第2話 中和
時間というのは、あればあるほど、あっという間に過ぎてしまうものだ。先輩が指定した時間は結構あるように思えたが、行為が進んでいくうちに、次第に終わりに近づいてきていることを正樹は悟っていた。
――他の人はどうなんだろう?
正樹は、ポジティブな方ではない。楽しい時間をゆっくりと過ごせるようなことはない。
気が付けば時間が経っていて、もうすぐ楽しい時間を終えなければいけないという感情に至った時、どうしようもないやるせなさに襲われることを知っていた。だから、時間が経過するとともに、終わりが近づく感覚を誰よりも知っているような気がして、その頃になると、すでに楽しめる感覚ではなくなっていた。
昭和の時代から平成の今でも続いている長寿アニメがあるが、その番組は日曜日の夕方六時過ぎから放送されている。
正樹は実際に使ったことはなかったが、親からそのアニメを見ている時に聞いた話として、
「この番組が始まると、もう明日の学校のことを意識しなくてはならなくなって、せっかくのアニメも楽しめなかった気がするわ」
と言っていたのを思い出した。
まだ小学生だった正樹もまったくの同意見で、何も言わずにただ頷いていたのを思い出していた。
また、夕日を見るとお腹が減ってくるというような感覚もその頃からあり、一種の条件反射が身体に身についてしまっていたのだ。
ただ、正樹はその条件反射を嫌な思い出として記憶しているわけではない。子供の頃に感じた懐かしい思い出として、嫌な思い出というよりも、むしろほろ苦い思い出というイメージで記憶していた。それでも楽しい思い出ではない以上、ネガティブだとは言わないが、
「ポジティブに考えることはできない」
という表現になるのだろう。
時間が過ぎることに、最近では子供のころほど意識しなくなっていた。しかし、時間が過ぎていく感覚は子供の頃よりもむしろ今の方が感じるようになっていた。
――ひょっとして、冷静にモノを見ることができるようになったという証拠なのかな?
とも考えたが、それよりも、
――まるで冷静というよりも、他人事のように考えているようで、何かはぐらされているような気がする――
と思うようになった。
何にはぐらかされているのかなど分かるはずないが、何にはぐらかされているかということよりも、はぐらかされているという感覚に陥る自分の感性の方が、正樹には興味があった。
最初の方は、
――慣れてくれば自分の方からもいろいろなことができる――
と思っていたが、慣れてくる頃の時間になると、すでに終わりの時間が見えてくるようになった。
そうなってしまうと、これからは期待というよりも、
――この時間をいかに収束させようか――
ということの方が大切になってくる。
楽しみに身を任せてしまうと、時間の感覚を失ってしまい、突然訪れた終了時間に戸惑いしか残せず、そこに残った戸惑いは、後悔に結びついてくる。
――ああしていればよかった。こうしていればよかった――
という思いが頭をよぎる。
そうなってしまうと、次に考えることは、
――取り返しのつかない――
という思いだった。
最初から時間の感覚を持っていれば、もっとやりようがあっただろうに、後悔だけが残ってしまうのは、愚の骨頂にしか思えないのだ。
突然訪れた終了という「儀式」に、それまでせっかく積み重ねてきた慣れであったり、感情も、終了が突然訪れたことで、すべてを忘れてしまうことになる。楽しかったはずの時間が、まるでまったくなかったことになってしまうことが、一番辛いことだった。
思い出そうと思えば、思い出せることだった。思い出すのもそんなに難しいことではないだろう。だが、思い出すことを正樹は嫌った。突然訪れた終了のために、一度失った培われた意識を取り戻すということは、自分のミスをなかったことにすることになる。それは正樹としては自分で自分を許せないことの一つとなっていた。
ただ、正樹は今までに何度となく、
――突然の終了――
を迎え入れることになった。
たとえば小学校時代、一番好きだった遠足という行事である。
遠足が決まってから、実際の遠足の日までの数日間は、正樹にとっては夢のような時間であった。
「早く遠足の日が来ないかな?」
とずっと考えていて、他の子供にも言えることだが、
「遠足の前日、嬉しくて眠れなかったよ」
という気持ちを誰よりも分かっているのが、正樹だった。
だが、日曜日の夕方のアニメが、急に月曜日からの学校を思わせてしまうのと同じで、遠足の前日から当日目が覚めるまでの間、
「眠れなかった」
という夜を通り過ぎると、急に遠足の終わりを意識してしまう時間があった。
ただ、遠足の楽しみというのは、遠足が決定してから数日間も温めてきた思いであるため、遠足の終わりを意識しても、まだ頭が冷静になることはなかった。実際に頭が冷静になる時というのは、遠足の間のお弁当タイムを通り過ぎてからになるのではないだろうか?
それまでは疲れなどほとんど感じなかったのに、お弁当タイムが終了し、いよいよ帰途の時間に差し掛かると、それまで感じていなかった気だるさが襲ってくるのだった。
その思いは、夏の間に感じる夕方の時間帯に似ている。自分が感じている疲れとは違う種類の疲労が身体に襲い掛かっている。痛いわけではないのに、指先が痺れていて、自分の意志で動かすことができないような感覚に陥るのだった。
「工藤君は、帰りの時間になると、急に元気がなくなってくるのね」
と、四年生の頃、一人の女の子に指摘されたことがあった。
彼女がどういう意図でそんなことを口にしたのか分からない。思ったことをただ口にしただけだとも言えなくはないが、その表情が妙にリアルで、真剣みを感じさせるが、その表情には、
「違うとは言わせないわよ」
という、確信めいたものがあったのが、正樹には怖いと思わせる感覚だった。
だが、彼女の表情には攻撃的なところがあったわけではない。自分の考え方を正樹に聞いてもらって、それが正しいのかどうか、ただそれだけが知りたかったのかも知れない。小学生時代の正樹は、相手の女の子の真意がどこにあるのか分からずに、何も言い返せなかったのを覚えている。
ただ、それは大人になった今でも同じことで、
――今、あの時に戻ったとしても、結局俺から何もいうことなどない――
と考えていた。
正樹はお弁当タイムの後から、その女の子と一緒に行動した。遠足と言っても、きちんと列さえつくっていれば、別に誰と一緒に歩いたとしても、問題ないという規則だった。
もちろん普段、学校を出ると、整列や配置は最初から決まっていて。決められた配置に沿っての行動となった。遠足の時はそれが解放されるということで、遠足を楽しみにしている生徒もいただろう。
だが、ほとんどの生徒の楽しみは、表でお弁当を食べられるということではないだろうか。そうでなければ、ただ学校を離れるのに歩いて出かけるということだけの遠足をそんなに楽しみにするということはないのではないか。これは昔も今も変わりのないことで、そんな数少ない伝統が残っているのも、嬉しく感じさせる思いでもあった。
お弁当タイムから一緒に歩いている女の子も、正樹と同じように、冷静であった。他の生徒も皆静かではあったが、それはあくまでも疲れているからであって、正樹や彼女とは明らかに違っているように思えた。
「美咲ちゃんは、どうしてそんなに落ち着いているの?」
と、正樹は思わず聞いていた。
「落ち着いているように見える? でもそう見えるかも知れないわね」
と、美咲は言ったが、最初はそれがどういう意味なのか分からなかった。
「私は正樹君の方が落ち着いて見えるような気がするのよ。たぶん、私とは違った意味での落ち着き、だから、あなたが気になったのよ」
と美咲は続けた。
「僕は、美咲ちゃんが違っているようには思えないけどな。といって、俺がどういう状態なのか、説明できるわけでもないんだけどね」
と正樹は答えた。
「ねえ、正樹君は今までこんなお話、誰かとしたことがある?」
と聞かれて、
「いいや、こういうお話をしたことはないよ。こういう話をする相手もいないしね」
と答えると、
「そうでしょうね。私もまさかこんな身近に声を掛けられる人がいるなんて思ってもみなかったわ」
「美咲ちゃんは、誰かに声を掛けたいと前から思っていたのかい?」
「ええ、私も実は今の正樹君のように、他の人から声を掛けられたのよ。その時に、いずれ私も今声を掛けられた時のように、今度は自分から声を掛ける立場になりたいって思うようになったの」
美咲の言っていることは、要領を得たわけではない。
だが、
――もし、彼女の言いたいことが分かるとすれば、それは俺しかいないだろうな――
と感じた。
「美咲ちゃんに声を掛けてきた人というのは、どういう人なの?」
と聞くと、
「それが分からないのよ。その一度出会っただけで、どこの誰だったのか、何を言われたのかすら覚えていないのよ」
「まるで夢でも見ていたかのようじゃないか?」
というと、
「そうは思いたくないけど、今ではそうだったんじゃないかって思うようになったわ。だって、今ではその記憶もあいまいになってきたからね。それでも誰かに声を掛けたいという思いは変わっていなかった。むしろその人の意識が薄れてくるにしたがって、次第にその思いが強くなってくるような気がしたのよ」
美咲はそういうと、少しまわりを気にしていた。
遠足でフリーということもあり、自分の近くに誰がいるか分からないという思いがあるからなのか。
しかし、こんな話を聞かれたとしても、小学生の子供が何を考えるというのだろう。美咲のことを気にしている人がいたとしても、きっと美咲への思いと、その時話している事柄とを切り離して考えようとするかも知れない。それが自然なことであり、無理もないことだと言えるだろう。
「私ね。小さかった頃に見た景色で忘れられないものがあるんだけど、それがどこだったのか、今となっては分からないの」
と美咲は言い出した。
「俺にもそんなところがあるような気がするんだけど、俺は小さい頃、他のところから引っ越してきたので、引っ越してくる前に住んでいたところだったんじゃないかって思うことで、そのことをあまり意識したことはなかったな」
「私も、小さい頃に引っ越してきたの。そして正樹君がいうように、今の話のように思い込もうとしたんだけど、どうしても納得がいかなかったのね。納得がいかなかったというよりも、いかせたくなかったと言った方がよかったのかも知れないわ」
正樹は、この話を大人になって思い出して、想像しながら考えていたので、実際に子供の頃に話した内容は、違っていたに違いない。
大人になってからの、子供の頃への願望のようなものが想像を妄想に変えることで、まるで大人の言葉づかいだったように思わせるのだろう。
だが、大人になったからの正樹は、
――子供の頃の方が、難しい言葉を平気で使っていたような気がするな――
と感じるようになっていた。
それは背伸びしているからだという考えではなく、自然と出てくる言葉の中に、チョイスを考える必要のない生の言葉が、次々に出てきただけのように思えてならないからだ。
「奇遇だね。二人は子供の頃、まったく別のところにいたんだね」
と話すと、
――ひょっとすると、その場所もお互い知らなかっただけで、実際には知り合うことのできるような場所だったのかも知れない――
と正樹は感じていた。
ただそれはまったくの願望であり、
――そうだったらいいな――
何がいいのか分からないが、信憑性のない発想に、正樹は無邪気に喜びを感じた。無邪気な喜びは、下手をすれば人を傷つけることもあるが、美咲と二人の間の無邪気さは、人を傷つけることはないだろうと思うようになっていた。
その後、美咲とは中学校も一緒だったが、仲良く話をするということはあまりなかった。どちらかが避けていたというわけではないが、お互いにどこかがよそよそしくなったと感じてしまうと、他の人との関係のように、
「そのうちまた修復できる」
とは思えなかった。
「一度こじれてしまうと前のように仲良くなることができない」
と思うと、それはそれで悲しいことだ。
だが、正樹には美咲との思い出は、子供の頃に話した不思議だけど、新鮮に感じられるあの時の感覚しか思い出せなかった。
もちろん、他の時の記憶も残っているはずなのだが、表に出すことができない。それだけ最初に感じたイメージが強烈だったということなのか、この思い出は、正樹の中のすべての思い出を引っ張り出しても、ベスト3には入るだろう。
正樹はその時のことを、
――受け身だった――
と感じるようになっていた。
正樹からも話をしていたし、会話もちゃんと成立していたのだから、受け身だったということはないはずである。正樹にとっての勘違いなのだろうが、美咲の方でもどうやら、
自分の方が受け身だったと思っているように思えてならなかった。
それを本当は確かめたいという思いに駆られているのに、その話をしてしまうと、二度と二人の間に会話が成立しないかのように思えたのだ。
確かめたいという思いにウソはないが、確かめることで彼女とのこれからの会話を犠牲にすることはできなかった。
しかし、会話を犠牲にしないからといって、このままでは先に進むことはできない。こう着状態の中で、先に進むこともできず、後ろに下がることもない。まるで凍りついた空気の中を漂っているかのようで、動いているにも関わらず、まわりから見れば、時間が止まってしまったかのように見えるようで、正樹は時々、そんなイメージが頭の中に浮かんでいるのに気付いていた。
自分が受け身の体勢を感じたことは、今までにはなかった。相手のなすがままになり、自分の意志はそこには存在せず、動くこともできず、ただ反射的な反応が襲い掛かってくるだけである。
ただ、子供の頃から、よくケガをしていた。入院するほどの大きなケガではなかったが、絶えず外科には通っているというくらいだった。骨を折ったことも何度かあったし、骨にひびが入ることくらいは年に何度かあった。一か所が治ると、待っていたかのように別の場所をケガすると言ったこともあり、まわりの人からみれば、かなりどんくさい男の子に見えたことだろう。
だが、同じ失敗をしたことはほとんどなかった。骨にひびが入るという結果から見れば同じ症状でも、その場所は明らかに違っている。もっとも同じ個所を間髪入れずに骨に異常をきたせば、完治するということはないのではないだろうか。
病院の診察室にある簡易ベッドに寝かされると、身体が飛び跳ねるような衝動に駆られたものだった。条件反射によるものなのだろうが、それに起因する現象は思い浮かばない。ただ、ベッドの上に乗せられると、急に麻酔薬のような刺激臭がしてくるのを感じた。ホルマリンのような臭いは、理科の実験でやった、「フナの解剖」を思い出させた。
――どうして、あんな臭いを思い出してしまうんだろう?
そこが病院だから、薬品の臭いがするのは当然なのだが、普段はどこからもそんな臭いがしてくることはない。昔の病院ならいざ知らず、今の病院では薬品の臭いを意識してしまうのは、歯医者さんくらいであろうか。そう思うと、鼻を突いてくるきつい臭いの正体が、本当に薬品によるものなのかどうかすら、怪しい感じがするのだった。
臭いは明らかに鼻を突いてくる、身体も条件反射のごとく、エビ沿ったかのように飛び跳ねると、今度はまわりが真っ暗になり、目が慣れてくるまでの数秒が、まるで数分くらいに感じられて、真っ暗闇の恐怖すら、マヒしてしまいそうになるくらいだった。
そんな時、次に感じてくるのは、真っ赤なライトだった。真っ暗な中で目が慣れてきているにも関わらず、そのライトはダークな赤色をしていた。
「これって、救急車のライトの赤い色だ」
ということに気付くのは必然的だった。
救急車のパトランプがクルクル回っているのを想像しただけで、身体が痛くなってくるほどの条件反射を持っていることは自覚していた。
グルグル回るその先に何が見えているか、正樹はそこに人影を感じたのだ。
誰もいないはずのそこに現れた人影、それはパトランプのように、クルクル回っていなければ見ることのできない錯覚であるに違いない。
「錯覚というものは、見る本人が意識していることを前提とし、それでも本人が見えるであろう当然と思える光景とは違った光景が目の前に飛び込んでくることで、混乱してしまう精神状態のことをいうのではないか」
と、正樹は思うようになっていた。
ただ正樹がその時に感じた赤い色は、暗い色であったが、濃い赤であり、そこには黒い影が背後に鎮座しているように見えた。真っ赤なその色は、見たことがあったような気がした。
――思い出さなければいけない――
と思いながらも、
――思い出せるわけないんだ――
という矛盾した考えを持っていたが、そこに存在するのは、子供であっても、大人になってからも最初に想像するものであったのだ。
「ああ、これは血の色だ」
そう思うと、思わず嘔吐を催してきたのを感じた。
必死で手で口元を抑えようとしているのだが、それは出るものを抑えようという思いよりもむしろ入ってくるものを遮断しようという思いが強かった。
入ってくるものというのは、もちろん臭いのことだ。どんな臭いなのかは、その瞬間に立ち会わないとハッキリとは分かるはずはないが、想像くらいはできる。
――鉄分を含んだ血の臭い――
それをどこで嗅いだのかハッキリと覚えてはいないが、最初の条件反射で感じた薬品の臭いよりも信憑性があった。
鉄分の臭いをどうして知っているのかというと、ケガをする中で、たまにひじや腕をすりむいたりすることがあり、その傷口に感じられた臭いが、無意識に頭の中に蓄積されていたのではないだろうか。
正樹は、血の臭いが病院の薬品の臭いを感じさせたり、受け身になった時に感じさせる錯覚を呼び起こす原動力のようなものではないかと思うようになっていた。
――血の色もパトランプも、奇しくも赤い色なんだ――
と感じた。
鮮血の色は変えられないが、パトランプの色は変えることができる。昔の散髪屋の前にあった赤と青、そして城のコントラストの中の赤が、血をイメージしているということを思い起こさせた。
大人になってからもちょくちょく思い出す光景だった。
高校生になってから、授業中に転寝をしていると、気が付けば熟睡していたようで、夢を見ていた。
夢の内容までは覚えていないが、目が覚めてからも鼻を突くツーンとした臭いを感じた時、それがアンモニアの臭いであることは、高校生になっているので分かったことだった。
「アンモニアって、昔はハチに刺された時の特効薬で使っていたって聞いたことがあったよ」
と、クラスメイトの誰かが言っていた。
するともう一人が、
「ハチの毒には、ギ酸という酸性の毒が含まれているので、アンモニアというアルカリ性で中和させることによって、ハチの毒への特効薬になるっていうことらしいよ」
正樹は心の中で、
――そんなことくらいは知っているさ――
と思っていた。
「でも、ハチに刺されると本当に死んでしまうんだな」
と、他の人がおもむろに口を挟んだ。
会話に入ったというよりも、会話に参加したというわけではなく、ボソッと呟いただけだった。その人は普段から自分の意見を言っても、誰かに聞かせようという雰囲気ではなく、ただ呟いているだけだった。
「あいつは、本当は会話に入りたいんだぜ」
と思っている人は少なくないが、本人が少しでも協力的ではない限り、まわりはどうすることもできなかった。
もっとも、自分から参加しようと思ってもいないやつを、会話に入れる義理などどこに存在するというのだ。その人が参加しようという意思を示してくれてこそ、会話を構成している仲間に入れることができるのだ。意思を示さないと、まわりが考えることはすべてが、
――余計なこと――
でしかなくなってしまうのだ。
ハチの会話だけが印象に残っているが、彼は生物学だったり、化学関係の話には結構うんちくを傾けていた。他の話に印象があまりないのは、きっとその時だけでその話が終わってしまっていたからであろう。ハチの話には続編があり、その時の彼の立場は、中心人物的な様相を呈していたのだ。
後で知ったことだが、彼の父親は大学で生物学の教授をしていた。まだ教授になってそんなに時間が経っているわけではないので、
「お父さんが大学の教授だということを、あまり学校で話さないでくれよ」
と言われていた。
彼は父親を尊敬していた。
子供から見ても卓越した頭脳明晰が感じられ、いつも背中が無言で自分を引っ張って行ってくれているように思えたのだ。
だが、そんな父親から、自分が大学教授であることを言わないでほしいと言われたことに対して、どう判断していいのか、苦慮していたのだ。
――言っちゃいけないって、どういうことなんだ? せっかく教授になったんだから、別に恥ずかしいなんて思いがあるわけでもない。おかしなことをいう――
と思っていた。
だが、父親としては、単純に恥ずかしいという思いが強かっただけだ。それは、助教授の時代には感じたことのないもので、教授になると、教授という肩書がついて回る。
「教授なんだから、それなりの風格を持っていないと」
と、まわりから言われて、それまで感じたことのない教授の風格が何なのか、いまさらながらに考えなければいけない自分の立場に、教授になれたことの喜びも半減してしまった。
まわりはそんな父親の気持ちを分かっているわけではないので、手放しに教授になったことを祝おうとしてくれる。そこに自分の感じている教授への思いと、教授という席の重みとのギャップに悩むことになった。
だからこそ、余計なことを言わないでほしいと思うのだろう。下手をすると、
「俺は教授になりたくてなったわけではない」
と言いたげないからだった。
確かに教授になれるものならなりたいという思いはあったが、それは単純に年功序列でなれる教授の椅子だと思っていたからだ。
もちろん、年齢だけでなれるものではないことは分かっている。しかし、普通に大学で助教授を続けていれば、無意識な努力であっても、それが普通に実を結ぶと考えていたからだ。
それなのに、自分の意志に逆らってまで、教授という椅子に本当にしがみついていたいものなのだろうか? まわりとのギャップがそのまま悩みになって苦しむくらいなら、正直な気持ちを近親者には打ち明けて、楽になった方がいいと思っていた。
そんな父親の心の動きを、内容まで分かるはずはなかったが、その友達は理解していたようだ。
だから、決して大学教授の父親がいることなど、誰にも言っていない。
友達は父親がどうして教授になったことを他の人に言わないでほしいと言ったのか、ずっと考えていた。絶えず深く考えることはなかったが、無意識に考えることほど、自分の知らないところで深く考えていることはない。
正樹はその友達を見ながら、その後ろに誰かの影を感じていた。それが彼の父親であることを分かった時、彼の表情が急に情けなさそうに写ったのを感じていた。
――俺に何かを看破してほしくないのかな?
さっきまで人と目を合わすことすら避けていた彼が、その時の正樹をじっと見つめている。
別に哀願しているわけではないのだろうが、願っているというよりも、祈っていると言った方がいいのではないかと思えてならなかった。
願っているという感情は、自分に対してのものというよりも、他人に対してのもの。それに比べて祈っているというのは、他人に対してではなく、ガチで自分のことだということを示している。
彼は、父親のことを抱えていたわけではなく、父親を背景にして、自分の悩みを抱えていたのだ。後ろに父親を控えさせることで、その思いを願いのように感じることで、自分の思いを正当化させようとしているようだ。
だが、この思いこそ、彼が感じたことではなく、教授になったことで悩まなければいけないことへの理不尽さを感じた父親の思いが、彼の中で交錯していたに違いない。
そんな彼がどうしてもハチのことを口にしたかったようだ。なるべく視線を合わせないようにしていたのも仕方のないことだろう。
友達は無意識にだが、予防線を張るということを意識していたのだろう。自慢をしたいという気持ちよりも、教授だということで、まわりから何でも分かる人なんだという思いを抱かれるのが嫌だった。
何でも分かるということは、
「分かって当然」
という思いもあれば、相手にとって、
「知られたくない」
という部分をほじくり返させると考える人もいるだろう。
同じ言葉でも、ニュアンスはまったく違う内容に、予防線を張りたくなる気持ちも分からなくはなかった。
正樹がそのことに自分で気付いたのはいつくらいのことだっただろう。少なくとも小学生の時代には感じたことのないものだった。
中学生になって、同じ表現でも、実際に受け取る人の違いでまったく違った印象を与える言葉への対応に苦慮するようになった。自分からそういう状況に持っていくことはなかったが、まわりから与えられてしまうことがほとんどだった。
そんな時、ほとんどの人が予防線を張っていて、正樹はその時、
――予防線を張るくらいだったら、何もわざわざそんな状況に持っていかなければいいのに――
と感じるのだった。
だが、そんな状況は裏の事情で、表では、自分を自慢できる絶好の場面だったりした。それまで表に出ることのなかった人が表舞台に進出できる絶好の場面。それを逃す手はないと誰もが考えたのだろう。
正樹には、中学時代までにそんな場面は訪れなかった。やっと思ずれたと思ったのは、高校になってからで、その時正樹には、好きになった女の子がいた。
その女の子は、誰もが憧れるような女の子で、正樹としては、
「笑顔に魅了された」
と思っていた。
そんなことを言えるのは自分だけだろうと思っていたが、彼女の人気の秘密は、誰が答えても、その笑顔を外す人はいなかった。
――なんだ、俺だけが思っているわけじゃなかったんだ――
と思うと、急に好きになった気持ちに影が差してくるのを感じた。
笑顔は確かに素敵だが、最初に感じたセンセーショナルな感情はどこかに行ってしまっていた。まわりの男子が皆自分と同じ発想を抱いていたことを知った瞬間から、正樹の中で何かが弾けたのだった。
その時、友達が言っていた、
「俺のお父さんは自分が教授になったことを内緒にしていてほしいって言っていたんだ」
という言葉を思い出した。
その友達は正樹にだけ打ち明けてくれていたようで、それはきっと正樹の口の堅さと、正樹が自分のこと以外に、余計な関心を持つことがないということを分かってのことだったようだ。
正樹は、その時、自分が皆の人気者である女の子が好きになったということを公表しないでよかったと思った。
もし、公表していれば、引っ込みがつかなくなって、下がることができず、行くところまでいくしかないと思い、玉砕も致し方ないとしか思えなかったに違いない。
それは自分がまわりに体裁を繕いたいという思いがあったからに違いない。自分のプライドを捨てて、前言撤回もやむおえないと思うくらいでなければ、本当はいけないのだろうと思っていた。
しかし、正樹はその時、そんな考えは頭の片隅にもなかった。
正樹は猪突猛進のところがあって、自分が思い込んだこと以外は、頭の中にイメージすることすらできないでいる。それは猪突猛進というべきなのか、自分に素直だというべきなのか、正樹はいいように自分で解釈していたようだが、まわりはそれほど彼に同情的ではなかっただろう。
好きになった女の子は、程なく別の男子と付き合うようになった。それはまわりが認めざるおえないような理想のカップルで、男の方も女子だけではなく男子からも人気のある男子生徒だったので、
「あいつが相手なら仕方ないか」
と、彼女に好意を持っていた男子生徒のほとんどがそう思うような相手だった。
中には、そんな二人がくっつくことをよしとしない人もいた。
彼も彼女もそれぞれに人気があったのだがら、男子にも女子にもそれぞれ同じくらいに快く思っていなかった人がいるのも当然のことだった。
それぞれの中に憎しみが芽生えてきた。
それは、好きになった人の相手に対してのものではなく、好きになった相手に対してであった。
「好きになった人に対してでなければ、憎しみなんか生まれない」
と言っていた。
最初は、
――強がりなんじゃないか?
と思っていたが、実際にはそうではなかった。
文面通り受け取ればいいのであって、ここまで来て言い訳などしても仕方のないことではないだろうか。
「ねえ、可愛さ余って、憎さ百倍って言葉知ってるよね?」
と言われたことがあったが、それが正樹も好きになった女の子を、公然と好きだと言っていたやつの言葉だった。
「ああ、知ってるよ」
もちろん、その言葉の相手が彼女のことを指しているのは分かっていたが、分からないふりをして聞いていた。
「俺は今まで人を憎いって思ったことなどなかったんだけど、今回は本当にそう感じるんだ」
と言って、正樹の目をじっと見た。
「それって、裏切られたような感覚なのかい?」
と聞くと、
「ちょっと違うんだ。裏切られたとハッキリと分かれば、俺もおおっぴらに憎しみをあらわにできるんだけど、裏切られたという意識にはならないんだ」
「それはどうして?」
「もし、俺が裏切られたと思うと、他にも彼女を好きだったやつも同じように感じるんじゃないかって思うんだ。俺は失恋してまで、同じように失恋したやつと同じ気持ちになるなんて、まっぴらごめんだって思ているんだよ」
彼の言い分も分からなくはなかったが、正樹が他の人と一緒では嫌だと思った感情とは少し違っているように思う。
正樹の感じていることよりも、よほど安直で、一緒にされるというのは迷惑千万に感じられるに違いないと思っている。
「そんなに嫌なら、最初から好きになったという思いを自分の中で打ち消してしまえばいいのに」
というと、
「それはできないんだ」
と少し寂しそうに話した。
正樹はその言葉に不信感を抱きながら、
「どうしてなんだ? 簡単なことのように思うけど?」
というと、
「確かにやってみれば簡単なことなのかも知れない。自分を納得もさせられるだろうし、自分の苦しみが緩和される気がするからね。でもどうしてもできないんだ」
いったい何を言いたいのだろう。話を聞いていると次第に腹が立ってきた。
「何を言っているんだ? 何がお前の中で引っかかっているんだよ」
と聞くと、
「だって、好きになったことを打ち消してしまうと、好きになってからの時間をすべて自分で否定するような気がして、その間に得られたものもすべて自分で抹消してしまうようで嫌なんだ」
「その頃にいったい何を得られたっていうんだい?」
「それが覚えていないんだ。だから余計に消し去ることができない。消し去ってしまうと、永遠に思い出すことができないだろう?」
確かに彼の言う通りだった。
だが、話をしているうちに、今度は正樹の方が苛立ってきた。
「そんなこと言っていたんじゃ、まったく前に進まないじゃないか。過去にしがみついていたってどうしようもないんじゃないのか?」
「俺もそれは分かっているさ。でも、この気持ちを整理できない限り、どっちにしても前には進めない。逆にいうと、整理さえできれば、どんどん前に進むことができるとも言えるんじゃないか」
と言っていた。
これも彼のいう通りで、結局彼らは二週間程度で吹っ切れたようで、新たな恋へと向かっているように思えた。
しかし、正樹は感情を引っ張っていた。その感情は彼女に対してのものではなく、自分の中での心の展開に感情を引っ張るしかなかったのだ。
――堂々巡りを繰り返している――
という思いをすっと抱いていて、その思いがどこからくるものなのかは分かっていても、その理由にまで辿り着くことはできなかった。
自分が予防線を張っているということに気付くまで、いったいどれだけの時間が掛かったというのだろう? 実際には分かっていて、分かっていないふりをしていたというのか、しかもそれは自分に対してである。
まわりの人に対して、
――過去にしがみついている――
と感じたのに、自分には何も感じなかったというのか、もしそうであるならば、正樹は自分が自分を客観的に見ることのできる位置にはいないということになるだろう。
自分を客観的に見ることのできるスペースがどれくらいあるのか、まったく想像もできなかった。もし、見ることができるスペースにいるとしても、そのことを自分で自覚しなければ、まったくその意味をなしていないように思えた。
正樹は一人の女の子を好きになった。
その女の子が誰の目から見ても笑顔が素敵な女性であるということを分かっていたにも関わらず、最初から、
――彼女の笑顔が可愛い――
と思うことで、自分だけの支配欲に慕っていた。
だが、誰の目から見ても可愛いという事実を再認識することで支配欲が石になってしまい、それが砂に変わり、風で飛ばされるイメージを抱いてしまった。
そのおかげなのか分からないが、予防線を張るまでもなく、
――自分は他の人と同じでは嫌だったんだ――
という思いを思い起こさせることで、いち早く自分を納得させた気がした。
それなのに、未練に関しては他の誰よりも持っていた。
――言い訳がましいことを最初に逃げ道として用意してしまったために、それまでの妄想を現実の思いとして消し去りたくないという思いが、未練に変わったのではないだろうか――
と思った。
それは、彼女を好きな人に、
「好きになった思いを打ち消せばいい」
と言った時、
「それができない」
と言って、目の前で苦しんでいる人を見て、
――俺はそんな苦しみ方はしない――
と客観的に感じたことで、彼らの真の思いを理解しようとしなかったことも原因とは言えないだろうか。
正樹は自分が逃げの感覚で最初からいることに気付いていなかった。なんとなく違和感があったのは確かだが、
――この思いは誰にでもあるもので、自分だけではない――
という言い訳に使っていた。
もちろん、その考えは間違いではない。だが、前面に押し出すには危険を孕んでいる。そのことに気付くはずもなかった。
この感情は、あくまでも最後の手段でなければいけない。いくつか自分を納得させるための言い訳を考えたとして、いきなりここに行き着くのでは、あとがないことを自覚していない証拠であろう。もし自分の考えが勘違いであったならという思いを、抱いていなかったからに違いない。
そんな時に考えたのは、
「人と同じでは嫌だ」
という自分の性格だった。
相手の女性が、誰もが好きになるような女性であれば、急に冷めた気分になってしまうのは、そんな思いからであった。
その思いがあるからこそ、最初から
「好きではなかったんだ」
と思うことができるのであって、他の人がいう、
「それができないんだ」
という言葉を正樹が口にすることはありえない。
「正樹とだったら、好きになった女の子がバッティングすることはないので、気が楽だ」
と他人に言わせるだけの感情は持っていた。
正樹は、友達というものに対して、
――相手に譲るのが本当の友達だ――
という考えを持っていて、自己犠牲の中で友達との関係が成り立つのだと思っていたのだ。
その考えは小学校を卒業するくらいまで持っていた。
――友達になってもらうんだから、こっちから近づいていかないと――
と考えていた。
だが、実際に友達になってしまうと、自分が相手にこびているということが分からない間はそれでもよかったのだが、こびていることに気付いてくると、自分のような人間を、実は一番嫌いだったということを理解してしまった。
――俺って、一番嫌いな人間に、いつの間にか近づいていたんだ――
と思うと、自己嫌悪が激しくなってきた。
友達がいないというのは、自分から友達を避けてきたというのもあった。
自分がまわりにこびてしまうと、まわりはこびる相手を、
「利用するだけ利用してやろう」
と思うものだと考えてしまった。
最初は、
――そんなことはない――
と自分に言い聞かせてきたが、少しでも自分を利用しようとしている素振りが見えると、すべての人がそんな目で自分を見ているような錯覚を受ける。
実際には、一部の人間の、しかも一時的な感情でしかすぎなかったのかも知れないが、いったん垣間見れた溝は、なかなか埋めることができずに、決定的な結界を作ってしまうことになりかねなかった。
その結界という溝は、一度できてしまうとなかなか埋めることができない。なぜなら、その溝の存在を知っているのは本人しかいないからだ。
しかも、本人にその自覚があるのかというと、ほとんどの場合は自覚がない。友達ができないことも、自分に非があるという意識を持っていながらも、その理由を、
「うまが合う人がいない」
であったり、
「友達なんかほしくない」
という開き直りであったりして、何とか自分を正当化させようとする意志が働いてしまうのだ。
その頃から、
――俺は天邪鬼なんだ――
と感じるようになった。
天邪鬼という発想も、ある意味自分を正当化するための手段として用いられることがある。まさか自分が正当化するために天邪鬼だと思っているなどと最初は思わなかったが、天邪鬼だと感じるようになった理由に、開き直りが影響しているということを自覚すると、正当化という意識へと結びついてくるのだった。
正樹の思春期は、他の男子生徒に比べれば遅かった。皆中学二年生くらいまでに思春期を迎えていたが、正樹にはその兆候はなかった。
正樹が考える思春期というのは、いくつかあるが、そのうちの大きな部分として、
「親に対しての反抗期」
というものと、
「異性への感情」
というものの二つに凝縮されるような気がしていた。
ただ、この感情は正樹だけではなく皆が持っているものなのだろうが、それは避けることのできない共通の考えだと思うと、
「人と同じ考えでは嫌だ」
と考えている正樹だったが、皆が認めるものをも否定する気持ちは持っていなかった。
あくまでも、中心は自分であり、最初から決まっていることをいくら自分中心とはいえ、覆すことのできないものを無理にでも変えることなどできないことくらい分かっている。それを曲げてしまっては、独りよがりの自己中心的な考えでしかなくなってしまうからだ。
そんな正樹が異性に興味を持った時期が他の男子生徒よりも遅かったというのは、それだけまわりを見る時間があったというよりも、まるで他人事のように見ていながら、羨ましさも含んでいたという複雑な心境の元にあったことを意味している。
クラスメイトの男子は、異性に興味を持っているというのを、卑猥な雑誌やDVDなどを見て、その話に興じている。その表情には淫靡な笑みが浮かび、さらにはニキビ面という汚らしい顔が浮かんでいた。
自分の顔をその頃の正樹は鏡で見たことがなかった。鏡を見るのが怖かったと言えばそれまでだが、なぜ怖いと思ったのかというと、鏡に写った顔に見つめられた自分が、
「こんなの俺の顔じゃない」
と言って自分の顔を否定するのが怖かった。
自分の顔を否定することで、それまで抱いていた自分のイメージをすべて打ち消してしまいそうで、そうなると、浮かんでくるのは目の前に写っている自分という人格である。決して認めたくない鏡に写った自分。その表情を見ていると、何とも言えない答えが、鏡に写った自分から返ってくるような気がした。
正樹は、友達との競合を避けようと思うようになった。それは友達への遠慮と言ってしまえば聞こえはいいが、競合することで負ける自分を見たくないという思いが強かったからだ。
人への遠慮だと考えていたのは正樹本人だけであって、まわりの人は謙虚さというよりも、正樹の逃げにしか見えていなかった。
「まるで現実逃避」
と思われていたのではないかと後になってから感じるが、後になって感じるということは、その時の鏡に写っていたもう一人の自分は、
――将来の自分だったのではないか?
という考えも浮かんで来たりする。
そんなことはありえないと思いながらも完全に否定できないのは、それだけその頃の自分に自信がなかった証拠でもあるだろう。
その頃の自分は、
――現在過去未来と存在している中で、現在は過去よりも優れていて、未来は現在よりも優れている――
という考えを絶対的なもののように受け止めていた。
理想論であることは分かっているが、理想だけがその時の正樹の自信を支えていた。
いや、支えるなどという言葉はおこがましい。理想がなければ、正樹に自信などという言葉を語るだけの資格はないと思えたのだ。
ただ、過去から続く未来への進化が、正樹の中で明らかに存在しているという意識はあった。
その意識がなければ、自分という人間の存在すら否定してしまいそうな感覚でもあったのだ。
正樹は普段から、
――自分には甘い――
と思っていたが、否定的なことに対しては、考えているよりもよほど厳格な考えを持っていたのではないだろうか。
正樹にとっての思春期は、他の人の思春期とは違っていた。他の人に比べて遅いのもなんとなく分かる気がする。
だが、遅かったことでそれが正樹のためになったのかというと一概にはそうだと言いかねない。むしろ、正樹の性格を形成するうえで、悪い方の性格を決定づける役目を担ったという意味で、罪に当たるものではないかと思えた。
正樹の悪い性格は、生まれ持ったものとして、逃げに走るところであろうか。
人に対して遠慮だと思っていることが実は逃げに当たるという考えは持って生まれたものであり、正樹の中で自覚できるものだったに違いない。
そして、
――仕方のないことなんだ――
と、持って生まれた性格は変えることのできないものとして、正樹の性格の根底に蠢いているものとして比類なきものであると考えた。
思春期になって気付いた自分の性格で、
――過去よりも現在、そして未来に続く時系列は、絶対的な成長を意味しているものだ――
と考えるようになったのは、持って生まれたものだというよりも、
――成長の過程で身についてきた考え方――
と言えるのではないだろうか。
正樹は自分の思春期の中で、
――未来に続く成長――
という考え方が、
――今までになかったポジティブなものではないか――
と感じるようになったことが、一番の成長だと思っていた。
だが、これこそ、他の誰もが感じていることで、正樹独自のものではないということであった。正樹は自分の思春期のどこかに失敗があったとすれば、
――この勘違いが一番の失敗だった――
と言えるだろう。
正樹は病院のベッドで寝かされていた。意識が薄れていく中で、何か喧騒とした雰囲気が自分を中心に駆け巡っているという意識はあるものの、意識が遠のいていくことで、それが他人事のように思えてきた。他人事のように思えることで、正樹はそのまま昏睡して完全に意識を失ってしまった。
そのまま手術を受けたようだ。苦しかったはずの身体が宙に浮いているような気分になり、気が付くと、ベッドの上で寝かされていた。
正樹はすぐにそれが手術の後であることを看過した。まわりを見渡すがそこには誰もおらず、腕は掛け布団の上にあり、そこに点滴の針が刺さっているのが分かった。
点滴など、それまでに受けたことがなかった。学校で予防注射をされたことがあったが、点滴などという仰々しいものは自分とは無関係のものだという意識を持っていたのだ。
痛みはなかった。だが、少しでも動かすと痛みを感じてしまいそうな気がしたので、腕は極力動かさないようにしようと思った。
ベッドの左側には窓があり、そこから差し込んでくる日差しが少し眩しかった。
今が朝なのか夕方なのか分からない。そもそもどれだけ自分が眠っていたのかも分からない。誰かが来て説明してくれなければ、正樹は何も分からないのだ。
――分からないんだから、何かを考えることは無駄なことなんだ――
と、普段は考えないようなことを感じた。
当たり前のことなのだが、普段はそんな当たり前のことを考えたことはなかった。無駄なことだと考えたその時、急にスーッと気持ちが落ち着いてきたのを感じた。
――まるで他人事のようだ――
と感じたのだ。
自分のことなのに、自分ではどうすることもできない状況に陥ってしまうと、焦りが生まれるものだと思っていたが、実際は逆だった。どうすることもできない状況は、自分が作り出したものではない。そう思うと一気に気が楽になっていた。
――焦りを一回通り越したんだろうか?
と考えた。
普段から、意味もなく何かに焦っているのを感じていた正樹は、そのことを意識しないようにしていた。だが、意識しないということは却って状況が変化した時、比較対象になるものだ。そのことをその時の正樹はいまさらながらに感じていた。
中学時代の正樹は、小学生の自分から脱却し、大人になりたいと感じていると思っていた。
だが、小学生の自分からの脱却とは何を意味するものなのか、分かっていない。ただ単に、
――大人になりたい――
と思っていたとすれば、漠然としすぎていて、余計に必要以上のことを考えてしまいそうに思えた。
――大人の定義っていったい何なんだ?
という思いがあるからだ。
大人になるということがどういうことなのか? そもそも、大人っていくつからなのか?
そんなことを考えていると、考えが枝分かれしていくことを感じ、その枝分かれした考えが、それぞれに相関関係として矛盾を孕んでいるように思えた。
大人になるのがいくつからなのかという考えは、ある一点を指して考えることで、それが時間を断面で割ってから判断するものだと思えた。
つまりは、自分の精神状態がいかにあるとしても、すべてを一刀両断にしてその瞬間から大人になったという考えである。それは危険な考えに思えたが、正樹の中ではすうに否定することはできなかった。
状況によって、大人になるという時期に差異が生じるとすれば、それは段階を追う形での大人への道である。
いわゆる、
「大人への階段」
という言葉で表現されるもので、一足飛びに一瞬にしてすべてが大人になるというわけではないという考えだ。
この考えは一番しっくりと来る。気持ちにも考え方にも余裕が感じられ、柔軟性もあって、説得力もある。もっとも理解しやすい考え方である。
だが、正樹はその考えをすべて鵜呑みにできないところがあった。
正樹には、一足飛びに大人になるという考えが捨てがたかった。それは、大人になるというその人の一大イベントを最大の演出として捉えるからだった。
自分でも理解できないうちに大人になったというのは、気持ちにも理解するにも余裕があって汎用性のある考え方である。しかし、それではまわりを納得させることはできるかも知れないが。本当に自分を納得させられるだろうか。
まわりは、見た目で、その人が大人になったと思えればそれでいい。たとえば、人に迷惑を掛けないだとか、見た目自立できているだとか、子供の頃とは明らかに違う判断力を有しているということから、そう感じるのだろう。
だが、本人は、まわりが納得できることを理解できているのかどうか判断としては難しい。だからこそ、本人が納得するには、まわりには分からない自分にしか理解できない何かを理解する必要がある。
そのことを正樹は分かっていた。だが、理解できるものが何なのか、ハッキリと自覚できていなかった。
――まわりは自分が大人になってくれたことで安心しているようだが、俺は自分で納得できないことが心配だ――
と感じていた。
そのことをカウンセラーの先生に話をしたことがあった。
正樹は、中学時代の学校にはカウンセラーの先生がいて、その先生にたまにであるが相談していた。
「君のように相談に来てくれる生徒は少なくてね」
と先生は言っていたが、それは、切羽詰まった生徒の相談は受け付けることがあるが、正樹のように、見た目切羽詰まってもいない生徒が相談に来ることは稀だという。それだけに嬉しいということのようで、先生に喜んでもらえることも、正樹には相談に来る意義があるようで、嬉しかった。
カウンセラーの先生は、
「大人になるということに対して、自覚を感じている人はたくさんいるが、大人の定義を考える人ってなかなかいないんだよ。定義と言うのは漠然としたものだという意識が皆にはあるんだろうね」
という先生に、
「先生は他人事のように言いますが、先生はどうなんですか? 定義を漠然と考えたりはしなかったんですか?」
と聞くと、
「僕も漠然としてしか考えていなかったよ。だから、大人になったという意識は他の皆と同じだった。だから、大人になったと自覚してからその後で、まわりから、『子供じゃないんだから』と何度か言われたことがあったけど、何を示してそんなことを言うのか考えても自分では分からないんだ。そのことを聞き直す勇気なんか出てくるはずもなく、結局そのままスルーしてしまったものだよ」
と言って笑った。
正樹は高校生になってから大人になるということを先生に相談してみたりはしたが、中学時代にはそんなことは考えなかった。
ただ、正樹は絶えず何かを考えている少年だった。
病院のベッドで誰かが来るのを待っている時も、いろいろと考えを巡らせていた。何を考えていたのかなど覚えているはずもなかったが、カーテン越しに見える表の見ながら、目が慣れてくるのを待っていた。
眩しさにも目が慣れてくると、表のすぐそばに一本の木があるのに気がついた。季節は春だったので、新緑が芽生えている時期だったに違いない。
花が咲いているわけではなかった。桜の木ではないことは分かったが、それが何の木なのかは分からなかった。
「誰かに聞いてみればいいじゃないか」
と言われるかも知れないが、それはできなかった。
なぜなら、その木の存在は、誰かが戻ってくるまでのもので、部屋に入ってきた人を意識するために目線を逸らしてから、再度窓の外に意識を向けた時、すでにそこにはさっきまであったはずの木がなくなってしまっていた。
――そんなバカな――
と思ったが、さっきに比べれば意識は今の方が遥かにハッキリとしている。
そう思うと、
――さっき見た方が錯覚だったんじゃないか?
と思うのも当然のことで、正樹はもうそれ以上、その木を意識することはその時はなかった。
部屋に最初に戻ってきたのは、担当看護婦さんだった。
「お目覚めになりましたか?」
と、ニコニコしながらこちらを見ていたが、手はせわしなく動いていた。
――さすが看護婦さん――
と思わせるほどで、いまさらながらに看護婦というのが職業であることを思い知った気がした。
だが、入院などしていると心なしか心細くなるものなのか、看護婦さんに癒しが感じられた。
「ええ」
と言って、看護婦と目を合わさないようにしたつもりだったが。まるで吸い寄せられるようにその目を見ないではいられなかった。
いや、正樹はウソを言った。実際には癒しを受けたくて看護婦と視線を合わせた。彼女の表情がどのように変わるのか見てみたいという衝動に駆られていた。
正樹は看護婦がどんな表情をするかを自分なりに想像していたが、本当であれば、
――想像通りの表情をしてほしい――
と感じるのであろうが、その時の正樹は、
――自分の想定外の表情を見てみたい――
という思いに駆られていた。
それは、いたずら小僧になったような気分でもあり、自分が天邪鬼であってほしいという思いに至った時でもあった。
正樹は子供の頃、自分が模範的な子供になることが一番なんだと思っていた。
親や先生からは、
「正樹君は、素直でいい子ね」
と言われたいと常々考えているような子供だったのだが、実際の心根では、まったく違うことを考えていた。
正樹は、自分が納得したことでないと信じないという性格があった。それは、性格の根底にこびりついているようなもので、その考えが強いからか、学校の成績は決していいものではなかった。
算数など、結構早い時期から落ちこぼれていた。授業を受けていても気持ちは上の空だったのだ。
その理由は、一番最初から引っかかったことだった。
「一たす一は二」
というのは、算数では一番の大前提となっている。
このことを理解できていないと先に進むことはできない。学校の先生は、すべての生徒がそのことを理解していると思って授業を進めているので、まさか理解できていない生徒がいるなど知る由もないので、その後の正樹が算数の成績が伸びないことがどうしてなのか理解できるわけもなかった。
「どうして、分からないの?」
あまりにも成績が悪いので、正樹だけ個人授業を受けたことがあったが、正樹は一言も喋らなかった。
「どこが分からないか教えてもらわないと、先生も教えようがないわ」
と言うが、正樹としては、
「最初から」
としか言いようがなかった。
まさか先生も本当に最初から分かっていないなどと思っていないので、正樹のその言葉を理解できなかった。
――この子はどこが分からないか自分で分かっていないので、最初からという表現しかできないんだ――
と、正樹の言葉を否定して考えた。
しかし、正樹は本当のことを言っているのだ。正樹としては本当のことを言っている以上、それ以上どうしようもない。先生も凝り固まった頭を拭い去らなければ、二人の間の溝が埋まるわけもなく、下手に刺激したことで、余計に溝は深まるばかりだった。
だが、正樹が算数を理解するようになったのは、まさに偶然のたまものだった。
しかも、それは算数とは直接関係のあることではなかった。ひょんなことから自分の考えていることに算数の理屈が入り込み、
――これって算数の考え方なんじゃないだろうか・
と感じたことで、それまで理解できなかった算数が瓦解されていくのを感じた。
――算数って、こんなに面白いんだ――
と思うと、それからの正樹の考えることは算数が増えていった。
元々整数の考え方では。均等の距離にあるものの法則だから、ちょっと考えればいくらでも法則性に気付くこともある。いくつかの数字の法則性も、まったく違う法則性で証明することができる。
「算数って、答えは一つでもそれを導き出すのにいくつもの考えがある。そのすべてが正解なのよ」
と先生が言っていたが、算数が好きになった正樹はその言葉が理解できるようになっていた。
算数が好きになると、勉強するのが面白くなってきた。それまで嫌いだった学科にも興味を持ち、毎日の反復が楽しくて仕方がなくなった。
復習ばかりをずっと繰り返してきたおかげで、少々の問題に対しても応用性が働くようになり、特に理数系に対しては、閃きが素晴らしいと言われるようになった。
一つのことに秀でてくると、他のこともうまくいくようになるもので、暗記科目も覚えられるようになった。
「要領が分かってきたんだろうな」
と先生が言っていたが、まさしくその通りだった。
五年生になる頃からやり始めた勉強だったが、六年生になる頃には、
「どこかの進学校に進学したい」
と思うようになった。
受験することで自分の実力を試してみたいし、何かの目標を持って勉強することの喜びを知ったことが、正樹をその気にさせたのだ。
進学校を目指すには少し遅すぎるかも知れなかったが、学校の先生ともキチンと話し合い、今からでも間に合う進学校を選定することで親も説得できたし、親としても、息子が勉強に目覚めてくれたのは嬉しかったようで、受験に対しての障害は何もなかった。
正樹の目指した学校は、進学校と言っても、ランクが上の方の学校ではなかった。ただ算数などの理数系を熱心に教育しているところだということは評判でもあったので、
「工藤が目指すにはちょうどいいかも知れないな」
と先生も言ってくれた。
六年生になってから受けた模擬試験の成績でも、志望校への合格圏内であった。もう一つ上のランクの学校も視野に入れていたが、少し危険をともなうということで、最初に目論んだ学校が一番無難だということで、そこを受験することにした。
さすがに先生からも楽勝に近いとまで言われていただけあって、試験もそつなくこなせた。
「これだったら、合格できる」
と、正樹も試験の手ごたえは十分だったので、それほど発表までに心配はしていなかった。
試験が終わってから発表までには一週間近くあったが、待っている間の最初の五日間はあっという間に過ぎたような気がした。
「どうせ合格するさ」
という、まわりの反応と同じで自分も心配などしていなかったにも関わらず、最後の一日だけは、想像以上に緊張したものだった。
「間違いないと思っているのに」
と、自分に言い聞かせたが、それが逆にプレッシャーになっていた。
――俺に今回の試験でプレッシャーなんかまったくなかった――
と試験中も感じていたので、それほど完璧なほど自信があるのだから、よもや心配するなど愚の骨頂とまで思っていた。
しかし、実際に発表の前の日になると、それまでの毎日とは違った一日が始まったという意識が、目が覚めた時からあった。
――どうしたんだろう?
自分の中で、不思議な感覚だったが、最初はそれがどこからくるものなのか、まったく分かっていなかった。
まさか、発表を前にプレッシャーを感じているなど、考えてもみなかったが、考えてみれば、今までプレッシャーというものがどういうものなのか知りもしなかったので、初めて襲ってきたプレッシャーの正体が分からなかったのも無理もないことだ。
逆に分かっている方がおかしい。そうは思ったが、その時に感じているのがプレッシャーだと自分なりに理解した時、
――この感覚って初めてじゃないような気がするんだよな――
と感じたのだ。
まだ勉強などしたいと思っていなかった時に感じたことだったというのは分かっている。勉強が好きになってからの自分は、時系列で大体のことは覚えているので、過去に感じたことであれば、そのまま記憶を遡って、いつごろのことか、分かりそうなものだった。
それなのに、初めてではないと思ってみても、
――そんな気がする――
という曖昧なものでしかなかった。
それは記憶にあったことだとしても、時系列で遡った感覚ではないからだ。
正樹の記憶には、どこか溝のようなものがあり、その溝は勉強に興味を持つ前と持ってからの間の歪であることは分かっていた。
正樹は発表の前の日、朝から同じことを繰り返しているような気がしていた。
――昨日と同じことを繰り返している――
といまさらながら考えていた。
ただ、考えるまでもなく、毎日というのは、ほとんど前の日の繰り返しであることは誰だって一緒ではないだろうか。朝起きて、顔を洗って歯を磨き、朝食を取る。朝食を摂らないことはあっても、それ以外は毎日の日課だった。そのことを、
「繰り返している」
という認識にならないのは、それだけ毎日の生活を当たり前のこととして捉えていて、意識していない証拠だろう。
だが、どうして意識しないのか、正樹は考えたことはなかった。正樹に限らず他の皆もいちいち意識するようなことではないだろう。日課を感じることで、
「毎日を繰り返している」
と感じたのだとすれば、それはよほど繰り返すということに日頃から意識をしていないかということを再認識させられた証拠ではないだろうか。
ただ正樹が、
「同じ日を繰り返している」
と感じたのはその日だけで、翌日の発表の日から、繰り返しているという意識を持つことはなかった。
合格発表の朝は、目覚めは悪くなかった。すでに心の中では、
「合格間違いない」
と思って疑わなかった。
前の日は心の中で、
「もし、合格していなかったらどうしよう」
というネガティブな思いがずっと支配していた。
少しの間、ネガティブではなくなったかと思うと、数十分もしないうちにまたネガティブになり、
「合格しなかったら……」
と、余計なことを考えていた。
それが頭の中で何かを繰り返しているという発想に繋がり、あとから思い返すと、
「同じ日を繰り返している」
という発想になったのではないだろうか。
その日一日は、自分では、
「あんなに長かった一日はなかった」
という意識を持っていたが、終わってみれば、
「合っという間だった」
と感じた。
終わってから、その日に感じた時間の長さを違う感覚で意識してしまうことはなかったわけではないが、その日ほど差があった時は、後にも先にもその日だけだった。
「今日は開き直ったようだ」
合格発表の日は、前の日にあれだけネガティブになっていた発想はまったく消え去り、合格を信じて疑わない様子だった。
前の日に、ネガティブという膿を出すことによって、開き直ることができたのだと言えなくもないが、そもそも開き直ることができる性格で、そのために、一度ネガティブに陥る必要があったと考えれば、前の日の一日も説明がつくだろう。
しかし、逆もありえる。
「ネガティブな性格が自分の本来の性格で、その恩賞として、開き直りが用意されている」
という発想だ。
これは、あまりにも自分に都合のいい発想だが、ネガティブな一日を過ごした自分だからこそ、自分に対して都合よく考えてもいいのだと思うと、正樹は自分を納得させるためには都合のいい発想も悪くないと思うようになっていた。
完全に自信の塊になった正樹は、当然のごとく合格していた。そして、合格発表のその日が自分にとっての新しい出発の日だとして、勝手にその日を自分の中に刻んでいた。
そこから先は、ずっと有頂天になっていた。
――俺以上の自分に自信を持つ人間はいないんだ――
という思いであった。
自信過剰というよりも、自惚れが独り歩きをしようとしているのを、自分で諌めているようなイメージだと言ってもいい。正樹の中で、その時、何かの葛藤が存在していたのだろうが、自信に満ち溢れていた正樹には、そんなことはまったく分かっていなかった。
実際に合格して見ると、あっけないものだった。
「こんなに簡単なことだったんだ」
と、それまでの努力を否定しまいそうなほどのあっけなさに、正樹は少なからずの動揺を覚えていた。
だが、実際に過去を振り返ってみると、
「二年前まで、勉強が嫌いだったことを思えば、その成長ぶりはすごいとしか言いようがない」
と、自分のことでありながら、自画自賛を恥ずかしいとは思えない。まるで他人事のような思いに、正樹は受験という一つの節目を、本当の終わりのように感じていたということに対して、まったく分かっていなかったのだ。
中学に入学してみると、まわりは今までと違い、エリートの集団のように思えた。
集団と言っても、それぞれに個別な存在なのだが、正樹は自分だけが別の存在のように思えて仕方がなかった。なぜそんな風に感じたのか分からなかったが、そのせいか、せっかく頑張って入学した中学だったのに、自分の目的が間違っていたという認識になる。
だが、考えてみれば当たり前のことだ。
受験して、一定の成績を収めた人だけが選ばれて入学してきたのだ。正樹と立場は同じである。他の人たちも正樹と同じように、まわりのレベルが今までと違っていることに戸惑っている人もいるはずなのだが、皆が皆、その思いを隠そうとしているようだった。そのせいで、正樹は個別な存在なのに、自分だけが別の存在のように思えてしまったのだということに気付いていなかった。
一年生の時は、まだ成績は中の上くらいだったが、二年生になると、明らかに順位は下がっていた。三年生になった頃には、下から数えた方がいいくらいになっていて、なぜここまで落ち込んでしまったのか、正樹には想像がつかなかった。
正樹が入学した中学校は、いわゆる、
「中高一貫教育」
を謳っていて、中学三年生でよほどの落第点を取らない限り、そのまま高校に入学できるシステムになっている。
いわゆる、高校受験は免除されるのだ。
中学三年間というのは、正樹にとってあっという間の期間だった。
友達ができるわけでもなく、何となく会話をする人はいても、心を通わせる人はいなかった。
そんな中、病院に入院した時期だけは、まるで別の時期だったような気がするのは、思春期と中学時代という時期が本当は重複しているのに、意識の中でまったく別の時期だったように思うからだった。
病院に入院中、正樹は自分が思春期であるということとは別に、まわりと自分とを比較した時、
――自分だけが、他の人とは違うんだ――
と感じていることを意識した。
窓の外にあったと思っていた木が、本当は最初からなかったのか、そのことも気になっていた。
夢に見たのだとすれば、それが一番自分を納得させることができる。しかし、夢に見るのであれば、それなりに何か夢に見る理由が存在しなければいけないと思うのだが、正樹にはそれが分からない。
正樹は、勉強が好きになる前と、好きになってからの自分、そして受験をすることで一つ上のステップに進んだことを理解できなかった自分をそれぞれ別の視点から見て、それを輪切りにすることで、何とか自分を理解しようとした。
その思いは、思春期と中学時代を重ねて考えることのできない自分をどのように正当化しようかと考えた時、その理屈が説明のつかないことであることを理解していたような気がした。
ただ、大人になるにつれて、十学時代と思春期の時期の矛盾を理解できているように思う。それはきっと、勉強が分からなかった自分が、分かるようになったことによって、勉強を好きになったという、分かりやすい理論によって分岐点が形成されていることを知ったからだ。
それを知るには、それぞれに刺激を与える必要がある。一緒に刺激を与える必要があるが、矛盾した二つにいかにして刺激を与えるかということを考えた時、正樹は頭の中で以前ハチに刺されたことを思い出した。
「そういえば、アンモニアが中和剤の役目を果たしたんだっけ」
と感じると、噛み合わない二つを結びつけるには、何かの従話材が必要であることを理解した。
その中和剤が何であるか、正樹には分からなかったが、病院に入院した時に最初に見た木が、いつの間にか消えていたことを説明できない自分を客観的に見ていたその時、見ている自分には、木の存在がずっと見えているように思えたことが、一種の中和剤のように思えたのだ。
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