妻の初恋が「真実の愛」だったら俺は……(ローク)
「ルシールが恋しているみたいなのよね」
一点の曇りもなく快適な結婚生活に爆弾を投下したのは母上だった。
「は?」
一回で理解できなかったのは突然だったことと「今日はいい天気ね」みたいなさり気なさで言われたからに違いない。
「ルシールが恋しているみたいなのよね」
確かに問い返したのは俺だが、一言一句違わず返されるとムカつく。
「ねえ、本当にあなたは何も気づいていないの?」
……言われてみれば、最近ルシールの雰囲気が柔らかくなった気がする。
そう言えば……茶会や夜会に行く回数が増えたか?
ルシールは社交に対してあまり積極的ではなかったはず。
それなのに最近は俺が仕事で同伴できなくても一人で夜会に出席しているような……。
「鈍感なところは旦那様に似てしまったのよね」
「……変化といっても些細なものですし、ルシールは母上と同じ正妃派ではありませんか」
俺の言葉に母上が大きな、それはもう大きな大きな溜め息を吐く。
「正妃派は恋愛より大事な義務があるでしょうと言っているだけで恋愛に反対しているわけではないわ。あなたの両親をよくみなさい、義務を果たしつつもラブラブでしょう」
「そういう目で親を見たことはありません」
「これだから息子は、本当に産んだ甲斐がないわ」
だって、両親のそういうのを直視するのは辛い。
「ルシールなんて『お義父様といつも仲良しですよね』といってお揃いの羽ペンをプレゼントしてくれたのよ。仕事中も互いを思えるようにって。嬉しくって旦那様と一緒に金庫に入れてしまったわ」
「仕事中も、と願いを込められたのなら使うべきではありませんか?」
「それもそうね、金庫から出してこないと」
部屋を出ていこうとする母上を止める。
「それはあとにしてください」
「どうして?」
「ルシールは誰に恋をしているか気になるからです」
俺の言葉に母上が驚く……なぜ驚く?
「分からないの?」
「分かるわけがないでしょう、最近忙しくてほとんど家に帰っていないのですから」
「そうだったわね、おかえりなさい」
「ただいま戻りました。それで、ルシールは?」
「実家に行っているわ」
「今日も、ですか?」
「ご令息の結婚が近いものね」
ジョン義兄上と婚約者のエレオノーラ伯爵令嬢の結婚。
大貴族の結婚なので多くの貴族が挨拶に訪れていると聞いている。
もしかしてそこで出会った男に恋をした?
言われてみればルシールの変化は実家に頻繁に帰るようになってからのような気がする。
「ルシールの不貞を疑っているの?」
「まさか」
ルシールはそういう女性ではない。
ルシールはお義父上に似て芯から貴族で、己の欲よりも国と家を大事にする。
ときおりこっちが苛立つくらい融通が効かない。
可愛らしい顔立ちに感謝すべきだと思ったことは何度もある。
そう、ルシールは可愛い人なのだ。
「それでね、私はルシールの恋を応援することに決めたから」
「は?」
「やっぱり姑が嫁の恋を応援するのはまずいかしら」
まずいとか、そういう問題ではない。
いや、それよりもだ!
「母上はルシールが誰に恋しているかご存知なのですか?」
「なんとなく」
「それで応援する、と」
「私は義娘の味方なの、悪しからず」
全く悪びれのない母上に呆れると同時に、ルシールが想うのは俺ではないことに「やっぱり」と思いつつ残念がっている自分に反吐が出る思いがした。
ああ、俺は―――。
「応援ということはルシールの片想いなのですか?」
最近、雰囲気が柔らかくなってきたとルシールの評判はいいのには気づいていた。
同僚は「それは結婚したからだろう」と笑っていて、ルシールの雰囲気を変えたのが自分だと思っていたことが烏滸がましくて恥ずかしい。
「微妙なところね、結婚しちゃっているし」
相手の男も不倫には抵抗があるのか……「それなら」と思う自分が嫌だ。
「母上はなぜルシールの恋を応援するのです?」
「義娘の初恋を義母なら応援してあげなくちゃ」
「息子の妻ではなく、夫の母でなければ一切問題ないかと」
「初恋くらいいいじゃない、狭量な男ね。あなたの初恋だって応援してあげたでしょ?」
初恋?
「ルシールが恋を知らないのは私たち大人の所為、あの子にお花畑な側妃と我侭ぼんくら王子を押しつけたのは私たちなんだから」
王族の暴走を止めるのが貴族なのに殿下の教育も矯正も尻拭いも全てルシールに押し付けた大人には罪があると母上は言う。
「ルシールとフレデリック殿下の婚約は王家しか旨味がない。カールトン侯爵が根っから国に尽くす貴族だからと言って愛娘が国に使い潰されるのを黙っていているわけがなかった……侯爵は陛下と秘密裏に契約したの、ルシールが真実の愛を見つけたら婚約を破棄させてほしいと」
真実の愛で国が決めた婚約を反故にした国王陛下には断れない条件だった。
「国王陛下はロマンス親衛隊に目をつけた。彼女たちを傍に置いておけば、ルシールが他の男と目があっただけでもロマンスの始まりだと騒ぎ立てるもの、陛下はすぐに懸念の芽を摘める」
厳しい王太子妃教育も利用された。
「フレデリック殿下を甘やかすわけよね。妃教育に加えて帝王学、慈善活動、さらに騎士団の視察。ルシールには自由な時間は全くなかった」
フレデリック殿下は王家の血を継いでいるだけでいい。
それ以外の努力と我慢は全部ルシールが担う。
殿下を甘やかしたのは国王、側妃、そして……俺たち。
「殿下は男爵令嬢との真実の愛を学院で深めたと言っているけれど、あの子のんびりランチする時間を作ったのはルシールなのに。仲良くデートする時間、お泊りの旅行に行く時間、全部ルシールが寝る間も惜しんで作り出したものなのにねえ」
学院時代のいつも暗い表情をしていたルシールを思い出す。
そんなルシールに殿下は「いつも暗い顔で辛気臭い」「疲れた顔をするな、愛嬌がない」「明るくて華やかなティファニーを見習え」と言っていた。
どうして俺は殿下を諫めなかったのだろう。
殿下が過ちに気づかないなら、側近の誰かが形だけであっても代わりに謝るべきだった。
「ルシールと結婚したいまはもう意味のない計画ですが、あなたがあの男爵令嬢に籠絡されて公爵夫人にすると言ったらソニック公爵家は旦那様の代で終わりにしました」
愛嬌と愛想だけの女に公爵夫人は務まらない。
無能は領民を殺す。
「何のために身分制度、教育機関があるのです。愛想がいいだけでいいなら下町の花売りでも王妃にできます」
宰相補佐ではあるが父上が俺に見せている政治はほんの入り口。
その序盤でも愛想や愛嬌より、国のために尽くす気概と役立つ能力のほうがよほど重要だと分かる。
「母上は……ルシールが王妃になるべきだったと思いますか?」
「……今さらでしょう」
娘が真実の愛を見つけたら婚約を白紙にする。
王命によって婚約を命じられた父親が娘のためにできた唯一の抵抗。
「私は、侯爵のあの言葉はまだ有効だと思っている」
ルシールの初恋が真実の愛だったら離縁を受け入れろということか。
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