お姫様希望なら妃の心得を教えましょう

「ローク様、行って参ります」

「行くってどこに……いや、ちょっと待て!」


 大丈夫ですわ。


「ご安心くださいませ、私は負けません」

「いや、君が負けるのを心配しているわけではなくて」


 さて。


「こら、待ちなさい! 父上、ルシールを止めてください」

「ルシールちゃんは怒った顔も可愛いなあ」

「違う!」


「ローク様、頭に怪我をしたのですから安静にしていてくださいませ」

「そうじゃないだろう!」


「公子様、圧迫が緩いです。また出血してしまいますよ、どうか安静に」


「夫をよろしくお願いします」

「お任せください」


 先ほど応急処置をしてくださった騎士様がローク様の隣にいき布の上から外傷部を抑えてくださいました。これで安心ですわ。


「任せられなくていいか。ちょっと手を退けてくれ」

「いけません。頭部の怪我を甘くみてはいけません」

「いや、それは分かっているが」


 任務に忠実な騎士様です。ハーグ騎士団長がセシリア様をとても大事になさっているということがよく分かりましたわ。



「セシリア夫人、ルシールを止め……」

「ご心配には及びません。ルシール様が負けるわけがありませんわ」


 セシリア夫人の言葉に一緒に来てくださったお友だち数人が頷いてくださいます。

 ローク様、私は大丈夫なのでご安心なさっていてください。


「泣いて許しを請うに決まっております」

「土下座するのは男爵令嬢のほうですわ」


「なんでルシールも貴女たちもそんなに好戦的なのです!?」


 ローク様、安静第一です。大きな声を出すのはお控えください。


「頑張ってくださいませ、ルシール様」


「いや、そこはルシールを激励するのではなく止めて……」

「ありがとうございます」


 なんか面倒になりましたのでお友だちの励ましに遮られてローク様の制止は聞こえなかったことにしましょう。



「お義父様?」


 一緒に控室を出てきたお義父様に首を傾げると、お義父様は「私たちは手を出さないよ」と一緒に来た護衛騎士を指しました。


「国の忠臣、筆頭貴族ソニック公爵家の次期当主夫人として殿下をしっかり躾けておいで」

「はい」


「でもソリア側妃様が出てきたら私が出るよ。彼女は私たちの代の負の遺産だし、彼女の客が私の息子にしたことは児戯ですませられることではないからね」


 お義父様の口調は優しいですが声がとても冷たい……とても怒っていらっしゃいます。



 ティファニー様の所在地を聞かずに部屋を出てきてしまいましたが、扉越しに聞こえてきた癇癪の混じるヒステリックな声で直ぐに分かりました。


「彼女の下町訛りの悪態はなかなかのバリエーションだね。それにしても一体なんの教育を受けてきたのやら」


 お義父様の言葉に……どうしましょう。怒りはあるのですが段々楽しくなってきてしまいましたわ。えも言えぬ高揚感とはこういう気持ちを指すのでしょうね。


 近衛騎士はいない……フレデリック殿下もソリア側妃様もいらっしゃらないようですね。



 手早くノックし、中の反応を待たずに扉を開けると中にいた数人が体を強張らせました。


「入りますわね」

「え……いや、しかし……その、いまは……」


 動揺する使用人の向こう、髪を振り乱して喚いていたようでティファニー様の頭はボサボサです。


「何ですか?」


 私を睨みつける視線はなかなか……フレデリック殿下の仰っていた「庇護欲をそそる」の欠片もありませんわね。


「夫の怪我の原因を調べに……ああ、あれですね。誰かあれをお預かりして」


 せっかくなので騎士たちにも手伝ってもらいましょう。


「そちらの凶器をお渡しください」

「きょ、凶器!?」


 私の指示に従って動いた騎士の発した言葉に侍女が驚きますが、城では何を教えているのでしょう。


「食用ナイフの殺傷力はさほど高くありませんが人を傷つけることができます。切りつけた場所によっては殺すこともできますね。だから人に向けてはいけない、子どもでも知っていることですわ」


 奪うように騎士が証拠品を手に入れたところでティファニー様に向き直ります。


 あら……このやり取りの間に随分と意地の悪いお顔に変わっていますね。



「ちょっとした痴話喧嘩ですわ。私とロークのことですけれど……一応奥様であるルシール様にも関係はあるのでしょうか?」

「関係ないと本気で思っていらっしゃるならご令嬢は本物の馬鹿ですわ」


「なっ……」


「ティフィ!」

「フレディ!」


 ……このタイミングでお出ましですのね。


「劇場型ヒロインの運を甘くみていましたわ」

「ぶふっ」


 思わず呟いてしまったことが聞こえたようでお義父様が噴き出しました……護衛の方も肩を震わせていますわ。



「ティフィ、そんなに泣いて……ルシール! 貴様、ティファニーに何をした!」


 私も必要なときに涙を流せますけれどこの場で泣こうとは思いませんわ。


 騙せるのは殿下だけですもの。

 周りを見れば使用人の方々は困った顔、これ以上関わりたくないという気持ちが見え見えですわ。


「ルシール!」


 ……大きな声を出せば答えを手助けしてもらえるとでも思っているのでしょうか。思っているのでしょうね……私も面倒臭がって殿下を甘やかしてしまったようです。


「殿下、私を名前で呼ぶのはお止めください。私はもう殿下の婚約者ではなくソニック公子夫人です」


「それはいま問題ではない!」

「問題ですからそう言っております、フレデリック、王太子、殿下」


 一言一言に重みを持たせれば殿下は黙ってくださいました。


「殿下、私はソニック公子夫人として男爵令嬢の罪を問いに参りました」

「罪、だと?」

「夫であるソニック公爵家嫡男ロークの殺人未遂です」


 罪名は大きく、出来るだけショックを与えるものにしましょう。


「殺人など、ティフィがそんなことするわけがない」

「加害者の身近な人は大体そう仰るものです。ここで私は『気持ちは分かります』というべきかもしれませんが、あまりよく分からないので端折りますわ」


「……端折るのか?」

「慰めても無駄ですから。ナイフを頭目掛けて投げつけたのです、お約束の『そんなつもりは』はあり得ませんわよね。殺意は十分あると考えていいでしょう」


「ナ、ナイフ?」

「これです」


 私の言葉を受けて騎士がさっと血のついたナイフを殿下に見せます。血が苦手な殿下にはさぞショックでしょうね。


「こ、こんな食事用のナイフを投げたくらいで殺人未遂とは大袈裟な、怪我だって大したことない……」

「では私が殿下に投げてみましょう。私は加害者と同じ女性、年齢も同じ、体格も似ていますから」


 ナイフをと言うと他の騎士が机の上になったナイフを私の手に乗せる。殿下の顔は青い、蝶よ花よと甘やかされてきましたからね。


「お、落ち着け! 俺を殺す気か!!」

「そうなりますわよね」


「あ……」

「殺人未遂が成立することがご理解いただけてよかったですわ」


 気分がスッキリしました、この辺りで止めておきましょう。


 国王派の貴族として王家の醜聞は歓迎しません。

 最初から騒ぎにするつもりなどありませんでしたし、ちょっと肝を冷やさせたいくらいの気持ちです。


 いえ、もう少しだけ。



「しかし殿下が『大したことない』と思われるのは当然です。毒を盛られて三日間死線を彷徨って目覚めた私に殿下がかけてくださった最初の言葉が『大したことなくてよかったな』ですものね」


 ティファニー様が殿下に驚きの顔を向けます。


「王城の階段から何者かに突き落とされて足を骨折したときも『大したことなくてよかったな』でしたわね。まあ、背後を狙われるなんて殿下の婚約者時代は日常茶飯事でしたから仕方がないのでしょう」


 「日常茶飯事……」と呟くティファニー様に笑みを向けます。


「男爵令嬢なら大丈夫ですわ」

「え?」


「男爵令嬢は無様に骨折した私と違って階段から突き落とされても怪我ひとつなく、翌日には殿下とお買い物デートにお出かけになられたではありませんか」


 ティファニー様の目が泳ぎます。


「内臓を焼かれる苦しみも骨を折る痛みも、殿下の仰る通り大したことではありません。どれも日常によくあることです」

「どうして教えてくれないの? そ、そんな、命を狙われる……殺される……?」


 その言葉は私ではなく殿下に向けられたものでした。

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