ささいなことで蝶々は羽ばたく

「公子様、こんにちは」


 侯爵家の侍女に案内されて四阿にきたローク様を出迎えると、ローク様は急な訪問を詫びながら持ってきた花束を侍女に渡しました。


「本当なら来週お会いするところだったが、急な仕事が入ってしまって……」


「お気になさらなくても」

「いいえ、婚約者の義務ですから」


 政略的な婚約でも円満に見せるため婚約者同士が交流すべきという風潮はあります。


 交流としてお茶を共にしたり観劇やお買い物に街に出る方が多いようですが、あくまでも風潮であって「しなければならない」ではありません。


 それなのにローク様は火の日に手紙で来週の水の日に会えるか尋ねられて、問題なければその次の水の日に公爵邸にいらっしゃいます。


 今日は月の日ですが明日から三日ほど王都を留守するそうなのでその代わりだそうです、律儀な方ですわ。



 殿下の側近候補であるローク様とは学院にいた頃もそれなりではありますが交流はあり、ローク様より他の方が先に話しかけてくださることが多かったのであまり話したことはありませんがローク様が生真面目な方であることは存じておりました。


「お時間を作ってくださってありがとうございます」


 婚約者の義務……ふふふ、やっぱり面白い方だわ。


 実際に殿下は私と一緒に過ごすことを嫌がられ、陛下などに煩く言われて渋々約束はするものの急にキャンセルすることが多くありましたし、ティファニー様と恋仲になってからは約束さえもなくなっておりました。


 口では何も言わずとも婚約の体裁すら整えることのなかった殿下。

 愛することはないと仰ったものの婚約の体裁を生真面目に整えてくださるローク様。


 なんとも真逆な婚約者。

 それなのにお二人ともティファニー様を愛していらっしゃる。



「なぜそんなに楽しそうなのですか?」

「公子様が面白い方だからでしょうか」


 ローク様が首を傾げる。


「初めていわれました」

「お気になさらないでくださいまし、私の個人的な感想ですので」


 そう言うと、なぜか気まずそうにローク様は視線を逸らしました。


「無礼な奴の間違いでしょう、私はあなた以外に恋しい女性がいるのに」

「私たちは政略ですわ」


 政略結婚で大事なことは互いの利益の一致。

 納得して婚姻証明書に名前を連なれば結婚など簡単に成立する。



「あなたも、面白い人のようですね」


 面白い?


 聞きなれない言葉が私の頭で木霊すると、殿下の声がどこからか聞こえてきました。


 可愛げがない。

 愛想がない。


 一緒にいて楽しくない。


 あっちに行け。

 近づくな。


 殿下に言われた言葉が頭の中でぐるぐる回ります。



「どうかしましたか?」

「そんなこと……初めて言われましたから」


 どうしてお前が僕の婚約者なんだ。

 どうして僕がお前なんかと結婚しなきゃいけないんだ。


 どうして、どうして。

 殿下はそればかり。


「どうして……」


 王家がそれを私に言うの?


「ルシール嬢?」


 訝し気なローク様の声にハッとして、扇を出して口元を隠す。

 目は作れても口元の震えを止めるのは難しい。


「大丈夫ですか?」

「はい。先日夜会でお会いしたローク様のお祖母様のことを思い出していまして」


 私の言葉にローク様のお顔が苦虫を噛んだような感じになりましたわ。



 男女や立場で差別をするわけではありませんが、公爵家嫡男であるローク様は私のように急いで次の婚約者を探す必要はありませんでした。


 公爵家の唯一の子であるローク様に結婚しないという選択肢はありませんが、失恋の傷が多少癒えてからの婚約や結婚でも問題なかったと思うのです。


 他の貴族家ならば廃嫡して親戚筋から養子をとるという選択ができますが、王家の血を保護する役割をもつ公爵家の場合は血のつながりと濃さが重要だからです。ローク様も順位は低いですが王位継承権をお持ちです。


「結婚をお急ぎになったのはお祖母様に結婚する姿をお見せになりたいからだと勝手に思っていました」

「お祖母様を見てお分かりだと思いますが、どうにかなる予定は当分ないと思いますよ」


 ローク様の仰る通りとてもお元気な方だったわ。


「結婚しないなどと言う罰当たりな俺に代わって祖先に詫びると、短剣の切っ先を己の喉にあてて孫の俺を脅すような方ですから」


 それを聞いたときは本当に笑ってしまいましたわ。


「素晴らしい胆力ですわ」


 あの方だからこそ公爵家を二十年前の集団婚約破棄事件からお守りになれたのだろう。


「そこ、感心するところか?」

「君は祖母と気が合いそうだ。そう言えばこの前母上もこちらに来たとか、何用で?」


「とても美しい謝罪を見せていただきました」

「何が、どうして、そうなった?」


「君を愛することはない、あのセリフをお知りになったようで」

「ああ、なるほど……その、いろいろ、すまない」


「いいえ、眼福でしたわ」


 あのような美しい、腰を直角に曲げた美しい謝罪は初めて見ましたわ。

 流石、社交界の花といわれるセラフィーナ様です。


「なんで、どうして、その感想?」



 ***


 三か月間の婚約という異例の短さですが、私たちの事情はみなさんご存知なので問題なく結婚の日を迎えることができました。


 公爵家と侯爵家の結婚なので式典の規模は盛大なものになりました。

 その盛大さにローク様も最初は呆れていらっしゃいましたが、自分の結婚式でもあるからとできる限り準備に参加してくださいました。


 想われているわけではない。

 でもその律義さに心が落ち着きます。



 敬意はどうであれ私たちの結婚はソニック領でもカールトン領でも歓迎されています。


 どちらの領主も優しいが領民を甘やかすことはしない、つまり領民はある程度自分で考えて動くことができ私たちの結婚を商売のチャンスと考えたようです。


 今日の結婚式は飾り、料理の食材、そして私たちの衣装まで全て互いの領地から手配しました。特産品を結婚式でアピールしようとする領民たちの熱意は素晴らしいものでした。


 領民たちの熱意は互いの特産品への興味関心に繋がり、彼らは結婚式の準備を通して交流する中で特産品や技術が融合して新たなものも作り出されました。


 花嫁のヴェールはカールトン領の絹にソニック領の装飾師たちが刺繍を施したものです。


 花嫁衣装の最終確認に同席したローク様の例のお祖母様は感激なさっていました。上品なご夫人の涙する姿に涙ぐむ領民多数、あの方が自刃騒動を起こしたと言っても彼らは信じないでしょう。


 結婚式の会場は赤、白、ピンクで可愛らしく仕上げられていました。

 どちらかと言えば冷たい印象を与える私やローク様がちょっと浮いてしまいそうなくらい可愛い仕上がりです。


 これも仕方がありません、カールトン領の名産品のイチゴに合わせたデザインです。


「ブドウやレモンが特産品なら良かったのですが」

「確かに君は可愛いよりも美人という印象だが、可愛いものが似合わないわけではないさ」


 ……やっぱり律儀な方だわ。


 ウエディングドレスから着替えた披露宴用のドレスは私が今まで着たことがない可愛らしい雰囲気で、私が見ても違和感のほうが大きかったのです。


 お父様ではなくお兄様のようにお母様に似れば可愛いものがとても似合ったのですが……ないものねだりはやめましょう。


「それは侯爵夫人がデビュタントのときに着たドレスなのだろう?」


「はい。花嫁のジンクス、【借りた物】ですわ」

「ジンクス?」


 耳慣れない言葉なのかローク様がきょとんとした顔で首を傾げるので、簡単に「借りたもの」「新しいもの」「古いもの」「青いもの」を身につけた花嫁は幸せになれるというジンクスを教えます。


「そんなものが……あ、いや、ただ、その俺は花嫁ではないから」

「ふふふ、ローク様が花嫁になるのは無理ですわね」


 借りた物。


 このドレスは私がずっと憧れていたドレスで、本当なら私のデビュタントで着たかったのですが殿下が「準王族の品位に合わない」と反対して着ることができませんでした。


「伝統的な意匠が刺繍されたヴェールによく似合っている。その靴が【新しいもの】か?」

「先ほど兄から贈られました。まだ準備途中なのに、靴を慣らすために歩いておいでと部屋を追い出されてしまいましたのよ」


 目を真っ赤にしていたお兄様とお父様を思い出すと嬉しくなる。


「先ほどから感じる寒気の原因は令息と侯爵だな。嫁に出すのはまだ早いとか言っておられるのだろう」「嫁入りといっても王都のタウンハウスは馬車で三十分の距離。互いの領地も隣同士ですのに」


 そもそもこの婚約を整えたのはお父様では?


 娘を嫁にやるのは理屈じゃないとローク様は苦笑されている。

 お父様から「一人目はぜひ娘を」といい笑顔を向けられたときと同じ笑顔だわ。



「やっぱり嫁にやらんとなったら戦争が起きるな、うちも君を大歓迎しているから」


 ローク様が視線を向けるのはお義母様から贈られた首飾りでこれが【古いもの】。お義母様はこれをご自分のお祖母様から贈られたそうです。


「【青いもの】は耳飾りだな。ソニック領の職人が作ったものだな」

「お義母様の首飾りに合うようにお義父様が細かく注文なさってくださったそうです」


 次期公爵夫人が身につけるものと聞いて職人たちは気合を入れて作ってくれたとお義父様から聞いています。


 とても嬉しいことですが、大きな青いサファイアが嵌った耳飾りは持ったときは分かりませんが着けてみると重くて―――え?


「ローク様?」


 ローク様の右手には、先ほどまで私の右耳についていた耳飾り。


「父上も張り切り過ぎだ。耳たぶが伸びてしまっていた、痛くないか?」

「……大丈夫ですわ」


 左右で対になるデザインになっていて、残った左耳の耳飾りはそんなに重くありません。


「それは、どうなさるのです?」

「俺の耳につけるよ。シンプルなデザインだし、男の耳についていても不思議はないだろう」


 ローク様はそう言って耳飾りを外して自分の右耳に器用にお着けになりました。


「これは重い」


 ……なんでしょう。

 少し落ち着きません。


 ローク様は何でもないように笑っていらっしゃいますが、私はいつもみたいに上手に笑えている気がしません。



 これは……なに?

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