妻が可愛い……思い出し笑いが止まらない(ローク)
規定通り一カ月間のハネムーン期間が終わり、俺は再び宰相である父の補佐をする仕事を中心とした生活が始まった。
「いってくる」
「はいはい、いってらっしゃい」
「母上には言っていません。ルシール、いってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
母上の隣で笑いながら応えるルシールには満足しているが、最近は朝の見送りを父上たちと別にできないかと思うようにもなっていた……同じ馬車で出仕するのに無駄だと言われそうだから黙っているけれど。
「どうした、行くぞ」
「はい」
「今日は中庭でお茶を飲みましょう」と嬉しそうにルシールに提案する母上の声を聴きながら、うちの嫁と姑の仲の良さを聞いて疑っていた先輩の顔を思い出す。
先輩、仲の良い嫁姑は都市伝説ではないのですよ。
「お前、大きくなったなあ」
馬車が門を潜った辺りで父上が変なことを言い出した。
「とっくに成長しきっていましたが突然どうしたのです?」
「馬車の中が狭くて、むさくるしい」
ああ、そうですか。
「華やかさも足りない。セラフィーナやルシールちゃんが一緒ならいいのに。嫁自慢もできるしな」
「ルシールは俺の嫁ですよ」
俺の想像の何倍もの速度と重さで両親はルシールを受け入れて溺愛している。
「ローク、ルシールちゃんが孫を産んだら俺は育休をくれ」
「育休は父親である俺の権利です」
あなたは祖父でしょう?
「セラフィーナとルシールちゃんの血を継いだ孫かあ。可愛いだろうなあ」
「間に俺が挟まっていますけどね」
聞けよ、くそ爺。
「大丈夫だ、お前の顔はセラフィーナによく似ている」
別にそこは全く気にしていない。
主張したいのはルシールが産んだ子どもの父親は俺だってこと!
「いつ孫ができる?」
「神様次第ですね」
朝の通勤時間に話すことでもないし、父親と話したい内容でもない。
俺とルシールの結婚はいわゆる「白い結婚」ではない。
愛することはないと言ったため俺は初夜の床入りを躊躇したが、ルシールは気にした素振りもなく義務だからと抵抗も涙もなく俺を受け入れた。
ハネムーンから帰っても俺たちは同じ寝室を使っている。
帰ったらもう眠っていることも多いし起きていても何もせず並んで眠ることもあるが、それなりに……なので子どももそんなに先のことではないとは思っている。
ルシールと過ごす夜は静かで心地がいい。
俺の知る女性は誰もが「沈黙は敵」だとばかりによく喋るが、ルシールは口数が少なく話すときは簡潔にまとめて話す。
淡々と話すのは言質をとられないようにする癖だろう。人によっては冷たい印象を受けるかもしれないが俺は別に気にならない。
読書をする俺の傍でルシールはよく刺繍をしていて、そんなルシールからは苺の香りが漂ってくる。
俺たちの結婚式でカールトン領の苺が注目され、次期領主のジョン義兄上が中心となってカールトンでは苺関連商品が日々開発されているらしい。
一番人気はルシールが式のときもつけていた苺の香りの香水、確かにあれはいい匂いだった。
結婚式の恩恵はソニック領にもあった。
農閑期の手慰みだった刺繍やレースがルシールが着ていたドレスやつけていたヴェールが評判になったことで人気が出て―――。
「何を笑っている? 気持ち悪いぞ」
「申しわけありません」
父上に思い出し笑いを窘められたので表情を整えるものの、頭に浮かんだルシールのユニークな刺繍が消えず必死に笑いを堪える。
学院時代からルシールが刺繍をする姿をよく見ていたから、才能豊かなルシールのことだし刺繍もとても上手だと思っていた。
しかし実際は壊滅的な腕前。
俺は旧校舎の図書室から見える人気のない中庭の奥まったベンチでルシールが刺繍をしている理由を理解したのだった。
―――見ましたか⁉
先日俺が寝室に行くとルシールは刺繍に夢中で俺が入ってきたことに気づかなかった。
そこで俺はつい出来心でこっそりとルシールに背後から忍び寄ったのだが、肩先から見えた刺繍に思わず「なんだ、これ」と呟いてしまった。
配慮と気遣いが足りなかったが、本当に分からなかったのだ。
あれが何かはきっと永遠に分からないだろうな、猪のようだったが……猪を刺繍するなど聞いたこともないから違うと思う。
いや、勇気を出して今夜聞いてみるか。
あのときのルシールの真っ赤な顔はとても可愛かったし。
顔を赤くする。
それは恥ずかしいとき誰もがする普通の反応だが、その顔を見て最初に思ったのは「ルシールも人間だったのだな」ということ。
そのあと直ぐに「そりゃそうだろ」と脳内で一人つっこみをしていたが、そう思わせるくらい以前のルシールは硝子人形のようだった。
ルシールと共に過ごすうち彼女の印象は変わり、言い方は悪いが人間臭くなった。
ルシールは意外とよく笑う。
声を上げて笑うわけではないが、口角を少しあげて穏やかに笑う。
趣味は読書なんてつまらない俺の淡々とした話のどこに笑うポイントがあるか分からないが、ルシールは俺の話によく笑みを零す。
だから俺はルシールと話をするのは好きだ。
ルシールの目がゆるやかに細まるのが嬉しくて、柔らかな声が聞きたくなる。
人間臭いルシールは閨でも見れて、だから何度も……いや、ダメだろ!
パアンッ
「ど、どうした!?」
「いえ……」
朝の通勤時間、しかも父親を目の前にして思い出すことではない。
しかし一度想像すると……そうだ、違うことを思い出そう。
別のこと、別のこと……うん、朝の城下町は活気があっていい。
あの母親に背負われた子どもが振り回しているクマの縫いぐるみ、ルシールの部屋にある三体のクマの縫いぐるみにどこか似ている。
その縫いぐるみは俺がハネムーンを過ごした領地で彼女に贈ったもの。
領地でハネムーンを過ごすことに元婚約者は「ありえない」と言っていたが、ルシールは「このときくらいしかゆっくりできませんから」と言って街歩きを一緒に楽しんでくれた。
よく考えればルシールが街を歩くなんて今まではあり得ないことだったんだよな。視察という態であっても周囲を二十人くらいの近衛騎士で固められての街歩きとなっただろう。
領都を歩くルシールは宝石店や服飾店よりも、食材や日用品が並ぶ市場や地域の工芸品が飾られている職人街に興味を示した。
宝石やドレスは向こうから勝手に売り込みにくるとルシールは母上と同じことを言っていた。
普段から言質をとられないように気をつけているルシールは表情も公平。ほとんどの店を同じ時間同じ熱量で見ていったが、一軒だけジッと長く興味深げに見ていた店があった。
それが子ども向けの縫いぐるみを作っている店で、中を見ようかと尋ねてみたら結構長く悩んだあと、照れ臭そうに小さな声で「見たいです」と言ったルシールは実に可愛……いや、いまはそこじゃない///。
店に入ると棚の上には縫いぐるみ飾られていた。
可愛らしい店内に俺は気後れしていたがルシールは楽し気にぬいぐるみたちを見ていた。
―――これは?
ルシールが目にとめたのは、木のハンガーにかかった小さなドレスたち。
質問を受けた店主らしき女性が縫いぐるみに着せるドレスだと言ったあと、赤ちゃんは何でも口に入れちゃうからドレスは着せないほうがいいと説明した。
子どものためのぬいぐるみを買いにきたと勘違いされただけだが、成人女性の自分が求めたことが恥ずかしかったのかルシールは見事なほどに慌てた。
普段は論理的に考える脳は壊れ、今まで縫いぐるみをもったことがないから興味があるとか、自分の顔にはこういう可愛いドレスが似合わなくてショックを受けているなど色々な情報をどんどん暴露した。
そんなルシールの意外な一面は護衛騎士たちの心をキュンッとさせた。職務を忘れて頬を染めるあいつらは店から追い出した。
唯一ルシールに頬を染めなかった妻と娘三人を溺愛する父親の隊長はぐいぐいと肘で俺の背を押し……あのときは「うるさいな」と思って本当にすまなかったと思う。
あのとき買った三体のクマとそれに着せるための可愛らしいドレスはルシールのお気に入り。宝石やドレスを贈ったときよりも喜ばれた。
「これも可愛いですね」と隊長が見立てたパステルブルーのリボンが大量についたドレスをルシールが一番気に入っていることは気に入らないが。
今日もクマたちはルシールの代わりに可愛らしいドレスを着ていることだろう。
「今度は笑って……気持ち悪いぞ?」
「申しわけありません」
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