政略結婚しました(カイル)
「旦那様」
熱のある吐息混じりの声は俺の本能を煽るが、俺の胸に触れるセシリアの手が押す力に駄目だと理性が警告したので体を離す。セシリアは俺に背を向け、用がすんだのだから出ていってほしいとその背中は俺を拒絶する。
この状況をどうする手立ては見つけられない。
黙ってベッドから降りて、セシリアの体から強張りが抜けるのを目にして傷つく自分の勝手さに反吐が出る思いで汗ばむ体にガウンを羽織る。
「ゆっくり休んでくれ」
セシリアの声に安堵が混じるのを聞いて以来、俺は返事を待たずに部屋から逃げ出す……と言っても隣の部屋だが。
結婚のタイミングで俺は予定通りセシリアの部屋と内扉で繋がるこの部屋に移動したが内扉は使えない。心理的にもだが物理的にも。
婚約を継続しつつも結婚に乗り気ではないことを示すように俺はこの部屋に興味を示さず準備は全てを母上に任せ、扇子を何本も折りながら母上が用意したこの部屋は三歳くらいの女の子は夢のようだと喜ぶくらいパステルカラーで統一された。
俺は意固地になって結婚の象徴と言える内扉の前に化粧台を移動した(化粧台など俺は使わない)。
売り言葉に買い言葉のように母上はセシリアの部屋の内扉の前に本棚を移動し、地震対策だと言って金具と釘でしっかり床と壁に固定した。
――― 次期当主としての義務は果たすのだからいいだろう?
俺がことあるごとにそう言うたびに父上は怒り、ときに殴った。母上は冷たい目で俺を見ながら扇子をバキバキ折っていた。趣味と健康づくりで騎士団に混じって訓練している母上に扇子を持たせてはいけない気がする。
こんな風に父上と母上のことは細かく思い出せるのにセシリアの表情は霞がかっているように「そこにいた」くらいしか思い出せない。
俺の思い出にいつの頃からかセシリアがいなくなった。
ティファニーに呆ける俺に愛想を尽かして距離を取るようになったのだろう。
卒業式の一カ月ほど前から領地に帰っていたと聞いたのは、両陛下の前で婚約継続を命じられたあの日だった。
久し振りにセシリアを見て「ああ、セシリアだ」と思ったことは覚えている。
俺とセシリアの結婚は国防に基づく王命で断ることは不可能。父上とトリッシュ伯爵が話し合うのを聞きながら俺は自分を種付けの馬のように扱う親たちを恨んでいた。
結婚式は一度婚約が破綻しかけた事実などないかのように当初の予定通り行われた。
騎士団の入ったばかり、結婚式で騎士は儀礼用騎士服を着るもの。そう言って逃げていた結婚式の準備が気になったのは「セシリアも私に全て任せるとしか言わないのよ」という母上の言葉。
その言葉が気になって悶々としているときに「なぜ」が浮かんだ。
なぜセシリアは結婚式の準備に興味がないのだろう?
いや、なぜセシリアが結婚式に興味を持たなければいけない?
結婚式の準備で
なぜ俺を呼ばない?
いや、なぜ俺を呼ぶ必要がある?
気づけばいつも「なぜ」と考えていて、結婚式の少し前に「なぜ」がティファニーにいきついた。
なぜ俺はティファニーが好きになったのか。
突然好きになったのだから一目惚れ……ティファニーのどこに?
違和感に首を傾げてティファニーのことを考えると浮かぶのは甘えてくる姿だけ。あれが良かったのかと考えたが、俺の全てが直ぐに否定した。
俺が産まれたハーグ伯爵家は代々当主が騎士団長を務めるため、有事のときは当主は不在となり家と領地は夫人が守る。戦争でも起きれば数カ月家を空けるためそれができる女でなければいけないと父上と母上と数多の親戚から耳にタコができるくらい聞かされてきた。
セシリアならばそれができるとハーグ家が望んだのだと思い出したとき、どうして俺はティファニー
嫡子は母親のサポートをするものだと言われ、俺は幼い頃は領地で過ごし領地について学んだ。代々座学が苦手な脳筋揃いのおかげで、書類を読んで理解するより馬に乗って現地を見にいったほうが早いというやり方だったので性に合っていたのは良かった。
王都に呼ばれたのは十歳の頃、そろそろ嫁を探さないとと色々な茶会に放り込まれたが友人になった男の子たちが「可愛い」と目を向ける令嬢たちには興味がわかなかった。
思い返して浮かぶティファニーはこのときの令嬢たちと変わらない。
それなのになぜ?
セシリアを好きになったときのことはいまも覚えている。
その頃俺は出席した茶会が十を超えていて、父上に成果を聞かれても「可愛い子はいるみたいだけど僕には分からない」と報告し続けていた。
父上には毎回「だろうな」と笑われて、当然俺はそれに抗議をしたが「宝物は探さなければ一生見つからない」と言われれば参加するしかない。ヒントが欲しくてどうすれば宝物だと分かるのかと問えば「見りゃ分かる」と言われた。
そんなバカなと呆れたが、本当に父上の言う通り「見りゃ分かる」だった。
セシリアを見た瞬間にこの人だと分かり、俺は絶対にこの子と結婚すると決意した。実際は政略での見合いだったのだから結婚はほぼ内定していたのだが。
セシリアのどこが好きかと聞かれれば分からないが、なぜ好きかと聞かれれば「セシリアだから」と言える。
セシリアは俺のこの答えはお気に召さないらしい。
セシリアは自分が骨太で背が高いところが嫌で、家の当たり前で鍛えていたせいで筋肉がついた体も嫌いだという。具体的にここが嫌いだと言われても、そこも含めたセシリア全てが好きなのだから「そうかなあ」と首を傾げるしか俺にはできない。背の高くがっしりした女なんて戦に出る男たちに代わって女が家と田畑を守るハーグ領では普通のことだ。
骨太はどうにもならないけれど、セシリアが背を気にしているなら俺が高くなればいい思った。俺も父と同じ脳筋だと感じるのはこういうときだ。
俺は毎日牛乳をたくさん飲み、「背が伸びる」「骨にいい」と言われるものは何でも食べた。神殿で五穀豊穣を祈るときにはついでに背が伸びるようにも祈った。十二歳を二ヶ月ほど過ぎたときにセシリアの背を抜いたときは一人で祝杯をあげた。いつものホットミルクに父上秘蔵のブランデーが入っていたことを思えば、俺のやっていることは家中がお見通しだっただろう。
直ぐにセシリアに会いに行くと開口一番「何かいいことがあったの?」と聞かれ、彼女より背が高くなったことを自慢すると嬉しそうに笑ってくれた。もっと笑ってほしくてブランデー入りホットミルクの話をするとセシリアもお祝いしてくれると言った。
――― 物よりもこれがいい。
そう言って俺はセシリアに口づけた。
この頃頬への口づけはしていたけれど唇にしたのは初めて。セシリアより背が伸びたら絶対にするのだと決めていて実行したのだった。セシリアは顔を真っ赤にして「レディの許しも得ずに失礼だ」と文句を言ったが、その表情は嬉しそうだったから抱きしめるときも口づけるときも俺は許可をとったことがなかった。
――― 旦那様。
許可をとらずに触れないでほしいといまのセシリアは目で訴える。許可を得て触れた体は正直で、全力で俺を拒絶している体を開くたびに無体を強いている気がして罪悪感を抱く。
いまの俺は夫の権利を振りかざしている様なもの。こんな風にセシリアを抱いていることを十五歳の俺が知れば殴り倒されていただろう。
十五歳になって直ぐ俺は閨教育を受けた。
貴族の男は大概がそうなのだろう。学院の高等部に進学すると学生同士の可愛らしいお付き合いが生々しい男女のそれになった。
貴族は後継ぎを作ることが大事なので学院は男女交際に煩くなかったし、授業でも剣で戦う騎士科は気が昂ることが多かったせいか性に関して早熟な者が多かった。武の名門出身の俺とセシリアは中等部の騎士科でも注目されていたが、この頃には婚約者としての進展度にも注目された。
セシリアはどうかわからないが俺は周りから「まだなのか?」と何度も揶揄われたし「それならば代わりを」と不貞を薦められたが俺は一切を無視し続けた。
セシリアが大事だった。
それなのになぜ―――。
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