ハーグ伯爵家の夫婦(騎士団長の息子)

政略結婚しました(セシリア)

ルシールの友人セシリアとロークの友人カイルの物語です(※元サヤ注意)


―――――――――


「トリッシュ伯爵、ご令嬢。この度は大変申し訳なかった」


 騎士団長を務めるハーグ伯爵の頭が腰の位置まで一気に振り下ろされると、カイルのチョコレートを溶かしたような焦げ茶色の髪が揺れてハーグ伯爵と同じように頭を下げる。


 深い謝罪の姿はお二人揃っているが腹のうちは違う、カイルとの付き合いの長さは伊達ではない。カイルの悔しさが滲む表情がこの謝罪が不本意だと物語っている。


 でもカイルが謝り、私が受け入れなければいけない。私はカイルに顔を向けたまま視線だけ玉座にいる国王陛下と王妃陛下に向ける。


 カイルとの結婚、ハーグ家と我がトリッシュ家の繋がりを強めるのは国防を懸けた大事な政略。そのため国王陛下はともかく王妃陛下の目にら「理解わかっていますよね」という圧がある。


 きっと恋愛結婚を期待した私が愚かだったのだ。これは政略、もう何も期待しない。


「謝罪をお受けいたします」


 私の言葉が終わる前にこの場の全員が安堵と満足の混じる溜め息を吐く。とんだ茶番だ。



 ***


 嫁いだハーグ家はトリッシュ家と同じ国を守る騎士の家、有事のとき当主は国を守るため不在となり、家と領地は夫人が守ることになっている。


 戦争が始まれば年単位で当主は不在、そのため夫人は当主の仕事も学ぶ。それができる女でなければ当主の妻になれないと、その特殊性から私は婚約が決まった十歳の頃からハーグ家やハーグ領によく出入りしていた。


 おかげでハーグ家の使用人とは気心の知れた仲で、現当主夫妻はまだまだお元気なので代替わりの心配もない。夫婦で出席が必要な夜会は全て欠席して構わないとお義母様は仰って、私たちの代わりにお義父様と夜会に出席してくださっている。



 結婚式は予てからの日取りで行った。


 花嫁の経験のあるお母様とお義母様は噂がもう少し落ち着いてからのほうがと私の心の準備の時間を稼ごうとしてくださったが喜劇などその場の勢いで終わらせてしまうべきだと思ったのだ。


 お互いを理解するための婚約期間では色々な意味で旦那様のことは十分理解したと言える。お義母様は「すぐに息子の目は覚める」と仰ったが、目が覚めたところで私にどうしろと言うのだろう。


 結婚式は身内だけのものとしたが、それでも不特定多数の好奇心の的になることは覚悟していた。


 そんな私を救って下さったのは学院時代の友人で本来から王太子妃になるはずのルシール・カールトン侯爵令嬢で、ルシール様は私たちの結婚式直前に新たな婚約者であるソニック公子と初めて公の場に登場。例の男爵令嬢に籠絡されたフレデリック王太子殿下の元婚約者と同じ令嬢に盲信している公子は注目を集めて社交界の話題を根刮ぎ攫っていって下さった。


 ルシール様のお陰で私の結婚など大した騒ぎにならず何事もなくひっそり終わり、それに倣うように婚約が白紙にならなかった友人が続々と式をすませた。


 花嫁のヴェールの影から見えた友人たちの顔は皆同じ、政略結婚だから仕方がない、若気の至りなど些末なこと。


 私の心境も同じだったから、私のヴェールの下も同じ顔だっただろう。



 婚約期間とは打って変わった穏やかな毎日。特に何もやることがなく一日が過ぎていくのは本当に虚しい。


 旦那様は予定通り新人騎士となり、次期騎士団長候補として毎日厳しく鍛えられているという。それを聞き無性に羨ましくなる。


 私はルシール様をお守りする近衛騎士になりたかった。ハーグ家に嫁ぐ私のその夢に誰もが渋い顔をしたが、あの人だけはそれを応援してくれた。


 その夢ももうない。私の夢見ていたもののうち一体何が残っているのやら。



「夫人」


 旦那様の呼ぶ声で我に返る。


 頭がぼーっとするのは普段より長めに湯に浸かって逆上せたからか、それとも過去に思いを馳せて叶わなかった夢の未練に浸っていたからか。


「どうした、気分が悪いのか?」


 いまが夫婦の閨の時間だと思い出す。


「大丈夫ですわ、旦那様」


 結婚した日から私は旦那様を「旦那様」と呼び、旦那様は私を「夫人」と呼ぶ。最初に呼んだのは私、あの人と同じ声で名前で呼ばれたくなかった。


「夫人」


 旦那様が伸ばしてきた手に気付かない振りをして身を引き、自分の足でベッドに向かう。


 もしかして抱いて運ぼうとでも?


 そうかもしれない。恋物語にはそれが女性の夢のように描かれているから。きっとあの人もあの子にそうしてあげたのだろう。


 でも私はあの子と違う。他の女性と比べて私は背が高くて筋肉もあるので重いから、抱き上げられると思うと申しわけなさが先にきてトキメキなどない。


 ―――ティファニーは小柄で可愛らしいのに。


 私は自分の体が嫌い。昔からずっと。あの人にそう言われた日にこの体がもっと嫌いになった。


「妻なのだから……」


 妻……確かにこの体でも役には立つ。女性なのだから子どもを産むことはできるだろう。


「いや……あまり無理をしないでくれ」

「分かっております」


 政略結婚は結婚することは目的の三分の一、残りは両家の血を持つ跡取りを作ること。



 ケホッと旦那様が咳をした。


 よく考えたら体調を気遣うのは私の仕事。一日の気温差が大きなこの季節、あの人はよく風邪をひいた。


「旦那様も体調にお気をつけください」

「あ、ああ、うん……ありがとう」


 最近の旦那様はどこか変だ、あの人とよく重なる。


 ―――俺みたいなデカくてガサツな男にはセシリアが一番合うんだよ。


 そう言って力強く抱きしめて、巫山戯つつも甘い口づけをくれた大好きなあの人に―――。



「旦那様」


 私が受け入れるのは旦那様、旦那様は旦那様だ。着ているガウンの紐を解く、旦那様にはこれで言いたいことは通じる。


「いいのか?」


 あの人は私に触れるとき許しなんて求めなかった。少しだけ強引に、でも痛いとまでは感じないあの人だけの力加減で私を抱い寄せて口づけてきた。


「勿論です」


 旦那様は優しく、壊れ物を扱うかのように私を抱き寄せる。私の知らない男の所作、それが嬉しい。


 これは政略結婚。かつて愛した男など忘れなければ自分が苦しいだけ。


 旦那様、優しく抱いてください。

 熱い瞳で私を求めたあの人を忘れられるように。

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