「悪役令嬢」のモデルになっていました

「ど、どうしたんだ?」


 お義祖母様がいらっしゃるということで今日は早く帰宅したローク様ですが、ダイニングの様子に戸惑ったようで私に説明をお求めになりました。


 ミシッ


 急いで音のしたほうをみれば上座に座るお義祖母様とお義母様の扇子が見事なカーブを……本来真っ直ぐなものが、へし折れそうです!


「ルシール?」


 私も分からないので首を横に振ります。


「ロ、ローク様」

「とにかく安心しろ。君が原因ということはまずない。あるとすれば俺だが……俺にも心あたりはない」


 私も理由が分からず、ローク様は心当たりがないと仰る。

 つまり消去法でいくと原因はお一人だけ。


 私たちに同時に見られたお義父様がたじろぎ、お義父様は首がどこかに飛んでいってしまうのではないかという勢いで首を横に振ります。


「父上」


 ローク様の静かな問い掛けに覚悟を決められたのか、お義父様は一つ大きく咳払い。


「母上、どうなさったのですか?」

「ウィリアム、王都で人気のある本だと聞いたので読んでみたのよ」


 王都で人気のある本?


「ねえ、セラフィーナ」

「ええ……ロークも知っているわよね?」


 お義母様の問い掛けにローク様の体がびくっと震えました。


「ルシール、あなたは【悪役令嬢ルシア】という恋愛小説を知っているかしら?」


 王都で人気の恋愛小説ならかなり目を通しているはずですが……。


「悪役令嬢がテーマの恋愛小説は何冊か読みましたが、その本は存じておりません」

「ルシール、最近あまり社交はしていないの?」

「申しわけありません。結婚式の準備を手伝ってほしいと兄たちに言われてお付き合いは国王派の極一部の方としか……」


 親戚のご夫人たちとの話でお腹いっぱいだったから社交はご無沙汰、一ヶ月くらい流行から遅れてしまっていますわ。


「それならいいの。ねえ、セラフィーナ」

「申し訳ありません。私とカールトン侯爵夫人とで対処できていると思ったのですが」


 お母様もご存知?


「ローク様?」


 自分だけ蚊帳の外にいる気持ちになり、思わず責めるような声を出してしまいました。


「すまない、ただ守りたかっただけなんだ」


 守りたい?

 つまりティファニー様が関わっていらっしゃるということかしら。


 ……気持ちが悪いです。


 親戚の愚痴を聞きながら紅茶を飲み過ぎてしまったのでしょうか。



「お前の気持ちは分かりました」


 お義母様がパシンッと扇で手を打ちました。


「ここまで話題に上がっている以上、ルシールが知らないことはよくありません。ローク、いいわね」

「はい」


 ロークが頷くと同時にセバスチャンが席を外しました。

 数分後、戻ってきたセバスチャンの手には薄い本。


「小説『悪役令嬢ルシア』だ」

「教本ですか?」


 私の言葉に頷いたのはお義祖母様。


「これは平民向けに作られた国語の本なの。学習用とはいい着眼点だと思うけれど……ローク、これはあなたの入れ知恵かしら?」

「違います」


 否定したローク様はガリシアム枢機卿の次男ウィリー様の名前をあげたます。


 ガリシアム枢機卿は擁護院などの運営に積極的で、子どもの教育にも力を入れているため何年か前から教本作りのための予算が国から出ているはずです。


「内容はこうよ。ある日学院に転入した貴族の令嬢が主人公ヒロイン。家族から虐げられてきた彼女は逃げこむように入学した学院で友だちを作り、持ち前の明るさと素直さで学院の人気者になる話。子ども向けじゃなくても分かりやすい素敵なお話だと思うわ」


 素敵なお話というお義母様の声の冷たさに思わず背筋が伸びます。


「そんな素敵な主人公ヒロインに有力貴族の息子たちが恋をする。国王の息子とか、宰相の息子とか、騎士団長の息子とか、どこかで聞いたような話よね」

「よくある話なのでしょう」


 ローク様が硬い声で答える。



 主人公は次の国王になる王子様と出会って恋に落ちた。

 王子様も主人公を愛したが彼には幼い頃に決められた婚約者、紺色の瞳に銀色の髪をしたルシアという名前の陰気な婚約者がいた。


 紺色の目に銀色の髪、ですか。

 この国では珍しい色合い、評判だとすすめられて読んだ貴族たちは自然と私を思い浮かべるでしょう。



 婚約者とその取り巻きの令嬢たちは「生意気」といって主人公を虐める。

 そして子ども向けの教本らしく虐めるたびに王子や他の貴族に「虐めはいけない」と諭される。


 王子様のお妃様に相応しいのは心優しい主人公。

 ルシアはお妃様に相応しくない悪役令嬢。



「王子様と主人公は真実の愛によって結ばれ『二人は結婚して幸せに暮らしましたとさ』で終わるわ」

「お祖母様の大好きなハッピーエンドでよかったではありませんか」


「下手な誤魔化しはお止めなさい。ローク、どうしてこの本の出版を許したの?」

「知ったのが発売日当日だったのです」


 ローク様の顔をお義母様とお義祖母様がジッと見たあと「不問にしましょう」とお許しになりました。


「全く……いまのお前の顔は拾ってきた子犬を公爵邸うちの庭でコッソリ飼っていたのがバレてしまったときの顔だわ」


 自分の黒歴史を一から十まで知り尽くしている親戚にたてつくほどの無謀はない。

 ローク様もそう思うなのでしょう、すぐさま白旗をあげました。


「出版を取りやめさせることができない。それならば沈黙を選んで騒ぎがおさまるのを待つべきと思いました」

「お前のその判断に間違いはないでしょう、騒ぐほど周囲は喜ぶものですからね」


 お義祖母様の判断にローク様の体から力が抜けました。

 自分の体から力が抜けるのを感じて、私も緊張していたことに気づきました。



「作り話とはいえ、自分に似た女性が処刑される話など知りたくないと思いルシールには黙っていました。母上とお義母上も同じ判断だったと思います」



 ***


 食事を終えて寝支度を整えたあと夫婦の寝室にあるソファで例の本を読む。

 薄くて字の大きな本なので簡単に読み終わりました。


 ふうっとため息を吐いて顔をあげるとローク様と目があう、どうやら私の反応が気になってしまってご自分の読書はできなかったようですわ。


「出版を差し止めることもできる」

「ありがとうございます、でも王太子殿下の事業に手を出すのはよくありませんわ。それに悪役のモデルになることは初めてではありませんの」


 このきつめの顔立ちと表情のなさ、そして冷たい色合いは悪役になりやすいらしいですわ。


「え、そうなのか?」


「『氷の魔竜レクザムと魔女』はご存知ですか?」

「ああ、俺の好きだった絵本だ。ああ、それじゃああの魔女のモデルがルシールなのか?」


 ローク様にジッと見られると体の中が擽ったいような気がします。


「レクザムが惹かれずにはいられない美貌の魔女か……うん、ルシールにぴったりだな」


 惹かれずにはいられない?


 物語の話です、分かっております。

 でもどうしてでしょう、目元がとても熱くなります。



「お茶の準備をしますね」

「ありがとう。もう少し仕事をしたいから、よかったら君も飲まないか?」


 遠回しに一緒に寝ようと誘われたので私の心臓が跳ねます。


「それでしたら、お義祖母様がお土産で持ってきてくださった焼き菓子も用意しますね」


 私も、遠回しでローク様の誘いを受け入れます。


「折角だから俺も貰おうかな」


 ローク様は隠していらっしゃるけれど甘いものがお好き。

 甘いものが好きな男性は子どものようで格好悪いという風潮があるから隠しています。


 貴族の男性が紅茶ではなくコーヒーを嗜むのも似たような理由です。



「お口に合いますか?」

「かなり甘い、君好みの甘さだな。ははは、お祖母様は君が可愛くて堪らないようだ」


 そう言われて嬉しくなる。


 ソニック公爵家の一員として認めてもらえた感じがするから?

 いいえ、そのことを我がことのようにローク様が喜んでくださるから。


 ローク様はとても優しいお顔で笑います。


 ローク様のそんなお顔を学院で見たことはありません。

 お義母様に似た美しい顔立ちでローク様は『クールビューティー』と学院の女生徒たちに人気があった。


 そんなローク様が目の前で少年のように笑う。


 この笑顔を見たとき「まるで人間みたい」と驚きましたわ。

 人間なのですから当たり前なのですが、本当にそう思ったのです。


 このローク様のお顔をティファニー様はご存知なのでしょうか。


 ああ、そんなことを気にする私は―――。

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