彼女を助ける方法。
そういえば、話している中でふと引っかかったことがあった。
「……ところで、ソニアって呼んだ方がいいのか?」
そう聞くと、ああ、と言った風に彼女は頷いた。
「そうですね。わたし、運良く拾ってくれた方がいたのですけど。いずれ日本国籍を得た時にソーニャでは日本名にしずらいということで、ソニアになりました。漢字で書くと、程に近いですね」
「え?なんでその漢字?」
「So near だそうです……」
「ええ……」
なんというか、随分適当なキラキラネームだな……。いや、センスは感じるけども。
「……それで、日本国籍って取れそうなの?何も知識ないけど」
「わたし、完全に在留資格なしの無国籍者なので……今は匿ってもらってる状態で、見込みは正直ないです。高校には嘘を交えつつ事情話してるので、大丈夫ですが。大学は無理ですかねー」
「無理って……」
ずいぶんとあっけからんと言うので、動揺してしまった。しかし、彼女はなんでもないことかのように平然と続ける。
「だって、無理ですよ。まず大学の学費を払ってもらうほど厚顔無恥になれないですし。国籍なしでも高校はまあ、配慮してくれましたけど。大学は無理じゃないですか?」
「……」
たしかに、大学はあまりそういう配慮はしてくれない気がする。私立の方が圧倒的に多いのもそうだし、そもそも大学は行かなくても良い場所だ。配慮できたとしても、さまざまな場面で困ることがあるかもしれない。
「日本国籍取ろうにも、在留資格もビザも身分証明もないんです。出生や重国籍の選択、再取得、帰化。どれにも当てはまりません。唯一行ける可能性があるルートは……どうにか海外の国籍を得てから日本人の配偶者になる、とかですかね」
「養子縁組とかって」
足りない頭でなんとか捻り出した言葉も、彼女の口ですぐに否定されてしまう。
「国籍がないので、養子になるためのそもそもの戸籍がないんですよね……」
「……そうか」
なんとも残酷だ、と思ったけど。異世界転移とか想定されてるわけないしな……。在留資格なしの無国籍者は有国籍の不法滞在とはわけが違うし。……高校に通えている時点で、奇跡のような可能性をすでに辿った後なのかもしれない。
「そろそろ時間ですね。あ、連絡先だけ交換してもいいですか?」
「あ、ああ」
かなり重い話をさせてしまったのだが、彼女の様子はそこまで悲観的ではない。いや、その状態が当たり前になっているのか。とりあえずメッセージアプリの友達になっておいて、連絡はできるようになった。
教室へ帰る道すがら、考える。俺が彼女にしてやれることは何か。
どれだけ考えても、無茶な方法くらいしか浮かばない。一つ浮かぶだけ儲け物かもしれないけれど、彼女が納得するだろうか。こんなやり方ではソーニャ……ソニアの生活を制限してしまう。それに、中身がどうであれ、他者の迷惑になることをとことん嫌うソニアには……。でも、見捨てるなんてもってのほかだ。
自席につくと、すぐにホームルームが始まった。海斗が話を聞きたそうにしていたけど、わざと忘れているふりをする。
今は、もう少し、考えていたい。
+ + +
その日は結局、海斗には話をはぐらかした。最初は何かしら言おうかと思ったのだが、何を言えばいいのかわからなくなってしまった。この学年ではすでにソニアが見知らぬ男子と仲睦まじく——とかいう噂が立っていたが、流石にまだ個人の特定には至っていないようだ。
……いや、他の奴らからの評判なんて、関係ない。
俺ができることは、やっぱりこれしかないのだろうか。どう考えても無理難題で、ともすれば彼女の了承すら怪しい。けど、ソニアをこのままにしておきたくない。傲慢かもしれないけど、助けたい。
家につき、さっそくソニアにメッセージを送る。こんなことしか思いつかないなんて、我ながら情けないな……。
『ソニア、朝言ってたことなんだけど』
反応は返ってこない。構わず続けて打つ。
『いろいろ考えたんだけどさ、国籍がとれないなら……やっぱり、家事労働を対価にして誰かに養ってもらうしかないと思う』
『ソニアさえ良ければ、俺が就職できたらソニアのこと、養ってあげれるよう頑張るけど……』
それを送ったタイミングでちょうど既読がついた。
『……まあ、そうですね。そういう方法が最も現実的なのは事実です』
『だよな』
『けど……』
そこで一度、ソニアのトークが止まった。どうしたのかと思って、それでも聞き返すべきではないように思えた。いくらか葛藤をしているうち、新たなメッセージを受信する。
『大和が嫌いなわけではないです。むしろ、すごく感謝しています。でも……そんなこと、お願いできません』
その文章を見て、すぐに言葉を紡いだ。自分でもなぜかわからないが、すごく必死になっている気がする。
『俺に遠慮してるなら、別に気にしなくていいよ。俺がほっとけないだけだから』
『……なぜですか』
「え……」
思わず口から声が零れ出た。
考えたことも、なかった。当たり前のように、ソニアを助けようとしてた。今まで足場にしてきた土台が急に崩落したような感覚だ。ソニアにとっては、迷惑だったのだろうか。あるいは……。
思考がまとまらず、気づけば手を握りしめていた。そんな折に、彼女からもう一つメッセージが届く。
『大和、電話しましょう』
「へ……?」
急すぎて何が何やらわからない。
その文言が視界に入るとほぼ同時にスマホが震えだす。困惑しながらも出ると、ソニアの優しげな声が聞こえた。
『大和は、たぶんわたしのことを、助ける対象だと思ってくれているんですよね』
「そう、なのか……?」
『……わたしに縛られてませんか?わたしのこと、気にしすぎですよ』
憂うような声色だった。まるで、間違っていることを心配するみたいに。……なら。これが間違ってるんなら、ソニアは。俺は。
「……でも、今お世話になってる人にいつまでも迷惑かけたくないんだろ。それに、国籍だって取れそうにない。なら……誰かに助けてもらうとして……俺が助けなきゃって」
『気持ちは本当に嬉しいんです。けど、それって義務感じゃないですか。それで助けてもらっても、そのモチベーションはずっとは続かないですよ』
「それ、は……」
否定、したかった。けれど、何を言っても嘘になる気がする。何か言いたくて、でも何も言えなくて、口は開かなかった。
『家事労働って言ってたのは、タダでわたしが養われるのをよしとしないと思ったからですよね。それに甘んじるのは簡単ですけど、きっと詭弁になります。そんな不安定な関係は、破綻する』
ソニアは、重く息を吐きながら断言した。彼女のその声が、俺の頭に重くのしかかる。
「……じゃあ、ソニアを見捨てるのが正しいのか。俺は……っ」
——どうしたらいいんだよ。
一番窮しているのは彼女で、俺ではない。その事実が、それを言い切るのをやめさせた。
『大和』
俺の名前を、ソニアは慈しむように呼ぶ。耳に残って、何度も頭の中で反芻されて。そのとき俺は、この子を想うことを止められないんだってわかった。
「……」
『わたしは、助けてくれた大和だからこそ、自由に生きてほしいんです。自分の人生は……どうでしょうね。やっぱり今の保護者にかなり迷惑をかけることになりますが……最悪名義を借りて、株式投資でもしますよ。危ない橋ですけど、独り立ちは不可能じゃない』
その声音には、彼女の覚悟が見て取れた。……そうか、ソニアはこっちの世界に来た時点で幸せになれずに死んでいく可能性を認識していたのか。恵まれた環境で、どこか楽観的でいた俺と、本当に覚悟の度合いが違う。そんなの当たり前で、なのに……俺はそれをわかっていなかった。
それに、よくよく考えればたったの二年で日本語がここまで上達しているのも驚愕に値するはずだ。そこには並々ならぬ彼女の努力と、切羽詰まった状況が存在する。……どうして、それに思い当たれないのか。
『……では、そろそろ失礼しますね』
「……ああ」
役目を終えた携帯を机の上にそっと置くと、天井をを仰ぐ。
——だっせえな、俺。
ソニアに関わらないなんて選択肢は存在しない。だって、絶対に蟠ると知っているから。その選択を取ることは、俺の人生の意義を捨てることと同義だとすら思う。
実際は、きっとそんなことはない。きっと、人生はそんなに創作めいていない。きっと、いつかは何かに絆される。あるいは、諦めがつくのだろう。
でも、俺はそれを認めたくない。……ああ、これはわがままだ。どうしようもない、俺の独白でしかない。
けれど、それで今はそれでいいって思えるから。
俺に取れる方法があれしかないのは変わらない。俺はそこまで優れた頭を持っていないから、考えつくことも、できることも、人並みでしかない。ただ、それは表面上の話だ。
俺がソニアに関われた時間は、短い。何度も何度も思い返したから、理解はしている。彼女のことを全て知っているわけではないし、俺よりずっと長い時間を共にした人間は複数いることだろう。
——それでも、想いは負けたくない。
だから、伝えるしかない。工夫して、ちゃんと話して、やり切る。それで失敗したら、その時はお通夜モードで海斗にでも話をしてやればいい。
こんな少女と出会えたんだって。一生忘れられないだろうって。
まずは、日本のルールの知識をつけよう。たぶん、ソニアはこのままだと簡単に頷いてはくれない。理論武装しまくって、やり方の正当性を訴えて、その上で感情論で殴る。
……破綻してるか?いや、破綻してようが構うまい。
ソニアが家を去って以来、初めて心から楽しいって思えた気がした。
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