第2話 お城めぐり
その時に思い出したのが、途中で転校していった晴美だった。
――晴美は確か、アイドルになりたいって言っていたっけ――
というのを思い出した。
どこに引っ越していったのか分からないが、少なくとも今麗美が住んでいる街にいる限りでは、アイドルになりたいという夢を叶えることは難しいだろう。田舎というわけではないが、大都会のようにスカウトがうろうろしているようなところでもなく、アイドル養成学校もほとんどないに違いない。
「アイドルと言っても、昔と違って地下アイドルもあれば、同じアイドルでもバラエティであったり、教養関係に長けている人もいたりして、ただ歌って踊れるだけがアイドルだった時代じゃないからね」
と、晴美が言っていたのを思い出した。
テレビ番組などを見ていればよく分かる。
確かにゴールデンタイムにある番組は、バラエティ色の強いものが多く、芸人であってもアイドルであっても、NGなしの人がよく出演している。歌番組もないではないが、同じグループの中でも歌番組にも出て、バラエティにも出演している人というのは、本当に一握りの人である。それだけ、アイドルも分業化されていると言ってもいいだろう。
アイドルという括りよりも、アイドルグループという括りの方が一般的である。オーディションによって選ばれた人がプロダクションに所属し、中には同じグループでも、プロダクションの枠を超えた人もいたりする。
さらには、一人の人が別々のグループに所属しているということも珍しくなく、一つの大きなアイドルグループの中で、枝分かれしたかのようなユニットが、いくつも発生したりしている。
それぞれで活動していて、楽曲もリリースしている。
「複数のグループに所属していて、同日に活動がかぶったりしないのかしら?」
というと、
「かぶっても、欠席ということで、どちらかに参加すればいいんじゃないの? そういう意味で、二人のユニットよりも、もっとたくさんの人数のユニットの方が多いのは、理に適っているんじゃないかしら?」
と、晴美はそう言って答えてくれた。
さすが、アイドルに憧れているだけのことはある。それなりに調べていたり、研究したりしているのだろう。そこには頭が下がる思いだった。
最初の頃のアイドルグループは、一般公募で選ばれていたが、中にはそれをテレビの企画としてプロジェクトが立ち上がっていたりした。公募から始まって、アイドルが出来上がるまでの状況を、ドキュメンタリーのように放送し、視聴率も稼いだ。しかも、テレビで公開のオーディションなので、それだけ知名度は結成前からあったのだろう。
最初は、番組に違和感があった人も、アイドルが結成されて、そのアイドルが一世を風靡するようになると、アイドルに対しての世間の見方も変わってきた。
昔のアイドルというと、グループというよりも、一人の女の子がスポットライトを浴びるというイメージで、一人だけに、アイドルとしての要素を複数持っていないと、生き残っていけない世界だった。
一人で分業制などありえるわけもなく、そういう意味では、公募によるアイドル養成を公開するというやり方は、画期的だったと言えるだろう。
アイドルのプロデュースする人も、音楽関係のプロというよりも、その人自身が、シンガーソングライターだったりすることが、さらに画期的であった。自分の楽曲も売れて、さらに知名度も上がる。そんな時代が十年以上も前くらいにはあったのだ。
その後しばらくは、一つのグループが、芸能界を牽引している時代が続いたが、やはり新しいプロデューサーが現れたことで、新しい時代を迎えることになる。
その人は音楽関係者ではなかった。一人の作家だったのだ。
作詞をすることから音楽に入り込み、そこでプロデュースのノウハウを勉強したのだろうか、いろいろな画期的な発想を打ち立てていく。
オーディションでのグループ結成は変わらないが、その頃からブームになりかかっていた地下アイドルというのも、彼は目をつけていた。
アイドルというと、どうしてもテレビに出たり、全国をコンサートで回って、大きなホールを満席にするというイメージが多いが、地下アイドルは、そうではない。
都会の片隅の中で、小さなステージが設けられていて、百人前後くらいしか入ることのできない会場で、それまでのアイドルとは比べものにならないほどの貧相な設備で活動していた。
昔は大きな映画館が主流だったが、ある時期、郊外型の大きなスーパーの片隅で営業しているような、あるいは、成人映画を細々と上映しているような狭い会場をイメージすれば分かるのだろうが、それが分かる人というのは、すでに中年の域を超えた人にしか分からないだろう。
そんな人はきっと、その頃のアイドル、特に地下アイドルというものの存在を信じていない。存在自体は話には聞いていても、想像などまったくできない世界で、そんな会場でアイドルの真似事をしている人がいるとすれば、それはお金のためにやむおえずにしていることではないかという発想にしか行き着くことはないに違いない。
新しく結成されるアイドルの中には、オーディションに合格する人もいれば、地下アイドル出身者もいた。
スポーツ界でも同じようなことが言えるのではないだろうか。
プロ野球なども、アマチュアで活躍して、ドラフト会議で鳴り物入りで入団してくる人もいれば、地道に活動していて、プロテストなどで合格したり、あるいは、海外の下部組織で活躍して戻ってくる人もいる。
地下アイドルというと言葉は悪いが、
「底辺がしっかりしている組織や団体は、それだけの強さを持っているということだ」
と言えるのではないだろうか。
作家がプロデュースするだけに、発想も豊かである。
それまでの概念を打ち砕くという意味で、何でもありの考え方は、アイドル界だけに限らず、いろいろな分野で取り入れられることになる。
もっとも画期的なのは、一つのアイドルグループが大きくなりすぎて、それを分割するのではなく、一つのグループの中で階層を作り、その階級を、選挙で決定するというやり方である。
元々は、ある歌番組に出演依頼があったアイドルグループが、
「その人数ではスタジオに入りきれない」
ということを番組から通知され、
「どうしたものか」
と考えていたところ、
「それじゃあ、いっそのこと出演者を選抜メンバーという形にすればいい」
ということになった。
それが、その後もそのグループの方針となり、
「じゃあ、選抜を決めるにはどうすればいい?」
という発想から、
「選挙を開催すればいいんじゃないか?」
という意見が出て、
「その有権者の対象を一般のファンにさせるようにすればいい」
という発想になり、しかも、その応募の権利は、彼女たちの楽曲購入者に権利を持たせることにすれば、楽曲は売れるし、さらに、ファンとアイドルの間の絆ができることで、さらなるファンの獲得、さらには既存のファンを大切にするという発想から、このアイドルグループの体制が盤石であることに繋がってくるというものだった。
だが、一つがうまくいけば、弊害も出てくるというもので、プロダクションは、アイドル一人一人よりもグル^ぷを大切にするという昔からの体質で、所帯が大きくなればなるほど、一人一人への待遇は、冷遇になってしまいかねなかった。
そこで生まれた発想が、
「アイドル個人個人で自立させること」
であった。
アイドルグループとしての活動だけではなく、個人でも何か取り柄を設けて、それに関しては誰よりも長けているという人間教育をアイドルに施せば、大人数の中で浮いた存在になったり、グループを脱退することになっても、自立して違う方面で生き残っていけるようにするというやり方が生まれてきたのだ。
それは、まるで就活のための資格取得に似ていた。
勉強して資格を取る人もいれば、バラエティ番組に出演して、そこで目立つことで、バラエティとしての顔も持つことで、今度は違うファンの取り込みもできるし、アイドル界でも、異色として目立つこともできる。
深夜の番組では、アイドルグループの女の子たちが、バラエティとして出演していることが多くなってきた。中には、毎週放送することができず、月に一度放送され、さらにはスタジオが借りられず、会議室のようなところで、立って進行するという番組もあったりした。
「内容は結構面白いのに、もったいないな」
と言っているヲタク連中もいたりした。
おかげでアイドルはどの番組に出ているか神出鬼没的なところもあった。
バラエティ番組はもちろんのこと、報道番組や、さらには教養番組にまでゲストとして呼ばれる人もいたりして、その活動の幅広さには、頭が下がるというものだった。
晴美がなりたいと言っていたアイドルは、昔のアイドルだった。
いわゆる正統派アイドルと言ってもいいだろう。楽曲をリリースして、歌って踊れるアイドルを目指していたのだ。
そんな晴美は、
「アイドルになりたい」
と言っていたのを聞いたことはあったが、どんなアイドルを目指しているのかなどということを話したことはなかった。
麗美が避けていたわけではなかったが、晴美も別に避けている様子もなかった。お互いに話すきっかけがなかっただけで、見ている限りは、晴美が正統派アイドルを目指していたのが分かりきっていただけに、麗美は必要以上に知る必要などないと思っていたのかも知れない。
麗美から見ると、アイドルというのはお姉さんばかりで、自分が憧れたとしても、結局は届くことのない憧れだけで終わってしまう相手だと思っていた。
麗美は、
――目標を持つことは悪いことではないと感じていたが、その目標を達成してしまったら、その後はどうすればいいのか?
と考えていた。
目標を持って、それを達成するために努力することは楽しいし、生きがいにもあるだろう。しかし、達成してしまうとその後に残るもの、それを思うと、
――目標とは、持っていて達成するまでの命なんだ――
と思い、
――達成してしまうと、その後に残るのは、虚脱感と不安、そして孤独感、何をどう考えてもいいことなんか、一つもないんだ――
とまで思うようになっていた。
――達成感を感じるというのも、達成してしまった時点では、すでに達成感が成就してしまっている、達成感の成就と同時に、目標は達成されるものだ――
と、そこまで考えてくると、やはり、目標を持つことの意義を、次第に怖いと感じるようになっていった。
それを人に話したことはなかった。
もし誰かに話したら、
「考えすぎよ」
と言われるだろう。
それだけならまだマシであったが、
「そんなことばかり考えていると、せっかく何かできる素質があるのに、何もできずに終わってしまうわよ。達成感というのは、そこに満足感があるから、達成感というんじゃないかしら?」
と言われたらどうしようと思っていた。
ただ、当たり前のことをその人は言っているだけだ、当たり前のことというのは、誰にでも思い浮かぶことであり、麗美が思い浮かんだということは、この発想は当たり前のことだと言い換えることができるんだろう。
「達成しても、そこで終わりではないと思うにはどうすればいい?」
と言われたとして、その答えを思い浮かばないのは、
「そんな簡単なことも分からないのか?」
と、愛想を就かされると思えた。
麗美にも分かっていた。
「そんなものは、新しく目標を持てばそれでいいだけのことよ」
と言えばそれまでだろう。
だが、目標を一つ持って、達成することにすべてを掛けている人が、達成したと同時に新たに目標を持つということは無理があると思っていた。これはタイミングが問題である。
達成するよりも早く別の目標を持つと、達成するはずだった目標を見失ってしまう可能性もある。
かといって、目標を達成してから、あるいは、達成したのと同時に新たな目標を見つけたのであれば、その時にはすでに孤独感、虚脱感、そして、今後の不安が自分の頭を支配している状態で、とても次の目標など持つことはできないだろう。
アイドルになるということだけを目標にしていては、きっと行き詰ってしまうかも知れない。アイドルになるというのは、出発点であり、そこからどんどん新たな目標は生まれてくる。達成感が終着点だと思っているから、孤独や虚脱に見舞われるのだ。
「達成は、新たな出発のプロローグなのだ」
と思えるかどうかが、その人の運命を決めると言っても過言ではないだろう。
麗美が中学二年生になった頃、友達と旅行に出かけた。その友達は本当は一人で出かけたかったのだが、両親が許してくれない。それで麗美を巻き込むことで何とか旅行に出かけることに成功した。
その友達とは歴史が好きだという共通点があった。今回の旅行の目的は、
「私、お城を見て回りたいのよ。その手始めに、まずは近場から攻めていきたいんだけど、近場でも、なかなか両親が旅行を許してくれないの」
麗美としては、
「まだ中学生なんだから、子供が一人で旅行なんて、そりゃあ、ご両親は心配するんじゃないの?」
というと、
「何言ってるの。もう中学生よ。一人旅が早すぎるという年じゃないわ」
と言った。
「でも、私が一緒に行くと言っても、結局は子供だけで出かけることになるんだから、親からすれば、一人旅と変わらない感覚なんじゃないの?」
「そんなことはないわ。私の両親は、一人旅がダメと言っているだけで、誰かと一緒だったら。それがたとえ同級生であっても、問題ないと思っているわ。さすがに相手が男子生徒だと違う意味で問題があるんでしょうけどね」
と言って、笑っていたが、
「そんなものなのかしらね。私には分からないわ」
と、彼女の話に半信半疑だったが、彼女の親に話をすると、
「そう、麗美ちゃんとだったら、問題ないわ」
と、彼女の言う通りで、麗美の考えていたこととはかなりの違いがあった。
まるでキツネにつままれたような気がしたが、
「これでよかったのよね?」
と彼女にいうと、
「ええ、これでいいの。だから、このお話はこれで終わり、あとは旅行を楽しむだけよ」
と言って、すでに彼女の気持ちは旅先に向いていた。
これが彼女のいいところであった。
気持ちの切り替えの早さは、麗美にはないもので、尊敬に値するくらいのものに感じられ、彼女と一緒にいるだけで楽しくなってくる理由が分かってくるようだった。
旅行に反対しなくなったと思った彼女の母親だが、いざ出かけることになると、今度は全面的に協力してくれるようだった。
「泊まるところの手配も、切符の手配も、すべてお母さんがしてくれたのよ。私が立てた計画をお母さんがそれなりに解釈して、二人でプランを立ち上げたの。これがそれなんだけどね」
と、彼女はプリントアウトされた計画書を見せてくれた。
計画は三泊四日で、列車の時間と、宿泊場所の地図、そして、時間配分もプランを三つくらい選定してくれているようで、麗美もそれを見ながら、自分なりに想像してみた。
しかし、実際にその土地に行ったことがないので、あくまでも計画でしかないのだろうが、ここまで計画されていると、少々時間がずれても、修復は可能であることは十分に考えられた。
ちょうど夏休みに入ってからすぐのことだったので、かなり暑いのは想像できたが、旅行先のコースは避暑地としても有名なところから少しずれたところなので、それほど暑くはないと予想もされた。
しかも、観光地が近いとはいえ、お城がいくつか乱立している程度で、それ以外に有名な観光地もないコースには、さほど人が密集することはないと思われた。お城が乱立しているとはいえ、天守閣が残っているような観光ブックに載っている城ではなく、地元で有名なくらいの城や、城址なので、
――マニアくらいしかいないのではないか――
と思わせる程度だった。
「私は、これでもマニアなのよ」
と、友達は自慢していたが、
「何の自慢なのよ」
と、麗美も笑って返したが、それ以上の会話がなかったのは、そこでお互いに納得が行ったからで、
――この納得が二人を友達にしたのかも知れない――
と麗美は感じていた。
麗美は、この友達と一緒にいる時、小学生の時に一緒だった晴美を思い出すことが多かった。
小学生時代に数少なかった友達の一人が晴美であり、留美とは違った意味で友達として大切に感じていた。
――晴美は、私の知らないことをいろいろと教えてくれる友達だったんだわ――
と思っている。
教養のあることであったり、雑学的なことではなく、その時々で、
――これ、知りたかったことだわ――
と感じさせることを教えてくれる、あとから、教えてくれたことに感謝の気持ちがこみ上げてくるというそんな感情にさせてくれるのが、晴美だったのだ。
旅行の日が近づいてくると、友達があまり連絡をしてこなくなった。
「あれ? 本当に旅行に行くのよね?」
と思わず、そう口走りたくなるくらいに音沙汰がなかtったのだが、旅行の二日前になって、
「連絡ができなくてごめんね。あさっては予定通り出かけるからね」
と、元気な声で連絡が入った。
「ええ、分かったわ。連絡がなかなか取れなかったので、少し心配していたんだけどね」
というと、
「ごめんね。やっと連絡ができるようになって、私もよかったと思っているわ」
と、電話越しに聞こえてきた声は本当に安心しているように聞こえたのだが、最初の言葉で感じた元気なイメージとは矛盾しているように思えてならなかった。
―ー何かがあったんだわ――
と思ったが、あれこれ聞くわけにもいかず、とりあえず、黙っておくことにした。
約束当日には、駅で待ち合わせをしたのだが、最初に駅に到着したのは、麗美の方だった。
誰かと約束をすると、約束の時間よりもかなり早く着いていないと気が済まないタイプの麗美は、自分が誰かを待たせたという記憶はなかった。
――当然、今日も私が最初に来ているんだわ――
といつものように感じて駅で待っていた。
到着したのは約束の時間の三十分前、普通そんなに早くから来ている人はいないだろうと想わせた。
数人で待ち合わせをすると、一番早い人と、一番遅い人は、まず間違いなく同じ人だ。
「いつも、あいつは遅刻してくる」
と、一番最後の人は結構目立つのだが、一番乗りしている人は、それほど目立つことはない。
だが、二番目に来る人からすれば、
「いつも一番なの?」
と、聞かれる。
きっと、二番目に来た人とすれば、
――自分が一番に違いない――
と思ってきていることだろう。
それだけ麗美が来るのが早すぎるからで、一番だと思っていた人からすれば、自分よりも前に誰かがいるというのは、ある意味では許せない気分ではないだろうか。
自分を正当化させるために、二番目に来た人は、最初に来ているその人が、いつも一番であってほしいという気持ちになるのではないかと思うと、何ともいじらしさのようなものが感じられた。
三十分近くも前に待ち合わせ場所に来ていると、誰もが、
「そんなに早く来て、何をしてるの? 時間が余って仕方がないでしょう?」
と思うのだと感じるが、麗美にはそんな思いはない。
「三十分なんてあっという間よ。人の流れを見ているだけで、すぐに経ってしまうわ」
と答えるが、これは本心である。
聞いた人は、言い訳のように聞こえるかも知れない。だが、麗美は言い訳をしているつもりなど微塵もなかった。
「時間の感覚なんて、慣れと、その人の感性でいくらにでもなるものなんじゃないのかしら?」
と感じていたからだ。
その日、麗美はいつもの時間に来てから友達がやってくるまでの間、いつもよりも時間が長かったように感じた。
だが、友達が現れたのは、約束の時間の十分前だった。本来なら、
「少し早いわね」
と言われるくらいの時間で、ちょうどいい時間という表現をするとすれば、早い時間の範囲のギリギリのところなのかも知れない。
友達は親の車で送ってもらっていた。
「麗美ちゃん、旅行中はよろしくね」
と、お母さんから言われ、
「分かりました。任せてください」
と、元気に答えた麗美は、急に大人になったような気がしたのは、大人に認められた気がしたからだった。
だが、すぐに我に返って、お母さんの社交辞令であることに気付いた麗美は、急に自分の態度に恥ずかしさを感じた。
「じゃあ、お母さんは帰るわね」
と言って、車に乗り込む母親を見送る友達の目は、少し冷めていたように思えた。
「さて、それじゃあ行きましょうか?」
ここから先は、主導権を友達に渡して、麗美は彼女にくっついていくだけだった。
ホームに行くと、すでに乗り込む列車は到着していた。
「二号車だわ」
と言って、麗美を引っ張っていく彼女が、急に頼もしく感じられた。
お互いに子供同士の旅は初めてのはずなのに、友達がやけに堂々としているのを見ると、少しビックリさせられた気がした。
――これなら、親の反対さえなければ、一人旅をしても、別に問題ないわよね――
と感じた。
二号車には指定席のマークがついていて、さっそく乗り込むと、それまでの喧騒としたざわつき感があったホームとは違い、車内はいかにも密室と思わせるような空気が存在していた。
――なんとなく眠くなってしまいそうだわ――
と感じさせられ、友達に誘導されて、座る席を探していた。
二人掛けの席にちょうどなっているので、二人だけの世界を作ることができた。だが、車内の密閉された雰囲気の中では会話もままならないような気がして、かなり音を立てないように気を遣わなければいけないと思えた。
だが、いざ座ってみると、まわりから、ざわついた音が少しだけ聞こえてきた。
――別に音を立てないように余計な気を遣う必要はないのかも知れないわね――
ざわついた音は、密閉した空気に支配され、煩わしい音に感じることはなかった。少々くらいの会話なら、まわりに迷惑をかけることがないように感じられた。
座席は、友達が通路側で、麗美が窓際だった。席についてまわりの雰囲気を読み込もうとしている間に時間が経っていたようで、やっと落ち着いて窓から表を見ると、すでに列車は発車していた。
――なんて静かなのかしら?
今まで新幹線はおろか、在来線の特急列車に乗ったことのなかった麗美は、特急列車の独特な雰囲気に戸惑っていた。
友達は。疲れていたのか、座席に座って少しすると、睡魔に襲われたようで、そのまま眠ってしまっていた。麗美はその様子に少し安心感を覚え、自分はその間に車窓から表を眺めることができることを喜んでいた。
各駅停車で感じた、車輪が軋む音は、ほとんど感じられない。
「ガタンゴトン」
という列車特有の音が好きだったのに、特急列車では完全に籠って聞こえるため、しているのかどうかすら分からないくらいだった。
それでも、特急列車の車内は新鮮で、嫌いではなかった。
――彼女が眠くなるわけが分かった気がするわ――
と思って、まわりを見ていると、半分ほど座席が埋まっていたが、そのさらに半分以上の人が座席で眠りに就いていた。
――私は眠くならないみたいなんだけど――
と、眠くなりそうな気がしているにも関わらず、どうしても眠ることのできないやるせなさのようなものも感じるようになっていた。
普段も、
――このままなら眠ってしまいそうなんだけどな――
と感じている時、せっかく途中まで気持ちよくウトウトした気分になっているにも関わらず、急に睡魔がどこかに行ってしまったということが何度かあったような気がした。
その理由がどこにあるのか、ずっと分からなかったが、その理由が昼間であるということを感じるようになると、ウトウトしてはいるが睡魔に辿り着かない中途半端な気持ちになるようなことが頻繁に起きてきた。
友達が眠ってしまったのをいいことに、少し車内を散策してみようと考えた。
――どうせ、まだまだ電車に乗っていないといけないから――
と思い、友達を起こさないようにして座席を立ち、まずはトイレで用を足して、車内の散策に向かった。
特急列車の車内は、思ったよりも空いていた。自分たちの乗っている車両も乗客は半分くらいいたが、半分もいるような感覚がないほど、ほとんどの客は気配を消しているかのようだった。自分たちも眠ってしまったのだから人のことは言えないが、これが列車の魔力のようなものだと思うと、列車に対して興味が出てきた。
普段乗っている普通電車とは明らかに違っている。モーター音が籠っていることからもそれはすぐに分かった。音が籠っているだけで、何か高級感を味あわせてくれるのだから、音というのは魅力的なものなのだろう。
隣の車両は、自分たちの車両よりもさらに乗客は少なく、十人も乗っていないような雰囲気だった。半分の人は眠っていて、それ以外の人は雑誌や新聞を読んでいて、車窓から景色を眺めている人は一人もいなかった。
――どうしてなのかしら?
電車に乗った時は、車窓からの眺めを見なければ我慢できないタイプの麗美から見れば、風儀で仕方がなかった。寝ている人はまだしも、起きている人が皆車窓に興味がないということなのだろうか。
冷静に考えれば、麗美の方が珍しいということは分かったのかも知れない。麗美は毎日同じ路線の同じ駅を行き帰りのいc日報復を繰り返しているだけであった。毎回同じ風景で、変わり映えがするわけではない。毎日何か新しいものを発見できるわけでもなく、発見しようとも思っていない。
それでも車窓を眺めていないと我慢ができない。
どんなに眩しくても、ブラインドを下ろすことはない。ブラインドを下ろすことで車窓を遮断することの方が恐ろしい。さらに、ブラインドから透けて見える影のようになって蠢いている光景は、麗美にとって気持ち悪さしか与えられない。まわりの人が誰も嫌な気分にならないことを、
――どうして皆何も感じないのかしら?
と考えていた。
麗美は自分が閉所恐怖症だからではないかと思うようになっていたが、それも最近になってからのことで、しかも、その閉所恐怖症が悪いことだとは思っていない。
――恐怖症という言葉があるくらいなのだから、皆が皆、感じていることではないのだろうが、逆にそんな言葉があるということは、その人たちの存在が他の人から見れば異様ではあるのだろうが、存在感があるということの裏返しなのではないか――
と思うようになっていた。
そういう意味で、閉所恐怖症という言葉に恐怖は感じるが、自分がその閉所恐怖症であっても、それは大した問題ではないと思うようになっていた。
この車両の日が当たる方向のブラインドは、ほとんどが下されていた。誰もいない席のブラインドすら降りているので、これほど気持ち悪いと思う空間はなかった。
――さっさと通り抜けないと――
と感じたが、すぐに自分の席に戻ろうという気にもならなかった。
――このまま戻ったら、何しにここに来たのか分からない――
と思ったからだ。
何の意味もないことをしたという意識を持ちたくないという思いが麗美にはあり、それが普段の意思決定に大いに影響しているということを無意識になら分かっているが、ハッキリと意識したことはなかった。
列車の揺れは心地よさを運んできたはずだったが、歩いていると揺れは普通に襲ってくるものだった。そう思うとさっきまで感じていた籠ったようなモーター音も、普通の音に聞こえてきて、頭の中で普段の通学電車の喧騒とした雰囲気が思い出された。
麗美が普段の通学の中で一番嫌だと思っている音は、ヘッドホンから漏れてくる音楽だった。
「ツンツクツンツク」
聞いている人はそのリズムを謳歌しているのだろうが、漏れてくる音を聞かされる方はたまったものではない。不快感があらわになると言っても過言ではない。
自分の世界に入り込むことは麗美にとっては大切なことだと思っている。
誰にでも公平に与えられているのは、数限られているだろうが、その中で絶対的で普遍的なものは、時間ではないかと思っている。その時間をどう感じるかというのはその人の感覚なのだろうが、流れている時間は一つしかない。これ以上の平等などあるだろうか?
麗美はこの車両にも同じ時間が流れているはずなのに、どうも普段の生活の時間との隔たりを感じる。
――まったくの錯覚だと分かりきっていることなのに、どうしてそんな風に思うのか?
いろいろと考えてみたが、自分ではありえないことがその空間にはあると思っていた。たとえばすべて下ろされたブラインドなど、自分が作り出す空間にはありえないことだ。
麗美の感覚が他の人と違っているのか、それとも他の人が麗美の感覚と違っているのか、順番を変えただけだが、そのニュアンスはまったく違っていた。
前者はまるで麗美が外れているかのように聞こえるが、後者は麗美が中心で、他の人が外れているという感覚だ。
集団生活をしていると、後者の考え方は、
「危険だ」
と言われるだろう。
特にちょうどその頃、ニュースなどで世間を騒がせていた事件の中で増えていたのが、
「新興宗教による犯罪」
だったからだ。
宗教団体の教祖は、その力を信者に信じさせ、集団催眠をかけて、意のままにあやつっているというようなニュースだった。
しかもその宗教団体は、自分たちの布教活動を公開していた。白装束の信者が数人出てきて、
「教祖様が私たちをお導きくださる」
と、それぞれに表現は違うが、内容はこのような言葉で言い表せるだろう。
言葉は違っても、
「また同じことしか言わない。ウンザリだわ」
と思わせた。
だが、これは彼らの狙いでもあった。
同じことを何度も何度も言い聞かされて、最初は胡散臭いと思っていても、そのうちに信じ込むように持っていかされる。それが信者の表現に現れている。
しかも、彼らが教祖のことを慕っている姿がマスコミによって公開されると、胡散臭いと思いながらも、興味を持ってしまう人もいる。
そんな人の中には興味を持ってしまうと、行動に移さなければ我慢できない人もいるだろう。そうやって信者が地味ではあるが少しずつ増えていく。
地味だからこそ、世間は少しずつにでも増えている信者に気付かない。
気が付いた時には、すでに遅く、自分のまわりの数人が信者になっていることもあり得なくもない。特にこの宗教を胡散臭いと思い、
「自分だけは、こんな連中に洗脳されるわけはない」
と思っている人ほど、彼らに対して一方方向からしか見ていないことに気付かず、まわりがどうなっているかなど考える余裕もなく、手遅れになってしまうのだ。
麗美はそこまでのからくりを知る由もなかったが、たまに自分が中心の世の中を勝手に妄想していることに気付いていた。
それは起きてから見ている夢のようで、まさに妄想という言葉でしか言い表せないものであろう。
「ああ、嫌だ嫌だ」
せっかくの旅行なのに、どうしてこんな思いに至らなければいけないのか、我に返った麗美は自分が今まで考えていたことを、全否定したくなっていた。
異様な雰囲気の車両を通り過ぎて、隣の車両に移ったが、ここでも感じることは同じだった。
――やはり戻った方がいいんだわ――
と感じ、自分の車両に戻ってきた。
すると、さっきまで感じていた自分の車両の雰囲気と違っていることに気がついた。
――何が違うのかしら?
その違いに気付かなかったが、目の前で眠っている友達の気持ちよさそうな顔に救われたような気がしていた。
――どんな夢を見ているのかしら?
眠っている姿を見ていると、少しずつ表情が変わってくるのを感じた。
いや、表情が変わってくるわけではなく、一瞬違う表情になって、すぐに元に戻っている。それを最初に見た時、
――少しずつ表情が変わってきている――
と感じたのだった。
麗美は、友達の睡眠を邪魔することなく、元の窓際の席に戻った。そして何事もなかったかのように、そのまま眠りに就いていた。
「麗美さん、到着したわよ」
「えっ?」
気が付けば、本当に眠ってしまっていたのか、麗美は友達に身体を揺らすように起こされていた。
身体を揺らさないと起きれないほどに熟睡していたことにビックリした麗美だったが、その時の目覚めは、決して心地よいものではなかった。
頭は重たく、身体にも痺れが感じられた。さらには若干ではあるが、身体に汗を掻いていて、どこか気持ち悪さを醸し出していた。
「私、眠ってしまっていたのね?」
と友達に聞くと、
「ええ、それはそれは熟睡していたわ。起こすのが悪いくらいに感じられて、でも駅に着いたんだから起こさないわけにはいかないでしょう?」
と当たり前のことをいう友達に、
「ええ」
と一言答えた。
麗美本人は、一言ではないと思えたが、それ以外の言葉が思い浮かばずに一言になっただけだ。友達は、この言葉に、どのような印象を抱いたのだろう?
麗美は少し考えすぎる時がある。それは不定期ではあったが、何かの法則があるようには感じていた。それも一つや二つの法則ではない。いくつも存在する法則は、その間に交わることのない平行線を描いていて、この場合は、
「深い眠りに就いていて、目を覚ますのに不快な思いが感じられた」
という状況だった。
――私、そんなに気分が悪かったのかしら?
友達に対して、一言だけしか言えなかったのが、その確かな理由ではないだろうか。もし他の態度が取れたとすれば、その態度の中に明らかなその時の麗美の感情が含まれているに違いない。それがたった一言、感情を思いはかかることなどできないほどの一言は、麗美が自分の意思を分かっていて、それを悟られたくないと感じた証拠であろう。
ということは、悟られたくない思いが、相手にとって悪いことであるということの裏返しである。そう思うと、麗美はこの場では、これ以上何も言えなくなってしまったことをすでに悟ったようなものだった。
友達も麗美を起こしただけで、それ以上何も話しかけてこようとはしなかった。それはそれでありがたかったが、この微妙な雰囲気を解消させることはできなかった。
二人は列車を降りて、ホームで背伸びをした。すでに夕方近くになっていて、目の前に広がっている海の彼方に夕日が見えていた。
「ここから、ローカル線で少し行くことになるわ」
と、友達は言った。
麗美も当然分かっていることだったが、特急が止まる駅にしては、少し寂れているのが気になったが、ローカル線のホームに移動すると、そこにはたったの一両編成の列車が、ホームに入ってきていた。
「グォー」
という音とともに、
「バチバチ」
という音も一緒に聞こえてきた。
「ここはまだ電化されていないディーゼルなのよ」
と教えてくれた。
これから向かう城の近くには温泉があり、城めぐりの最初は、温泉につかることから始まるのだ。今日はまず移動だけで、城めぐりは明日からということになる。
ローカル線もディーゼル車も、麗美には初めての経験だった。
「ディーゼルって乗ったことある?」
と友達に聞くと、
「ないわよ。実は今回の旅で、ディーゼル車に乗れるというのも、今回の旅の醍醐味だと思っていたのよ」
「そうだったんだ? 楽しみ?」
「もちろんよ。ちょっと息苦しいくらいのこの独特な臭い、話には聞いていたけど、こんなにも新鮮だなんて思ってもいなかったわ」
彼女は、話を聞いただけで、自分の経験したことのないことは、すべてが新鮮さから入ることのできる人だった。ふつう考えれば当たり前のことのように聞こえるが、言葉にするとわざとらしさが感じられ、聞くに堪えないと思うのだが、麗美が友達との会話で聞かされた今回の意見やお話は、そのすべてに新鮮さが感じられた。
ただ、ここで新鮮さを感じることができなかったら、麗美は自分の考えのほとんどが、信憑性のないものだと認めなければいけないと思っていた。だからこそ話は一言一言聞き流さないつもりでいたし、今回の旅行も、ただの旅行ではないという、自覚というか、覚悟のようなものがあったのだ。
旅の醍醐味の一つとして、
「普段体験できないことが体験できる」
というものがある。
今の二人はまさしくその経験をしていた。特にディーゼル車というものは、いつまで見ることができるか分からない。そのうちに消えていくものであろう。
車窓からの眺めは素晴らしかった。爽快というには少し違うが、幻想的な雰囲気と言っていいだろう。遠くに見える水平線がオレンジ色に染まり、夕日がオレンジ色であることをいまさらながらに思い知らされた。写真でしか見たことのなかった光景を実際に見ることができただけでも、
「来てよかった」
と感じさせられた。
麗美はこれがまだ旅の序盤であるということを思うと、これからどれほどワクワクさせられるか、楽しみで仕方がなかった。
宿に着くとホテルというよりも旅館形式になっていた。
「こういうところもいいわね」
という彼女を横目に、ロビーの横にあるちょっとしたお土産コーナーに目が行った麗美は、
――やっぱり私はまだ子供なんだわね――
と、さっきの景色もさることながら、お土産物に目が行くのは、女の子である証拠だと思った。
そんな麗美の姿を悟ったのか、
「あとでお部屋で一段落したら、来てみればいいじゃない」
と、彼女が言ってくれた。
「ええ、そうするわ」
と麗美が言ったが、麗美がお土産コーナーに興味を持ったのは、別にお土産を買いたいと思ったからではない。
今までホテルはおろか、旅館というところにもあまり泊まったことのなかった麗美だったが、ロビーの横にあるお土産コーナーになんとなくだが違和感を覚えたのだ。
――どうしてこんなところに?
旅館にお土産コーナーがあるのは別に不思議なことではなく、ロビーのそばにあっても、別におかしなことはないと頭の中では思っている。テレビドラマなどで旅館のロビーを撮影していたものを見たことがあったが、その時も確かロビーのそばにお土産コーナーがあったような気がする。
――何に違和感を覚えたんだろう?
麗美はそう思いながら、
「お部屋に案内しますね」
という女中さんの後について歩いていきながら、横目でお土産コーナーを眺めていた。
回り込むようにお土産コーナーを覗いていたので、別角度からも見ることができたが、やはり何かしっくりこないものを感じていた。そのままやり過ごして部屋まできたが、気になっていることが解消されることはなかった。
部屋に入ると、女中さんが旅館の施設や、近くの観光地について簡単に説明してくれている。他の旅館ではしていないということだったので、ここのサービスの一環なのだろう。
「では、ごゆっくり」
と言って出て行った女中さんだったが、彼女は麗美がお土産コーナーを気にしていたことに触れることはなかった。
女中が自分からお客様の感じていることに、勝手に入り込んでしまってはいけないという思いがあるからなのか、それともこの旅館に泊まる客の中には、麗美と同じようにお土産コーナーにおかしな感覚を抱く人がいたので、別に麗美だけを特別だとは思っていなかったのか、それは二人には分からないことだった。
「どうしたの? お土産コーナーなんて、別に不思議でもなんでもないじゃない」
と友達に言われたが、
「ええ、まあそうなんだけど」
と、何とも歯切れのない答えしかできない麗美だったが、その時、麗美は何かを考えていたというわけではないが、
――心ここにあらず――
であったことは間違いないようだ。
「じゃあ、分かった。百聞は一見にしかずというから、今からお土産コーナーに行ってみましょう」
と言って、友達は立ち上がり、麗美を促して、一緒にお土産コーナーに向かった。
お土産コーナーは実に狭いものだった。
ショーウインドウがあるわけでもなく、柱にぶら下げられているものや、かごに置かれているというよりも放り込まれているようなものも見ることができた。かなり乱雑なものである。
――民芸品なんて、こんなものなのかしらね――
と感じたが、よくよく考えてみると、これはまだ小さかった頃にかろうじて街のはずれに残っていた駄菓子屋の雰囲気だった。
その駄菓子屋もすぐになくなってしまい、
――こんな喧騒とした雰囲気の店は、もうこの世に存在しないのではないか?
と思わせた。
駄菓子屋は、なくなってしまったことで、麗美にとって、小さかった頃を思い出す時に一番最初に思い出すことになっていた。もちろん、それ以外のことをピンポイントで思い出す時は別だが、何気なく思い出す時の最初は、やはり駄菓子屋であった。
狭い店内には、何がどこに置いてあるのか、何度も行っている人でも分からないほどだった。
――子供相手だからと思って、バカにしているのかしら?
と思っていたくらいだが、なくなってしまうと、その懐かしさが忘れていくどころか、どんどん忘れられない世界に入り込んでいるようで、不思議な感覚だった。
駄菓子屋の店番をしているおばさんは、どこかぶっきらぼうだった、いくら子供相手であっても、いや子供相手だからこそ、もっと愛想を振りまいてもよかったのではないか。
だが、駄菓子屋がなくなってからどこの店に行っても、客に対してぶっきらぼうな人はいない。中にはやる気のなさそうなコンビニ店員などがいたが、
――どうせアルバイトなんだわ――
と思うことで、怒りに繋がることはなかったが、あまり気持ちのいいものではない。
だが、明らかに駄菓子屋のおばさんとは同じぶっきらぼうでも違っている。おばさんには人を惹きつけるなにかがあった。
――ぶっきらぼうでも、面倒くさそうにしていなければ、愛着が感じられるのかも知れないわ――
お土産コーナーの乱雑さを見ていると、おばさんの顔が浮かんでくるかのようだった。
麗美は、奥に入っていろいろと物色してみた。その中で一つ面白いものを見つけた。
それは、一つの箱だった。
手に取ると小物入れとしては少し多く目に感じられたが、それ以上に違和感があったのは、その重さだった。
――重たい――
持って最初に感じた。
明らかに中に何かが入っていることは分かりきっているかのような重さだったが、いったい何が入っているのか、麗美には見当がつかなかった。
すぐに開けてみるのを躊躇していたが、開ける前に少し振ってみたりした。すると、
「カタンコトン」
という音がする。
何かが入っているのは間違いないが、その音が幾重にも重なって聞こえてきたのはどうしたことなのか、麗美には理解できなかった。
――開けていいのかしら?
ひょっとして、解放厳禁の箱だったりしないだろうか?
「パンドラの匣」
という言葉があるが、決して開けてはいけない箱って、本当に存在するのかも知れない。
日本にも玉手箱なる箱が存在する。おとぎ話の中でしか存在しない架空の存在ではあるが、外国の発想であるパンドラの匣と日本独自のおとぎ話に出てくる玉手箱と、それぞれに開けてはいけないものとしての代表例である。
パンドラの匣はまさしく禁断の箱であり、開けてしまうと何が起こるか分からないことを示していた。話の中でパンドラの匣というものがどれほど実在したものなのか定かではないが、たとえ話としてのパンドラの匣の存在は絶対のものであった。
それに比べて玉手箱は、そのお話の中で開けてしまうとどうなるのかということは分かるようになっている。
ただ、開けてしまったことが終焉への序曲になるのだが、開けた瞬間が物語の終わりではない。パンドラの匣の場合は、禁断の箱として君臨しているのだから、その存在が明らかになり、本当に開けてしまったとすれば、お話は必ずそこで完結する。ひょっとすると世界が滅んでしまうものが入っているのかも知れないが、最終であるということの代名詞がパンドラの匣であるとするならば、明らかに玉手箱とは種類の違うものである。
麗美は、最初は開けることを躊躇したが、じっと眺めていると、開けたいという衝動が激しくなってくるのを感じた。開けないことの方が今の自分にロクなことを及ぼさない気がしたからか、麗美の中で箱を開ける覚悟がどんどんできあがっていった。
その間は、本当に一瞬だったのかも知れない。だが、麗美にとってはかなりの時間が経ったように思えた。それは、自分だけが普通に過ごしていて、まわりの時間が凍り付いてしまったような錯覚である。
止まって見えるかも知れないことでも、実際には微妙に動いている。もしピストルの弾が発射されていれば、玉の弾道が肉眼で確認できるかも知れないと思うほどの凍り付いた世界である。
他の人は、時間が遅くなったという感覚はないので、麗美だけがあっという間に時間を飛び越えているという感覚だ。ちょっと動いただけでも他の人からは見えない。つまりは、まったく動いていない麗美しか、他の人には確認できていない。
そうなると、麗美の姿が他の人には部分部分しか見えないのかも知れない。しかも、それも一瞬のことで、見えたと思うとすぐに消えてしまう。
ただ、こんなことは現実では不可能なことだと中学生になった麗美は分かっていた。小さかった頃には分からなかったが、今考えてみると、あの時に感じた疑問は、今ほとんど解決できるような気がしていた。
――まわりに見えないほど、瞬時に行動しているのであれば、身体がその時間の早さに対応できるのだろうか?
と感じたからだ。
人間は、ジェットコースターなどの絶叫マシーンですら、恐怖を覚えるのだ。さらにバンジージャンプのような自然落下でも、かなりの神経を消耗することになる。そう思うと、人に見えないほどのスピードで動くなど、身体が耐えられるはずもないと思っている。
そういう意味で行くと、時間を飛び超えるタイムマシンというのも、マシンの中では現実世界と同じ空気が流れていないと不可能だろう。
麗美は、最近学校で習った、
「慣性の法則」
というものを思い出した。
慣性の法則にもいろいろなパターンがあるが、麗美が一番気になったのは、電車の中と外から見ている電車の中の関係だった。
「電車の中でジャンプしたら、どこに降り立つと思う?」
と、授業中に先生に尋ねられ、最初は誰もが、
――先生は何を言っているんだろう?
と感じたに違いない。
「列車は走行しているんだから、普通に考えれば、ジャンプしての着地は地球上の同じ位置に戻ってこなければいけないはずだろう? だけど電車の中などでジャンプすれば、電車の中の空間の同じ場所に戻ってくる。これが慣性の法則なんだ」
と教えてくれた。
「確かにそうですね、列車が侵攻しているんだから、電車の中の後ろの方に着地するのが普通に考えれば当然のことですよね」
「その通り、皆が電車でジャンプすれば電車の中の同じ位置に落ちてくるということを最初に見ているから、それを当たり前のことだと思っていたんでしょうね。目の前で起こっていることが何にもまして真実なんだから、思い込みというにはひどいくらいの錯覚に違いないですね」
麗美はその時のことを思い出して、箱を見つめた。
――私が気になったのは、この箱なのかも知れないわ――
麗美は、玉手箱を思い出していた。
――あの話も時間を一気に飛び越えるお話だったわね。それを思うと、パンドラの匣の発想と、玉手箱の発想がまったく無縁だとは言えないような気がするわ――
と感じた。
慣性の法則というのは、それだけ汎用性があって、一見無関係に見えるものをも結びつけてしまう魔法の法則なのかも知れない。
麗美は、目の前の箱を何度か揺らしてみたが、中に入っているものの見当がついていなかった。
しかし、おかしなことが頭をよぎってもいた。
――今は見当がつかないことのように思っているけど、実際に箱を開けて、その正体を見ると、最初からなんとなく感づいていたように思えるんじゃないかしら?
と思えた。
箱は次第に重たさを増しているようで、さらに大きさも最初よりも大きくなってきているかのように思えた。目が慣れてくると小さくなっていくものだと思っていたのに、どうしたことなのだろう。
最初、箱を横にして縦にして、さらにひっくり返してみたりしたが、どこに秘密があるのか分からなかった。何の変哲もない箱を商品として売っているのだから、どこかに何か秘密が隠されているはずだった。
いろいろ触ってみたが分からなかった。それはきっと麗美の中に、秘密が隠されているという興味はあったが、自分の中で現実性を考えた時、秘密に対する矛盾を感じたことで、秘密があっても、自分にはそれを解き明かすだけの力がないと思い込んでしまったのではないだろうか。
麗美はそこまでその時は分からなかったが、友達に見せると、
「ああ、ここですよ」
と言って、ニッコリとしながら、箱の横の部分のさらに下に、指を挟むだけの隙間があることに気付いたようだ。
一見、分かるものではないが、麗美のように最初から秘密があると思って見ていれば、そんなに難しくないはずだった。それなのに発見できないということは、麗美の頭の中が柔軟性を持っていないということなのだろう。
友達は、
「開けてみるけどいい?」
と、麗美に断ってから、つまみを引っ張った。
麗美は友達がつまみを引っ張る前から、何となく分かっていたような気がした。
――ああ、あの中に箱が入っているんだわ――
自分で確認した時には分からなかったのに、他人に任せた瞬間分かったというのも皮肉なものである。
いや、皮肉というよりも、他人が見ることで、まるで自分が見ているような気になると、そこに気楽さが生まれてくる。だから考察力に余裕が生まれ、それまでできなかった発想をできるようになるのだ。
この発想が他の人でいう、
「普通の発想」
なのか、それとも、
「秀逸した発想」
なのか、麗美には分からなかった。
だが、その時の麗美はいきなり閃いた気がしたのは事実だし、他の人の発想とは少し違っているように感じたのだ。
友達が箱を開けると、その中には、また箱が入っていた。
――初めて見るはずなのに、以前にもどこかで見たことがあるような気がする――
と感じたので、旅館の人に聞いてみた。
「これは箱の中に入れ子になっているお土産もので、他の観光地にもあるものですよ。元々はロシアのお土産で、人形の中に人形が入っているというマトリョーシカというお土産が元になっているらしいです」
と教えてくれた。
「何とも面白いですよね。まるでからくり人形のような感覚で見ることができますね」
と友達がいうと、
「一見、何の変哲もないものなんですが、考えれば考えるほど奥の深いものなんですよね」
というと、
「私が発想したのは、無限という発想なんですよ。自分に前後に鏡を置いた時、自分の姿が無限に鏡に映しだされるような感覚ですね」
と、麗美がいうと、
「私は、算数の割り算を発想しました。数字をずっと二で割って行った時、どんどん小さくなるけど、絶対にゼロにはならないでしょう? それも無限の発想に近いんじゃないかしら?」
と友達が言った。
「皆さん、そうやってこの箱一つから、いろいろな発想をされているようで、私はそれが楽しみなんですよ。一つ言えることとして、その人が最初に発想したその内容が、その人の性格を表しているのではないかとも思うんです」
麗美は、その話を聞いて、その日にその旅館に泊まったというのは偶然ではないような気がした。
その思いは友達にもあるようで、
「私がこの旅館を観光ブックで見つけた時、ピンとくるものがあったのよ。他にも綺麗なホテルとかもあって、女の子ウケするところもあったのにどうしてここにしたのか、自分でもその時の気持ちをさっきまで思い出すことができなかったのよ」
と言っていた。
「さっきの箱を見たことで思い出したの?」
「そういうわけではないと思うんだけど、でも旅館って何か秘密めいたところがあってこその旅館だって思うの。ホテルなんてどこでも同じように感じるけど、旅館となると違っているんだわ」
と言っていた。
「私はさっきの箱をお土産として買っていく気はしなかったんだけど、どうにも惹かれるところはあったは、でもどうして買わなかったのかというと、また近い将来、同じものをどこかで見つけるような気がするの」
というと、
「ひょっとすると、麗美は以前、似たようなものを見たことがあって、それをずっと忘れていたけど、さっき箱を見ることで思い出したと思っているんじゃない?」
という友達にビックリして、
「どうして分かったの?」
と聞くと、
「私も同じような感覚になったからよ。どこで見たのかまでは思い出せないんだけど、絶対に過去にどこかで見ていると思うのよ。それが最近だったのか、それともずっと前だったのかということすら分からない」
友達の話は、いちいちもっともなことだった。友達に言われて初めて、
――言われるたびに、もっともだと思うのに、前に自分が感じていた思いだと感じるのもおかしなものだわ――
と思った。
麗美はデジャブという言葉を最近本で読んだ。
デジャブというのは、行ったことがなかったり、見たことがないはずのものを、
――以前、どこかで――
と感じることをいう。
この感覚は子供の頃からあったが、詳しく知らなかったし、自分だけの思い過ごしなのかも知れないとも思っていた。
あとから調べてみると、
「デジャブというのは、自分の錯覚を元に戻そうとする反動のようなもの」
という研究結果があることを知った。
もちろん、科学的には証明されているわけではないので、いろいろな学者がそれぞれに仮説を立てていて、諸説が入り乱れている。
しかし、麗美は最初に見たその仮説を信じた。
それ以降、他の学者の説をいろいろと目にすることもあったが、どうしても最初に見た仮説よりも信憑性に欠けるのだ。
仮説というのは、それぞれ何もないところから組み立てる人もいるだろうし、実際に研究されている内容を吟味したうえで、自分なりの解釈をする仮説もある。
もちろん、後者の方が信憑性という意味ではあると思うのだが、麗美は前者を信じていた。
――人の意見を真に受けていると、せっかくの自分の発想を見失ってしまわないとも限らない――
と感じた。
だから余計に、
――自分が発想したことを、以前どこかで見たことがあるような――
と感じてしまうのではないだろうか。
人の意見を真に受けないようにしようと思えば思うほど、自分の発想と似通った現実を目の当たりにすることで、以前に見たり感じたりしたことだという発想が生まれるのではないか。
麗美はそれを、
「先入観」
だと思うようにしていた。
先入観というと、少し聞こえが悪いような気がする。
「先入観を持つことで、自分の目を信用できなくなってしまう」
と感じていたからだ。
だが、先入観というのは決して悪いことではない。先入観すら持たない人は、自分の発想を持っていないということであり、持っているとしても、
「表に出さなければそれは持っているとは言えない」
という考えに至ることはないだろう。
麗美が今までどれだけのデジャブを感じたのか、ハッキリと覚えていない。
ただ、ハッキリと覚えているのは、あれはまだ小学生の頃だっただろうか、母親と立ち寄った喫茶店で、壁に架けられている絵を見た時だった。
「前にどこかで見たことがあったような気がするんだけど」
と、母親に言うと、
「そうかしら? お母さんは分からないわ」
と言った。
まだ小学生だったので、どこかにいくとすれば、学校からの遠足か、家族でどこかに出かけた時かのどちらかになるのだろうが、母親はまるで麗美が見たり聞いたりしたことは、すべて自分に関わりがあることだと言わんばかりだったことに、違和感を覚えていた。
まだ子供だったので、
――お母さんがそういうなら――
と、それ以上考えないようにした。
今から思い出すと、母親はその絵に触れられたくないという思いから、麗美に対しての返事を曖昧にし、さらに不快な気分にさせようとしたのかも知れないと思った。
その心がどこにあるのか分からない。もしかして、大人の世界の都合によるものなのかも知れないが、少なくとも母親としては、触れてほしくなかったことだったに違いない。
そのことを感じたのは母親にだけではない。小学校の先生にも同じようなことを感じたことがあった。
あれは、学校から課外授業で近くの霊園に図画をしに出かけた時だった。
「この公園を中心に、自由に絵を描いてください」
と先生に言われて、麗美は一人近くの桜の木を描き始めた。
桜の木はまだかろうじて花びらをつけていたが、満開は過ぎ去っていて、完全に葉桜になっていた。まわりには桜吹雪の跡があり、お世辞にも綺麗だとは言えなかっただろう。
麗美は桜の木を描き始める前に、しばらく地面に散った桜の花びらを見つめていた。それを先生が気になったのか、
「どうしたの?」
と聞くので、麗美はとっさに、
「前にも似たような景色を見た気がするの」
と答えた。
実際には本当に見たのかどうか定かではなかったが、先生に声を掛けられ、ハッとしたその瞬間に浮かんできた言葉が、
「前にも見たことがある」
というものだった。
そういっておけば、じっと見ていたことへの言い訳にはなるだろう。実際に先生に声を掛けられ、びくっとしてしまった瞬間に、それまで感じていたことをすっかりと忘れ去ってしまったのは事実だった。
その時も先生は、
「そうなの? それはよかったわね」
と、まるで他人事のような答え方をした。
「えっ?」
思わず声に出てしまったようだが、先生も分かっているはずなのに、何ら答えようとはしなかった。
そんな様子を見て、
――これは触れてはいけなかったことなのかしら?
最初に触れたのは先生だったはずなのに、どうして麗美が気を遣わなければいけないのか理不尽な感じがしたが、目上の人に不快な思いをさせてしまったということに麗美は罪悪感を感じ、
――こんな思いをするのなら、私もデジャブで感じたことを誰にも言わなければいいんだわ――
と思った。
だが、この思いは比較的冷めるのが早かった。半年もしないうちにデジャブのことを他の人に話していた。
相手が先生や親でなければ、相手が不快な思いをすることはなかった。
「私も最近、同じようなことを感じるのよ」
と同級生と話をした時には、そういって答えてくれた。
――大人になればなるほど、子供には分からない何かがあるのね――
と感じたが、それは大人になることで、子供に戻りたくないという思いがあるからではないかと思うようになっていた。
――大人になんかなりたくない――
と中学生になってから思うこともしばしばだが、その理由の一つに、小学生の頃にデジャブを感じ、大人に不快な思いをさせてしまったという思いがあったからに違いない。
デジャブの話をすると、一人の友達が反応した。
「私のお母さんは、私が小学生の時に死んだんだけど、お父さんがすぐに再婚して、新しいお母さんができたのね」
と言い出した。
自分のまわりで誰かが死ぬというショッキングなことであっても、半分感覚がマヒしかけていた麗美には、友達の話が最初よく分からなかった。
「どうして亡くなったの?」
と麗美が聞くと、
「交通事故でね。お買い物の帰りに横断歩道を渡っていたら、走ってきたバイクに跳ね飛ばされたの」
想像しただけでも、ゾッとしてしまう。
「その時、あなたはお母さんと一緒にいたの?」
「いいえ、別の人と一緒だったらしいんだけど、その人と一緒に渡っている時に跳ねられたらしいの。その人も即死だったらしいわ」
相当な大事故だったのだろう。
しかし、交通事故など日本中で考えれば、一秒間に何件起こっているのかと考えると、悲惨な事故であっても、さほど珍しいものではないのかも知れない。
彼女は続けた。
「その時、お母さんと一緒にいたのは、実は男の人だったらしいの。お母さんよりもだいぶ若い人で、あとで分かったことなんだけど、お母さんはその人と浮気をしていたらしいの」
「それは二重にショックだったでしょうね」
「ええ、私は大いにショックだったけど、お父さんはどうなのかしら? お母さんが事故で死んでからそれほど経ってもいない時に、一人の女性を連れてきて、『今度からお前のお母さんになる人』だっていうのよね。いきなりそんなこと言われても私もどう反応していいのか分からない。でもよく考えたら、それもお父さんの計算だったのかも知れないわね。私がお母さんの浮気の話に頭が混乱している時に、そのどさくさで新しいお母さんを連れてきたのよね」
「でも、それって計算なのかしら? 娘の頭が混乱していれば、余計に意固地になるんじゃないかって考えるのが普通じゃないかって思うんだけど」
「普通の家庭なら、そうかも知れないわね。でも、お母さんも浮気をしていたのなら、お父さんもしていた。そもそもどちらが最初だったのか、私には分からないんだけど、私にはなんとなく浮気をしていたことを分かっていたような気がするの。特にお母さんに関してはね」
「そうなの?」
「ええ、後になって考えるとそう思うんだけど、お母さんが死んでからお父さんだけになると、今度はお父さんも浮気をしていたんじゃないかって思えたのよ。そう思っているうちに新しいお母さんを連れてきた。私はそれほどビックリしなかったような気がするの。ショックなのと、感覚がマヒしてしまうこととは、完全に比例しているわけではないと思うのよ」
「それは、何か前兆のようなものを感じたからなの?」
「前兆というか、初めて見たはずのものを、前にも見たことがあるような気がするという感覚を、その頃頻繁に感じていたの。それをデジャブというというのは知っていたけど、デジャブという言葉にはピンとこなかった。お母さんがそのうちにいなくなるような気がしていたのは最初から分かっていたことだったんだけどね」
と言った。
「でも、不吉な予感というのは当たるってよく言うわよね」
というと、彼女は少し不機嫌な顔になり、
「その通りなのよ。でも私が嫌な気分になったのは、お母さんが死んだことでも、お母さんが浮気をしていたことでもないの」
「どういうことなの?」
「お母さんの浮気相手が即死だったということが、私には許せないのよ」
「えっ?」
「即死だったことで、私もお父さんも、その相手がどんな人で、お母さんがどんな気持ちで浮気をしていたのかということがまったく分からないということが、私には悔しいの。私に直接はお母さんの気持ちが分からなくてもいいんだけど、お父さんには分かってほしいって思うの。分からないから、新しいお母さんをすぐにつれてくるようなマネができるんじゃないかって思うのよね」
友達の発想は、子供の発想を超えていた。思春期のまだ、未成年の女の子の発想ではないような気がした。
しかし、その友達と話をしていて、友達の気持ちが分かってくるような気がしていたのも事実だった。
――私も大人の発想になってきたのかしら?
と感じたが、もし自分が彼女とおなじような境遇に立たされたとしても、同じような発想はできないと思った。
ひょっとすると彼女のようなデジャブな意識は出てくるかも知れないが、そこから浮気相手が即死だったことに対して憤りを感じるようなことはないと思えたのだ。
友達は続けた。
「私ね。あの時から大きな音が怖くなったのよ。大きな音というのは物音などではなく、救急車やパトカーのサイレンの音だったり、バイクの轟音だったりなんだけどね。やっぱり道路に関することには敏感になっているのかも知れないわ」
という友達に、
「でも、あなたはお母さんの惹かれたところを目撃したわけではないんでしょう?」
と、麗美は聞いた。
「ええ、でも、見たわけではないけど、想像はできるの。だから、道を歩いていてサイレンの音やバイクの走り去る音を聞くと、身体が震え始めて、止まらなくなちゃうの」
「想像力がもたらすものなのかも知れないわね」
「想像力というよりも、妄想力なんじゃないかって思うんだけどね」
「そんなものなのかしらね」
「想像力が湧いてくることから、逆の意味で起こったことを事実として遡っていくと、前から予想できていたように感じるというのも、あながち突飛な発想でもないような気がするわ」
と彼女がいうと、
「じゃあ、私が時々感じているデジャブの正体も、想像力を掻き立てるための発想があるからなのかも知れないわ」
と思うと、そこから少し友達との話に共通点が見つかり、話が突飛な方向へ向かったが、話が終わってしまうと、それまでの高揚とした感情がまるでウソのように、会話の内容すら途中から覚えていなかったのだ。
――これも感覚がマヒしている証拠なのかしら?
と感じた。
麗美は、自分もバイクの音だったり、サイレンの音を聞くと、身体がすくんでしまって、歩くこともできなくなるほどだった。後ろから音がしてくれば、後ろを振り向くことすらできず、恐怖で足がすくんでしまうのだ。
そんな時、麗美は何かを考えていた。ただ、何を考えていたのか、身体が動き始めると頭の中からその思いついた考えを思い出すことはできなくなっていた。
「そういえば、サイレンやバイクの音がどうして怖いのか。私最近なんとなくだけど分かってきたような気がするの」
と友達は言った。
麗美も実は頭の片隅では、
――あとちょっとで分かる気がするんだけどな――
と感じていた。
何かのきっかえさえあれば分かることである。
――だから、分かった瞬間に、以前から分かっていたような気がするだなんて感じてしまうのかも知れないわ――
という発想も芽生えていた。
友達が分かったと言っているのに、麗美は敢えて聞かなかった。聞かなくても、彼女は話してくれると思ったのだろうか。
果たして彼女は話し始めた。
「ドップラー効果って知ってる? それがこの感情に影響しているようなのよ」
「ドップラー効果?」
その言葉は聞いたことがあり、何となくだが分かっているように思っていた。
代表的な例として、救急車のサイレンの音が近づいてくる時と、目の前を通り過ぎ、反対に離れていく時とでは、完全に音が違っているという現象である。
ドップラー効果に関しては学校で習ったというよりも、
――どこかで話を聞いたのだけど、どこで聞いたのか覚えていない――
という感覚が強かった。
一度だけではなく何度か聞いたような気がしたが、その話は毎回違ったようだったが、ハッキリと覚えているのが、救急車のサイレンの音が、近づいてくる時と離れていく時とでまったく違っているということだった。
「離れていく時の方が音が籠って聞こえるような気がするの」
とその時麗美は答えたような気がしたが、それを聞いた相手は黙って頷いていたような気がする。
「私はドップラー効果について調べたことがあったんだけど、話を聞いただけだと分からなかったことがどんどん出てくるのよ。そしてそのたびに、まるで目からウロコが落ちたような気がしたの」
と友達は言ったが、麗美も同じ気持ちになっていたようだった。
――覚えていないだけで、何かのきっかけで思い出せるようなそんな浅いところで忘れているように感じているのかも知れない――
と感じた。
麗美が音に対して恐怖を感じ始めたのがいつだったのか定かではないが、意識として一番恐怖を感じるのはバイク音である。そして恐怖は感じるが、その感じた恐怖以上に身体が反応し、萎縮してしまうのが救急車の音である。
病院にいるだけでどこも悪くないのに、身体がだるさを感じたり、熱があるような感覚に陥ることがあるが、それは薬品の臭いを嗅いだからだと思っている。勝手に身体が反応することがあるのは、思い込みによるものであり、デジャブのような現象も、意識よりも先に身体が反応していて、反応したという意識がないままでいることが以前にも感じたことがあるという意識に繋がっているのかも知れない。
デジャブとドップラー効果、一見何の関係もない現象が、麗美の中で紐ついてしまうことで意識することなく身体が反応してしまい、恐怖を煽ったりするのではないだろうか。
麗美は、友達との旅行で、そのことを意識させられたような気がした。
箱の中にある箱を見つけた時、意識した無限という発想。その発想も以前どこかで感じたことがあったように思ったのも、先に身体の反応があって、意識を呼び起こそうとしているのかも知れない。
音に対しての恐怖のようなれっきとした反応があるわけではないので、デジャブの部分だけが頭に残る。だから、デジャブというよく分からない意識を不思議に感じるのだろうが、そこに身体の反応が働いていると考えれば、かなり強引であるが、意識として自分を納得させることができるような気がした。
麗美は翌日、目覚めは悪くはなかった。最近はあまり目覚めがよくなく、目が覚めているはずなのに、身体が動かないような気がしていた。
確かに目が覚めるまでに時間が掛かることもあるが、目が覚めてしまうと、スッキリしているのが、麗美の目覚めだ。最近は、目が覚めてもまだ自分がどこにいるのか分からないような感覚があり、そのたびに、
――また同じ感覚に襲われている――
と感じるのだった。
そんな時、麗美は、
――同じ日を繰り返しているのではないか?
と感じることがあった。
前の日の目覚めを覚えているわけでもないのに、どうしてそう感じるのか、根拠もない発想に自分でも不思議だった。
特に最近の目覚めでは、
――目覚めの時にいつも何かを感じているような気がしているんだけど、思い出したことが本当に昨日のことだったのか分からない――
と感じていた。
つまり、一日一日を刻む感覚がないため、目覚めという視点で見た時に、思い出すことが本当に直近である昨日のことだったのかどうか、自分でも自信がないのだ。
――自分で自分を信じることができない――
という感覚に襲われた時、自分の考えが堂々巡りを繰り返しているように思えてならなかった。
――さっきの箱の中から箱が出てきたのを見た時、この感覚を思い出したんじゃないかしら?
と感じた。
箱の中に箱を見た時、感じた最初の感覚は、「無限」という発想だった。
自分の前後、あるいは左右に鏡を置いた時に、映し出される自分を想像したのは、この無限という発想からではなかっただろうか。
どうして最近、無限を感じる目覚めを毎日感じているのかということを考えた時、すぐに思いつくはずの発想がなかなか出てこなかった。
――目覚めの悪さの原因は、この発想が出てこなかったことが原因になっているのかも知れないわ――
と感じた。
いつも余計なことを考えているのだと思っていたが、この時ばかりは、もっと余計なことを考えてもいいと思ったのも事実だった。
その日、二人は疲れたのか、結構早めに眠りに就いた。友達の方が結構眠かったようで、麗美はそれに合わせる形で床に入り、眠りに就いた。
――まだ、十一時にもなっていないけど、こんなに早く寝ちゃうなんて、最近ではなかったことだわ――
と思っていた。
だが、実際に床に入り電気を消すと、すぐに睡魔は襲ってくるというもので、心地よさを感じる中で、睡眠に入ることができた。
普段は眠りに入る感覚など分かるはずもなかった。
――分かるはずなどない――
と思っているからで、それも当然のことだと思っていた。
しかし、その日は眠りに就くのが自分でも分かるようだった。普段感じることのできない心地よさをその時感じていた。
――まるで身体がとろけてしまいそうだわ――
と感じた。
よほど疲れている時は、心地よさを感じることもあった。
――眠りに吸い込まれる――
という感覚なのだが、その日も似たような感覚だった。
だが、疲れている時は、あっという間に眠りに入り込んでしまって、心地よさを味わうことはできなかった。それをもったいないと思うことはなかったが、この日の心地よさには、
――どうして普段、もったいないと思わなかったのかしら?
と感じるほどだった。
疲れている時は、あっという間に眠ってしまうのだが、それは眠りに就くよりも先に意識が亡くなっている感覚だった。
――前に自分の鼾で目が覚めてしまったことがあったっけ――
と思ったが、あれは一瞬にして睡眠の世界から引き戻されたのだから、不快な思いがあってもいいのではと思ったが、実際に不快にはならなかった。
驚きの方が強かったように思う。その驚きというのは、自分が気持ちよく眠っていたのを自分の鼾で目を覚ますという一種滑稽な感覚に、笑いも出ない自分を感じていたからだった。
鼾というよりも、歯ぎしりに近いものだった。
「好きな人には絶対に見せられないものだわ」
と感じていたが、その時の麗美はまるで他人事のように鼻で笑っていた。
旅館に泊まったその日は、そのまま睡魔に身を任せ、完全に睡眠の世界へと誘われていた。
どうして誘われたのを感じたかというと、睡眠の中にその答えはあった。
その日、麗美は夢を見た。いつもはそれが夢であるということを悟るのは、目が覚めてからでしかありえないと思っていた。
思っていたから。実際にも目が覚めないとそれが夢であるということを分かっていなかった。
その時は、夢を見ていながら、それが夢であるということを理解していた。
――私は夢を見ているんだわ――
と感じたのだ。
そう感じる時というのは、夢の中ではありえないと思っていた。夢を見ていて、それを夢だと感じてしまうと、夢の世界から抜けられないというオカルトのような都市伝説を信じていた。
だが、その時に夢を見ていると感じたのは、
――前にも同じような感覚に陥ったことがある――
と感じたからだ。
その夢が現実味を逸脱しているという意識が最初に来ていたら、それを夢だと思うことはなかっただろう。いや、思っていたかも知れないが、目が覚めてから、
――今のは夢だったんだ――
という感覚になることはない。
むしろ、現実を逸脱しているということよりも、幻想的な雰囲気を感じたという意識が強かったことで、
――これは夢なんだ――
という意識を目が覚めてからも持ち続けられたのかも知れない。
麗美は、さらにそれが夢であると感じたのは、その日、眠りに就く前に見たものの印象が強いことでそんな夢を見てしまったということに気付いたからだろう。
――どうして今日はこんなに冴えているんだろう?
と感じたが、やはり普段と違う環境だということが、麗美の中に眠っていた感性を呼び起こしたのかも知れない。
眠りに就く前に見たもので印象に残っているというのが何かというのは、すぐに思いついた。
――箱の中の箱――
麗美はお土産コーナーで見た印象的な箱に心を奪われたままだった。
以前にもどこかで見たことがあったようなと感じた思いを、そのまま夢の中に引きづっていったのだろうか。麗美は箱を最初に持った時の、あの重みを思い出していた。
箱を開けた時、中に箱が入っているのはなんとなく想像がついたが、それだけではなかった。
――何か、虫のようなものが出てきたらどうしよう――
という思いも抱いていた。
箱の中から出てきた箱は、何とも言えない奇妙な印象を麗美に与えたが、それ以上に虫が出てきた時という最悪の状況も思い浮かべていたのだ。
そしてその出てきた虫を見た時、一瞬、自分が虫の視線になって、麗美を見返してしまう錯覚が一瞬だけあった。
――見つかったらどうしよう――
という思いで、見つかってしまうと、間違いなく潰されてしまうと思ったのだ。
特に女の子は虫が大嫌いなので、虫を見ただけでパニックに陥り、そのまま虫を潰してしまうことだって十分にありうる。
確かにそのまま握り潰してしまうと、汚いというのは分かりきっていたが、その汚さよりも恐怖に打ち勝つことができるかと思うと、
――できないわ――
としか思えなかった。
――手を洗えばいい――
というだけの問題ではない。
握り潰せば、どれほどの汚物が出てくるか分かっていたが、手についてしまうと、絶対に消えないという思いもあった。
だから、本当は握り潰したりはしないのだろうが、麗美は自分の中の衝動からの反動に耐えられるだけの自信がなかったのだ。
箱の中から箱が出てくるという発想を、どうしてあの時分かっていたように感じたのか、目が覚めて考えればなんとなく分かったような気がした。
自分の目が一瞬だけその虫の目になってしまったことを麗美は気にしていた。
恐怖が残ってしまったのは、その思いがあったからで、そうでなければ、気持ち悪さの方が強く残ってしまい、まったく違った感覚で、見た夢を処理していたように思う。
気持ち悪さが強く残らなければ、思い出すこともない。
――ただ、何か分からないけど、夢を見たんだわ――
と思うことだろう。
麗美は、以前留美の家に遊びに行っていた時、留美の部屋にあった模型のようなものを思い出していた。
あれは、確か西洋のお城のようなものだったが、かなり精巧に作られていた。子供のおもちゃとしての、シンデレラのお城のようなものではなく、実際のお城の、何十分の一とでも言えばいいのか、お城のまわりの庭も、かなり精巧に作られていた。
「私ね。これを見ていると、いつも怖くなるのよ」
という留美に、
「どういうこと?」
「この模型は、お父さんが海外からのお土産で買ってきてくれたものなんだけど、そのあまりの精巧さにお父さんもビックリしていたわ。あまりビックリしたので、私へのお土産に買ってきてくれたと言っていたんだけど、私もその模型が気になってしまって、いつも見ていたわ」
「それはいつ頃のことなの?」
「そうね、麗美と知り合う少し前だから、麗美と知り合ったのが、まだ私がその模型に恐怖を感じる前だったように思うわ。ひょっとすると、麗美と知り合ったことで、それまで気付かなかった恐怖に気付いたのかも知れないわ」
と留美は言った。
だが、留美はすぐにそれを打消し、
「というよりも、ひょっとすると私は恐怖に気付いていたのかも知れない。恐怖というよりも、恐怖に感じなかった思いなんだけど、それが恐怖に変わってしまったきっかけが、麗美と知り合った時だって言えないかしら」
「留美も私も、どうやら後になっていろいろと思い出すことが多いようね。でもそれって逆を言えば、最初から気付いていたことの裏返しなんじゃないかって思うんだ」
と、留美との話の中で自分なりに解釈することで感じた思いを素直に言葉に表した。
しかし、言葉にするには曖昧で、人を説得させられるだけの材料がないことが分かっているので、そう思ったことすら亡き者にしておきたいという気持ちが曖昧さを運んでくるのだろう。
留美との話を思い出しながら、次第に病気が表に出てきた時の留美の顔を思い出していた。
――あんなにやつれていくなんて――
留美のことを思い出してはいけないと思いながらも思い出してしまったということは、留美が自分を必要としているのではないかとも思った。
それには、この日に目を覚まさせた夢の、その正体を明らかにする必要があるのだと思うと、せっかくの心地よさを身体全体で感じているはずの自分を、奮い立たせなければいけないと感じた。
留美のことを少しでも思い出したことを、麗美は後悔した。
――ここは、まず今見た夢のことを思い出さなければいけないんだわ――
思い出すも何も、夢を見たという意識があるのだから、それがすべてではないのかと思ったが、どうやら、それを否定する自分もいた。
――夢を見たということを自覚できるということは、何か他に感じたことを自分で悟ってはいけないという逆の意識が働いているのかも知れない――
とも思った。
麗美は、
――何かの不安を感じた時には、安心できる何かが隠れている――
あるいは、
――楽しいことの裏には、悲しいことが表裏一体で隠れていて、それを思い出すか思い出さないかは、本人の意思に関わることではない――
と思っていた。
予期できる何かを感じた時には、必ずその裏には正反対の何かが潜んでいるのではないかと思っていた。
夢を見たことを他の人が分かっていないというのは、自分の感情とは若干違っていると麗美は思っていた。
誰もが夢の内容を人に話そうとしないのは、その内容が自分にしか分からないことで、夢の世界は自分の知っている相手であっても、現実世界の同一人物とは違うということである。
つまりは、夢の共有などありえないと思っているからだ。だが、最近麗美は、
――夢の共有などありえないと思っているということは、夢の共有という意識があるからなのではないか?
と自分の考えを否定するのではなく、肯定する考えを持つようになっていた。
人と夢の話をしようとしないのは、麗美だけに限ったことではなく、誰も夢の話をしようとしない。そこに相手との暗黙の了解が存在するとすれば、
――目が覚めるにしたがって、夢というのは忘れていくものなのだ――
という思いが、自分の中にあるからではないだろうか。
夢の中に出てきた人のことを思い出そうとすると、その人は、自分の知らないことまで何もかも知っているかのように思えた。夢の中のその人が、何もかも分かっているかのような笑みを浮かべている表情しか、夢の中のその人をイメージできないからだった。
だが、その日の夢は、忘れてしまうにはあまりにもセンセーショナルだったということなのか、それとも、夕方に見た、
「箱の中の箱」
というシチュエーションが、あまりにも夢の中の光景と同じ意識の元に見ることができるものとして認識されたことで、夢を鮮明な意識として消し去ってしまわないように、自覚している証拠なのか、麗美は考えた。
「夢というものは潜在意識が見せるものなんだよ」
と言っていたのは留美だった。
留美は、あまり夢を見たくないという。
「私が夢を見ると、ロクな夢にならないからね。私の運命は決まっているのよ」
と言っていた。
他の人がいうのなら、それほど信憑性を感じないが、留美の言葉であれば、それはそれで大きな重みがある。子供だった麗美にもその重さは感じられ、留美が抱えている重みを、まるで自分も半分抱えているように思えた。それは自分が望む望まないにかかわらず、まるで自分が望んだことであるかのような意識が、頭の中にこびりついているのだった。
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