あたしの彼女の菜月さん

@suzutukiryo7891

あたしの彼女の菜月さん

 四月。それは出会いの季節。うららかな陽気で執り行われる入学式の日の朝、あたし、三根川陽子はクラスメイトになった野中菜月さんの瞳にハートを射抜かれた。


「あたしと付き合ってくださいっ!」


 教室でクラスメイトに見られている中、勢いのまま告白をあたしはしてしまった。ろくに会話をしたことの無い相手からの告白だ。当然のごとく振られると思っていた。


「……いいわよ」

「ほえ……?」


 こうして、あたしと野中さんは出会ってすぐに恋人関係になったのだ。


 × × ×


 そう、恋人関係になったはずなのだ。


 入学してから二週間が経った。

 放課後になった。あたしの提案で、あたしと野中さんは帰りの電車を途中下車して海辺にやってきた。


 あたしと野中さんは砂浜に足跡をつけながら隣り合って同じペースで歩いている。放課後デート、と言っていいはずだ。少なくとも、あたしはそう思っている。



 横目で彼女をちらりと盗み見る。

 野中さんは入学式当初から変わらず綺麗だった。肌は粉雪のように白く柔らかそうで、まつ毛は長く、切れ長の目はまるで氷柱のような鋭さを持っていた。深い紺色のセーラー服と海風でなびく黒いストレートの髪は、そんな彼女の綺麗な白い肌をより引き立てていた。


 あたしはそーっと手を伸ばし、野中さんと手を繋ごうと試みる。けれど、野中さんはスッとかわしてしまう。そんなやりとりは、告白した日からずっと続いている。野中さんの行動はどこかあたしのことを拒んでいるように感じてしまう。


 ここ最近のあたしの悩みだ。野中さんとスキンシップをとするとどうしても避けられる。特に手に関しては特には気にしているようで、寸前にすら届いたことがない。


 単純にスキンシップが苦手なだけかもしれないけれど、初日が初日だったのだから、本当のところは迷惑だったかもしれない。けれども──


「野中さん、こないだね〜。野良猫見たんだー。その子、人懐こっくて、おいでおいでーって手招きしたら、寄って来てくれてさ。それで、ゴロンと転がってお腹触らせてくれてさー」

「そうなの。触り心地よかったかしら」

「それはもう。もっふもふで心ゆくまで堪能したよ〜」


 といった感じで雑談には乗ってくれる。興味のない相手と雑談なんてしないだろうし、そもそも、こうして放課後デートに付き合ってくれないだろう。


 野中さんの本心が見えてこない。どうして付き合うことを了承したのか。もしかして、付き合うって恋愛的な意味ではなくて、付き添い的な意味で受け取られているのではと、ふと心配になってきた。あたしは野中さんに問いかけてみることにした。


「ねぇ、野中さん。あたしたちって恋人同士なんだよね?」

「そうよ」


 野中さんの声色は冷たかった。それはいい。女の子としては低めの声。だけれど、不機嫌や苛立ちの籠もった声ではない。だからこれはいつも通りのこと。まだ短い関係だけれど、このことは断言できる。


 野中さんの顔を見やる。野中さんもあたしに合わせたのか顔を見せてきて、何か間違ったことを言ったかしら、と言いたそうな表情をしている。


「ほら、だってあたし、強引だったじゃん。あんなクラスメイトがたくさんいる教室の中で。それで断りづらかったのかなって。嫌だったら嫌でいいから別れない?」

「それはお断りするわ。あなたを嫌いになる要素なんてないもの」


 あたしの提案に野中さんは即答で返した。あたしの短い経験の中では、聞いたことのない鋭く冷たい声で驚いた。失礼なことを聞いてしまったかのように錯覚してしまう。それよりも、嫌いになる要素がないと言い切ってくれた方が嬉しかった。


「それじゃあ、どうして手を繋いでくれないの? 恋人同士ならそういうスキンシップがちょっとくらいあってもおかしいなんてことはないと思うんだけど」


 あたしは核心部分を突く質問を野中さんへと投げた。しばらくの沈黙が流れる。野中さんは言おうか言わないか迷っている様子だ。


「野中さん、どうしても言いたくないの?」

「……言いたくないわ」

「どうしても?」


 あたしは粘って聞き返す。しばらく沈黙の時間が流れる。あたしはダメかなと思った瞬間、野中さんは呟くように話し始めてくれた。


「……私、極度の冷え性なのよ」

「そうなの?」

「ええ。平熱も他の人より低くいし。だから、触れられて嫌いになられるのか怖くって……」


 恥ずかしそうに視線を下へとそらす野中さん。そんなことで野中さんは悩んでいただなんてかわいいとあたしは思った。目を伏せたままの野中さんにあたしの悪戯心がくすぐられた。


「えい」


 すかさずあたしは、野中さんの手を握ると、思わずあたしの声は漏れてしまった。


「うわ、冷たっ!」


 野中さんの手は、氷水の中に手を長い間、浸していたかのような冷たさだった。

 野中さんは「でしょ?」と呟いた。


「あなたの手が冷えてしまうから、離してほしいのだけど……」


 野中さんはあたしの手を振りほどこうと力を入れる。けれど、あたしは野中さんの手を離さまいとギュッと握りしめた。


「やだ。やっと野中さんと、手を繋げたんだもん。あたしが野中さんの手をあっためてあげるよ」

「そう、ならいいのだけど……私の手、どうかしら?」

「とても冷たくて気持ちいいよ」


 確かに野中さんの言う通り野中さんの手は冷たかった。けれども、あたしの高めの体温と合わさってちょうどいい温かさになった。

 あたしの言葉を聞いて安堵してくれたのか、野中さんはあたしの手をぎゅっと手を握り返してくれた。たったそれだけのことだけれど、あたしの心は春の陽射しのように暖かくなっていった。


「でも良かったー。あたし、野中さんに嫌われてたわけじゃなかったんだって分かって」

「嫌いだったら最初から断ってるわよ」


 当たり前のことを言われて、あたしは自然と笑顔がほころんでしまう。

 あたしは手を離し、野中さんの前に移動する。野中さんは強いお酒を飲んだみたいに赤面しながらも、どこか安らぎを感じさせるような表情をしていた。


「ねぇ、野中さんはさ、あたしのどこが好き? あたしは一目惚れなんだけど」


 菜月さんは思案するような表情になり、しばらく黙ってしまう。しばらく待っていると、菜月さんは口を開いた。


「分からない」


 真剣な声色で菜月さんは言った。予想外の答えであたしはポカンとしていると、菜月さんは続けて話す。


「だからこそ、断るなんてできなくて……これからあなたを知っていきたい……そう思って告白受けたの」


 駄目かしら、と野中さんは瞳で問いかけてきた。なんだかあたしの体温はあたたまるような心地がした。


「うん! これから知ってこうね」


 あたしは自分の名前のような、春の陽子を思わせる笑顔を野中さんに見せつけた。


 × × ×


 七月。テスト期間が終わって、あたしはぐーっと伸びをしていると菜月さんが話しかけてきた。


「陽子、一緒に帰りましょう」

「うん、いいよー」


 野中さんはあたしへと手を伸ばす。野中さんはあの日以来、積極的にスキンシップをしてくれるようになった。野中さんの平均体温は低く、夏となった今は心地いい思いをあたしはしている。


「野中さんの体温、程よくひんやりしていて気持ちいい」

「そう? お役に立てているのなら嬉しいわ」


 野中さんの表情を観察してみる。口元はあたしにしか分からない程の笑みを浮かべていた。他の人には野中さんのかわいいさが伝わっていないらしい。それでもあたしは気にしない。

 どうしてかと問われれば、あたしだけが彼女のかわいさを知っている、ということだ。彼女をあたしが独り占めにしている。そういう訳で他の人に教える気なんて欠片もない。


「ねぇ、陽子」

「んー? なーに野中さん?」

「今日も海行かない?」


 放課後デートも野中さんから誘ってくれることも増えている。あたしの返事はもちろん決まっている。


「いいよー。一緒に行こう」


 × × ×


 たたん、たたんと音をたてながら電車が到着する。あたしたちが海へと行ためくには、徒歩で行くとなると遠いため、電車の利用が必須だ。

 車内へと入り、辺りを見回す。ほぼ貸し切り状態だ。テスト期間だったためか、この時間の電車の中に人は少ない。居ても車掌さんと隣の車両にあたしらの学校の生徒が数名居るくらいだ。

 電車が動き出すと同時に、あたしたちは隣り合ってシートに座る。シートは艶があり、座り心地が気持ちいい。

 たたん、たたんと電車は音を立てて走る。音と揺れに耳を傾けてしまえば、心地いい……眠りに誘われ……


 × × ×


 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。シートに座ったまま寝ぼけ眼で振り返ると、車窓の外には海が広がっていた。

 高く登った真昼の太陽の光を浴び、青い海はキラキラと輝いて綺麗だった。

 海へと向けていた顔を、車内の電光掲示板へと動かす。降車する駅は次であることを知らせてくれた。

 隣の野中さんはどうしているだろうと、横へと見やると野中さんも眠っていた。あたしと同じくテストで疲れていたのだろう。あるいは電車の揺れや音で心地よくなったのか。

 野中さんの寝顔を観察する。安心しきっているようで、小さくゆらゆら揺れている。

 あたしの反対側に倒れてしまうのはいかがなものかと思ったので、あたしは野中さんを引き寄せ、到着まで野中さんの頭へと自分の頭を寄せた。


 × × ×


 いつもの浜辺は日が高く昇っている。スッキリ目を覚ましたあたしたちは、そんな浜辺をのんびり歩いていた。あたしは野中さんに声をかけた。


「テストどうだったー? あたしは野中さんのおかげでだいぶ自信がある」

「そう。力になれてなによりだわ。私も充分力を出せたと思うわ」

「さすが野中さん、中間テストもトップだったもんね。期末テストも余裕でしょ〜」


 あたしはそう言って褒めると、菜月さんは微かに胸を張った。

 しばらくそのまま浜辺を散歩する。潮風の香りと穏やかな時間が、心地よくあたしたちの間に流れる。そんな中、菜月さんが口を開いた。


「……ねぇ、陽子」

「ん〜? なぁに?」

「お願いがあるんだけど……」


 歯切れが悪く野中さんは話を続ける。


「もしよ、成績発表で学年トップだったら……その……」


 菜月さんは言いづらそうにしているけれど、あたしは沈黙で話を促した。


「お願いごと、聞いてほしいの」

「いいよー。どんなお願い?」


 野中さんはますますモジモジする。


「野中さん、なにか言いづらいこと?」

「その……それ」


 それと言われてもなんの事だか分からない。首を傾げていると、野中さんは思いを声にした。


「そろそろ呼び捨てで呼んでほしいの」

「ん〜? 野中さんは野中さんでしょ?」

「でも、私たち恋人同士なのだから。私だけ呼び捨てじゃないのは、なんか嫌」


 言われてみれば、あたしは野中さんのことを呼び捨てにしたことがない。その必要性すら感じたことがなかった。


「なーんだ、そんなこと? 今からでも大丈夫だよ。呼び捨て、してほしい?」


 野中さんはあたしの問いかけに、小さくコクリと頷いた。


「それじゃあ……菜月」


 あたしの心は充足感に満ちていった。ただの呼び捨てでこんなにも特別感が得られるなんて、思いもよらなかった。


 あたしは菜月……さんのことを呼び捨てで呼ぶと、菜月さんは白い肌を朱に染めた。どうやら照れくさいらしい。けれども、顔が熱い。菜月さん以上にあたしは赤面している気がしていた。


「ごめんね、菜月……さん。呼び捨て、やっぱりやめさせて」

「どうしてかしら?」


 表情で問いかける菜月さんに、小声になりながら答えた。


「なんか照れくさくって。しばらく菜月さん呼びにさせてもらっていい?」


 あたしは提案した。けれど菜月さんは渋々了承したようにため息をついた。


「分かったわ」


 あたしは安堵するけれど、菜月さんは言葉を続けた。


「でも、いつか呼び捨てで呼ぶこと。約束して」

「うん。もちろんだよ。それじゃあさ」


 あたしは手の小指を菜月さんへと向けた。


「指切りしよう」

「ええ、いいわよ」


 菜月さんもあたしに手の小指を向けた。


 指を絡め合い、指切りげんまんの二人して歌う。歌い終わると同時にあたしたちは指を離した。少しばかりあたしは触れていたかったななんて思いながら。それでもおおむねは満足感にあふれている。


 指切りした後、菜月さんはまだなにか言いたいことがあるらしく、じっとあたしを見つめてくる。


「どうしたの、菜月さん?」

「代わりのお願い、聞いてほしいのだけど」


 菜月さんは呼び捨てのお願いをしたときよりも顔を真っ赤にしてしまった。


「成績トップだったら……こっ、恋人っぽいこと……したい……のだけど」


 声が上ずったり少しずつ弱まったりしながら菜月さんはそう言った。恋人っぽいことってなんだろう? あたしは直接聞いてみることにした。


「例えば?」

「き……キスとか」


 確かにそれっぽいなー、なんて思いながら、あたしは菜月さんへの印象を口にした。


「菜月さんってさ、意外と結構求めてくる人だよね」

「それはそうよ。それなりの人と接してきたけど、一緒にいて心地いいのはあなただけだもの」


 嬉しくなることを菜月さんは言ってくれて、思わずにやけてしまった。少し体勢を整えてから、あたしは菜月さんに問いかけた。


「キス……していい?」

「テストの結果分かってないのよ?」


 困り顔で菜月さんは聞いてくる。それに対して、あたしは笑いで答えた。


「菜月さんなら大丈夫だよ。平気平気ー! 報酬の前払いってことでさー」

「そ、そういうことなら。でも、トップじゃなかったときどうするの?」

「それはそのとき考えるよー」

「そ、そう……」


 菜月さんは戸惑いながらも、こくりと頷いてキスする覚悟を決めたようだ。

 あたしより先に菜月さんが目を閉じ、彼女に続けてあたしは目を閉じる。そっと近づき、ゆっくり時間をかけて、唇を重ね合わせる。


 菜月さんの柔らかな唇の感触が伝わる。いつだったか他人より平均体温が低いと言っていた菜月さんの言う通り、人肌よりややひんやりとしているような気がした。名前のイメージ的なところもあるだと思うけれど。


 それにあたしにとっての(菜月にも言えることかな)ファーストキスだし、他の人としたこともないから、実際のキスの温度なんて分からない。


「どうだったかしら、陽子?」


 菜月さんは照れ顔になりながら問いかけてきた。


「気持ちよかったよ。嫌じゃなかったらもう1回したいくらい」


 キスしている時間が、世界で一番心地よくなれる瞬間になったのは間違いようがなかった。


「そんなに? まぁ、いくらでも付き合うけど」


 菜月は目を瞑り、キス待ちの顔をしてくれる。そんなかわいい彼女に、あたしはまたキスをした。


 余談ではあるけれども、後日の菜月のテスト結果は、見事の学年一位で、さすがあたしの彼女だと、鼻が高くなるのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたしの彼女の菜月さん @suzutukiryo7891

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ