらテントに入った。そんなジャンの顔を見たザイドは思わず笑った。サバッダが気がついて、急いでジャンの顔を拭いて、水筒の水を飲ました。
「すみません、彼らは休憩中で」
「問題ない。子どもは食欲があって、よろしい」
ジャヒールが言うと、ザイドは首を振って、ジャンから視線をジェナルに移した。
「タレーク家から、この二人とタレーク部隊一つを出そう。サラムはこれから西へ行くから、彼らと一緒に行動するのは無理でね」
ザイドが言うと、状況は分からないサバッダとジャンは首を傾げた。けれど、ザイドの言葉は絶対的だ。サバッダは緊張しながら彼らを見ている。逆にジャンはキョロキョロしながらサバッダとジャヒールを見ている。そんなジャンの様子を見たジャヒールは微笑んで、うなずいた。
「分かった。二人とも、外へ出て、後で命令を出す。今のうちに食事せよ。荷造りも四日分を用意しなさい。今回は馬だ。出発は今から二時間後だ」
「はい、失礼します!」
サバッダが頭を下げて、そのままジャンの手を引っ張って外へ出て行った。外で、アミールたちが気になる様子で二人に近づくと、サバッダはジャヒールの命令を伝えた。五人はすぐさま動いて、指示通りに食事をして、荷造りをする。荷造りを終えたジャンは急いでエラサからもらった鉢植木を持って、見かけたアブの姉、アイナに渡した。水やりを頼む、とジャンが言うと、アイナはうなずいた。
「ジャン、気を付けてよ」
「はい!行って来ます!」
ジャンが言うと、アイナは鉢植木を持ちながらうなずいた。黄色い花が咲き始めたのに、この様子ではこの花がきれいに咲いてもジャンがいない。早く帰って来て欲しい、と思っても、アイナは理解している。そのような都合が良い話なんてない、ということだ。
「準備できたか?」
「はい!」
ジャヒールが現れると、アミールたちはビシッと返事した。ジャンもビシッと立って、ジャヒールを見ている。
「サバッダとジャンは別行動だ。二人はタレーク部隊に入って、そこの隊長ナセーム・アバスに従え!」
「はい!」
サバッダとジャンは返事した。
「他の人は、私と一緒にこれから北西へ向かう」
「はい!」
アミールたちは返事した。
「あの先生」
「なんだ?」
「何が起きたんですか?」
ジャンが聞くと、ジャヒールは複雑な目で彼を見ている。
「ここから西北にあるナガレフ村からの知らせがあった。ナガレフ村はタックス王国から来た連中に攻撃を受けている、と言う知らせを受けた」
戦争、という可能性が大きい。それを聞いたアミールたちは息を呑んだ。
「国軍が一週間後に到着するかもしれないが、来ないという可能性もあるから、なんとも言えない。そんな国軍が期待できないので、俺たちは彼らの動きを止めて、可能なら彼らを全滅にする。なんとしても、彼らをここまで行かせない。知っていると思うが、俺たちが負けたら、ここにいる人々は殺されるか、奴隷になる可能性が十分ある」
ジャヒールの言葉を聞いた全員の顔が険しくなった。
「前線は今どこですか?」
「ナガレフ村の南周辺だ。相手の将軍は、オスマル将軍だという人だ」
アブが聞くと、ジャヒールは隠さず答えた。ということは、彼らの仕事はオスマル将軍の首を執ることだ。
「ジャン、危険な仕事だから、無茶はしないで」
「はい」
「必ずサバッダに従って、行動しなさい」
「はい」
ジャンがうなずくと、ジャヒールはサバッダを見て、うなずいた。そして彼とアミールたちと一緒に移動して、ジャンはサバッダの後ろに小走りながらタレーク部隊と合流した。そこにザイドがいて、隊長のナセーム・アバスと会話した。ジャンが見えると、ザイドはジャンに来るようにと合図を出した。
「お呼びですか、ザイド様?」
「父さんだ」
「父さん」
ザイドはそう言いながら、手を伸ばした。そして近づいたジャンをそのまま持ち上げて、腕に乗せて、微笑んだ。
「戦争だ、ジャン」
「はい」
「怖くないか?」
「分かりません」
ジャンが正直に答えると、ザイドは微笑んだ。
「ナザレフ村ではサヒムがいるが、身動きが取れない状態だ。きみの仕事は、彼の行方を探って、解放して、連れて帰りなさい。連れて帰れそうにない状態なら、殺しなさい」
ザイドが言うと、サバッダの顔が険しくなった。けれど、ジャンはうなずいただけだった。
「それだけですか?」
「後は、無事に帰ってきなさい」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「毒は持っている?」
「はい」
「何という毒?」
「女神の微笑みです」
「そうか。良い毒だ」
ザイドはうなずいた。
「その毒を存分に使っても構わない。帰って来たら、またあげよう」
「はい」
「良い子だ」
ザイドはジャンの額に口づけしてからジャンを降ろした。
「サバッダ」
「はい」
「幸運を祈る」
「はい。行って来ます、父さん」
サバッダが頭を下げると、ジャンも真似して頭を下げた。ザイドは微笑んで、ナセーム・アバスに合図を出した。ナセーム・アバスが合図を出すと、サバッダは急いでジャンの荷物を馬に固定して、ジャンを馬に乗せた。そしてサバッダが自分の馬に乗ると、ザイドは無言で手を高く挙げた。すると、部隊はすぐさま出発して、マグラフ村を後にした。
馬で走って半日ぐらいになると、部隊は一度休憩する。ジャンはバケツに水を入れて、自分の馬に飲ませると、サバッダは食事を持ってきた。ジャンは嬉しそうにその食事を受け取って、すぐに食べた。
「お初にお目にかかります、ジャン様」
隊長のナセーム・アバスは二人の部下と一緒にジャンとサバッダの前に来た。
「はい」
ジャンは手を止めて、ナセームを見ている。
「私はナセーム・アバス、この部隊の隊長でございます。こちらは副隊長のオマール・シャリフ、そしてその隣はアシフ・ノルディン、この部隊の医者でございます」
ナセームが紹介すると、彼らは丁寧に頭を下げた。
「初めまして、ジャン・タレークです。よろしくお願いします」
ジャンは自己紹介して、丁寧に頭を下げた。
「失礼ですが、ジャン様は今4歳・・?」
「はい」
医者のアシフ・ノルディンが聞くと、ジャンはうなずいた。
「隊長、大丈夫ですか?彼はこんなにも幼いですが・・、万が一怪我でもしたら・・」
「ザイド様のご命令だ」
アシフが言うと、ナセームは即答した。
「不安な気持ちは理解できる」
サバッダは食事しながら言った。
「だが、ジャンなら問題ないと思う。背中にある
サバッダがいうと、ナセームはジャンを見て、考え込んだ。タレーク家の当主がわざわざ彼を指名したとなると、やはり並々ならぬ実力者だろう、とナセームは思った。
「我々はナガレフ村とその周辺に行くが、サバッダ様とジャン様はその村でお別れになります」
「はい」
サバッダはうなずいた。ジャンはまた食事し始めて、うなずいた。
「お二人の安全を保証できませんが・・」
「問題ない」
サバッダは即答した。タレーク部隊は基本的に暗殺者だ。医者だけが分かりやすい服をしている。ちゃんと胸にバッジをしているからだ。
「ナザレフ村に着くのはいつ頃ですか?」
「今のペースで行くなら、明日の朝に着きます」
「分かりました」
ジャンが聞くと、ナセームは丁寧に答えた。4歳児が最重要任務に参加するなど、前代未聞だ、とナセームは信じられない様子で美味しそうにパンを食べているジャンを見ながら思った。
「聞いても良いなら、連絡って、誰からの連絡だったのですか?」
ジャンが聞くと、ナセームは迷って、思わずサバッダに視線を移した。サバッダがうなずくと、ナセームは再びジャンに視線を移した。
「サヒム様からでございました」
「サヒム兄さんって、いつも鳥さんを連れて歩いたのですか?」
「はい」
「なるほど」
ジャンはうなずいた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「問題ございません」
ナセームは微笑んで、思わずジャンの顔にかかっているパンのかけらを指で拭いた。
「あ、申し訳ございませんでした」
ナセームは自分がやってしまったことに気づいて、謝罪した。サバッダは笑って、首を振った。
「謝らなくても良いよ、ナセーム。ジャンの顔を見たら、誰だってその気になるだろう」
サバッダはジャンの手をきれいにして、飲み物を差し出した。ジャンは素直にその水を取って、ゴクンゴクンと飲んだ。
4歳児の仕草、そのものだ、とナセームは思った。
「ありがとうございます」
ジャンが言うと、サバッダとナセームは微笑んだ。
「ジャン様、私どもに敬語など必要ございません。私どもはタレーク家の家臣ですから」
「ん?」
ジャンは首を傾げた。
「でもナセーム隊長は私よりも年上でしょう?」
「はい?」
「お母様は、自分よりも年上の人に敬意を込めて話さなければなりません、と仰いました」
「それが侍従や下男にも?」
「もちろんです。直接私にしてくれたなら、御礼も言います。でも敵には、別にしなくても良いよね?あはは」
「ジャン様・・」
ナセームが頭を下げると、後ろの二人も頭を下げた。彼らが自分たちの馬に戻ると、ジャンたちも急いで準備して、馬に乗った。夜になると、眠くなったジャンを見たサバッダは手を伸ばして、そのままジャンを引っ張り出して、自分の馬に乗せた。サバッダはジャンを自分の胸に付けて、そのまま馬を走らせた。
「この前で少し休みます」
ナセームが近づくと、サバッダはうなずいた。ジャンがサバッダの胸ですやすやと眠っている姿を見たナセームは思わず微笑んだ。
「そのようなお姿だと、普通の子どもでございますね」
ナセームが言うと、サバッダは笑った。
「実際に、彼は普通の子どもだと思うよ」
「まさか」
「ははは」
サバッダはナセームの合図に従って、馬を止めて、馬から下りた。すると、ナセームは厚い布を敷いて、サバッダに合図した。サバッダはうなずいて、ジャンをその布の上に寝かせて、マントを整えた。
「ジャンが武器を持って戦うまで、本当に普通の子どもだ」
サバッダはストレッチしてから、水筒の中身を飲んだ。
「人形みたいに、かわいい弟だよね」
「はい」
ナセームはうなずいた。
「少し休む。出発する前に起こしてくれ」
「かしこまりました」
サバッダはそう言いながら、ジャンの隣に座って、目を閉じた。それを見たナセームは頭を下げてから、そのまま近くに座って、目を閉じた。
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