竜に呪われていたそうだ(カイル)

 ……疲れた。


 フレデリック殿下たちが不定期に行う『気紛れ視察』に付き合って騎士団の詰め所に戻ると家から手紙が来ていた。何かあったのかと手紙を開ければ、母上の字でセシリアが妊娠したと書かれていた。


「は、早く帰らないと」


 慌ただしく帰宅の準備をして、丁度詰め所に戻ってきた騎士の仲間に家に帰ることを告げる。彼らに「慌てていると事故るぞ」と言われたから馬車で帰ることを決めた。


「おや、ハーグ卿ももうお帰りですか?」

「も?」


「一刻ほど前にハーグ騎士団長も大慌てでお帰りになりました。すごい勢いだったのでどこかで事故を起こしていないといいのですが」


 ……何をやっているんだ、父上。



 逸る気持ちで乗った馬車の進みはのんびりで焦れったい。おかげで余計なことを考えてしまう。


 セシリアが妊娠したことは良かったと思う。愛しい女が自分の子を産んでくれることは男として嬉しいし、王命を受けた次期ハーグ伯爵としても次代が産まれることに安堵している。


 セシリアも次期ハーグ伯爵夫人として安堵していることだろう。母上は俺が産まれたことで心理的な重圧の九割がなくなったと言っていたから。



 気にかかるのはあれほど拒絶している俺の子を産むことをセシリアがどう思っているか。


 愛していない男の子どもを産むことは貴族社会で珍しいことではない、抱かれている以上は子ができる覚悟はできていたはず。そう思っても納得しきれないのは……いや、これは余計なお世話だろうな。


 俺がすべきことはもう分っている。

 俺たちが政略結婚であることを受け入れることだ。



「お帰りなさいませ」

「ただいま、夫人。気分はどうだ?」


「大丈夫ですわ」

「それならよかった」


 体を大事に、元気な子を産んでくれ。たまにこんな言葉を追加するが、妊娠が分かってからは何を言えばいいか分かりやすくて帰宅の挨拶もスムーズに終わる。


 深く踏み込まず政略結婚の夫としてセシリアを気遣いながら毎日を過ごす。


 セシリアはつわりが始まり青い顔をしていることが多いが、医者は赤ん坊が順調に育っている証拠だという。



「カイル、いまちょっと良いか?」


 先に帰宅していたらしい父上のあとについて書斎に行くと、父上が引き出しから絵本と手帳を出した。美しく繊細な装丁の絵本は父上に似合わず、あちこち剝げている革の手帳はかなり使い込まれている雰囲気でこちらも父上のものでないと分かる。


「俺の爺さんが残したものだ」

「誰に?」

「元庶民の貴族令嬢に惚れた子孫のため、つまりお前だ」


 ん?


「父上もじゃないのか?」

「俺はもういいんだ。お前はいまモヤモヤッとしているんだろう? これを読めばそのモヤモヤが解消される……かもしれない」


「え? 読んでないのか?」

「ん? 俺も読むべきなのか? こういう細かい文字を読むのは苦手だし、もう関係ないから読まなくていいなら読みたくないのだが」


 ……父上。


 手帳を開くと表紙の裏にあまり綺麗とは言えない字で『元庶民の貴族令嬢に惚れた子孫へ』と書いてあった。サインされた名前は俺の曽祖父だった。


 手帳を開くと予想の何倍も小さな字でびっしり埋められたページが沢山続く。


「……頭のいいやつと一緒に読むか」

「それがいいと思うぞ。お前は色々俺に似ているんだからさ」



 セシリアの妊娠を理由にロークたちの結婚式に出席しなかったので、ロークに会うのは久し振りだった。


「随分と部屋の中が焦げ臭いな、機密文書の処分中だったか?」

「もう終わった。久しぶりだな、カイル」


 ロークの結婚式でティファニーが起こした騒ぎは母上から聞いているが、ソニック公爵家やカールトン侯爵家にとっては大した問題ではないのだろう。ハネムーンから戻ったロークの評判はとても良い。


「ハーグ騎士団長はお元気か?」

「元気過ぎるくらい元気だ。俺の嫁を溺愛して可愛がり倒している」

「嫁至上主義はどこの家でも同じだな」


 ……ロークがこんな優しい顔をして笑うのを初めて見た。誰を思い浮かべていたのかは一目瞭然、噂通りとても仲良くやっているらしい。



「ふう」


 流石、宰相補佐。理解はさておき一通り目を通すのに五日もかかったのに、ロークは本当に読んでいるのかという速さで手帳を捲って最後まで読み終えた。


「はああ」


 そして深い溜め息を吐く。


「ハーグ家がもう少し早く、できれば手帳を託されて直ぐに国に献上してくれれば……」


 ……すまん。



 手帳はロークが預かってくれることになった。


「そのままソニック公爵家に保管されても構わないと父上は言っているんだが」

「呪われそうで嫌だ」


「こっちもそっちももう呪われてるじゃないか」

「そうだな……全くルシールにどう詫びたいいんだ。とにかく王子と名のつくものが出てきたら転校か留学だな」


 なるほど、うちもそうしよう。



 扉がノックされてロークの部下が手紙を何通も持ってきた。


「招待状が増えるとメリメント・ゲラだと感じるな」

「うちもそっちも結婚してから初の社交シーズンだな。セシリア夫人の体調は大丈夫なのか?」


 ロークならば大丈夫だろう。


「実は子どもができてな、大事をとって今まで社交を控えていただけなんだ」

「大事にしてくれ。そうは言っても最初の王家主催の夜会は外せないか」


 今回の王家の夜会はなぜかソリア側妃が主催で、ティファニーの腹にフレデリック殿下の子がいることが発表される(卒業パーティーは非公式なので国としてはノーカウント)。

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