第10話 ウルダ(10)

「ただいま戻りました」


戻って来たジャヒールはジェナルの前に現れて、挨拶した。ジェナルはうなずいて、彼に座るようにと合図した。ジャヒールはうなずいて、ジェナルの前に座って、持って来た袋を差し出した。


サビル・エフラドからだ、とジャヒールがいうと、ジェナルは興味津々と袋を開けた。中身は新鮮な葡萄だった。


「どうだった?」


ジェナルが座りながら新鮮な葡萄をつまんだ。美味しい、と彼は思った。


「あのじいさんの言う通り、あの子は訓練されています」

「ほう」

「まだ未完成ですが・・」


ジャヒールは無言で紅茶を出したジェナルの妻に頭をさげてから答えた。ジェナルの妻は無言でそのまま外へ出て行った。


「なるほど」


ジェナルはまた葡萄をつまんでうなずいた。


「サビル・エフラドはあの子に興味を示したようだな」

「はい」


ジャヒールはうなずいた。


「あの子を完成させるために、二年間しか時間がない。できるか?」

「やって見ます」

「必要なら、エフラド家を巻き込んでも良いが、おまえはどう思う?」

「今のところ、その必要はないと思います」

「分かった」


ジェナルはうなずいた。


「だが、このままだと、彼は諦めないだろう」

「ふむ」


ジェナルの言葉を聞いたジャヒールは考え込んだ。


「あの子が彼に懐いたからか、もう手を付けられないほどだった。あの子のためなら、服や葡萄やナツメヤシの実などでラクダ7頭も持たせたぐらいでした。終いに、彼のことを「おじい様」と呼んでしまいましてねぇ・・」

「ははは」


ジェナルは豪快に笑った。


「なら、たまにあの子を連れて、会いに行けば良い。たった2年間だから、心残りがないようにしなさい」

「分かりました」


ジャヒールはうなずいた。


「それで、なぜサビル・エフラドが興味を示した?ただかわいいだけじゃないだろう?」


ジェナルが笑いながら言うと、ジャヒールはうなずいた。そして彼は起きた出来事を隠さずジェナルに報告した。最後に「クジャク星」のことを聞くと、ジェナルは豪快に笑った。


「なるほど」


ジェナルは紅茶を飲んで、笑みを浮かべた。


「さすがわしの孫だ」


ジェナルが言うと、ジャヒールはうなずいただけだった。


「あの子のじいさんはわしの従兄弟の従兄弟だから、遠縁と言っても、もうどこかで繋がっているのか分からん。が、遠い国にいたあの子の体には、やはりこの国の血が流れている。それは何よりの証拠だ。わしの血と同じだ」


ジェナルは微笑んだ。


「これからあの子を孫と呼ぼう」

「そう伝えてきます」


ジャヒールはうなずいた。


「サビルの奴め。それを見抜いて、自分のものにしようとしておったか」

「どうなんでしょう」


ジャヒールは紅茶を飲んでから、言った。


「異国の者だから、確かにあの子は珍しい。肌も明るくて、顔もかわいい。ウルダの言葉だけではなく、いろいろな国の言葉もできるから、相当頭が良いと思います」

「ほう」


ジェナルは興味深くジャヒールを見ている。


「ですが、それ以上に、彼は毒に対して、免疫力を持っています。ただの一種類だけではなく、この砂漠にいる猛毒の蛇でさえ、普通に触れることができました」

「ほう。サビルはそれを知っているのか?」

「はい」


ジャヒールはうなずいた。


「オグラット村のアサの蛇使いで確認しました」

「あの子を連れていったのか?」

「はい」

「サビルと一緒に?」

「はい」


ジャヒールの答えを聞いたジェナルは考え込んだ。


「彼は毎日、朝から晩まで、ジャンにべったりと付いていましたから」

「ますます気に入らん。あの子はわしの孫だ」


ジェナルの言葉を聞いたジャヒールは苦笑いした。そして彼はまた紅茶を飲んで、うなずいた。


「一つだけ確認したいことがあります」

「なんだ?」

「オグラット村で、ジャンがナツメヤシの木の上から飛び降りたことを目撃しました」

「ほう」

「そして、その日の午後、私はサビル様に呼ばれて、尋ねられました。ジャンの両親のどちらかが、北の民の末裔だったか、分かりますか?、と」

「北の民か・・。そんなことは分からないよ?」


ジェナルは首を振った。


「・・だって、あれはもう200年前に滅びた一族だぞ?」

「はい」


ジャヒールが言うと、ジェナルは考え込んだ。


「サビル・エフラドがそう聞いたのか?」

「はい」

「なんと答えた?」

「私はただ、分かりません、と返事しました。昔のことで、遠い国ゆえ、確認する術もありませんから」

「そうだな」


ジェナルはうなずいた。


「ただ、サビル様は、こう言いました。ジャンは風を操ることができる。まるで北の民のようだ、と」

「ふむ」


ジェナルは考え込んだ。当本人のジャンはまだ4歳だから、聞かれても分からないだろう。


「もしそうであれば、暗殺者として、とても良いことだ。が、そうでなくても、問題ないだろう」


ジェナルは葡萄をまたつまんで、考えながら言った。


「はい。それに、遙か昔の出来事ですから、今更それを調べても、何になりましょうか?」


ジャヒールも紅茶を飲んでから、小さな声で言った。


「だが、あやつはあの子を違う目で見てるだろうな」

「はい」

「それがなぜか分かるか?」


ジェナルが聞くと、ジャヒールは首を振った。


「すみません、分かりません」


ジャヒールは素直に答えた。


「あやつの母方の先祖は、遙か昔、北の民だったからだ」


ジェナルはそう言いながらまた葡萄をつまんだ。


「サビル様とザヒード様は異母兄弟でしたか?」

「ああ」


ジャヒールが聞くと、ジェナルはうなずいた。ザヒードとは、アブの父親の名前だ。


「だが、仲が良い。まぁ、同じエフラド家だから、という理由もあるが、単純に言うと、異母兄弟であるにも関わらず、ザヒードはサビルの面倒見が良かった。家業を受け継いだザヒードはこの村に留まってな。サビルはしばらく旅に出てからあのオグラット村に行って、店を作るとここへ連絡した。ザヒードの支援を受けて、事業に成功したわけだ」


ザヒード・エフラドは大らか性格で、とても穏やかな人だ、という第一印象を与えた、とジャヒールは思い出した。けれど、実は彼が凄腕の暗殺者だ。今もどこかで仕事している、とジャヒールは思った。妻が三人いるけれど、一人目の妻はザヒードよりも年上で三人の子どもを産んだ後、夫のために第二夫人と第三夫人を娶って、夫の世話を彼女達に任せた。第一夫人は財産である家畜と家の世話に忙しいらしい、とジャヒールは以前誰かに聞いた覚えがある。そのことで、第二夫人と第三夫人は小さな子どもたちの世話に追われている。ザヒードは二年に一度ぐらい村に帰って、その度に新しい子どもができてしまうほど元気な男だ、とジャヒールは思った。アブは第二夫人の子どもで、10歳の時にジャヒールに弟子入りして、アミールたちと一緒に住むことになった。アブの下には数人の兄弟たちがいる。そしてこれからも増えるだろう、とジャヒールは思った。


いろいろの意味で、エフラド家は厄介な一家だ、とジャヒールはまた紅茶を飲んでうなずいた。


「オグラット村はもうすぐ町になるでしょう」

「ほう?そんなに大きくなったか?」

「はい」


ジャヒールはうなずいた。


「オグラット村が町になれば、貿易がますます活発になる」

「そうですね」

「山賊も、ますます多くなるな」

「はい」


ジャヒールはうなずいた。


「後でサフィードに相談しよう。村が移動するときの対策も考えないといけない」

「分かりました」


サフィードはサバッダの兄だ。彼は暗殺者としての訓練を受けたけれど、表の仕事を引き受けた人だ。表の仕事とは、警備隊や用心棒などの仕事を意味する。


「まぁ、その前に、最後の試験だ」


ジェナルは紅茶を飲んでから、言った。


「今日は宴にしよう。その羊の処理は、ジャンに任せる。彼が殺せるなら、予定通り、教育を始めよう」

「分かりました」


ジャヒールはうなずいて、立ち上がって、頭を下げてから、外へ出て行った。


ジャヒールは他の村人と一緒に宴の準備をしている間に、ジェナルは葡萄を味わいながら考え込んだ。


オグラット村のような大きなオアシスがあれば、このような新鮮な葡萄も植えられるだろう、と彼は思った。ナツメヤシなら問題なく生えたけれど、葡萄になると、水がなければ、どうにもならない。井戸は数カ所ぐらいこの村にあるものの、大規模の農業をやるにはもう少し検討しなければいけない、とジェナルは思った。


しばらくすると、一人の村人がジェナルに準備ができたことを知らせた。村の男たちは分かっている。羊一匹を殺せないなら、暗殺者になることができない。これはマグラフ村のおきてだから、例え子どもでも、例外なし。


つまり、ジャンを暗殺者として訓練するかどうか、村の男たちが最終判定者となるわけだ。


ジェナルは大好きな葡萄を袋に包んで、自分の腰にぶら下げた。そして彼は剣を持って、外へ出て行った。ジェナルが見えると、村人たちは静かになって、現れたジャヒールとジャンを無言で見ている。


まだ4歳のジャンを見て、村の男たちはジャンがその羊を殺せるかどうか、不安だ。同じ4歳児の子どもとほぼ変わらないじゃないか、と思った人もいるぐらいだ。


そしてジャンがジャヒールからナイフを受け取ると、ほとんどの村人は息を呑んで見守った。自分の体の半分以上もするぐらい大きなナイフで、上手く使えるだろうか、と彼らは思った。


けれども、ジャンは穏やかな顔で、一突きで羊の命を終わらせた。


その行動の意味を見た村の男たちは息を呑んだ。マグラフ村の歴史の中で、最若年の暗殺者が誕生するかもしれない瞬間だった。


これは極めて誇らしいことであることと同時に、極めて危険なことだ。


しかも、その子どもはまだ幼い。自分たちがやっている仕事を理解している彼らと違って、ジャンはまだ幼い。


人を殺すことを、どういう意味を持つのか、理解しているのか、と彼らの中にその疑問を生まれた。


「良くやった、ジャン」

「はい」


ジャヒールが言うと、ジャンはうなずいただけだった。村人は無言で彼らを見ている。そしてジェナルは前に出て、微笑んだ。


「ジャン・プラヴァ」

「はい」


ジャンはジェナルを見て、返事した。


「本日から、ジャヒール・アスランの弟子として認める。彼の下で修業して、がんばるが良い」

「がんばります」


ジャンが頭をさげると、ジェナルは満足そうに彼を見ている。サマンはジャンの近くに行って、無言で彼の手を引っ張り出して、後ろへ下がらせた。


「ジャン、手を洗おう」

「はい」


サマンが言うと、ジャンはうなずいた。


「服に血がかかってしまいました」

「おまえはまだ下手だからね。上手い人は、血を一滴もこぼさないほど、鮮やかだよ」

「ふむふむ。がんばります」

「ははは」


サマンが笑いながら近くにある井戸から水を出して、ジャンの手と顔をきれいにした。


「服も脱いで」

「はい」

「服の洗い方を教えるよ」

「はい」


ジャンは言われたままに従って、服を脱いだ。二人が服を洗っている姿が見えると、女性たちが駆けつけて、ジャンを手伝おうとしたけれど、サマンは丁寧に断った。


小頭こがしらのご命令なんです」


サマンが言うと、女性らは不安そうな顔でジャンを見つめている。


「もしかすると、あの儀式だったのか?」


一人の老婆が聞くと、サマンはうなずいた。


「で?」

「合格判定が出ました」

「・・・」


サマンが言うと、彼女達は複雑な目でジャンを見ている。けれど、ジャンが笑いながら洗った服を見せると、彼女達はうなずいた。そして彼女達はジャンの手から服をとって、笑った。


「風邪引いてしまうよ、ジャン」

「あ、でも洗い物はまだ・・」

「良いの。もうきれいになったのだから、着替えなくちゃ。洗濯は私たちがやるの」


一人の女性は彼を抱きかかえてすぐさまジャンのテントへ向かった。残されたサマンは苦笑いしただけだった。女の子たちはジャンの服をまた洗って、きれいに干すと、太陽の光に照らされているその小さな服を見ている。


きれいな布だ、と。


「絹なんだって」

「へぇ」


サマンが言うと、女の子たちは不思議そうな目でその服を見つめている。


「初めて見た」


一人の女の子が言うと、サマンはうなずいて、テントを見ている。今は入りにくい、と彼は思った。なぜなら、女性たちは今ジャンに着替えさせているところだからだ。


そんな様子を遠くから見ているジャヒールも苦笑いした。数人の男らがジャンの様子を聞くと、ジャヒールは知られても良い情報を彼らに明かした。


小頭こがしら、あの子どもはおかしらの孫だと聞いたけど、本当なのか?」


一人の男性が聞くと、ジャヒールはうなずいた。


「本当だ。遠縁と言っても、母方ははがたの従兄弟の従兄弟の孫だから、間違いなく、お頭の孫に当たるよ」

「でも全く似ていない」


その男性がいうと、ジャヒールは思わず笑った。


「きっとあの子は母親似だろう」

「ほう、・・母親は美人だろうな」


あの男性が言うと、数人の男らもうなずいた。ジャンの肌が明るくて、顔もかわいらしいから、ジャヒールの言う通り、きっと母親に似ているだろう、と彼らは想像しながら言った。


「彼は7人兄弟の末子でね、兄が3人、姉が3人だ」

「ほう、・・姉はまだ未婚なのか?」

「多分な。刺繍や裁縫を毎日やっているとジャンが言ったから、まだ未婚だろう」


ジャヒールはそう言いながら羊の皮を剥いだ。周りの村人も仕事しながら興味津々と耳を傾けた。


「異国の刺繍や裁縫とはどんなもんだろう」

「さぁ」


男たちは首を傾げた。彼らの文化では、未婚の女性は日頃刺繍と裁縫して、布作りをしている。結婚したら、その布を持って、嫁ぎ先の家で自分が作った布で飾る風習がある。けれど、ジャンの国の風習が自分たちの風習と同じかどうか、ジャヒールは分からない。


「彼の姉がまだ未婚なら、求愛したいが・・」

「やめとけ」


ジャヒールは首を振って、その男性をまっすぐに見ている。


「あの子は海の向こうにあるとても遠い国から来たんだ。それに、家族に連絡する術もなくてね、母親や兄弟が恋しくても、会えない。言葉だって、まったく違うらしい。ジャンが問題なく会話できるのは、彼が頭が良いからだ。それに、おまえがジャンの姉に求愛しても、言葉が通じるかどうか怪しい。そもそもそのような遠い所へ行っても、ジャンのじいさんのように、気楽に里帰りなんてできないぞ?」

「そうだな・・、残念だ」


彼らは落胆して、ため息付いた。


「それに、向こうでは、今戦争中らしい、とジャンのじいさんから聞いた」

「戦争?」

「ああ」


ジャヒールはうなずいた。


「だからおかしらはしばらくの間、彼を引き取ったんだ」

「親は?」

「父親はあの子が生まれる前に戦死したらしい。母親はその夫の代わりに、がんばっているらしい」

「大変だ」


彼らはそう言いながら、次々の肉を切って、たらいに入れた。たらいがいっぱいになると、他の男性がそのたらいを持って、きれいに洗ってから、もうすでに火をおこした人々の近くに運んだ。そこで大きな鍋を持っている人々がいた。肉はその鍋に入れて、煮込む。


「母親が未亡人なら、なぜ再婚しなかった?」

「分からん」


近くにいる人が聞くと、ジャヒールは首を振った。


「・・ただ、あの子の話によると、母親は亡き夫の両親と自分の両親、そして子どもたちの面倒を見ている。女一人で相当苦労していると思うが、立派な人だ。だから再婚なんて考える暇はないだろう」

「そうだね・・」


自分が近くにいたら、ジャンの母親に求婚するかもしれない、と言った人がいた。けれど、ジャヒールは微笑んだだけだった。


「ジャンが生まれながらヤティムの子・・・・・・だから、俺たちはジャンに優しくしてあげないとな」

「ああ」


ヤティムの子とは、父親を亡くした子どものことだ。ウルダの人々にとって、とてもかわいそうな子どもであって、情けを与えられるべきだ、という風習がある。それを聞いた村人たちはうなずいて、テキパキと仕事を終わらせた。仕事を終えたジャヒールはまた視線をテントに向けて、テントの前で女性たちに囲まれているジャンを見て、笑った。

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