誰かが死ぬと分かっていても……
……ローク様が私を恋しい妻って……言いましたよね?
あれ、言いました?
あのあとローク様は滔々とお話を続けていましたけれど、エコーがかかっているみたいで全く分からなくて……もしかしてその中に「それは冗談ですが」みたいなことを言っているかもしれません。
恋しいは……嘘?
でもあの場でローク様が嘘を吐くメリットはあまりありません……殿下の間違いを諫めるにしても別に「恋しい妻」なんて言う必要はありませんし……。
よし、もし嘘だったらローク様を心の底から恨むことにしましょう。
信じる気持ちが混沌とした感情を落ち着かせた瞬間に目の奥がツンッと痛みだしました……泣きたくなりましたが、人前で泣くのはみっともない―――。
でも我慢できる自信がありません。
どうしたらいいのか分かりません。
自慢ではありませんがローク様が初恋です。
誰かに恋したこともなければ誰かに恋心を告げられたこともありません……恋愛結婚の方は凄いですわ。告白してお付き合いどころか結婚までなさっているのですから。
そう考えると政略結婚でよかったですわ。
私に恋愛結婚をする自信は全くありません。
政略結婚において互いを尊重し合える家族となれれば及第点です。
子育てを乳母や使用人に任せても貴族社会は何も言わないので、男女の情どころか家族としての情すらも政略結婚では必須ではありません。
恋心どうこうの前に帝王学を学んだからかでしょうか。
恋愛感情はもちろん家族としての情も「なるようになる」としか思っていませんでした。
確かになるようになりましたわ。
ローク様の好きなところはいくつも挙げられますが、だから好きになったのかと問われると疑問ばかりです。
私の毎日は特筆することのない代わり映えのないもの。
でもその中でじわじわと滲むようにローク様の存在が大きくなり、気づいたら恋をしていたのです。
恋をしていたけれど私はもう妻でした。
侍女たちから借りた恋愛物語は「結婚しました」で終わるか、ざまあな展開で夫をぎゃふんといわせて離縁して終わるものばかりだったので夫婦になってからの恋愛に関する知識はありません。
だからでしょうか恋した先を考えたことがありませんでした。
しかもこの恋が報われたらなんて想像もしませんでした。
「も、申しわけありません」
これからどうなるのか。
これから、どうしなければいけないのか。
わからない。
わからないから、こわい。
答えられない。
正しい答えが分からない。
「ルシール!」
ローク様の驚いた声を背中で聞きながら部屋を出る。
分からない。
考えもしなかった。
ローク様が私のことを好きかもしれないなんて。
私はローク様のことが好き。
それならこの先、好きの先には何があるのでしょうか。
結婚はもうしています。
口づけもしていますし、体も重ねています。
これ以上何があるのですか?
怖いです。
政略結婚じゃなくなるのが怖くて堪りません。
ローク様が心変わりをなさったら?
私はこれを延々と気にするようになってしまいます。
他の女性の存在を、政略なら割り切れました。
ローク様が他の方を想っていても、ローク様が妾をお迎えになっても、政略結婚だから仕方がないと笑って受け入れることができました。
恋が報われる幸せを知ったら二度と割り切ることなどできなくなります。
想像するだけで無理なのです。
心の奥底、自分も知らない真っ暗なところからドロリと汚いものが吹き出そうになるのです。
こんな汚い自分は嫌です。
こんな汚い自分をローク様に知られるのが怖いです。
「ルシールッ!」
ローク様の声が突然近くから聞こえると同時に腕を強く引かれました。
「どこに、行こうと、した?」
「……どこに?」
ローク様に問われて初めて周りを見ました。
特に当てなどなく部屋を飛び出したからでしょう、どうして会場の出口に立っているのか、どうやってここまで来たのかが分かりません。
「ソニック公子様、馬車をお呼びしますか?」
「頼むよ、妻の体調が悪くてね。馬車に乗る前に少し休ませたいのだが……」
「あちらの部屋をお使いください」
ローク様に引かれるまま近くの休憩室に入ると誰もいません。
まだ夜会の中盤です、まだ帰る方はいらっしゃらないのでしょう。
部屋の狭さと静けさに息が詰まりそうになります。
「申しわけございませんでした」
「……どうして、謝るんだ?」
どうして……ただこの息苦しさから一番無難な謝罪の言葉を選んでいたことを指摘された気がして恥ずかしいです。
「謝る必要はないよ、追い詰めた俺が悪かったんだ。俺のほうこそ、すまなかった」
ローク様の声に後悔が滲んでいて、思わず俯いていた顔をあげるとローク様と目が合いました。
「あんなところで、あんなことを言うつもりはなかった」
恋しいというのは嘘だったのですか?
もしそうなら……。
「君が好きだと……いつか言いたいとは思っていたけれど、あんな場所で、あんな風に、君を追い詰めるように言うつもりはなかったんだ」
え?
「いつか?」
「うん、いつか」
……いつか。
「悠長だと自分でも笑ってしまうけれど、あんなことを言った俺が舌の根も乾かないうちにいうのも誠意がない感じがしたんだ。それに俺たちは夫婦だから、“いつか”はこの先いくらでもあるだろうって……やっぱり悠長だな」
いつか……。
「でも君は一生俺の妻だから。離縁には双方の同意が必要だろ? 俺は絶対に同意しない、だから一生夫婦のままだ」
「一生……」
「だから……」
ローク様の顔がぐしゃりと歪みました。
「だめだな、最後まで強気のまま言おうと思ったのに」
苦笑したローク様は何度も深呼吸し、何度も口を開けては閉じるを繰り返します。
「離縁は絶対にしないから、諦めでも、仕方なくでも、理由は何でもいいから……いつか、俺に恋してほしい。ほんの少しでいいから、俺を恋しいと思ってほしい」
「恋しいと……」
懇願するような声の切なさに胸が締めつけられます。
「本音を言えば早く恋してほしいし、少しなんて言わないで沢山……でも俺はルシールが一番大事だから待てる。なんなら俺が死ぬときでもいい、死ぬ寸前の俺の手を君が握って……『仕方がないからあなたに恋してあげます』とでも言ってくれれば俺は幸せもんだと満足して死ねる」
ロークが「あーあ」と天を仰ぐ。
「気長にいくつもりだったのに、殿下たちの横暴で頭に血がのぼってしまった」
殿下……。
「殿下のあの言葉は……」
殿下の仰ったことは貴族を軽んじることであり、王家の横暴を垣間見せたことになります。
でも不可能ではないのです。
私から望めば、王家は私を殿下の妃にすることができます。
そうすれば全てがなかったことになります。
今回のことで死ぬ人が増えるかもしれません。
私が妃になれば……それもなかったことになります。
私たちが幼い頃に描かれた青写真のまま、予定通りカールトン侯爵家がフレデリック殿下を支え、いずれ王と王妃となった私たちが国を支える。
カールトン侯爵家ならばティファニー様を側妃にしても余裕があります。
もちろんティファニー様の産んだ子も嫡子と認められますし、仮にその子どもが王子で私に王子が産まれなければ私の養子にして次期王太子にすることもできます。
そんな未来が見えるのに私は……。
「私はフレデリック殿下をお守りして生きてくのだと言われていました」
ローク様もお分かりのはずです。
この先を続けたら……。
「続けて」
「でも……」
「ルシール、君が殿下たちに選択肢を与えたわけではない。あのときそれを選び、この結果になった責任は殿下がとらなければいけない」
視界の中のローク様がぼやける。
「殿下は昔から面倒を嫌いました……怖いとか嫌だとか言って逃げるのです。最初は追いかけていたのですが、追いかけるのも面倒になってやめてしまいました」
「俺もだ……こんなことになるなら、もっと真剣に追いかければ良かったなあ」
立場が違うがローク様も私と同じように殿下の傍にいたことに気づきました。
「……残念でならないよ」
「はい……」
「万が一王家が離縁を要求してきてもソニック公爵家は跳ねのける。国の忠臣、王家の傍系としてそこまでの横暴を認めるわけにはいかない。君からの離縁の申し出は俺が受け入れない、人殺しの誹りを受けようと俺は絶対に受け入れないからな」
……ローク様は嘘つきです。
本気で私が離縁を要求すれば、ローク様はお優しいから受け入れてくれるはずです。
これは本気で離縁を要求できない私の我侭なのに……。
「ローク様……その罪を一緒に背負っていただけますか?」
「ルシール?」
首を傾げて私を見るローク様の視線が恥ずかしくなります。
「他の方の妻になどなれません、いえ、なりたくないのです。私はローク様の妻でいたいのです。私は……」
心を預けたあと裏切られるのは怖いです。
でも人殺しの罪を私の代わりに背負うとまで言ってくださったローク様を信頼しないで誰を信頼すればよろしいのでしょう。
裏切られたら思いきり文句を言うことにします。
泣いて、詰って、場合によっては刺し違えてでも……ローク様を誰にも渡さなければいいのです。
「私はローク様が好きです。とっくに恋しております」
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