第14話 ウルダ(14)

タレーク家はジャンに正式な養子縁組を出したことをジェナルとジャヒールに伝えられた。ジャヒールもその理由を聞いて、考え込んだ。


ジャンを守るためだ、と。


確かに、その通りだ、とジャヒールは思った。プラヴァという家名は簡単に他の人の前で言えない。この村だけならなんとかなるけれど、他の村や町に行くと、極めて厄介だ。なぜなら、その家名はなんだかんだ有名な家名だからだ。とくに港では、プラヴァの名前を知らない人はいない。なぜなら、プラヴァ家はウルダでは値段が高いはずの米を低価格で販売しているだけではなく、上質の絹も販売している。そして、ウルダから毛糸や干し葡萄やナツメヤシなどを大量に仕入れていることで、ウルダの経済がかなり潤うようになった。


大きな船でやってくる外国の商人団だ。彼らは定期的にウルダに来るから、港にいる人々ならプラヴァという名前を知っている。


そのプラヴァ家の末っ子はマグラフ村で生活している。となると、身代金の目的で彼を狙う人々も出てくるだろう、とジャヒールは思った。


けれど、サビル・エフラドの後、今度はザイド・タレークか、とジャヒールは頭を抱えた。


家名なら、自分の家名をあげても良い、とジャヒールは思った。


けれど、自分の家名でジャンを守られるか、という質問にされたら、正直に思うと、ジャヒールはそこまで自信はない。裏の世界で有名なのは、ジャザル家とエフラド家、そしてタレーク家だ。そしてザイド・タレークの言う通り、ジェナルがジャンを自分の孫だと言っても、彼はジャンにジャザルの家名を使わせなかった。恐らくその理由は、ジャンがウルダにいるのはたった二年間だけだ。それに、ジャン自身もまだ幼いから、そこまで気にする必要はないだろう。すぐ忘れるだろう、という考えもあっただろう、とジャヒールは思った。


またエフラド家に関しては、その理由は単純だった。アブの父親、つまりザヒード・エフラドはエフラド家の当主であって、出稼ぎ中なので、村にいない。オグラット村のエフラド家は分家なので、マグラフで生活するにはいろいろな意味で不便だ。


そう思うと、タレーク家は一番の有力な家門になる。。表の世界ではあまり知られていないけれど、裏の世界ではタレーク家の名前を知らない人はいないほど、有名だ。


凄腕の暗殺者の名門だ。


「ふむ。うかつだった」


ジェナルはそう言いながら紅茶を飲んで、考え込んだ。


「そこで突かれると、断る理由が見つからないじゃないか」


ジェナルが言うと、ジャヒールもうなずいた。


「ヤティムの子であるジャンを、自分の子どもとして養って、家名を与える。ふむ」


ジェナルは考え込んだ。ヤティムの子とは、父親を亡くした子どものことで、ウルダの文化ではとてもかわいそうな子どもを意味する。


「確かにウルダでは、プラヴァの家名よりも、タレークの家名の方が良い、と私は思います」

「ふむ」


ジェナルは考え込んだ。


「タレーク家は知っているのか?ジャンはたった二年間ウルダにいることを」

「知っていて、この提案を出した、と思います」

「ふむ」


ジャヒールが答えると、ジェナルは考え込んだ。あまりにも突然だったから、彼はその提案を覆す答えを思いつかなかった。


「ジャンは今どこに?」

「タレーク家で食事に招かれています」

「・・・」


ジャヒールの答えを聞いたジェナルは考え込んだ。ザイド・タレークはまさかここまで先回りをしたとは、とジェナルは思った。食事を招かれる意味は他でもなく、タレーク家の人々にジャンを紹介するためだった。そうすれば、ジャン自身がタレーク家の提案を断りにくくなる。


安心感を与えることで、狙った獲物を逃がさない。


サバッダがジャンを弟にする理由はただ小さくてかわいかっただけかもしれないけれど、サフィードやサイドはきっと違う、とジェナルは思った。


ジャンは優秀だからだ。そして、ヤティムの子を保護することで、タレーク家にその正義を与えた。


「サマンもヤティムなのに・・」


ジェナルが言うと、ジャヒールはうなずいた。


「サマンは両親を亡くしたが、奴隷にされる前の家名を覚えています。成人になれば、彼は自分の家名を名乗るつもり、と聞いています。それに、今の彼は私の保護の下にいるから、問題ないかと思います」

「ジャンもおまえの弟子で、おまえの保護の下にいるはずだ」

「そうですが・・」


その準備を整える前に、タレーク家が動いた。当主であるザイド・タレークはたった数分間とジャンに会っただけで、早速ザアードに、正式にジャンをタレーク家の養子にするように、と命じた。


そしてタレーク家の次期当主であるザアード・タレークは正式にジェナルとジャヒールにその提案を伝えた。


ジャンをタレーク家の保護の下において、タレーク家の家名を付ける。よって、ジャンに関する攻撃などは、タレーク家に対する攻撃と見なす。教育や何かしらの費用、服や食事など、すべてタレーク家が払う。その代わり、タレーク家の行事がある場合、ジャンが参加することになる。


「ふむ。・・参った」


ジェナルはため息ついて、紅茶を飲んだ。ジャザル家の家名をジャンに付けたかったけれど、遅かった。それに、もうこれ以上ジャンを困らせたくない、とジェナルは思った。家名が変わっても、ジャンが彼の孫であることは変わらない。


そしてこれでジャンも安心して生活ができる。


あのじいさんが迎えて来ないことを祈りたい、とジェナルは思った。誰も迎えに来なかったら、ジャンはずっとここにいるだろう、と。


「分かった。タレーク家に、その提案を受け入れると伝えろ」

「エフラド家はどうしますか?」

「連絡だけをしておけ。当主がいない今の時期だから、仕方ない、と伝えておけ。ヤティムの幼い子を保護するために、早い方が良い。それに、タレーク家の力ぐらいは、エフラド家も知っているだろう」

「分かりました」

「もう一つ、ジャンはサビルの遠縁であることは確かだ。そのことをタレーク家にも伝えてくれ」

「はい」

「ジャンが戻って来たら、彼はタレークの名前を名乗るように、と伝えよ」


ジェナルがそう命じると、ジャヒールはうなずいて、外へ出て行った。子どもたちのテントに行くと、アミールたちにジェナルの命令を伝えた。





ジャンがタレーク家に入ったことをしばらく村中の話題になった。話題になったジャンは、そのことを気にせずに、今日もアブとサマンと一緒に羊の世話をしている。胸の傷がやっと治りかけたサマンは、もう普通に羊を追いかけたぐらい元気になった。


今日の仕事は、村の女性たちの手伝いだ。彼女達はジャンに乳搾りを教えたり、チーズの作り方を教えた。以外と重労働だ、とジャンは額に出て来た汗を袖で拭いて、絞りたての羊の乳を運んだ。


村では、まだ成人ではない子どもたちは、基本的に村とその周辺にいる。仕事も女性たちと一緒にするようにする、という決まりがある。たまに大人たちは彼らを連れて、出かけたりもする。近隣の村や町に商売したり、買い物したり、また情報収集も重ねて、村の男性らは日頃いろいろと忙しい。


「ジャン、乳搾りが終わったら、剣の練習をしよう」


アブが言うと、ジャンはうなずいた。


「はい!」


ジャンはうなずいて、さっさと仕事を終わらせた。二人がサマンの仕事場を見に行くと、サマンはもう少しかかりそうだ、と返事した。結局二人は訓練所に行って、剣の練習をした。


「最近動きが良くなったな」


アブが休憩して、持って来た水筒の中身を飲み干した。隣にいるジャンも同じく、美味しそうに水筒から水を飲んだ。


「アブ兄さんのおかげです」


ジャンが言うと、アブは笑っただけだった。


「あ、サマン兄さんが来ました」


ジャンが言うと、アブは訓練上に向かったサマンを見て、手を振った。


「ごめん、遅くなった」


サマンは水筒のフタを開けて、中身をゴクンゴクンと飲んだ。


「ジャン、ちょっと好き合え!」

「はい!」


サマンが剣を抜いて言うと、ジャンは笑って剣を抜いた。


「でもあまり胸に突かないでね、まだ痛いから」

「はい」


サマンが言うと、アブは笑ってジャンを見ている。


「行け、ジャン。負けるなよ!最大の防御は攻めだ!」

「はい!」


ジャンが素早くサマンを攻めると、サマンはその攻撃に力強く応戦した。サマンが反撃に展開すると、ジャンは素早く体を回転して剣でその攻撃を受け止めた。そしてまたもやジャンが激しく攻撃すると、サマンもまた激しく抵抗した。


バキッ!


「あっ!」


サマンが言うと、ジャンは急いで手を止めた。危うく当たるところだった、とジャンは思った。サマンの武器が折れて、どこかへ飛んでしまった。


「今日は引き分けね、ジャン」

「はい」


サマンは折れた剣を拾って、ため息ついた。


「折れちゃった・・」

「ああ」


ジャンが言うと、アブもうなずいた。


「ナザルディンじいさんのところへ行こう」

「分かった」


サマンはうなずいて、折れた破片を集めた。アブはジャンの剣を確認して、驚いた。傷一つもなかった。


このシャムシールは大変頑丈だ、とアブは思った。叔父であるサビルが若い頃使っていると言ったから、かなり年月が経った物だろう。それなのに、もろいという感じがまったくなかった。


三人は会話しながら村外れの鍛冶屋へ向かって歩いた。途中でサマンが串焼きを三本買って、ジャンとアブに一本ずつあげてから、美味しそうに食べた。


「珍しい。なんか良いことあるのか?」


アブが言うと、サマンはうなずいた。


「前にサビル様が来ただろう?」

「ああ。ジャンにその剣と投げナイフをあげた日だよね?」

「そうそう」


サマンはうなずいた。


「そのあと、俺は先生に呼ばれたんだ。サビル様がエルザの野郎を処理した、って言ってた」

「ほう?絞ってお金が出て来たのか、あいつ?」


アブはそう言いながら串焼きを全部食べた。


「エルザを、奴隷として、売ったんだって」

「え?誰が?」

「サビル様が」

「・・・」


サマンが言うと、アブは瞬いた。


「いきなり奴隷の身分に落とされて、あいつは大丈夫かな」

「知らないよ」


サマンは首を振った。


「エルザはかなりあちらこちらで借金があったらしい。だから俺を見た瞬間に悪いことを頭に浮かんだだろう。逃げた奴隷だから、奴隷商人に売ればお金になる、ってさ」

「ひでぇ奴だ」

「ああ」


サマンはうなずいた。


「それで、叔父は彼を捕まえて、絞ってもお金がでなかったから、奴隷商人に売ったってわけか?」

「その通りだ」


サマンはうなずいた。


「それで借金も全部まかなったのか?」

「なんとか賄ったらしい。俺の分もたっぷりと下さった。これで武器や服などが余裕に買えるさ」

「良かったな」


アブは微笑んだ。


「本当に感謝するよ、皆に、そしておまえにも、ジャンにもね」

「ん?」


サマンがいうと、ずっと串焼きに夢中しているジャンは首を傾げた。会話を聞いていなかったようだ、とアブは笑って、ジャンの鼻をつまんだ。


「さっさ食え、ジャン。そろそろ行かないとね」

「(もぐもぐ)はい(もぐもぐ)」


ジャンがまた串焼きに夢中すると、アブはサマンを見て微笑んだ。サマンの服の隙間から包帯がまだ見えるものの、彼の顔がとても清々しかった。

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