夢ともののけ
森本 晃次
第1話 夢ともののけ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
有原優香が小説を書こうと思ったのは、中学生の頃が最初だった。友達の中に、
「私、将来小説家になりたいの」
と言っていた人がいて、なぜか優香とウマが合った。
実際には優香が合わせていたところが大きかったのだが、そんなことを感じさせないほど優香にとってその友達とは違和感なく付き合うことができて、気が付けばいつも一緒にいたのだった。
その友達は性格的には天真爛漫であり、天然と言ってもよかった。自分から話題を見つけてきて話を始めるくせに、せっかく盛り上がってきた話を途中から変えようとするところがあり、まわりを困惑させることもあったが、
「ああ、ごめんごめん。悪気はなかったのよ」
と、まわりから指摘されても、悪びれることなく受け流してしまうので、誰も文句が言えない。
ある意味得な性格だとも言えるだろうが、本当の友達ができるはずもなく、まわりからは浮いた存在になっていた。
――もったいないな――
彼女の悪びれない性格を羨ましく思っていた優香には、そんな彼女の性格がもったいなく思えて仕方がなかった。
だが、逆に羨ましくもあった。
――友達が絶対にいなければいけないという理由はない――
と常々思っている優香には、彼女くらいの性格の方が適しているのかも知れない。
優香は知らず知らずのうちに彼女の性格を模倣するようになり、自分の性格を顧みることもなく、天真爛漫で天然なところを前面に出していった。そのせいもあってか、いつの間にか性格的に無理していたことが災いし、忘れっぽい性格になっていたようだ。
もちろん、本人にそんな自覚があるわけではなく、優香は一人でいることが多くなった。優香はそれでいいと思っていたが、最初の頃はそんな自分を客観的に見て、
――本当にこれでいいのかしら?
と考えるようになった。
中学時代は、友達の方が小説をよく読み込んでいて、優香はさほど小説を読んでいなかった。
「私、あまり小説を読み込んでいないけど、いいのかしら?」
と、友達に言うと、
「大丈夫よ。その方がオリジナリティがあっていいわ。なまじ私のように読み込んでいると、好きな作家の真似事になってしまって、納得のいく作品ができないもの」
と言われた。
「でも、好きな作家さんの小説に似ている方がいいんじゃないの?」
と聞くと、
「そういう人もいるかも知れないけど、私は嫌なの」
「どうして?」
「だって、私はサルマネはしたくないんですもの」
と言って笑っていたが、優香には彼女が何を言いたいのか、その時は分かりかねていたのだ。
――サルマネって、どういうことなのかしら?
と思ったが、その時はそれ以上あまり考えなかった。
ただ、優香は基本的に人のマネをするのが嫌いだった。どんなに優秀なものができたとしても、マネされた人を超えることはできないと思っていたからだ。それだけオリジナルを大事にする性格なのだろうが、中学時代にはそこまで考えが及ばなかった。
友達は、定期的に作品を完成させていって、
「最初に優香に読んでほしいの」
と言って、いつも最初に読ませていた。
彼女の作品を読んでいると、時々ドキッとするフレーズにぶつかることがある。それはきっと、
――自分が書くとすれば同じフレーズを書くに違いない――
と感じているからで、そのフレーズを見た瞬間、
――彼女には敵わないわ――
と、諦めが頭をよぎるのを感じていた。
その思いがあるからか、優香の方ではなかなか作品を完成させることができない。数行書いては気に入らずにまた頭から書き直す。優香には最初にプロットを組み立てて作品を書くということができないでいた。
「プロット?」
「ええ、小説を書くためのコンテのようなものね。あらすじを簡単に考えておいて、そこから次第に具体的なストーリーに仕上げていく、その時の過程がプロットと呼ばれるものなのよ」
と、友達が説明してくれた。
優香は、いつも最初の書き出しを思いついてから、いきなり書き始める方だった。
「書いているうちに、思い浮かんでくるものなんじゃないの?」
と優香は感じていたが、
「そんなことはないわ。ある程度書き込んできた人にならできる芸当なんだけど、初心者には難しいと思うわ」
普段の天真爛漫で天然なところが前面に出ている彼女のセリフだとは思えない。
「そんなものなのかしら? だけど私には、最初からストーリーを作っておくなんてことできないの。だから、書き出しだけでも思いついてから徐々にストーリーを継続させていくようにしないとダメな気がするの。だから、書き込んで来れば、逆にストーリーが思い浮かんでくるようになるんじゃないかって思っているの」
小説を書く基本があるとすれば、彼女の理論が基本になるのだろうが、全員が全員、同じ流れではないと思っている優香は、自分のやり方が自分には合っていると思っていたのだ。
「あなたは小説を書くということに関しては、真剣に立ち向かっているようなのね。私にはそんなあなたが羨ましく思うんだけど、そう思えば思うほど、自分とは違うと思えてならないの」
と優香がいうと、
「そうかも知れないわね。相手が正論であればあるほど、自分はその正論に逆らいたくなる。相手と同じでは嫌だという考えが芽生えてくるのかも知れないけど、その思いが強ければ強いほど、個性として表に出てくるものなのかも知れないわね」
と、彼女も言った。
彼女の小説は、青春小説が多かった。ライトノベルに近く、アニメの原作にも通用しそうな内容は、却って小説として読むことの方が新鮮に感じるだろう。
「アニメはアニメの世界がある」
優香はそう感じていた。
友達には内緒だったが、優香は小説よりもアニメの方により強い興味を持っていた。しかし絵心に関してはまったくひどいものなので、早々にアニメの世界を諦めていた。
「ビジュアルに訴えると、本当に正直に表に出てくるわね。残酷なくらいに出てくるので、アニメは見るだけの世界だって思うようにしているの」
友達が、
「小説を書かない」
と言ってくれた時、優香は正直躊躇した。
――絵心がないのでアニメを諦めたのに、いとも簡単に小説に気持ちが移るなんてこと、ありえないわ――
と感じていたので、
「ちょっと考えさせて」
と答えた。
友達は、想定外の答えだったはずなのに、
「そう、分かった」
と、必要以上なことを何も言わず、優香の返事を待っていた。
「私も小説を書いてみるわ」
と答えた時、
「それはよかった。私はあなたには小説が似合っていると思っているのよ」
と、かなりテンション高めに喜んでいるようだった。
「そう? 私は小説なんて、ほとんど読んだこともないのに、それでもいいのかしらね?」
と、最初の話に戻ってくる。
優香が小説をあまり読んだことがないという言葉の裏には、
――私は小説よりもアニメの方に興味があるのよ――
と言いたかった言葉をぐっと飲み込んでしまった様子が伺えた。
小説というものをどう捉えるか、中学生の優香には分からなかった。小説を書くことを勧めてくれた友達にも、優香の扱い方を模索しているところがあったが、小説執筆と一緒に考えることで、一石二鳥のように、優香のことを理解できるのではないかと感じるようになっていた。
優香の作風は、ミステリーが多かった。トリックを考えようとして中途半端に作品を仕上げるので、本人には不本意なようだったが、見てくれる友達には印象は悪くなかった。
小説を書くことを勧めてくれた友達以外にも、小説を読んでくれる人はいた。
友達の従妹に当たる人で、年は優香たちより一つ上だった。同じ学校の先輩でもあり、存在は以前から気付いていたが、そんな様子を優香はおくびにも出そうとはしなかった。
「麻美ちゃん、今日はどこまで書いたんだい?」
と、その従妹はよく友達の麻美に聞いていたのを、知らないふりをして、優香も聞いていた。
「私は、どうしても自分の気に入った作品が書けないと、人に見せるのが恥ずかしいタイプなのよ」
と麻美は言っていたが、従妹のお兄さんに対してだけは、素直に見せていた。
「今回の作品は、前より少し自分でも気に入っているのよ」
と、その表情は、見ているだけで感情が透けて見えてくるようで、優香には分かりやすかった。
「そうなの? じゃあ、楽しみだな」
と、先輩は本当に楽しみな顔をした。
先輩のその表情は、麻美の気持ちを思い図ってのことなのか、本当に小説を読むことが楽しいという思いが前面に出てのことなのか、麻美には分からなかった。
先輩は名前を翼という。麻美は先輩のことを、
「お兄ちゃん」
と呼んでいたが、優香は先輩のことを、
「翼先輩」
と呼んでいた。
先輩もそう呼ばれることを気に入ってくれたようで、優香も嬉しかった。
「お兄ちゃんはね、自分で小説を書いたりはしないんだけど、読むことは大好きで、書くことが好きだった私の一番の理解者でもあるのよ」
と、麻美は翼先輩のことをそう言って褒めていた。
その表情には、
「私はお兄ちゃんが好きなんだから、私のお兄ちゃんに手を出さないでね」
と言いたげに感じられた。
だが、優秀なお兄ちゃんを自慢したいという気持ちも十分に表れていて、麻美の翼先輩への想いに関しては、優香の考えすぎではないかとも思えた。
「私は、本当は小説や本を読むのが以前は嫌いだったの」
と、優香は言った。
そのことは麻美には分かっていたが、翼先輩には初耳だったようで、
「へえ、そうなんだ。それでも今は小説を書けるようになっているじゃない。それって、本当に素晴らしいことなんじゃないかな?」
と言ってくれた。
ただ、この表現は、優香に対しての言葉というよりも、小説を読んだこともなかった人が小説を書けるようになったという事実が素晴らしいと言っているだけにも聞える。
つまりは、優香に対してというよりも、相手は誰であっても、同じ言い方をしているのではないかということだった。
普通ならそれで十分なのだが、優香はそれだけでは満足していない。麻美が優香の前で翼先輩を自慢している姿を見ているから、そんな気持ちになったのだと最初は思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。
中学生になってから、優香は男の子を意識するようになった。それが世間一般にいう、――異性に対しての気持ち――
というものだという意識はなかった。
むしろ、
「世間一般と同じでは嫌だわ」
と感じていたくらいで、自分の気持ちをハッキリと分からない方が、その続きが広がってくるように思えて、内心ドキドキしていた。
小説を読んでいる時の翼先輩の姿や横顔は、贔屓見目に見ている優香には、眩しかった。同じように見ている麻美がどんな気持ちなのか、次第に優香は気になってきた。
――麻美も私のことを意識しているに違いないわ――
小説に対しての評価というよりも、まるで麻美と自分たち二人を値踏みされているようで、どこかくすぐったさもあった。
――恋のライバル――
と言ってもいいかも知れない。
少なくとも優香はそう思っているし、麻美も優香が感じるよりも先に感じていたことだと思っている。
先輩には、二人を値踏みする気持ちはサラサラなかった。だが、小説の批評に関しては、結構シビアなところがあり、優香が想像もしていなかった箇所に突っ込みを入れてきたりする。
そのたびにドキッとしてしまう気持ちが、小説を抉られた気持ちからなのか、それとも自分自身を抉ってきたように思う気持ちからなのか、ハッキリと分かっているわけではなかった。
ただ、批評を受けた部分を冷静に読み返すと、その作品では得ることのできなかった感覚を、自作に生かすことができるようになった。それが一番嬉しい。
なぜかというと、一つの作品を書きあげるとついつい満足感に浸ってしまい、自作への意欲がよみがえってくるまでに結構時間が掛かっていたりした。
その間に、小説への興味が薄れてくるかも知れないという危惧が頭のどこかにあるようで、若干ではあるが、心配していたことだった。
しかし、先輩の批評によって、自作への意欲が掻き立てられると、自分の気持ちを作品制作に継続性を持たせることができる。本当は他力ではいけないのだろうが、意欲を継続させるということの難しさを最近感じていたので、人からのアドバイスであっても、継続に繋がるのであれば、それは全然オッケーだったのだ。
その思いは自分だけが分かっているものだと思っていたが、どうやら麻美も同じことを感じているようだった。しかも、それを優香も感じているということも看破していて、優香も麻美から言われなければ、そのことに気付くことはなかっただろう。
「小説って人から評価されることの大切さをどれほど分かるかによって、書き続けられるかが決まってくるような気がするの」
という麻美のセリフを聞いて、気持ちの中では共鳴し、自分も同じようなことを感じていることが分かったが、それが翼先輩のことを指しているのだということにすぐには気付かなかった。
「そうよね、私も小説を書くようになってから、いつも焦っているのが分かっているの。小学生の頃、小説や本を読むのが苦手だったのは、文章を読み込んでいく時、どうしても先に結論が知りたいという欲求に駆られてしまって、ついつい状況を読まずに、セリフだけを読んでしまっていたのよ。だから、小説の場面を想像することができずに、読んでいてもその小説のどこがいいのかなど分かるはずもなく、何のために読んでいるのか、それすら分かっていなかったのよ」
というと、
「だから国語が苦手だったのね」
「ええ、テストに出た文章も、まともに読まずに最初に設問から見てしまう癖がついてしまっていたの。だから、設問の本当の意味が分からずに、答えもチンプンカンプン。だから国語は苦手だったのよね」
「優香がそんなに焦るようなタイプだって誰も気付いていないんじゃないかしら?」
確かに優香は、おっとりとしたところばかりまわりに見せている。当然焦って何かをしているような素振りを見せたことはないし、運動音痴なところなど、いかにもおっとりしている様子が見てとれた。
しかし、実際の性格と表に出ていることが一致しているかというとそうとは言い切れない人もいるだろう。特に運動と読書というまったく別の行動に対して、どこに関連性を見出すかなど、普通ならありえないことのはずなのに、優香に関してはその思いが強かった。
一つの理由としては、優香はテストを受けている時など、本当に真剣な表情をしながら受けている。そんな表情から、どこに焦りを感じられるか、担任の先生にも分からなかった。
ただ、テストの回答を見る限りでは、明らかに焦りを伴った回答になっていた。
――あの様子から、どこに焦りがあるというのだろう?
と担任の先生も感じていた。
実際に試験中など、問題文をしっかり読み込んでいる様子は見てとれる。何度も読み返しているように見えるのだが、分かって読み返しているわけではないということになるのだろうか?
いや、問題文よりも先に設問から読んでしまった時点で、優香の焦りは決定的なものであった。設問から勝手な想像を頭の中に抱いてしまって、そこから問題文に初めて触れるのだから、逆の順序で期待している回答が得られるはずもないではないか。
ただ、麻美は優香のそんな状況を分かっていた。だが、それを直接優香に言ったとしても、優香自身が自覚しなければ何の解決になるわけでもない。麻美が小説を書くのを勧めたのは、小説を読むことを間接的に勧めているようなものだった。
だが、世の中何が幸いするか分からない。麻美が勧めたことが優香を開花させることになるなど、その時の二人、いや翼先輩を含めて、誰が想像できたというのだろう。
優香は小説を含めて、芸術全般が苦手だった。苦手だということは嫌いでもあり、音楽、絵画、工作、そして文章を書くこと、そのすべてに自分の限界を感じていた。
だからと言って、他に得意なものがあったというわけでもない。勉強も苦手で、いつも成績はひどいものだった。小学生の四年生の頃までは、テストというといつも勉強を避けるようになっていて、勉強もせずにテストを受けるものだから、成績は最悪だった。
いや、勉強をしていたとしても、成績は最悪だったに違いない。授業中に聞いたことはノートに書いているが、書いたノートを見ても、全然頭に入ってこないのだ。つまりは自分が書いたことすら分からないほど忘れているということになるのだろう。
そんな優香が勉強をするようになったのは、五年生の頃からだった。友達の中に頭のいい人がいて、
「どうしてそんなに成績がいいの?」
と、他の友達に聞かれた時、
「素直に覚えようと思ったからかも知れないわね」
と言っていた。
優香はその言葉の意味が最初は分からなかったが、よくよく考えてみると、
――私は疑問から先に入ってしまうから、先に進まないんだわ――
と思うようになっていた。
最初に算数で感じた、
「一たす一は二」
という理屈。
先生から教えられたが、その理由については教えられたという意識がない。理由もなく、皆理解しているのを見ると、自分だけがおいて行かれたような気がしてきたのだろう。最初のきっかけを逃してしまうと、そこから先、進むはずがなかった。
それでも、点数はいつも零点というわけではない。最低の点数ではあったが、正解する問題もあったのだ。
――根本が分かっていないのに、他に理解できることがあるというのは、どういうことなんだろう?
根本が分からないことよりも、優香によって、算数の点数がいつも零点ではない事実にビックリしていた。
――根本が分かっていなくても、意外と何とかなるものなのね――
と感じていたからだ。
根本は基本という言葉と同意語に違いない。基本と根本、どちらが備わっていなければ先に進まないというのか、優香には分からなかった。きっと同意語であっても、どこかに違いがあると感じていたからで、基本という言葉をやけに強調する人はあまり好きになれなかった。
基本という言葉を、一般論だと考えたことがあった。優香の父親は、何かにつけて、一般論を口にしていた。
「普通の小学生は」
だったり、
「普通の中学生は」
と、いつも頭に、
「普通の」
という言葉をつけていた。
――普通っていったい何なのかしら?
と思わずにはいられない。
百人の人がいて、八十人近くの人が感じることが普通だというのだろうか。父親の話を聞いていると、どうしても、
「数の理屈」
だと思えて仕方がない。
「民主主義というのは、基本は多数決なのよ」
と、学校で社会の時間に習った。
普段はあまり授業中の先生の言葉を覚えていることは少ないが、この時の民主主義に対しての言葉は、なぜか覚えていた。
――基本って何なのよ――
と、基本という言葉に対して反応したからだったが、多数決という言葉にも反応したのは確かだった。
「先生、多数決というのは?」
と、質問した人がいた。
彼は成績が悪いわけではなかったので、多数決という意味を分かっていたのだろうが、質問をしたということは、先生に理屈として説明がほしいという思いがあったからに違いない。
「多数決というのは、決を採った中で、過半数を超えた方の意見を採用するという考え方だよ」
というと、
「じゃあ、決を採る内容が二つ以上あった場合はどうなんですか?」
と聞いた。
「この場合は、いくつか考えられるけど、一般的なのは、一番得票数の多かったものを採用するという考え方だね。でもね、それだと公正を期するという意味で中途半端だという考えのところでは、決を採った後で、一番得票を獲得した意見であっても、過半数に達していなければ、二番目に票を獲得した意見との間で、決選投票が行われるというやり方もある。そうすれば、必ずどちらかが過半数を超えることになるからね」
本当は、
「それでも同数だった場合は、どうするの?」
と聞きたかったのだろうが、この際、そこまでは問題としていなかった。
知りたいのは、あくまでも、
「どのように公正を期すかということ」
なのである。
優香はその話を聞いていて、どこか違和感があった。
――少数意見は、まったく無視されることになるのだろうか?
という思いがあったからだ。
ただ、決定しなければいけないことが山積している世の中で、多数決というやり方が一番しっくりくつやり方であることは認めなければいけない。そして、多数決というやり方も、昔の人が知恵を絞って考えたことだと思うと、ただ無意味な違和感を抱いているわけにはいかなかった。
――違和感を抱くには抱くだけのれっきとした理由が必要なんだ――
と感じた。
しかし、そう思えば思うほど、抱いた違和感がどんなものだったのか、忘れていく自分を感じていた。
ただ、優香は昔から、
「人と同じでは嫌だ」
という思いをずっと抱いてきた。
その理由を、小学生の頃によく言われた父親からの、
「普通の小学生」
という言葉が、どうしても引っかかるのだった。
父親と言い争ったことはなかった。親に逆らうことのない子供は、親の増長を許したかのようで、さらに父親は自分の言っている言葉に自信を深めたのかも知れない。
本当は逆らっているつもりなのに、どうしても逆らえない自分がいると感じた優香は、密かに心の中で抗っていることをなるべく表に出さないようにしていると、その思いが緊張を生んでしまうのか、
「人と同じでは嫌だ」
という性格に結びついてくるのだった。
優香が国語の問題を焦って読んでしまうのは、
――テストを受けている時、いつも何か他のことを考えているような気がする――
ということに気付いたことで、自分への考えが少し変わってきた。
優香はテスト自体嫌いではない。人と競争を余儀なくされるテストではあるが、優香は成績がそのまま自分の評価に繋がることは嫌ではなかった。
「勉強したことがそのまま結果として現れるのであればね」
と、優香は麻美に言ったが、
「そうね。その日の体調がよかったり、自分の集中して勉強したところが試験に出たりすると、成績もいいけど、体調が悪かったり、集中して勉強していないところがたまたま試験に出たりした時は、どうしようもない結果になってしまうものよね」
「テストなんて、一発勝負の博打のようなものかも知れないわね」
と優香が言うと、
「そこまで言ってしまうと身も蓋もないけど、極論はそうなのかも知れないわね。そう思うと、テストって理不尽な結果に終わってしまう人が必ず出てくると言えなくもないんじゃないかしら?」
と、麻美はそう言った。
「それでも、私はテストって嫌いじゃないの。本当に成績は悪いんだけどね。どうしてなのかしらね?」
と、漠然としてだが、その理由を分かっていると思っていたが、口から出てきた言葉は真逆な理屈だった。
優香は知らなかったが、翼も自分の父親に嫌悪を感じていた。時々麻美に愚痴のようなものをこぼしていたが、それは麻美が翼の話を嫌がらずに聞いてくれていたからだ。
「うちの父さんは、すぐに自分の考えを子供に押し付けようとするんだ。子供が何を考えているかなんて関係なくね」
と翼がいうと、
「おじさんがそんな人だなんて、見ていて分からないわよ」
と麻美は言い返す。
それを聞いて、翼は挑発的な気持ちになり、
「そりゃあ、表から見てればそう見えるかも知れないさ。だけど、あの人には自分なりの理屈があるらしく、それを押し付けてこようとするんだ」
もし麻美が何も言わずにただ聞いているだけなら、翼は愚痴をこぼすこともないだろう。麻美は話を聞くのを嫌がってはいない代わりに、翼の話の腰を折ろうとする。翼は自分が話したことを相手がただ聞いているだけなら、愚痴を言っている自分が完全に悪者意識に駆られるが、麻美のように反対意見を言ってくれると、それに対してこちらも反発ができる。
それが翼にとって、愚痴を言うための大義名分であるかのようで、自分としても話しやすかったりする。
麻美の方としても、翼の話を聞くのは嫌ではなかった。自分も自分の父親に対して、大なり小なり不満があり、翼の気持ちも分からなくもない。翼の話を聞きながら、自分一人で、
「うんうん」
と頷いている姿が思い浮かぶようで不思議な気分になるのだった。
子供の頃というと、父親に対して、誰もがそれなりに不満を持っているものなのかも知れないが、優香のように、
「自分の意見を押し付けられている」
と、考えている人がどれほどいるだろう?
とにかく、父親の存在がウザいと思っている人はいても、その理由まで考えたことのある人がどれほどいるというのだろう。理由を考えないということは、そのうちに気付けば父親に対する不満が消えているとでも思っているのだろうか。
もしそうであるとすれば、優香には信じがたい考えであった。
優香は最初に書いた小説の中で、主人公が父親に対して感じている不満があることを書いたが、その内容までは記していない。
家族構成を描く中で、
「頑固に自分の意見を押し通そうとする父親」
という表現を使ったが、そのことが、主人公が抱いている不満につながっているという意識で読める人がどれだけいるというのだろう。
人に読ませる主旨の小説ではないので、言いたいことを思い切り表現すればいいのに、なぜ遠慮してしまったのかを考えると、
「やっぱり、どこか誰に見られているか分からないという気持ちが強くあったのかも知れないわ」
と感じていた。
確かに、自分やそのまわりの親しい仲間内だけで読むための小説を書いているので、書きたいことを書けばいいはずだった。しかも、父親に対しての不満を抱いているということは、今までに何度もまわりの人に宣伝していたはずである。それをどうしていまさら隠そうとするのか、自分でもよく分かっていなかった。
「下手に書いて、それが父親の耳に入ったらどうしよう」
と、思っていたのかも知れないが、小説を書く醍醐味は、
「自分の心の中に隠してきた思いを爆発させることだ」
と思っていたはずなので、父親の耳に入ってしまうことを考えるのは、どこか矛盾していることのように思えてならなかった。
実際には矛盾していることではない。もしこれが矛盾だというのであれば、考え方の時系列が自分の意識と違っているということになるのではないかと思った。
優香は、それから少しして、
「考え方の矛盾と、時系列との違い」
という発想で、新しい小説を書いた。
その時には、思っていることを包み隠さずに書いたつもりだったので、
――ひょっとすると、これを読んで不快に感じる人は結構いるかも知れない――
と感じたのだ。
自分の意見を押し付ける人というのは、結構まわりにいたりするものだ。その人は自分が他人に自分の考えを押し付けているつもりはないのかも知れないが、そばにいる人間には押し付けられたという印象しかない。
それが親子の間であれば、余計に気まずくなってくるというものではないだろうか。人によっては、
「親子なんだから、すぐにそんな蟠りも消えるよ」
という人もいるが、そんなことはない。
親子だからこそ許せない部分がお互いにあって、歩み寄ることができずに平行線を保ったまま、決して交じり合うことはないのだ。
親子だから蟠りが消えるなどと言っている人を優香は好きにはなれない。確かに言っていることは当たり前のことなのだが、その当たり前のことがうまく行かないのがこの世の中である。
そのことを分からずに、
「親子だから、蟠りが消える」
などと言っている人は、優香から見ると、
――まるでお花畑にいるかのようだ――
と感じてしまう。
何と幸せな性格なのかと思うのだが、そんな人から受ける説教など、最初から聞く耳を持っていない。
そんな自分のことを、
――素直ではない――
と感じていたが、それも最初だけだった。
「自分に素直にならないと」
と、父親が自分に説教したことで、その思いはあっという間に吹っ飛んでしまったのだ。
優香が小説を書けるようになったのは、半分はそんな父親への反発の気持ちからだった。それまでの自分の考えをすべて否定されているように思ったことで、優香は少し超著不安定に陥った。
それが思春期に入りかけの頃だったので、精神的な成長と、肉体的な成長のギャップの狭間で、精神が大人になりきれずに苦しんでいる時、迷いを抱かせる感情を、父親によって埋め込まれた気がしたのだ。
そんな時、優香は翼と一緒に歩いている時、見てはならないものを見てしまったのだ。
あれは、翼と麻美と三人で遊園地に出かけた時のことだった。その日は学校の創立記念日で、他の人には平日だったが、優香の学校だけが休みだった。
「こんなことって一年に一回だけのことだから、普段祝日や日曜日で多くて行けないところに出かけてみようよ」
という翼の提案で、
「だったら、遊園地がいいんじゃない?」
という麻美の意見で決着した。
優香も麻美が口に出さなければ自分が言葉にしていたと思っていたが、行動力という点で、麻美に劣っていた。本当は控えめではないはずなのだが、麻美と一緒にいると、まわりから優香の評価は控えめに見られているようだった。
「うんうん、それがいい」
と、優香は嬉しそうに言ったが、それは自分も言うつもりだったということに対しての自己満足であった。
他の人であれば、
――先に言われてしまった――
と感じ、喜んだりはしないだろう。
だが、優香はここで喜ぶような女の子だった。もっとも、相手が麻美だから喜べるのであって、他の人であれば、喜んだりはできない。いくら友達だと思っていても、麻美との間ほど親密ではないので、きっと喜んだりはしないだろう。
「遊園地なんて、久しぶりだわ」
と言ったのは麻美だった。
優香も小学校五年生の頃に家族で出かけたのが最後だった。その時の記憶はかなり昔のように思えたが、麻美に先に言われてしまうと、またしても、言葉を飲み込んでしまう優香だった。
優香は麻美と翼との遊園地を楽しみにしていた。今までは家族でしか来たことがない遊園地だったが、正直、優香にとっての遊園地は、お世辞にも楽しいものだったとは言えなかった。
休みの日の予定を決めるのはいつも父親だった。
休みの日の恒例は街に出かけるのが一番多く、百貨店に出かけることが一番多かった。今では百貨店も昔のような家族で出かけるところではなくなっているのに、なぜか父親は百貨店が好きだった。
優香には二歳下の弟がいるが、弟も、
「何で毎回、百貨店なんだよ」
と愚痴を零していた。
優香も自分に愚痴を零されてもどうしようもないと思いながらも、弟に対して苦笑いをするしかなかった。優香は父親に対して反発する反面、弟に対して、
――大切にしてあげよう――
という思いを強く持っていた。
優香は母親も好きではなかった。何かあるごとに、
「お父さんの意見を聞いてみないと」
と、最後はお父さんに丸投げの形になっている。
さらに、子供が何かをしでかすと、
「お父さんが何て言うか」
と言って、決して母親は自分の意見を言わない。
そんな母親を見て優香は、
――なんて優柔不断なんだ――
と感じていた。
母親を見ていて、自分の意見がどこにあるのか、感じたことはなかった。すべてが父親の指示の下の行動で、
――まるでお父さんの言いなりじゃないか――
と感じていた。
その思いを優香よりも弟の方が強く感じていた。そういう意味で、弟は母親を軽視していて、それは女性という人種すべてに言えることのように感じているようだった。優香の場合は違っていて、
――あんなお父さんだから、あんなお母さんしかついて来れないんだわ――
と感じていた。
弟のようにすべての男女を両親に当て嵌めて見ているわけではなく、両親のような男女が一緒にいることは無理もないことだと感じているのが優香の考えだった。
だが、優香はもちろん両親ともに嫌いだった。弟のように男女全体を見ることができればもっと違った目で両親を見れたのだろうが、優香にとって親というものは、他の男女とは違った特別なものだと考えていたのだ。
弟の考えは次第に変わってきて、男女すべてひっくるめるようなことはなくなってきた。優香の考えに近づいてきたとも言えるが、その距離は、まだまだ隔たりがあった。優香の考えも極端で、
――一旦誰かを嫌いになると、とことんまで嫌いになる――
という性格でもあったのだ。
父親に対しては特にそうで、どんなに自分が大人の考えになろうとも、父親の考え方に近づくことはないと思っていた。
それは、母親の存在も大きかったのは否めない。なぜなら、自分がこのまま父親の考えに近づいたりすれば、父親の考えの影響力を受けて、母親のように父親の言いなりになりかねないと考えたからだ。
思春期に入ってきた優香は、自分が思春期に入ったことを自覚していた。精神的なものというよりも、先に肉体的なものが思春期を感じさせ、無意識のうちに身体が暑くなったり、疼いてくるような感覚に陥ったりしていた。
精神的には何ら変化がないのに、肉体だけが反応するというのは、明らかに思春期の兆候だと優香は感じた。
別に思春期に対して勉強したわけではないが、中学に入ってから読んだ小説の中での思春期の少女の気持ちに似たところがあった。
その頃の優香は、まだ本をまともに読める感覚ではなかった。どうしてもセリフから先に読んでしまうところがあったので、普通の小説は読めないだろうということで、まずはライトノベルから入ることにした。
思春期が読む恋愛小説は、アニメ番組の原作になりそうなもので、読んでいるうちに引き込まれてくるのを感じた。読みやすいという感覚もあり、セリフが多いのも優香にはありがたかった。
「思春期のライトノベルを見る少女の感覚って、男の子がヒーロー特撮ものを読む感覚に似ているのかも知れないな」
と、翼は言った。
「俺も、小学生の頃は、特撮番組を見ては、原作のノベライズを読んだものだよ。アニメにしてしまうと、せっかくの特撮の効果がなくなってしまうからね。そういう意味では小説って、想像力のたまものでもあるんだよ」
と言っていた。
優香がノベライズであっても小説を読むきっかけになったのは、この時の翼の話からだったと言っても過言ではない。
翼の言うことは、結構前から真剣に聞くようになっていた。その分、他の人の言うことをなかなか信用しないところがあり、
「子供にしては、あまり素直ではない」
と言われていたところでもあった。
だが、優香は自分の感じていること以外を信用しないところが昔からあった。少しでも疑問に感じたところがあれば、それ以上のめり込むことはなく、一歩下がって考える方だった。だから勉強も苦手で、疑問に感じてしまうと、そこから先に進むことはなかった。
父親への反発も、そんな意識からなのかも知れないと思っていたので、翼が自分の父親に対して嫌いなところがあるなどと最初は信じられなかった。
――私とは違うところで、父親への嫌悪があるに違いないわ――
と優香は感じた。
優香は、翼に父親のことを振れることはなかった。それなのに、どうして翼が自分の父親を嫌いだということを知っているのかというと、翼がその話を麻美にしているところを偶然聞いてしまったからだった。
麻美と翼は従妹同士なので、それぞれの親のことは知っていることだろう。そういう意味で麻美に話をしていたのだと思っているが、麻美はその話をまともに聞いていたとは思えなかった。
翼は真剣に話をしていたのだが、麻美はどこか話を聞いているというよりも、はぐらかしているという雰囲気を感じた。麻美にしてみれば、そんな話を聞かされたとしても、自分にどうすることもできるはずもなく、聞かされるだけ損だと思っていたことだろう。
しかも、話は知っている相手の愚痴である。最初こそ相談だったのだが、話しているうちに次第に愚痴になってくる。翼としては自分が愚痴を言っているということを自覚はしていないだろうが、客観的に見ていれば、愚痴以外の何者でもなかった。聞かされる麻美もかわいそうだったが、聞いてもらえない翼もかわいそうに感じられた。ある意味、客観的に見ている優香も、かわいそうな一人なのかも知れない。
翼の父親も、優香の父親と同じように頑固なところがあって、相手に自分の考えを押し付けているようだったが、優香が本当に嫌いな父親へのイメージと、翼が感じている父親への一番嫌いなイメージとでは、若干どこかが違っているように思えた。
相手が違う人間なのだから、それも当然のことなのだろうが、まだ思春期に入りたての優香にはその違いがどこから来るのか分かっていなかった。ただ、自分と同じように父親への不満を密かに抱いている人間が、こんなにもすぐ近くにいたなどということを感じただけで、どこか頼もしく感じられるようになっていた。
優香が翼の言うことをずっと信じてきたというのも頷ける。無意識にだが、自分の中で翼に対して同類のように感じていたということなのだろう。
思春期になると、そんな翼に対して別の感情が生まれてきたことを優香は意識していた。ただそれがどこから来ているものなのか分かっていなかったので、それが恋心だとは気付いていなかった。
翼も優香が今までと違う目で自分を見ているのは分かっていたが、その感情がどこからくるものなのかが分かっていなかった。それなのに、分かっている人が一人いた。それが麻美だった。
麻美は自分が誰かを好きになるという感情は抱いていなかった。思春期になっていて、身体は大人のオンナになりつつあるのだが、感情が身体についてきてはいなかった。その代わり、自分のまわりで感じさせる意識に関しては敏感で、特にずっと一緒にいる優香や翼に対して、敏感に感じていたのである。
――優香は、翼のことが好きなんだ。でも、翼は優香の気持ちに気付いていない――
というところまでは分かっていた。
もし、翼が優香の気持ちに気付いていて、お互いに恋愛感情を持っていたとすれば、麻美はどう感じただろう?
麻美は、
――私は人のことをよく分かるので、その分、自分のことがよく分かっていないんだわ――
と感じていた。
優香と翼の関係を客観的な目で見て分かっているつもりになっているので、自分は完全に蚊帳の外だと思っている。だが、ずっと二人を客観的な目で見ることができるかと言われれば自信がなかった。ただ、翼を異性として意識できるかと言われれば、
「意識するには、今までずっと一緒にいすぎた」
という思いが強く、異性として意識することはないだろうと感じていた。
中学時代というと、誰にでも初恋の経験があるのではないだろうか。
「俺には、初恋なんかなかった」
という人もいるだろう。
しかし、そんな人は初恋をしていることに、その時気付いていなかったのだろう。だが、いずれ気付くことになるのだが、それが何年後かは、その人によって違う。気付いたとしても、
「だから、何だって言うんだ」
という人もいるだろう。
初恋の思い出として頭の中に残しておくには、あとから気付いたものはかなり難しいのではないかと思うのは、数年後の翼だった。
翼は女の子には結構モテた。思春期特有のギラギラとした視線や、背伸びしたいと思う感情は、翼の中では皆無だった。
「翼君には、ギスギスしたところがないから、人当たりもいいので、話しやすい」
と、同年代の女の子から人気があったのだ。
人畜無害という言葉が彼にはピッタリだろう。ただ、翼のまわりに優香と麻美がいることで、皆遠慮していた。二人に対して嫉妬するほど、翼のことを男として意識する女の子はあまりいなかった。
「翼君は、友達としては最高だけど、彼氏にしようとするなら、少し物足りない気がするのよね」
と、何を勝手なことを言っているのかと思うような話が、麻美や優香の知らないところで交わされていた。
そのおかげで、翼に対して女性の間でぎこちない関係になったりすることはなかったのだが、人気があるわりには、女性から告白されたりすることのほとんどない翼を見て、優香は少し寂しさすら感じていた。
優香はそんな翼のことを自分の小説に書こうと思っていた。本当であれば、物足りないと思っている人を小説の題材にするなど、まだ初心者の優香にとって、かなりの難問に違いないのだろうが、下手にくせのある人を題材にすると、勝手に物語が先行してしまって、「収拾がつかなくなってしまうのではないか」
と、優香は考えていた。
翼のことを書こうと思うと、自然と自分や麻美のことも書かなければいけなくなる。優香はなるべく自分のことを小説には書きたくなかった。
優香は自分の書く小説は、あくまでもフィクションであり、架空の物語として描きたいと思っていた。ただ、すべてが架空の物語を書くなどというのは、度台無理なことだというのは分かっていた。
「木を隠すには森の中」
という言葉もある。
ウソを隠すには、それ以外のことを実にリアリティに伝える必要があるということも理解しているつもりだった。
優香は架空の小説を書くにしても、その中に自分の経験や感じたことを織り交ぜなければ作ることができないと思っていた。
以前、小説を書けないと思っていた時は、完全に架空の話にこだわってしまい、そのためにまったくストーリーが浮かんでこなかった。最初に少し思い浮かんだとしても、そこから先はまったくの未知数。書き始めてすぐくらいは、何とか発想を膨らませて書くことができるが、膨らませた発想を収拾するには、リアリティが必要だった。
優香は、そのことを分かっていなかったのか、架空にこだわってしまい、作品の根本から目を背けていたような気がした。
優香の小説は、最初は誰にも見せることはなかった。
――人に見せるなんて恥ずかしい――
と思ったからで、小説を書いているのは、誰かに読んでもらいたいからだという思いから、完全に矛盾したものだった。
矛盾が頭の中にあると、どうしても殻に閉じこもってしまう。人に見せたからと言って、別に何かを言われるわけではないと思っているのだが、逆に何も言われないということの方が怖い気がした。
――内容が分からないから、何も言わないんだ――
と思えてならない。
理解されないことが、書いていて一番の寂しさではないだろうか。人に読んでもらいたいという思いは自分に自信がついてからだと感じていたが、果たして自分に自信がつくことなどあるのだろうか。
優香が人に小説を読んでもらえるようになったのは、書き始めてから半年も経ってからのことだった。
「半年でここまでできれば十分だよ」
と言ってくれる人もいて、
「だったら、最初から見てもらっていればよかった」
と返事をした。
それは、下手だった最初の作品から、半年が経ったその時の作品と時系列で見てくれていて、その成長ぶりを自分以外の人が証明してくれるという意味での言葉だったが、その本当の意味を、聞いた相手は分かってくれただろうか?
半年経ってやっと自分でも、
「これなら人に見てもらってもいいかも知れないな」
と感じたわけで、逆に言えば、
「そろそろ人に見てもらわないと、その機会を逸してしまうことになりかねない」
という思いがあったのも事実だろう。
最初はゆっくりと書いていこうと思っていた。そのくせ、小説を書き始めるのは、いつもちょっとした書き出しのアイデアが思いついた時だった。前の小説を書いている最中に思い浮かんだことであれば、その時書いていた小説を書き終えてからすぐに取り掛かっていた。そのため、読み直しなどすることもなく、新しい作品に取り掛かるため、新しい作品を書くために、前の作品は中途半端な状態で終わってしまうことが多かった。
そのため、どこかに発表するということも、投稿するということもない。
――前に書いた作品を読み返してみよう――
と感じたのは、やはり小説を書き始めてから半年が経ってからだった。
そういう意味で小説を書き始めてから半年のこの時期、優香にとって小説を書く意味を見つけたのだと言える時期なのかも知れない。
最初に小説を書きあげるまでに、結構かかった。これは時間という意味ではなく、
「いろいろやってみて、やっとしっくりいく書き方ができた」
という意味の、
「かかった」
である。
最初は、どこの作家もやっているようなパソコンの前に座り、文章を打ち込んでいく作業から入ったのだが、なかなか思うような文章が書けない。打ち込むのに必死になっているせいか、書いていて、何をやっているのか分からなくなってきていた。
次にやってみたのは、昔の作家のように、机の上に原稿用紙を置いて、マス目を埋めていく作業だった。数行書いては納得がいかずに、クシャクシャに丸めてゴミ箱にポイ捨て。いかにも明治の文豪を思わせるやり方だった。
だが、これも数行書くと、先が続かない。続かないわけである。数行書いた時点で、作品が完結してしまうからだ。
完結する作品は、作品と呼べるものではなく、起承転結が数文字で終わってしまっている。描写もなければ、感情も含まれていない。これでは小説などと呼べるものではなかった。
優香が小説を書こうと思ったのは、麻美がいたからだった。麻美は小学生の頃からよく本を読んでいて、
「私もこんな小説を書けるようになれればいいのにな」
と言っていた。
「そんなに本って面白いの?」
と優香が聞くと、
「最初はそんなことなかったんだけど、一度読み始めると止まらなくなるの。マンガなんかよりも、私は小説の方が面白いと思うわ」
という麻美の言葉の意味を、優香は分かっていなかった。
だが、一度騙されたつもりでミステリーを読んでみると、これが結構面白い。やはり想像力を掻き立てる作品は、マンガには出すことのできない魅力を秘めていたのだ。
そんな優香が小説を自分でも書けるのではないかと思ったのは、読み進むうちに時間を忘れて本の中に入り込むことができたからだ。
優香はよく麻美から、
「あなたの発想は奇抜なところがあるわ。まるで『小説よりも奇なり』という言葉がピッタリと嵌るようだわ」
と言われていた。
本当は、天然なところがある優香に対して、半分皮肉を込めての言葉だったのだが、優香はそれを素直に受け止めた。この言葉を素直に受け止められる時点で、優香に天然なところがある証拠だと言えるだろう。
優香には乙女チックなところがあり、それまで見ることのなかった少女マンガも、抵抗なく見るようになった。
優香が少女マンガを見るようになって、気になった作家に、明治時代を背景にした作品を描いている人がいた。明治時代というと文豪がたくさん生まれた時代でもあり、優香自身詳しくはないが、それぞれの文豪は知り合いで、自分の作品や自分の性格を鼓舞しながらも、まわりの人も認めるというようなストーリー仕立てのマンガが好きだった。
その漫画家は女性で、女性の視点から男性の文豪を描いた。しかも、女性が描く絵なので、美少年に描かれている。以前からマンガをあまりよく思っていなかった優香だったが、その理由の一つが、あまりにも登場人物の男性を、美少年に描きすぎているというところにあった。
しかし、その作品の中で、彼らは文豪としての知性と教養を秘めている。実際の作家たちの肖像画は、年を取ってからのものなので、青年期を想像したこともなかった。だが、文豪というだけで、青年小説家を思い浮かべると、少々行き過ぎた描写になっている美少年であっても、優香には許された。
彼らの様子を想像しながら、優香は明治時代の街の風景に思いを馳せる。もちろん、そんな時代を知っているわけではないが、図書館で見た明治時代を描いた絵画などを見ていると、何となく想像ができた。ただそれも、都会と呼ばれるところの風景であり、田舎の風景はなかなか思い浮かばない。昭和初期の絵画で田舎の風景が残っているのがあったので、その後継を頭に描くにとどまった。
マンガの内容は、最初文豪同士の友情物語なのかと思っていたが、途中から数人の女性が登場することで、一気に恋愛マンガへと変化してくる。今までの優香が知っている小説や漫画で、このような一気に変化を遂げる内容のものは知らなかったので、読み進んでいくうちに止まらなくなった。
そのマンガは、まだ連載中で、最後どうなるのか、誰も分からない。
――作者すら分かっていないかも知れない――
と思うと、何かワクワクするものがあった。
――私も、ワクワクするようなストーリーを書きたいわ――
と思うようになった。
だが、小説はマンガと違って、表情もなければ情景もない。すべてが作者と読み手の想像によるものなので、そのどちらも同じとは限らない。
逆に同じであるはずがないだろう。別の人間なのだから。
優香は想像力を働かせてマンガを読んだ。マンガなのだから、描写も表情も備わっているのに、想像力を働かせたのだ。
――どこに想像力の入り込む隙間があるというのか?
優香にも分からなかったが、何も考えずにマンガを読んでいると、気が付けば想像力を働かせていたのだ。
――よく分からない――
自分の行動がよく分からない。マンガを読んでいる時であっても、何も考えていないなど、今までの優香からは考えられないことだった。
優香は、絶えず何かを考えている人間だと自覚していた。何も考えていないと思った時でも、ふと我に返ると、何かを考えていた。
何を考えているか分からないがら、何も考えていなかったように思うだけで、我に返った時に、すべてを忘れてしまうのは、本当に何も考えていなかったのかも知れないと思ったが、我に返ること自体、何かを考えていた証拠だと思うようになっていた。
最初はマンガばかりしか見ていなかったが、途中から小説も読むようになった。
――小説を読むのは苦手――
と思っていたが、確かにセリフだけを選んで読んでしまっていることも多かった。
本当は面白い小説なのかも知れないのに、セリフばかりしか読んでいないと、面白味が分からない。だからマンガに走ってしまうのだろうが、一度小説を飛ばさずに読むと、今度はマンガでは満足できなくなってしまった。
小説を書きたいと思ったのは、マンガを描くだけの自分には絵心がないというのをw飼っていたからだ。小説であれば、慣れれば文章を書くくらいならできると思うようになっていた。
だが、実際に小説を読み込んでいくと別の考えが頭をもたげてきた。
――小説って、想像力のたまものであり、読み手と作者、それぞれで想像力を発揮しなければ成立しないが、その二つが決して一緒になることはない――
と思うようになっていた。
――一緒になることはないが、お互いに気付かないところで、近づいて行こうという意識がどこかに存在しているように思えてならない――
と感じるようになったのは、小説を書けるようになってからのことだった。
――そう感じたから、書けるようになったのかしら?
とも思うようになった。
小説を書くというのは、想像力を働かせるという意識は最初からあったが、想像力という言葉に漠然とした曖昧な意識しか持っていなかったのに、多面的な要素を含んでいると感じるようになったことで、小説の奥深さが感じられるようになったのだろう。
奥深さが感じられるようになってからも、想像力という言葉に漠然とした曖昧さを拭い去ることはできず、書きながら追い求めている時、読み手も自分と同じような発想を抱くであろうことを感じずにはいられない。
きっとこれは、
――作家としてのエゴなのだろう――
と感じたが、そう思って、以前読んだマンガの明治時代の文豪を思い返してみると、その時には感じることのできなかった別の考えが浮かんできた。
すると、そのイメージが自分の小説への創作意欲に結びついてきて、
「今度は明治の文豪を自分の小説に登場させたいのよ」
と麻美に話すと、
「それは面白いわね。小説家が小説家を描くというのは難しいと思っていたけど、優香になら書けるんじゃないかって思うわ」
と言われた。
「どうしてなの?」
と聞くと、
「優香は想像力という言葉を他の人と別の視点から見ることができるので、きっと面白いものが書けるような気がするわ」
と言われた。
麻美には、想像力について、読み手と作者の両方に存在するもので、それぞれが違っているという思いを話したことがあった。
「当たり前のことのようだけど、それを口にできる人ってなかなかいないと思うの。優香はそういう意味では貴重な存在だわ」
と言われ、
「そう言ってくれると嬉しいわ」
と、優香は素直に喜んだ。
「人ってね。自分の思っていることをなかなか口にできるものではないのよ。下手なことを言って、嫌われたらどうしようって思うからね。優香もそうなんだって思うけど、優香の場合は、それでも口にしないと気が済まない性格なんじゃないかって私は思うのよ」
という麻美に対して、
「そうなのかしらね。自分ではそんな意識はないんだけど、でも、口にした後で後悔することって結構あったわ。口にしなければよかったってね。でも、最近ではそこまで強い後悔はないの。やっぱり、麻美のいう通りなのかも知れないわね」
と優香は言った。
麻美の言葉にはいつも感心させられる。優香が思ってもいないことを口にしてくれることもあれば、あとから考えると、
――ひょっとすると、私も最初から自覚していたことなのかも知れないわ――
と思わされることがあり、新しい発見のような新鮮さを麻美の言葉は与えてくれる。
それを思うと、麻美という存在は、ただの友達というだけでは済まない存在に思えて仕方がなかった。
麻美も優香に対して同じようなことを感じていた。
優香は麻美に対して、麻美が優香に対してしてくれる助言のようなことを口にしているとは感じていない。実際に優香の言葉が麻美の中で何かの変化を生むということは稀にしかない。二人が親友だということを考えれば、その頻度は実に少ないものだと言ってもいいだろう。
そう思うと、優香は麻美から、
――私は与えられてばかりなんだわ――
と感じ、どこか後ろめたさが麻美に対してあった。
それが遠慮のようなものになり、たまに優香が麻美に対して見せる他人行儀な態度は、そんな気持ちを反映しているのかも知れない。
もちろん、優香にそんな自覚があるわけではないが、麻美には優香の他人行儀な態度が許せない時があった。
そんな時、麻美が取る態度は、それまで優香が知っている麻美とはまったく違った人になっていることで、優香には戸惑いしかない。そんな戸惑いを感じた麻美は、さらに優香に対して許せない気持ちを煽るのだが、そこまで来ると麻美の許せない気持ちはピークとなり、次第に沈静化していく。二人のそんな関係は、ある意味では、
――小説よりも奇なり――
と言えるのではないだろうか。
優香の小説に出てくる男性主人公のモデルは、もちろん翼だった。なるべく翼には分からないようにさりげなく書こうと思っていたが、麻美には看過された。
「これって、翼のことでしょう?」
麻美は、誰にも知られないようにわざとヒソヒソ話で優香に話した。
優香の方としては、そこまでかしこまってヒソヒソ話にならなくてもいいと思っていたが、麻美がヒソヒソ話をすることで、元々それほど必死に隠すつもりはなかったものが自分の中で必死になっているという自覚を持つようになった。
この自覚は錯覚だったのだが、麻美はそのことを分かっていた。分かっていて優香にわざと必死さを植え付けようとしたのだが、それは麻美が優香に対して後押しをする形になり、恋のキューピット役を買って出てくれたかのようにも思えた。
しかし、考えようによっては、単に優香の心を惑わせて、翼との仲に亀裂を生じさせようという思いもあったのかも知れない。どちらにしても、その考えは両極端であり、麻美が敵なのか味方なのか、優香には分からなかった。
当の翼は何も言わない。
優香の前で何も言わないだけなのか、それとも麻美に相談でもしているのか分からない。それを確かめるすべのないことは歴然としていて、優香にとって、実に悶々とした精神状態にさせられた。
優香は麻美に正直には言わない。麻美もまさか優香が正直に話をしてくれると思ってはいないだろう。だが、二人は親友だと思っている。もし、麻美が優香に対して、自分が指摘したことを煙に巻くようなことをすれば、どう思うだろう?
――親友だっていうのに、水臭い――
というくらいには感じるだろう。
優香の場合は感じたからと言って、だからそれが何だというわけではないが、人によっては、その気持ちが嵩じて、相手への感情が変わってくることも往々にしてありえることではないだろうか。特に親友だと思っていればその気持ちは強くなる。優香としては、麻美が必要以上に何も言わないことにホッとしている反面、
――本当に親友だって思ってくれていないんじゃないかしら?
という不安に駆られていた。
これが他の人であれば、それほど気にすることはないのだが、麻美に対して口でも、
「二人は親友だよね」
と言い合ってきた仲だった。
特に、麻美の方からこの言葉を口にすることが多く、麻美の方が親友という感情に敏感になっていることは分かっていた。
「可愛さ余って、憎さ百倍」
という言葉があるが、優香はそれを気にしていた。
好きな相手であればあるほど、独占したいという気持ちがあったり、相手が他の人を見てしまうと、嫉妬に駆られたりするのも無理もないことだと思っていた。
当の優香も、麻美が他の人と仲良くしていれば、嫉妬に駆られるに違いない。今まではお互いにそんなことはなく、平穏に過ごしてきた。ただ、二人の間に翼という男性が介入してこない間は、平穏に過ごせてきた。もし、二人のうちのどちらかが翼を好きになったら、あるいは、二人ともが好きになった場合、修羅場が予想されるのは、その時だけ他人事のように思ってしまうからだろう。
また、二人にその気はなくとも、翼の方がどちらかを好きになるという可能性もある。翼の行動一つで、優香と麻美の二人の関係は一気に崩れてしまうこともありえるだろう。そうなってしまうと、その原因がどこにあるのか、優香にはすぐに理解できないような気がした。すぐに理解できないと、解決策も後手後手に回ってしまい、時間が経てば経つほど、困難さが増してくるように思えてならなかった。
今回表に出て分かっていることとしては、優香が翼を気にしていること。そしてそのことに麻美が気付いているということだった。
だが、その時の優香には気付いていなかったが、順序が若干違っていたのかも知れない。優香が翼を意識するようになったのは、本当は麻美に指摘されたことで、それまで眠っていた自分の気持ちが起こされたという可能性もないではない。麻美に指摘されたということを優香の中で大きな事実として捉えていることで、それがきっかけだったのか、それとも誘因だったのかが曖昧になってしまった。そのせいで優香は、自分の本当の気持ちがどこにあるのか、分からない状態になっていたのだ。
――本当に私は翼のことが好きなんだろうか?
小説のモデルに翼を描けるというのは、ひょっとすると、本当の恋心を抱いていないから描けるのではないかとも思う。
本当に好きだったら、完璧な小説が書けるわけではない自分に、好きな人を題材にして書けるわけはないという思いも、優香の中にあったのだ。
確かに翼は初恋の人ではあった。
気が付けば翼のことを好きになっていて、
――これが初恋っていうんだわ――
と優香は感じた。
ただ、
――初恋というのは、実現するものではなく、儚く散ってしまうものなんだわ――
という思いが強かったのも否めない。
それだけに、初恋が終わったと思った時期に、目の前からその相手が消えるわけではなく、友達として一緒にいるわけなので、初恋自体が、
――本当に初恋だったのかしら?
という思いに囚われるのも仕方のないことだろう。
ズルズルというのは違うのかも知れないが、いつもそばにいる翼を意識しないわけにはいかない。特に思春期になってから、優香も翼を見る目が変わった。当然相手も思春期なので、自分を見る目も変わっていた。ただ、それは女性全般に対して言えることで、自分だけに対してだけ見る目が変わったわけではない。当然、相手には麻美も含まれるわけで、自分以外の女性の中に、麻美を含めていいのかどうか、優香は考えていた。
もし、自分以外の女性の括りに麻美を除外するとすれば、優香は明らかに麻美を意識しているということになる。それは女性としてのライバル心であり、嫉妬や妬みでもある。親友だと思っているだけにそんな気持ちに陥りたくないと思っている優香は、麻美との距離を若干おいてみてしまっている自分に気付いていた。
それは麻美も同じだった。
麻美も優香との距離を一定に保っていた。それは思春期に入るまでとはまったく違って、お互いにぎこちなくなっていた。
――思春期を抜ければ、また前のように親友として仲良くなれるわ――
と、優香は思ったが、その感情は甘いのではないかという思いもあった。
ただ一つ言えることが、麻美が自分にとって他の誰とも違う感情を通わせることのできる相手であり、これは永遠に続いていくものだと信じているということだった。
――麻美だって、そう思っていてくれているはず――
と優香は思っていたが、確証まではなかった。
それだけに思春期の微妙な感情と相まって、麻美に対しての感情は、ある時を基点として、微妙に変わっていたと言えるだろう。
麻美は、翼に対して恋心を抱いていたわけではなかった。優香も自分で感じていたほど、翼に対して感情を深く持っていたわけではない。お互いに思春期のぎこちない時間を過ごしていると、いつの間にか麻美と優香は、距離が安定していて、その間に翼が入り込むことがなかったからだ。
優香の書く恋愛小説は、決していつもハッピーエンドというわけではなかった。
ハッピーエンドに見える結末も、どこか甘酸っぱい感覚があり、読み手のどこかに疑問を呈する何かを余韻として残していた。
逆にハッピーエンドではない結末であっても、そこに別れが存在しているわけではない。別れというシチュエーションがあっても、それは主題ではなく、別れ以外の何かが主人公の男女の間に存在する終わり方になっていた。
どちらにしても優香の小説は、
「一度読んだだけでは理解できないわ」
と、読み手に言わせる小説であり、優香にとって、
「それは私にとって、最高の褒め言葉よ」
と言わせるだけの効果があった。
それは言い訳ではなく、本心から言っていた。読み手に何度も読み返させるというのは、書き手にとっての、作家冥利に尽きるというものである。なぜなら、最初に読んだ時と、読み返した時とでは、最初に理解できた内容も、違った発想で受け入れられるかも知れないからだ。それだけ読み手が増えると、読み手の数だけ発想も想像力も変わってくる。それこそが小説というものではないだろうか。
「優香の小説には、角度によって見え方が違っているような感じがするわ。まるで絵を書く時の被写体を見ているような気がするわ」
というのは、麻美の意見だった。
翼も優香の作品を読んでくれてはいたが、何も言わない。主人公が自分をモデルにしているということを分かっていて、敢えて何も言わないのか、それとも、これが彼の性格なのか、ずっと一緒にいた優香にも分からなかった。
――やっぱり意識しているのかしら?
――意識していることで、いつも一緒にいるのに分からないことがあるというのは、きっと時間をかけて考えても、理解できることではないに違いないわ――
と優香は感じていた。
優香は何作目かの小説で、自分の妖精を描いたことがあった。自分が妖精になるというよりも、誰かを気にすると、その人のために妖精になるというストーリーだ。
優香自身は意識していない。それは優香の夢でだけ演じられ、夢であるがゆえに、優香は目が覚めてから覚えていないのだ。
しかも優香が妖精になって現れる相手は、その人が今まで優香を意識したことのない人である。つまり、優香が一方的に意識する人であり、その人が何か助けを求める様子を少しでも示せば優香は、その人のために妖精になって活躍するという話だった。
人というのは、意外と無意識のうちに、
――誰でもいいから、私を助けてほしい――
と思うようである。
それは、ほとんどの人がそうであり、例外はないと感じるほどだった。
最初優香にはピンとこなかったが、
――考えてみれば、相手が誰でもいいと思うと、助けを求める気持ちも開放的になるのかも知れないわ――
と感じた。
つまりは、誰にでも他力本願で助けを求める気持ちを持っているが、相手を限定してしまうと、どうしてもその気持ちを内に籠めてしまう。その人に悪い印象を持たれたくないという気持ちからなのか、それとも単純に人に自分の後ろめたさを示すことが嫌なのか、どちらにしても、人は心の中では絶えず誰かに助けを求めているのだと、優香は悟っていた。
それは、自分が妖精になるという力がなければ分からないことだった。その時に優香が感じたことは、
――どうして私なんだろう?
という思いだった。
小説の中のフィクションでありながら、書いていくうちに、なぜ自分が主人公として選ばれたのかということを、小説の中で明らかにする必要があるのかどうか、考えてみたが、その結論は出てくるわけもなかった。
――そのことを考え始めると、そもそも私が小説を書いているということの大義を証明しないといけないような気がする――
そうなると、堂々巡りを繰り返してしまうようで、
――考えること自体がナンセンスなのではないか?
と感じるようになった。
優香の中に小説を書くという意義や大義などという大げさなものがあるわけではない。しいていえば、
「書きたいから書いているだけ」
としか答えようがない。
これは誰にでも答えられることであり、誰もが答えることだった。
「他の人と同じでは嫌だ」
という思いを強く持っていて、小説もオリジナルを書くことを目標にしているので、ありきたりの答えは嫌だった。
それなら、
「他の人と同じでは嫌だから」
と答える方がもっともらしい答えだった。
というよりも、これが正解だった。それは優香も理解しているつもりだ。しかし、これを口にすることを控えている。これを口にしてしまうと、自分の中で、
――何かの言い訳をしているようだ――
と感じるからだった。
言い訳などというはずもない。優香自身が言い訳だとは思っていないからだ。もし他の誰かが、
「言い訳なんじゃない」
と言い出せば、それも分からなくもないが、そんなことを言う人などいるはずがないと思っていることで、優香は、言い訳という言葉が重たく感じられるようになった。
――言い訳という言葉自体が、何かの言い訳のようだわ――
と、まるで禅問答のような気持ちになるが、考えてみれば、自分の考えていることのほとんどは堂々巡りを繰り返していて、
――堂々巡りこそが、禅問答のようなものなんじゃないかしら――
と思っているのも事実だった。
優香は、小説を書きながら、絶えず何かを考えている自分を感じていたが、その時に得た一つの結論が、
「堂々巡りは、禅問答だ」
ということだった。
小説を書き進めていくうちに、最初は皆が皆、自分に助けを求めていると思っていた。その都度、夢の中でその人の妖精となって現れ、その日、いや、その夢一回だけで、その人の苦しみを救ってあげる妖精となっていた。
妖精に助けられたその人は、夢で助けられたという意識はあるが、その妖精がどんな顔だったのかということまでは覚えていない。ただ夢の中で、
――この人とは初めて出会った――
と感じているだけだ。
優香が妖精となって夢に出現できる人が、相手が優香を意識していない人だけなのか、それとも意識があっても、夢の中だけは別世界として仕切りを立てている人なのか、それに関しては言及していない。ただ優香は書きながら、相手が自分を意識している人だけが妖精になって現れることができると思っている。
もっともそう感じることで、皆が皆自分に助けを求めているということへの証明のように感じられるからだ。優香は無意識のうちに自分の中の夢を、何とか整合性のあるものにしようと考えているに違いなかった。
小説には、
「起承転結」
というものがあり、優香は「承」の段階までやってきていた。
――「転」をどのように描こうか?
と考えていたところで、一つ感じたのが、
――今度の登場人物が、決して助けを求めない人にしてはどうだろうか?
と考えた。
「転」という発想はそれまでとは違う、大どんでん返しのようなものを描くのだと思っていた。テーマを根本から覆す内容になったとしても、それはありえることではないだろうか。
優香は、自分が意識した人が、今までの人と同じように夢の中に登場し、自分がいつものように妖精になって、
「私はあなたを助けに来ました」
と、まるで聖母マリアにでもなったかのように告げていた。
(ここから先は小説の中の優香の話なので、第一人称は優香ということにします。あしからず)
小説の中の優香になりきって書いているので、その瞬間は、書いていて一番気持ちが盛り上がるところだった。だが、盛り上がりすぎてはいけないところでもある。あくまでも冷静になって、相手を見る。ただ、その時に相手を見下しているという意識だけはどうすることもできず、仕方のないことだと思っていた。
それなのに、
「助けに来た? って、僕はあなたにそんな助けを求めましたか?」
とその人は言った。
彼は、大学生くらいの男性で、見た目どこにでもいる青年だった。
特別に清潔感があるわけでもなく、ギラギラとしているわけでもない。かといって、何を考えているか分からないというような人でもなく、ただ一人が似合っているというだけの人だった。
そんな人が今まで優香の目に留まることはなかった。優香が気にする人は、気になるだけの理由がどこかにあった。
どこかに哀愁を感じたり、助けを求める目がいつもこちらを向いていたり、意識している人でなければ、優香の夢に出てくるはずはなかった。
それなのに夢に出てきたということは、
――意識していないつもりでも意識していたのかしら?
と感じた。
しかも、
「私はあなたを助けに来ました」
と、何の抵抗もなく口にできたのだから、これまでの人と違いが分かるほどの違和感があったわけでもないだろう。
そう思うと優香はその男性が、
――なぜ私の夢に出てきたの?
という思いが強くなってきた。
そこに優香の意志が存在しているわけではなく、言い方は悪いが、相手が優香の夢に土足で踏み込んできたと言えるのではないだろうか。
夢と現実が交錯する中、優香はその男性が何を言いたいのか考えてみた。
優香は、その時、自分が夢を見ているということを次第に悟ってきた。
――夢の中なんだから何でもありよね――
という思いもあった。
夢というのは、優香が勝手に見ているものではあるが、優香の意志が本当に伝わっているのか、自分でも分からない。それは、夢を見ている自分が夢の内容を信じていないという証拠なのかも知れないが、夢を見ているという自覚を感じるのは、目が覚めた時だというのは、夢の中で知られたくない何かを自分で感じているからなのかも知れない。
夢というのは眠っている時に見るものであるが、ほとんどの場合、目が覚めるにしたがって忘れていくものである。
特にいい夢というのは、目が覚めてから覚えていることはほとんどなく、
「ちょうどいいところで目が覚めてしまった」
と、目が覚めた瞬間、夢の中の自分が至高の時を迎えていたということは分かっているのだが、その内容はまったく覚えていない。
だが、悪い夢だったり、怖い夢というのは、その内容を覚えている。過去に経験した思い出したくない思い出を見ていることが多く、そんな時も、いつもちょうどのところで目を覚ましていた。
だから、悪い夢から目を覚ます時は、
「ちょうどよかった」
と感じるのだろうが、それ以上に、そんな夢を見たということが頭の中に強く残っていて、目が覚めた瞬間、逃れられたという思いから、ひょっとすると、目が覚めたのは、ちょうどいい瞬間だったと、感じてしまったのかも知れない。
その感情があるから、いい夢を見た時も、ちょうどいいところで目を覚ましたという意識があり、潜在意識として残ったのではないだろうか。
優香の夢に出てきたその青年は、優香に対して反抗的な態度を取っていた。しかし、優香の中で、
――この人は何でも知っているのではないか?
と思っていて、優香も知らないことを、優香の夢の中に封印しているのではないかとさえ思えた。
「あなたは私を助けに来てくれたと言いましたが、私の何を助けようというんですか? 私は助けを求めた覚えはないと言っているんですが?」
という彼に対して、
「私は、今まで私の夢に現れた人は、皆私に助けを求めにやってきたのだと思っていました。実際にそうだったし、私はその人を夢の中で確かに助けたんです」
と、優香は言った。
優香は自分の言葉がいろいろ矛盾を孕んでいるように思いながらも、自分を正当化させようと必死になっているように思えた。
――どうして私はこんなにも高圧的なんだろう?
自分を何様だと思っているのか、もし自分がその相手だったら、どう思うだろう?
きっと相手にしないに違いない。まるで聖母マリアにでもなったつもりだというのか、それこそ怪しげな宗教団体ではないか。
――人を助けるなんて言葉、これほど胡散臭いと思うことはないのに――
と思った。
人を助けるには、その人の身になって、その人がどのような苦しみを抱いているかをその人と同じ目線で理解しなければいけない。人によっては、他の人が見ていて辛いと思えることでも、敢えてその道を選ぶ人もいる。何とかその状態を維持しながら頑張っていこうとしている人にとっては、助けなどおせっかい以外の何者でもない。
ただ、優香は自分の中に入り込んできた相手も、優香の夢の中に土足で上がり込んできたという意識を持っていた。
――用がないのなら、どうして私のところなんかに?
と考えた。
だが、少し考えると、
――待てよ――
と思った。
優香は、彼が自分の夢に土足で上がり込んできたと思っているが、先ほどの彼の話を思い出せば、
「あなたは私を助けに来てくれた」
と最初に言っていたではないか。
彼とすれば、優香の方が、彼の夢に入り込んできたと思っているのかも知れない。お互いに見ているのは自分の夢で、相手が自分の夢に入り込んできたと思っている。
――だから、話が噛み合わないんだわ――
と、優香は思った。
だが、優香の意識としては、彼の方から自分の夢に入り込んできたとしか思えなかった。なぜなら、助けを求める人が誰なのか、優香には分からないからで、助けを求めている人が自分の夢に入り込んでこない限り、その人と会うことはできないと思ったからだ。
夢の中で、そんな人が存在したということは夢から覚めて覚えているのだが、実際に助けることができたのかということは覚えていない。だが、助けられなくて後悔したり、助けることができて、満足したという意識はない。満足することよりも後悔することの方が印象に強く残っているだろうという思いから、
――解決してあげられたんだ――
と感じるようになっていた。
次第に自分に助けを求めにくる人の夢を見ることが多くなった。だから、夢の中に現れた人に、
「私はあなたを助けに来ました」
という表現を使うようになっていた。
これは、他の人から自分の夢に入り込んできたと感じる感覚と矛盾したものである。理屈では、
――相手が自分の夢に入り込んできた――
と思っているのに、夢の中では、
――自分がその人を助けに来た――
と考えているのだ。
これは、夢の中の自分と、目が覚めてからの自分とでは使う頭の回路が違っていることを示しているのか、それとも夢の中の自分と、目が覚めてからの自分では、まった別の人格を有していることで、
――別人なのではないか――
と感じていた。
夢の中に現れたその男性、意識しているうちに気が付けば夢から覚めていた。
夢から覚めたのに、優香はその男性との会話も、その時に感じたこともハッキリと覚えている。
――この人は私にとって、疫病神のような人なんじゃないかしら?
とも思った。
ここまで鮮明に覚えている夢というのは、悪い夢に違いないと感じるからで、忘れることがないのは、
――忘れてしまうことを単純に怖いと思っているからだわ――
と感じた。
――あの人の何が怖いというのだろう?
確かに高圧的な態度だが、怖いという感覚ではない。むしろ、印象深く心に残ることで、安心感まで含まれているような気がする。
「どちらかというと、僕の方が君を救ってあげられるんじゃないかって思うほどだ」
と言われた。
「私の何を?」
と聞くと、
「自覚がないようだね。人に何かをしようとする人は、同じことを他人からされることには案外と疎いものなんですよ」
と言っていた。
「つまりは、私は相手にしようとしたことを、逆にされていたと?」
「そうかも知れませんよ。助けてあげると言いながら、却って助けられていたりしてね」
「助けられているなんて意識ないですよ」
「誰だってそうなんじゃないかな? 助けを求める気持ちなんて、そう簡単に表に出したりはしないんですよ。それを感じるということは、それだけ自分も誰かに助けられたいという感情を持っているからなんじゃないでしょうか?」
彼の話にも一理あった。
優香は彼の言うことを認めたくないという気持ちがあった。その気持ちの中には、
――この人は、私のことを私よりもよく知っているのかも知れない――
という予感めいたものがあったからだ。
感じたことを、予感と思うのは、
――まだ、この段階では、私のことをすべて知っているわけではないような気がする――
と感じたからであって、自分の前に現れたのも、
――本当は知らない部分を知りたいからなのではないか?
と思ったからで、無理なことを考えているように思っているくせに、案外と信憑性を感じているのは、それが夢の中で感じたことだからなのではないだろうか。
夢から覚めた主人公は、夢の内容をほとんど忘れていた。しかし、男性が出てきたことと、自分が人を助けるために夢に入り込んでいるということ、そして、彼は助けを必要としていないということだけは覚えていた。
だが逆にいうと、
――本当にそれだけしか夢に見ていないのかも知れない――
とも思えてきたのだ。
忘れてしまっていると思うのは勘違いで、本当は最初から辻褄の合う夢など見ていないだけなのかも知れないと思うと、ちょうどいいところで目が覚めたというインパクトを感じさせた理由がそこにあるのではないかと思えてならなかった。
「夢というのは、続きを見ることができない」
という考えも、優香の中にあった。
特に、途中のいいところで目を覚ました夢など、その途中から見ることができればどんなにいいかと思うのだが、実際にはそんなに都合がいいわけではない。逆に夢というものがそんなに甘くはないということを示しているのだ。
だが、優香はこの小説を書いていて、
――もう一度、この青年を登場させよう――
と考えた。
しかも、シチュエーションは夢の続きなのだが、肝心の主人公が夢の続きだということを意識していないで夢に突入していた。
しかし夢が進んでいくうちに、その夢がこの間見た夢の途中から見ているということに気付くと、その青年の表情が、ハッキリとしてくることになる。
夢の最初は漠然と、
――以前にも似たような夢を見たような気がする――
というもので、その青年も、
――どこかで見たけど、どこでだったかな?
と、夢の中でのことなのか、それとも現実世界でのことなのかが混乱してしまって分かっていなかった。
だが、今度は最初から自分が夢を見ているということを自覚していた。今までも夢を見ている時に、
――これは夢なんじゃないか?
と感じることもあったが、そのほとんどは途中から思うことであって、今回のように、最初から夢を見ていると思うことは、本当に稀なことだった。
それなのに、すべてが漠然としていた。
目の前にいる男性の顔もぼやけていて、見えているはずなのに、目を背けると、今まで見えていた顔を忘れてしまっているような気がするのだ。
――こんな感覚、夢でしかありえない――
という感覚もあり、これが夢であるということを自覚できているのだろう。
夢のことを考えていると、現実世界との境界線がどこにあるのかを考えてしまう。自分が夢の中にいる時の方が考えがまとまるような気がしているので、今回のように最初から夢を見ていると感じている時の方が、考えがまとまるような気がした。
どうしてそう思うのかというと、
「冷静になれるから」
というのが、主人公の考え方だった。
夢の中の自分の方が、現実世界の自分よりも落ち着いている。別に現実世界の自分が落ち着いていないというわけではないが、ある時、急にキレてしまうような精神状態に陥ることがあった。どういう時に陥るのか、共通性は分からないが、そんな状態が少しでもある自分がお世辞にも、
「落ち着いている」
とは言えないと思った。
夢を見ていて感じることのもう一つは、
「夢を見ているのが、もうひとりの自分である」
ということだ。
夢には主人公である自分が出ている。それを自分だという意識を持って見ているのだが、それは主人公がそのまま自分だという理論の元に感じることであり、もし、夢に出てくる主人公が自分でなければ、どうなのかということを考えたことがなかった。
だが、最近一つ感じるのは、
――夢を覚えていないのは、夢に出てくる主人公が自分ではない場合があるからなのではないか?
と思うことだった。
優香はこの考えを、かなり前から持っていた。小説を書き始める前から感じていたのは確かなのだが、具体的にいつごろのことからなのか、ハッキリとは分からない。
だが、夢を見ている自分はあくまでももう一人の自分でしかない。夢に出てくる主人公でないとしても、自分は夢の中のどこかにいるのだ。主人公でない自分を、もう一人の自分が見つけることはできないと感じた。だから、目が覚めて覚えていないのだし、夢を見ている自分がもう一人の自分だという発想に、他の人は行き着いていないのではないかと思うのだ。
こんな話を他の人としたことはなかった。翼や麻美ともこんな話はしたことがなかったような気がする。二人とは結構いろいろな話もするし、夢の話もしたことがあったが、夢を見ている自分がもう一人の自分だという発想を誰にも話したことがないのは、
「きっと話をしている時は、そのことを忘れているからに違いない」
と思っているからだった。
優香にとって夢というのは特別で、麻美と夢について語り合った時、最初こそ、話が噛み合っていたのだが、途中から少し話の展開が変わってきたことで、急に話をしているのがぎこちなくなり、どちらからともなく話題を変えたのを覚えている。
優香は、
――麻美の方が、話を変えたんだわ――
と思っているが、麻美の方では、
――優香の方が変えた――
と思っていた。
このことを後になってから言及することはないので、お互いに蟠りの気持ちを残したまま、あまり夢の話をすることはなくなっていた。
「夢の話って、結構タブーが多いよね」
というのが、翼の意見だった。
翼も彼なりに夢についていろいろ考えるところがあるようだが、翼は夢に対して、
―ー神聖で犯してはならない領域――
と、考えているようだった。
優香は自分の夢の中に、いつも翼が出てくるということを意識していた。麻美も結構出てくるが、麻美よりも翼の出現率の方が多い。
一つの夢のすべてに出てくることもあるような気がしたが、それよりも、覚えている夢のすべてに彼が出てきていると感じる方が強かった。
――翼のことを覚えているから、忘れていないのかも知れない――
とも感じたが、それはあくまでも優香の都合のいい解釈であり、夢の中に出てくる翼が、本当に普段自分の知っている翼なのかという疑問も残っていた。
怖い夢を見たという記憶の中で、一つ気になっているのが、
「夢の中で、もう一人の自分が現れて、主人公である自分を追い詰めていた」
というシチュエーションであった。
夢を見ている自分とは別に、主人公である自分を追い詰める自分。本当に自分なのか、夢を見ている自分には、別人に思えていたのに、主人公である自分が、
「もう一人の自分だ」
と感じたことで、夢の世界は主人公である自分に支配されていた。
夢の世界は元来、主人公として君臨している人が支配して当たり前の世界だ。そんなことは当然のことであり、
「何をいまさら」
と自分に言い聞かせるが、夢から覚めた時には覚えていない。
ふとしたことで思い出すのだが、思い出した瞬間に、またすぐ忘れてしまう。そんな夢の中での堂々巡りが、優香の中で覚えている夢と、覚えていない夢とを切り分けているように思えた。
小説の題材にするには、結構難しいものである。論文形式になってしまいそうで躊躇したが、
「論文形式のような部分があっても、別に問題ないんじゃないか?」
と思うようになると、小説を書いていきながら、文章の途中から、先の文章が思いついてくる。
気が楽になったと言ってもいいだろう。
――もっとも小説など、考えながら書いていたら、先に進まない――
と思っていた。
昔の文豪が原稿用紙をクシャクシャに丸めて捨てている様子を見ると、行き詰っていることが分かる。文章のいい悪いは別にして、思ったことをいかに書きとめることができるかということが大切なのではないかと思うのだった。
「おや?」
主人公は、もう一人の自分ばかりを見ていて気付かなかったが、自分の夢に出てきたこの不思議な男が、机に座って何かを書いているのを見た。
――何を書いているんだろう?
その男は、和服を着ていた。
その様子はまるで明治時代の書生を思わせた。明治の文豪と呼ぶには少しイメージが違ったが、不思議とその書生姿が様になっていた。
もう一人の自分がすぐそばで小説を書いているのだが、その書生の姿に気が付かない。
――私が見えているだけで、二人はそれぞれの存在を見ることができないんだわ――
と思うと、なるほど、これが夢であることを悟ったかのようだ。
主人公が書いている話は普段から自分が気にしている内容の恋愛小説のようだった。まわりに誰もいないと確信できるからこそ筆が進んでいる。少しでも誰かがいることを意識すると何もできなくなる主人公だった。
主人公が小説を書けるようになったのも、まわりに誰もいないところで書けるようになったのが最初だった。
今でこそ、少し騒がしいくらいでなければ書けなくなったが、最初は人を意識してしまうと何もできなかったのだ。
どうしても人の目が気になる。
「自分のことなど、誰が気にするというのか」
と確信に近いほどの思いがあるにも関わらず、いったん小説を書き始めると、絶えず誰かの視線に晒されているように思えてならない。
そもそのそのあたりから矛盾していたのだ。
小説を書こうと思った時、自分の中にある矛盾を一つ一つ解決していかないと書けないのだと思った。
だが、逆に小説を書くことで、自分の中にある矛盾が一つずつ解消されていくという考えもあった。それこそ矛盾である。
この考えは、大元の小説を書いている優香に言えることだった。小説を書きたいと思うようになってから、どうしても書けない時期がずっと続いていたが、その理由が自分が感じている矛盾にあるということに気付いた時、何となくではあるが書けるようになるのではないかと思うようになった。
優香は小説を書いている時、
――まるで夢を見ているようだ――
と感じた時が何度かあった。
その根拠は、小説を書いている間のことを、書き終わってから思い出そうとしても、なかなか思い出せないからだ。
――それだけ自分の世界に入り込んでいるんだわ――
と思っていた。
それは、自分が作り出した世界なのか、それとも、潜在的に有している、自分だけにある空間ではない世界なのか分からなかった。だが、思い出せないということは、それだけ集中しているということであり、決して悪いことではないと思うのだった。
だが、一気に書いてしまうのであればそれでもいいのだが、長編になると、一日で書けるものではない。何日も何十日も掛けて書くものだから、書き終えるまで覚えておかなければいけないことも少なくはない。
書いていて辻褄の合わなくなることも往々にしてあった。今回の小説の続きを書いているつもりで、実は前回の小説の続きを書いているということもあった。
――完結させたはずなのに――
と思うのだが、完結した瞬間、前の話が頭の中からリセットされたというのであれば、それも分からなくはないが、中途半端に残ってしまっているから始末に悪い。しかもせっかく完結させた話とはまったく違う結末に向かってしまっているというのはどういうことなのか、優香の悩みは尽きなかった。
優香は今も小説を書く時、同じ悩みを抱えていた。それでも、書いている時、自分の世界に入り込んでいると思うのは悪いことではなかった。
――忘れてしまうのは仕方のないこと。逆に忘れるという意識がなければ、私に小説なんか書けるようになるはずなかったような気がする――
と感じていた。
何かを手に入れるには、何かを犠牲にする。
優香は自己犠牲をあまり良しとはしていなかったが、無意識のうちに行っていることであれば、それも仕方のないこととして受け入れようとしていた。それが小説を書ける代償であるなら、仕方がないというよりも、甘んじて受け入れるしかないと思っていたのだ。
優香が小説を書いている時、夢の中にいるように感じているのは、その時に書き終えた瞬間から、書いていた時間帯のことを忘れていると思ったからだけではない。優香には小説を書いている時、もう一人誰か近くで同じように何かを書いていることを意識していたからだ。
それは自分ではない。もう一人の自分を感じるのは夢の中だけのことなので、小説を書いている時に、
「夢の中にいるようだ」
と思っているのであれば、それはもう一人の自分であるはずだ。
――いや、もう一人の自分であるべきだ――
と優香は考える。
もう一人の自分であるはずだという断定的な言葉は、夢に対して使ってはいけないように思えた。そういう意味で、断定ではなく断定に限りなく近い確定的な表現を考えると、
「べきだ」
という言葉が一番ピッタリではないだろうか。
優香がこの小説を書いていて、もう一人の自分とは違う誰かが、小説を書いているというシチュエーションを敢えて考えたわけではない。夢を見ているという感覚が最初からあると、自分の考えは夢の中ではすべてが受動的なもので、自らが考えたものではないと思える。
だから優香は自分で書いている小説の中で、誰かが小説を書いているという話ではあるが、頭の中にもう一人の自分を意識していたのだ。
もう一人の自分を意識した時点で、それは夢の中にいるという意識が働いてしまう。そう思うと優香は、
「これが、夢の中で小説を書いているのか、それとも夢を見ているという小説を書いているのか分からなくなった」
と感じていた。
優香にとってその二つは、どの方向から見たとしても、矛盾していることに変わりはなかった。
「夢の中にいることと、小説を書いている時間とでは、切っても切り離せない何かが存在している」
と思っているからだ。
だから、それぞれの中に、もう一方を入れ子にしてしまうということは、その時点で矛盾していることになる。優香はその自覚は持っていた。
優香が書く小説は、最初の頃、矛盾に満ちていた。
「分かりやすくて誰もが読めるような小説にしたい」
と考えていた。
なぜなら、
――自分が読んで読みやすい小説だったら、書けるような気がする――
と思ったからだ。
実際に読みやすい小説家の小説を模倣して書いてみたのだが、これがまた難しい。人のマネをするのがこんなにも難しいことだというのを、小説を書くということで実感するとは、優香は思ってもいなかった。
人のマネをする人を、優香は好きにはなれない。モノマネというジャンルのプロには一定の尊敬の念を持っているが、それ以外で、人のマネをしてみたり、人が作ったものをマネて作ろうとしたりする人を、優香の中では、
「許せない」
と感じていた。
自分がやらないのはもちろんのこと、そんなことをする人を軽蔑もするし、その人の気持ちを推しはかろうなどと最初からしようとも思わない。
――自分とは別の世界の考え方だ――
と思えればいいのだろうが、それだけでは自分の中の虫が許さない。
――どうしてこんなにイライラするのかしら?
人のことなので、放っておけばいいのに、人のマネをすることが自分の特徴でもあるかのように考える人を思うと、無駄に自分の身体に力が入ってしまうのを感じていた。
まるで発熱した時のように身体がブルブルと震える。そんな状態の中で、汗を掻いているはずなのに、なぜか汗がしたたるようなことはない。ただ、身体が焼けるように熱い。まるで熱が上昇中の身体のようだ。
身体の中は寒気を感じているのに、身体の外には熱が放出されている。
「熱があるのに、どうしてブルブル震えているのだろう?」
という単純な疑問に、どうして誰も陥らないのだろう。
きっと、誰もが陥ったことはなくとも、熱が身体に籠ってしまった時に自分の身体がどうなるのかを、潜在的に知っているのかも知れない。
もう一人の自分の近くで小説を書いている青年。彼がどんな小説を書いているのか、優香は気になってしまった。
優香は自分の小説の登場人物であるその青年を実はよく分かっていない。
――とにかく、誰か一人登場させよう――
という程度にくらいしかその青年を書き足すことに意識を止めることはしていない。
その青年に対してどのようなイメージを持つかというのは、小説を書いていて、書きながらイメージしていた。
これは今回に限ったことではなく、今までにも何度も同じような経験をした。
優香は小説を書くのに、最初亜Kらプロットのようなものを立てて書くようなことはしなかった。
――最初から小説というものをうまく書けるようだったら、プロットを組み立てて書いていたかも知れないわ――
と感じていた。
小説を書くことができるようになるまで、何度も試行錯誤を繰り返してきた。
最初は原稿用紙を机の上に置いて、自分の部屋の勉強机で書こうと思っていた。
だが、原稿用紙を見つめていると、頭の中に何も浮かんでこないことが明白になってきた。どうして思い浮かばないのか、まったく分からなかったが、
「視点を変えてみればいい」
と、何かに行き詰った時のアドバイスを誰かが誰かにしているのを聞いた時、
――他の場所でやってみるか――
と考えた。
そこでやってきたのが、学校の図書室だった。ここでなら静かだし、集中するにはもってこいだったはずだ。しかし、静かすぎて今度はちょっとした物音にすら敏感になっている自分に気付いた。そしてすぐに気が散ってしまい、
――かしこまってしまっているんだ――
と感じることで、図書館も自分の場所ではないことに気付いた。
次にやってきたのが、ファミリーレストランだった。ファミレスの窓際に腰を下ろし、さすがにまわりの人から原稿用紙を広げているのを見られるのが恥ずかしいと感じたのか、レポート用紙を使うようにした。
元々原稿用紙は縦書きだったのだが、レポート用紙を横書きにして書くようにすれば、思ったよりもスムーズに書けるようになっていた。
――これはいいかも知れない――
ファミレスだと、少しうるさいのさえ気にしなければ、かしこまった様子もなく、気軽に寛げる。図書館のように、ちょっとした音でも敏感に反応して、ドキッとしてしまうのであれば、集中どころではないからだ。
しかも、ファミレスというところは、いろいろな人がいる。表を見れば、それこそ無表情で歩いている人ばかりなのだが、その思いがさまざまだと思うと、勝手な想像が浮かんでくるから不思議だった。
――人間観察というか、絵を描く時のようなデッサンとイメージすれば、文章はいくらでも出てくるような気がする――
と思えてきたのだ。
実際にはそこまで都合よく文章が頭の中に出てくるようなことはなかったが、人間観察を重ねることで、少しづつ文章を書くことができるようになってきた。
――要は継続が問題だったんだ――
数行で結末を迎えるような文章、中身のない文章しか書けなかった自分が、今ではウソのようだと思えていた。
小説を書いていると、書きながら、次第に先の展開を想像することができる。逆に言えば、想像することができなかったので、小説を書くことができなかったのだと言えなくもない。
優香は小説の中で、小説を書いているその人がどんな小説を書いているのかを、本当はあまり表に出すつもりはなかった。しかし、ちょうど彼が登場したあたりでいったんその日の執筆を終了し、睡眠を摂った時、その時に夢の中に小説に登場させたその人が夢の中にも登場したのだ。
最初、それが夢だと思っていなかったこともあり、その人は実在の人物だという意識があった。
その人は寡黙で何も語ろうとしない。優香はそのことが気になっていたのだが、まわりの他の人は、彼のことを意識している人などいないようだった。
――どうして、こんなにも目立っているのに、誰も意識しようとしないのかしら?
と優香は感じたが、
――ひょっとして、他の人には見えないんじゃないかしら?
と感じると、今優香が見ているのが夢ではないかと感じるようになった。
夢だと思うようになると、その人の存在を打ち消さなければいけないという意識が頭をもたげた。なぜなら、その人の存在を打ち消さなければ、優香は今見ている夢から覚めることができないと思ったからだ。
つまりは、
――眠ったまま起きることがない――
という感覚だが、本当にそんなことがあるのか、夢の中だからこそ生まれた発想なのだという思いもあった。
それこそ矛盾が作り出した発想であり、だからこそ、夢を見ているのだと言えるのではないか。
優香は小説を書いていて、自分が小説の世界に入り込んでいるという意識を持ったことはなかった。逆に書き終えて我に返った時、
――さっきまで小説の中に入り込んでいたんだ――
と感じていた。
つまりは、小説を書いている時に感じたことではなく、書き終えてから初めて我に返るということになるのだろう。
小説というものが、夢の世界と同じだという発想を持ったのは、別世界が開けているからだという発想からだった。しかも夢の世界も、小説の世界も、覚めたり我に返ったりして初めて気付いた時、
――自分がその世界に入り込んでいたんだわ――
と思うのだった。
夢を見ている世界にたくさんの矛盾を感じているのだから、小説を書いている自分も、いろいろな矛盾を感じているように思えた。
――ひょっとすると、小説の原点というのは、矛盾が作り出したものなのかも知れないわ――
と感じた。
夢の世界も、小説の世界も、同じ別世界。しかし自分が作り出したものに他ならないことは確かである。
小説の作者に、優香は尊敬の念を抱いているが、自分の書いた作品に対して、自分への尊敬の念は浮かんでこない。
――矛盾を感じながら書いているからではないか――
と、優香は感じた。
矛盾が力になるということを初めて教えられたのは、小説を書くようになってからだ。――他の誰もそんな発想になることってないでしょうね――
と思っていたが、それを覆したのが、小説の中に登場させた小説を書いている彼だった。
優香は自分が書いている小説を自分の小説の中で描くと、矛盾が矛盾でなくなってしまうように思えた。だから、まったく別の人物を作り上げて、その人に夢の中にいるもう一人の自分を描かせるようにすれば、矛盾を矛盾としてではなく、新鮮なものとして描けるのではないかと考えるようになった。
優香は、小説を書いているその青年の考えていることは手に取るように分かっているつもりだった。もちろん、小説を書いている時だけのことであって、我に返ってからの優香には、小説に出てくるただの登場人物だとしてしか、浮かんでこなかったのだ。
「小説を書くのって、面白いよね」
小説の中の彼は、そう呟いた。
誰に対して呟いたのか、優香は敢えてハッキリさせようとは思わない。
小説を書いているのは、その小説では彼だけではなかった。小説サークルの中で他にも小説を書いている人はたくさんいる。むしろ、サークルが登場場面なのだから、登場人物のほとんどは小説を書いていると言ってもいいだろう。
だが、登場人物で彼以外の人の顔はハッキリとしない。夢を見ている時には分かっているのだろうが、目が覚めれば、顔が真っ黒でハッキリとしない。主人公の彼は表情だけが分かっているが、顔はハッキリとしない。まるで写真を見ているかのようだった。
――表情だけが分かっているというのは、どんなにか気持ちの悪いものだ――
というのは、我に返った時に感じたことだ。
夢を見ていたわけではないので、小説の中でイメージしたことを、我に返って思い出すことはない。
思い出したとしても、それは小説を書いている時に感じた直観とは違い、主観のようなものが入り込んでしまっている。
その理由が、時間が経っているからなのか、それとも一度我に返ってしまってから感じることだからなのか分からない。とにかく優香は、小説を書いている時と、夢の中の時とを混同して考えてしまわないようにしようと心掛けていた。
「小説を書いていると、まるで自分が別の世界にいるような気がしてくるんだ」
と、彼はキーボードに文字を打ち込みながら、話をしていた。
――すごい――
それを見て優香はそう感じたが、
――小説を書く時というのは、神経を集中させていなければできないことだ――
と考えているからで、それは優香に限ったことではないだろう。
それなのに、キーボードに集中しながら返事ができて、しかも自分の意見を言えるというのだからすごいことであった。った。
「あなたは、今僕がこうやってあなたと話ができていることを不思議に思っていませんか?」
と言った。
まるで優香の気持ちを悟っているかのような言い方ではないか。自分の気持ちを見透かされているようで、少し怖くなった。
「どうして、そのことを分かったんですか?」
というと、彼はニコッと笑って、
「よく分かりますよ」
と一言言った。
それを聞いて優香は、二つのことを考えた。
――この人は、自分が考えていることに相当な自信があるのだろうか?
ということ、そして、
――よく分かるということを相手に示すことで、自分の優位性を保ちたいと思っているのだろうか?
という思いだった。
後者であれば、彼は前者ほど自分に自信を持っていないことになる。むしろ自信がない分、少しでも相手に勝る部分を見つけて、それを宣伝しようと考えているのではないかと思えるのだ。
優香は彼がどちらなのか分からなかった。ただ、ニコッと笑ったのを見ると、前者ではないかと思えていたのだが、それも自分の勝手な思い込みなので、何とも言えなかったのだ。
「あなたは、魔術師のようですね?」
と優香は訊ねた。
「そうですか? でも、まんざらそれも筋違いな話ではないような気がしますよ」
と彼は言った。
「どういうことですか?」
「ここは、あなたの夢の中の世界。あなたが考えていることが現実になるはずの世界なんですが、ただ、夢の世界というのが果たして本当に夢を見ている人が支配している世界なんでしょうか?」
まるで禅問答のようである。
「ますます言っている意味が分からない」
「僕も少し話を膨らませ過ぎないようにしないといけないですね」
と言って、またしてもニッコリと笑った。
彼は続けた。
「僕はね。あなたがこれからしようとしていることが分かるんですよ」
と、また訳の分からないことを言い始めた。
「それが、あなたが魔術師だっていう意味なの?」
「いいえ、違いない。あなたは、僕があなたのしようとしていることをすべて把握していると思っているでしょう?」
「だって、今そういう言い方したじゃないですか。まるで自分が私のすべてを分かっているかのような言い方をね」
と優香が言うと、
「それは誤解ですよ。私はこれからあなたがしようとしていることが分かると言っただけですよ。何もあなたのことをすべて分かっているなんて言い方はしていませんけど?」
と彼が言った。
その言葉を聞くと優香は少しイラッとした。
「そんなの屁理屈よ」
と思っていることを、思わず口にしてしまった。
すると、また彼は笑った。その表情に今度は余裕が感じられたので、優香は余計に腹が立った。
「屁理屈なんかじゃないですよ。一つのことを聞いて、勝手に思いを膨らませるのはよくないことだと思いますよ。あなたはそういう傾向にあるように思えるんですが違いますか?」
と言われて、
「その通りです」
とさすがに答えられなかった。
ただ、実際は彼の言っていることが間違っていないような気もして、優香は自分の言った屁理屈という言葉自体に反応しなかったことに今度は腹が立った。
優香自身、普段から屁理屈などという言葉を使うことはなかった。事実、優香は屁理屈という言葉は嫌いだった。理屈に合わないことをいう人はたくさんいるが、それは屁理屈という言葉で片づけてはいけないような、人それぞれに理由を持っていると思っていたからだ。
それなのに、いきなり何を急に屁理屈などという言葉を使ったのか、完全に衝動的だったと思っている。
――屁理屈なんて言葉、余裕のない人間がいう言葉だわ――
と思っていた。
最近は自分にある程度余裕のようなものが現れていると思っていた優香なので、屁理屈などという言葉を自分が使ったということに違和感があった。
「でも、あなたには私のしようとしていることが分かるというの?」
と聞くと、彼は書いていう小説の手を止めて、優香の方を見た。
「僕には、予知能力のようなものがあるのかも知れないんだよ」
と言い出した。
「それはどういう意味?」
急に話を変えられた気がしたので、拍子抜けした気分になった優香だったが、自分でもキョトンとしているのが分かる気がした。
「これが、今あなたが僕に聞いたことへの一つのヒントになるんだよ」
――そういうことか?
彼は話を変えたつもりはなかった。
自分に浴びせられた質問の答えを、相手に考えさせる形で返していると言えるのではないか。そう思うと、じれったさも感じられたが、これが彼のやり方なのかと思うと、無理もないような気がした。
ただ、優香に彼が何を考えているかなど分かるはずもない。やはり彼の顔色を窺うような表情になるのも仕方のないことだ。
「予知能力というのは、僕があなたのする行動に対して、前もって分かっているということなんだ。しかも、ひょっとすると君が何かをしようと感じるよりも前に、僕の方が分かっているんじゃないかって思うくらいなんだ」
「それは興味深い話ね。確かにそれが本当なら、あなたは予知能力があると思っていいかも知れないわね」
「ええ、でも予知能力というのが、あなたの考えている予知能力とは違っていると僕は思っているんです。もう一ついうと、私には、さらに別の力が働いているのかも知れません」
またおかしなことを言い始めた。
「その力というのは、予知能力と一緒に働くものなの? それとも予知能力の代わりになるものなのかしら?」
優香は自分でも、
――何を言っているんだろう?
と感じた。
しかし、彼は、
「なかなか鋭いところをついてきますね。確かにあなたの言い通りです。僕がさらに別の力と言ったものは、予知能力とは別のもので、一緒に働く力ではないということですよ」
と言った。
「それはつまり?」
優香には別の言葉が浮かんでいたが、彼が数秒後に自分が考えていた言葉を口にしたその時、身体が震えるのを感じた。
「ええ、あなたも分かっているようですが、それは予知能力ではなく、予言に近いものですね」
「予知能力と予言って違うのかしら?」
優香はあらたまって感じた。
「違うさ。予知能力は先に起こることを分かっていて、口にすること。それが能力だからできるのよ。でも予言は、分かっているわけではなく、ある意味、感じたことを口に出しただけ、能力というのとは違うものなんだよね」
「あなたは、予知能力者なの? それとも予言者なの?」
と優香が聞くと、
「僕は予言者さ」
と、彼は迷うことなくそう答えた。
「でも、予知能力もないわけではない。予言ができている自分が表に出ている時、予知能力を保持している自分が隠れているだからね」
と続けたのだ。
「予言者と予知能力の違いが、いまいちよく分からないわ」
と優香がいうと、
「そうかも知れないね。僕もハッキリとその違いを証明することはできないよ。でもね、予言者は自分の言ったことが本当のことになるという事実を保持している。つまり、そのことに対しての責任も持っているということなんだよ」
「私は嫌だわ」
優香は、即答した。
「僕だって、そんな責任は負いたくない。でも、予言したことが悪いことばかりでなければ、それもまんざらでもない気がしてくるんだよ。人間って、意外と自分が予言者でありたいように思っているけど、責任の二文字が目の前にぶら下がっていると、躊躇してしまうよね」
と彼がいうと、
「それは誰だってそうよ。だからあなたもそうなんでしょう?」
「そうなんだけど、実際にその立場になってみると、結構楽しいこともあったりするんだ。何しろ自分が感じたり念じたりしたことが現実になるんだからね」
という彼に対して、
「それは、他の人に対してのことなの? それとも自分にも言えることなの?」
と聞いてみた。
「自分に対してもそうだよ。でも、自分に対して予言する時って、そのほとんどはあまりよくないことばかりなんだ。だから、僕はなるべく自分のことを予見できない状態であってほしいって思っているんだ」
「でも、それだったら、楽しいことなんて何もないんじゃない? 自分がよくなることを予言できるから楽しいんじゃないの?」
「そうでもないさ。まわりが自分の予言通りに動いてくれるというのも、結構快感になるものだよ。それが分かっていないと、予言なんて絶対にしたくないからね」
「予言って、しなくてもいいの?」
「ああ、別に誰かのことが分かったからと言って、それを僕の口からいう義務はない。そんな権利もないし、つまりは義務がなければ権利もないし、権利もなければ義務も存在しないのさ」
優香はその言葉を聞いて、
――当たり前のことを言っている――
と感じた。
「でも、せっかくの力があるのに、それを使わないというのは、どうなんでしょう?」
というと、
「じゃあ、力がある人には無責任なことを口にしてもいいという特権でもあるというのかい? そんなことはありえないよ。その時はそうでなくても、後になって後悔するのが見えているから、僕にはそんな力は本当はいらないと思っているんだ」
「でも、楽しいこともあるんでしょう?」
「うん、あるよ。今がそうかも知れない。僕が誰かの夢の中にいる間は、何を予言しても、それはその人の夢の中でしかないんだ」
「そうよね」
「だから、僕が予言していることも大したことのないことだと思って考えてくれればいいんだ」
と、言って彼は自分が書いている小説を見せてくれた。
「いいの?」
「ああ、もちろんさ。ここは君が作り出した世界なんだからね」
と言って、快く笑っているように見えた。
優香は彼が書いている小説を読んでいると、さっきまで忘れかけていたものを思い出したような気がした。
「これって?」
「そうだよ。さっきまで君が見ていた夢さ。でも、何となくおぼろげにしか感じないんだろう?」
「ええ、そうなのよ。どうしてこんなにおぼろげなのか、私も不思議なんだけどね」
と優香が言ったが、
「そんなことはないだろう。君にはその理由が分かっているように思うけどな」
と彼に言われて、優香は自分の思っていることを口にしてみようと思った。
普段なら決して口に出さないようなことを口に出すというのは自分でも不思議な感覚だった。
「私、夢というのは、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだって思っているのよ。目が覚めるまでには結構時間が掛かっていて、その間に忘れていくっていうのかしら?」
と優香がいうと、
「そうかな? 君は夢というものを勉強したことがあるんじゃないかい? 最初はそのつもりはなかったのかも知れないけど、本を読んだりしているうちに興味を持ってきたというような感じだね」
と言われて、
「確かにそうなのよ。夢に対しては私の中で造詣が深いと思っているの。だから余計に、夢の世界と現実の世界には結界のようなものがあって、決して侵すことのできない領域が存在していると思っているのよ」
と答えた。
すると彼は冷静になって、
「ただ、それは夢というものを過大評価しているからというだけだよね。実際に夢の世界を自分の見ているものだという意識がないから、結界のようなものを作ってしまうのかも知れないね」
彼がいうのは、いちいちもっともだと思った。
――悔しいけど、彼の言う通りだわ――
彼が言っていることがすべて正しいと思っているから、悔しいと思っているわけではない。
彼の考えが優香の考えを凌駕しているように思っているから感じることなのだ。考えが凌駕しているというのは、優香が考えていることを彼が打ち消すような気持ちはなく、包み込むような状態になることで、優香は自分の考えを封印することになる。それが優香には悔しいのだった。
「夢ってさ」
彼はボソッと言った。
「えっ、何?」
優香は彼に対して必要以上に敏感になっていた。言葉の一言にいちいち反応している自分が、さらに悔しく思えた。
「夢というのは、君はどれくらいの長さ見ているように思っているんだい?」
と聞かれて、優香はハッとした。
なぜなら、この質問は一番されると思っていた質問であるが、なるべくなら最後の方にしてほしいと思っていた質問でもあった。
「最初の頃は、眠りに就いてからすぐに見初めて、目が覚める寸前までずっと見ているものだって思っていました」
「それはそうだろうね。でもいつしか、その思いが変わってきた?」
「ええ、夢というのが、目が覚めるにしたがって忘れていくように思えたからというのが最初のきっかけなんですけど、興味を持って、図書館で夢に関しての本を読んだ時、『これだ』って思ったの」
「というと?」
「その本に書かれていた内容は、『夢というのは、目が覚める数秒で見るものだ』っていうことだったのよ。それを見た時、最初、『そんなバカな』って思ったんだけど、よくよく考えてみると、その説に辻褄が合っているように思えてならなかったの」
と優香は言った。
「そういう説は少なからずあると僕も思っているよ。信憑性のある内容だとも思うし、ただ、そのわりにはその説を知っている人が結構少ない気がするんだよね」
「確かにそうね。やっぱり私のように興味を持って本を読んだりしないと、分からないことだからかしらね?」
「それもそうだけど、それ以上に、夢が数秒で見るなんて話、普通の人にはピンと来ないんじゃないかって思うのよ。その感覚が一番なんじゃないかな?」
「人は直感を信じるということなのかしらね?」
「直感というものにインスピレーションを強烈に感じるからなのかも知れないね。理屈よりもインスピレーションを重んじるのが人間なのかも知れないね」
「でも、それって危険な気がするわ」
「その通りさ。だから、人間は夢を見るんじゃないかな? 夢で何かの戒めのようなものを感じるとすれば、説得力もあるような気がする」
彼の話はかなり強引に感じられたが、聞いていて違和感はなかった。
「でも夢って、その人のモノなんじゃないの?」
と優香が聞いた。
優香は当たり前のことを聞いているつもりだったが、彼はその言葉を聞いて、違和感を感じているようだった。
「どういうことなんだい?」
「だって、夢はその人だけのモノでしょう? こうやって今見ている夢だって、私の夢なんだから、ある意味あなたも私の夢に出てくる登場人物の一人にしか思えないということなんだけど」
というと、急にハッとした気分になった。
――何て失礼なことを言っているのかしら?
普段なら、こんな失礼なことを口にするはずのない優香だったが、それを意識せずに口から出てくるということは、それだけ今見ている夢を漠然と感じているからなのか、それとも、夢だという意識をしっかりと持っている証拠なのかのどちらかではないかと思えたのだ。
彼は少し失笑しているようだった。それこそ優香にとっては失礼に当たるのだろうが、たった今、彼に対して失礼だと思った自分が感じてはいけないことのように思えた。
「君は夢というものを一種類だって思っているから、そう感じるんだよ。夢にはいくつもの種類がある、しかも、今見ている夢にだって、いくつかの要素が含まれていて、どちらとも取れる解釈だってできるというものなんだよ」
ますます分からなかった。
彼は続ける。
「あなたにとって夢というと、どういう意識があるんですか?」
と言われて、彼が何を言いたいのか、そして何を優香の口から聞きたいのか分からないので、思ったことを言うしかないと優香は感じていた
「夢というのは、眠っている時に見るもので、見ている本人の潜在意識が見せるものだって聞いたことがあります」
というと、
「潜在意識ですか。確かにその通りでもありますね。自分が普段から感じていることで、なるべく意識しないようにしようとしていることだったり、意識しなくてもいいほど、普通のこととしてしか意識できないようなことを心の奥にしまい込んでいたりする場合、それを潜在意識というのかも知れませんね」
と彼は言った。
「ええ、だから、覚えている夢では、自分が普段から意識していないつもりでも気になっていることを夢として見るものだって思っているんです」
「あなたは、その夢を覚えていますか?」
「夢って、結構目が覚めるにしたがって忘れていくものだっていう意識があります。特に楽しかったり、もう一度見たいと思うような夢は、まず覚えていない。楽しかったという意識があるだけで、もう一度見たいという思いだけが残っていて、だから、諦めがつくのかも知れないとも感じています」
「その気持ちはよく分かります。ということは覚えているのは怖い夢がほとんどだということですね?」
「ええ、そうです。ただ、最近は怖い夢というよりも、気になっている夢という言い方の方が的確なんじゃないかって思うんですよ。夢に対しての意識は、子供の頃と今とではだいぶ変わったような気がするんですが、一体どの時点で変わったのかということは分からないんです」
「そんなものだと思いますよ。特に見た夢があまりにもリアルすぎる夢だったとしたら、本当は夢なのに、現実のことのように思いこんでいることだってあるかも知れませんよね」
と彼は少し意味深な言い方をした。
優香は逆のことを考えていた。
夢があまりにも現実離れしているので、夢でしか見せないようにしているということ。つまりは、あまりにも自分に都合よく解釈されたものであることから、夢でしか見せないという考え方だ。
だから、夢を覚えていないのだし、覚えていたとすれば、果たして自分はどんな気持ちになるだろう? 夢の世界に対しての思いを馳せることで、本当に夢を追い求める気持ちになるのではないだろうか。
「そういえば、夢って、目が覚める寸前の数秒くらいで見るものだって聞いたことがあるけど、どうなんでしょうね?」
と聞くと、
「それはそうなんじゃないかい?」
「どうして、そう思うの?」
と優香が聞くと、
「だって、君がそう思っているからさ」
「私が思っていることを鵜呑みにしているということ?」
彼の返答がいい加減なものに感じられ、少し苛立ってきた優香だったが、彼に対しては、その思いを隠すことなく表に出した方がいいような気がした。彼に感じさせることで、優香は自分の中で何を考えているのか見えないところを彼に指摘させようと考えていた。
「鵜呑みになんかしてないさ。君が感じていることがここでは正解なんだよ。だって、ここは君の夢の中なんだろう? そのことを一番よく分かっているのは、君なんじゃないかい?」
「でもあなたはさっき、少し違うニュアンスで言ったわよね。私はそれが引っかかっているの」
「夢には種類があるということかい? 確かにその通りなんだけど、いくら種類があっても、夢を見ている人は一人なんだよ。たとえばこの夢では君だよね」
と言われて、優香はまた少し混乱した。
「じゃあ、あなたは何なの? 私の夢の中のただの登場人物? だとしたら、私の思考回路の中の支配下にいるということになるの?」
論理的というよりも、ファンタジックな表現になっているような気がして、夢に対しての考えが少し優香の中で変わってきているように思えていた。
「そうだね。君の考えていることの範囲内に僕は存在しているということになる。でも、それは君が知っているすべてのこととは違う次元の問題なんだ。僕という人間は、君が自分の頭の中の都合で作り出したものにすぎないわけだが、本当の僕は、実は現実世界にも存在しているんだよ」
「えっ? そうなの?」
「ああ、そうだよ。人が夢の中で見ている人物や光景は、実際に存在するものなんだ。もちろん、本人は一度でもその場所やその人をどこかで見ているはずなんだ。そうでなければ、そんなに都合のいい世界を夢の中で形成などできるはずはないからね」
彼の言い分にも一理あった。
「私も心のどこかでそんなことがあるんじゃないかって思っていたような気がするわ」
と優香は言ったが、本当は口に出すつもりのない言葉だった。
これが夢だと分かっているから口に出したのだ。そして、相手が彼でなければいくら夢の中だとしても口には出さなかったかも知れない。さっきの失礼な表現しかり、夢というのは自分の都合のいいように見ていると思いがちだが、実際にはまだまだ夢の中で遠慮しているのかも知れない。そう思うと優香は彼が書いている小説が気になって仕方がなかった。
「その小説はどんな小説なんですか?」
と思い切って聞いてみた。
「この小説は実は僕が書いているんじゃないんだ」
「えっ?」
また不可思議なことを言う。
「この小説は君が書いているのさ。正確には君の潜在意識が僕を使って書かせているといえばいいのかな?」
「じゃあ、私にはその内容が分かっていると?」
「分かっているというよりも潜在しているということだね。潜在しているからと言って分かっているというわけではない」
「そのお話を私には見せてくれないの?」
「見せるわけにはいかない。もしこれを君が見てしまえば、この世界に矛盾が生じてしまって、この世界自体がなくなってしまうんだ」
「するとどうなるの?」
「僕にも分からないけど、ひょっとすると最悪、君の意識は帰る場所を失って彷徨うことになるかも知れないね」
「矛盾って、そんなに恐ろしいものなんだ」
「そうだね。だけど、矛盾という力がなければ、小説というものは完成しない。この小説が完成しないと、やはり君はそのまま彷徨うことになるんだよ」
「今はまだその小説は完成していないんでしょう? だったら、私は今彷徨っているということ?」
「そうだね。ある意味彷徨っているといってもいい。でもこの作品が完成したからといって、君の彷徨が終わるというわけではない。人は生きている限り、意識が存在している限り、彷徨うことが終わるわけではない。問題は彷徨うことにも種類があるということだね」
「それは夢にも種類があると言ったさっきの言葉に結びついてくるの?」
「そういうことだね」
「夢ってよく分からないんだけど、いろいろな考え方ができるという意味では、いつも夢について考えている自分がいるような気がするの」
と優香がいうと、
「夢というのが、目が覚める寸前の数秒でしか見ていないという話は、僕も聞いたことがあるよ。でも、実際にそんな風に感じながら夢を見ている人はいない。目が覚めてから、そのことを思い出すのだけど、目が覚めるにしたがって、夢の内容を忘れていくことに何か関係があるのかも知れないね」
と彼は言った。
「あなたは、私から見れば、何でも知っているかのように見えるんだけど、意外と知らないことも多いのかしら?」
意外な気がしたので、思わず聞いてみた。
「僕はそんなに何でも知っているわけではないよ。むしろあなたの方が私よりも知っていることが多いくらいだと思うよ。特にあなたの世界での出来事はね」
「じゃあ、あなたは夢の世界の住人ではないということなの?」
「そうだよ。君は僕が夢の世界の住人だと思っていたんだね?」
「ええ、そうです」
「あなたは、私の夢の世界に入りこんできているので、てっきり夢の世界の住人だって思いました」
「僕は確かに君の夢の中にいるんだけど、それは僕が夢の世界の住人だからというわけではない。そもそも夢の世界なんて存在しないんだよ。夢の世界と呼ばれるものは、夢を見ているその人が作り上げた個別の世界のようなものなんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、でも、実際には夢の世界というのは、共有できるものなんですよ。だから、あなたは今自分の夢を見ていると感じているので、僕がこの夢に出てきているのは、あくまでも自分の夢の出演者というイメージなんでしょうね。そして、私が出てくることには、何か意味があると感じているんだと思います。それはこの夢が完全にあなただけのものだって思っているからであって、もし他の人が何かの意見を言ったとすれば、それは潜在意識が感じさせたものだって思っているんでしょうね。だからこそ、夢というのは潜在意識が見せるものだっていう理屈を信じてしまうんでしょうね」
「ええ、その通りです。でも、夢を共有できるというのはどういうことなんですか? まるで私の見ているこの夢を、あなたも自分の夢として見ているという風に聞こえるんですけど?」
「似たようなニュアンスでしょうか。ただ、皆が皆、夢を共有できるというわけではないんです。でも、共有している夢の相手に共通性はないんですよ。知っている相手だけというわけではなく、まったく知らない人と夢を共有していることもあります。何しろ、この世の中で、知っている人よりも知らない人の方が圧倒的に多いんですからね。それは当然のことです」
「そうですよね。でも、そんなにまったく知らない人の夢と共有するというものなんですかね?」
「確かにその通りです。あなたの言う通り、まったく接点のない相手と夢を共有することはありません。ただ、夢の共有というのは時代を飛び越えることができるんです。ただし、それもその人がこの世に存在している間のことであって、限りはあります」
という彼の話に、
「ちょっと待って。話が飛躍しすぎていて、私にはついて行けないわ」
と、優香は自分の頭の中が混乱しているのを感じた。
「僕が小説を書いているというのも、これから起こることを書いているわけで、それこそ夢を共有している証拠だって言えるんじゃないでしょうか?」
優香の混乱をよそに、彼はまた別の話を始めそうだった。
「別に話を広げているわけではないですので、そう難しく考える必要はないですよ」
と、優香の気持ちを察しているかのように彼は言った。
「あなたの書いている小説って、今この瞬間のことを書いているんでしょう? ということは、この会話も最初から分かっていたことであって、そう思うと私は誘導されているんじゃないかって思えてくるの」
と優香がいうと、
「その感情は、今この状況でなくても、感じることってあるんじゃないかな? 本人は忘れているだけで、同じような感情を持ったことは過去にも何度かあったと思うんだ。改まって考えてみるとどうだい?」
と言われて考えてみた。
「そういえば……」
優香は、彼の話にどんどん引きこまれて行くのを感じた。
「小説を書いている時の自分を客観的に考えてごらん」
と言われて優香は、彼の言葉に素直に従った。
「私は小説を書けるようになるまでに、結構時間が掛かったと思うの。それまでにいろいろ試行錯誤を繰り返してきたってね」
というと、
「それは誰でもそうだよ。君に限ったことではない」
彼は、少しでも優香が考えに入ったり、言葉に詰まったりすると、口を挟んでくる。
最初は嫌だったが、次第にそれも慣れてきたのか、嫌ではなくなってきた。むしろ口を挟んでくれた方が話しやすい気がする。それだけ彼は誘導尋問がうまいというべきか、気を遣っているというべきか、優香にはありがたい気がした。
「元々は自分の部屋も机の前に座って、原稿用紙を目の前にして書いていたんだけど、書けることといえば数行だけで、すぐに結論に至ってしまう。話にも何もなったものではなかったわ」
と、思い出しながら話していると、少しイラついてしまっていたようだ。
「それで?」
彼はそんな優香の気持ちを折ることもなく、先に進めさせた。
「それでね、次に考えたのは図書館だったの。図書館だったら、まわりの雰囲気に自分も触発されるんじゃないかって思ってね」
「でも、ダメだった」
「ええ、却って恐縮してしまって、結局ダメだったのよ」
「それは恐縮ではなく、自分がその場に行けば、まわりの雰囲気に呑まれてくれるという他力本願な気持ちがあったからよね。でも、実際に行ってみると、正直な自分が顔を出した」
「ええ、だから、小説を書くというよりもまわりが気になってしまって、皆何を考えているのかというのばかりが気になってしまったの」
「惜しかったね」
「えっ? どういうこと?」
「そこまで行っているんだったら、せっかくまわりが何を考えているかを見ているわけでしょう? そこまで来ているのなら、どうしてその思いを貫かなかったのかな?」
言われてみれば、ハッとした。
「その時は、雰囲気に圧倒されていたのかも知れないわ」
「それは違うね。君は自分が想像していたものと違ったことで、自分の中で対応ができていなかった。だから軽いパニック状態に陥って、何も考えることができなくなってしまった。しかも、そのことを自覚していないので、図書館ではできないと思いこんでしまったんでしょうね」
「そうかも知れないわ」
「それから?」
「それから私は喫茶店に行って書くようになったの。原稿用紙もやめて、ルーズリーフだったりレポート用紙だったり、縦書きもやめて横書きにしたの。それがよかったのか、それから書けるようになったのよ」
「喫茶店だったら、描写するにはもってこいだからね。表を見れば歩いている人、車の量からちょっとしたハプニングまで、いくらでも見ることができる。店内を見渡せば、一人の人を集中的に見ることもできるし、あなたとしては、願ったり叶ったりだったんでしょうね」
「ええ、その通りです」
「要するに小説を書くというのは、想像力なんですよ。これはフィクションに限らず、ノンフィクションでも同じことだと思うの。そしてその想像力が小説として表に出ると、それが感性という言葉に変わる。あなたは、感性という言葉が好きでしょう?」
「ええ、好きです。感性を持っていると言われるのが一番嬉しく感じますからね」
「それは僕も一緒です。新しいものを作り出そうとする人には不可欠なものが想像力であり感性なんです。一見、違ったものに思われがちですが、続いているんですよ」
「まるで出世魚のようですね」
と優香がいうと、彼は声を出して笑い始め、
「そうそう、その通り。今の表現もあなたの想像力が作り出した賜物であり、まさしく感性なんですよ」
と言われた。
普段の優香なら、ここまで声を立てて笑われるとバカにされたかのように感じるが、この時はそんな感覚はまったくなかった。
――ただ、褒められている――
という思いが強く、優香は彼をじっと見つめていた。
「僕が書いているこの小説だって、想像力で書いているんですよ。そしてその内容は、今ここで話している会話の内容なんですよね。僕の方が少し早く書いているんですけどね」
「どうしてそんなことができるんですか?」
「優香さんは小説を書けるようになった本当の理由を自分で分かっていますか?」
と言われて、少し考えたが、
「分かっているつもりでいます」
「どんな感じなんですか?」
「最初は、まったく何も書けなかった。書けなかったというよりも、目の前のことをただ書くだけで、数行で結論に達してしまう。だから、描写が必要になってくるんですよ」
「文字数稼ぎですね?」
「ええ、一言で言えばそういうことなんですが、他の人の書いた小説というのは、読んだだけでいろいろ想像できてくる。そのためには、一つのことを表現するのに、二つや三つ思い浮かべて書いてみる。そして、その中の一つをさらに細分化して考えてみると、さらに分かれてくる。それを繰り返しているうちに、何となく書けるようになってきたんですよ」
「自分で読み返してみましたか?」
「ええ、読み返してみると、書いている時よりもさらに想像力が増えるような気がして、嬉しくなりました」
「今も読み返しているんですか?」
「今は、一度書いた小説は、最後まで書き終えなければ読み返すことはしなくなりましたね」
「どうしてですか?」
「第一印象を大切にしようと思ったからです。でも、今は少しその考えが変わってきていますけど」
「というと?」
「確かに最初は第一印象を大切にしようと考えたことが始まりだったんですが、第一印象から何か派生させることを途中で嫌うようになったんです。小説が変わっていく気がしたからですね。でも、私の小説って最初に思い浮かんだ内容と終わってみれば変わってしまっているのが結構あるんです。それはいいと思っているんですが、最初に感じたことは貫いているつもりなんですよ。それはきっと、途中でブレないからだって思うようになったんです。つまりは省みないことだってね。だから、途中で読み直すことをやめました」
「なるほど、私はそれでいいと思いますよ。でも、あなたが小説を書けるようになったのはそれだけではないでしょう?」
と彼は優香の気持ちを見透かしているようだった。
しかも、その言葉には、
――もっと早く言えばいいのに――
という優香がまるで焦らしているかのような感覚を持っているかのようにも見えた。
「ええ、私が小説を書けるようになった最大の原因は、書いている最中に先のことを考えることができるようになったことだって思っています」
「そうですよね。優香さんは見ていると、一つのことに集中してしまうと、まわりのことが見えなくなってしまい、書いていることに集中している最中は、考えていることがそのまま文面に現れていないと難しい人だったはずなんです。でも、今では先のことを考えながら書けるようになった。大げさですが、一種の覚醒のようなものだって言えませんか?」
「それは大げさですね」
優香は照れ笑いというよりも苦笑していた。
「でも、優香さんとすれば、普通にしていれば、先のことを考えながら書くなんてできる人ではないと思うんです。それを平然とやりこなすということは、あなたの中の一つ先にある何かが見えていないとできないことだと思うんです。それを見ることができるようになるには、かなりの薄いところを引かなければ難しかったはず、それを引き当てたのは、あなたが試行錯誤を繰り返したことによるものだって僕は思っています」
優香にとっては、十分な褒め言葉だった。
「ありがとうございます」
素直に嬉しかった。
「僕がここで書いている小説は、あなたにとっての想像力であり、感性であり、そして覚醒なんです」
と、彼はまたしても大げさなことを口にしたが、今度は優香としては、それほど大げさには感じなかった。
「先のことを考えられるようになったのは、自分にとって奇跡的なことだって思っているんです。なぜなら、私が小説を書けなかった最大の理由に、『気が散ってしまう』というのがあったからなんですよえ。でも、それは『ながら作業』ができないからということで書けなかったんです。それなのに、先を読みながら書けるようになるなんて本当に奇跡のように思えるんです」
「優香さんは、小説を書きながら、他の芸術にも興味を示そうと思ったことがあるでしょう?」
「ええ、小学生の頃に芸術的なことは全部諦めたから、まさか小説を書こうなんて思うようになるとは思っていなかったので、他にも何かないかって考えたんです」
「音楽も考えましたよね?」
「ええ、ギターとかピアノを弾いてみたいって思いました。でもダメでした」
「どうしてダメだったのか。ご自分で分かりますか?」
「ええ、分かっています。これも小説が書けない理由から来ているんだって直感しました。だから、音楽は早い段階で辞めたんです」
「それはどういう意識でダメだって感じたんですか?」
彼は分かっているようなことでも聞いてくる。
しつこい感じがしたが、これも心理的な意味で何か理由があるのかと思って考えていると、別に腹が立つこともなかった。
「さっきも言ったんですが、私は一つのことをしようとして他のことができないんです。気が散ってしまうというのは小説を書いている時の感覚でしかないんですが、全体的に言えば、一つのことに集中すると、他が見えないという性格に起因しているということになると思います」
「よく分かります。だから、音楽を断念したわけですね」
「ええ」
「じゃあ、今は小説も書けるようになったので、音楽をまた始めてみてもいいんじゃないですか?」
「それはするつもりはありません」
「どうしてですか?」
「今は私の中で小説が特殊なものに感じているからだって思います。前は小説も音楽も同じ芸術として一括りにしていたんですが、今は少し違ってきています。そういう意味では絵画に対しても今はやってみようとは思いません」
「じゃあ、音楽は今後もやってみようとは思わないと感じているけど、絵画に関しては、今はやらないと思っているけど、将来は分からないと思っているんですね?」
「ええ、自分ではそうだって思っています」
「ピアノやギターというのは、両手で操作するのが基本ですよね。しかもそれぞれの指は別々の動きを示している。だから優香さんは、一つのことに集中しているのにって感じたでしょうね」
「そうです」
「でもね。両方の手を別物だって思わない方法もあるんじゃないですか?」
「どういうことですか?」
「たとえばの話ですね。自分の手首から先に五本ついているもの、これは何ですか?」
「指です」
「そうです。指というのは、手首から先に五本分かれて単独で存在しているものですよね。ではそれぞれの指がすべて同じ動きをしていますか?」
と言われて、優香はハッとした。
「いいえ、単独で動いています。でも、それは指がそれぞれに特徴を持っていて、大きさも違えば形も違います。当然役割が違うので、動きが違ってもそれは当然なんじゃないでしょうか?」
「ええ、その通りです。あなたの言う通りだって思いますよ。優香さんの考えている通り、手は同じ種類のモノであり、ただ右と左に別々にあるだけで、同じものだって発想ですよね。私もそれで正しいと思います。でも、一歩進んで、自分の指との比較を、あなたはしてみましたか?」
と言われて、
「いいえ、していません」
「あなたが今考えているのは、最初から手と指の特徴の違いを自分が無意識にですが、意識していたと考えているからでしょう? でも今あなたはハッとして、我に返った。そのことを意識していなかった証拠なんじゃないでしょうか?」
「確かにそうかも知れません。きっと、この話を聞いて、自分の中で何とか言い訳を考えて自分を正当化しようとしている意識が働いていたのかも知れませんね。そういう意味ではあなたの言う通りです」
「僕は何も、一歩進んで考えると、別の考えが生まれるなどというありきたりの説教をするつもりもありませんし、実際に一歩進んで考える必要もないと思っています」
「どうしてですか?」
「確かに今の話のように、一歩進んで考えれば、できないと思ったこともできていたかも知れません。ただ、それがあなたにとってよかったのかどうかって、分からないでしょう? いつその答えが出るかなんて、誰にも分からない。要するに本人がどのように解釈して自分を客観的に見ることができるかということなんですよ」
なかなか難しい話に入ってきた。
ただ優香にとって、彼の話は自分の心を見透かされているというよりも、自分の心が共鳴しているように思えてならない。優香は小説を書きながら自分が何を考えているのか知りたいと思っているのは事実だった。
小説を書いている時の優香は、まるで別世界にいるかのようで、書き終わって我に返ると、すでに何を書いていたのかすら忘れてしまっている。
――これって夢の世界と同じなのかも知れないわ――
小説を書いている時間は二時間近く集中していても、実際に感じるのは、十分程度くらいの時もある。終わってみるとあっという間だったという経験は誰にでもあるだろうが、その時に感じることは共通して、
「集中していたから」
と答えるに違いない。
優香も小説を書いている時に、いつもそのことを感じている。そのくせ書き終わってから小説の内容を覚えていないのに、集中していたという意識だけは持ったまま我に返るのだ。
彼が言ったように、左右の指で別々の行動ができない優香は、小説を書いている間に別世界に入りこむことはできても、我に返ると、その時のことをすっかりと忘れてしまっている。
だから、その日の執筆が終わって、翌日また続きを書こうとするその時が一番辛い思いがあるのだ。
――思い出すまでが大変だ――
という感覚である。
だが、彼が言った指の話を思い出すと、少し気が楽になったような気がする。もしこの話を他の人にされたのであればピンと来なかったかも知れないが、してくれたのが彼だったから何とか分かったのである。優香は彼の存在が偶然ではなく、必然であることを意識したのだ。
それを思うと、今の彼の話もピンポイントであったと感じた。
「あなたのいうことに偶然なんて言葉は似合わない。すべてが必然であり、繋がっているように思えてならないの」
と優香がいうと、
「そこまでは考える必要はないと思いますが、必然だと思うのは必要なことだって思います。今まで偶然だと思っていたことも、よくよく考えると必然だったことも結構あるでしょう。それでも自分で偶然だと思うのは、偶然だって思いたいからであり、偶然というものを自分の中で割り切ったものだって感じたいからなんでしょうね」
優香は少し首を傾げた。
「そうですか? 偶然というものって割り切れないから偶然だって感じるものなんだって私は思っていましたよ。理屈では説明できないものを偶然という言葉で片づけることは言い訳に近いものなのかも知れませんが、割り切ろうという気持ちがあるわけではないと思うんです。むしろ割り切ってしまうと、せっかく偶然と考えたことが色褪せてしまうように感じるからですね」
「なるほど、優香さんの言いたいことは分かりました。でも、偶然ってそんなにたくさんあるものなんですか? というよりも偶然がたくさんあった方が安心するんですか?」
と聞かれて、
「安心するかどうか分かりませんが、少ないよりも多い方がいいような気がします。自分で何とかできないことでも、偶然に助けられるということもありますからね」
「でも、偶然っていいことばかりなんですか? 悪いことが重なることだってあるんじゃないですか? そのことを忘れてしまうと、偶然に依存することになる」
という彼に対して、
「偶然に依存という言葉の意味がよく分かりませんが、偶然というのは、自分の意志の働かないところで起こる偶発的な出来事ですよね。それをまるで待っているかのように依存というのはおかしい気がしてですね」
「でも、偶然を期待しているわけでしょう? だったら、それは依存していると言ってもいいんじゃないですか?」
と彼は言った。
お互いにどこかがすれ違っているかも知れないと優香は感じていたが、売り言葉に買い言葉は、どうすることもできなかった。
「私は偶然を期待しているというよりも、何かのハプニングを期待しているのかも知れませんね」
というと、
「それはきっと、あなたが自分を客観的に見ようとしているからなのかも知れませんね。主観的に見ているんだったら、ハプニングを期待しているなんて、なかなか言えることではないでしょうし、客観的に見ているというのも、小説を書いている弊害のようなものかも知れませんよ」
彼のいう、
――客観的――
という言葉には何か思い入れのようなものを感じた。
しかし、その後に出てきた、
――弊害――
という言葉には、少し違和感があり、彼が何を言いたいのか、ますます分からなくなってきた。
「ハプニングというのは少し言い方が違うのかも知れませんが、絶えず小説のネタを探しているのは間違いないでしょうね」
「今僕たちが話している内容は、あくまでも、優香さんが小説を書いているということが主題であって、そこからいろいろと派生する話になってきていることを忘れないようにしてくださいね」
と、彼は言い訳のように言ったが、考えてみればまさしくその通りだった。
優香の方で勝手な解釈を巡らしていたのは事実だし、彼の言葉にいちいち反応してみたり、自分との考えの違いを探してみたりと、論理から考えようとしていた傾向にあったことを感じていた。
彼は続けた。というよりも少し横道に逸れた話を戻すかのように進めた。
「あなたは小説が書けるようになったのを、書いている間に先のことを考えられるようになったからだって言っていましたが、読み返したりしました?」
と聞かれて、
「いいえ、あまり自分が書いた小説を読み返そうという気はしません。そのせいもあってか、たまに話が飛んでしまったり、中途半端で終わってしまっている章があったりという事実もあります」
「そうでしょうね。なかなか自分が書いた小説を読み返すことをしたがらない人も多いと思います。プロになりたい人には必須なんでしょうが、そうでない人に果たして読み返すことが必要なのかって、僕は感じることもあるんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ」
優香は、自分が小説を書けるようになったその弊害として、自分の小説を読み直すことをしないというのが付きまとっていることを気にしていた。
もっとも、書けなかった時期にも読み返すことはしなかった。読み返しても先に進める根拠も何もなかったからだ。
「でも、どうして読み返さなくてもいいと思うんですか?」
「書きながら思い浮かんだことって、集中しているからできることですよね。あなたの言う通り、小説を書いている時間が別世界での出来事のように感じているのであれば、書いていたまさにその最中の心境には、永遠に立ち返ることはできないと思うんですよ。同じ心境になれないのに、読み返すと完全な客観的にしか見れなくなる。推敲というのは、書いていた心境になれて初めてできるものだって僕は思うんです」
「そうなんですか?」
優香は、本屋に行って、
『小説の書き方』
というハウツー本をいくつか買って来て、読んだりした時期もあったが、その中に書かれていたこととして、
「推敲するには、客観的に見ることが必要」
と書かれていたような気がした。
だから、優香には自分には推敲はできるかも知れないが、それだけにやりたくないという思いがあった。できるというだけを理由にしてしまうと、本当の自分の意志が反映された作品にはならないと思ったからで、その思いは今でも変わっていない。
「優香さんの考え方は私には分かっているつもりなんですが、どうやら優香さんは、自分の考えていることを表現するのがあまりうまくないようだ。それは言葉にするのもそうだし、小説でも同じことだと思います」
と彼は言ったが、優香はそれだけに、小説を書いている時の自分が別世界に存在しているということを感じていたかった。
「小説を書いている時の自分が、本当の自分なのかどうなのかって、何度も考えたことがあるわ」
と優香が言うと、
「それでどうでした?」
と、彼が答えた。
「小説を書いている時の自分が本当の自分だって思いたいのは、理想だって思うんです。本当の自分がどこにいるかなんて、しょせんは関係ないような気もしてきました。でも、小説を書いている時の自分が別世界を作っているということだけは認めたいんです。だから、その際の本当の自分なんて、どうでもいいような気もしてきました」
「でも、そこまで考えが行きつくには、結構試行錯誤があったでしょう?」
「ええ、確かにありました。でも、試行錯誤が正しいかなんて、誰にも分からないし、分かる必要もないんじゃないかって思うんです」
「やけに投げやりな言い方ですね」
「そう聞こえますか? 投げやりというよりも、本当にどうでもいいと思えることが増えたような気がするんです。ただそれを自分で投げやりだと認めたくないだけなのかも知れませんけどね」
と優香が言うと、
「人って、前よりも今、今よりも先って普通は考えますよね。それが成長であり、後退は考えたくないというのが心情なんじゃないかって思うこともあります。優香さんが今言われたことは、その考えに沿っているように思えるんですよ。そう思うと、投げやりになっているというのは、どこか自分で後退してしまいそうになっているのを否定しようとしているんじゃないかって感じます」
優香は少し考えてから、
「そうかも知れません」
と答えた。
その表情は神妙なもので、考えていることがどこまで信憑性のあることなのか分かっていないだろう。もし、彼の言っていることが本当のことであれば、ズバリ指摘されたことで、自分の中に反発心が芽生えてくるはずだからである。反発できない分、その言動に投げやりな部分が見えているのも仕方のないことだろう。
「人って時系列で成長していると思いこんでいるんですよね。でも、確かに時系列という発想は大切ですし、時系列という発想がすべての発想の原点だと言ってもいいような気がします」
彼は何が言いたいのだろう?
「だって、時系列以外の何を思うというの? 現実だけを見つめる場合には、時系列が絶対的な基本となるものですよね。時系列の基本が崩れるということは、異世界を想像するようなものですからね」
と優香は口にしたが、それは彼の言っていることの裏付けのようなものでしかないことを分かっていながら口にしていることだった。
「でも、時というのは必ず変動しているんですよ。今こうやって話していることも、一瞬にして過去になる。未来が現在になって、現在が過去になるんですよ。そういう意味での現在は本当にピンポイント、よく人が、『今を大切にしなければいけない』っていうけど、その時の今って、いつを差しているんでしょうね? それを思うと自分におかしな感覚に襲われて、思わず笑い出したくなってしまいそうになるんですよ」
と、彼は言った。
「その通りだと思います。でも、今を考えている時って、自分の中では現在が動いているという感覚はないんですよ。確かに時間というものは同間隔で刻まれていく。その感覚を抱くことは可能だし、実際に身体も頭もそれを感じながら生活をしていると思うんですよね。だから、現在という思いと、時間という感覚は。そもそも同じ土俵にあるものではなく、別の次元にあるものなのかも知れません。それが私にとっては普段の自分と、小説を書いている時の自分との違いのようなものではないかって思うんです」
と優香は言ったが、この頃には自分が十分に雄弁になっていることに気付いていた。
「時系列って何なんでしょうね? 僕はあまり意識したことがないんですよ。誰かの前に現れて、こうやっていろいろ話をしている時の自分は、その時々でまるで違う人間になっているかのような気がする。その人が歩んできた人生を知っているつもりでいるのに、本当は知らないと思ってもいる。ひょっとすると、その人の本心が分かっているのかも知れないけど、相手がそれを認めたくないので、僕は完全に相手の本心を分かることはできないんじゃないかって感じています」
彼の正体がどういうものなのか、優香には分からなかったが、彼と話をしていると、優香のことをよく分かっているのは理解できた。
しかし、理解はしているかも知れないが、本心を理解してくれているのかと思うと、どうも違っているようだ。逆に分かっていないからこそ、好き勝手なことも言えるのかも知れないし、彼の存在自体が優香の心とシンクロしているのではないかと感じるのだ。
「時間というのは、規則正しく時を刻むもので、一分は六十秒、一時間は六十分、一日は二十四時間と、決まっているんですよね」
と優香がいうと、
「それは古代の人間が、天体との間で決められた約束事のような気持ちで考えたことなのかも知れませんね。でも、それが今もずっと息づいている。そして、時を規則的に刻むことに対して誰も疑問を抱く人もいない。それだけ強力ではあるんだけど、少しでも違う考えが出てきたら、どうなってしまうんでしょうね?」
と、彼が言い出した。
「別に変わらないんじゃないですか? それだけの歴史と実績があるんだから」
と優香がいうと、
「じゃあ、優香さんは歴史と実績さえあれば、それは完璧なことだって言いきれるんですか?」
と彼に言われ、優香はハッとした。
「そんなこと、考えたこともなかったわ。当たり前のことは当たり前のこととして考えていたわ」
「だから、前を見るんですよ。時系列に沿った考えが当たり前だと思うんですよ」
「一足す一が二だっていう発想と同じですよね」
と言って、優香は自分が算数の基礎が分かっていなかった頃のことを思い出した。
後になって思えば、
――どうして、あんな簡単なことを受け入れられなかったんだろう?
と思ったが、
――何でもかんでも受け入れてしまう発想こそが危険なのではないか?
と、感じている今は、彼の話を真剣に聞くしかなかった。
「学問の基礎って、分かってしまうとそこから先はさほど苦難はない。最初の理解こそが一番の難関なんじゃないかって思いますね」
という彼の言葉を聞いて優香は、
「うんうん」
と、無言で頷いていた。
すると彼は話を続ける。
「囲碁や将棋の世界で、一番隙のない布陣が何かということを話題にする人がいたんですよ」
少し話を変えてきたのか、彼の話にまた興味をそそられた。
「それはどういう布陣なんですか?」
「最初に並べた形なんですよ。一手打つごとに、そこから隙が生まれてくる。何事も最初が肝心だというのは、そういうことも含んでいるんじゃないかって僕は思っているんですよ」
と、彼は言った。
話を逸らしたかのようで、実際には元の話に繋がっている。それが彼の話術の素晴らしいところなのではないかと優香は感じていた。
「でも、それだったら、勝負にならないじゃないですか? でも、今のお話を踏まえて考えると、勝負事って、減算法のようなものなんじゃないかって考えてしまいますね」
優香は、否定しそうになりながら、自分の意見も答えた。
即答に近い形のものだったが、優香自身もここまで即答できるとは思ってもいなかったのでビックリしている。
「人は、必ず過去よりも現在、現在よりも未来に希望を持っている。それを失って彷徨っている人もいますが、やはり、進歩し続けるものだって考えているから、そんな風にもなるんでしょうね。だから、時々人は過去を振り返ったりするんですよ。それは意識的にであったり、無意識にであったり、人それぞれ、そしてその時それぞれなんじゃないかって思うんですよ。そして、過去を思い出して瞑想したりする。その瞑想が小説のネタに繋がったり、読み手の人には、妄想のネタを元に、自分に照らし合わせて、勝手な想像をする。それこそ、その人の妄想なんでしょうが、瞑想と妄想とでは違うものなんだって、その時に感じるんでしょうね」
「というと?」
「瞑想は、発想する人にだけ与えられたものであり、妄想は発想する人であっても、与えられたもので想像する人であってもいいんですよ。それが、瞑想と妄想の違いなんじゃないかって感じます」
という彼に対して、
「私のイメージとしては、同じ意味にはなるんですが、瞑想は一人で耽るもので、妄想もどちらかというと一人で描くものなんだけど、そこに誰かの発想の介入があってもいいのかなって感じます」
と、優香は答えた。
「優香さんのイメージとしては、妄想の方がより具体的な感じなんですか?」
と言われて、
「少し違います。妄想は確かに無限の可能性を秘めているようにも感じるんですが、その分、危険性も感じるんです。妄想を抱くことで人との発想を共有することになり、まるで夢を共有しているかのような感覚になるんです」
「なるほど、そのイメージはよく分かります。私はよく瞑想するんですが、一人で瞑想していると、完全に時間を忘れているんですよ。まるで夢の中にいるような感覚とでも言うんでしょうか? でも、瞑想している時、妄想も頭を過ぎることがあるんです。瞑想と妄想って、共存しないもののように感じますが、僕の中では共存もありかな? って書煮たりもします」
と言われた優香は、
「自分が何かの発想に耽っている時、他の誰かが介入してくるとでもいうことですか?」
「優香さんは、瞑想に耽っている時、すべて一人の世界で終わっていると思っていますか?」
「あとから考えるからそうなのかも知れませんが、一人で耽っている時に、誰かの介入を考えたことはないと思います」
と優香がいうと、
「じゃあ、時々誰かに見られているんじゃないかって感じたことありませんでしたか?」
と彼に言われて優香は考えてみた。
「確かにありますけど……」
と言いながら、思い出してみた。
一番最近のことのように感じていることとして、確か家路を急いでいる時、いつも引っかかるはずのない踏切で引っかかったことがあった。
――ついてないわ――
と感じたのを覚えている。
その踏切を通る路線は単線のローカル線で、上り下りとそれぞれ一時間に一本ほどしかなかった。朝晩のラッシュ時であっても、二本あるかないかという廃線目前の路線だったので、踏切に引っかかること自体、実に稀なことだった。
「カンカン」
警笛の音が乾いた空気に乗って、少し遠くまで聞こえていきそうな気がしたが、静かなまわりに反響は、それほどしていないようだった。
踏切で待っている人は誰もいなかった。車も一台通りかかった程度で、その車も、すぐに横道に逸れて、別の道を行くようだった。
踏切で待つこと一分ほどだっただろうか? まわりには誰もいないはずなのに、優香は変な胸騒ぎを覚えた。
――誰かに見られている?
前後ろ、左右と見渡してみたが、誰もいない。踏切の横には道がすぐにホームがあったが、そこに誰も待っているわけではなかった。降りる人はいるかも知れないが、この駅から夕方のこの時間、乗りこむ人がいるとも思えなかったので、当然のこととして認識していた。
優香はその時、
――まるで夢を見ているようだ――
と感じた。
別にその踏切でまわりに誰もいないことを不思議に感じることはない。車が逸れたのも、線路に平行に走って、もう一つ向こうの踏切を使おうと考えただけのことであって、普段からあまり人通りの少ないこの道で誰とも出会わないのも、不思議ではない。何しろ降りる人はいても乗る人のいない駅でのことなのだ。他では不思議に感じることでも、ここでは当たり前のこととして認識されて当然であった。
優香が夢を見ていると感じたのは、誰もいないはずのその場所で、違和感があったからだ。その違和感は、
――誰かに見られている――
という感覚で、誰もいないことを当然だと思っている場所で、誰かに見られていると思うのは当然のように違和感である。
しかし、その違和感がゾクゾクとした寒気であり、身体に気だるさをもたらすものであると感じた時から、夢を見ているという感覚に陥った。
しかし、夢で身体に違和感を感じるというのは、矛盾していることである。夢は見るものであって、身体が感じるものではないからだった。
ただ優香はその時の光景を、
――今までにも同じような感覚を味わったことがある――
と感じていた。
それは、最近のことではない。少なくともまだ小さかった頃のことだったように思えた。そう思うと、その時の優香も、
――本当の自分はもっと年を取っているのかも知れない――
と感じた。
踏切に差し掛かっている優香が、
――私って、今いくつなんだろう?
と感じると、急に我に返ったかのようになり、気が付けば、自宅のベッドで寝ていた。
――やはり夢だったんだ――
と優香は感じた。
夢にしてはリアルさがあったが、リアルなのは身体が感じた感覚だけであり、実際に見ていた夢を思い出すことはできなかった。
夢は目が覚めてしまうと、どんな夢を見ていたのか、覚えていないことは往々にしてある。忘れてしまったといってもいいのだが、気になる夢は意外と覚えていたりする。
だが、この時の夢を優香はそれから何度かちょこちょこと思い出すことがあった。思い出したといっても、一瞬のことであり、またすぐに忘れる。その思いが、
――今までにも同じような感覚を味わったことがある――
というものに結びついているのかも知れない。
優香は踏切で待っている間の感覚を夢だと思いこんでいる。実際に夢なのかどうか分からないが、夢だと思いこむことが優香の中での信憑性なのであった。
――夢だと思わないと、踏切で待っているという出来事を思い出すことができない――
と感じていた。
夢というのは実に都合のいいものだ。
自分で信じられないようなことはすべて、
「夢だったんだ」
という思いで解決できる。
さらには、夢を見たということを自分に言い聞かせることで、表に出したくない自分だけで抱えておきたい思いが、その時には存在していたということの証明でもあった。それがどんなことなのか分からなくても、その存在を意識することができる。いつかそれが自分の潜在意識として表に出てくることがあるのだと思うと、夢を見ることを優香は否定する気にはなれなかった。
友達の中には、
「夢なんて見るもんじゃないわ」
と言っている人がいた。
「どうして?」
と聞くと、
「夢っていうのは、都合のいいことはすべて忘れてしまって、都合の悪いことだったり、怖いことだけを覚えているように思うのよ。そんなの嫌よね」
と言っていた。
「それはそうかも知れないけど、夢の存在を自分が認めないと、夢が今度は自分の存在を認めてくれないような気がするの。そうなると夢なんて見ることもできなくなるし、夢を見ることができないと、心の中に余裕なんて持つことができなくなってしまうような気がするの」
と優香がいうと、
「難しいお話よね。分かる気もするんだけど、私にはやっぱり理解できない。どうしても夢は正面からしか見ることができないから、こんな思いになるのかしらね」
と言っていた。
「夢というのは、潜在意識が見せるものだって聞いたことがあるけど、私はその通りだと思うの。だから夢を見ることができなくなると、自分が何を考えているのか、分かるすべがなくなってしまうような気がするの」
と優香は言った。
優香とその友達とでは考え方が真逆のように感じられたが、本当の真逆であれば、百八十度回転して、重なり合うことになる。すべてが重なり合うことにはならないが、重なる部分が多ければ多いほど、今度は見えてこない部分が増えてくる。真逆ということの本当の恐ろしさは、
――相手のすべてを見通すことができない――
ということではないだろうか。
そんな友達との話を思い出していると、目の前にいる彼に自分のすべてを見透かされているかのように思っている優香だったが、
――本当は、彼には何も分かっていないから、分かっているかのようなふりをして、いろいろ言ってくるのかも知れないわ――
そう思うと、
――ただそれが実際に図星なので、私は世惑っているんだわ――
と感じた。
しかし、逆を考えると、相手も手探りで様子を見てきているところで、優香が彼の想定外の反応をしているとすれば、彼の心境はどうであろう? まともな神経でいられるだろうか? それを考えると、相手との立場関係という意味では、どちらが強いなどという発想ではなく、
――相手に悟られないようにしよう――
という思いをいかに表に出さないようにしようという態度が、却って相手にこちらの心境を探らせるに有利なイメージを抱かせることになるのかも知れない。
優香は小説を書きながら、自分の世界に入りこんでいると思っていた。
――自分の世界って何なんだろう?
と考える。
普段何かを考えている時の自分が、普段人と接している時の自分と違う次元にいるのではないかという発想を抱いたことはあったが、何かを考えている時の自分と、小説を書いている時の自分が同じ次元なのかどうか、考えてみたが、よく分からなかった。
同じように、普段人と接している自分とは違う次元にいると思っている二つを、平行して見ることができるのかどうか、優香には分からなかった。
小説を書き始める時の発想は、いきなり浮かんでくることが多い。普段から一人でいる時は絶えず何かを考えていると思っている優香にとって、いきなり浮かんでくる発想というのは、実は稀なものであった。
――それだけに、一度浮かんできた発想からの派生には、無限のものを感じられるのかも知れない――
無限という言葉は大げさではあるが、それほど発想がいきなり浮かんでくるというのは自分でも不思議だった。
――小説というものは、読むものだ――
という思いを、子供の頃に抱いていた。
それは、読むこともできないくせに書くなんておこがましいという発想から生まれたものだが、小説を書くというのは、
――普段考えていることをそのまま表現すればいいだけ――
という発想に立ち返ってみれば、それほど難しいことではないように思えた。
もちろん、やってみてどれほど難しいかということは経験済みだが、
――そのまま表現すればいい――
という、簡単なことを思い返してみれば、どのようにすればいいか、工夫を考えるのも今から思い出してみれば、楽しいものだった。
「優香さんは、小説を書く時に何を大切にすればいいと思いますか?」
いきなり彼が難しいことを聞いてきた。
難しいというよりも、漠然とした質問に、キョトンとしていると言った方がいいかも知れない。いや、漠然とした質問ほど難しいものはないという考えで結びつけることのできることであった。
「難しい質問ですね。私はなるべく先を読めるように考えながら書くことじゃないかって思っています」
というと、
「本当にそうですか?」
「えっ?」
彼は優香の回答に違和感を持っているようだった。
「優香さんの回答は、何か体裁を繕った綺麗な回答に思えるんですが、いかがでしょうか?」
と言われたが、それを認めることは優香にはできなかった。
なぜならその言葉が図星だったからである。
優香が黙っていると、
「失礼しました」
と彼はなぜか謝罪した。
なぜ謝罪するのか分からなかったが、優香にとって彼の謝罪は屈辱的なものであったが、それほど怒りがこみ上げてくるということはなかった。
「僕が思うに、小説というのは、対比している何かをいかに表現することではないかって思うんです。今こうやって話をしている間にも、対比しているものについて考えたりしましたからね」
「たとえば?」
「先ほど話した偶然と必然の考え方であったり、妄想と瞑想についてであったり、対比すると言っても、完全に真逆である必要はない。それぞれに同じ次元で並び立つものであっても、全然問題ないものなんですよ」
と彼に言われて、優香はさっきの踏切での話を思い出していた。
――そういえば、私はいつも頭に思い浮かぶシチュエーションが同じような気がする――
と思った。
小説にして文章に書いてしまうと、まったく違う場面になってしまうが、シチュエーションとして最初に頭に浮かぶことは、いつも同じなのではないかと思った。
だからこそ、書き始める時のアイデアやイメージは、途中までであって、後は書きながら積み重ねていくことにしている。無意識に考えていることで、自分が目指していたことが目に見えなくなってしまい、小説の先を考えるということの楽しみに変わってしまっているのではないかと思う。
小説のネタを考えるのは、頭の中からアイデアを絞り出すようなものであり、結構辛いものだと思っている。それだけに思い浮かんだアイデアは貴重であり、かけがえのないものとして新鮮である。そう思うことが小説を書くことの優香にとっての意義であり、楽しみの原点なのだ。
踏切のアイデアは、今までに何度も膨らんでいた。踏切から思い浮かぶこととして交通事故があったり、田舎のローカル線で、踏切に引っかかることなど、実に稀であることなど、勝手な妄想は、いつもそのあたりで落ち着いていた。
だから、思い出せるのであり、容易に発想に繋がってくる。ただ、抱いているイメージは普段封印しているのか、普段何かを考えている時にも浮かんでこない。だからこそ、
――小説を書いていると、いきなり何かが思い浮かぶんだ――
と感じているのではないだろうか。
小説と絵画での一番の違いは、
「小説はイメージを一から作り上げるものであり、絵画は目の前にあるものを忠実に描くことにある」
と思っていた。
そういえば以前。、絵画が趣味という友達と話しをしたことがあったが、その時に彼が言っていたことが印象的だった。
「絵画って、目の前にあるものを忠実に描くだけなんじゃないだ。省略できるものは大胆に省略するということも大切で、あるべきはずのものがそこにないという矛盾を、いかに見ている人に悟られないようにするかというのも絵画の醍醐味なんじゃないかって思うんだ」
その話を聞いて、
「まるで改ざんしているような感じよね」
というと、
「別に絵は目の前のモノを正しく描くのが絵画という芸術ではない。ひょっとすると、充実に描くことが一番の自然なのかも知れないけど、不必要だと感じるものを省略することも自然なことではないかって僕は思うんだ」
それを聞いて優香は、将棋の話を思い出した。
「一番隙のない布陣は、最初に並べた布陣なんだよ」
という話である。
絵画にしても将棋にしても、最初の一番大切なものを削ってでも、先に何かを求める。これは小説の世界にも当てはまることではないだろうか。
そう思うとさっき自分が言った、
――先を読めるように考えながら書くこと――
という話もあながち間違っているわけではない。
「ケガの功名」
という言葉もあるが、まさにそれである。
遠回りしてでも最短で行こうとも、同じところに行きつくのであれば、それはそれで正解である。別にスピードを求めるのではない。
――スピードを求めるのであれば、それはもはや芸術ではないと言えるのではないだろうか――
と優香は考えた。
絵画であったり小説というものをいかに表現するか、優香にはその思いを感じながら、彼との話を頭の中で展開していた。
絵画と小説は、それぞれに何かを対比させることで比較できるのではないかと考えたが、ひょっとすると、対比させていることであっても、どちらかが一周回って同じところに戻ってくると、同じ発想から生まれていることが分かるのではないかとも考えられた。
ただ対比させることで、まわりに深みを増し、いろいろな角度から見ることができることに気が付く。それが芸術というもので、芸術には、いろいろな種類があるが、原点は同じなのではないかと思えてきた。
――芸術の原点が同じなら、芸術以外の発想も、必ずどこかで繋がっているのではないか――
という発想は危険であろうか。
優香は夢を見ることがその発想の深みであり、夢も結局一周回って戻ってくると、同じところに落ち着くのではないかと考えるようになった。
――だけど、それだけなのかな?
と優香が考えていると、まるで見透かしたかのように彼が口を挟んだ。
「それだけではないさ」
とニッコリと笑ってのしたり顔。
「どうして私の考えていることが?」
と聞くと、
「だって、ここはあなたの夢の世界。あなたの潜在意識が作った世界。つまり私もあなたの潜在意識の中にいることになる。だからあなたの考えていることは分かるのよ」
「だから、的確な回答が?」
と優香が聞くと、
「でも、優香さんは僕の回答をすべて鵜呑みにしているわけではないでしょう? 疑っているというよりも、さらにその奥を覗こうとしている。貪欲なところが見られるんですよ。でもその貪欲さは普段の優香さんにはないものでしょう? それが夢の夢たるゆえんというところでしょうか」
と彼が言った。
「それだけではないって、一体何がそれだけじゃないのかしら?」
と優香は彼の話を分かっているわけではなかったが、スルーして、話を進めた。
話を進めたというよりも、早く結論を導き出したいという思いからなのかも知れない。
その思いは、
――この夢はこのまま永遠に続くわけではない。いずれ覚めてしまう――
ということに気付いたからだ。
もちろん、これを夢の世界の中での出来事だと感じた時から、夢が覚めるものだと分かっているのは当たり前のことであり、覚めることを意識していたように思う。
――いや、本当にそうだろうか? 夢なら覚めないでほしいという感情に似たような思いを抱いていたような気がする――
と感じた。
小説を書いている時は、先のことを思い浮かべながら書いていると、結構楽しく思えたのだが、それは書き終えて我に返ってからのことであった。実際に書いている時というのは、
――本当に先のことを思い描き続けることができるのだろうか?
と絶えず考えていた。
――いや、考え続けているからこそ、小説というものを書けているのかも知れない――
と感じた。
考えることをやめてしまうと、先を思い浮かべるなんてできっこない。つまりは、不安に感じていることも、
――考えていること――
であり、考え続けることと同じレベルの発想であったのだ。
自分の中でまったく違った発想だと思っていることも、夢の中では同じレベルの問題だったりする。逆も真なりで、普段同じ発想だと思っていることも夢の中ではまったく違う次元の発想として思い浮かべているのかも知れない。
――ひょっとして、夢の中だけが時系列の矛盾や発想の深みがあるものだって思っているけど、本当は現実の世界にも同じようなものがあって、ただ気付いていないだけなのかも知れない――
と思った。
夢の世界だけが特別なものではなく、それはまるで昼と夜の関係のように、それぞれ道教できないが、同じ感覚で繰り返しているという発想だと思えば、分からなくもない。夢の世界のことを分かっていないのは誰もが分かっていることだが、現実世界を夢の世界並みに分かっていないと思っている人は果たしてどれくらいいるだろうか?
――本当に難しい発想だわ――
と考えていると、
「優香さんが夢の世界と現実の世界の違いを、本当は存在しないように思っているだろうと思ってですね。そこまでくれば、一歩前進だって僕は思っています。ここから先は優香さんの発想がいかに証明されるかだと思いますが、その証明は優香さん自身が自分を信用できるかどうかということに掛かっています」
と彼は言った。
「なるほど、分かったような分からないような感じですが、あらたまって証明という言葉を聞くと、何か緊張してくるのを感じますね」
と優香がいうと、
「優香さんは、すでに結論に近づいているように僕には感じますが、そのことが優香さんを不安にさせているようにも思います」
「というと?」
「優香さんは、この夢の世界の終点をご存じのように思う。どんな結論が出るかということよりも、結論が出たことで、この夢の世界が終焉を迎えるということを分かっているんですよね。だから、終焉を迎えてしまうことに不安を感じている」
「そうかも知れません」
「そして、終焉を迎えることの不安は、夢が終わってしまうという不安よりも、自分の中で得られた結論を、目が覚めた瞬間に覚えているかということも大きな不安材料ではないかって思うんですよ。なぜなら優香さんは、大切なことは夢から覚めると忘れているものだって思いこんでいるでしょうからね。それは最初の方の話でよく分かっていますよ」
と、彼の口から出てきた、
「最初の方の話」
という言葉、
――そういえば、最初の方がどんな話をしていたのかっていうのを、ほとんど忘れてしまっているように思うわ。最初の頃というのがどれくらい前なのかも分からない――
つまりは、この夢の始まりということが優香には分からなくなってしまっているかのようだった。
「夢というのは、今優香さんが考えているように、現実世界と変わらない深みだと言えるんでしょうが、夢というものには、先を考える力が実はないんですよ。だけど、夢を見ている人は先を想像しようとする。だから夢は時系列に矛盾を与え、夢を見ている人に混乱を与えようとする。夢を見ている人はそのことを意識していないので、夢から覚めて、覚えていない夢が多いわけです」
という彼の話を聞いて、
「それじゃあ、夢の世界というのは、意志を持っているということですか? しかもその意志は見ている本人の意志とは異なるもののように聞こえますが?」
と優香が聞くと、
「そうですね。確かに優香さんの言っている意志を持っていると言っても間違いではないでしょう。でもその意志は見ている本人の意志と異なっているというわけではありません。その証拠が、夢の世界と現実の世界の深みには変わりがないということに繋がってくるんですよ」
と彼が言った。
「小説を書いている時、私は夢を見ているように感じることがあります。だから、その時小説を書き終わってから我に返ると、どんな小説を書いていたのかまったく覚えていないということも往々にしてあるんですよ。逆に、小説を書いている時に自分が夢を見ているように思えるから、その間、先を見ることができて、小説を書いていけると思っているんですよ」
という優香に、
「それは間違いではないと思います。僕は優香さんの夢の世界と現実世界のことは分かっているつもりですが、小説を書いている時の優香さんの気持ちになることはできません。私が聞く限り、優香さんは夢の世界への理解をかなり進められていると思っているので、その優香さんが感じる小説を書いている時の自分への思いも、あながち間違っているようには思えないんです。少なくとも一番よく分かっているのは、優香さん本人だということですよ」
と彼は答えた。
彼の返答に優香は、
「うんうん」
と頷いた。
「ところで、先ほどのそれだけではないというのは、優香さんの夢を形成しているのは、他の何かが介在しているということなんです」
という彼に、
「ということは、現実世界の私にも何かが介在していると?」
「そうかも知れません。少なくとも小説を書いている時の優香さんには、その介在は存在していると思います」
と彼は言った。
「ところで優香さんは、物の怪というものを信じますか?」
と、彼はいきなり切り出した。
「物の怪って、幽霊とかお化けというたぐいのですか?」
と聞くと、
「ざっくりというとそういう感じでしょうか? ただ物の怪というのは、何かに宿ってこどの物の怪なんですよ」
「それは憑りつくということでしょうか?」
「そういうことです。物の怪は何かに宿りますが、そこで自分を表に出す物の怪と、密かに宿っている物の怪とがいるんですよ。だから一口に物の怪と言っても種類があります」
「想像上の妖怪がたくさんいるようにですか?」
「そんな感じですね。しかも物の怪には、人に宿る者もいれば、モノに宿る者もいるんですよ」
「それは一人の物の怪がどちらもできるということですか?」
「基本的に物の怪は、何にでも宿ることができます。そういう意味では、人間が認識できないものに宿ることもできるんですよ。だから、すべての物の怪が人間に関係があるというわけではないんです。逆にいうと、すべての人間が物の怪に関わるということではないということですね」
「私たちは知らず知らずのうちに物の怪と関係しているということですか?」
「そうです。言い方を変えれば、物の怪からすれば、我々人間も物の怪の一種のように見られているんですよ」
「そうなんですか?」
と、驚いたように優香がいうと、
「そんなに驚くことはない。それが人間の傲慢さとでもいうんでしょうか。人間というのは、絶えず自分たちを中心に考えているところがあるでしょう?」
と言われて、優香は考え込んだ。
「だって、人間は自分たちだけを特別なものとして判断しているけど、大きく分ければ人間だって動物なんですよ」
「確かにそうですべ。そういう意味でいけば地球人と宇宙人という発想も同じですよね。人間だって宇宙人なのに、地球人だけ特別に思っている」
「人間は宇宙人を表現する時、○○星人と表現するけど、我々は地球人だって宇宙人には言わないですよね。最初はそう言っても、それ以降は自分の名前を言うでしょう? でも宇宙人はいつまでも○○星人のままですものね」
と言って、優香は笑った。
確かに自分で言いながら、その発想は滑稽であり、どうして今まで違和感がなかったのかが分からないくらいだ。ひょっとすると違和感があったのかも知れないが、意識しないふりをしていたのかも知れない。
「物の怪って、人間をふぉんな風に見ていると思う?」
と聞かれて、最初は怖いイメージがあったのだが、
「何か相手が人間を怖がっているんじゃないかって思えるんです」
と答えた。
「その通りです。だから、彼らは人間に憑りついて、人間の心を自分に写してみようと考えるんですよ」
「そうなんですね。でも、悪い物の怪だっているんじゃないですか?」
「それはね。彼らが安易に人間に憑りついてしまったからなんだよ。人間が物の怪に憑りつかれて狂ったようになってしまうのは、物の怪のせいじゃない。人間の潜在している意識が乗り移った物の怪を動かすんだ。だから物の怪としてはどうしてそんな状況になっているのか分からないんだけど、勝手に人間が狂ってしまう。それを彼ら自身も警戒しているんですよ。だから最近は、人間に憑りつこうとする物の怪はいなくなっています」
「確かに、今は物の怪に憑りつかれたなんて言い方、誰もしませんよね。まるで明治時代くらいのいにしえの話にしか感じませんよ。でも、じゃあ、人間が狂ったようになるというのは、あれが人間の本性だっていうことなんでしょうか?」
「その通りです。人間というのは、元々凶暴で、他の生物と共存しようという意識がないんですよ。口では共存と言ってはいるけど、それも自分たちのためでしかない。それを共存なんて呼べますかね?」
と、彼は次第に口調が荒くなっているかのようだった。
「あなたは、一体何者なんです?」
優香は核心をついてきた。
「僕は物の怪の化身のようなものです。あなたの夢の中に出てきました。というよりもあなたに憑りついていると言った方がいいかも知れない。僕はあなたのことをずっと前から知っています。それこそ生まれた時から寝。僕はあなたが生まれる前の記憶はありません。人間も生まれ変わるように僕たちも生まれ変わるんです。そして憑りついたその動物になりきることができ、心の裏に潜んでいるんです。だから僕はあなたの心の中に住んでいると言って過言ではありません。あなたはもう一人の自分に話しかけていると思ってくれていいです。あなたが夢を見る時、もう一人の自分を感じているでしょう? それはこの僕なんですよ」
「どうして今私の前に?」
「ちょうど今があなたの前に現れる時期なんですよ。優香さんが小説を書き始めたのは、実は僕が憑りついているからなんです。僕には記憶がないけど、かつての意識の中に小説というものがあり、それを優香さんが表現してくれている。そのお礼が言いたいというのもありますね」
「そうなんですね。今こうやって見ているのは夢なんですよね?」
「ええ、そうですよ。でも、あなたの思っているような夢と現実に違いなんてないんですよ。対比する何かが存在しているだけで、別にその世界に境があるわけではない。それを優香さんは自分の小説で感じることができるはずですよ」
と彼は言った。
「あなたは私だけの物の怪さんなんですよね? じゃあ、他の人にも同じように誰か物の怪さんがついているということなんでしょうか?」
「すべての人というわけではありません。ついていない人もいます。ついていたけど、離れてしまう人もいれば、ついていなかったけど、途中からつく人もいます。いろいろですよ」
優香はそれを聞いて不可思議な気持ちになった。
「今までついていた人から離れる物の怪がいると言いましたけど、それはその人が死んでしまうということになるからですか?」
「そういうパターンもあるでしょうけど、違うパターンもあります。人間が考える発想というのは、我々物の怪から見れば、実に小さな範囲での考えなんです。だからこそ人間は狭い範囲ではその実力を大いに発揮できて、まるで生物の代表のように振る舞っているけど、決してそんなことはない。傲慢さという意味では、どんな動物よりもすごいということなんですよ」
「何か、このお話を小説に書いてみたくなりました」
「いいですよ。でも、このお話を読者がどう感じるかは分かりませんよ。いかに書くかが問題ですね。まずは優香さんが信じたことを書いてみて、発表するかどうかは、それから考えればいい」
と言われて、優香は小説を書き始めた。
彼とはその夢で会ったきりで、その後、出てくることはなかった。そして優香は完成した小説を何度も読み返した。
結局、そのお話が世に出ることはなかった。
「これでよかったのかな?」
と、優香は彼の声が聞こえてくるかのようだった……。
( 完 )
夢ともののけ 森本 晃次 @kakku
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