トルエンから始まる恋もある

樫木佐帆 ks

トルエンから始まる恋もある



 あたしねえ、実は女の子が好きなんよ、とポリ袋に入れたトルエンを吸いながら道子は言った。私もトルエンを吸いながらだったので頭がそんなに回らず、へぇ、そうなんだ、としか言えなかった。


「いやあもう、あたしが誰かを好きになるなんて一目惚れじゃないけど、本当にあるんだねえ」

「もしかして初恋?」

「かもしれんねえ。しかも女の子」

「誰?」

「ふふふ、秘密」

「誰? 誰よう、教えてってばー」

「秘密だもーん」


 トルエンがいい感じに脳を溶かして呂律が回らない会話を私たちはした。道子が女の子が好きということについては別に何とも思わなかった。むしろ道子の横に恋人となる男がいるというほうに違和感があった。道子は金髪に染めてパーマを当てている、いわゆる旧世代のヤンキーの割りに顔立ちは容姿端麗で、性格のほうは神経質で、どこか潔癖症なところがある。そんなこんなで道子には男が似合わない。なりがなりなのでヤンキーの男から言い寄られる事もあるが断っている。


 私はどうかというと道子とどっこいどっこいで男を好きになったことも女を好きになったこともない。私はいじめドロップアウトの行き着く先の教室不登校で学校で唯一仲が良いのが同じ教室不登校のヤンキーの道子だった。


 優等生は不良に憧れがあるのかもしれない。逆もまた然り。本来なら水と油だが私たちは何故か惹かれあい、友達となり道子の勧めるままにトルエンと煙草を吸い始めた。初めは躊躇したが、これも友達付き合いとして徐々に慣れていった。何故トルエンかというと道子の父親が町工場をやっていて容易にトルエンが手に入るからだった。


 しっかしあれだよね、と私は切り出す。


「片思いって不毛だよね」

「フモーだねー、報われないもん。あれ、フモーって漢字でどう書くんだっけ」

「不可能の不に髪の毛の毛で不毛だよ」

「つまりハゲってことかー、さっすが元優等生、何でも知ってるねえ」

「あれ、告白したりはしないの?」

「どうかなあ」

「さっさと告白すればいいのに」

「そんなことできないもんねー、怖いから」

「つかさ、どんな女の子好きになったの?」

「あたしと同じような違うような」

「なにそれ」

「あたしだってわからないってば、ああもう、顔があちー」


 道子は恋する乙女のように赤くなった顔を冷やそうと手で扇いでいる。

道子が恋をしたというのなら憧れの存在、ヤンキーの憧れと言えば先輩かなと思い、道子の先輩と言えば道子と同じヤンキーグループの羽賀先輩かなと推測した。

「同じというと先輩かなあ?」と率直に聞いてみた。


「せ、先輩じゃねえし」

「羽賀先輩とか」

「ちっげえし、そりゃ羽賀先輩はもちろんカッケーし永遠の憧れだけど」

「先生とか」

「なんでセンコーなんだよ」

「違うの?」

「違う」

「年下? 年上?」

「だーかーらー秘密だってえの」


 道子の好きな人は誰なんだろうとトルエンを吸う。ふよふよと幻覚が見えそうだ。時間もいいところだし道子にさよなら、また明日と言って別れた。そっか先輩でもないし先生でも無いと。年下? 年上? という質問ではぐらかしたから同級生かもしれない。道子はいつでも私とあれこれと付き合っている。ショッピングやらカラオケやらクレーンゲームとか。そっか女の子なんだ、と考えながら今日は眠ることにした。


 朝はいつだってだるい。学校には行きたくないが出席日数の関係で行かなくてはならない。まあ道子とも会えるしと自分を誤魔化して学校に行くことにした。


 道子はいつも私より遅れて生徒指導室に来る。生徒指導室が私たちの居場所だった。

「おはよー」と道子がやってきた。おはよ、と私は返す。

 だりー、早く学校フけてトルエン吸いてー、と道子はそんなことを言う。いつものことだ。


「ね、ね、抜け出さない? ウチでトルエン吸おうよ」

「後でね」

「えー、つれないなあ。で、今何やってんの」

「勉強だよ。高校行きたいもん」

「そっかー高校かあ。あたしは到底行けそうもないなあ。バカだもん、あたし」

「中卒じゃ仕事ないよ。高校くらい行かないと」

「でもあたしには無理だなー、中退するのがオチだよ」

「じゃ将来どうするの?」

「うーん、わかんない。想像したこともないなあ」


 私たちの朝の会話はいつもこんな感じだ。昼まで一緒に居て喋って学校抜け出して道子の家でトルエンを吸うのが日課になっている。


 時間が経ち昼になったので学校を抜け出す。道すがら道子が鼻歌まじりでトルエントルエンと歌うので私は笑った。何その歌と突っ込みたかったが道子が楽しそうだからまあいいやと無視した。


 ちょっと待ってて、と道子は家の隣にある工場へと向かい、ポリ袋に入れたトルエンを2つ持ってきた。そして一つを私に渡して、トルエンにかんぱーい、とやった。お酒じゃあるまいし乾杯というのは変だが気にしないようにしている。


 トルエンを吸っていると何もかもどうでもよくなるもので精神的に良い。本当は悪いのかもしれないがリラックスできる。そこで昨日から気になっていた道子の初恋の相手を聞こうと思った。


「で、誰よ、道子の好きな人」


道子は、ブハッ、っと盛大に噴き出しながら咳き込んだ。それで、いきなりかよ、と言った。


「だって気になるし」

「秘密だっての、うるさいなあ」

「えー、教えてくれたっていいじゃん、私と道子の仲だし」

「だから言えないんだよ」


「だから?」と返しながら、だから、ってなんだろうと思った。


「もーこの話は止め!おとなしくトルエン吸う!」

「はーい」


 トルエンが脳をいい感じに溶かしていく。私たちはどうでもいい、本当にくだらない話をした。話をしながらもさっきの「だから」が気になっていた。だから私に言えないってどういうことだろう。


 手元のトルエンが無くなり、おかわりいる? と道子が言うがもう夕方なので私は帰ることにした。じゃあね、また明日、と言って道子と別れた。トルエンが効きすぎたのか足がふらふらしながらも家に帰った。


 ベッドに横たわり、道子の「だから言えない」という理由を考えていた。共通の知り合いだろうか。私に言うと不都合がある相手だろうか。明日こそは聞いてやろうと思いつつ風呂に入り寝た。


 朝はいつだってだるい。だけど学校には行く。それで私の後に道子が、おはよー、とやってくる。


「ねえ、昨日言ってた、だから言えない、ってどういうこと?」と私は道子がはぐらかさないように聞いてみた。


「なんだよいきなり」

「だって気になるんだもん」

「あたしそんなこと言ったっけ」

「言ったよ」

「あーあーあー、言ったような気がするなあ」

「それでどうなの? 私には言えないって」

「そ、そりゃあ、あれだよ、親友だから言えないこともあるってこと」

「親友だから?」

「そ、そうだよ」

「ふーん」

「なんだよ」


 年上でも年下でもなく先輩や先生でもなく私に言えない共通の知り合いでも無いということは。答えは一つ。


「それって私?」

「なななななに言ってんだ、お前!」

「当たり?」

「当たりじゃ…ないような…当たりのような」

道子の声が小さくなっていき顔がどんどん赤くなっていく。

「へーえ私かあ」

「いや、その、なんというか、あれだよあれ、親友として好きな、わけ、だよ」

「親友はそうだけど、好きってことは恋人として好きなんだよね」

「何言ってんだバカ」

「へーえそうかあ」

「変な風に納得すんな!」


 私のことが好きと道子から聞いて私は上機嫌になっていた。好かれるのは素直に嬉しい。


「どこから好きになってたの?」 

「どこからって、お前は優等生だし、あたしはヤンキーだし、違う人種だなと思ってたのに話してみたら面白くて、トルエンとか勧めても嫌がらなかったし、いいなーこいつと思ってたら好きになっちまったんだよ」

「ふーん」

「お、お前はどうなんだよ。気持ち悪いとか思わねえの?」

「私は別に思わないな。道子と一緒にいるの好きだし」

「そうなのかよ」

「うん」

「今更だけどトルエン勧めたりしたの悪かったな。不良にしちまって。なんつーか仲間が欲しかったんだよ、それでお前を誘ってさ」

「トルエン吸うの別に嫌じゃないよ」

「そうなん?」

「ふわふわして気持ちいいし」


 じゃあさ、これから家でトルエン吸わねえ? という道子の誘いに私は頷いた。トルエンが導く恋もあるんだなあと私は思った。そして道子の家でトルエンを吸い、私たちは薬剤臭いキスをした。それはトルエンよりも甘く痺れて頭がとろけそうになるほど気持ちが良いことだった。




(一応、了)

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