第13話 ウルダ(13)
ジャンはサフィード・タレークに抱きかかえたままサビルを見送った後、そのままサフィードと一緒にタレーク家へ向かった。以外と大きな家だった、とジャンは周囲を見て驚いた。サフィードはそのまま応接室へ向かって、大きな座布団の上にジャンを座らせてから、どこかへ行った。久しぶりに実家に帰って来たサバッダは苦笑いながら飲み物を持って来て、ジャンの隣に座った。
「お、サバッダか?」
一人の男性が入ってくると、サバッダはため息ついた。
「ただいま戻りました、兄さん」
サバッダが言うと、その男性は笑っただけだった。
「隣はジャンかな?」
「はい」
「噂は聞いたよ」
その男性はジャンの前に座って、じっと見つめている。
「失礼ですが、お名前を伺っても良いですか?」
ジャンが丁寧に聞くと、その若い男性は一瞬固まった。
「聞いたか?おまえよりも丁寧だぞ、サバッダ」
「兄さん!」
「ははは」
サバッダが文句を言うと、その男性は笑っただけだった。
「失礼、俺はサラム・タレーク、ここの三男だ。普段の仕事は、今のところ、ひ・み・つ、だ」
その男性が言うと、ジャンは微笑んだ。恐らく、サラムは暗殺者だろう、とジャンは思った。
「では、私も自己紹介します。噂を聞いていると思いますが、私はジャン・プラヴァです。仕事はとくにないですが、今のところ、ジャヒール先生の弟子です」
「なるほど。プラヴァ家か」
サラムはジャンを見て、微笑んだ。
「ジャンは俺の弟だ。手を出すなよ、サラム」
突然サフィードは部屋の中に入って、サラムに注意しながら言った。注意されたサラムはサフィードを見て、笑ってから、ジャンを見ている。
「サフィード兄さんの弟となると、俺の弟にもなる。名前を変えようか?ジャン・タレークに」
「ごめんなさい」
ジャンは首を振った。
「私はその権限がありません」
ジャンが答えると、サラムは一瞬固まった。そして微笑んだ。
「分かった」
サラムは立ち上がって、しばらくジャンを見て、そのまま外へ出て行った。
「大丈夫か、ジャン?」
「はい」
サフィードが聞くと、ジャンはうなずいた。
「あいつはかなり変わった者だから、あまり気にしなくても良い」
「はい」
「はい、ベルトだ」
サフィードがベルトを差し出すと、ジャンは受け取った。けれど、腰に付けてもふかふかだ。
「ははは、そこじゃない。肩にかけてから、固定するんだ。このようにね」
サフィードが手伝うと、ジャンはうなずいた。サイズを合わせると、なんとかちょうど良いサイズになった。背中には剣を固定するフックがあって、胸には投げナイフのスロットがある。
「サフィード様はいつの時に使ったベルトですか?」
「兄さんだ」
「あ、はい、サフィード兄さん」
「俺は7歳ぐらいかな、それを使った。成人になると、別のベルトを使った」
サフィードはジャンの投げナイフを一つ一つとスロットに付けた。
「こうやって付けると、使いやすいよ」
「はい」
「ナイフに毒を塗られても、自分にかかる心配はない。便利だろう?」
「はい!」
ジャンの目はキラキラになった。
「ありがとうございます」
「ははは、問題ないよ」
サフィードは笑いながらジャンのほっぺをつまんだ。
「でも、本当にきみの肌は明るいね。まるで羊の乳のような色だ」
「はい、私もそう思います」
「母さんの肌が明るいのか?」
「はい」
「姉さんたちも?」
「はい」
ジャンはうなずいた。村の男らの噂通りだ、とサフィードは思った。通りで、ジャンの姉たちに求婚したいと言い出した人もいるぐらいだ。また未亡人であるジャンの母親に求婚したいと言う人もいる。どちらにせよ、無理だ、とサフィードは村人の集まりでジャヒールが言い放ったことを思い出した。場所が遠すぎるだけではなく、言葉も全然違う。よっぽど死ぬ覚悟でなければ、難しい、とサフィードもそう思った。
「そうだ、葡萄が好きだ、とサビル様から聞いた」
「はい」
ジャンはうなずいた。彼が葡萄が好きだという話はもうすでに村中に知られているようだ。
「じゃ、ちょっとタレーク家の葡萄園に行ってみるか?」
「良いですか?」
「ああ」
サフィードはうなずいた。そして彼はジャンを抱きかかえて、中庭へ向かった。そこには青々とした葡萄園がある。小さいながら、ちゃんとした葡萄園だ。
その奥に、一人の男がいる。
庭師に見えるけれど、ジャンはいきなり緊張して、サフィードの服を強くにぎった。
「どうした?」
ジャンの様子に気づいたサフィードは聞いた。けれど、ジャンは答えなかった。彼の視線はずっと葡萄園の方へ向かった。
今までない気だ、とジャンは思った。自分の二人の祖父も、親、兄弟、実家で働いている人々、そしてここに来てからも、山賊でさえ、ここまでの圧力はない。
この気はなんだ?、とジャンは思った。ジャンは感じたことない気を感じながら、自分の本能に従って、その気を出した人物を見逃さない。
「父さん!」
サフィードが言うと、その人物は振り向いた。同時に、その気が一瞬で消えた。
「サフィードか? どうした?」
優しそうな男性が近づいて、柔らかい口調で言った。
「紹介したい子どもがいます」
サフィードが微笑みながら言うと、その男性はサフィードの腕にいるジャンを見つめている。
「ジェナルの孫か?」
「はい」
「確かに、ジャンと言ったな?」
「そうです」
サフィードはうなずいた。
「ジャン、自己紹介して」
「はい、でも降りないと・・」
「このままで良い」
サフィードが小さな声で言うと、ジャンはその男性を見て、瞬いた。
やはり怖い、とジャンは思った。
「あの、私は、アルキアから来た、ジャン・プラヴァです。よろしくお願いします」
ジャンが緊張した声で言うと、その男性は瞬きせず、ずっとジャンを見ている。
「プラヴァ? ジャザルじゃなくて?」
その男性が言うと、ジャンは首を振った。
「プラヴァです。私の実家はプラヴァ家ですから」
「なるほど」
男性はうなずいた。
「ジェナルはジャザル家だから、てっきりときみもジャザル家かと思ったよ」
その男性は微笑んだ。
「私はタレーク家の当主、ザイド・タレークだ」
彼が自己紹介すると、ジャンはうなずいた。
「サバッダもお帰りなさい」
「ただいま戻りました」
サバッダは丁寧に挨拶した。
「ジャンはサバッダと同じく、あのジャヒールの弟子か?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「父さん、聞いて下さい。この子はすごいよ。まだ4歳なのに、山賊を、10人も殺した、とオグラット村のサビル様が言いましたよ」
「ほう、どうやって殺した?」
「毒に塗られた投げナイフで」
「ほほう」
サフィードが言うと、ザイドが興味を示した。
「それは才能だ。良い才能だ」
「私もそう思います。だから、弟にしました」
「なら、これからジャン・タレークと名乗れば良い」
ザイドが言うと、ジャンは首を振った。
「私はそのような権限がありません」
「なぜだ?きみの人生なのに?」
「私は・・」
ジャンは迷った。けれど、ちゃんとした理由をあげないと、ザイドは納得しないだろう、とジャンは思った。
「私は、プラヴァ公爵家の本家の末子、ジャン・プラヴァです。ウルダに来たのは勉強するためでした」
「ほう」
「勉強した後、帰らなければなりません」
「それは何年後の話?」
「二年後です」
「早い」
ザイドは言った。
「どうして帰らなければならない?」
「戦争をするためです」
「戦争・・」
ジャンの答えを聞いた瞬間、サフィードたちは思わず驚いた。
「きみは、戦争を?」
「はい」
「戦争に、行ったことはあるのか?」
「ありません」
ジャンは首を振った。
「私はまだ4歳ですから」
「二年後のきみは6歳だろう?」
「はい」
「ウルダからアルキアまでどのぐらいかかる?」
「うーん・・」
ジャンは考え込んだ。
「港からだと、船で早くても三ヶ月ぐらいだろう、とお祖父様は言いました。いろいろな港を寄って行く場合、半年ぐらいかかるときもあります。はっきりという日数が分かりません」
ジャンが答えると、サバッダは複雑な気持ちになった。6歳児を戦争に出すのか、あのじいさんは正気か、とサバッダは思った。けれど、ザイドの顔は変わらず、穏やかだ。
「そうか」
ザイドは微笑んだ。
「葡萄は好きか?」
「はい」
「ならここにある葡萄を自由に食べても良いぞ」
「わ!ありがとうございます!」
ジャンは嬉しそうに言うと、サフィードは近くにある葡萄を取って、ジャンに与えた。
「サバッダ兄さんも」
「僕は良い。ジャンは食べて」
サバッダは首を振って、ため息ついた。食欲が消えた、と彼は思った。
「ジャン、そのまま他人の前でプラヴァの名前を名乗らない方が良い」
ザイドはそう言いながら、熟した葡萄を収穫して、籠に入れた。
「どうしてですか?」
「その名前は秘密だろう?」
「うーん」
ジャンは首を傾げた。
「確かに無闇に言ってはいけない、とお祖父様に言われました」
「ならば、これからはタレークという名前を名乗れば良い」
ザイドは微笑みながら言った。
「ジェナルは、自分の家名を名乗れば良いと言っていなかっただろう?」
「はい」
「サビル・エフラドも、エフラドと言う家名を名乗って良いとも言っていなかっただろう?」
「はい」
「だったら、これからタレークと名乗れば良い。ジャン・タレークだ」
ザイドが言うと、ジャンはまた首を傾げた。
「ありがとうございます。帰ったら、ジャヒール先生に相談します。名乗っても良いと言われたら、名乗ります」
ジャンの答えを聞いたザイドは微笑んでうなずいた。
「聞いたか、サフィード?4歳児の子どもは、サバッダよりも賢い」
「ははは」
ザイドの言葉を聞いたサフィードは笑っただけだった。サバッダも苦笑いして、ジャンを見ている。
「ジャンは頭が良いから。ウルダの言葉も上手に話せるし、同じ4歳児のウルダの子どもたちと比べても、ずっと上手です」
「そのようだな」
サバッダが言うと、ザイドは微笑みながら籠をサバッダに渡した。
「今夜はここで食事しなさい。ジャヒールに知らせておく」
「はい」
ザイドがそう言いながら葡萄を頬張ったジャンを見て、笑った。
「私の
ザイドはそう言いながら中庭を後にした。
「俺の息子に紹介するよ、ジャン?」
「ここから遠いですか?」
「近いよ。すぐそこだ」
サフィードは笑いながら中庭の向こうへ歩いて、二階建ての建物に入った。出迎えに来た侍従にサフィードが子どもの名前を言うと、侍従はうなずいて、中へ入った。そして一人の子どもを連れて来た。年齢はジャンより上だ。
「サマッド、ジャン叔父さんに挨拶しなさい」
サフィードが言うと、サマッドというサフィードの息子は見上げた。父親の腕にいるジャンを見て、首を傾げた。
「あの、サフィード兄さん、私は降ります」
「そう?」
「はい」
「分かった」
サフィードがジャンを降ろすと、ジャンは微笑んだ。
「初めまして、サマッドさん」
「は、初めまして」
サマッドは緊張した様子でジャンを見ている。
「私はジャンです。叔父と言っても、変ですよね」
ジャンが微笑みながら言うと、サマッドはうなずいただけだった。けれど、サフィードは顔色を変えなかった。
「サマッド、ジャンを見習いなさい。彼はまだ4歳なのに、すでに山賊10人も殺した。それはどういうことか、考えて欲しい」
「はい」
サマッドは緊張した顔でうなずいた。自分よりも若いジャンを見て、信じられない様子だった。
「そして、ジャンはおまえの
「はい」
サフィードが言うと、サマッドはうなずいた。ジャンが何かを言おうとしたけれど、サフィードは再びジャンを抱きかかえて、サマッドを置いて、外へ出て行った。
「うむ、自己紹介はそれで良かったのですか?」
「それで十分だ」
サフィードはうなずいた。ジャンが振り向くと、サマッドはまだその部屋にいて、彼らを見つめている。ジャンが手を振ると、サマッドも手を振った。
「今のサマッドはおまえの話相手にすらならない」
「うむ」
「だが、これからは、どこかでばったりと会ったら、サマッドをかわいがってくれ」
「はい」
ジャンはうなずいた。そして再び葡萄園に行って、食事の準備が整えるまでその葡萄園にいた。
しばらくすると、侍従が食事の準備が整えたことを知らせに来た。ジャンたちは侍従が案内した部屋へ入ると、すでにその部屋にザイドがいる。ザイドの隣にはサラムと一人の男性がいて、ザイドと会話している。サフィードたちが部屋に入ると、彼らは会話を止めて、ジャンを見つめている。
「ジャン、ここに座って」
ザイドが言うと、サフィードはうなずいて、ジャンを降ろした。
「あの、食事をお招き下さって、ありがとうございます」
ジャンが言うと、ザイドは微笑んだ。
「
ザイドが言うと、ジャンは首を傾げた。けれど、ザイドはそのことを気にせず、手を伸ばした。
「おいで」
「はい」
ジャンはうなずいて、ザイドの隣に座った。そしてその近くに座っている男性はジャンを見て、微笑んだ。
「俺の
彼はそう言いながらジャンを見つめている。ジャンは丁寧に頭を下げてから、彼の顔を見て、自己紹介した。
「・・失礼ですが、お名前を伺っても良いでしょうか?」
ジャンが聞くと、その男性は固まった。
「サラム、こいつはおまえよりも丁寧だぞ?」
「何を言っているのですか、兄さん。俺は先に彼を褒めたよ」
「ははは、そうか。おっと、失礼」
その男性は笑いながら、ジャンを見ている。
「わざわざご丁寧に。俺は、ザアード・タレークだ。この家の長男だ。よろしくな、
「よろしくお願いします」
その男性が自己紹介すると、ジャンは丁寧にうなずいた。
「きみは
「あ、はい」
ジャンはうなずいた。いつから自分がこの一家の一部になるのかは、ジャンは分からない。
「父さんの言う通り、これからタレークと名乗れ。プラヴァの名前をウルダで使うな。その方が安全だ」
「ジャヒール先生と相談してからにします」
「話し合いの結果を期待するよ」
ザアードは微笑んだ。
「他の人にも紹介するね。きみはもうすでに知っている次男はサフィード・タレークだ。そして、三男はサラム・タレークだ。四男は今不在で、名前はサヒム・タレークだ。きみがウルダにいる間に会えると良いが、いつ帰って来るか、俺も分からない。五男はあそこにいるサキル・タレークで、彼はサフィードと一緒に警備隊をやっているから、これからも顔を合わせる機会もあるだろうから覚えてきなさい」
「はい」
「次は、きみはもうすでに知っているサバッダ・タレークで、彼は六男だ。よって、きみはタレーク家の七男だ」
ザアードが言うと、ジャンはうなずいた。
「兄弟が多いですね」
「ははは、そうか?」
ジャンがいうと、ザアードは笑った。
「俺の子どもたちは今俺の妻と一緒に別の部屋にいるから、会いたければまた後で場所を設ける。まだ未婚の妹たちも別の部屋にいるから、会いたければサバッダに言えば良い」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「兄弟の顔を見終えたから、食事しよう」
ザイドが言うと、全員うなずいて、食べ始めた。大好きな葡萄も机の上に並べられると、ジャンの顔は明るかった。
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