男の恋愛相談は酒が欲しくなる(ローク)

「随分と部屋の中が焦げ臭いな、機密文書の処分中だったか?」

「もう終わった。久しぶりだな、カイル」


 ルシールのハンカチの相手を考えていて書き損じが増えてしまった……今夜は残業だな。


「少しいいか?」


 普段騎士団の訓練所を中心にしているカイルがわざわざ宰相室まで来たのだから何か話があるのだろうと察し、俺は頷くと隣の談話室に入った。


「ハーグ騎士団長はお元気か?」


 父上とハーグ騎士団長は仲が良く、俺とカイルとは幼馴染。明朗快活で人懐こいカイルといると「水と油のようなのに」と不思議がられるが彼は俺の親友でもある。


「元気過ぎるくらい元気だ。俺の嫁を溺愛して可愛がり倒している」

「嫁至上主義はどこの家でも同じだな」


 母上とルシールを猫可愛がりしている父上を思い出して苦笑する。


「親父たちにしてみれば家の評判を落とした息子より義娘のほうがよほど可愛いのだろう……婚約者の裏切りに健気に耐えて嫁いできたのだから尚更だな」


 これが本題か。


 明朗快活で人懐こいはずのカイルだが最近はずっとその顔に影が差し憂いた表情ばかり見ている。


 ただその原因が原因なだけあって俺には何も言えないし、それが分かっているからカイルは卒業後から今日まで俺と話そうとはしなかったのだろう。


 こうしてここに来たということは……限界なんだろうな。


「セシリア夫人は……その……あのことを何と?」


 カイルも俺と同じくティファニーに逆上せ上がった男の一人だが、俺との決定的な違いはカイルはティファニーと男女の仲にあった。そのためカイルは本来近衛としてフレデリック殿下の護衛に就くはずだったが予定変更で第一騎士団に所属している。


「さあ……どうだろう」

「どうだろうって……」

「聞く意味がないから聞いていない」

「そうか」


 ティファニーに溺れた男たちの多くは婚約が白紙になり、カイルの婚約者だったセシリア夫人のお父君であるトリッシュ伯爵もハーグ伯爵家に婚約白紙を願い出ていた。


 しかしカイルとセシリア夫人の婚約は軍事上の理由で結ばれたもの。トリッシュ伯爵に対して国王陛下は王命という形で伯爵の婚約白紙の申し出を棄却させた。



「セシリア夫人は……結婚式では幸せそうだったが」


 セシリア夫人はカイルの初恋の君だ。


 お互い騎士の家系の生まれで幼い頃から交流があり、政略的に結ばれた婚約ではあったが二人はお互いを慕い合い仲睦まじかった。学院に入学すると二人は常に一緒にいる感じで、総合学科の俺は騎士学科の二人とは棟は違ったが仲良く談笑する二人を時折見かけていた。


「それはセシリアの矜持だろう、あいつは全身で俺を拒絶している」

「それじゃあ……」


 俺の言いたいことを察したカイルは首を横に振る。


「嫁いだ女の義務だからと俺を受けいれてくれているが……全身ガチガチに体を固くして静かに泣いているんだ」


 まるで哭くように吐き出された言葉。


「お前はやっぱりセシリア夫人を……」

「愛している」


 カイルの表情が苦悶に歪む。


「あいつを裏切って傷つけてた……軽蔑もされただろう。あいつは王命によって俺に無理やり嫁がされた……分かっているんだ」


 カイルは胸に渦巻く激情を堪えるように胸元を握る。


「言い訳にしか聞こえないのは承知している。でも、どうして俺は自分があんなことをしたのかが分からない。俺はガキの頃からセシリアと結婚すると決めていた。初めて会ったとき俺はアリシアをすっげえ可愛いと思って、あの瞬間からずっとセシリアは俺の全てだった」


 知っている。


 カイルがセシリア夫人に初めて会った日、姫だの天使だのと大仰な言葉で彼女を褒め称えるカイルの相手をしたのは俺だった。その後婚約が決まれば先触れもなく馬車でうちに来て三日三晩その幸せな気持ちを語り続けてから帰っていった。



「男爵令嬢に初めて会った瞬間のことを覚えているか?」

「……なんとなく?」


「俺はよく覚えている。とても不思議な感覚だった……俺はそれを一目惚れだと思っていたが今なら違うと分かる。俺がセシリアに向けていた感情の全ての行き先が男爵令嬢に変わったような感じだったんだ」


「男爵令嬢とセシリア夫人は容姿も中身も似ても似つかないぞ?」

「だからこそ不思議なんだ。セシリアに感じる可愛いところや綺麗なところを男爵令嬢に感じたなどあり得ない」


 そう言えば……。


「男爵令嬢のどこに惹かれたのか俺たちで話したことがあったよな」

「は?」

「ほら、誕生日が一番遅いお前が成人した日に祝いだといってみんなで初めて一緒に酒を飲んだとき」


 ああ、とカイルが記憶を呼び起こした。


「あの日、お前はツンとすましている顔が可愛いと言っていたんだ」

「それならロークは確か隣で本を読んでいると落ち着くって……ちょっと待てよ」

「そういうことだ。俺たちが知っている男爵令嬢は、男爵令嬢であって男爵令嬢ではない」


 俺が逆上せたティファニーは存在しない。


 なぜならティファニーと初めて会ったのは図書館だが、それ以降ティファニーと会うのは専らサロンで彼女がそこで本を読んでいる姿を一度も見たことがない。



「どうしてそんなことが起きたか分からないから確証ではないがな。さて、その気持ちがセシリア夫人に戻ったのはいつだ?」


「いつって……気づいたらだな。セシリアは学年の最後のほうは領地に帰って学院を休んでいたし、卒業パーティーにも出ていないから、そのあとだと思う」


 卒業……。



「お前も知っているだろうが、俺は元婚約者に対して好意の欠片もなかった」

「あのご令嬢は男遊びが派手だったからなあ、聞いた話では大きな腹抱えて子爵家に嫁いだんだったな」


「彼女のことは別にいい。とにかく俺には対象を男爵令嬢に変える好意というものがなく、結果として『理由はないけれどとにかく好き』という状態だったのだと思う」


「……お前が恋愛について分析しているのすげえ違和感なんだけど」

「安心しろ、俺も妙に居心地が悪い……酒が欲しい」


 でも勤務時間だから我慢する。


「根拠はない、お前が一番嫌なことだな」

「そうなんだ。だからその違和感もあったのだろう、結婚式のときに俺は男爵令嬢を見て『どうして彼女に好意を持ったのか』と不思議に思ったんだ」


「使い古された陳腐な台詞だが、好きに理屈はないってやつじゃないか?」

「そうかと思ったが違うと分かる」


「どうして?」

「俺はルシールが好きなんだ、愛している」

「お、おう?」


 ルシールを見ていると好きにも理由があるんだなと思う。


「俺に言わないで夫人に言えよ」

「言えたら苦労しない」


「何で?」

「……婚約するときに『君を愛することはない』と言ったら『別に構いませんわ』と言われた。可愛い笑顔だった、俺、泣きたい」


 カイルが俺のデスクに走っていって、置きっぱなしのカップの匂いを嗅ぐ。


「酒は飲んでいない」

「やばい薬は?」

「するわけがない。俺は素面だ」


 俺の言葉にカイルが渋い顔をする。


「俺、幸せな夫婦の恋愛相談を聞く気分じゃないんだけど」


 今度は俺が渋い顔をする番だった。


「幸せ、か」

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