第16話 動揺、そして動揺
日常会話と錯覚しそうな、あっさりした返事。「電話よ」とか「帽子をかぶって行きなさい」みたいに、極普通の口調だった。
「ええっと。『なくなった』って……」
聞いてはいけなかったのかもしれない。純子は後悔の予感を抱いた。
「死んだってこと。母さんと二人で暮らすようになって、まだ一年とちょっとかな。やっと家事手伝いにも慣れてきたってところで――え?」
突然、絶句する相羽。
彼の横では、純子がぽろぽろ、涙をこぼしていた。
「す、涼原さん、どうしたの?」
「……ごめん、私、私……」
声を震わせる純子。いきなり立ち上がると、部屋のドアへ向かおうとする。
「どこへ行くんだ? 帰るの?」
「おばさまに……謝る。それにっ、相羽君のこと見ておくから、お仕事に行ってくださいって」
「何を――やめろよ」
毛布から飛び出すと、相羽は純子の腕を取った。
「ばかなことはやめろって」
「どうせばかよ! 迷惑かけたのに平気な顔――」
「し。声が大きい」
純子の口の前に、相羽の手。
「落ち着いて。泣きながら言われても、母さんだって困っちまう」
「だって……だって」
へたり込むと、純子は声を殺して泣きじゃくった。
すぐ側に、相羽も腰を下ろす。熱っぽさからか、それとも別の理由でもあるのか、赤い顔をして、途方に暮れた様子だ。
純子はまだしゃくり上げながら、どうにか口を開き始める。
「知らなかったんだもん、こんな。……余計なこと聞いて、ごめん。ごめんなさいっ」
「知らなくて当然じゃないか」
ため息混じりに、相羽。両手の指は所在なげに、絨毯をいじっている。
「クラスの誰にも言ってなかったんだよ。こんな話、自分から言い触らすもんじゃないからね。聞かれたときだけ、話すことにしてる。さっきも涼原さんが尋ねてきたから、聞いてもらった。それだけのことだよ」
「もっと早く言ってよぅ……」
「人をそんな、悲劇の主人公みたいに。悲しかったのは本当だけど、特別扱いされるのはもっと嫌だ」
「……けど……」
「いいから。泣きやんでよ。もしも今、母さんが入ってきたら、どう思われることやら」
純子の目の前にタオルが差し出された。石鹸の香りが漂う、淡いピンク色のタオル。
「ほら。新品だから、きれいだよ」
「う、うん……」
顔、特に目の辺りを念入りに拭く。段々、心が静まってきた。
「しっかし、びっくりしたなあ。まさか、いきなり泣くなんて」
真剣に驚いたらしく、胸に手を当てている相羽。額にじわりとにじんだ汗は、熱のせいばかりでない。
「ごめん。だって、何か、悲しくなって……嫌になって」
「涼原さんが悲しがることないでしょ? ――もう、そんな顔するなよ」
泣きはらした目で相羽を見ていると、頭をふわりとなでられた。
(相羽くーん……)
自分の頭に乗せられた手を、上目遣いに黙って見つめる。手はやがて引っ込められた。
「髪が台無し。きれいなのが、もったいない」
「――あは。お世辞、上手」
かすかだけど、やっと笑えた。
相羽は不満そうに頬を膨らませる。
「本心から言ったのにな」
「嘘でも何でも、誉められたら気分いい。お見舞いに来て、逆に励まされちゃってるね、私ったら」
「色んなこと、考え過ぎだよ、涼原さん」
「そっちこそ。あ、起き出したらだめじゃないっ。寝て」
立って、相羽の腕を引っ張る。
「いてて。自分で立てるっての」
相羽はわざとらしく引っ張られた手を振りながら、ベッドに戻った。
「ぶり返したんじゃない?」
横になった相羽の顔に、心なしか赤みを増したように見えた。
右手のひらを伸ばす純子。
「熱っぽいわ。ほらぁ、起き出すから」
「変わってないよ。ひいたときからこのぐらいの熱だ」
やれやれという風に、相羽は毛布を鼻先までかぶった。
純子は腰に手を当て、見下ろす。
「やっぱり顔、赤いわ。私がいると、かえって騒いじゃって、よくないのかもしれないよね……」
「そうかもな。万が一、うつしたら悪いし、休みなのに病人に付き合わせるのも気が引ける」
「私は別にかまわないけど」
「いてくれるんなら――子守歌の童謡、唱ってよ。寝付くまでいてほしい」
「はあ?」
呆気に取られて聞き返す純子に、相羽は再び顔を覗かせ、舌を出した。
「かっ、からかったわね!」
「いたたたっ。謝る、ごめん」
純子にぽかぽか叩かれ、亀のように首をすくめる相羽。
「帰るわっ」
「でもまあ、その調子なら安心した。もう、特別に気を遣うなよ、僕のこと」
「――うん。早く元気になってよね。みーんな、待ってるから」
「僕だって、早く行きたいさ。あ、そうだ。宿題とか連絡とか、何かないの?」
「いっけない! 忘れるとこだった。宿題はないけどね、給食費を出すようにって。これ、給食費の袋」
印刷文字の入った茶封筒を手提げから取り出し、手渡す。
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