ロッキンベイベー
シャワーを浴びたままの濡れ髪をうさ耳付きのヘアバンドで留めた亀山は、部屋着代わりらしい見覚えない派手なジャージの上下を着ていた。
「そのジャージ、珍しい色だね」
「前の中学のやつ」
亀山の手から下着が消えていることを思うと、ひょっとしてさっきまで私の背後にあった、あのうすピンクの上下セットを身につけているってことなんだろうか。
……考えないようにしよう。
「じゃあ数Ⅱだけど……」
「花梨ちゃん、音楽好き?」
片付いたテーブルの上に参考書など広げて言うことがそれなものだから、私は眼鏡を跳ね上げるみたいに顔を上げた。
「ちょっと、勉強は?」
「ぼくはこういうのがすき」
言うなり、亀山は私の頭にピンクのヘッドフォンをがっちりつけてしまった。
「わーッ!」
聞き慣れない重低音のバック、細くて高くて弦楽器みたいな声してるボーカル、ちょっとよくわかんない歌詞。
「なにこれ、ちょっと勉強は?」
ヘッドフォンをはずそうとするも、サイコバニーの手ががっちりホールドしているのでどうしようもない。私は細い弦をはじくようなボーカルの声を聞く。
「ねえ、ねえ亀山さん」
『なあに』
口の形だけでサイコバニーは答える。すごく楽しそうに笑ってる。
「勉強しに来たんじゃないの」
『うん、べんきょうしよってさそったよ』
「勉強は?」
この曲なんなんだ、さっきからずっとおんなじことばっかり繰り返してる。ずっとずっと恋の歌。気づかない男を罵る女の語彙。
『こうじつ』
「はあ!?」
音楽を聴いてるせいで私の声はやたらと大きくなっていく。
『かりんちゃんをうちによぶこうじつ』
「何言ってるの!」
『そうでもしないとふたりきりになれないとおもった』
うそだ、口パク間違えてるんだ。読唇術もプロって訳じゃないし、でも、間違いでもなさそうなのが、私をおかしくさせる。
なんで、なんでなのサイコバニー。なんでこんなことするの。忘れてるくせに。
騒音のなかにいる私に、彼女は微笑んだ。歩み寄り、膝がくっつくくらいに近づいて、それから目を合わせた。
『ねえ、かりんちゃん』
言葉は、目から入ってきた。
『ずっと前から、かりんちゃんのことしってるよ』
サイコバニーはそっと、私からヘッドフォンを外した。
私は目を見開いたまま、混乱と困惑の間でエラーを吐いていた。騒音から解放された耳朶に、溶けてしまったアイスみたいなあの声がささやく。
「りんちゃん。全部覚えてるって言ったら、どうする」
「あ」
エラーを吐ききった私のからだは、サイコバニーを床へ押し倒した。ぬれた髪に鼻を差し入れて、唇をかむ。にじんだ涙は、彼女の髪に吸われる。髪によくなさそう。
「……何で教えてくれなかったの」
「りんちゃんがぼくのこと覚えてなさそうだったから」
「一緒じゃん。はじめましてとかいうから」
「そこは、サイコバニー何言ってんの、ってつっこむとこだよ、りんちゃん」
りんちゃん。
私はそれだけで胸がいっぱいで、ぼたぼた涙をこぼした。
「ぼくも、りんちゃんかな?くらいの気持ちだったんだけど……でも、眼鏡外してみたらやっぱりりんちゃんだったんだよねえ」
「それで眼鏡とりあげたの? 確認のために?」
「ほぼ確信してたけど、そうだね、確認」
「聞けよ……」
「こっちの台詞」
ふれあった薄着の部分で、彼女の鼓動を感じている。私は目を閉じて、彼女の上に覆い被さった。
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