昔面倒を見ていた子が女子高生になってぐいぐい来ます。心臓に悪いからやめてくれ……。
さんぱちうどん
進学、そして青い春の始まり。
佐賀大和。平々凡々で何の特徴もない、高校新一年生の名だ。本当に何も特筆すべき事項はなく、しかし一つだけ奇妙な体験があった。誰に語っても信じてもらえないであろう、不思議な体験が。
中学二年生の頃だったか。その日はとてつもなく運が悪かった。車に轢かれかけるわ授業という授業で当たりまくるわ小テストで回答が一つずつずれてるわ、本当に最悪だった。だからだろうか、家に帰ってからも嫌な予感が絶えず肌を刺していた。
すると突然、何の脈絡もなく自室に眩い光が発生したのだ。
「……⁉︎」
自分の部屋が急に発光したら誰だって驚くだろう。呆気に取られるうちに光はどんどん強く、大きくなり、やがて俺の意識は薄れていく。もうだめだ、と思ったその時。唐突に薄れゆく意識は覚醒し、何事もなかったかのように部屋は元の様相を取り戻した。——荘厳な服を纏った金髪の女の子を残して。
「……えっと」
どうすればいいんだろ、これ。この子誰。何が起こった。
呆然と突っ立っていると、女の子が目を覚ました。立ち上がった彼女にはどこかあどけなさがある。同い年くらいだろうか。最も、明らかに人種が違うんだが。
「umprqritmslhpahvzngt?」
「なんて?」
びっくりした。聞いたことのない言語だ。少なくとも、中国語や英語ではない。というか、すっごい美少女。目鼻立ちがくっきりしていて、肌が透き通るように白い。
「lxaxvbkqhzkv……」
彼女は取り乱した様子で何やら呟き、それから集中するように目を閉じた。
「jfgsva!……これで、わかりますか?」
「え、急に日本語……」
「ニホン?とやらは存じませんが、たったいま翻訳魔法を唱えたので、あなたと意思疎通ができるようになりました。ここは……アナザーではないようですね」
「魔法?アナザー?」
「アナザーは私が元いた世界で、そこには魔法があったのです。かつて、異世界召喚の儀によって呼び出された勇者が『もう一つの世界』という意味を込めて世界をそう呼んだのが由来と聞きましたが……」
異世界……。にわかには信じがたいが、先ほどの光や知らない言語を話していた少女がいきなり日本語を喋り出していることから、嘘ではないのだろう。
「で、君はなんでここにいるわけ?」
「それは……私はとある国の王女でして。実権を持った大臣が国力のために勇者召喚を行おうとして、その術者に選ばれたのが魔力制御に長けた私だったんです。おそらく、術が失敗して逆に私が飛んできてしまったのでしょう」
「最初、光に意識がもってかれそうになったのは俺が召喚されそうになってたからなのか……」
「そういうことです」
なんというか、悲しんでいいのか喜んでいいのか、微妙なところだ。……それで。
「君、これからどうするの。帰れんの?」
「……異なる世界を能動的に移動する術式自体はあるのですが、世界そのものの座標が必要で。異世界が目的地になることはあっても、自分たちの世界が目的地になることはないため……その、無理です」
彼女は途端に絶望したような顔つきになる。
「あー……座標を今から調べることって」
「座標を調べる方の魔法は知らないんです……別の術者の仕事なので。ついでに言うと、この世界に魔力ってないんですね。私の残存魔力、あと一日しか持ちません……助けてくれませんか」
今度は涙目になった。……魔力が一日しか持たない?
「魔力って何もしてなくても減るの?」
「翻訳魔法です!」
「あっ……」
そうだった……。え、それってあと一日で日本語がわからなくなる?帰れないのに?
「……手伝うから、今すぐ日本語をできる限り覚えよう」
「ありがとうございます!!助かります!!」
めちゃくちゃ深刻な表情でお礼を言われた。美少女に感謝されると言うのは悪い気分ではない。だが……今は、それどころじゃない!
その後、自己紹介を手短に済ませ早々に勉強に移った。彼女の名はソーニャ・アルバ・アナザー。各国王族はアナザーをサードネーム、家の名前をセカンドネームにするのが慣わしだとか。とりあえず、ソーニャでいいだろう。
ソーニャは俺と同じ、十四歳らしい。ひとまず日本語を覚えるために何が必要かを考えてみた。まず発音。これは翻訳魔法のせいでお互いがお互いの母語で聞こえるため断念。音は魔法が切れてから覚えるとして、とにかく文字を見せることにした。ひらがな・カタカナ・漢字について軽く説明し、それから日本語の基本文法として主語述語についても話した。
そこからその間などに修飾語が入ってきたり主語を省略したり接続語で文を繋げたり。漢字だと意味がわかりやすいが、ひらがなだと意味の切れ目が分かりにくいことからとにかくボキャブラリーをつけるしかないとも言った。
……説明しながら思った。何でこの言語はこんなに面倒なんだ……?
いっそやめてしまおうかと言う思いすら浮かびかけたが、身寄りどころか常識すらないソーニャを世に放つのは無謀だ。召喚しようとしたのは異世界の方で俺には何の比もないが、それを言ったらソーニャも術師だったと言うだけ。それを何度も自分に言い聞かせながら日本語を教え続けた。
——そして、一週間が経った。
何に使うでもなく貯めていたお小遣いでネットカフェに泊めたりご飯を(めちゃくちゃ安物だけど)買ってやりながら、翻訳魔法が切れた後も俺は頑張った。それはもう、超頑張った。……本当に頑張っていたのは異世界に放り出されたソーニャである、というツッコミはなしで。
一週間経つとお小遣いは底をついていた。しかし、俺が学校に行っている間も課題を用意していたおかげか、ソーニャの努力によるものか、なんとか片言くらいは喋れるようになっていた。
俺のお下がりのSIMなしスマホの使い方もなんとか覚えさせて、知らない単語などを自習できるようにしていたのも効果があっただろう。日本の常識も本当に最低限度ながらついたようだ。
おそらく、かなりハイペースの言語学習だ。将来が危ういとはいえ、ここまでやってきたソーニャはすごい。
「……さて、ここからどうしようか」
「ヤマト、お金、もう、ない?」
「ああ。流石に親に相談した方がいいか……」
「親に話す、して、信じられない、違う?」
「まあそうなんだけど、俺一人の力じゃこれ以上ソーニャの生活を保証できないし……」
「わたし、ヤマトに迷惑、そんな、あげれない」
「かけられない、な。べつに俺のことはいいよ。それよりソーニャのことだ」
俺がそういうと、ソーニャは何か決意したような表情をした。嫌な予感がして、どうしたのかと聞いても何も返事をしてくれない。その日は一応食費くらいはあったので、ひとまず親にバレないようにソーニャを自室に泊めてお茶を濁すことにした。翌日は休日だったし、そのときに親とゆっくり話そうと思ったからだ。
この先の展望を考えながら横になれば、すぐに眠気はやってくる。大して思考をするでもなくそのまま眠りに落ちた。
——ふと、物音が聞こえた。目を開けようとしたけれど、睡魔に勝てず瞼は閉じたまま。今は寝て、朝確認すればいい。そう思っているのに、背筋に冷たいものが幾度となく感じられて起きなければならない気がした。中学生の強い睡眠欲がもどかしい。
何分経っただろうか。なんとか目を覚まして起き上がると、床に広げた俺の掛け布団の上に寝ていたはずのソーニャがいない。……どうしてか、妙に冷静な気分で辺りを見回すと、机の上に一枚の紙を見つける。
『もうこれいじょう、大和のせわになりたくないです。じぶんのこと、じぶんでどうにかします。だから、しんぱいしないで、わたしをわすれてください』
「まだ漢字教えてないだろ。……俺の名前だけ、覚えたのかよ」
馬鹿なやつだと思った。自分のために色々やろうとしてる奴がいるんだから、素直に頼ればいいのに。元々王女だったんだろ。もっとわがままでいていいんだよ、お前は。何も悪いことしてないんだから。
「あー……くそっ」
窓から外を見る。ソーニャの後ろ姿なんてものが都合よく見つかる訳ないのに、俺はずっと探し続けていた。どれだけ時間が経っても、ずっと。頭ではわかっているのに、心が納得していない。諦める理由を探しているのかもしれなかった。
結局、空から煌々と光る星が消えるまで、俺が眠りにつくことはなかった。
+ + +
高校の入学式の翌日、自分の教室に初めて足を踏み入れた。あれから二年経っても、俺の心の中にはソーニャがいる。たった一週間が、これほど重くなることがあるんだな……。
「よう、お隣さん」
黒板に書いてある通りに席に着くと、隣の席のやつが声をかけてきた。体格が良くて威圧感があるが、人の良さそうな笑みがそれをうまいこと打ち消している。人はまだまばらで、静かな教室には場違いな明るい声だった。
「お、おう。俺は佐賀大和。君は?」
「長嶋海斗。よろしくなー」
「おお」
……ちょっと友達ができるか心配してたけど、コミュ力がある人間が隣でよかったな。気にせず高校生活を送れそうだ。
しばらく海斗と出身中学などの話で盛り上がっていると、不意に真面目そうな面持ちをして話し出す。
「時に大和、聞きたいことがあるんだが」
「どうした、急に」
海斗は意を決して、重い口を開く。
「俺がこの教室に入る前、隣のクラスにとんでもない金髪美少女がいたんだが……何か知っていることはあるか?」
「……知らんわ」
女子の話かよ……。
「な、何だその目は。やめろ、そんな目で見るな。というかお前は興味がないのか」
「別にないわけじゃないけど直接見てないし、なんとも。……ん?金髪?」
俺の脳裏に、ソーニャがよぎる。あの日から彼女の消息は完全に不明だ。今どうしているのか、見当もつかない。生きて、ちゃんと生活できているといいのだが……。それにしたって、どんな手法を使えば実現できるのか。恵まれた日本の一般家庭で育っている俺には、それがわからない。
「ああ。それも染めたとかじゃなく、地毛っぽい。友達に『ソニア』って呼ばれてたし。明らかに日本人じゃないはずだぜ」
ソニア……か。名前が似てるけど、別人かな。金髪碧眼がどうのとか騒いでいる海斗を無視しつつ、ソーニャに想いを馳せる。
共にした時間はとても短かった。彼女は綺麗で、賢くて、謙虚で。大和撫子のような少女だった。いつだって俺に遠慮してばかりで、わがままなんて微塵も言わない。いつか、翻訳魔法越しにした会話のようなやり取りがしたいってずっと思ってた。……まあ、叶なえようがなくなったけど。
あの時の会話だけは、きっとお互いに遠慮がなかった。……二人ともテンパってただけか。
「おーい、聞いてるのか」
「はいはい聞いてる聞いてる。金髪碧眼が性癖なんだろ」
「ちょ、言い方……」
海斗は慌てて周りを見回す。大丈夫だ、安心しろ。多分お前を怖がってる奴らのが多いから。もしも性癖がめちゃくちゃでも、周りの対応は変わらん。元から遠巻きだ。
「すごく遺憾なことを考えられている気がする」
「気のせいだろ」
仮にソーニャと再会しても、こいつには近づけないようにしよう……。
そういえば、ソーニャの母語の響きは日本語よりも英語に近かったな。最初、日本語の発音にかなり手間取っていたことを思い出して、思わず口角が上がる。
……英語に、近い?
そういえば英語をカタカナに直した時、日本語の発音では表記が複数になることがある。そう、例えば——ソニアとソーニャ、とか。
「……海斗」
「んー?」
「隣のクラス、って言ったよな。ソニアって子がいるの。右と左、どっちだ」
「え、右だけど……急に興味持ち出したな」
「悪い、あとで話す。ちょっと行ってくるわ」
海斗にそう告げて、急ぐ。送り出す足がうまく制御できなくて、はやる気持ちと同じくらい加速していく。すぐに目的のクラスについて、空いていた戸から中を覗いた。
あいつじゃない可能性の方が多いなんて、わかっている。理性では、ぬか喜びをしないように気持ちを抑えたかった。それでも、俺の心は止まってくれやしない。
視線の先、海斗の言う美少女はすぐに見つかった。どうしようもないほど目立っていたし、何より纏う雰囲気が異質だったから。
少女はクラスメイトと穏やかに語らっていた。あどけなさと色気を同時に持つその容姿。大きく、和やかな瞳には優しさと強い意志が混在している。
俺は、その雰囲気をよく知っていた。何度も何度も擦り切れるくらいに反芻したそれは、時間というスパイスと溶け合って、かつてないほどに俺を魅了する。
「……やま、と?」
「っ、ソ……!」
彼女の名前を呼ぼうとして、しかし最後まで紡ぐことはできなかった。俺の心と体が同時に硬直している。頭がうまく回らない。気づいたら、光沢を帯びた金色と甘い香りに占拠されて……⁉︎。
「ちょっ、なにしてんの⁉︎」
「再会して第一声がそれですか。ハグに対する感想は?」
制服のブレザーというおおよそ彼女が着るはずのないものを着ているにも関わらず、艶やかにたなびく髪と柔和な笑みが不自然に思わせない、どころかマッチしすぎていた。
——やばい、可愛すぎる。
「……ねぇよ。というか超見られてるんですけど?」
「知りません。他人より大和です」
「さっき結構仲良さそうだったけど……」
「大和と比べたら全員他人ですよ。何を当たり前のことを」
「お前性格変わった?」
……なぜ俺たちはこんな馬鹿げた会話をしているのだろう。そう思いつつも、お互いの減らず口は一向に止まらない。時に罵詈雑言とも取られかねない言葉が飛び出すけれど、双方ともその表情は微笑みだった。
「……まあ、無事で良かったよ」
会話がひと段落したところでそう言うと、ソーニャは驚いたような顔をする。
「怒らないんですか」
「怒らないよ。そっちの気持ちも、わからないわけではないし。ただ、どうやって今日まで生きてきたのかは知らないけど、これからの方針も告げずに出てったのは少し根に持ってる」
「それは、まあ……すいません。あの時はわたしもいっぱいいっぱいだった物で」
そう言うソーニャは、過去の自分を肯定も否定もできていないようだった。実際、危険な選択だったし。それに俺に心配をかけた自覚だってあるはずだ。
……まあ、ちゃんと話してもらおうか、今のソーニャについて。
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