恋しい人のハンカチはどこに行く?(ローク)
ルシールが男物のハンカチに刺繍をしていた。
嫉妬に駆られて誰へのものかと問い詰めかけて急いで誤魔化したが……ルシールが指を怪我したこともあって誰に贈るか分からないハンカチのことが頭から離れない。
いつもあなたを想っている。
刺繍のハンカチの意味を知らない貴族の男などいない。
ルシールはどんな顔でハンカチを渡すのか……想像して胸を掻きむしりたくなる。
ルシールの初恋が真実の愛になったら離縁する。母上とその話をしたときの俺はルシールが恋をしているらしいということを真面目に受け取ってなかったことに気づいた。
だっていまとてつもなく焦っている。
あのハンカチをみて初めて離縁が現実的になったんだ。
離縁する……ルシールが俺の妻ではなくなる。
ルシールから刺繍のハンカチを渡されて嫌だと思う男がいるわけがない。
俺の脳内では朝から何パターンも想像が繰り返されているが終わりはいつと同じ。刺繍のハンカチを受け取った男はその腕でルシールの華奢な体を抱きしめるのだ。
ルシールが恋すれば結果は明白。
誰だってルシールに恋をする。
俺だって気づけば彼女に恋をしていた。
「ソニック公子様」
俺を呼び止める女性の声に足を振り返ると王宮侍女のお仕着せを着た女性が三人並んでいた……過去の経験から彼女たちの目的は直ぐに分かってしまう。
予想に違わず両側の侍女二人が中央の侍女の背中を押し、二人からの応援に感謝の視線を送った彼女は一歩前に進み出る。
その手にもっていたハンカチ……八つ当たりは承知だがいまハンカチを見たくなかった。
「受け取ってください」
薄い青色のハンカチに刺繍されているのは白い鳩、これよりもルシールの三角形にしかみえない“鳩もどき”が刺繍されたハンカチがほしい。
母上に要練習だと言われて
自分の刺繍が個性的だと俺に知られてから、ルシールは刺繍を隠すことはなくなり最近では途中でも『どうだ』という感じで刺繍を見せてくれることもある。
上達してきたことへの喜びと自慢だろうが、得意満面の笑顔と少しだけ近くなった距離に喜んだ矢先にあのハンカチだ。
……ルシールもこんな風に緊張してハンカチを渡すのだろうか。目の前の侍女の姿にルシールの姿が重なる。
「受け取れません。急いでいるので……」
「待ってください!」
話を切り上げようとしたが、侍女の積極性のほうが強かったようだ。場を辞し損ねた。
「私は公子様をずっとお慕いしていました。結婚なさっていることも分かっています。妾にして欲しいなど我儘を申し上げるつもりはありません。同情でいいのです。可哀そうな女と思って今宵慰めて頂けませんか?」
そう言いながら侍女はその肉惑的な体を寄せてくる。
「聞かなかったことにする」
思慕しているからと身勝手な理由で不躾に触れてくる女には慣れているので、力加減をしつつも容赦なく手を振り払う。
足早にその場を離れて一番近い角を曲がったが、ここで曲がるつもりはなかったため近くの空き部屋に入って彼女たちが早々にいなくなるのを願うそとにした。
「あーあ、失敗」
先ほどの侍女の声。
寵愛を請う甘ったるさがない自然な声と、「失敗」という内容に嗤いがこみ上げる。
恋しい相手に振り向いてもらえない悔やしさが失敗の一言で片付くとは実に羨ましい。
「あの男爵令嬢に雰囲気が似ているからいけると思ったのに」
「それは安直過ぎでしょ」
「余り者同士の政略結婚。奥様はあのルシール様だけれど大好きな男爵令嬢とは全く違う系統だし、お二人は上手くいっていないって噂じゃない」
なぜだか分からないが俺たち夫婦が不仲だという噂が流れている。
噂の真偽を訊ねられるたびに「いまの生活に満足している」「ルシールは立派な妻」と答えているのだが奴らは「またまた」と笑って信じやしない……なんで聞いてきたんだか。
「運良く妊娠しても妾でしょう? 一生日陰の身よ?」
「王都の日陰ならば十分明るい未来し、次期ソニック公爵の妾なら人生を賭ける価値は十分あるわ。ルシール様に子ができなければ私がその次の公爵の母になるかも」
怖っ!
「そんなことをルシール様が許すはずないじゃない」
そもそも母上とお祖母様がそんなことを許すわけなく、俺は廃嫡されて追放されるに決まってる。
ルシールは……ルシールはどう思うだろうか……。
「ルシール様は運がいいわよ、殿下のあとに公子様だもの。ああいう強かな人が世の中を上手に渡るのねよ。婚約破棄のあとに国外追放でも庶民落ちでもされればよかったのに」
「可愛い顔して残酷なことを言うわねえ」
「失恋を引き摺って可愛そうな人の妾の座を狙うあんたに言われたくないわ」
「恋に殉じるのは公子様の勝手だけどさ、もったいないよね。欲求不満にならないかな」
「そこは奥様が……意外とルシール様ってそっち方面も万能かもよ?」
キャアキャア騒ぐ女性の声に頭痛がする。誘いかけてきた侍女はともかく他の二人はそんな雰囲気ではなかったのに女性は分からない。
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