大人になりたい、愛する女性のために(ローク)

「お花畑が二つ、想像はしていたがソリア側妃様によく似ている」


 丁々発止のやり取りは国王が介入したことで強制的に打ち切りとなり、御前を辞したあと化粧直しをする母上たちを父上と待つことにした。


「二人揃って王太子の若気の至りで生まれたシンデレラ……ルチアナが男爵令嬢を知ったら怒り狂うな」


 結婚式で俺を射殺すような目で睨んでいたご夫人がそんな名前だったような……。


「ルチアナは俺たちの幼馴染で陛下の元婚約者。カールトン侯爵の妹でルシールちゃんにとっては叔母さんだな」


 うわあ、嫌な構図だ。


「あの日はお忍びで来ていたんだ」

「お忍び?」

「彼女、いま隣国の皇后だから。陛下に愛想尽かしたものの幼少期から受けていた妃教育を無駄にするものかと隣国に留学してね、そこで当時皇太子だったいまの皇帝陛下に見初められたんだ」


 うわあ、すごい経歴だ。


「隣国と国交がある割にトップ同士の交流がないのはそういう理由でしたか」

「ルチアナが皇后の立場でこの国に来たことは一度もない、毎回お忍びだ」


 徹底している。


 聞けばルチアナ皇后には皇子しかおらず、ルシールが産まれたときは快哉をあげて進んで名付け親になり以来ずっと可愛がっているらしい。


「ルシールが元婚約者の息子と王命で婚約させられたときは怒り狂い、ルシールは死んだことにして自分の養女にして帝国に連れていこうとしたほどなんだ。カールトン侯爵夫人に泣かれて止めたがな」


 壮絶ぅ。


「そして結果は自分と同じ理由での婚約破棄。これは別に問題なかったみたいだが、その後に嫁にいった先が同じ男爵令嬢に逆上せあがった公子おまえじゃなあ憎々しくて堪らなかっただろうさ」


 理不尽……いや、反省。



「それでは宰相閣下、失礼いたします」


 俺はいま宰相である父親の傍で社交を学んでいる身。父親のあとをくっついてまわるのは恥ずかしくもあるが大人の社会では俺はまだ幼い若葉だ。



「失礼いたします。フレデリック殿下がソニック公子様をお呼びです」


 侍女の言葉に父上が苦笑する。


「何かトラブルが起きたのだろう。ルシールには言っておくから行ってこい、何かあったら呼ぶように」


 殿下がお呼びという理由もあるだろうが父上は俺の疲れに気づいて休ませてくれたのだろう。言質を取って己の有利を得ようとする者たちとのやり取りは正直疲れた。


 後ろを振り返れば父上が人垣の中心に立ち表面上は穏やかに会話をしている。父上の様になることを俺は望まれているから焦りを感じるが母上に刺繍を教わるルシールが「焦らずゆっくり、一つ一つ丁寧に」と言っていたことを思い出す。


 大人の振りをしていても社会に出れば俺は新人だし、人生に等しいこの社会には学院と違って卒業という区切りはない。だから学生のような刹那に駆られるような生き方をしてはいけない。


 責任を持つべき大人として―――。


「待て、本当にフレデリック殿下はここにいるのか?」


 誰も立っていない扉を開けようとした侍女を制止する。


 城のどこでも王族には常に近衛兵が付くはず。ここに誰も立っていないということはここに殿下はいないということだ。


「おい」


 疑心と軽い不安から険のある声が出たが、侍女は一瞬体を強張らせたもののそのまま扉を開けた。


「ローク」


 扉を開けた先、笑顔を向けたティファニーに感じたのは「まずい」ということ。侍女や侍従が数人いたが中に入るのをやめる。


「まあ、ロークったら。あなたたち、部屋を出てロークと二人にして頂戴」


 は?

 なぜ彼らを外に出す?


「殿下はどこです?」


 婀娜っぽいティファニーの視線に警戒心が刺激される。

 

「フレディなら少し遅れてくるわ。ちょっとどうして下がらないの?」

「ご令嬢から離れないよう陛下から言いつかっております」


 ティファニーが不機嫌そうに唇を尖らせたが、流石に城の侍女たちはティファニーの我侭くらいには動じない。


「ロークに内緒のお願いがあるの」

「今後は殿下のお名前を安易に使わないでください」


 フレデリックの名前で呼ばれたということは、ティファニーは王族を騙って公爵家の者を呼び出したということになる。


「私たちは友だちでしょ? 警戒されると楽しくない」

「令嬢のこの行動は王家と公爵家の間に不信を生みます。男女が二人きりでいれば何かあったと勘繰るのが社交界、令嬢を支持するロマンス親衛隊こそ騒ぎ立てるでしょう。」


 ティファニーの瞳が潤むんだが、泣かれては厄介だという思いで「お願いとは?」と先を促す。他の者もいるがここに長居をしてもいいことはない。


「私はいつレディと結婚できるの?」

「男爵令嬢が王子妃教育を終えたら婚約式を行うことに貴族会議で決まりました」

「そんなの待てない。子どもが産まれちゃうわ」


 視線を動かしてティファニーの大きなお腹を見る。産み月の近い妊婦を見る機会などなかったためここまでお腹が大きくなることに脅威は覚えるが「それなら」とはできない。


「王族は婚約や結婚を簡単にできません……王妃様に何か言われたのですか?」

「ソリア様は気にすることないと言っていたから大丈夫」


 その言葉はティファニーのための言葉ではない、ソリア側妃の正妃様への対抗心が言わせた言葉だ。


「ローク」


 そしてソリア側妃様の言葉に縋りつつも側妃様の言葉に根拠がないことを頭のどこかで分かっているからティファニーは不安なのだ。


「お妃様にしてくれるってフレディは言ったのよ?」


 ティファニーの目に涙が浮かんだことで反射的に体が強張ったがティファニーの満足気に歪んだ表情に強張りは解ける。


 きっと以前の俺なら気づかなかった僅かな変化に霧散したのは庇護欲?

 それなら対象はティファニーじゃなくて―――。


「俺に応えられることではない。挨拶回りの途中だから殿下もいないならこれで失礼する」


 隣に立って互いに守り合いたいのはルシールだ。



「ローク、あなたどうしちゃったの?」

「何が?」

「だって変よ。どうして私のお願いをきいてくれないの?」


 どうしてと思うことこそ不思議だ。

 なぜそのお願いが俺に聞いてもらえると思った?


 ティファニーの言っていることは貴族会議の決定に反対すること、可愛く甘えてすむレベルではない。それをお願いですむと思っているティファニーにゾッとする。


「お願い、ローク」


 ティファニーの涙と甘えるように強請る声。

 そして漂う蠱惑的な花の香り。


 駄目だ……いや、どうして駄目なんだ?


 いや駄目だ。

 だって俺は―――。


 ―――ローク様。


 ルシールの声、苺の香り。

 ハッとして反射的に口の中の柔らかい肉を思いきり噛む。


 ブツッと切れる感触と血の味に悪寒が遠ざかる。


「お願いなら俺ではなく殿下にするべきだ」

「フレディは最近私とあまりお話してくれないの」


 侍従長がフレデリック殿下にお茶会と称したお見合いを数多く設定していると聞いている。母上もそれを知っていて王家はルシールの三割で満足すべきだと笑っていた。父上も母上も「うちの嫁、最高」の想いを隠さない。


「殿下との婚約については侍従長から聞いているだろう? 教育係から必要な知識と礼節を学ぶことだが、俺の見立てでも令嬢の学びが足りていないことが分かる」

「だって教育係は意地悪で、贔屓しているのよ。分からなくて困っているのにルシール様はできたって言うだけで全然助けてくれないの。教育係を変えてよ、ライ先生とかがいいな」


 ライ先生とは学院の生物の教師。

 教師でありながらティファニーに心酔した一人である。


「無理だ」


 ティファニーが城にあがるときに彼女の成績は国によって徹底的に見直され、不適切な評価が明るみになったことでライ先生は学院をクビになっている。そんな教師が王太子妃候補の教育係になどなれるわけがないい。


「教育係の人も貴族なんでしょ? だからなのね、お姫様に選ばれた私が妬ましいから虐めてくるの。教育係を選んだのは王妃様なんでしょ、ロークが選んでくれることはできない?」

「できない。令嬢の教育は陛下が王妃様に一任なさった」


 ティファニーの顔が不満気に歪む。


「ロークってつまらない。前は優しかったし色々助けてくれたから別に構わなかったけれど」

「……それは」


 ただの便利な男じゃないか?


「優しくしてよ」


 優しくすることは簡単だけど、的外れな優しさはティファニーに毒杯を与えることになる。それが分かっているから……王妃様や教育係の厳しさが自分の命を助けてくれるのだとなぜ分からない。


「ルシール様が全部悪いの」

「……ルシールは何もしていない」

「ローク?」


 不思議そうな顔、どれだけ言葉を尽くしても彼女には分からないのだろうな。

 だって分かろうとしないから。


「一度許可しておいて悪いが俺への呼び名も改めてくれ。妻以外の女性に名前を呼ばれてはあらぬことを勘繰られかねない」

「別にいいじゃない、友だちなんだし」


「友だちごっこはもう終わりだ。学生じゃないのだから変わらなくてはいけない、きっと大人になるというのはこういうことなんだ」


 ルシールの隣に相応しい大人になりたい。

 そしていつかルシールが産む子がこの背中を誇らしく見てくれるような父親になりたい。

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