第5話 ウルダ(5)
「今夜は野宿して、明日オアシスで休むよ」
「はい」
ジャヒールが言うと、アミールたちはうなずいた。
「行く時に、オアシスに寄りませんでした」
「ああ、行く時に最短ルートで行ったが、帰る時は南へ遠回りした」
ジャンが言うと、ジャヒールは笑いながら言った。
「ふむ」
ジャンは周囲を見ながら、短く言った。彼の目にはすべて新鮮だ。
「なぜですか?もしかすると、私に見せるためですか?」
ジャンの言葉を聞いたジャヒールは微笑んだ。
鋭い、とジャヒールは思った。4歳児にはなかなかない発想だ。
「そのこともあるが・・」
ジャヒールは村の入り口で降りて、子どもたちに合図を出した。
「このルートの方が人がたくさん通るから、比較的に安全だ。前日の大規模な襲撃もあったから、負けた山賊はきっとどこかで息を潜めて、旅人を襲う」
「そうですか・・、あっ、ありがとうございます」
アミールはジャンを降ろしながら笑っただけだった。そして彼らはラクダを引きながら、ラクダの預かり屋に向かった。
「ジャンは礼儀正しいね」
アミールが言うと、ジャンは首を傾げた。
「えーと、ちゃんと御礼を言える人は礼儀正しい、というんだ」
サバッダが言うと、アミールはうなずいた。けれど、ジャンはまた首を傾げた。
「良く分かりません。家ではそれが普通でした。違いますか?」
「侍従や侍女にも?」
「はい」
「下男や下女にも?」
「直接私に対してやったことなら、はい、御礼を言います」
ジャンは素直に答えた。すごい教育だ、とアミールたちは思った。下男と下女は、奴隷とほぼ変わらない扱いをされていることは事実だからだ。
「そういえば、宿の下男にも御礼を言ったな」
アブが言うと、ジャヒールはジャンを見て微笑んだ。
「良いことだ。下男も人だからな」
ジャヒールはそう言いながら6頭のラクダを預けて、
「盗まれないのですか?」
「誰も盗まないさ。預かり屋には、ほら、あそこにいる強そうな人がいるだろう?あれは凄腕の用心棒だから、盗まれる心配はないよ」
「そうですか」
「まぁ、まず腹ごしらえだ」
「はい!」
ジャヒールが言うと、なぜかジャンは大きな声で言った。キラキラとした彼の目をみたジャヒールは笑って、そのままジャンを抱きかかえて、屋台市場へ向かった。お昼の時間だからか、人が多くいて、買い物を楽しんでいる。
「先生、あれは何ですか?」
ジャンが見たことがない料理をジャヒールに聞くと、ジャヒールはその売り場に近づいて、近くまで見た。
「それか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「それは肉と米が葡萄の葉っぱで巻いた物だ。食べたいか?」
「良いですか?」
「もちろんだ」
ジャヒールはうなずいて、アミールたちの分も含めて、多めに買った。そしてアミールたちが食べたい物も買って、近くの食事屋で場所を借りた。サマンとサバッダがお茶を買っている間に、ジャヒールはジャンに食べ物の話をした。説明を受けたジャンはただうなずいて、不思議な目でそれぞれの料理を見ていた。サマンとサバッダが現れると、彼らは美味しそうに食事し始めた。
「どうだった?」
「美味しいです」
ジャヒールが聞くと、ジャンは素直に答えた。始めての味だ、とジャンが言うと、ジャヒールは笑って、大きな串焼きを口に入れた。
「まぁ、食べて。アミールも、サバッダも、サマンとアブも、残さず食べて」
「はい!」
食事の後、彼らはまた市場をぶらぶらと回って、いくつかの品を買った。そして再びまた出発した。今夜はまた野宿する、とジャヒールが言うと、全員うなずいた。
一行がしばらくゆっくりと西へ向かって移動した。そろそろ日が暗くなった、とアミールが言うと、ジャヒールはここで野宿する、という合図を出した。ジャンがラクダを止めて、降りようとしたところで、ジャヒールはラクダの上から降ろして、そのまま腕に乗せて、抱きかかえた。
「ジャンはもう眠い?」
「はい、少し」
「なら、このままで良い」
「でも、食事の準備が・・」
「大丈夫だ」
ジャヒールはそう言って、アミールたちに合図を出した。すると、アミールは素早く持って来た薪に火をおこした。サバッダたちも料理を準備し始めた。ジャヒールはしばらくジャンを抱いて周囲を見渡した。
正直に、このままジャンを自分の弟か子どもにしても良い、とジャヒールは思い始めた。まだ独身の彼は子どもを持つのが難しいなら、自分の弟にしても良い。
けれど、彼がその権限はない。ジャンは村の頭であるジェナルの遠縁だ。そしてジェナルはジャンの祖父に約束した。二年間、暗殺技を教えてから返す、と。
その暗殺技を教えるのは、ジャヒールだ。
元々暗殺者であるジャヒールは、仕事が忙しくない時にジェナルの下で働いている。ジェナルの信頼が厚いジャヒールはジェナルの娘のアシャと婚約して、村の
ジェナル自身も、引退した暗殺者だった。その村自体、暗殺者の村だ。アミールの父親も暗殺者で、今は出稼ぎに村にいない。サバッダの父親や兄弟も暗殺者で、母親は数年前に他界した。アブの家族もほとんど暗殺者で、大兄弟なので、弟や妹たちの世話に追われている母親を見て、大変だと思ったアブは、アミールたちと一緒に住むことになった。サマンの場合、砂漠で彷徨ったところでジャヒールに保護された。話から聞くと、両親が亡くなった後、親の知り合が引き取った。けれど、その親の知り合いはまだ幼いサマンを奴隷として市場に出した。数多くの暴力に耐えられないサマンは逃げ出して、砂漠で彷徨ったところで、ジャヒールに保護された。後から面倒だと思ったジャヒールは、そのサマンの親の知り合いをこっそりと殺した。
「先生、食事はできました」
「分かった」
ジャヒールは戻って行って、アミールが敷いたラグの上に座った。けれど、ジャンはジャヒールの肩でもうすでにすやすやと眠っている。
起こしたくない、とジャヒールは思った。けれど、食べる時間に食べないと、夜中に何かあったら大変だ。
「ジャン、起きて」
「うーん、あと少し、お祖父様」
「私はあなたのじいさんじゃない」
ジャヒールの言葉を聞いたジャンはすぐさま目を覚まして、ジャヒールを見て、瞬いた。
「あ、ごめんなさい、先生」
「良いんだ。じゃ、皆で食べよう」
ジャヒールは微笑んで、アミールが差し出した茶碗を受け取った。ジャンも御礼を言いながら、茶碗を受け取った。
食事は比較的にとてもシンプルだった。昼間買ってきたパンと豆の煮込み料理だけだった。けれど、彼らは美味しそうに食べた。ジャンもパンをちぎって、茶碗に残ったスープを一滴まで残さずきれいにした。最後に、アブはジャヒールの茶碗を始めにお茶を煎れてから、それぞれの茶碗にお茶を煎れた。寒い砂漠に暖かい飲み物はとてもありがたいことだ、とジャンはそう思いながらお茶を飲み干した。
食事の後、アミールたちはいろいろなことをジャンに教えた。空にある星の話やオアシスの話もすると、ジャンはとても興味深く彼らの話に耳を傾けた。
「・・アルキアにはオアシスがないのか?」
「ありません」
サバッダが聞くと、ジャンはうなずいた。
「こういう砂漠も?」
「ありません」
アブが聞くと、ジャンは首を振った。
「緑が多い国なのか?」
「はい」
サバッダが聞くと、ジャンはうなずいた。
「それは羨ましい」
「うーん、どうなんでしょうね」
ジャンは難しい顔をした。
「資源や緑に恵まれているから、イルカンディア人のような遠い国からの敵がいっぱい来てしまいました」
「イルカンディア人以外にも来たのか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「ヘスランディア人、アキシュ人、まだいくつかも来て、・・次々と攻撃して、絶えることがない戦で、さすがにアルキアの力も削られてしまいました・・」
だから負けた、とジャンがいうと、ジャヒールたちは気の毒にジャンを見ている。
「それはじいさんから聞いたのか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「イルカンディア人の数が多かったのか?」
「いいえ」
ジャンは首を振った。
「むしろ少なかった・・。でも、魔法のような武器、鉄砲を持って、遠くから少ない兵力で、大量のアルキアの兵士らを殺すことができた。その結果、アルキアは負けました」
小さな子どもからその事実を聞いた時に、ジャヒールはしばらく考え込んだ。
「じゃ、どうやってアルキアを征服したのか?王家は皆殺しにして、廃止されたとか?」
「うーん」
ジャンはしばらく考え込んだ。
「新しい王家を作りました。その新しい王家は今まで存在している各地の支配下の上に立つ、みたいな・・」
「新しい王家はイルカンディアの女王に忠誠をしたのか?」
「はい」
ジャンはうなずいた。
「王の娘はイルカンディアに嫁いで行きました」
「なるほど」
「そして貴族たちの長男も、イルカンディアに留学します」
「ジャンの兄さんも?」
「はい」
事実上、人質だ、とジャヒールは思った。
「兄さんのことを、会いたい、と思っている?」
「うーん、どうなんでしょう・・」
ジャンは首を傾げた。
「テオお兄様とは一度も会ったことはありません。私が生まれる前に、すでにイルカンディアに旅立ったと聞かされました。お兄様のことをベスタお兄様から聞いただけでした」
「二番目の兄さんは?」
「ピエトお兄様は二回ほどお目にかかりました。とても物静かな人でした」
「なるほど」
「ベスタお兄様は一番私に近いかもしれません。一人で閉じ込められた時に、怖くならないように、いろいろと教えて下さいました」
ジャンは微笑みながら言った。
「一人でいるのが怖かったの?」
サバッダが聞いた。
「たまに、・・だって、お化けが出るんじゃないですか?」
「ははは」
ジャンの答えを聞いたアミールたちは笑った。
「お化けよりも、暗闇に潜んだ山賊の方が怖いよ」
サバッダが言うと、ジャヒールはうなずいた。
「その通りだ」
ジャヒールはジャンに優しい声で言った。
「そうだ、君たちにあげる物がある」
ジャヒールはカバンの中から数本のナイフを出して、アミールたちに五本ずつ配った。小さなナイフで、長さは10センチぐらいだった。
「投げナイフですか?」
サマンが聞くと、ジャヒールはうなずいた。
「これはおまえらにあげよう。ジャンにもね」
ジャヒールが言うと、全員キラキラとした目で手元にあるナイフを見ている。上に小さな紐が付いて、色で誰のナイフかすぐに分かるようにしている。
「アミールとサバッダにはこの前教えたが、ちゃんと練習したよね?」
「・・はい」
ジャヒールが尋ねると、アミールはうなずいた。サバッダもうなずいたけれど、返事はしなかった。
「アブとサマンは少し早いが、これから教える」
「はい!」
ジャヒールが言うと、二人は力強く返事した。
「そしてジャン、まずは怪我しないように、見るだけで良い」
「うーん」
「どうした?」
「少しやっても良いですか?」
「構わんが、この暗闇でやると、ナイフがどこへ飛んでしまうと、把握仕切れないと思うぞ?」
ジャヒールが言うと、ジャンはただジャヒールを見ている。
「・・分かりました」
ジャンはそう言って、後ろを見ている。
「でも、あの人達は、敵ですよね?」
ジャンが言うと、ジャヒールはすぐさまジャンの視線の先にある物を見た。暗闇の砂漠に馬を走らせている集団が見えている。
彼らは武器を抜いて、明らかに敵対行動だ。
恐らく山賊だろう、とジャヒールは思った。ジャヒールは剣を抜いて、ラクダの前に立った。ラクダたちは危険を感じたからか立ち上がって移動し始めた。
「サマン、アブと一緒にジャンを連れて行け!村へ向かえ!」
「はい!」
ジャヒールが言うと、サマンはすぐさまジャンを抱きかかえて、そのままラクダに飛び込んだ。アブもラクダたちの紐をつかんで、ラクダに乗って、走らせた。
「先生は大丈夫なの?」
「ああ、問題ない!」
サマンは急いでラクダを走らせた。村にとって貴重な物が詰まっているから、なにしても山賊たちに奪われてはいけない。けれど、別の方向から山賊たちが現れた。
逃げられない、とサマンが思った瞬間、ジャンはいきなり立ち上がって、ナイフを二回連続と投げた。
一人、また一人に命中した。
「ジャン・・」
「サマン兄さんは前に集中してください!」
「分かった!」
サマンはジャンの腰をつかみながら答えた。アブは彼らを見て、理解した。自分がジャンの邪魔にならないように、動きを合わせなければならない。
「アブ兄さん! 伏せて!」
いきなりジャンが大きな声で言うと、アブはジャンを見て、頭を低くした。すると、いきなりナイフが飛んで、アブの横に接近した山賊に命中した。けれど、もう一人の山賊がアブに剣を振り降ろした。アブは4頭のラクダを引きながら、自分のラクダを操らなければならないため、焦った。
その時だった。
「伏せて!」
大きな声と同時に、ナイフが飛んで来た。アブはとっさに頭をさげながらナイフが飛んでくる方向へ見ると、ジャンが見えた。
「もう一度!」
相手が気づいて、ナイフが相手の剣に弾かれた音がした。アブの頭の上にまたナイフが飛んでくると、アブは頭を低くした。
今度は命中した。ナイフが手に当たったため、敵は剣を落とした。アブは敵を見て、また周囲を見ている。
「ジャン!後ろ!」
アブが言うと、ジャンは視線を移した。今度はサマンの横に接近した山賊がいる。しかも数が多い。
手元にあるのは短剣とナイフ一つだけだった。
「どうしよう・・」
ジャンが言うと、サマンは気づいた。武器がない。
「俺のナイフを使え!」
「どこにありますか?」
「カバンの中だ!」
サマンが言うと、ジャンは手元にあるナイフを投げて、近づいた敵に命中した。
そして彼は一旦しゃがんで、サマンの前にあるカバンを取って、開けた。
「使いますね」
「ああ」
サマンはアブのラクダが走った先を見ながら行った。
馬の方が早いけれど、このような砂地になると、馬があまり良く走れなくなる。アブは地形をよく知っているから、なるべく砂地に走るようにしている。
新しいナイフを手にしたジャンは再び立ち上がって、後ろを見ている。敵は残り5人だ。アブの後ろに走ったのは二人で、自分たちの後ろには三人だ。武器はこのナイフ5本だけだ。
外してはいけない。
ジャンは息を呑んで、自分自身を落ち着かせている。彼は自分の足をしっかりと固定しているサマンの手を感じた。そして狙いを定めて・・。
ナイフが飛んだ。そして、アブの後ろに走っているラクダに乗っ取ろうとした山賊に命中した。山賊が落ちて、次のナイフが飛んだ。そのナイフは先ほど落ちた山賊のすぐそばで走っている人に命中した。
ジャンは視線を移して、自分たちに近づいた人を見て、またナイフを投げた。そして連続して二回を投げて、それぞれの相手に命中した。
ジャンは周囲を見て、敵が追ってこないことを確認してから再びサマンの前に座った。
「もう大丈夫だと思います」
「ああ」
ジャンが言うと、サマンはうなずいて、アブに大きな声で知らせた。アブは周囲を見て、ラクダを止めた。サマンもラクダを止めて、注意深く周囲を見ている。
何もない、そして彼ら以外、誰もいない。
アブは星空を確認して、ラクダの首にぶら下がった水筒から水を飲んだ。
「ジャン!」
「はい!」
アブが呼ぶと、サマンの前に座っているジャンは答えた。
「俺のナイフを持って行け!俺はラクダのことだけで精一杯だ!」
「はい!」
アブが自分のカバンをサマンに投げると、サマンはそのカバンを受け取って、ジャンの前に置いた。ジャンはうなずいて、カバンの中からナイフを取りだした。
「ジャン」
「はい」
サマンが言うと、ジャンはカバンから視線を移した。
「また来るかもしれない」
「はい」
「疲れていると思うけど、少し我慢できる?」
「はい」
ジャンはうなずいて、彼らに向かっている馬を見ている。
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