騒ぎは続くよ、どこまでも
「ルシール様」
名前を呼ばれて振り返るとセシリア様がいらっしゃいました。
総合学科の私と騎士科のセシリア様は学部が違いましたが、将来王妃になったときの護衛騎士候補としてトリッシュ近衛隊長からご息女のセシリア様を紹介されたことがきっかけで友人になりました。
「お久しぶりです、ハーグ伯爵令息夫人」
学院を卒業したあとセシリア様は婚約者だったハーグ伯爵令息のカイル様とご結婚なさいました。
ハーグ伯爵令息はティファニー様と関係を持ち、そのことが原因でセシリア様はトリッシュ領で学院最後の時間を過ごしました。その経緯もあってお二人の婚約は白紙となると思いましたが……。
「ご無沙汰しております」
妊娠が理由で結婚式に出られないと聞いておりましたが、こうして友人のお腹が大きく膨らんでるのを見ると感慨深いものがあります。
そして、できることなら「おめでとう」であってほしいと思います。
「お時間が大丈夫でしたら、あちらのイスに座ってお話ししませんか?」
「喜んで」
何だかんだと夜会はまだ序盤、のんびり話ができるでしょう。
「ソニック公子はどちらにいらっしゃるのですか?」
「お義父様とご一緒に挨拶周りをしていらっしゃいます。若輩者への洗礼で溺れそうだとぼやいていらっしゃいましたわ」
セシリア様が「うちと一緒ですね」と笑います。
「ルシール様、結婚式に出席できず申しわけありませんでした」
「お気になさらず、いまはご自分のお体を第一に考えてくださいませ」
経緯はどうあれ結婚したお二人の間に御子ができた。それがセシリア様の幸福であってほしいというのは私の驕りかもしれません。
セシリア様たちを羨ましく思っていたのです。
武門の名家ハーグ家とトリッシュ家を団結させて国防を強化するという政略だとしても、仲睦まじいお二人の姿は見ている私も嬉しくなるものでした。
そんな二人の関係に亀裂をいれたのがティファニー様です。
あんなに仲がよかったのに、ハーグ伯爵令息は瞬く間にティファニー様に傾倒なされ、そしてお二人は男女の仲になられた。
私でも知っていることですからセシリア様も当然ご存知で、三学年目の最後の試験の最終日にセシリア様はトリッシュ領で休養すると報告に来てくださいました。
お父様から聞いた話ではセシリア様のお父君であるトリッシュ伯爵はハーグ伯爵に二人の婚約白紙を要求したそうですが、しかし二人の結婚は国防に必要という理由で王命が出されたそうです。
「トリッシュ伯からは素敵な食器セットをいただきましたの。トリッシュ領は磁器の産地として有名ですものね」
ハーグ伯爵家ではなくご実家のトリッシュ伯爵家を話題にしましょう。セシリア様がご自分の結婚に対し何をどう飲み込んだかは分かりません。
「気に入っていただけたなら幸いです。あの陶工は父のお気に入りなのです」
トリッシュ伯があの大きな体であの繊細なティーカップを持っているのを想像して思わず笑ってしまいましたわ。
「物心ついたときから父のあの姿を見ている私でもまだ見慣れないのです」
セシリア様がそう言って微笑まれると、直ぐ近くで様子見をしていた友人たちが安堵の表情を浮かべて集まってきてくださいました。
この友人たちの中にはティファニー様によって婚約が白紙になった方が三人おります。お二人は婚約者の裏切りを冷静に受け止めて婚約白紙ののちに別の方と婚約しましたが、お一人はセシリア様のようにショックを受けられ次の婚約に踏み切れないそうです。
こういう方々が今日の夜会会場には何人もおり、元々ご自分への悪感情が溜まっている場にティファニー様のあの行為は火種どころか爆弾を投下したようなものです。
「先ほどは観劇をしている気分になりましたわ」
「公爵夫人とルシール様の上品で楚々としたお姿が素晴らしいからか、相手方との対比が際立つ素晴らしい演出でございましたわ」
ティファニー様とソリア側妃様の姿が下品でけばけばしいと暗示している彼女たちの皮肉に周りのロマンス親衛隊の方々が目を吊り上げますが、下位貴族のあの方々がこの場に割り込むことはできません。
「それにしても『お姫様になりたい』とは……いまどき三歳児でも見ない夢でございますのに」
「あら三歳児ならばお相手は第三王子殿下ですわ」
「それなら夢を見てしまいますね」
暗にフレデリック殿下との婚約は御免だと言っております。
あの姑とあの愛人がくっついてくる思うと当然ですわよね。
「ご存知ですか? あの本はいま学院で異性とのお付き合い方法を学ぶ教本として一部学生に人気があるそうですわ」
周りから「まあ」と声が上がるなか、一人の友人が扇子で口元を隠し情けなさそうな表情をなさいました。
「我が家では笑い話ではありませんの。私の
彼女の
「成果はありましたの?」
「相手の方から我が家に苦情がきたのが唯一の成果ですわね。母が礼儀も知らない子どもの児戯と思って許してほしいと頭を下げて事態はおさまりましたが」
「まあ、伯爵夫人自ら生さぬ仲の子の為に」
「確かご年齢は十四でしたよね。未成年ですからそれで収まったのですね」
この場にいるのは全員成人した貴族。彼女たちの言葉はロマンス親衛隊たちに「いい年なのだから常識をわきまえなさい」と言うことなのです。
「皆様、くだらない話を未来ある子どもに聞かせるのはよくありませんわ」
そう言うと皆さま満足したように頷かれ、数人の目が膨らんだセシリア様のお腹に向かいました。あそこにいる子どもは未来があるのです、胎教に悪い話はここまで―――。
きゃああっ
!
「何かあったのかしら」
「誰かのドレスにワインが
これだけの人、それも利害関係のある貴族が集まれば何かしらの騒ぎが起きてもおかしくありませんが……嫌な予感がします。
「ルシール様」
「……ええ」
遠くの騒めきは聞き取りづらいですが「ソニック公子」と「怪我」という単語が聞こえました。
「皆様、私は席を外しますわ」
不作法ですが焦りが隠せず、皆さんの返事を待たずに席を立って騒ぎの中心に向かいます。どなたかが
!
「ローク様っ⁉」
頭を抑えるローク様のお姿に思わず大きな声が出てしまいましたが、醜態を恥じる気持ちよりもローク様が抑えるハンカチを染める赤に気がせきます。
「ルシール、大丈夫だから」
あの赤いものがワインであればいい。
そんな願いも虚しく、あれがローク様から流れる血だと侍従の肩を借りて立ちながらローク様が顔をしかめたことで分かってしまいました。
「ローク様……」
「大丈夫だ」
恐らく今の私はとても情けない顔をしているのでしょう、ローク様が反対の手で私の頬を撫でてくださいました。でも手がいつもより冷たいです。
「頭部だから派手に見えるだけだ、出血量は少ない。心配かけてすまなかった」
「量は少ないなんて……」
私が指に針を刺したときにあんなに騒いだのに、あのときと血の量が比べ物になりません。
「公子夫人。医師を呼びますので公子様とご一緒に控室に来ていただけますか?」
頭部の怪我なので不用意に動かすのは心配ですが、ここまで歩いてきたご様子ですし控室はすぐそこです。
「分かりましたわ。誰か会場にいるソニック公爵閣下と夫人に報告をしてきて頂戴」
間が悪いことに先ほど会場で倒れた高齢の貴婦人の応急処置に医師たちは手がいっぱいで、ローク様の応急処置はセシリア様の警護についていらっしゃったハーグ家の騎士様がしてくださいました。
「しばらく圧迫しながら、医師が来るまで安静にしていてください。眩暈や吐き気はありませんか?」
「大丈夫だ、ありがとう」
頷いたローク様の傍には血が付いたハンカチがあります。
「ローク様、何があったのですか?」
私の問いにローク様は体を強張らせ、視線を逸らしたその姿が十分答えになりました。
「サフィア男爵令嬢ですね」
「そうだ。気分を害した男爵令嬢がロークにナイフを投げつけたらしい。食事用とはいえ肉を切るナイフで人を傷つけることができるのをあの令嬢は知らなかったのかな」
!
控室に入ってくると同時にお義父様が答えを教えてくれましたが……ナイフ、ですか。
「父上!」
ローク様の抗議の声にお義父様が深く溜め息を吐かれました。
「あのなあ、お前のその態度では『あらぬこと』を疑われるぞ。お前が嫁に嫌われるのは勝手だが、私たちは義娘に嫌われたくない」
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